●
荒れ果てた『監獄』。
通路の隙間から走る雷撃。止まることのない破壊音。唆しの『声』。
「正面詰所には誰も居ないよ」
生命探知で確認をした龍崎海(
ja0565)が振り返る。
自由になったなら脱出するのが囚人だろうが、彼らはどうやら逃げずに屋内に散って居るらしい。
(やだな……、また人と争うんだ。なんで仲良くできないの)
山里赤薔薇(
jb4090)は自身の肩をギュッと抱く。その表情は暗い。
純然たる救出活動とも少し違う今回の任務は、少女の心に影を落としていた。
(なんだか、いやな予感がする……)
ディアボロ対応班との連絡先交換を終えた澤口 凪(
ja3398)が、意見を切り出す。
「敵が人間側から見て素行の悪いアウル行使者と接触したとなると、暴動以外にも何かしらの形で『利用』……、『回収』もするんじゃないかなって。考えすぎでしょうか」
「回収、か」
拠点とする中央詰所の見張りを担当する野崎が、ふむと顎に手をやって思案する。
「仮にそうだとすると、被洗脳者を捕縛し一点に集めた時こそ危険じゃありませんか?」
「刑務官の動きも鍵になるだろうね。洗脳されているか、『されていない演技』をするか、人質をとるか……」
凪の仮定を肯定するなら、橋渡し役として『刑務官』という立ち位置が目くらましになるだろう。
狩野 峰雪(
ja0345)が少女の思考を追う。
「後から洗脳されたり人質にされる危険性もある。申し訳ないけど、刑務官は全員拘束した方がいいかもしれないね」
「洗脳されてない刑務官も、現状を見たら納得してくれるとは思うよ。ディアボロ対応班も一名がコッチの周辺制圧に残ってくれるそうだし、咄嗟の時間稼ぎは出来る。何かあった時は助けに来てね?」
右手にハンドガン、空いている左手で、野崎が凪の額を小突いた。
「もちろんです。全力移動で駆けつけます!」
「不安は挙げてもキリがありませんね。ただ、無策であるより良いでしょう」
フォワードを担う彩・ギネヴィア・パラダイン(
ja0173)が、眼鏡からサングラスへとチェンジする。
「さ。参りましょ」
思考は、走りながらでも?
ニタァと笑って見せ、彩は作戦決行を促した。
●疾風
――全てのアウル覚醒者に告ぐ。我々は選ばれた存在であり、この世界の正当なる統治者である。
――劣等種は我等に何をした? 心の中では異形と罵り、化物と厭いながらも、利用する為に擦り寄って来る。
――全てのアウル覚醒者よ、我等優等種の未来の為、世界の為……――
「……洗脳……」
この声が。
彩と共に東方面を回りながら、北條 茉祐子(
jb9584)は呟く。
(……と言うか、自分を救ってくれると思った方にすがってしまうんでしょうね。苦しいから助けてって)
厭われる。
それは、とても辛いこと。とてもとても、辛いこと。
『唆しの声』に心を揺らされることはないが、茉祐子はその辛さを知らないわけではなかった。
(でも、誰かにすがっても本当に救われるわけではないと思うから……)
「希望を失い心が折れた者が宗教に救いを見いだし、生きる意味を得るなら良い。けれど、絶望を利用するのは卑劣で看過できないね」
茉祐子の心を読んだかのような、峰雪の言葉だった。
「現実は甘くない」
大人だから、重みのある一言。
こくり、茉祐子が頷く。
「ところで、北條さん…… さっきから口ずさんでいるのは?」
「あっ、学園の校歌です。……撃退士としての基本に立ち返って、惑わされることがなくなると思いますから……」
聞かれてた!
あちこちで物音が騒がしく、聞こえないと思っていたのに!
「本来、洗脳は価値観を変えるものですが、今回は方向性が違いそうですね。理性を攻撃し、現状に対する不満への抑制を失わせる形でしょうか」
不満があるから犯罪を起こし、監獄送りとなった囚人たちにはシンプルに効果がありそうだ。
刑務官に関しては――『疑問』を触発する? 或いは疑問自体が後付なのかもしれない。
さておき。
先行していたディアボロ対応班から連絡が入り、彩は言葉を切る。
「どうせなら、当人へ聞いてみましょうか。――ねェ? あなた、『何』をしているんですか」
遠く、焼き尽された雷精の姿。そして取り残された囚人たちは、こちらへと反転して来る――撃破した撃退士たちには脚力で振り切られたと見た。
「ヒャッハァアアア!! オンナ! オンナ!!!!」
「チョット綺麗ダカラッテ オ高ク止マリヤガッテヨォ! 誰ガ虫ケラダ、ゴルァ!!!」
「男ハ顔ジャネェ、チカラダ! ナァ!!」
サングラスの向こう側、彩の眼差しは冷ややかなものとなる。
「荒っぽいですが、キッチリ動きは止めます」
黒と銀の双剣を抜き、彩は理性の飛んだ囚人三人を相手取った。
男たちが刃に怯む様子は無い、鉄パイプだの瓦礫だのを振りかざしてくるが、難なく回避。
「せいやっ!!」
ナックルガードで一人のコメカミを、柄頭で一人の眉間をしたたかに打ち、最後一人には足払いで転倒させてからの踏み付け。
茉祐子と峰雪が、素早く網を投げて縛り上げた。
「ディアボロは被洗脳者を襲うことはしていない、共闘か」
先の連絡から、同じ独房内で撃退士たちを待ち伏せしていたことがわかる。
「この様子だと『洗脳されていない演技』をするような知性はなさそうだね」
分析・思考の整理をしながら、一行は先を急いだ。
●怒涛
――被洗脳者、一名確認しました! 応援、お願いします!
ディアボロ対応班からの連絡に呼応し、被洗脳者の捕縛・回収へと向かいながらは海は思考する。
(声で洗脳か……、とはいえ何かしらの欠点があるはず。でなければ、とっくの昔にサマエルの勢力圏で撃退士は活動できてない)
「む。あれか。一名だけという話だったな」
前衛を担う礼野 智美(
ja3600)が、それらしき人影を見とめた。
「龍崎先輩っ、お願いします」
「ああ、洗脳が解除できないかどうか試させてくれ」
すかさず異界の呼び手を伸ばした赤薔薇からの合図に、海が応じる。
「どんな仕組みかわからないのだから、解除も色々試してみないと」
……クリアランス、マインドケア。海は思いつく限り・習得している限りの術を施してみるが、相手の様子に変化は見られない。
「厄介だな」
最後はその一言で、網による拘束を選択した。
「力づくしかないのか?」
「今のところは。刑務官と遭遇したなら、確実に動きを封じないといけないね」
智美へ、頷きを返す。
(それだけ強力だから、こうした騒動を起こせたのか)
ある程度の時間経過・抵抗力があれば回復するバッドステータスなら、刑務官たちの中に被洗脳者が出たとしても機能が壊滅することは無いはずだ。
そして、術が完全なものならば、同時多発の暴動だなんて遠回しなこともしないはずだ。
(強力な術。だけど、何がしか欠点のある能力)
「落ち着いて、確実に対処していこう。こういう時こそ、『臨機応変』だよ」
顔色の悪い赤薔薇を気遣い、海は呼びかけた。
少女が思い詰めている様子は聞かずともわかる。何に対してのことかも、薄々と。
その眼前を、アウルの弾丸が走り抜けた。
白い頬に、一条の朱が走る。
「イケナイ子ダナァ、コンナ所ニ忍ビ込ンデ。此処ヲ何処ダト思ッテイル。俺ヲ誰ダト思ッテイル!!?」
「ギャハハハハ、アンタガ言ウノ、最高ニ痺レルネェ!!」
V兵器の拳銃を手にした刑務官と、彼から手渡されたとみる両手剣を肩に掛ける囚人が崩れた独房の向こう側に居た。
「……あ」
武器を握る赤薔薇の指先が震える。
「動かないで!」
囚人の足元を狙い、凪がトリガーを引く。瓦礫に当たり、跳ね、囚人の顎に当たった。
「イッテエナァ!!!」
「殴っても正気には戻らない! 山里さん、やっちゃって!!」
「は、はい!」
震える、その指先をツと伸ばし。揺るがぬ魔道を唇に乗せる。
――スリープミスト。
騒がしい被洗脳者たちは、たちまち眠りについてその場に崩れた。
(違う……私はこんな人同士の争いのために撃退士になったんじゃない)
すでに血の乾いた頬を拭い、赤薔薇は捕縛されてゆく男たちを見下ろした。
●
「う、あ、アァアアアアア!!」
「……本意ではない殺人や傷害を、させる訳にはいきません」
独房に潜んでいた刑務官が飛び出し、ショットガンを放つ。紫電のアウルで防御を張り、茉祐子は耐え凌ぐ。
その後方から、峰雪がパサランをけし掛けた。巨大な白い毛玉が、バクリと刑務官を飲み込む。
「ッたく、埒があきませんね」
吐き出されるタイミングで彩は背後に回り、手刀で銃を落としてから腕関節を極め捕縛する。
「刑務官は、これで二人目……。囚人に比べれば、多少の違いはありましたが」
短絡的に暴力的というよりは、内面に溜め込んだ愚痴・不平感がねじくれて爆発した具合だろうか。
悪魔の声に同調しているものの、理由に個人差が見受けられる。洗脳の深度が違う、と考えるべきか。
「刑務官と囚人、洗脳された側同士が争うわけではないのですね」
「ディアボロ共々、心は一つですか……」
『暴動以外にも何かしらの形で『利用』……、『回収』もするんじゃないかなって』
作戦開始直前の、凪の言葉が彩の脳裏をよぎる。
なるほど、この状態を放置していたなら、洗脳は強固なものとなり配下として役目を果たすのかもしれない。
回収し、延々と声を聞かせることで軍団を作ることもできるのかもしれない。
悪魔にしてみれば、使う駒はディアボロでも人間でも大差ない。
しかし人間側はそうもいかないだろう。『相手が洗脳されている人間』であれば、どうしたって攻撃の手は緩む。怯む。
おのれ悪魔。
「『声』との距離で洗脳の度合いが違うわけではないようだけれど。ただ、『長時間、放送されている』『館内全体に響いている』ことを考えれば、破壊されないよう高所か丈夫な場所、音が響きやすい場所に隠しているのかな?」
「音が、響きやすい場所ですか……」
峰雪の仮説に、茉祐子は瓦礫で封鎖された東階段を思い出す。
(他に、吹き抜け構造で音を反響・共鳴させることができる場所は思いつかない……)
「既に脱出済の独房内とか」
「――既に、潰された刑務官詰所が、二階東階段の南側に……ありました、よね」
「……潰された階段の傍、西階段からだと完全な遠回りか」
カチリ。
二人の目が合う。
予想が重なる。
「ここまで、捕えた囚人が東西トータル6名。刑務官3名。凶悪犯との遭遇は未だですが…… 慎重にやるよりは、素早く突っ込みますか」
神使が巡回し、守っているかのように見える凶悪犯用独房も、音源隠し場所の候補地ではあるが…… 神使の他に雷精も3体、付き従っていた。
戦闘の合間を縫って突撃することは難しそうだ。
そちらはディアボロ対応班へ任せて二階へまわった方が効率的に思える。
彩はそう判断し、順路変更を促した。
●
「野崎先輩、そちらはどうですか?」
『異常なし、周辺制圧完了。各通路のクリアリングも徹底してるし、詰所内は騒がしいけど丸腰じゃ知れてる』
ヘッドセットにスマホを繋いだ凪は、走りながら各所と連絡を取る。
「東側を回る班から連絡がありました、音源の在処について可能性の高い場所があると。私たちはこれから、2階へ突入します」
『了解。まだディアボロ対応班はそっちに届いていないんだよね。どうか気を付けて』
被洗脳者を集めた箇所を襲われる――? 当初の凪の予感は、杞憂に終わったか。もしくは徹底した警戒が退けたのかもしれない。
後方に関しては心配不要とのこと。
「行きましょう」
「生命探知の反応は2階にもあったから、……ディアボロか人間かまで判別はできなかったけど。気を引き締めていこう」
通信を終えた凪を振り返り、階段を上りきる前に海が足を止める。
「録音できる道具があったら、今後の為にも録っておきたかったんだけどな」
「……そんなものを、どうするつもりなんですか?」
出会い頭の雷精をスリープミストで眠らせ、その間に南方を目指して走り出しながら赤薔薇は海へ問うた。
「生放送でなくても効果を発揮するのなら厄介だろう。その検証をね」
「生放送…… そういえば、テレビ局をジャックした時は生放送でしたっけ」
凪が記憶の糸を辿る。
「何がしか欠点はあると思っていたけれど、そこだろうか」
複製して、無尽蔵に展開できるわけではないと。
で、あるならば―― ここに設置されている『音源』は特殊なものなのだろう。
彩が壁を駆ける。
拘束を解かれた凶悪犯は虚を突かれ、正面の茉祐子・側面の彩どちらを相手取るべきか惑ったところに峰雪のパサランが飲む込んだ。
慣れた連携だ、彩は容易く相手を拘束する。
「ついでに武器を扱う腕も折っておきましょ。コレは生かすだけ厄介」
刑務官から受け取ったらしい電流の走る警棒は、我流と言えどアウルの使い方を知っているモノの手に渡れば非常に面倒。
「2階はディアボロの数は少ないね」
「1階だけで12体撃破とのことでしたから、戦闘を回避しながら進めそうです」
情報を整理しながら、一行は部屋の入り組んだ2階を進む。
●
『声』だけが強く強く響く。
ディアボロも、囚人も、刑務官も、姿は無い。生命探知で確認済みだ。
制圧済みだから用は無い――打ち捨てられた、とも見える場所。
茉祐子や峰雪の考察による提案が無ければ、到着するのはもっと後回しになっていただろう、監獄の隅の隅。
破壊されつくした刑務官詰所、デスクの上に――形容するなら『ラジオ』の魔道具は鎮座していた。
到着した海たち一行は、思わず息を呑む。
「これが…… 混乱の根源」
「この変な声のせいで人同士が争うんだ! 許すもんか!!」
死刑執行人の二つ名を持つ戦斧を手にした赤薔薇が飛び出す、武器を振りかざす、
――グシャ
手ごたえは軽く、たてた音はふざけたものだった。
悪魔のもたらした道具は、その脅威とは裏腹に、いともあっけなく破壊された。
「洗脳装置発見、破壊完了しました!!」
震える声で、凪は全メンバーへ連絡した。
●
すぐに洗脳が解けるでもない、ディアボロが撤退するでもない。
二つの班はその後も対応に追われに追われ、それもようやく終息を迎える。
「『洗脳の性質』は、大まかにですが把握できましたかね」
眼鏡へ掛け直し、彩は自身の考察を纏める。
「洗脳は……解けるんでしょうか」
「先の戦いでは。解かれて、学園へ編入した生徒もいる。大丈夫だよ、赤薔薇ちゃん。本音の意思だけで襲い掛かってきたわけじゃあない。芽は、あったにせよ」
火を点けないままの煙草をくわえた野崎が、トントンと少女の背を叩く。
赤薔薇はゆるゆると首を振り、縋るように戦斧を握った。
(京臣 ゐのり……人を殺めるのは嫌だけど、お前だけは……!!)
ひとつの戦いは終わった。
けれど、これは序曲に過ぎないと―― きっと誰もが、気づいている。