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夜が、明けようとしている。
吹雪は止まない。
薄闇の中、風の音。多少の声も足音も、全てが風雪に吸い込まれ消えてゆく。
(生きて、帰る)
それは、その場にいる誰もが抱く願いであり祈りであり誓いであった。
「鳳! 潜伏中のDOGから支援受けるつもりって、本気か!?」
「戦闘区域には触れないよう、離れた場所で落ち合う予定だ」
戦闘モードに突入し、口調が荒くなっているマキナ(
ja7016)が鳳 静矢(
ja3856)を呼び止める。
「支援は、あくまで情報提供に留めた方が良い」
「彼らを危険に晒すつもりはないよ。有益な手立てであるから協力を求めたし、彼らも応じてくれた」
「――ッ」
『彼らも応じた』、そう言われてしまえばマキナも引き下がるしかなかった。
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吹き溜まりによる、硬質の雪山が点在している。事前情報で入手している通りの地形へと出て、学園の撃退士たちは配置へと急いだ。
崖からは極力離れ、雪山に身を潜める形になる。
(あなたの為に強くなったのよ)
真っ先に予定配置へ到着したのはアルベルト・レベッカ・ベッカー(
jb9518)。
前回は礼を通す為に男装 ちがう 素の姿で参戦していたが、今回は『普段』の姿。
レベッカらしい姿で。
名乗ることさえままならず、名乗ることさえされないままに撃ち落とされたのは初夏のこと。
一矢報いることを考え、ここまで来た。
「最低でも一発。当てるまで立っていてやるわ」
その一撃が、重くても軽くても、きっと彼は振り返る。驚くだろう。驚かせてやれ。
「かくれんぼ? それとも鬼ごっこ? こちらから探すのは、もしかして初めて、かしら」
レベッカの隣で、矢野 胡桃(
ja2617)が恍惚として微笑む。
光纏し銀色へ変化した髪に、ライトグリーンの瞳だけが景色に色彩を添える。『八咫鏡』と銘打った愛銃を手に、機を伺っていた。
その右隣、若杉 英斗(
ja4230)が収まる。
(携帯カイロでも、あっという間に冷えるな……。でも、指先の感覚はしっかりしてる。これなら)
状態の悪い足元を、急いで移動してきた。体は暖まっているし準備も万端。緊張感も、良い具合で持続している。
青年は、幾度となく交戦した黒い影を脳裏に浮かべた。
あの雪山の向こうに、天使が潜んでいるのだ。
フィル・アシュティン(
ja9799)……今はもう一つの人格『エルム』として。彼女は胡桃の後方へ着く。
「ヴェズルフェルニル……、……風を止める者か」
流れる風の如き存在の『人格』。自身を『風』と称するエルムには、引っかかる名であった。
『フィル』の時に一度だけ、接触こそなかったが姿は目にしている。
「……風は、止まらず進むもの。……抗いの追い風を、届けてみせる」
「心はホットでも、頭はクールにしねぇとな。やられっぱなしでいられるか!」
拳を打ち鳴らし、 レベッカと胡桃の間にマキナが到着。
「静矢くん」
「行こうか」
潜行部隊から風の揺籠・韋駄天を付与された静矢へ、野崎が振り返った。
戻ってゆく二名の撃退士の背は、吹雪の中に消えている。
「……微力だが」
エルムが、静矢と絆を結ぶ。静矢は、マキナと。結び合うそれらは、微かだが確かな綱となるだろう。
●
降りしきる雪の中で、ラストダンスはどう?
貴方の黒い外套は、きっと雪の白に美しく舞ってくれるでしょう。
壁のように、盾のように風の方向へ稜線を描く吹き溜まりの山々。一番厚そうな真正面に狙いを定め、胡桃が開演のピアスジャベリンを放った。
強烈なアウルの弾丸が唸りをあげてひとつ・ふたつ、雪山を粉砕し――
「……みぃつけた」
派手に、赤が散る。砕けた雪に、天使の血が混じる。
追っ手の接近を予期していたのかカラス自身もミストラルで自衛していたらしいが、完全に意表を突く形で初手攻撃に成功する。
「……続くぞ」
吃驚した天使目掛け、胡桃の前へ進み出たエルムが青緑の風を纏いし鉄扇『煌風』より、追撃の衝撃波を走らせた。
「きみたち、か。しぶといのは、お互い様かね」
開けた視界に、苦く笑う声が届く。距離があり、表情まではわからない。
「遥々、貴方に会いに来たのに……つれないわね? カラス」
「これはこれは、寒いところを恐悦至極だね、お姫さま」
「私は『お姫さま』じゃなくて。矢野胡桃、よ」
「ヤノ・コモモ……。なるほど、覚えよう。わたしはヴェズルフェルニル、自然の吹雪を打ち消すほどの力はないが」
天使は左腕に負った傷を押さえていた右手を、スイと伸ばす。
「ここで、追っ手は全て断ち切っておいた方が良いのだろうね」
「もう、無視なんてさせねェぜ!!」
ギラリ、猛獣の如き気迫で、マキナは胡桃とエルムが拓いた路を力強く駆けた。
その手には白銀に煌めく戦斧。天使が身構える、その直前で90度の方向転換、狙いは――カラスを護衛する黒き騎士!!
「ブッ飛びやがれ!!!」
アウルを全力で叩きこめば、主を守ることに意識が設定されていたのだろうサーバントは後方へと吹き飛ぶ。
マキナの耳に舌打ちが入る、カラスだ。彼は直近のマキナへ反応するより戦場全体の把握に努める。
伸ばした右手が簡単な合図を送ると同時に、最奥の雪山を越えて蒼い翼が滑空してきた――戦場中央、もう一体の騎士の視界からは孤立して見える静矢を狙って。
「サーバントが潜んでいることは、承知の上!」
盾を構えていた静矢が、二回続けてのスノウストームを掠り傷程度に留める。
「そちらから姿を見せてくれるとは有り難い」
静矢はもとより、サーバント狙い。
盾から弓へと持ち替えて、効果の残る浮遊能力でもって窪地を飛び越え、振り向きざまにスターク・ブローへ連想撃によるアウルの矢を射かける。
攻撃直後のバックアタックとなり、容易に敵は地へ墜ちた。
「あっ」
短く声を上げたのは英斗だ。
彼が動くより先に、カラスはほんの僅か、横へ移動し呪歌を発動する。
英斗は最前線に孤立しているマキナを守るべく走り出した。
(カラスは考えて戦うタイプ。戦闘の組み立てを阻害されれば嫌がるハズ……!)
可能なら速攻で隣接して、呪歌を発動しようものならシールドバッシュで封殺したかったが……行動速度は、向こうが僅か上手だった。
(矢野さんや、アシュティンさんは圧倒的に速かった……。攻撃の開幕を担ったからというのもあるだろうけど、カラスだって反則的な行動速度をもってるわけじゃない、と思う)
そうはいったって、隣接に成功していても、向こうが移動しながら呪歌を発動したならやはり間合いから外されていただろうけど。
「マキナさん!」
英斗は庇護の翼を展開し、二方向から剣を振りかざすスターク・スヴァートの攻撃からマキナを護った。
(この攻撃は慣れてる……、でも)
合計4回の攻撃、これで仲間を守るスキルは消費して……
「うしろ、うしろー!!」
「――ぐっ、」
レベッカが叫び、双頭鷲に背後へ回られたマキナへEvade Maidenによる援護射撃を。
長柄のメイスがしたたかに青年の頭部を襲うが、僅かに軌道は逸れて意識を奪うまでには至らない。それでもギリギリか。
「来るか!」
数m先に浮遊する、残る双頭鷲へ英斗が身構える。
強力なブレス攻撃もあるが、近距離であればメイスによる攻撃を選ぶという情報は過去の報告書から得ている。
ならば、これ以上マキナは襲われない、英斗がしっかりと防げたなら――
「焼き尽せ」
低音の声。明確な指示。三日月のように細められた目の輝きだけが残像として。
フッと英斗の眼前から消えたと思えば、側面に在った雪山上方から強烈なイーグルブレスが吐き出され、地表を舐めた。
バックアタックに耐え、辛うじて立っていたマキナが側面攻撃に崩れる。正面の雪山、その上に羽ばたく双頭鷲が邪魔をして、今回ばかりはレベッカの援護も通らない。
「遠くにいたら、あなたの顔が見えないもの。ねえ、愛しの黒い鳥さん?」
あなたを撃ち落とすために用意したの。
黒塗りの狙撃銃を手に、レベッカは前進する。
銘は『Der Freischutz』――魔弾の射手。繰り出すは必中の弾丸・諧謔曲。
「あなたが風を打ち消すのなら、私は何度でも風を呼んであげる。巻き起こしてあげる」
カラスは咄嗟に剣の柄で弾丸を受け止めようとするが、勢いを削ぐ程度。レベッカの攻撃は白い頬を掠め黒髪を微かに削ぎ落とした。
「……ようやく、届いた!」
「届いただけ、だけれどね……。ええと、どっちだろうか、今日は。アルベルト? レベッカ?」
前回は青年の姿。しかし今回は再び女性の姿。どう呼ぶべきか、と、カラスなりに考えているらしい。余裕なのか性分なのか。
会話の合間に、野崎がグイと踏み込む。逆方面からカラスに向けてマーキングを撃ちこんだ。
(天使は地上、サーバントへの牽制より、今なら敵将捕捉が最優先……!)
自分が気絶さえしなければ、あとは口頭や通信機で位置取りを伝えられる。
他に強力な狙撃手が居るため、野崎もサポートに専念できた。
吹き溜まりの山一つ向こうに、スターク・ブローの羽ばたきが聞こえている。すぐそこの距離であり、こちらの位置も知られている。
最前線ではマキナが倒れ、静矢と英斗が孤立していて。
後方では東にエルム、レベッカ、胡桃が固まっていて。
こちら西側には、野崎一人。生きた心地はしなかったが、野崎まで東に向かえば静矢が完全に孤立する。
静矢と英斗の間にはスターク・スヴァートが挟まっているせいで、近くて遠い。
(最悪、あたしを囮にして集中砲火出来るならそれで)
安いものだとまで考え、野崎の背筋が冷える。
――オレたちは存在がバレて襲撃されたらオシマイだけど、それで脅威が祓えるなら安い
(ハルヤくん。どうして、援護をOKしたの?)
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「わたしの前で……風は、止まらせない。……逃がさないからな……!」
狙撃手たちの壁となる位置へ進み出て、エルムが再度カラスへと衝撃波を撃ちこむも、騎士の護衛に阻まれる。
「……限定解除。貴方相手に、全力を出さずなんて失礼、よね?」
その間に、胡桃は薙弾による能力上昇を。
「同感だね」
吹雪を制し、黒い影が猛スピードで接近する――古めかしい意匠の剣の柄、そこから伸びる透明の刀身が風を纏う。
「上は寒いでしょう? 降りてきたら?」
「とても魅力的な誘いだ、胡桃」
雪を乗せ、身を切る冷たい風を乗せ、痛烈な下降気流は胡桃たちへと吹き付けた!
間髪入れずに、ダウンバーストにより重圧を受けた胡桃の眼前で、風纏う剣が横に払われる。問答無用の一撃だった。
「――っ、ヴェズルフェルニル……」
「ダンスはまた、いずれ。お誘いいただけると嬉しいよ」
塞ぎ切っていない傷口から迸る天使の血が、少女の頬を汚した。
「それから」
地上へ降りたカラスの金眼が、エルムを捉える。
「筋は悪くない」
重心を低くしてからの、下段から切り上げる。ダウンバーストからの連続攻撃はシールドの上からも累積ダメージは大きく、彼女の意識もまた風にさらわれてゆく。
たちまちのうちに、二人が切伏せられた。
剣の血を払うカラスのすぐ隣へ、黒騎士が駆け寄る――洋弓を手に、矢じりをレベッカへと向けていた。
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――時代よ、俺に微笑みかけろっ!
英斗が叫ぶ。
女神と、その従者たる美少女騎士たち(の、幻影)が出現し、周辺へ護りの結界を張り巡らせた。
気絶してしまっている仲間たちへも、せめて酷い追討ちがなされないよう。そして、ここから少しでも勝機を掴めるよう。
残るサーバントが英斗を取り囲む。守ろうにも、全方向には対処できない。
それでも、英斗は持ち前の能力で凌ぐ。メイスによる攻撃を受け止め、剣による攻撃を受け止め。
「まだ、まだ戦える!」
戦線を同じくする静矢、そして後方の野崎とで、せめて、天使へ大打撃を与えることは、不可能ではないはずだ。
初手でダメージを与えているし、敵側にも回復手段は無いのだから。
静矢の矢が蒼い羽を狙うも一撃だけでは仕留めるに至らない、追撃の銃口を向けた野崎が悲鳴に近い声を上げた。
蒼き鳥は、疾風のように雪原の彼方へと消えていった―― DOG撃退士の、潜伏している方向へ。
「気配は感じていた、捨て置いただけだ。きみたちだけではないことは知っていた。きみたちが来ることで『また残っているか』だけ、気がかりだったが」
この山の状態で、下山には時間がかかるだろう。どれだけ急いだとしても、時間はかかるだろう? 空を飛ぶ鳥は、それより早く辿りつくだろう。
だいじょうぶ。だれも、悪くない。
「労せずして、敵戦力が一つ減ったと思えばいい」
天使は柔らかな笑みを浮かべた。
「……!! カラス、貴様……ッッ!」
静矢が怒号した。
銃へ持ち替える、左右が明暗紫のアウルを纏う。
鳳流抜刀術・奥義、紫鳳凰天翔撃を弾丸に込めて、放つ――
穿つはずの対象は、その瞬間に姿を消した、ように見えた。
何が起きたかわからなかったが、ふとした拍子に体勢を崩し、結果的に静矢の攻撃を回避したのだとようやく理解した。
「多彩な武器を操る者か。まともに受けていたら、さすがに危なかったろうね。幸運は続かないと、肝に銘じておこう」
剣から弓銃へと持ち替えたカラスは、身動きの取れないままの英斗を狙う。
一撃一撃の威力こそ低いが、放たれるボルトは5秒間に12連続、無防備な真後ろから撃ちこまれる。
「思い通りにさせるかっ……!」
気力を振り絞り、英斗は叫ぶ。
飛びそうな意識を繋ぎ、途切れ、結界が解かれ、それでも撃たれ、――ついぞ鉄壁たる騎士は落ちた。
確認したサーバントは、すぐさま静矢へと包囲網をチェンジする。
「すまないね、正々堂々としている余裕はないんだ」
生き抜くことに、手いっぱいで。
間近にして、その魔法剣の刀身は完全なる透明というわけではないと静矢は知る。
常に風を取り巻いており、喩えるなら――電動ノコギリだろうか。少々、えげつない表現だが。
根性でもって立ち続けるも、サーバントの猛攻からの追撃、三太刀目で彼もまた雪原に沈んだ。
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暁のとき。
吹雪は収まりつつある。
薄紅色に染まる雪原、その中で赤黒く血の広がる地点が、二つ。
DOGから救援に駆けつけたヘリが、上空で旋回していた。
天使の行方は杳として知れず。
サーバントの死骸が少ないことから、さほど深い傷を負わせるには至らなかったのだろうと、推測された。
天使を追っていた二つの部隊に、死者は居ないと学園へ報告が届いたのは全員が病院へ搬送されてからのことだった。
「ヴェズルフェルニル……、あなたを失うのは本意ではないの。また、会いましょうね」
搬送先のベッドの上で、レベッカは窓の向こう、多くの魂が眠る雪山を見遣り、そう呟いた。