●
「はぁ……、疲れた」
午前中の業務を終えた矢野 胡桃(
ja2617)、25歳。
腕時計を見て、小さく首を回す。肩より少し長めの髪がさらりと揺れた。
「さ、お昼、ね……」
(……食べる気力はない、から……。いつものカフェで、飲み物だけ、かしら)
「よーこそいらっしゃいませー! 今日のランチ、お勧めはオムライスやで。何故なら今食べてるから」
「……こんにちは。友真お兄さんったら、相変わらず、ね」
カウンター向こうで、ふわとろ卵のオムライスをモグモグしているのは小野友真(
ja6901)。
ここでバイト中の28歳である。常連客である胡桃の登場に、慌てて水と一緒にオムライスを流し込んだ。
ダークレッドのシャツに黒のカフェエプロン、カフェ店員にしてはしっかりした体つきをしている彼は、片腕を怪我した為に療養を兼ねてのバイト勤務であった。
「っとぉ、モモちゃん。おいでませ、いつものカウンター席、空けとるで!」
「……あら? 今日はにぎわっている、のね。……冗談、よ」
「否定はしないさ。今日はデザートプレート? フレンチトーストも仕込んであるけど」
「甘いもの? ……太る、じゃない。気にしている、のよ」
ぼそっと呟く彼女へ、店主であるカラスは解かりやすく肩を揺らした。
「それじゃあ……お得意のカフェアート、今日もお願いしようかしら」
次の来客へ対応したのはアルベルト・レベッカ・ベッカー(
jb9518)、彼女もまたバイトの一人で、元常連客。
足繁く通ううちに、空いた時間を利用して働いてしまえと思いきって1か月ほど経過した。
「いらっしゃいませ。本当に、珍しく繁盛ね」
男性陣とは対照的な、眩しい白のシャツにエプロン。亜麻色の髪はゆるくサイドテールにし、清潔感と店内のオアシスを演出している。
「どうぞ、空いてるお席へ」
アイドル然としたスマイルでもてなすが、客は扉を開けたまま、軽く硬直している。
「……米倉?」
背の半ばあたりまで伸びた髪を一つ結びにし、落ち着いた雰囲気の女性・黒夜(
jb0668)は、カウンター最奥にいるサラリーマンに目が釘付けとなっていた。
(あ…… なんだろう、夢、なのかな)
自分は今、23歳で…… だけど、どこか見覚えのある店内の人々。それぞれが、記憶の中の年齢とはどこか違う。
米倉だって、ずっと若い。
(だったら…… 今なら)
「あ、珈琲とパンケーキをセットで」
緊張しながら、黒夜は米倉から一つ離れたカウンター席へ腰を下ろす。
「かしこまりましたー。オーダー入りまーす!」
「レベッカがパンケーキを焼いても良いんだよ?」
「手とり足とり指導してくれるなら考えるわ?」
見た目は可憐な乙女でも、お料理は苦手なんです。
「珈琲は美味しく淹れられるようになったって、褒めてくれたじゃない」
わかりやすく膨れながら、ドリンクの準備へ。
「か〜ら〜す〜なぜ鳴くの〜お酒がないからよ〜♪ っと」
「あら」
「と言ってもここに酒はないんよな? 出したらええやん、洒落たカクテルの一つや二つ」
聞き覚えのある声に胡桃が振り向く、歌いながら入ってきたのはゼロ=シュバイツァー(
jb7501)だった。
「いらっしゃい。それじゃあ19時閉店じゃ利かなくなるからねぇ。夜は早く帰りたいじゃないか」
(……早く帰って、何をしているのかしら)
ゼロからオーダーの入った珈琲を淹れながら会話を小耳に挟む、レベッカの手が微かに震えている。
料理や菓子の仕込みは営業時間中に手際よく済ませてしまうし、閉店後は売上を数えてハイおしまい、なのだ。
開店前は、レベッカの方が早く到着することもある。
作業効率の鬼・カラス。
彼のプライベートへ興味が湧きすぎたのも、彼女のバイト志願のひとつであった。
「はろ〜、綺麗なおねいさん♪ お元気です ……か……?」
胡桃の左隣へ座りつつ、挨拶代りの軽いナンパを…… してみるゼロの声が、尻すぼみになってゆく。
「どうして貴方、全く変わらないのかしら、ね……?」
「え…… そうです、か? 奇遇やな〜、初めて会うた気がしませんねぇ」
「……そう、ね」
呆れながらも薄く笑む女性へ、ゼロの気持ちも少しずつ落ち着いてくる。
(なんでや……? いつもなら、こんなことないのに……?)
実家との軋轢の為、逃亡生活を送っているゼロは、このカフェへたまに遊びに来ていた。
時間の関係だろうか、胡桃と顔を合わせるのは今回が初めてのはず、なのだが…… 彼女は、こちらを知っている?
「はい、胡桃さん。特製カフェラテお待たせしました」
「ヴェズルフェルニル……貴方って、本当に器用ね……」
好きな場所へ自由に飛んで行けるような、愛らしいももんがアートだきゅぃッ☆
淹れたて珈琲の香り。
パンケーキの焼きあがる音。
カフェの温度に優しさが混じる頃、控えめにドアが開いた。
「…………」
開いて、閉じた。
「ちょーっと待ったぁああああああ!」
友真がこじあける、招き入れる。
「女子高生さん? 大丈夫やでー、怖いところやないでー」
「えっと…… その」
名門女子高である紺色のセーラー服に身を包む常木 黎(
ja0718)は、友真の明るい声に釣られるように、改めて店内を覗きこむ。
「それじゃあ」
空いている席。空いている席……
日本人形然とした、品よく切りそろえられた黒髪の少女は慣れない空間に緊張したまま空席を探す。
入り口から近い場所に一つだけ、招き入れるように隙間を見つけてストンと座った。
(しまった)
それから気づく。
右隣り。つまりは入り口側端に座る青年。
(……ヤンキーだ)
背中を向けていたからわからなかったけれど、隣に座ってから、独特の雰囲気にビクリとした。
(でも)
悪い人間が、こんなカフェで甘いものを食べたりする? あ、なんか嬉しそうにしてる。
どことなく落ち着かず、黎は鞄から花柄のカバーを掛けた本を取り出して読書を始める。
読書の合間に、隣の様子を伺う。
「ご注文はいかがいたしますか?」
「あ……、あの人と同じの」
レベッカに問われ、反射的に青年を指さした。その瞬間、盛大に青年が咽こむ。
「ご、ごめんなさい、その……」
「紅茶とチョコのシフォンに生クリームとバニラアイス・はちみつのトッピングオプションにダージリン。ボリュームあるけど?」
短く刈った黒髪にタレ目の青年は、性格悪そうにニヤリと笑った。
行儀の悪いことをした、相手にも失礼だ、とはわかりつつ。黎は咄嗟に本で顔を隠して逃げる。
心臓が早鳴りして、どうにも落ち着かない。
●サラリーマンと司書見習い
焼きたてパンケーキの上で、バターが踊る。
綺麗な所作で一口切り分け、それから黒夜は壁際に座る米倉へとさりげなく声を掛けた。
「企業勤めの方……? 私は司書見習いをしているんだけど。ランチタイムも書類仕事、なんだ。大変なのね」
まさか、声を掛けられるとは思っていなかったらしく、一拍置いてから男は顔を上げた。
「年齢、同じくらいかな。23」
「……23」
米倉は手を止め、体を半分、黒夜へ向ける。律儀だ。
「司書…… 図書館か」
「そう。司書やる前は高卒で会社入ってて、……昔助けてくれた人達が、実はライバル企業の人だったんだ」
「?」
「企業間はかなり険悪だったし、助けてくれた人達は上役だったから……私個人が、接触する機会もなくて。
結局お礼も言えないまま、事故死と海外転勤で会えなくなった……」
「それがきっかけで、辞めたのか」
「そんなトコ。辞めたっていうより『やりたいこと』が見えるようになった、かな」
同じ歳で、違う経歴の女性の話を、米倉は静かに聞き入った。
彼女の話しぶりは落ちついていて、前を向いている。
(やりたいこと、か……)
「人生嫌なことはあるけど、後悔はしたくないよね。でも……直接顔を見てお礼を言えなかったことは、後悔してるかな」
「手の届かない事情は付き物だな。……もし、海外勤務になったという恩人が、いつか君の勤める図書館へ姿を見せたなら面白いだろうが」
米倉は知らない。
黒夜にとって、もう会えない『恩人』の一人が、自分であることを。
●店主と常連客
「隠遁生活も楽やないなぁ。なんかええとこ知らんか? 同じあだ名のよしみで教えてくれよ」
「カラスはやっぱり、山じゃない?」
「また、いい加減なことを!」
ゼロが悩み相談を持ち掛ければ、ふざけた答えを返される。
「或いは、七人くらいいる隠し子のもとへ身を寄せるとかね」
「隠し子?」
そこに反応するのは胡桃だ。
「わたしには居ないけどね?」
「居ても不思議じゃなさそうだから怖いのよ……」
「やれやれ……、どうもここは調子が狂うなぁ」
(この人といいマスターといい……なんでこんな気持ちになるんやろなぁ)
もやもやするが、悪い感じはしなかった。ゼロはコーヒーを飲み乾して、そんなことを考える。
「さて、どうもお2人さんにはまたどっかで会う気がするなぁ。願わくば良縁であることを……ってな」
「隠れる場所に困ったら、いつでもおいで。物置部屋は空けておくよ」
「誰が泊まるか!!」
気持よく笑いながら、ゼロは代金をカウンターに置いて店を後にした。
「子供、ね……。それ以前、なのだけど」
可愛らしいももんがにスティックシュガーを注いで、ティースプーンでかき混ぜながら胡桃が切り出す。
店主に小さな愚痴を聞いてもらうのも、日課の一つ。
「聞いて頂戴。うちの父が…… そろそろいい年なんだから、って」
悪かったわね、この年まで独り身で。
「ははは」
「笑い事じゃない、のよ。ヴェズルフェルニル。これは、重要な事、なんだから」
むぅうううう。店主を睨んでやるも、相手はどこ吹く風。
「……私にだって一応、気になってる人は……」
ことん。話を遮るように、カウンター越しに差しだされたのは冷えた器に盛られた苺三粒。飾り切りして、練乳をかけて食べやすく。
「ビタミンCは、肌にいいんだよ。まあ気休めだと思って」
「……もう」
わかっているの?
遠回しに距離を置いているの?
踏み込んでしまったら全てが崩れてしまいそうで、胡桃は気持ちを溜息に変える。
それでもきっと、明日もこのカフェへ来てしまうんだろうな。
●
「そろそろ行かないと。今日は楽しかった。……合間合間に、休憩とかストレス発散しときなね?」
「助言、覚えておく」
席を立ちながらの黒夜の言葉に、微かに米倉は笑ったようだった。
「また会えたらよろしく。……ありがとう」
ずっと、伝えたかった。
解放の切っ掛けとなった、存在へ。
――ありがとう。
●フリーターと女子高生
もくもくもく。
シフォンケーキと格闘する黎を、物珍しそうに青年が眺めている。
「あの 落ち着かないん、です、が」
ようやく声を出せば、『バレたか』と青年は笑った。笑うと、少しだけ険がとれる。どこかで見覚えのあるような気がした。
「俺、筧ね。大丈夫、未成年には手を出さないから」
(そういうことじゃ……)
「ごめん、面白くて、つい。美味いよな、ここのケーキ」
「先ほどは、失礼しました。……知人に似ていたので」
「ああ、そうなんだ。妙に見られてんなとは思ってた」
「っ」
気づかれてた!
黎は白い頬を染めて俯く。黒髪が降りて、表情を隠してくれるはずだ。
「学校は…… 聞くだけ野暮か」
ティーカップに視線を落とし、筧が言う。
「こーんな良い天気だもんなぁ、行ってらんねぇよなーー」
(ヤンキーだ)
苦手なタイプのはず、なのに。
母の強い薦めで入学した高校には、上手く馴染めず孤立気味で。
気持は下を向いていて……下を向いていたら、たまたま看板が目に入っただけだったのに。
(良い天気…… だったんだ、今日)
そういえば、顔も下を向いたままだった。
食べ終わって、店を出たら。空は、どんな色をしているんだろう。
(また、この人に……会えるかな?)
晴れた日に、訪れたなら。
●サラリーマンとウェイター
「お兄さん、お一人ですー?」
お冷巡回中の友真が、米倉へ声を掛ける。
「死んだ目ぇしてはるけど。手相見つつ悩み相談なんかどないです?」
「……手相?」
「胡散臭いんは店長だけやないでー。右利き? 左利き?」
「……右」
「はい、では手ぇ出しt ペンダコ凄 指先硬っ」
ストレートな感想がボロボロ落ちる。
「努力の人やんなー……」
「手相とは関係ないな?」
「俺、一般企業務めたことないんで業務は分からへんけど。お兄さんががんばり屋さんなんはわかった。どんなことしてはるん?」
占いを放棄した質問に、米倉の手から力が抜ける。
かいつまんで、日常の様子を教えた。
「何なんその先輩、反面教師にしたるいうレベルやないな!?」
「仕事全体の達成率を見るならば、遅れている者を助けるべきなんだろう」
「……何ていうか、良くも悪くもお兄さんは頭がいいんよな……」
『遅れている』言った。先輩相手に言った。遠回しに、仕事できない奴って認めとる。
(効率的な道とか気付いちゃうから、やらざるを得んくなるやつ…… うん、そういう人、やったな)
知ってる。
友真は、米倉が向かう『この先』の絶望も、終焉も、知っている。
「……ひとっつ、覚えてて欲しいん。努力は必ず報われる。成功ていう道ではなくても、大事なココで……、ちゃんと自分だけの形で、きっと」
心臓に手を当て、まっすぐに目を見つめて。
人間の米倉の目は、色素の薄いハシバミ色をしていた。髪質の柔らかさだけが、変わらない。
「〜〜〜っ、よっし! 今日限りの出血大サービスやりましょ店長!! でっかいパンケーキタワー作ろ!」
涙をぐっとこらえて、友真は振り返る。
「どうしたの、急に? いいけど、会計は小野くん持ちね」
「20段まででお願いします!」
●店主とウェイトレス
19時、カフェは店じまい。
優しい春の夜空に、星が散らばる。
「今日は、なんだか濃かったーー。ねぇ、よかったらこの後一緒に食事でもどう? ねぎらいも兼ねて」
レベッカが、カラスへ腕を絡めようとしたところでするりと逃げられる。
「魅力的なお誘いだけど、明日に響くからね」
「響くようなことはしないわよ。あっ、なんだったらあなたの自宅でも!!」
「めげないねぇ」
何しろ、常連客から店員へとパワーアップするほどですから。
くすくす笑い、カラスはレベッカの髪を撫でた。
「お疲れ様、ありがとう。明日もよろしく、ね?」
「そうやって誤魔化すー」
「ミステリアスな方が、追掛け甲斐があるだろう?」
春物コートの裾を翻し、店主は足音も立てずに街中へと消えていった。何あの速さ。
「……小野さーん!! なんか、なんかこう……! 美味しいの食べて帰ろう!」
「ワンコインでええならな……!!」
●
目の前に、時間を超える扉があったとしたら。
あなたは何を願いますか?
cafe ヘヴンズ・ドアー。
『いつか』と『いつか』が交差する店。
いつかまた、ご縁がありましたら。ご来店、お待ちしております。