唸る風を裂くように滑空し、視界を阻む霧を抜ける頃。
こちらの接近に気付き、拠点を守るべく走り回る撃退士たちの姿があった。
「なるほど――」
暗色の外套を纏う風の天使・カラスは口の端を上げ、百から構成する自軍へと指示を飛ばす。
イスカリオテから借り受けたサーバントは、自身の他に指揮を果たすプロフェッサーメイデン数体のみ。
蒼翼の鳥型サーバントと黒き騎士は、手勢として率いてきたものを指示や武器の面でブラッシュアップしている。
いずれも指示は通りやすく、乱戦になることを前提とした用意だ。
「行こうか。長居は無用、為すべきことを為す、以上」
対応へ出て来た守備隊の中に見慣れた顔をいくつか見つけると、天使は左手で外套を捌き進撃を宣言した。
●
蒼と黒の軍勢を前に、強羅 龍仁(
ja8161)は心を冷静に保つよう努めながら、ここへ至るまでに携わってきた者たちの顔を思い浮かべる。
静岡という土地に眠る誓いと共に。
(護る……それが、ここでの俺の全てだ)
「互いに正念場……。ならば、狙うは先手必勝か……」
「ありがとう、強羅さん。今回は遅れをとらないよ」
龍仁から聖なる刻印を受け、アルベルト・レベッカ・ベッカー(
jb9518)は専門知識を稼働させながらキリッとした眼差しを向ける。
「カラスには、伊豆の決戦でお世話になったからね。きちんと、ご挨拶しておかないと」
――お嬢さん
かつて戦場において、カラスはアルベルトをそう呼んだ。
亜麻色の髪の、麗しい乙女。『女装姿』のアルベルトは、彼の目にそう映ったのだろう。
(気づいた瞬間のリアクションが面白いっていうのはあるけど、『挨拶』するのに女装姿は失礼だしな)
ということから、本日は男装――否、本来の姿で参戦していた。王子然としたイケメンである。
今回で顔と名前を刷り込ませ、しっかり『遊んで』もらわないと。
手ひどい傷を負わされたというのに、不思議とアルベルトの心の中にカラスに対する怨嗟の感情はない。
命のやり取りを通して、ギリギリの感情を楽しむ――遊ぶ――相手として、彼を認識していた。
「返り討ちにして、戦力分散の愚を思い知らせてやりたいトコロだな」
龍仁と肩を並べる若杉 英斗(
ja4230)が、拳を鳴らす。
指揮官たるカラスは向かい合っての西寄り、副官を担うのであろうプロフェッサーメイデン――白い長衣を纏った緑髪の少女型サーバントは東寄りに離れている。
サーバント自体は二〜三体で1つの部隊とし、横広がりに展開していることから、壁一枚を破れば将へ攻撃を届けることも難しくなはい、ように見える。
果たしてそれは、単純な侮りから来る穴か、或いは罠か。
(地力を知恵で補う……か。厄介なタイプだな)
過去の戦闘記録へ目を通してきた鳳 静矢(
ja3856)は、妻である鳳 蒼姫(
ja3762)と『絆』の繋がりを確認してから布陣を改めて視界に収める。
「此方も臨機応変に動くしかあるまい」
蓋を開けて、予想外の行動をとられたからと慌てては相手の思う壺というもの。
どういった対応でも、こちらが乱れることのないよう。弓を手に、静矢は向かい来る敵勢へと向き合った。
「……やっぱり嫌な所突いて来やがるな、あの野郎」
闘気解放で感覚を研ぎ澄ませ、マキナ(
ja7016)は瞳を獣の如く光らせた。
ネフィリム鋼であつらえたバリケードは、伊豆での決戦でも使用された。それを見越してか、飛行系のサーバントを揃えて来たということか。
歩兵ばかりの編成であれば、バリケードを活用した戦いも可能だったであろうが、事ここに及んではほぼ全員が外に討って出ることを選んでいた。
バリケードを背に、ずらりと守備隊が並ぶ。
(そうそう振り回されてたまるかよ)
この距離において、間合いを考えるのも野暮だろう。敵味方共に、遠距離攻撃の手段を持つ者は踏み込み次第で如何様にでも届く。
「出来ることから、確実に……! がんばりましょうね、マキナさん」
「おう」
経験不足を気にするフィル・アシュティン(
ja9799)だが、今回は交友のある者も多く参加している。
隣接するマキナへ声を掛ければ、頼もしい笑みが返った。
(まだまだできることは少ないし、皆に比べたら経験も出来る事も不足してる……。でも、やれることは、全力でやり遂げてみせる)
その全力が、必ずやひとつの答えに繋がると信じて。
「戦場≪ストリート≫の最前線へ立ち続けるウェポンの準備はしてきたか? 黒の恩寵、味わいな」
矢野 胡桃(
ja2617)へアウルの鎧をかけてから、命図 泣留男(
jb4611)――メンナクとお呼びください――は伊達ワル仕様の魔法書を手に最前線へ。
やや驚き、胡桃はパチリと瞬きをしてから視線を上空へと戻した。
胡桃と野崎だけがバリケードの内側に残っているが、上空に在る敵指揮官の姿は遠目にも把握できる。
(……会いたかった、わ。カラス)
今はまだ、視線は交わらない。こちらに気づいているのかいないのか――否、きっと気づいているだろう。
「カラスねぇ……舐めた名前、名乗ってくれるやないか」
闇の翼を広げ、上昇したゼロ=シュバイツァー(
jb7501)の一言に、胡桃は肩を揺らす。
女王陛下と右腕、そんな呼び合いをする彼の二つ名は『闇鴉』。
「回避と防御のアシストは頼むで」
「オーライ」
「えっ、ちょっ、待っ」
「ほな―― 行きましょうか、奥さん」
「いつでもOK、ですよぅ」
ゼロの目配せに、鳳 蒼姫(
ja3762)が片目をつむって応じる。
互いに踏み込むばかりの距離となり、翼を打ち付けるゼロへ盾役を任されたハルヤばかりが焦りの声を出す。
「オレ、飛べないですよ!? 空に居る方はさすがに守れないんスけど……!」
「気合を見せな」
「ノザキさぁん!!?」
●
拠点を守る戦いがあちらこちらで始まる。こちらの先制攻撃手は胡桃だ。
艶消し白銀のスナイパーライフルの銃口が狙うのは、最も東寄りの蒼い翼・ブロー。
「無粋なものは先に排除して……ダンスを楽しみましょう、カラス?」
「了解であります、陛下!」
「……そっちじゃないわ、右腕」
気心の知れたやりとりを交わしつつ、ゼロが弾道へ乗るように空を翔け、
「空も綺麗にしたらんと、なぁ!!」
ブローの群れへ突撃すると氷塵『アイシクルダスト』を巻き起こす。
広がる漆黒の冷気の中を、鋭利な氷状のアウルが縦横無尽に敵を切り裂いてまわる。胡桃が初撃を加えた一体が、地へ墜ちた。
「さぁ、こちらからは燃え盛る舞踏会と行きますですよぅ?」
タン、ステップを踏むようにタイミングを合わせて、蒼姫が魔法を発動する。
高度と射程を計算しての、ギリギリの距離で地上からファイヤーブレイクが噴きあがる。
「あと、もう一手か……」
翼の端を焼きながらも失墜しない二羽へ、ゼロが顔をしかめる、
「避けて!!」
バリケードを跳躍で越えながら、緋華が叫ぶ、龍仁が振り返る、
回避射撃が走るも、後退しながら放たれたバブルの波が、ゼロ一人を飲み込んだ。
「平気や、これしき――」
スタンを回避し、咽こむゼロが第二波へ備える。恐らく、来る。
「ちがう、バブルじゃない!」
ハルヤが叫ぶ、勢いをつけたもう一体が、翼を閉じて体を弾丸状に形をとり螺旋を描いて――
ゼロの身体を貫通した。
距離がある、高さがある、龍仁の『神の兵士』は届かない。届いていたなら。いや、届いていたとしても、きっと……
「向こうが動いたということは、こちらも来るぞ!」
ゼロが墜ちた。
その衝撃に、今は動揺していてはいけない。酷な、話だけれど。
士気を立て直すべく静矢が叫ぶ。
眼前に、蒼い波が押し寄せていた。
二体が、タイミングを合わせて文字通りの波状攻撃を掛けてくる。
「――くっ」
声を漏らしたのは、庇護の翼でマキナを庇う英斗だ。
攻撃力自体は、彼の守備力から見れば掠り傷程度、だが―― 重なる二度目でスタンに落ちる。
同様に、フィルもまたスタンに掛かり、膝をついた。
「見とれなッ! これが秋風が運んでくれる、俺からのオム's LOVE!」
降り注ぐアウルの流星群。それはメンナクのソウル。しかして虚しく空を撃つ。
「借りは、必ず返す!!」
英斗に対して叫び、マキナは両刃の戦斧を手にグイと踏み込んだ。
「出来ることから確実に……だよな、フィル」
ブローの真下へ入り込み、腹を狙って時雨で横一文字にまとめて斬りつける!
血飛沫が、戦闘狂を赤く染める。
「魔法相手には強い、ということか……?」
マキナの攻撃にはレート補正も乗っているから、命中しやすいということもあるだろうけれど。
視界の端に収めながら、静矢は最奥の個体――プロフェッサーメイデンの前に立ちふさがる――ブローを連想撃で狙い撃つ。
片翼を落とされバランスを失うも、撃破まではならず。
前線を撃破しきれず、スタンにより行動を取れない者も出る中。敵はそこへ付けこんで一気に距離を縮めて来るかと思ったが、スヴァートたちは弓を手にしたままだ。
「くそッ!!」
矢の集中攻撃を受け、なんとか耐え抜きながらマキナが悪態を吐く。
(この調子じゃ、まだ何か企んでやがるな……?)
横一列だったスヴァートの部隊は、一歩ずつだけ前進し、マキナたち右翼側に対し、カラスへの射線を封じる動きに見えた。
或いは左翼側の部隊が速攻で優勢な動きを見せていたのなら、教女に対してのそれを左翼側へと応じたのかもしれない。
「!? しまった」
ブローは群れによる波状攻撃ばかりだったから――最奥の、片翼を落とした個体は教女の守りだと思っていたら。
ただならぬ静矢の声に、マキナが半身を引く。彼が相手取った敵は落ちていないと咄嗟に思い出す、眼前に迫る蒼い塊――
スヴァートによる連続攻撃からの、貫通攻撃を正面から受け、マキナが倒れ伏す。メンナクの『神の兵士』が反応しないほどの深手だが、幸い重体には至っていないようだ。
「聞こえるぜ、アンタの本能がロックを刻みたいってな……」
来いよ。
メンナクは教女の動きを視線で追う。
古代ギリシアの白い長衣が尾を引くように軌跡を残し、壁を為すスヴァートの後ろへと隠れる。
白く細い手が、その間からするりと伸びた。
漆黒の輝きが槍の形となり、投擲される。
眼前で弾け、そこから更に力の残滓が炸裂した。
避けることもままならない二段構えの攻撃だが、決定的な火力とも呼び難い。メンナクはコメットを放つために仲間たちから離れており、周囲を巻き込むことも無かった。
「見えてきた、と言いたいところなんだけど」
「ベッカーくん、オレを盾にしてな!」
歩調を合わせ、アルベルトの先をハルヤが行く。カラスの姿も見えてはいるが、狙っている場合ではないだろうことは現状から見て取れる。
横広がりだった敵の陣形は、さりげない動きで中央へ集まりながらVの字へと変化しつつある。
(俺の射程まで、カラスは遠い)
胡桃の援護もすぐに入るだろうとはいえ、単独で深入りは危険だ。
カラスはまだ、動かない。彼の下に付くスヴァートも然り。かといって、睨みあい防戦にまわれば集中攻撃を受けるなんてわかりきっている。
「頼むよ、盾!」
「よしきた」
盾を手に、守りに徹したルインズブレイドが最前線へ出る。中央部隊最後のスヴァートが側面から弓を、前方・カラスの護衛らしきスヴァートが進み出て剣で斬りつけた。
「少しでも、突破口を拓く――!」
狙うは、手負いのブロー。
既にゼロと蒼姫の連携攻撃を喰らい、恐らくはもう一押しで落とせるはず。
「こんな時に!」
ほんの僅か、弾道が逸れる。
「こんな時、だからね」
ふわり。上空から風が吹き込む。柔らかな声。はためく暗色の外套。
「……カラス」
手には、ピストルクロスボウ。高度を僅かに下げ、中央へ寄りながらアルベルトを狙っている。
「お前は俺のことなんか覚えていないだろうが……、俺はお前をよく覚えてるよ」
その言葉に、カラスが微か、片眉を上げる。
アルベルトの容姿に見覚えがあるような気はするが、記憶と完全な一致はしない。
「……お嬢さんの、双子かい?」
「NO。俺の名前はアルベルト・レベッカ・ベッカーだ。覚えておけ」
「そういうことか。礼儀には礼儀を。――わたしの名は、ヴェズルフェルニル。長いから、この世界では『カラス』と覚えておいてくれ」
微笑を消すことなく、名乗り上げると同時に天使はトリガーを引いた。
野崎が残る回避射撃全てを放つ、逸らすことができたのは一撃だけ。
アルベルトの細い体が沈みかけた時、全身をアウルの淡い輝きが包んだ。――龍仁の、『神の兵士』が届く。
龍仁はすかさず駆け寄り、ハルヤともう一方の側面を固め、アルベルトへ回復を。
「強襲は初手が重要だ。長引く程に強襲の効果は薄れる。向こうが短期決戦を狙ってきてるのだとしたら、長引かせれば勝機は見えそうなものだが」
視野を広く取り、龍仁は改めての状況を見渡す。
――誰一人、欠けることなく
いつだって、龍仁はそれを最優先事項として護りに動く、が……
「ゴウラさん」
ハルヤが、拠点を築くまでの道で先遣隊を務め、そこでカラスに奇襲を受けたのはそう前の事じゃない。
撃たれた脇腹は完治しているが、間近に相手の姿があれば疼くというものだ。
「ヒトリで全部、背負おうなんて思ってないよネ」
「……何を」
「アレは、ヒトリじゃ戦ってないよ」
アレ――カラスの事だ。
先の戦闘然り、今回然り…… 呪歌による高速行動があるにせよ。
「わかっている」
ハルヤの位置から、龍仁の表情は伺えなかった。
●
少女の歌声が、喧騒の中にあってなお澄んだ響きでサーバントたちへ力を与える。
ムジカ・ムンダーナ。手傷を負ったブローも微少ながら生命力の回復を見せる。
「今度こそ、全て焼き尽してみせましょう」
体勢を低く取り、蒼姫はマキナの倒れた側へと向かう。
前線への突出は控えめに、向こうに気取られるより疾く、ファイヤーブレイクを側面から放った。
正面へと意識の向いていたブローたちは完全に虚を突かれ、三体まとめてクリティカルヒットに巻き込む。
「静矢さん、今ですよぅ!」
「うむ」
(あの天使の観察眼と対応力は、侮れない様だな)
愛刀『紫電』へ持ち替え、静矢は最前線へと向かう。
飛兵は東西に分かれて配置されていたが、守り手である騎士は中央に固められていた。戦況に応じて『どちらへも』比重を変えられるというわけだ。
教女を守るべく退がることも、攻める教女の盾となることも。
そして文字通り、彼らには『守護の盾』なる肩代わりの能力もある。
「ならば、盾ごと打ち砕こう」
防護壁を張る左腕、その肩から袈裟懸けに紫電を振り下ろす!
守りの壁を刀が押し切り、鎧越しに微かな傷をつける。
「これは…… 手ごわいな」
「天空より来たれ、ディバインソード!!」
数多の聖剣が、空から降り注いでは黒い鎧を襲う。スタンから回復した英斗が静矢と双璧を為すように前線へと駆けつける。
「残念だったな。ココは俺達が通さないぜ!」
最後方の騎士が教女を守る動きを見せるが、それでも大きなダメージを受けているようには感じられない。
防護壁を封じ込められれば多少なりとも打撃となるのだろうが、三体が群れている限り、隙を突くことは難しそうだ。
右翼の進軍へ応じるように、左翼部隊が対応していたブローの残る二体がハルヤを狙いとしてバブルを続けて放ってくる。
「……ッッ」
初撃は防ぎ切った、しかしスタンに落ちる。まともに入った二撃目は、それでも龍仁の『神の兵士』で気絶は逃れた。
「アルベルトくん、大丈夫!?」
「ん、なんとか。先に刻印を掛けてもらったおかげだ」
自然と、彼の後方に付くアルベルトも巻き込まれるわけだが、こちらはよろめきながらも立ち続けていた。駆けつけ、野崎が応急手当てを掛ける。
「気絶している暇はないぞ、ハルヤ」
正面から対峙するスヴァートが、この波に乗らないわけがない。意識を刈り取られているハルヤへ、無慈悲に大剣が振り下ろされる。
龍仁が、息を呑む。
咄嗟に伸ばした腕が一太刀目の攻撃を和らげる、しかし連続しての二撃目は下段から上段へと、装甲の隙を狙うように青年の身体へ食い込んだ。
悲鳴すら上がらない。
間髪入れず、中央部隊最前線を担っていたスヴァートが倒れたルインズブレイドを踏みつけ、アルベルトへと斬りかかった。
「――こんな、ところでっ」
まだ、遊んじゃいない。本当の命のやり取りをしていない。
(俺はまだまだ遊び足りないんだ。もっと……相手をしてくれないと、困るな……)
反射で愛銃のモーゼルへと持ち替え、至近距離で【嬉遊曲】を撃ちこむ。
新緑を思わせる瞳は、弾丸の行方を辿ることなく己の血に濡れた大剣を最後に、映すことを止めた。
「漲る自信が勝負をいつもヴィクトリーに導く!」
立て続けに仲間が倒れゆく中、堂々たる声が戦場に通る。
レザージャケットの前をはだけ、メンナクがフィルへワイルドに覚醒を促した――つまるところのクリアランスである。
「ブローを……!」
「蒼姫さん!? わかりました、……ここなら十分狙えるはず」
フィルが意識を落としていたわずかな間に、戦況はめまぐるしく変わっていた。しかし、すぐさま蒼姫から声を掛けられ、狙うべき標的を定める。
射線を斜めに取り、封砲を乗せた弾丸を飛ばす!
「行かせるか!」
射撃直後のフィルを狙い、後方で教女を守っていたスヴァートが動きを見せた。連続で斬りつける刃は、英斗が庇護の翼で受け止めきる。
彼の後方を、白い影がよぎった。教女だ。
(しまった!)
後ろを取られた、英斗の頬を汗が伝う。
否、低姿勢から繰り出される攻撃は、真正面の静矢に対してだった。
回避を試みた青年の腹部へ、突き刺すような鋭さで拳が叩きこまれる。
(この、重さは――)
魔力を乗せた攻撃。更に拳に収束された不可視の重力波が放たれ、体格差を無視するかのように静矢の身体を後方へ吹き飛ばした。
背中が、厭な音を立てる。
頑丈なバリケードへ、したたかに打ち付けられた。これで壊れないとは、さすがネフィリム鋼製というべきか。
すぐさま、龍仁からヒールが飛ぶ。
案じる蒼姫へ、問題ないと静矢が片手で応じた。
「飛ばされ過ぎないで、かえってよかった」
壁かと思えば、よく見れば扉部分だ。敵としては、静矢を叩きつけると同時にバリケードの扉を打ち破ろうとしていたのかもしれない。
残るスヴァートが再び教女を背に回し、静矢へ追撃の矢を射かけるが単発では静矢の敵ではなかった。
(攻撃力を犠牲にして、守りの力を上げているのか……)
そう考えれば、合点が行く。無論、基礎能力の高い手合いもいるだろうが、大抵は何かに特化しようとすれば何かが犠牲になるというものだ。
そして。
教女の歌声に、男の声が重なる。
様子見をしていたカラスが、呪歌を発動したのだ。
「――……来た、わね」
限定解除と共にバリケードから出て来た胡桃が、上空の天使へと顔を向けた。
「私を姫、と呼んでくれたけれど。私を姫と呼んでいいのは……父と彼だけ、よ」
視線が交差する、少女はふわりと微笑んでみせた。
●
「前回は見事に振られてしまったから。さぁ、一緒にダンスを踊りましょう……?」
歌うような少女の声は甘い響きを持つ。
しかし銃口から解き放たれるのは、空翔けるモノへ絶対的な威力を誇る弾丸・イカロスバレット。
赤褐色の軌跡は、天使の左肩を突き抜け上空に花を散らした。
「……これはこれは。逃げ惑い何かに隠れ、はぐれてばかりの世間知らずのお姫様かと思えば」
「聞こえている、わ」
長距離ながら、稲妻が二人の間に走り激突した。――と、後に野崎は語る。
(効いている、わね。……あと、数発撃ちこめれば)
後方上空に居るカラスを捉えることは容易じゃない、攻撃をすることで守りに力を割かせられれば上々だろう。
(ここからだ、悔いるのは終わってからでいい。これ以上、は)
肩を押さえる天使の動向を気に懸けながら、龍仁は盾を構える腕に力を込める。
次の一手を打つのは――
魔道の波が押し寄せ、押し寄せ、正面から上空からクロスボウのボルトが嵐のように駆け抜けた。
防ぎ切ったと思う龍仁の白銀の髪を、上空からの血が濡らす。それと同時に、左右で二人が倒れる気配がした。
野崎と蒼姫だ。
――なんの、悪夢だ。
嘲笑うかのように、バブルの波状攻撃に乗せてカラスは上空を旋回しながらピストルクロスボウで二人を狙撃し、再び後方へと戻っている。
二人……、否、三人だ。
左翼部隊へ集中すると見せかけ、最後に右側へ移動し、回復手と見たメンナクへ攻撃を仕掛けている。
カラスだけの単独攻撃は、メンナク自身の『神の兵士』で辛うじて意識を繋ぎとめることが可能な範囲だった。彼のソウルポテンシャル――生命力の高さもあるだろう。
「悪くはないな、そのファッションセンス」
サングラス越しに、メンナクはニヒルに笑ってみせる。
「だが、アクセはなしだと? それじゃあ黒と艶の神学的論争にはついていけねえぜ!」
「……きみが挑戦者? 悪いが、わたしは無敵だよ?」
「……!!?」
やんわりとした笑みに伊達ワルの香りは感じない、しかしそのセリフ、お前もしや……
と、メンナクのハートにライトニングが走ったかは定かではない。
(足を止めた……今なら)
『絆』の効果が切れたことを、その意味を全身で受け止めながら、今は感情を押し殺し静矢は長弓を引く。
騎士相手の戦いは、恐らく長引く。騎士がいる限り、教女へ攻撃を届かせるのは難しい。なおかつ敵は多対一で各個撃破を狙ってきている。
ならば、『頭』を狙うことで撤退を促すことが現状で最善だと判断して。
不意を突いた一矢は、天使の頬を薄く裂いて抜けていった。
「おっと」
金色の眼が、静矢を捉える。そこには怒りも動揺も浮かんでいない。ここまで攻撃を飛ばす者がいるのか、そう認識したといった風だ。
「向かわせるか……!」
英斗が再びディバインソードを降らせるも、敵の動きは止められない。
タイミングを合わせたスヴァートたちが、整然と反撃に出る。
一体がメンナクへ引導の矢を放ち、
二体がフィルを挟み撃ちにする。
残る一体が地を滑るように移動し、胡桃の背後を取った。
――ガン、
響き渡るは金属音。
「前回までと同じだと思ったら、大違い、よ?」
愛銃『事代主』が、ガッシリと攻撃を受け止めている。
今はもう、守られるだけじゃない、身を隠すだけじゃない。
少女は自分の身を守る術も、手に入れた。
「諦めない……絶対に!」
前後を騎士に挟まれ、更に側面へ回り込んできた教女へ、フィルは剣で対応する。
守りに走りたくても、距離は近いのに、英斗と彼女の間には頑強な騎士の壁がある。庇護の翼は使い果たした。
黒い壁の向こうで何が起きているか――小さな悲鳴、それから弾き飛ばされる肢体。
「……どうして!」
掠れた声で、英斗は叫んだ。
●
血濡れた大地に冷たい風が渡り、歌声は絶えることなく響く。
胡桃が撃ち抜いた天使の左肩が淡い光を宿し傷口がふさがっていく。
「そろそろ……素直に倍返しを受け入れて、墜ちて頂戴っ……!」
カラスが上空に居る限り、胡桃の持ちうる技で最大の攻撃力を誇るのはイカロスバレットだ。
ただ、――時間が無い。
今、この戦域において立ち続けている撃退士は胡桃の他には英斗、静矢、龍仁のあわせて四名のみ。
三人とも、個々の守備力は高い、高いが―― 教女の拳によるノックバック、或いは防衛ライン、或いは攻撃前線、それぞれの位置で孤立してしまっている。
下手に集えば、ブロー或いはカラスのダウンバーストによる範囲攻撃の波が来るだろう、かといって距離を取ったままでは騎士に囲まれる。
(だから――)
ここで、カラスを墜とす。
彼は今まで、めずらしく防御魔法を発動していない。それは教女の歌による回復効果があるからなのだろう、と胡桃は推察する。
多少の攻撃ならば躱してみせるし、万が一当たったとしても立て直すことができる、と考えているんじゃないだろうか。
(押し通せる今なら)
教女が生きている。それを逆手に取る。
心臓を狙った一撃は微かに逸れ、脇腹を貫いた。
彼女の攻撃へタイミングを合わせ、静矢もまた追撃を掛ける。
「立っている限り、反撃の目はある――必ずだ」
「そうだね」
ふわり、声が風に乗る。
「だから、全てを倒さないとわたしたちの『勝ち』にはならない。わかるね、お姫様?」
暴風のようなボルトの連撃を胡桃はシールドで食い止める、食い止めるだけでシールドは使い果たされる。
意識が途切れそうになるたびに、龍仁の『神の兵士』が胡桃を支えた。
「それから――」
三度目はスイと後退、高度を上げて英斗へと攻撃を向ける。
「『戦力分散の愚』……なるほど、ね」
警戒をし続けていた英斗の虚を突くには至らない、単発攻撃ならば玄武牙で防げることは先の戦いで知っている。
次の瞬間、先ほどフィルを取り囲んでいた騎士たちが反転し、英斗を取り囲んだ。
(大丈夫、耐えきれる。むしろ、俺に引き付けられれば仲間たちが攻撃しやすい――)
左右を捌き、後方を最小限に抑え―― どん、と衝撃を受ける。
(熱い)
何が起きたか、最初はわからなかった。
(……血)
次に、赤い塊が二つ、交差して前方へ突き抜けていく。
蒼い翼は幾つもの撃退士の血に濡れて、赤く染めあげられていた。英斗のそれも、含まれている。
膝を折りそうになる、正面には緑髪に学者帽を被った少女が、天球の歌を口ずさんだままそこにいた。
「……絶対に、守り」
盾の纏う黄金のオーラが弱く消えながら、英斗は吹き飛ばされ地面へ仰向けになったまま動きを止めた。
同時進行で、シールドを失った胡桃へ再度スヴァートが大剣を振り上げる。
重体まで至っていない味方へ回復を掛け続け復活を促すという手はある。
しかし、その時間があるのかと言えば問うまでもない。
持ちうるスキルを全て注ぎこみ孤軍奮闘を続けるという手はある。
しかし、その間に囲い込まれるのは目に見えている。
ようやくブローを撃ち落とし、静矢は呼吸を整えた。
龍仁が、残るヒールを掛ける。
地上の兵を相手取りながら、二人の意識は常に上空の天使に縛られている。背後を取られたら終わりだが、防ぐ手立てがない。
前方で、漆黒の光が瞬いた。教女の、グラヴィティジャベリンが来る――注視していた天使の姿が消える、静矢の視界の端で、透明な剣が陽の光に反射して、三度ほど輝いた。
ダウンバースト、上空から叩きつける暴風が、バリケードの『向こう側』から静矢と龍仁を襲った。
●
(お前今誰狙った? 一つ教えといたる、あの人は『お姫様』やない『陛下』やねん。ニ度と間違えんな)
戻らない意識、それでも音だけが伝わる。混沌とした闇の中で、見えないはずの光景を感じ取ってゼロは叫んだ。
(つーか、お前の名前も気に食わんねん。鴉の名は俺のもんや。カラスの名前で好き勝手やりよってからに。お前のおかげで迷惑しとんねん)
「くれてやっても、構わないけどね」
聞こえないはずの悪魔の声に、天使は笑った。
「この世界で、わたしの本名はどうにも長いんだ。免じて、迷惑を受け続けてくれ」
ヴェズルフェルニル。風を止める者。
本来ならば、闇に紛れた夜討ちを得手としている。故に、『闇を渡る風』の二つ名を持つ。伊豆の決戦や、霧に紛れてとはいえ今回のような白昼戦は心臓に悪い。
「……雪辱、か」
今回で三度目の対面だったろうか、倒れ伏す中にある赤髪の青年が、先に叫んだ言葉を思い出す。
(西園寺顕家……)
カラスが珍しく、自身の願いを懸けて拓いた血路に立ち塞がった男は、知らぬ間に戦線から離脱してしまったらしい。
(雪辱なんて果たせたためしがないな。望めるだけ、羨ましい)
「たった一人の司令不在で、こうなるというのなら…… 足掻くことこそ、無駄だろうに」
落とした陣を眼下に、カラスは冷えた眼差しでそう呟いた。