●天狗の住処
激しい水音が、遠くからでも感知できる。
地図に名すら載らないような渓谷。細い流れにおいて、それは確かな異変だった。
「んー、この渓谷は中々風情があるねぇ……。余裕があるなら二胡でも弾きたいけど……まぁお仕事だしねぇ」
「決壊する前になんとかしないと! ですからね……。残念です」
九十九(
ja1149)が、もとより細い目を更に細め、溜息をつく。頷きを返すのは、交友のある六道 鈴音(
ja4192)。
「それにしても、方舟に天狗ねぇ。和洋折衷のつもりなのかしら」
「系統がバラバラだな。やらせてる天使がアホなのか適当なのか。ま、いいさ。こっちは、やるべき事をやるだけだ」
長成 槍樹(
ja0524)は鈴音の言葉を受けて肩をすくめる。
「天使ども、我々を馬鹿にしているとしか思えん」
憤然と続くのは如月 紫影(
ja3192)だ。改めて、自分たちの敵は『異世界』に存在していることを思い知る。
『日本』という土地すら、玩具のパーツ程度にしか考えていないのかもしれない。
そうだろう、そうだろう、天魔にとって『人間』は『糧』でしかない、面白半分に『糧』の考えに乗ってみる、今回はその程度の気まぐれなのだろう。
「天狗退治なんて、わくわくするわ」
一方、八東儀 ほのか(
ja0415)の目は戦闘態勢の輝きを宿していた。
足場の悪さ、飛行系ばかりの敵を相手取るということから、ルインズブレイドの彼女は下準備に余念がなかった。
愛用の大太刀には刃元をやすりで刃止めし、刀身部分に革紐を巻いてある。革紐の部分を使って刀身を持ち、自在に右手左手の持ち幅を変えて戦えるように。
「安心してねって言える戦況じゃないけど、不安をひとつ減らすことぐらい、がんばらなきゃ……」
「戦闘も船の破壊も気をつけないといけませんね、莉音さん」
紫ノ宮 莉音(
ja6473)は京都出身だ。生まれた土地、全てに思い入れがある。それを知る紅葉 公(
ja2931)が、力みがちな彼を、やんわりとフォローした。
(鞍馬天狗と聞いて思い浮かぶのは、覆面ヒーローだったりする程度には信心のない人間だけれども)
莉音と公の会話を聞きながら、狩野 峰雪(
ja0345)は考える。
(人外との戦争なんてものには、ルールもモラルもあったもんじゃないわけだから、相手の心理を突く作戦は賢いといえる、が……)
「ただ、それを大人しく許容するつもりもないけれどね」
最後尾を歩き、常に穏やかな表情の彼がこぼした言葉に、気づく者はいなかった。
●いざ天狗退治
――ザァザァ、ザァザァ、
細い支流は、今や激流となって眼下にあった。
そして、
「天、狗……?」
「見事な失敗作だな」
ほのかは首を傾げ、紫影が一笑した。
有翼・人型狗頭といえば確かにそうだ。コボールトに蝙蝠の羽を取ってつけたような、チグハグな姿は……日本人の感覚で考えると、やはり『天狗』に落ち着いてしまうのだろうか。
馬鹿にされている気しか、しない。
「まっ、何はともあれサーバント退治……行きますか!」
気を取り直し、ほのかが声を上げる。
怒ったところで、どうしようもない。
今は冷静に、この膨大な水の流れを逃がすこと、のさばるサーバントを倒すこと。すなわち――破壊の為に作られた方舟、その作戦を封じる事が第一だ!
時間を掛けてはいられない。
打ち合わせ通り、大天狗と小天狗、それぞれの対応グループに分かれ、足場の悪い斜面を下っていった。
「天狗ども来たり候」
先に反応してきたのは、事前情報通り、2体の小天狗であった。
羽音を立てて、一気に距離を縮めてくる。
莉音の表情が、スッと変わる。
鈴音・公の盾となる位置を取り、またそうすることで大天狗を標的とする、ほのか・九十九・峰雪の行動を楽にする。
紫影と槍樹は射程を活かし、両陣営のサポートをいつでもできる位置へと移動している。
「いかなるヒトにましませば、御名を名のりおわしませ」
ヒトでもなければ名も持たぬ天狗は、莉音の言葉に応じない。
先に接近して来た1体が翼を広げ、莉音に襲いかかる――
「この世界には、お約束というものがあるのです」
莉音の背後から、炎球が勢いよく飛び出し、小天狗を吹き飛ばす。
「道理に従わない者には、それなりの対応を!」
忍術書を手に、公が告げる。
「ここで決壊してしまったら水に押し流されかねませんね。気をつけないと……」
仮に攻撃を外しても不安定な方舟へ被害が及ばないよう、加減をするのはなかなかに難しい。
小天狗を誘導する傍ら、ギリギリの位置まで下がってきている。足場が崩れればそのまま水流に飲み込まれかねない、危険な戦闘である。
「こうるさい蠅を叩き落としてやりますか」
続いて襲いかかってくる小天狗を、鈴音の雷球が突き放す。
翼をチリリと焦がされた小天狗が、距離を取ったまま、羽ばたきを大きく、ゆっくりとしたものへ変えている。これは……!
「サーバントの攻撃コース侵入を確認、対空砲火を開始する」
風圧の構えを見せる小天狗は、機を伺う紫影にとって格好の的であった。
アサルトライフルの連射で、羽といわず胴といわず、アウルの弾丸が容赦なく撃ち抜いていく。
撃破するには至らぬものの、足場を確保した莉音が攻撃へ転じるだけの余裕を与えた。薙刀を振るい、羽を落とす。
「消し炭にしてやる!」
立て続けの、鈴音の攻撃。これでは残る小天狗も、なかなか距離を縮めることができない。
ふわり、小天狗が飛行の軌道を変えた。
陣形を組む莉音たちから、離れた位置に在る、
「おっと」
こっちに来たかと、槍樹が軽く目を見開いた。
「大丈夫だ」
援護は要らない、仲間たちを片手で制する。
小天狗は速度を上げ、連続攻撃で突撃してくる。
――ドンッ
「残念」
肩口を突かれ負傷しながらも、槍樹のリボルバーが零距離射程で魔法弾を放った。
甲高い鳴き声を上げ、天狗は墜落し、水流に飲まれていった。
「気に入らないのさね。空を飛んでるから優位? ……間違いだと教えてやるのさね」
小天狗対応組は無事と見て、九十九が弓を手にする。舟上では、大天狗がその翼を広げていた。
状況からして、奇襲という手段はない。が、散っての行動で相手に的を絞らせない事ならば可能である。
離れすぎても、孤立して集中攻撃を受ける。付かず離れずの距離で、小まめに動き回ること――それは峰雪の案だった。
峰雪の第一砲、他方向から紫影の狙撃、そして真っ向から九十九が矢を放つ。
くわっ、大天狗が大きく口を開けた――標的は、九十九!
「おおっと、これはいけない」
咄嗟に槍樹がマジックシールドを発動し、九十九を守る。
「フォローサポートはこっちに任せて、若い子は伸び伸び戦うといい」
「長成さん、ありがとうなのさねー」
髪の毛一つ焦げさせない、完璧な障壁。頼もしい事この上ない。
九十九が、手をぱたぱた振って槍樹へ礼を述べる。
そして大天狗が炎を吐き終えた直後のタイミングで、
「ふっ…… ついに、この時が来たわ!」
ほのかは斜面を下る勢いを一度止め、足場を確認し――舞った!!
全力で跳躍した軌跡に、光が舞い散る。それはまるで、そう、『天狗』の羽のよう。
『飛翔する天狗を叩き落とした』という逸話のある跳躍術。今、この相手に発揮しないでいつ使う!
空を舞う天狗の、更に上から大太刀を振り下ろす!
――大天狗の絶叫が渓谷にこだまする。
さすがに見事真っ二つ、とはいかないが、痛手を負わせることはできた。大きな翼の一つを削ぎ落すことに成功する。
大太刀の勢いは止まらず、舟底に食い込む。引き抜こうとする僅かな間、ほのかの背後がガラ空きとなる。
厭な汗が、ほのかの顎を伝う。その上空で、幾つものアウルの銃弾、矢が風を切った。
「やらせはしないのさねぃ」
遠距離攻撃組の、一斉援護だ。
峰雪の狙撃が翼の関節部を粉砕し、地に落とす。
槍樹の魔法の弾丸が足止めとなり、
紫影の弾幕が追い打ちをかける。
翼を失った天狗が鋭い爪を振りかざし、ほのかへ襲いかかろうとした先へ――
「……暗紫風」
狙い澄ました九十九の一矢が、紫紺の風へと変わり天狗を煙に巻いた。
「ありがとう!」
作ってもらった隙は大きい。
ほのかは大太刀を引き抜いた勢いで大天狗に再び切りつけた。衝撃で、天狗が吹き飛ばされる。
「八東儀さん、さがって……――六道封魔陣!」
皆が大天狗との戦いに集中しているところへ、鈴音が船上へ転がり込んで来るなり厳しい声を発する。
置き上がりと同時に、大天狗が業火を吐きだしてきた!!
障壁として白色に輝く紋様が展開され、炎を凌ぐ。
「出来損ないの天狗には退場してもらうわ」
小天狗との戦闘を終えてきた鈴音は、衣服が泥だらけになっている。
足場の悪さを気に掛けず、逆手にとって回避、応戦した結果と見える。
「灼きつくしてあげる。――六道呪炎煉獄ッ……!」
ほのかの技が『天狗』を相手取った伝承に基づくものであったように、鈴音のそれは『大蛇退治』にまつわる奥義であった。
漆黒と紅蓮の炎は、出来そこないの大天狗を取り込み、柱のように燃え上がった。
●救いの方舟
「天狗落としに、大蛇退治かー」
最後の派手な攻防を見守った莉音が、おっとりした表情・口調に戻る。
「とにかく無事に終わってよかったですね〜」
莉音の気負いが減ったと見えて、公も安堵の表情を浮かべた。
この先は方舟解体が待っている。とはいえ、最大の闘いは乗り越えた。
「さてと。他に、ケガをしてる人はいませんかー? あはは、みんな泥だらけ」
そういう莉音も泥だらけである。
小天狗対応班、また斜面からの狙撃犯は、攻撃を受ける受けないにかかわらず泥まみれ。
舟で応戦したほのかに至っては、水しぶきを浴びて濡れる始末だ。
ケガであればアストラルヴァンガードが治癒できるが、こればかりはどうしようもない。
莉音によるケガの治療も終え、いざ、方舟解体。
「一気に破壊すると溜まった水が氾濫しそうですから、まずは川上の水量を減らして……ですね」
「どう壊せば一番巧く水が流れるか、事前に水害の専門家に確認しておいたが。舟の端から壊して流れ出す水を増量、安全域になったら完全破壊、という手順がベストのようだな」
状況確認をした峰雪が顎に手を当てながら発言すると、槍樹が具体案を挙げた。
「神話を模すなんて悪趣味よねぇ」
しかも、『救いの方舟』であるそれが、凶悪なものとして扱われる。そして撃退士が破壊する、だなんて。
錯綜しすぎて、頭がおかしくなりそう。
ほのかはブツブツ言いながらも軍手をはめ、準備していたバール、大きなハンマーなどを持ち出した。
「……素朴な疑問なのさね。どうやってこの方舟運んだんだろうねぇ……」
一緒に解体作業にとりかかる九十九の発言に、鈴音が噴きだした。
「それは考えませんでした。運んだのでしょうか、それともまさか、ここで作っ……?」
不格好な天狗たちが、木板を運び、日曜大工よろしく舟を作り上げる。
そこまで想像して、鈴音は笑いに撃沈した。
――ドォドォ、ドォ……
水流の音が変わりはじめる。
そろそろ、舟上での解体作業には限界があるようだ。舟から斜面へと、全員が移動する。
「水流に巻き込まれないよう、気をつけるのさねぃ。万が一の時には、これがあるけど」
先に渡り終えた九十九が、準備していたロープを見せる。これで助ける、という意味らしい。
「大丈夫、大丈夫よ」
得意の跳躍一つで無事に渡り終えたほのかが、少々青ざめながら答えた。
命中率には定評のあるインフィルトレイターの救助であれば、それは確かに頼もしい。
しかし、無事に戦闘を終えた後でのハプニングは御遠慮したい!
●封じられし思惑
ほのかと莉音が、高い位置から全体を確認する。
鈴音、公、九十九、紫影、槍樹、峰雪が、それぞれの武器の照準を壊れかけの舟に合わせる。
――光、音、炎……撃退士達の力が一点で爆発した。
「これで天使の目論見も阻止できたな」
渓谷の底に、解体された木片がガラガラと散り、その上を何事もなかったかのように水が流れてゆく。
「終わったか。さて、早く戻って娘の迎えに行かんとな」
長居は無用。槍樹が踵を返す。
自然は自然へと戻り、日常は日常に戻る。
(でも、まだ終わってはいない)
この京都を覆う、恐ろしい戦いは終わっていない。
本当の日常は、この先にある……。
莉音は美しい渓谷を目に焼き付け、次なる戦いへと気を引き締めた。