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「……闇鍋ですか」
20時、家庭科室の前に集合。集ったメンバーを前に、御影が笑顔のまま再確認。
「中身が見えないお鍋から具を取るのは、くじ引きみたいでどきどきしますわね♪」
「たしかに」
リラローズ(
jb3861)の、ほんわりとした笑顔に御影がハッとなる。
「予想は裏切るもの。期待には答えるもの……」
フッと青い瞳を逸らし、歌音 テンペスト(
jb5186)は物憂げな表情を見せた。
御影もまた、フッと赤い瞳を歌音から逸らす。
「光さん、足を怪我したと聞きましたが……大丈夫でしたか?」
料理ならばお任せ下さいのファティナ・V・アイゼンブルク(
ja0454)が今回の『鍋』に賛同したのだ、惨状にはならないだろう。だろう。
ともあれ、具材は直前まで皆が秘密。ファティナは話題を変え、もう一つの心配事を御影へ訊ねる。
「あ……、階段で滑った時に捻ったもので」
たいしたことはなかったが、捻挫は癖になりやすいから今は激しい運動は避けているのだと御影が答えた。
(階段で滑ること自体、らしくない……)
ファティナの傍らで、言葉に出さず不安を抱いているのは水無月 神奈(
ja0914)だった。
(心当たりがあるとすれば、あの依頼の事か)
少し前に、御影から届いたSOSの依頼。御影へ助力しようとした撃退士が眼前で撃墜されたこと。
神奈は駆けつけた一人で、真っ先に彼女の姿を目にしている。
これまでも幾度となく戦場を共にしてきた、そんな中で、『あの時』ばかりは空気が違った。
(……光嬢も、思う処があるようですね)
同じ一件へ参加していたグラン(
ja1111)にも、察する部分はある。
「今日は流れ星を見る会を存分に楽しみましょう。まずは、夜食の準備でしたね?」
鍋で、具材は各自持ち寄り。故に、家庭科室での準備はごく簡単なものだ。
「はい。ご飯だけ、先に炊いていたんです。おにぎりを作ろうと思いまして」
(それくらいなら危険物は発生しない、かな)
野生の勘が何事かを囁いた結果、ハンバーガーを持参していた並木坂・マオ(
ja0317)がペロリと舌を出した。
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星と月の灯りだけが照らす屋上で両腕を広げ、煌めきを全身で受け止めながらリラローズは深呼吸をする。
「空気が澄んで、星の煌きが一層美しいですわ……!」
(お兄様をお誘いしたかったけれど……。せめて沢山お土産話ができるように、目に焼き付けておきますの)
「ハレー彗星の再来か……!」
遠くに流れて消える光の筋を見つけ、自転車のチューブを手に歌音が戦慄する。
「か、かのんせんぱい、それは何を」
「知らないの? 光ちゃん! 地球が流星の尻尾にかかる間は、空気が無くなるのよ!!」
「月明かりで、闇鍋という程では無いかな?」
ファティナが闇色の水面を軽く覗いて小首を傾げる。端に、月の欠片が映っていた。
リラローズが小鉢と割り箸をメンバーへ渡し始める。
「温まりながら、お話でも」
「今日は、よろしくお願いします」
御影が、深々と頭を下げた。
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湯気の上がる鍋から、リラローズが美しい所作で具材を引き上げる。
「コロコロと逃げ回るのですわ……! これは……トマトでしょうか?」
「ああ、私が入れた具材ですね。フルーツトマトです」
「トマトのお鍋もあると聞きます、なるほど……こうして頂くのも、美味しいですわね」
具材提供者はグランだった。
「それでは……お話しいたしますわ」
そうして、『薔薇姫』の異名を持つ真紅の少女は語り始めた。
私が嘗て怖れたのは『眠ること』。
魔界にいた頃、私の父母は覇権争いに敗北し……私一人を眠りにつかせ、種を存続させる事を選びました。
目覚めた時には、私が知る者は誰一人なく……。
その時から、全てを失う悪夢に苛まれ、逃れる為に眠る事を長く止めていたのです。
目を覚ました瞬間、周辺の『世界』が一変している。
その様子を、御影は想像し――背筋が冷えた。
毛布を羽織りながらも震える御影へ、リラローズは優しく首を横に振って見せる。
「兄様が、そんな私に付き添って下さったおかげで、今は悪夢は見ないで済むようになりました」
――私一人では克服できなかった事でしょう。
そう続けて。兄と慕う青年と出会ったことで、少女は『恐怖』を克服できた。
「必ずしも、弱さを一人で越える必要はないのかもしれません。助力を得たとて、恥ではないと。
……そんな人が傍にいてくれる幸せを知ることが、弱さを越える鍵なのかも、ですね」
赤い瞳を伏せ、少女はそう結んだ。
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ふかふかとした食感、鍋の汁を吸いこんで独特の風味となっている――
「はんぺん、でしょうか」
「あら、私の入れたものですわ。グラン様とは、とりかえっことなりましたのね」
小首を捻るグランへ、リラローズが指先を合わせた。
「怖いこと…… そうですね。私が幼いころは、屋敷にある本から知識を得ていました。ですので、本に載っていない事象に出会うことはとても不安で怖いことでした」
そこで言葉を切り、グランはおにぎりを一つ、手に取る。
「光嬢。このおにぎりには、何が?」
「ええと、全面が海苔でグルリなので梅鰹です」
「なるほど」
ぱくりと齧りつく、なるほど当たりだ。
「私にとっての、『恐怖の克服』は……こういうことでした。不安に当たった時は、独りで悩まずに話して他の人の考えを聞いたこと。
それでも拭えない時は、実際に行動して自分の目で確認すること」
「……あ」
今まさに示してくれたのだということに、御影も気づく。
「頭でっかちに考えてもどうにもならないことはあります。そんなときは信頼できる人と一緒に見て慣れること、私はそうしていくことで『知らない』という恐れを克服できました」
それは、先のリラローズにも通じることかもしれない。
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一礼してから歌音は鍋へ挑む。
「黒くてぬるっとしてて…… はふ、何かしら、この感触……ねっとり甘いの」
「もしかして私か。普通の羊羹だ」
「神奈さん!? どうしてそんな無茶を!」
「光は甘いものが好きだから、どうせならと」
ガタタと腰を上げる御影へ、神奈が真顔で切り返した。
「あたしが一番怖いのは、シリアスに動く事かな」
「まさかの」
「この前の依頼は本当に怖かった……。ほぼ初めての真剣勝負だったし。
『弱くて迷惑かけないかな? ミスって連携を崩したら……? 場違いじゃないかな? キャラが死なないかな? ……なんて」
それでも、歌音は来てくれた。最後まで明るく、御影へ『笑って』と手を差し伸べてくれていた。
「逃げ出したかったし、無事帰ってからも報告書とか怖くてなかなか読めなかったもん。
でもね。友達を助けたり、皆を笑顔にしたり……、どうしてもやりたいことがあれば、怖いとか出来ないとかじゃなくて、とにかくやるしかないのよね」
どうしても。
その中に自分があることに、御影の頬が熱くなる。神奈も、グランも、そうだった。
「あたしの場合、あのときの『怖い』より『やりたい』ことの方が大きかったから……自然と克服できたかな」
「あの時に、ですか?」
「そうよ」
御影の声が震える、力強く歌音は頷く。
「これは後から考えた事だけどね。『弱くて迷惑かけるかも』や『場違いかも』とか『逆に助けを求めるハメになったら……』って考えてたのは、間違いだった」
「間違い……」
「それを他人にも求めるの? って考えた時、NOだもんね。だから、自分自身のそういう思いも割り切らなきゃいけないかもって思ったかな」
一緒に戦う仲間がいる中で、少なからず不安に襲われたとしても。
そこは割り切って、『やりたい』の力を信じる。
「歌音先輩…… 今、すごく、シリアスです」
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「アタシの『怖いこと』、かぁ」
はむ、とハンバーガーを頬張りながら、マオは星空を見上げる。
「この学校に入学する直前、師匠に言われたんだよね。あ、師匠っていうのは、アタシに巧夫(クンフー)を教えてくれたお爺ちゃんなんだけど。
――お前は時々、『生きようとする意志』に欠ける事がある って。
ずっとその意味がわからなかったし、今でも理解できてるのか怪しいんだけど」
よく噛み、お茶で流し込んで。
「……アタシはずっと独りで。この特別な力があるんなら誰かの役に立てて損は無いし、自分の居場所も見つけられるんじゃないかと思って撃退士を目指したわけだけど。
何度か死ぬような目に遭って、その時に実感したんだよね。『死』というものに鈍感な自分を。いや、『死ぬのはイヤだ』って気持ちはあるんだけどね。誰かが目の前で死んだら、そりゃ悲しいし。
でも。いざって時に『何としても生きよう!』って気力が湧いてこなかったんだ」
そんな自分にゾッとした。
マオの声が、ぽつりと闇の中へ溶けてゆく。
「今でも克服できているかはわかんない。アタシ、バカだしね? ……でもさ。自分のそういうところに気がついて、少しは変われたと思うんだ。
見慣れた風景が、少しだけ違って見える。多分気のせいだけどね。その『気のせい』って部分がアタシの成長だと思いたいんだ」
照れ笑いをしながら食べ終えたバーガーの紙をくしゃっと丸め、ゴミ入れへとシュート。
「だからまぁ――何が言いたいのか自分でもわからないけど。自分の心を感じることを忘れなければ、大丈夫じゃないかな?」
考えるな、感じるんだ――ってね♪
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神奈の眉間にしわが寄る。
「……なんだ、これは。餡? 周辺はもなか、か?」
「あらー、おめでとうございます。お饅頭ですね♪」
「銀狐……?」
「神奈さんだって、羊羹を投入していたじゃありませんか。それに、私は他にも入れたんですよ?」
ファティナは三品、具材を投入している。
二品はまとも、一つは甘味―― 三分の一の純情な甘味を引いてしまった次第である。
「そうだな……重い話よりは軽い話を。私は虫が、特に6本より多足の虫が嫌いなんだ。……笑うなよ?
幼少期、兄達にバケツに集めた団子虫を背中から入れられて嫌いになった。尾を引く事を懸念した姉が、それから色々考えてくれてな」
たとえば、手に乗せて慣らすこと。
その生態を観察すること。
実際に飼ってみること。
「トラウマになった私には辛かったが、その事から逃げるよりは良い結果にはなったな。実際、苦手と思う程度には回復した。今でも、大群となると避けたい気持ちはあるが」
星を見上げ、過去を語る神奈の横顔は綺麗で、どこか切なげだった。
「怖い事から逃げずに立ち向かう事は、容易ではない。だが逃げても解決しない事はあるし、時間が癒してくれない問題もある。なら……向き合うしかないだろうな」
「向き合う……」
「悩むのは良い、それで答えが見付かるなら。だが迷うな、迷いは足を止めてしまう」
(……今の光を見ているのは辛い。相談にこの方法を選んだのも、こちらを気遣ってだろうが……)
「悩むなら相談してくれ。私としては好きな相手に頼られるのは嬉しい」
ぺち、と優しく頬に触れられ、御影が一気に赤面する。
「余談だが。兄達はあの後、母と姉に折檻されたそうだ」
緊張して困らせるその前に、解きほぐすように神奈は後日談を添えた。
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笑顔のまま、ファティナは固まっている。
\はーい、大成功!/
と、叫ぶつもりだった歌音も固まっている。
「そうですね……参考になるか分かりませんが」
誰が入れたか問わずともわかる『たこ焼き羊羹〜混ぜるな危険〜』を飲み込んだファティナの表情が暗いのは、味のせいかこれから語る過去の話のせいか。
「私が怖いのは、親しい方達を失う事でした。特に義姉妹達は家族も同然に愛してましたし」
ファティナには、『姉妹』の契りを結んだ妹たちがいる。彼女は長女の立場にある。
「ですが一年前、ある依頼で敵に末妹と友人が捕まりました。二人の救出はリスクがあり、その是非で作戦相談も紛糾しました。
私は私情で殆ど意見を言う事はありませんでしたが…… 後で、死ぬほど後悔しました」
『作戦』は成功、しかし義妹と友人は――。
「辛い事は沢山ありましたが……、あの時期が一番辛かったですね……。全部投げ出し逃げる様に学園を去り、それでも未練がましく学園に戻ってきて……、罵られるのも覚悟してました」
そこで一度、言葉を切って茶を口に含む。いつの間にか、喉がカラカラになっていた。
「姉妹達も、友人達も……ずっと、待ってくれていました。そして、ある方から言われました。『残された子達の為に頑張るべきだ』って」
残された姉妹の事。長女だった自分が、今何をすべきか。
「私は……克服出来た訳ではありません。ですが私が現実になった『怖い事』を乗り越えられたのは、間違いなく傍でずっと支えて来てくれた方達のお陰と思います」
微かにその肩は震えていた。
「でも……もし、妹達を助けて欲しいとお願い出来ていれば……どんな未来があったでしょうかね」
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鍋も終盤となってきたあたりで、グランが家庭科室で作っていたホットチョコレートを温め直していた。
「光嬢。独りで悩まずに話してください」
マグカップを手渡しながら、グランが御影へ呼びかける。
「話すことは信じること。一人では無理でも、共にゆく者がいれば乗りこえていけるものです」
「ふっ。光ちゃんが怖がってることを当ててあげる……。【恋】ね?」
地雷がそこに在るのなら、全力で踏み抜く方・歌音です。
音がしそうな動作で、約二名が歌音へ振り向いた。
リラローズの用意したランタンが淡く足元を照らす中、観測会が始まった。
「この時期は虫も少なく、落ち着いて見られるな」
「夏だと、キャンプ場とか行きたくなっちゃいますよね」
多足の虫が苦手なのだと打ち明けた神奈へ、御影が頷きを返す。
「この時この景色は、二度とないものです。自分のせいいっぱいで楽しむと良いでしょう」
「……グラン先生」
「おうし座流星群は北群と南群に分かれていて、今日ならば北群が観やすいでしょうね。南群は月明かりがあるので見えにくいかと」
「こちらですわ、凄い、凄いですわ……!」
ブランケットに身を包んでいたリラローズが歓声を上げる。
ちょうど、ピークの時間らしい。
ファティナも言葉なく星空を見上げた。
覚えのある星座、それを流星たちが横ぎっては消えてゆく。幾筋も、幾筋も。
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暁の頃。
リラローズが、朝食の用意を始める。
クラムチャウダーと、レタスとハム、たまごサラダを挟んだホットサンド。
体を温めるメニューだ。
匂いに誘われ、マオが起き出してくる。
朝陽が、屋上全体を染め始めていた。
昨日から今日、そして明日へ向かって、いつだって時は流れてゆく。
怖い怖い、夜が来る。
けれど、夜の空には星が流れる。月が昇る。
闇に閉ざされているだけではないと気付けたのなら、乗り越える道筋も見えてくるはず。
道に迷った時は、共に歩んでくれる人がいるということを、どうか忘れないで。