●
柔らかな初夏の風。葉擦れの音。涼やかな山道。
情景だけならとても穏やかなのに、状況はまったくもって穏やかではなかった。
鬱蒼とした木々に挟まれた斜面を、撃退士の集団が駆け登る。
「ここが、奴の言っていた『次』か」
郷田 英雄(
ja0378)は終焉の街での言葉を思い出していた。
――後始末をするのが、下級の仕事でね。上役さまは、次の場所さ
なるほど、前回と同様に人里から隔離された場所。ひっそりと張られた結界。『繰り返す』には、うってつけだろう。
「噂を広めるならカラスは市街地には行けないはずだ、どこかに潜んでいるのか、別の戦場か……」
「ウルがいるということは、カラスもいるのだろうと思いますが」
英雄の思考に、天宮 佳槻(
jb1989)が自身の推測を乗せる。
「今回は結界内から見える位置に人間がいる訳ではありませんから、感情を煽ると言うより追い込み漁でも気取っているのでしょうか。
カラスが自分の正体を一般人に隠しておきたいなら、ウルに攻撃が集中した隙を突いて防衛線を突破するということも有り得るかもしれません」
天使たちの優先順位が戦いよりも狩りにある、と仮定するならばだが……。
「どういった行動をとるにせよ、彼が合流する前に少しでも敵の戦力を減らさなくては。……それにしても」
佳槻の読みへ頷きながら、ユウ(
jb5639)は正面へ視線を移す。
接敵には遠いが、開けてきた視界の向こうに権天使の姿が視認できた。ビリビリと伝わるような、威圧感。
「権天使ウル……。圧倒的存在感ですね、気を抜くと震えてきそうです」
無意識に強張る体に負けないよう、ユウは声に力を込める。
「将が己の前を空けておくなど……誘いが露骨過ぎるな。だがしかし、乗ってやろう」
動じないのは、フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)だ。常と変らぬ、恐れ知らずの王者の表情。
「副将がいないのならば、引っ張り出せば良い。撃退士のフリなんか、今後できねェようにな」
敵に考えがあっての布陣なら、対応するだけのこと。英雄は眼光鋭く大将を睨み付けた。
「野崎さん、なんか気負いすぎてたりしませんか?」
「えっ」
後方を振り返り、若杉 英斗(
ja4230)が声をかける。
俯き唇を引き結んでいた野崎は、ハッとして顔を上げた。その反応こそ、答えになる。
「大丈夫ですよ。みんながいるし、俺も今日はしっかり盾しますからね」
「……うん。うん……、そうだね」
意識が沈んでいたことを見透かされて、思わず赤くなった頬を野崎は両手でペチリと叩く。
「富士山の時に抵抗していた天使の残党か……。所変えて人間を玩具みたいにしやがって! タダで帰させないから!」
天羽 伊都(
jb2199)は息巻いて、駆ける足を、より力強く。
「もう、夏の京都の二の舞は御免なんだよ」
伊都は、忘れはしない。一年以上、前のこと。暑い夏の地獄絵図。敵が張り巡らせた、罠の糸。
「風は音を伝える……。地響き、か。違う『音』が混ざっているようだな……」
流れる風、起死回生の風、フィル・アシュティン(
ja9799)のもう一つの人格・エルムが呟く。
「胡桃さん……地震が続いているの、です?」
「ええ。『前』も、『そう』だったわ」
華桜りりか(
jb6883)に尋ねられ、矢野 胡桃(
ja2617)は渓谷での戦いを思い出していた。
ただ、あの時は、ここまではっきりと『地震』と体感されていなかったように思う。
「ふむ、では地盤がよわくなっているかもしれないの……」
羽織っているかつぎをキュッと握り、りりかは確証までとはいかずとも、推測した。
山道の固さ、ウルの持つ『衝波』という攻撃スキル情報、それらを絡めて、可能性を考える。
先ほど、佳槻が口にしていた『追い込み漁』という言葉も引っ掛かる。
「ウルさんの衝波で地面がくずれる可能性を考えると、あまり近づかない方がいいかもしれないの、ですね」
「地面が崩れる、ね……」
胡桃も考え込む。りりかの推測をヒントにすることで、佳槻は抱いていた疑問点の答えが見えた気がする。
「ウルが山の中腹にいることに意味があるのなら、それが狙いでしょうか」
「地形から水や火を使った攻めはまずありえん……となれば、後は足元だろう」
フィオナが鼻を鳴らし、
「何らかの仕掛けが施されている可能性を、頭に入れておきたいわね」
アルベルト・レベッカ・ベッカー(
jb9518)はメンバーの推測を簡潔にまとめた。反対の声は無い。
「さあ、そろそろ戦闘開始……かしら」
「……今回も、風を止めさせはしない」
レベッカが、左手の森林へ姿を消してゆく。それを見届けてから、エルムは自身の戦いへと意識を集中させた。
(次から次へ、だな……)
『風を打ち消す者』の名を持つ天使カラスと対峙したのは、さほど前のことではない。
首の皮一枚といったところで敵の目論見を打破したばかり。
それでも、自分たちの傷は癒え――相手も、また。
「流れる風を……、育まれる命を、好きになどさせるものか……」
何度でも、何度だって、防いでみせよう。この身を盾に、剣として。
●
山羊に羊、そう表現すれば山間にのどかなものだと思えるが、実際は天界で作られしサーバントだ。
行く手を阻む眼光で接近する部外者を睨み、蹄で大地を削っては待ち構えている。
その奥に、岩石を椅子とし悠然と座るウルの姿。
「俺は迂回して奇襲する。飛び出しても巻き込むな」
「わかりました、です」
英雄とりりかは、向かって右手の森林地帯へ分け入っていく。
(私が最後まで立ち続けることは、難しいかもしれません……。だから、立っているうちに少しでも多く!)
最速で行動を起こしたのはユウだ。
「放ちます。巻き込まれないように気を付けて下さい」
合図は一言、左手前方――直近の敵の塊に向けて、敵味方識別ナシの刃を注ぐ。
暴れ狂うような影の刃がサーバントの外殻を深く刺す、が、一撃撃破には至らない。
「トドメはもらうわ!!」
側面へ回り込んでいたレベッカが、木々の合間から間髪入れずにピアスジャベリンを放った。
真正面からの攻撃に動揺し、されど動きへ移す前……タイミング、ぴしゃりだ。物理攻撃に弱かったらしい、羊型サーバント二体はそこで撃破される。
「纏めて行くの……巻き込まれないで下さい、ですよ」
真正面からの、ユウの攻撃。そこから左側面から急襲され―― 更に、右。
真逆の森林地帯を進んでいたのは、りりか。
右手奥に布陣するサーバント三体が動き出すより早く印を結び、炎球を炸裂する。
「……っ」
カツッ、散る散る火花の向こう側、地表を蹴りつける蹄の音。
「う、……っく」
倒れる木々が僅かながら時間を稼ぐ、りりかは白き山羊を模るサーバント・ゴートの攻撃を辛うじて避ける――その先に、もう一体。
鋭い角が、少女の華奢な肩口に突き刺さる。衣服を鮮やかな血に染めた。
「りりかちゃん!!」
呼吸が詰まる、声が出ない、浮き上がる細い体を襲う風の刃があった。
黒き羊型サーバント・フォールによる魔法攻撃。野崎による回避射撃が飛ぶも、鋭い刃は無残に少女を裂いた。
派手な範囲攻撃を繰り出したことから位置が割れ、集中攻撃の前に倒れる。相当な深手だが、急所は外れている。重体には至っていないようだ。
(……華桜)
眼前で繰り広げられた一連の攻撃に、英雄は助ける手を伸ばすことすらできずにいた。
――巻き込むな
そう言ったのは、自分であったのに。
闘気解放で、力が全身にみなぎっているというのに――……
「私なら大丈夫です、皆さん、どうか先へ!」
左手の群れは、森林に潜むレベッカではなく正面に据えるユウを標的に選んだ。
急所を避け、角による突き刺し攻撃を受け止めながら、ユウは叫ぶ。ここで、足を止めてはいけない。
引き付け役となることも承知の上で、先陣を切った。
「時代よ、俺に微笑みかけろっ!」
彼女へ攻撃が集中する前に、英斗が最前線中央で高らかに叫ぶ。
彼を中心とした陣が発動し、幻影美少女騎士たちが姿を現す。
「なるほど、これが若杉さんの好みのタイプか……」
「あっ、あまりジロジロ見られると恥ずかしい。俺じゃなくて彼女たちがね!?」
ジロジロ見ながら、伊都は加護の範囲内ギリギリを移動する。
「華桜さん、ごめん、間に合わなかった…… それでも絶対、倒すから!!」
射程に捉えたフォールへ向けて、全身全霊の封砲を!
「こちらにも結界を張ります、少しでもフィールドを広くとりましょう」
英斗の術では補いきれない区画へ、佳槻が四神結界を展開した。
(追い込み漁を狙っているとしたなら、地盤が弱っているラインは……こちらから見てウルの手前あたりだろうな)
厳密な位置までは把握できなくても、目星は付けられる。
サーバントの配置、そこから将の距離……、『何処』に気を付ければいいのか。佳槻は冷静に見定める。
「はっ、どうした? こっちにはこねぇのか」
雄山羊の面の下で笑い、ウルがやおら立ち上がる。
「ひとつ、挨拶でもしてやろうか」
「あの攻撃は……っ」
『衝波』、先の戦いで英斗は体感していた。
(耐えられる……!)
石斧が、激しく地表を叩く。
大地が揺れ、地表に亀裂が走ると同時に槍状の突起が隆起する。
英斗が光盾を発動する。ずん、と重い感触はすれど――大丈夫。傷一つ付かない。
「胡桃!」
「だい、じょうぶよ、佳槻おにいちゃん……」
振り向く佳槻の瞳が、かすかに揺れる。飛翔した胡桃にも、衝波の威力は及んでいた。
意識が遠のきかけるも、何とか繋ぎとめている。そう感じる。
「だいじょうぶ」
胡桃は、繰り返す。その言葉で、佳槻もまた冷静さを取り戻した。
地盤沈下の兆候でも見られればと思ったが、衝波の生み出す地槍のせいで、上手く確認はできなかった。
(これから……、なんだから)
友人のりりかが倒れてしまったこと。その衝撃が、胡桃を強くさせた。
初手の範囲攻撃畳みかけが効いた、手前のサーバント対応はどうにかなりそうだ。
そう判断し、フィオナは好戦的な笑みと共に赤竜の翼を顕現する。二枚四対の、翼。
「雑魚の掃除は任せる。我は……アレを抑える」
そうして、彼女は山林の中へ進むと共に射程圏内の権天使を見遣った。
●
痛みを抱えながら、ユウが後退しながらのダークショットで残るゴートを撃ち落とす。
英斗の守護からは外れてしまう形だが、ここは距離を優先した。これ以上前進して、標的とされるのは避けたい。間が欲しかった。
左手の集団を掃討完了したところで、レベッカが森林から飛び出してくる。
「背後から卑怯、というのは褒め言葉だと受け取るわよ」
片目を瞑り、もう一度のピアスジャベリン。
りりかを襲ったサーバントを、背後からズドンと串刺しにしてやる。
「案外としぶといな! おとなしく倒れた方が楽だぞ」
それでも倒れきらない敵へ、伊都がトドメを放ってゆく。
「……あら、そう来る?」
「レベッカちゃん、援護するよ!」
くるりと反転、文字通りに踵を返してレベッカ目掛けて突進するゴートへ、野崎が回避射撃を。
腿の辺りに当たった弾丸でバランスを崩し、レベッカは辛うじて攻撃を避けた。
勢い余り木へ激突するサーバントの胴体を、エルムの封砲が貫く。
「場は整った。……流れを邪魔するのなら、容赦はしない……」
「かーっこいい。ありがと、助かったわ」
軽い調子で礼を言うレベッカだが、心臓はバクバク鳴っていた。
(今の、直撃してたらマズイし…… 次に先手取られてたらヤバかったし……)
首の皮一枚。紙一重。
ゾクリと背筋に冷たいものが走る。同様の攻撃を受けたユウのダメージは、どれほどだったろうかと考える。
「攻撃する『手』がある限り、休めるわけには行きません」
「同感」
レベッカの視線に気づいたユウは、脂汗を額に浮かべながらも気丈に微笑みを返した。
ザンッ、
森林から勢いよく英雄が飛び出す。
普段は閉ざした左眼に、燃焼したアウルを集中させる。
「邪魔だ、退け……!」
気迫と共に射出されるエネルギーが、残るゴートを突き飛ばした。
木々を薙ぎ倒し、地表に叩きつけ―― 沈む。
「あの辺りだ、気を付けろ!」
ウルが控える直前で、ゴートは動きを止めて姿を消した……ように見えた。
弱った地盤を抉り、そこにハマっている。衝撃で意識も失っているようだ。
「なるほど、あれが『仕掛け』ってワケね」
レベッカが口笛を吹く。メンバーたちもそれなりに予想はしていたようで、驚きの色は少ない。
「ただ見ているだけというのも退屈であろう。少しつき合え」
赤い影が、ウルの側面に回り込んだ。フィオナだ。
山林を突っ切り、低空飛行から愛刀を繰り出す。――覇王鉄槌、小ぶりな武器に乗せた強烈な一撃。
「……山ン中は、羽虫が煩くてかなわんな」
仮面の下、赤く光る双眸がギョロリと動く。フィオナを認識する。
容赦ない攻撃を、叩きこんだつもりだった。が、刃は浅く権天使の表皮を裂くに留まる。硬い。
「斯様な緩慢な動き――……」
石斧を握る腕に血管が浮かび上がる。反撃が来る。
(弾いてみせる)
この至近距離、避けるか受け止めるかしかない。権天使の攻撃を、一対一という場面で受け止めるのは初だろうか?
風が鳴る。
木々が揺れ、野鳥が空へ逃げた。
一瞬の静寂。
次の瞬間、フィオナは弾き飛ばされ地に墜ちた。声は出ない。声の代わりに吐き出した血が、大地を濡らした。
――権天使・ウル。
光輝を纏い、決闘の二つ名を持つ者。
学園の記録では、多対一、或いは集団戦・乱戦といった局面ばかりで、彼と『個』として戦った者は少ないだろう。
(指揮という立場を嫌い、集団行動を厭う彼の本来の力は『個』でこそ発揮される――ということ、か)
フィオナの『強さ』は知っている。英斗の喉が音を立てた。
先の戦いで、彼はウルの『衝波』を受け止めきっている。
(接近戦が得意ってことなのか。遠距離は力が分散するのかな)
『衝波』だったから、耐えられた?
もし、彼が単身で突撃して来たら……
(しっかり盾します……とは言ったものの、天使相手にどこまでもつか……。根性の見せ時だな)
「こんにちは、権天使ウル。僭越ながら、剣の人形がお相手させて頂く、わ」
フィオナに続いて接近を試みるのは、翼を展開した胡桃だった。
ギリギリに射程を取り――アウルによる冷気と突風をぶつける!
「っっっ」
巨体が6mほど後退する。重量があるからか、派手な吹っ飛びとはいかなかったが。
「それだけか?」
つまらんと、仮面の下で嘆息が零れる。
「そうね。『今』は、まだ」
(短期決戦。今回も……凌がせてもらう、わ)
撃退士たちの目的は、権天使の撃破ではない。
時間を、間合いを、稼げればそれでいい。そのことに、相手が気づかなければもっと良い。
(麻痺が効かなかったのは、残念だけれど)
そこは、さすがに権天使……といったところだろうか。
ウルが後退したその向こうから、幾つかの羽音が聞こえてきた。
「……来た、か」
気配で察したエルムが口の中で呟いた。
「…………」
言葉なく胡桃は微笑を浮かべていた。それはおそらく、無意識の。
●
「おや。苦戦ですか、ウル様」
「誰に向かって物を言ってやがる。これしき、掠り傷ですらねぇよ」
「局面を見て申し上げているのですよ。サーバントは、もっと居たように思いますが」
他の場所の偵察に回っていたらしき、暗色の天使。闇を渡る風・カラスが、自身のサーバント、スターク・ブロー二体を伴って姿を見せる。
「チッ、ごちゃごちゃうるせぇ……」
「構いません。撃退士の相手をするのは、わたしの仕事でしたね」
権天使と天使の会話はそこで終わり、ピストルクロスボウを手にした天使は黒コートの裾をはためかせ撃退士へと向き直った。
「……さて。故あって、こちらも時間が無い。手短に済ませようか」
「同感です」
情緒も感慨もなく、カオスレートの振り切ったアウル弾が黒コートを襲った。
「っと、これは」
「ねぇ、私と遊んでくれる? ――余所見なんかされたら、妬いちゃうわ」
ユウのダークショット、それから角度を付けてレベッカが葬送曲を見舞う。
(イチかバチか……!)
狙ったのは上体、当たればオーライといったものだが、あえて、照準を少しだけ寄せる。厄介な武器・ピストルクロスボウを持つ腕へ。
ユウの攻撃で体勢を挫いたところに、レベッカの追撃は文字通りのクリティカルだった。命中したのは上腕、貫通して赤い軌跡が向こうへと抜けてゆく。
カラスのポーカーフェイスが、僅かに揺らいだ。
「まったく、油断も隙も無い」
痛みをそのまま笑みに変え、サーバントの指揮をとり直す。
「! 逃げろ、……!!」
カラスの考えを読んだエルムが、一手早く封砲でゴートを狙う、が躱されてしまう。
サーバントは猛スピードでユウへ体当たりすると共に、角で貫いた。
カオスレートを振り切った反動は大きく、細い体はぐたりとそのまま動かなくなった。
「……私は風。お前がどこに行こうと、追いかける……」
また。
また、目の前で仲間たちが傷つき倒れてゆくというのか。何度も何度も、許してなるものか。
エルムは、強い意志を宿す瞳で天使へ呼びかけた。
「嬉しいけれど、いつも必ず相手が出来るわけではなくて、すまないね」
「――来ます、ブロー!」
「野崎嬢!」
天使はピストルクロスボウを持てない腕の止血に、時間を割かれている。つまり、その間に動くのは……
英斗が叫ぶ、伊都が野崎へ呼びかける。ブローの初速と同タイミングで野崎はトリガーを引くが、惜しくも外れる。
前衛へ迫るブローから、激しいスノウストームが吐き出された。
(お前達の攻撃はもう読めてるんだよ。範囲攻撃でスタンさせた相手に、別の個体が貫通で追撃、だろ?)
光盾で凌ぎきる英斗の傍ら、レベッカが直撃を受けて倒れる。
(ここで、スタンしたフリでもしたら、カウンターで反撃できないかな)
視線を動かせば、エルムはダメージこそ受けているがスタンには耐えている。
(よし――……)
英斗がまばたきをする、目を開ける……その視界の先には、風纏う剣を振り下ろす天使の姿があった。
小器用に武器を使い分ける輩だったが、腕を一つ潰されたことで精度が増したか。
あるいは、これが『取り戻した』力というやつか……
ダウンバーストが強く強く吹き降りる。
(強い……、でも、耐えられる)
飛ばされそうになりながら、佳槻やエルムも、なんとか凌ぐ。
あと少し、もう少し、時間を凌げば……
「いい加減、貴方のすばしっこさには辟易している、の。悪いけれど……墜ちてもらう、わ」
もう一体のブローへは、胡桃が対応した。動かれる前に先手を打ち、北風の吐息で吹き飛ばす。同時に、その動きを麻痺で縫い止めた。
「逃がすか。手前には最後まで付き合ってもらう!」
対カラス戦が展開される他方で、英雄は大地の亀裂を飛び越え、ウルへと迫った。
英雄の周囲に、アウルで複製した鎌が4本具現化する。
「翼でも落とせば、飛んで逃げることもできねェよなァ!!」
亡者は同胞を呼び寄せる。それは、恰も付き纏う亡霊。嵐の如く。
呼び寄せられたかのように現れた鎌と共に、一気呵成に斬りつけた!
「これでも、掠り傷って言えるのか、よ!」
リミット解除の多弾攻撃、英雄はアウルを使い果たして軽い立ちくらみに陥る。
「見逃しても構わんが……、ここで摘み取るのもひとつか」
面倒そうに石斧を肩に背負い、ウルは踏み込む。
思わせぶりに数歩移動したのは…… 気絶から立ち直りかけたフィオナの姿に気が付いたからかもしれない。
音を立て、斧が旋回する。
二度、三度、そして――
動けない英雄、そして後方のフィオナをも巻き込んだ範囲攻撃で周辺を薙ぎ払った。
佳槻の治癒膏が、エルムの蓄積した傷を癒す。
「癒し手が少ないのも難点ですね」
「……感謝する。治す間さえ惜しいが……、押してばかりでは行かぬのも事実だな……」
「少しでも多くのメンバーが戦いを継続できるよう、補佐していきます。気を付けて」
サポートも、欠かせない要員だ。佳槻は支えに徹することで『力』となる。
●
りりかが、序盤の集中攻撃で倒れ。
フィオナと英雄は、ウルにより薙ぎ倒された。
ユウとレベッカはカラスへ痛手を与えることと引き換えに大ダメージに沈む。
残るサーバントは、ゴートが二体。それから増援のスターク・ブローが二体。
うちゴートの一体は沈下した地盤からようやく這い出たところで、ブローの一体は胡桃によって麻痺状態。
権天使ウルはほぼ無傷に近いが、天使カラスは右腕を潰されピストルクロスボウが使えない。
撃退士の実に半数が戦闘不能となっていたが、敵の勢力も相当に削ぎ落としている。
(退くか? 来るか?)
この局面においても、佳槻の思考は冷えていた。
敵に対して、感情がフラットだからかもしれない。為すべき目標がブレなければ、打つべき手も見えてくる。
(一番厄介なのは、ここでウルが突撃して来ることだけど……)
「まあ、こんなもんだろう」
権天使の言葉は、飽きによるものか気まぐれか見くびりか。
「お前の力がどんなもんか、見せてみろ。ケツまくって逃げて来るようだったら……わかるな?」
「出る幕が出来て幸いです」
「二、三発殴るからな、覚悟しておけ」
撃退士たちには解らぬ会話を交わし、ウルは悠々と撤退していった。追う者は、誰も居なかった。
「少しは賢明なようだね。そうでなければ、この二人も浮かばれまい」
黒い翼を打ち付けながら、上空の天使は地上に倒れる二人の撃退士――フィオナと英雄を見遣った。
ウルを深追いしない。そのことを指している。
追いたくとも追えない状況ではあるのだが。
(剣に持ち替えて、射程は短くなったし厄介な4連攻撃もなくなったし……)
撃退士側が守る分には戦いやすくなったと、英斗は考える。
けれど、守りに関しては天使も同様であると気付いた。クロスボウではできなかったこと――受け防御が、あの魔法剣であれば可能なのだ。
降らせたディバインソードも、結局はそれでほとんどを防がれている。
(いや、最後まで立っていれば今回は)
それでいい――、思考は途中で止められた。
羽ばたき一つ、軽やかに天使は部隊の後方へ回り込んでバックアタックからの魔法攻撃を仕掛けてきた!
佳槻、胡桃、伊都の三名に直撃する。
「――っ、ヴェズルフェルニル……」
「ダンスは、また次の機会に。胡桃」
序盤に受けたウルからのダメージが残っていた胡桃は、ここで墜落する。その体を、佳槻が抱き留めた。
少女の白い手を取るでなく、憐みの表情をするでなく、彼女の好む言葉を掬い上げるように天使は答えた。
「佳槻くん、伏せて!!」
胡桃を横たえ、立ち上がろうとした時に野崎の声が走る。
攻撃が来るのだろうことは予測できた、言われるがままに反応するも……回避射撃を押し切って、ブローの攻撃は佳槻の上体を襲った。
激痛で意識が持って行かれる。
「それでも……この風は、止まらせない!」
立て続けに襲ってくるゴートの体当たりを、エルムはシールドで防ぐ。返す刀で切りつけるも、撃破には至らない。
「本当に、君たちは執念深いなぁ」
「……褒め言葉と受け取るぞ」
「お好きなように」
笑い、カラスは魔法剣を繰り出す。
小さな竜巻状の刃がエルムを切りつける。
「――――っっ」
「見た感じより、重いだろう?」
シールドも破られ、累積ダメージから遂に彼女も陥落した。
残る敵が、一斉に英斗へ襲い掛かる。
一つ一つは大したことが無くても、タイミングを合わせられると普段通りの守りはできなくなってくる。
「ここで、倒れるわけにはいかないんだ……っ!!」
ここまで繋いでくれた皆の気持ちを、無駄にしないためにも。
気合で、英斗は立ち続ける。
まだ、戦える。大丈夫だ。
「タダで帰って貰っちゃ困るんだ……! オレ達と向き合う事、身体に刻みこんでおけ」
一度、全力移動を駆使して山林へ姿を消していた伊都が、叫びと共に戻ってくる。
手にする刀は、漆黒の焔を宿していた。
フィルを斬るためにカラスが地上へ降りてくる、そのタイミングを逃さずに。
零焔、伊都の技の一つ。
袈裟懸けにしたところから、黒い焔がカラスの身を包むように立ちのぼる。
普段の軽口も、ポーカーフェイスも、天使から返って来ることは無かった。
●
歌。
やさしいうたがきこえる。
遠のく意識の向こう、胡桃はそれが天使の声だと気が付いた。
(呪歌……? ううん、いつもと違う)
高速移動を可能とする呪歌とは別の旋律。これは…… なんだろう。
「ここで使うことになるとは思わなかった。まあ、仕方がないか」
柔らかな白銀の光りが、カラスの負傷箇所に灯る。傷口がふさがり、血が止まる。
「……逃げるのか」
押し殺した声で、英斗が訊ねた。
「お陰様でね。痛み分けと言いたいところだが……君たちの考えからすると、そちらに軍配が上がるようだ」
「よく、わかっているようで」
対照的に、伊都は明るい。
「この調子だと、また逢うこともあるのだろうね。悪運が続くことを」
最後の最後、そんな憎まれ口と共に天使は撤退した。
サーバントたちは睨みを利かせた後、ゆっくりと同様に去って行った。
全身から力が抜けるのを感じながら、野崎は通信機を手にした。
「――はい、久遠ヶ原です。こちら、完遂しました。ええ、なんとか……天使たちは撤退しました。はい、……では」
「市街地の方はどうなりました?」
「ありがとう、英斗くん。……うん、向こうも撃破できたって。市民の保護に向かってた部隊と一緒に降りてる」
そこから取って返して、こちらの救出に動いてくれるそうだ。
さすがに、三名で八名を連れ帰るのは厳しい。自分たちも負傷しているし、疲労もある。
「一矢報いたと、言えるんでしょうか」
「あんなカラス、見たのは初めてだったね。……ふふ、みんな、強いなぁ」
敵が撤退して言った方向を眺めて伊都が言うと、狙撃中を抱きしめ寄りかかるようにして、野崎が笑った。零れた笑いは、なかなか収まらない。
「みんな、それぞれに……色んな思いがあって、痛い思いをして、それでも諦めないで……立ち向かってるんだよね」
救急箱を取り出して、応急手当を進めながら、胡桃やエルムの細い腕を取っては思う。
(強くなろう)
今からだって、遅くない。
感情に揺さぶられてばかりじゃなく。自分の為ではなく、誰かの力になれるよう。強く。
「ありがとう。……がんばろう、ね。これからも」
青嵐が梢を鳴らす。
季節が変わる。夏が来る。成長の証はそこに在ると、告げている。