●
たすけて。
その言葉の持つ恐ろしさを知ったのは、3年前のことだった。
もし、自分が助けを求めなければ
もし、自分を助けようとしなければ
父が命を落とすことは無く、
兄が人を殺めることも無かったのではないか。
たすけて。
だから、美馬 賢は、その言葉を今となっては使うことが出来なかった。
――兄ちゃんを、たすけて
げきたいしならば、たすけることができるのだろう。つよい人たちなのだろう。
それでも、怖かった。
自分が何かを願うことで、誰かが傷つくのは怖かった。
窓の外へ向かい叫ぶしかできない。出動する撃退士へ、何を言うこともできない。
反覚醒者組織に身を寄せたのは――……『力もつ者』へ縋らずに在りたいと願ったからだが、だからといって自分が強くなれるわけでもない。
(兄弟だし、やっぱり分かりあえたらいいなぁ)
震える小さな肩を見遣り、緋流 美咲(
jb8394)は胸の奥がキュッとなる。
美咲には、学園へ来る前の記憶が無い。家族が居たのかどうかもわからない。
それでも、久遠ヶ原で多くの人たちに出会い、絆を深め、家族と呼べる人、恋人と呼べる人に巡り合えた。その存在は、とても尊い。
だからこそ、願う。
「……大久保さん。お願いがあるんです。もし、あの子が戦場へ飛び出すようなことがあったら、全力で止めてもらえませんか」
兄を想う気持ちが強ければ、そんな行動をとってしまうかもしれない。
『たすけて』と言わない小さな背中が美咲の不安を煽った。
「必ずや」
重々しく、大久保翁は応じた。
「っとぉ、ロビンちゃん。話は聞こえてたね」
部屋の外。フードを深めに被り、廊下で待機していたRobin redbreast(
jb2203)の姿に、野崎は少しだけ表情を緩める。
「よしよし。アレは被ってないね。よしよし」
アレ――バラクラバ、いわゆる目だし帽――を被ろうとし、野崎が慌てて止めたのはビルへ入る前のこと。
ロビンは先の任務で、ウィッグとカラーコンタクトを着用して『セロシアの集い』へ潜入している。
一般人を装っていたことが知れたら、撃退士へ更なる疑念を抱かせるかもしれない。ならばバレなければいい。そうだ、顔隠そう。
しかし名案は止められて、今に至る。
「急いだ方が、良いんだよね。聞かなくちゃいけないことも、きっとあるんだよね」
「うん。急ごう。下手すると、聞きたいことも『聞けない』状態になっちゃう」
着慣れた、赤の民族衣装。その裾を払い、ロビンは立ち上がった。
「野崎さん」
「はいな、静矢くん」
ビルの階段を駆け下りながら鳳 静矢(
ja3856)に呼び掛けられ、足を止めずに野崎は応じる。
「地上に着いて、射程に捉えたら……逃走の可能性を考えると美馬と他一名。可能なら全員へマーキングを頼めませんか」
「ん、防御も攻撃手も揃ってるみたいだし、あたしはそっちのフォローへ回ろうか。攻撃と思われて刺激したくもないし、極力バレないようにするよ」
●
ガソリンの匂い。
炎の熱気。
人々の悲鳴。
強烈な水弾が遠方から発射されるが、それは鎮火の為ではない。着弾点のアスファルトが抉られ、飛散しては事故車のガラスを割る。。
血色の狼が眼をギラギラと光らせ、炎の合間を縫うように駆けまわる。
「手間を取らせおって……」
遁走、追走、小爆発、そんな中。
フィオナ・ボールドウィン(
ja2611)の半ば呆れを含んだ声が、輪郭をもって響いた。
「辛島、下がれ!」
「痛ッ、カッコつけないでくださいよ。美馬さん、もーボロボロじゃないスか。おれだってねぇ、壁役くらい……」
ブラッディウルフが茶髪の青年へ襲い掛かろうとしているところへ、銀髪の青年が強引に割り込む。
アウルを纏い防御を上げたその腕へ、鋭い牙が突きたてられんとしたところへ――
「伏せて下さい!!」
電光石火、ユウ(
jb5639)の声が走る。
伏せる暇も与えない速度で、アウルの弾丸が狼の一体を撃ち抜いた。
(群がってきてる、まとめて落としたいですが……これでは近すぎますね)
敵味方無差別の攻撃手段を調整して使用も考慮していたが、初手で使うには距離の加減が難しい。
どうやっても襲われている青年たちも巻き込んでしまうと目視で判断し、ユウは通常の射撃へと切り替える。
「素手で抑えるなんて……無茶するわね」
ユウとは別方向から、落ち着いた女性の声がふわりと降った。エルネスタ・ミルドレッド(
jb6035)だ。
「これはこっちで片づけるから、しばらく大人しくしていなさい」
「うわ、美人」
「美馬さんの知り合いです?」
「ンなワケあるか、お前ら余裕か」
青年たちがどよめいている間にも、風のような軽い足取りで、エルネスタはターゲットに向けて意識を持って行かれている狼の側面を狙ってアイビーウィップで拘束する。
ギチリ、確かな感触が手に伝わる。どれほど獰猛だろうが、動きを封じてしまえばなんてことはない。
時間を惜しめばこそ、無理に撃破を狙うより足止めを選ぶ。
(……あれが、美馬 諒)
次の標的を定めながら、エルネスタはちらりとだけ銀髪の青年を見遣った。
アウルの扱いは独学だというが、『守る』ことが多かったからか――『そういった』能力へ特化しているように見える。
(そもそもは、弟を守る為……だったわね)
彼が此処に居る理由。獄へ入れられた理由……。
力無き弟を守るため過剰に力を振るったという話が本当であるというのなら、
妹を犠牲にした自分よりは、よっぽどマシなんじゃないか……。そんな考えがエルネスタの脳裏をよぎる。
軽く首を振って、余計な思考を払う。エルネスタは、再び戦いへと集中した。
「捕縛は任せていいのだな?」
「お任せあれ、ですよぅ☆」
ちらりと視線を投じるフィオナへ、鳳 蒼姫(
ja3762)が明るく応じる。
(……見つけたですよ。あの子ですねぃ☆)
捕縛班として誰より迅速な行動を心がける蒼姫の瞳が、銀髪逆毛の青年を見つけた。
「ならば、我は雑魚の足止めをしてこよう」
蒼姫たちへ信を置き、フィオナはグイと足に力を入れる。
「うわっ」
「……っと」
わざと二人の青年の間を駆け抜ける。
(黒髪が松井、蒼髪のデカイのが則本……だったか)
追い抜き際に、女騎士は鼻を鳴らす。
「しぶといようだが、結局は素人に毛が生えた程度。大人しく捕縛されるのが身の為だな」
「聞こえとるで、金髪のお姉さーん」
「追っ手か、案外と早い…… ……! 美馬さん!!」
「逃がしはしないのですよ☆」
則本が気配を察した時には、既に蒼姫は移動していた。
――瞬間移動。
文字通り、瞬時にして彼らのそばへ現れた蒼髪の女性へ、青年たちは言葉を失う。
「あなたが、美馬 諒さん。グループのリーダーさんですねぃ? アキたちは久遠ヶ原から来ました。皆さんを連れ戻すように、と」
「なるほどな、なーんか見覚えのあるモノをぶら下げてらぁ」
捕縛網とロープに一瞬だけ目をやり、美馬が口の端を歪めた。
「……こちら側に、来る気はないですかねぃ?」
「何をいまさら。俺たちの何を知ってるでもない癖に」
「では問います。皆さんは、久遠ヶ原の、撃退士の、何をご存じでしょう? 知らないのはお互い様。これから歩み寄って行けばいいだけですよぅ☆」
毒気を抜く笑顔で、蒼姫は手を伸ばした。打算のない、彼女本来の姿。
大切な家族がたくさんいるから、大切な存在を守りたいという気持ちはわかる。
だから、できるなら荒事ナシに場を納めたい……。
「そんな言葉だけで、誰が――」
「魔具魔装なしじゃ、ディアボロを相手にするのは無理だ。早く逃げろ!」
美馬の後ろで辛島が反論を口にするも、それはブラッディウルフの咆哮と若杉 英斗(
ja4230)の厳しい声で遮られた。
「あっ…… いや、あまり遠くに逃げられると困るんだけど……。危険だから、とにかく退がるんだ」
英斗が発動した庇護の翼によって、狼の牙は阻まれていた。
そこへ駆けつけたロビンが、四方へダークハンドを伸ばして狼の動きを止める。
(しっかり、がっちり…… うん、掴むだけ)
術に、対象へダメージを与える効果が無いことも確認し、少女はそのまま拘束を続ける。
「……逃がしはしないよ。ただ、場所の移動は賛成だな。……蒼姫さん」
英斗と蒼姫がディアボロからの壁となるよう位置どる。そこへ、闇の翼を顕現した柊 和晴(
jc0916)が『通路』を作る。
和晴は、蒼姫へ青年たちを囲んでの後退を提案した。
「あまり、時間はありません。狼たちは蹴散らします。だから……。ハル、蒼姫さん、お願いね」
神速で振り抜いた美咲の刀から、アウルが刃となって飛び出してはロビンが拘束した狼を襲う。
「素手で相手は無理だ、下がれ!」
そこへ畳みかけるように、静矢が紫鳳翔を繰り出した。
美しい紫の鳳凰が地を駆け、異形を祓う。
「……ッ」
多少、腕に覚えがあると言っても…… それこそ、フィオナの言う『結局は素人に毛が生えた程度』。
力の差を見せつけられる。
「まずは、少し移動しませんか? まさか、周囲の炎の壁を突っ切るつもりじゃないですよねぃ?」
炎上中の車の壁へ突っ込めば火だるまにしかならない、抜けることなんて出来ない事は解かりきっていて、蒼姫は問う。
「各々の事件は調べさせて貰ったよ。お前達の気持ちは解る……、それを責める気は無い。が、脱獄しては余計に罪が重くなるのだぞ?」
蒼姫の言葉に、背を向けて戦う静矢が乗った。
脱獄――そして、こうして見つかってしまった。それが意味することは美馬にもわかる。
「考える時間もないな……」
薄く自嘲し、美馬は自身の仲間たちを呼び寄せた。
「時間を稼ぎます。今のうちに、安全な場所へ」
翼を広げたユウが、上空から離脱経路を促すとともに、周辺を薄闇で包む。標的を眠りへ誘う、常夜だ。
静矢の直線攻撃で打ち漏らした狼たちが、パタパタと眠りに就く。
「…………」
信じられない、と言った顔で則本が目を見張る。
(敵う相手やないですね。どないしましょ)
わざと、自分たちを対象から外した――
それは、松井も察していた。背伸びをして、則本へ耳打ちする。その気になれば、無理やり眠らせて拘束することだってできただろうに。
(美馬さんの決めることだ。オレはそれに従う)
ぶっきらぼうに応じつつ、青年の心に表現しがたい変化が生まれていたのも事実である。
「なにかやるべき事があるから逃走したんだろう? ――命を粗末にするなよ」
英斗はその言葉を最後に、今度こそ戦いへ身を投じた。
●
「あたい参上! あたいが相手よ!」
元気よく飛び出した雪室 チルル(
ja0220)が、飛び出そうと身構えている狼相手に挑発を仕掛ける。
「なんかよくわかんないけど、まずは敵をやっつけるよ!」
(ドラゴンまでは、まだちょーっと遠いかな!)
ビュンビュン飛んでくる水鉄砲は楽しそうだけど、あんなの『覚醒しただけ』の人たちへ飛んでしまったら大変だ。
まずは剣が届く範囲から、徹底的にぶっ潰ーす!! そして追いついたら、ありったけの力でドラゴンをやっつける!
低く唸るレイニードラゴンが吐き出す水弾を軽やかに避けて、チルルは愛用の剣を構えた。
……ずしん
重々しい音を立て、ドラゴンの巨大な胴体が地表の全てを薙ぎ払う。
「ふっ。デカブツの攻撃とは、得てして単調なものだ」
直感に依る、予測回避。フィオナはそれを飛び越え、硬直している隙に間合いを詰める。
「『後ろ』へは、攻撃などさせぬ。我が相手をしてやるのだ、光栄に思え」
白い鞘から美しい両刃の忍刀を引き抜いた。始祖の血の目覚めに依る、強大な力を刃に乗せて。
迷いなき軌跡を描き、太い胴体へ突きたてる。
「まがい物の姿だろうに、しぶとい龍だな」
一度や二度の攻撃では肉を軽く裂く程度。
「加勢します!」
「向こうは、もう大丈夫なのか」
「ええ、うまくやってくれたようです」
駆けつけ、フィオナと肩を並べるのは英斗。
ユウが周辺の狼を一斉に睡眠へ落とした隙に捕縛班は移動をし、対ディアボロ班は狼対応とドラゴン対応とに分かれた。
先陣を切り少なくない手傷を負っていた前線部隊への加勢にも、間に合った。
「俺が来たからには、絶対に死傷者は出さない。この前線、守りきる!」
盾となること。
攻撃をすることで、敵の意識を自分へ向けること。
それが、英斗の――自分の果たすべき、役割だ。
「今までの俺とは、一味違うぜ…… 輝け! クリスタルクロス!!」
(狼なんかに遅れは取らないわ)
全て躱しきる自信もあったが、傷ついたことに動揺もしていられない。事実、ほとんどは躱していたし、爪だって直撃は避けている。
エルネスタは感覚を研ぎ澄まし、次に襲い来る水弾を確実に回避する。結った赤髪が、美しい軌跡を描いた。
「間合いへ入ったなら、逃しはしない」
中央に鎮座するレイニードラゴンから挟撃されないよう、左へ左へ回り込みながら、紅蓮の槍を取回す。
「よーっし!! あたいの必殺技で一網打尽よ!」
そこへ、チルルが追いつくと同時に跳躍一つ、両手に集中させたアウルで、氷の突剣を生み出す。
「全力には全力で応えるモノよね!!」
――ルーラ・オブ・アイスストーム。氷嵐の支配者。
一度きりの大技が、水龍を木端微塵に粉砕して見せた。
「次、すぐに来るわ」
左目に宿る『天蠍』で、エルネスタは直近の未来を視る。
中央の水龍が上体をしならせ、左右の撃退士を範囲に含めた薙ぎをしかける!
「攻撃が単調だと言っておろう。所詮、指揮官なしの眷属では知性も知れたものだな」
「援護します、そのまま進んでください!」
上空から、ユウがアウルの弾丸を浴びせる。
(今は何より、人々を……そして時間を稼いでくれた彼らを守る為にも、脅威を取り除くことを優先させましょう)
複雑な事情の絡む戦場だ。
ユウにだって戦い以外に気になることが無いといえば、嘘になる。
でも、そんな状況だからこそ、専念しなければ全てが危険にさらされることも理解していた。
フィオナは背中で応じ、空を仰ぐことなく真っ直ぐにドラゴンの胴体を斬りつけた。
「ズバッとザクッと行くわよーー!!!」
大技からの切り返し、立ち上がり際にチルルがブリザードキャノンでフィオナの攻撃との挟み撃ちを浴びせる。
チカチカと氷の結晶が軌道に輝いては融けるように消えた。
「今日も、あたいはさいきょーね!」
●
反覚醒者団体『セロシアの集い』。希望の灯。集合写真の中に居る、弟の姿。
――『恒久の聖女』へ告ぐ、我々は何者にも屈さない。
洗脳された覚醒者。壊れたラジオのように唱える題目。
迷いが無いだけ、振り下ろされる力に加減などなく、迷いが無いだけ、単調だ。
攻撃を避け、適当にダメージを与えつつワイヤーで拘束。通報。
洗脳の効かない覚醒者。いつかまた、と手を挙げ別れる。
他には、気を許した表情の辛島たちの笑顔。
以上が、蒼姫がシンパシーで読み取った美馬の三日間の記憶だ。
情報として流れ込んでくるそれらに美馬自身の感情は伝わってこないものの、見えるものから推測することはできる。
「これも、『撃退士』の技術なのか?」
「そうですねぃ☆ アウルに覚醒したのなら、真っ直ぐ学園へ来るという選択肢もあったのですよぅ?」
他者を傷付けるのものではない。大切な人を守ることもできる。
自己流で習得するより、ずっと早く。強く。
美馬は何か言いかけ、口を閉ざす。
静矢の言葉が効いているらしく、これ以上、逃亡するそぶりは見せなかったが……念のため、と和晴は警戒を解かない。
「いくつか、聞きたいことがある。蒼姫さんがすでに『視た』ものも含まれているとは思うけど、言葉で聞きたい」
「俺に隠し立てするようなことはない。アンタたちは、俺の仲間に危害を加えることは無かった。街の人間たちを見捨てることもしなかった。
……信じよう、久遠ヶ原の撃退士を」
深く深く息を吐きだして、美馬は答えた。
仲間である三名が、息を呑む音が聞こえた。
「ひとつ。君たちの目的は何だい? 『恒久の聖女』に与するわけでもないし、かといって敵対するわけでもないようだけれど」
「それで充分じゃないか? 他にも何か聞くことがあるのか。いいけどさ。目標は、お役所仕事じゃあ『できない』、野良覚醒者たちの行動統率だった」
「それは…… それが、『今やらなければならないこと』なんだね」
もしもの時は、いつでもダークハンドで逃走を防げる位置に立って、ロビンが言葉の後押しをする。美馬は無言で頷いた。
「俺たち囚人以外に、どんな人間が……覚醒者が『洗脳』されているのか知りたかった。テレビやニュースじゃ知ることのできない現状を見たかった。
俺たちは囚人だ。何が起きても檻から檻への移動が精々だ。あの移動の時に逃げ出さなけりゃ、何も知らないまま、今度こそワケのわからないものに洗脳されちまうかもしれない」
「だったら……、どうして『セロシア』への犯行声明なんか出したの? せっかく逃げてこれてたのに、こうして捕まっちゃったよ?」
「言うな、嬢ちゃん……。ああでもしなきゃ、『ただのイヤガラセ』でスルーされただろうからな」
「じゃあ、自分たちの活動を宣伝したかったわけじゃないんだね?」
「賢が居るって知らなきゃ、放っておくつもりだったさ」
そこで美馬は、ようやく兄らしい表情を見せた。
「各地で監獄が襲撃されて、覚醒者の洗脳が発覚して、刑務官まで洗脳されるような有様が世に報道されて……
俺たちは撃退士じゃないから、撃退士を選ばず世の中で腐って来たから、どんな目で見られるか予想は付いてた」
「して、あのような脅迫文とも取れる文を投げ込んだ意図はなんだ。残党共の襲撃を懸念してか?」
パンッ、と手の埃を払いながら、戦闘を終えたフィオナが会話へ入ってきた。
先ほどまで戦いが行われていた場所には消防が到着し、事故車の鎮火に当たっている。
「あんたたちが、答えだろう? 一般人にも、タダの覚醒者にも、あのバケモノは倒せない。
一般人が、覚醒者や撃退士と袂を分かつような行動が発展したら……いざバケモノに襲われた時、誰も助けちゃくれない」
声明文にあった『理不尽な暴力』とは、日常茶飯事に起きている『いつか』のこと、たとえば今回のようなディアボロ襲撃。
「あのね。あたし、逃走者の身元調査も兼ねて、賢に会ったよ。『セロシア』は、今の段階では平和な寄り合いみたいな感じだよ」
「……賢に?」
「今でも、兄のことを大事な家族と思っているって。それでね、引き取ってくれた叔父さんは……精神状態が普通ではないみたい」
「!? 叔父が? どういうことだ」
ロビンの言葉に、諒の表情が変わる。
安全な場所にいると――今の組織へ身を寄せているのにも、自分への反発だろうと思って、居たけれど。
「早く刑期を終えて、賢を保護するつもりはない? あの子は、ビルからここを見てるよ。賢の目の前で捕縛劇をするより、自首した方が良いんじゃないかな」
――……『会える時』が、きちんと来るから。それまで待ってるって約束したんだ
それは、先日の『セロシア』潜入任務の際にロビンが直接、賢から聞いた言葉だ。
弟は、兄が『罪を償って戻ってくる』ことを待っている。信じている。
身を寄せている叔父は、亡くなった彼の姉――つまりは諒と賢の母を賢の姿に重ねてばかりで、養育は虚ろだという。
「賢君は、お前が襲われるのを見て『逃げて!』と叫んでいた。……彼は本気で身を案じていると思う。唯一の弟を、これ以上悲しませるな……美馬 諒」
ロビン同様に、潜入任務を遂行していた静矢も『セロシア』の実情を知っている。
その上で、重みのある声音で『兄』へ呼びかける。
「静矢さん」
蒼姫が、案じるように静矢の肩へ手を置く。
「唯一の肉親同士がすれ違っているのであれば……そんな悲しい事は無いからね、蒼姫。私には、少なからず気持ちがわかるのだよ」
「?」
「こうして、私には愛する妻もいるし、学園には義弟や義妹も多くいる。けれど、血の繋がった家族は姉が一人だけなんだ」
蒼姫の手へ自身の掌を重ね、静矢は顔を上げた諒へ応じた。
「……最近、拘束用ワイヤーで縛られた洗脳者の通報があったが。もしかしてお前達か?」
蒼姫が読み取った記憶と照らし合わせて静矢が問いかける。
四人は顔を見合わせてから、言葉なく頷いた。
いずれ、拘束用ワイヤーがどこのものか調べれば、簡単に足が付く。
「だったら尚更、自首で刑が軽くなるかも。脅迫してはきたけど、一般人に危害は加えていないんだし。逃走中にも、洗脳者を捕えた実績が証明できれば」
さりげなく、英斗が後押しをする。
(事情を聴く限り、無闇に他人を傷つける人たちとは思えない……。その辺りを、警察も汲んでくれればいいんだけど)
「救急箱、持ってきたんだからー! ケガしてるんでしょう、大人しくしなさい」
そこへ、にぎやかにチルルがやってくる。
ドラゴン相手に大立ち回りをしたというのに、まったく呼吸に乱れが無い。あたい最強。
「別に掠り傷だし、すぐ治るし。お嬢ちゃんの手をわずらわs」
「ごちゃごちゃうるさいわね! さっさと治療されなさいよ!」
(……明らかに、治療前よりダメージが増えてますね)
(だまっとき、則本さん。辛島さんみたくなるで)
強がって見せた辛島はチルルのゲンコツを浴びて沈黙(物理)し、撃退士たちの救援前に負った傷の手当てを受ける。
「人間生きてこそでしょ? 治るのが早くたって、痛いものは痛いんだからね!」
●
「どこぞの選民思想の残党共が跋扈している現状であのような真似をすれば、こうなることは目に見えていたであろうに」
「ああ。それでも…… できることがあるんじゃないかって、信じたくてね」
呆れるフィオナへ、美馬は苦く笑った。
刑務官の永井が、更なる強化を加えた護送車と共にやってきて、今度こそ美馬たち四名はしっかりと拘束された。
それまでの間、一切、撃退士側から物理的な拘束をしなかったのだと伝えたら、永井は目を丸くしていた。
むろん、いつでも動けるように警戒はしていたが……。
例えば美咲が魔具魔装を解除した上で対話に当たったということも、彼らの心を動かしたのだろう。
「『セロシアの集い』の解散に繋がってくれたらいいな……。『何の為に』……って考えると、力のある・なし、なんて関係ないのに……」
「『圧倒的弱者であると、自ら認めてしまってはいけない』……、大久保さんは、以前そう話していたな」
美咲が呟くと、腕組みをして車が去るのを見守っていた静矢が応じた。
「そう、だったんですか……」
難しい。
守りたいと思っても、その相手から拒絶されてしまっては……
「美咲。無事でよかった」
「ハルも。きっとね、ハルの指輪が守ってくれたんだよ♪」
同じ戦場に在りながら、それぞれの戦いを貫いた恋人たちは、ここでようやく互いの存在を確認するように抱きしめあった。
ようやく終わった、ずるずるとビルの壁に背を預けて座り込むのは野崎。マーキングは杞憂に終わったが、説得が成功するとは100%断言できないものだったし、結果オーライだと思う。
「野崎さんも、いろいろ忙しいですね」
「あら、ありがと英斗くん。まぁ、忙しい方が生きてる実感はするよね……。風紀委員の、本業ですし」
『恒久の聖女』か……
口の中で呟いて、野崎は空を仰ぎ見る。
「ひとのこころをグチャグチャに掻き乱して、……たぶん、こういう団体が出てくるのも想定内なんだろうね」
「『反覚醒者団体』ですか?」
「YES。誰が得するのさ、こんなもの作って。疑心暗鬼が睨みあってる横っ面を叩くか、眺めて笑うかどっちかさ」
世の流れは、それによって利益を受けるものが『そう』なるように、仕向けているものだ。野崎は、そう考える。
逆算したなら、見えてくる。
「『セロシア』以外にも、きっと、似たような団体がチラホラ生まれているはずさ。
怖いのは団体そのものじゃなくって、それによって生じる『風潮』だぁね。撃退士への不信、非協力がアタリマエになるのが怖い」
ディアボロ。
サーバント。
それらにさえ日常生活は容易く崩される昨今だが、ヴァニタス・シュトラッサー、悪魔、天使、更にはそれぞれ階級がある。
アウル覚醒者、その中でも撃退士の道へ進む者の数は限られていて、世界の脅威を取り去りきるには未だ及ばない。
そんなパワーバランスでありながら、内輪もめなどしていられないだろう。
手を取り合い蜂起するのは、こんな方向性じゃないはずだ。
「兄とは、話さなくてよかったのか」
カツン、と背後で靴が鳴る。
フィオナの声に、窓へ張りついていた少年の肩はビクリと跳ねた。
「お姉さんは…… 撃退士の」
「兄弟双方が望めば会話くらいは可能だろうと考えていたが、揃って拒否とはな」
「……にいちゃんを、たすけてくれてありがとうございました」
美馬 賢は唇をキュッと噛んで、深くお辞儀をした。
「我ひとりではない。少しすれば他の者たちも戻ってくるだろう、礼はその時で良い」
「はは……、……はい」
夕陽を背にしているせいだろうか、薄暗くて少年の表情がよく見えない。それでも、どこか精彩を欠いているように感じた。
「僕の弱さが、兄ちゃんに罪を犯させたんです。しなくてもいい戦いに、駆りだしてしまった」
自分が何かを願うことで、誰かが傷つくのは怖かった。
弱い誰かの為に、強い誰かが傷つくのが怖かった。
「僕には、アウルの力はありません。撃退士にはなれません。それでも……いつか、胸を張って兄ちゃんに会えるようになりたいんです」
それまでは、会えません。
涙混じりの声で、少年は言った。
「そんなことをいっていては、未来永劫、会うことは叶わんぞ」
「うぐ」
「建前なんぞ要らぬ、会いたければ会えばいい。それだけのことだ。次があるなら、迷わなければいい」
「……はい」
少年は今度こそ、そっと笑った。
●
日が暮れる。
街に灯りが点り始める。
それは生活の証。生きている証。希望の灯。
「『反覚醒者組織』……、活動は続けるのですね」
ビルを後にしたユウが振り返る。
『解散に繋がれば』と願ったのは美咲だったが、結論から言えば誰も彼の組織に関しては具体的に触れることは無かった。
「良くも悪くも精神的な組織だからねぇ……。ある意味で無害といえば無害かもしれないが」
自分たちが無力だと知っていて、実力行使の意思もない。必要とあらば、撃退士の任務へも協力はしてくれる。
それは静矢も知るところで、困ったように顎を撫でる。
「実害のある組織が登場したら…… どうなるか、ですか?」
「そうだねぇ」
そういう意味では、今回はいい勉強になったのかもしれなかった。
「また何かトラブルが起きたら、あたいがバーン! とザザーッとやっつけちゃえばいいだけだわ!」
チルル、だいたい合ってる。
見えない敵に怯えるよりは、今は乗り越えた一つの任務の疲れを癒そう。
幾つもの灯を背に、撃退士たちは帰途を辿った。