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「ようこそ、ヘヴンズ・ゲートへ」
紫瞳のバーテンダーが、天宮 佳槻(
jb1989)へ呼びかける。
(……あれ)
自身と同じくらいの身長の男とは、どこかで会ったことがあるような。
幾多の厳しい局面を乗り越えて来た青年は、持っていないはずの『五年間』の記憶をも、おぼろげに思い出す。
(なるほど……、それで今、二十歳そこそこといったところなのか)
見慣れた風景より15cmばかり高い眺めを受け入れて。
「……全く。自分が来れないからって、僻むのはやめて頂戴」
佳槻の思考は、若い女性の声で中断される。メル=ティーナ・ウィルナは呆れた表情で手にしていたスマホの電源を切った。
誰かから、うらめしメールが来てた模様。
気を取り直し、佳槻は静かに過ごせそうな席を選ぶ――座る、その前に。
「失礼、どこかでお会いした事がありませんか?」
「うん? そうだったかな?」
最奥の席で一人で飲んでいる黒髪の青年へと、声をかけた。
「知った顔によく似ているので、もしかして、と思いまして。もっとも、自分が若かった頃の話ですから定かではありませんし、向こうも憶えているかどうか怪しいものですがね」
「普段なら、記憶力には自信があるのだけどね。この空間は、何処か何かを麻痺させるように感じるよ」
にこり、笑み一つではぐらかされる。
佳槻とて、ここで武器を取り出し戦おうだなんて思ってはいなかった。
静かに、雰囲気を楽しみカクテルを味わう。その為の、バーだ。
「マスター。ブラック・ルシアンを」
15の歳の頃より精悍になった顔つきで、佳槻はオーダーを通した。
彼と入れ違いに、鴉の隣にメルが立つ。
「こんばんは? もしよければ、ご一緒させて頂いても?」
「麗しい姫君だね。どうぞ、喜んで」
(あれ? 俺、成人してたっけ)
小野友真(
ja6901)は、己が両手を左右交互に見つめ、それからハタと『夢』であると気づく。
「成人や! 大人や! 外見は変わってへんような気がしなくもないけど、今ならこういうバーにも入っt」
賑々しく、友真が店内へ――続くドアを、開けて、
「えっ」
閉めて、
「えっ」
開けた。
(……夢やったな?)
バーテンダーをガン見して、友真は震えた。
「今日は、一段と冷えます。どうぞ扉を閉めて、お好きな席へどうぞ」
「えーと。コーラ系甘い酒宜しくでっす」
彼から目を離せないまま、友真は席に着く。
「あれれ? なんだかちょっと背が伸びてる? 私、夢でもみてるのかな?」
先の友真と同様に、外でキョロキョロと己の身体を見回しているのは草薙 タマモ(
jb4234)。
粉雪の舞う夜。寒さから逃れる場所を求め、思案すること暫し。
「私は大天使タマモエル。紹介なしですけど、よろしいかしら?」
咳払いをし、心持ち声のトーンに威厳を持たせ、タマモエルは木の扉を押し開けた。
「寒い中、よくおいでくださいました」
「では、失礼いたします」
小さな店構えの割に、すでに客がひしめき合っている。タマモは空席の中でもバーテンダーに近い場所を。
「あー、このしゃべり方だと疲れるから普通に戻すね。でも大天使タマモエルって設定はイキてるからね!」
「設定って言うてしもた!?」
聞いていた友真が咽る。
「それじゃモーニング・フィズください」
「かしこまりました」
友真へ最初の一杯を差しだしてから、バーテンダーはジンのボトルへと手を伸ばした。
「わ、甘い匂い……フルーツ? なぁなぁ創平、なんてカクテル?」
名を聞いたらそう呼ぶようにと言われたので、初対面ですが明らかに年上ですが遠慮なくフレンドリーに下で呼ばせてもらいます。
創平も、然して気に留めずカクテルの説明を。
「『モニカ・ラム・コーラ』、クランベリーリキュールを使ったものです。フルーティーで、飲みやすいと思いますよ」
「洒落とるな……!」
「なんだなんだ、今日は随分と可愛いお客さんが多いな」
「大丈夫! 私、こうみえてお酒飲める年齢(設定)だから!」
先客であるウルの冷やかしに、タマモはにっこり応じる。
「ふふっ……、なんだか同じ匂いのする人達がいるわね」
そして、ウルとその向こうに居る鴉へと視線をやって。
同族――天界の、恩恵を受けし者。
「バーテンダーさん、貴方からもちょっと、同じ匂いがするわね? 気のせいかな?」
「な、気になるやんなー」
「さあ。私には、わかりかねますが」
はぐらかし、創平は炭酸が迸る白いカクテルを天使の少女へ。
その時、タマモエルを頭痛が襲う!
(うっ、進級試験……、土下座……、残業……、おでん屋……、この記憶は一体!?)
「でも私、そのころまだ登録されてな……うっ」
「はっ、この子……もしやニュータイp よろしくな!」
「同級生よね。よろしくね」
慣れた所作で扉を開け、颯爽と店の奥へと進む姿がある。アルベルト・レベッカ・ベッカー(
jb9518)だ。
レベッカが目指すのはただ一人。しかし、既に先客がある模様。
「お話があるのは、私だけではないみたい? 席をひとつずつ移動しましょうか」
メルが右側へと移動し、理解した鴉も移る。彼女へ会釈を一つ、それからレベッカは青年の左隣へ収まった。
「私はレベッカ。あなたの名前を教えて頂けないかしら?」
「鴉だよ、お嬢さん」
誘惑するような、レベッカの眼差し。鴉は至って涼やかに受け流す。
「不思議ね……。あなたには、何処かでお会いしたことがある気がするの」
細い指先が、鴉の黒髪をひと房掬う。それを止めるでなく、
「よく言われる。今日は、そういう日なのかね」
青年は目を伏せ、グラスへと手を伸ばした。
「……お前は!?」
どさり、荷物の落ちる音と、男の吃驚した声が重なった。
三人が振り向けば、入り口に強羅 龍仁(
ja8161)が立ち尽くしている。
鴉の姿に、驚きを隠せずにいるようだ。
「きみも、私の知り合いかい?」
「…………いや、人違いだったようだ。俺の、今一番嫌いな奴にそっくりでな」
「へえ?」
「ま、どうせあいつは俺の事など羽虫程度にしか思っていないだろうがな……」
揶揄する声に、龍仁は必死に感情を抑えた。
そっくりさんだとしても殴りたい、そんな衝動に耐える。
「わー、強羅さんやー」
へらっと笑い、軟体動物が如く手を振る友真の姿に、龍仁は我に返った。
巨体の先客に隠れるように、友真の明るい髪色が揺れている。
「……水を合間に入れてやってくれ。俺は―― 最初は日本酒を頼みたいが、銘柄は種類があるのだろうか」
「揃えは多くありませんが」
「ふむ、……『寒北斗』を」
鴉からは距離を置き、どかりと龍仁が席に着いた。
(賑やかな夜だ)
カルーアの香りに目を細め、佳槻はそんなことを思った。
きっと今日の夜は、長い。
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鴉の手元、トランプの存在に目を付けたのは友真だった。
「面白そうなん、持ってはりますねー? ここで会ったのもご縁! 皆でゲームでもせーへん?」
「いいね、大人数は嫌いじゃないよ」
陽気な誘いに、鴉も快く応じる。
「BJでもババ抜きでも、いくらでもどうぞ? 私も、カードゲームは好きよ」
その隣で、メルが悠然と笑んだ。
「ただ遊ぶだけじゃ面白くないでしょうし……。そうね。少し、趣向を凝らしてみましょうか」
「せやなー、だったら……」
隣り合うメルと友真が、軽く打ち合わせを。
「さっ、それじゃあ始めよか! 勿論ウルさんもやで、ヘイ!!」
「ああ?」
タマモと他愛ない世間話をしていたウルが、唐突に名を呼ばれて振りむく。
「ふふっ、ブラックジャックですって? ――私へ勝負を持ちかけたのが運の尽きね」
釣られるように覗き込んだタマモが不敵な笑みを浮かべ、
「で、ブラックジャックってなに?」
「だいじょうぶか、この嬢ちゃんは」
溜息交じりに額を抑え、ウルがザックリとルール説明を。
「ふんふん……、なるほど」
(ほんまにザックリな説明なんやけど、ええんかアレ)
(だいたい合ってるから、いいんじゃないかしら)
駆け引きなども含めれば、説明が長引いてしまう。遊びだ、ゲームだ、楽しめればそれでよし。
メルと友真は頷き合い、椅子を少し引いて参加メンバーが囲みやすいように。
――さあ、ゲームスタート。
「さて。Hit? Stand? それとも降りる?」
ダイヤのクイーンをオープンカードにした、親であるレベッカがメンバーへ選択を迫る。
ちなみに、レベッカは一枚もカードを引いていない。
(『親は17以上になるまでHit必要有』や……、レベッカさん、良い手が入っとるみたいやな)
ポーカーフェイスで感情の動きを隠しながら、友真は自身の手札を睨む。一枚Hit。
トータル五杯目となるチャイナ・ブルーを飲み乾し、ゲーリック・コーヒーをオーダーしてから龍仁は思案の末に一枚Hit。
「あら。飲み物の氷は足りている?」
他方、メルは鴉のグラスを気に懸け、『氷結晶』による氷を作り出す。
「どうぞ。できたての新鮮な氷で味わう水割りも素敵だと思 」
「うわーーー!」
彼女の言葉は、友真が継いだ。グラスへ入れるはずの氷が、なぜか友真の背中にin。
「誰でもいいから氷取って冷てぇえ!!」
(さ、今のうち……)
軽い騒動の間に、メルは手札のすり替えを試みる。
(だって鴉の胡散臭い表情、歪ませてやりたいじゃない? 悔しがるところを見るためなら、何だってするわよ?)
にっこり。
……にっこり。
メルの視線の先には、レベッカの笑顔があった。
メルが鴉の隙を突こうとするなら、レベッカは鴉のトリックに注目していた。それが、かち合った。
「黒い鳥さん、幸運のシンボルは足が三本だと聞くけれど、手も三つあるのかしら?」
「うん? ――ははは」
「ふふふ」
「うふふふふ」
さりげないレベッカの指摘に、鴉も気づく。
乾いた笑いを上げる、三人。
「ほら、Kと8で21よ! ふふっ、これでこの勝負、いただきね!」
「非常に言いにくいんだが、タマモ……」
勝ち誇るタマモへ、龍仁が苦笑する。
「えっ、絵札は10なの!? ……だめじゃん」
「大天使タマモエルも他愛ないな」
にやりとウルが笑った。
「慎重に運んだつもりだったんだがな」
龍仁は、ダイヤ8にスペード6からのHit、親札がクイーンであることからそれが手堅い策だったが……ダイヤの9、合計23でバスト。
友真もHitの引きが悪く、合計22のバスト。
メルとウルが、揃って19、鴉は14。
ふふん、とレベッカが鼻を鳴らしてもう一枚のカードをオープンした。
「クラブの9、――19。残念ね、鴉さん」
「負けた奴は1ショット、だったか?」
楽しげに、ウルが敗者たちを眺める。
「ちょっと私には合わないみたいね! バーテンダーさん。おかわりください」
「俺の酒の強さは中の下位です! お任せでよろしゅ!」
「磯自慢を」
七杯目のキューバン・スクリューを乾し、龍仁が続く。
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ブラックジャックをひとしきり楽しんで、次はまったりとババ抜きへ。
賑わいから離れた場所で、それを肴にカクテルを楽しむ佳槻。
「あの中で誰が一番に上がるか賭けませんか? 負けた方がその度に皆に何か一品奢るという事で」
不意に声を掛けられ、創平が片眉を上げた。
ナッツとチーズを乗せた皿を青年へ差しだしながら、面々を見遣る。
「あなたが賭けない人に賭けますよ、僕は」
(何せ、科学室で失敗した時に見た顔だし)
口には出さないが、そんなことを思っては心の中で舌を出す。
「お客様も、あちらで一緒に楽しまれればよろしいのに」
「輪の中に馴染まない口なんですよ」
創平の言葉に、淡々と佳槻は答えた。
(昔からそこに入れず、観察する側だったから……)
そのことを、寂しいとも思わないほどに、慣れてしまったから。
ババ抜きのルールとして、カードを捨てる度に1ショット。
これは捨てれば捨てるほどポーカーフェイスが難しくなるゲーム。
「六根を」
龍仁がカードを捨て、オーダーする。
その声に、佳槻が小首を傾げた。
彼はハイペースで酒を頼んでいるが、日本酒やカクテル、辛口・甘め、オーダーはバラバラだ。
そうやって気分転換をしているのかもしれないが……
(いや、これは)
賑やかなメンバーの様子を見ると話に見て、聴いていた佳槻だから気づいた。
メモに、龍仁がオーダーして来たメニューを書き連ねる。
「……これを、端の男性へ」
創平へ、手渡して。
「……辛口のミストが欲しくなりました。ブラー・ミストをお願いできますか?」
クラッシュドアイスを詰めたグラスに、注がれ煙るはカルバドス。
辛口のテイストと霧がかかったような見た目が、今の佳槻の気分を現していた。
(口の中に残る林檎の爽やかな味は『これから』の味なんだろうか? ……現実では味わった事ない筈だけど?)
・寒北斗
・ラムレット
・酔鯨
・イエロー・ジン
・チャイナ・ブルー
・ゲーリック・コーヒー
・キューバン・スクリュー
・磯自慢
・レイク・クイーン
・サイレント・サード
・青雲
・六根
頭文字縦読みで……?
メモへざっと目を通し、鴉は意味を汲み取る。
誰のオーダーした酒かもわかっている、日本酒を頼んでいるのはここで一人しかいない。
にこり、龍仁へと微笑みかける。武骨な指が、鴉のカードへと延び――……
「これで上がり。俺の勝ちだな?」
ドヤ顔でもって、応酬。
(この男……嫌いではあるが……まあ、感謝はしてる。……俺にもこんな稚拙な感情がある事を教えてくれたからな)
今まで誰かを嫌うという感情が乏しかった龍仁にとって、『何となく気に食わない』という至って子供じみた感情を起こさせた相手。
自覚してる故に、本人へは言わないが。
●
「もっと構ってくれないと嫌ー! 私と一緒にもう一件行きましょう?」
鴉の肩へレベッカがしな垂れかかる。
「ねぇ? 濡羽の君、とお呼びしてもいいものかしらね?」
そんな様子を止めるでなし、軽く酔った風のメルが鴉の金色の眼を覗きこむ。
ほんの少しだけ、青年の動きが止まる。満足そうにメルは目を細めた。
「こう見えて、私は『姉』なのよ。知っているわ」
――うちの『妹』がご執心みたいだから、ご挨拶をね?
「創平ー、俺も手伝い出来る? 代金分、体で払います」
「…………」
「ので、その、お客様では、無く」
行けるか、ワンチャン。
「では、グラス洗いを頼もうか。――友真」
「笑うかと思いきや、まさかの氷点下の眼差し」
「同じラインに立ったら、そういう男だよそいつは」
「そっちは両手に美女はべらしてぇええええ!」
レベッカは女装なのだが、酔っても崩れぬその姿から、指摘するだけ野暮だろう。
「仕方がないわね、大天使タマモエルが特別に一緒にお手伝いしてあげる!」
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笑い声、叫び声、賑やかに楽しげに。
笑顔、泣き顔、不貞腐れ、それらを見守る静かな眼差し。
距離、温度、香りのどれもが居心地よく。
Bar ヘヴンズ・ゲート。
この門をくぐる者は 一切の記憶を捨てよ。
それは帰り道もまた、然り。
全ては一夜限りの夢のこと。