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風が吹く度、周辺の木々がざわつく。
厭な感触が肌にまとわりつく。
「……車の通り、ないねぇ」
ディメンションサークルで到着した場所からマップを確認すれば、この道一直線で施設へ着く。
「ん、……あっ、既に到着してるみたいっす」
ヒッチハイクとは言わないが、現場へ向かっているという管理人・林と合流できれば話は早い――そう考えていた常木 黎(
ja0718)へ、長身を活かして広く周囲に警戒をしていた九 四郎(
jb4076)が声を上げる。
「林さん!!」
名を呼んだのは、天宮 佳槻(
jb1989)だった。
車から降りたばかりの女性が、弾かれたように振り向く。それから手荷物からスマートフォンを取り出し、着信の数に驚いたようだ。
「あ、……あなたたちは」
「お久しぶりです、覚えてないかもしれませんが……。久遠ヶ原から来ました」
佳槻が彼女からの依頼を引き受けたのは、一年以上も前の事だ。
意識の戻らぬ祖父を想い涙を落としていた姿は、記憶に残っている。
「忘れるわけが―― っと、悠長にしている場合でもありませんね」
「あ、ひとつ、頼みがあるんだ」
保護舎へ向かおうとした林の腕を、咄嗟に黎が掴む。
「無理強いはしない。けど、可能なら―― 協力してくれないかな」
助けを求めるように、犬たちは鳴き続ける。
ギシリ、ギシリ、檻へ体当たりをし、反動で保護舎が軋む。
「協力…… 私に、出来ることが?」
「あんたにしか、出来ない事さ」
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「凄い、このアクセル凄い軽いです!」
「どこの走り屋仕様なんだろうねぇ」
黎は、六道 鈴音(
ja4192)のドライビングテクニックに苦笑する。
そもそもは家族持ちである親戚の車だというそれは馬力があり、ドッグランへ続く傾斜も軽々と超えて見せた。
「その辺りでストップお願いするっす、敵影が見えてきたっす!!」
窓から身を乗り出し、距離を測っていた四郎はスピードとブレーキングのタイミングを読んで合図を。
「善意で貸してくれた車だ、壊して返すわけにはいかないからね」
「それじゃあ皆さん、歯を食いしばってください! 舌を噛みますよ!!」
急ブレーキと共に、ドッグランの傍らで車は停車した。
「ここで漏らしたら、犬と林さんを保護する人たちがピンチになるっすからね。万が一にも備えるっすよ」
(敵を撃退すれば、犬達もストレスを感じず建物や周辺への影響も早期解決できるはずっす)
「『最小限に食い止める』か……。中々難しい事を」
ま、出来る限りはやるさ。出来る限りは――
口の中で呟き、黎は走る足を止めない。ライトに照らし出されたブラックウィングが、入れ代わり立ち代わりといった形で何かを襲っている――言うまでもなく、夏草だ。
(夏草さんが一人で足止め? 無茶しちゃって……。早く助けに行かないと)
敵の動きを封じる術を陰陽師が多く所有しているとはいえ、長期戦ともなれば心配だ。
そもそも撃退士チームから逃れてきた個体だというし、飛翔能力を持たない夏草の頭を飛び越えてしまう可能性だってあった。
けれど、彼は『足止め』を担っている。
「鈴音ちゃん、墜とすよ! 援護は任せた」
敵を射程にへ収めると同時に、黎はアシストの要請を。
「――待たせたね、道が込んでてさぁ」
世間話にしては低い声。夏草がこちらの到着に気づくと同時に、黎はトリガーを引いた。
「Enemy down!」
「消し炭にしてやるわ! 六道呪炎煉獄!!」
黎がイカロスバレットでドラゴンの一つを墜落させ、鈴音がすかさず炎魔法を放つ。
紅蓮と漆黒、二つの炎は絡み合っては地を這い、翼の折れたドラゴンを炎上させた。
「お待たせ、夏草さん!」
「夏草さん、大丈夫っすか? こっからはお任せあれっす」
満身創痍の夏草へ治癒膏を。そして四郎が前衛を交代する。
「あ……、ありがとう」
紫紺の髪は闇に溶けて黒に近い、長い前髪の間からアイスブルーの瞳を覗かせて、夏草は声を絞り出す。
「重体は勿論、重傷者だってださねーっすよ!」
石化、束縛、あらゆる形で動きを制限させてきたが、それ故に敵自体のダメージは小さい。本当の戦いはこれからだ。
「ただの壁と思うなよ!」
(傍らが撃破され、増援が来たところで撤退するかとも考えたっすが…… やる気まんまんっすね、望むところっす!)
上空から翼を閉じ、槍の如く突進して来るディアボロを盾で凌ぎ、片手で石化の風を呼ぶ。
「――なかなか、難しいっすか……!」
「そのまま押さえてて――!」
四郎が真正面から滑空を受け止めた、それ自体が敵の隙となる。
石化の風はあいにく回避されてしまったが、鈴音がすかさず異界の呼び手でサポートを。
「これで地面に縫い付けたわね……。覚悟はいいかしら」
女の子って、かわるよね。
後に夏草は、そう語ったという。
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ヒステリックな鳴き声が、どんどん近づいてくる。
大きな金属音――恐らくは檻の一つが倒れた。
「どうしよう、ケガの治りきっていない子もいるのに」
青ざめる林の背を、リーガン エマーソン(
jb5029)が宥めるように暖かく叩く。
「私はあいにく、動物たちを直接宥めたり大人しくさせる力は持ち合わせていない。その代り、あなたが専念できるようなんとしても守り抜く」
(なるほど…… 檻は金属製で、保護舎は仮設なのか)
動物保護舎の崩壊の危険性とは、そういうことかとリーガンは察知し、それではどうすることが最善かを考える。
保護舎の中で既に檻自体が壊れ、犬たちが飛び出してくる可能性があるというわけだ。
(ひょろメガネ……。面倒くせぇ依頼よこしやがって……)
「効果があるかわかんねぇが、犬は賢いんだろ」
二人を制し、気だるい調子で恒河沙 那由汰(
jb6459)が進み出る。
「ちったぁ効けば、儲けもんだな」
手をかざし、闇夜にきらめくダイヤモンドダスト。
不意に下がる気温に、保護舎のドアへ体当たりする勢いが止まる。
「鍵」
「あっ、はい!」
林から受け取り、鍵を開けてドアノブを回す――ペットクリニックにあるようなケージが二段ずつ重ねられていたらしいが半数は体当たりにより落下し、下の段からは扉を押し開けている犬もいた。
「……っ、ちぃ!!」
「やめて、STOP! STOP!!」
錯乱した数体が、林の指示を聞かず那由汰へ噛付いてくる。
天魔の攻撃とは比べ物にならない、撃退士の身にしてみれば大したダメージではない。腕一つを差しだし、那由汰自身が壁となってそれ以上の犬たちの突進を止める。
「林さん、下がってください。僕たちなら大丈夫、大丈夫ですから」
那由汰のケガは――それに、犬が一般人へ噛付いたと知れたら、この子たちの処遇はどうなるか――
パニック状態なのは、彼女も同じだ。肩を掴み、佳槻が落ち着かせる。
「林さんが協力してくれたら…… 犬たちと、傍にいてくれたら。恐怖も、悲しみも、落ち着くはずです」
――協力してくれないかな
それは、黎も伝えていた。車だけじゃない、犬を宥めること・施設周辺に詳しいのはこの場において林以上の人物はいないのだ。
「傍に……」
「建物内で、戦闘位置から最も離れていて、硝子窓などがない、あるいは少ない場所があれば……。そこへ犬たちを移動させたいのですが」
佳槻は同時にヒリュウを召喚し、周辺を視覚共有で確認していた。
「戦闘位置からは離れていると言い難いですが……、ログハウスの管理事務所へ誘導は可能ですか?」
丸太造りのガッチリとした建物だ。中の様子までは暗くて見えないが、ある程度の広さがあれば収容も可能だろう。
むしろ、狭い方が安心感があるかもしれない。
林は何度も頷き、頷きながらギュウと佳槻の手を握る。
「あ、あの」
「はい」
「恥ずかしながら…… 腰が、抜けまして」
「支えますよ」
だいじょうぶだと、おもったら。
涙声で、林が呟く。
(大丈夫…… みんな、大丈夫だからね)
どうすることもできないのだろうかと真っ暗だった目の前を、撃退士たちが眩く照らしてくれる。
非力な自分にも出来ることがあると、示してくれる。
『お前がここのボスだな……』
犬たちが飛び出さないよう食い止める間、那由汰はロッキーと思しき犬を集団の中から見つけた。
檻の中で、大人しくしている唯一の犬だった。
『俺たちは、お前らを傷付けるために来たんじゃねぇ……。ここは、もうじき危険に晒される。良いか、このままじゃお前の仲間たちが危ねぇ』
目と目を合わせ、意思疎通で語り掛ける。威圧とならないよう、真摯にそして毅然とした表情で。
『ボスなら仲間を守る為に行う事は何か、わかるな? お前が力を貸してくれりゃ、仲間も従う』
最初は身構えていた傷だらけの犬は、檻の中で一声、鳴いた。
それは今まで響き渡っていたようなものではなく、仲間へ語り掛ける犬同士の『言葉』だ。
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苦し紛れに巻き起こされる暴風を凌ぎ、今度こそ四郎が石化を掛ける。
「これで、もう自由にはさせないっす」
「夜の騒音には苦情が付き物ってね」
頭の中を掻きまわされるような不快感に片目を閉じ、それでも命中精度を下げまいと黎がクイックショットで石となった片翼を吹き飛ばした。
「堕ちろ! 六道天啼撃!!」
起こる旋風、渦巻く風刃が残る片翼を落とし、引導を。
引き付け役をスイッチからの行動束縛スキルの連携が上手く機能し、敵を取り逃すことなく撃破完了した。
幾度かの敵による暴風で、ドッグランの壁の一部は吹き飛んでいたが…… 手作業で補修できる範囲内だ。
「明るくなってからチェックしてもらうとして…… オーダーの範囲内だよね」
肩をすくめる黎へ、夏草が笑って頷いた。
取り戻された夜の静寂に、犬の遠吠えがこだまする。
「向こうは…… だいじょうぶっすかね?」
「急ぐとしようか、車の中でも応急手当は……」
「大丈夫です、私、救急箱も持ってきてます」
「あ、うん、そうね……」
(あの運転の中で、できるかなぁ)
は、飲み込んで。
取り急ぎ、撃破完了の旨をリーガンを通して伝え、保護センターへと向かった。
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ドラゴンの吐き出す不快な騒音は、遠方にあっても伝わる。
それが能力の低下を促す効果をもたらさないとしても、だ。
(これじゃあ、確かに耳の良い犬であれば暴れたくもなるだろうな)
戦闘の起きている方面を警戒しながら、リーガンは眉を潜める。
「どうですか?」
「今のところは、こちらへ接近の様子はない。一体は合流早々に撃破したようだ」
その後方で、ストレイシオンを召喚し防護結界を張りながら、佳槻も敵襲来に備える。
犬たちの保護や誘導は、那由汰と林へ一任して大丈夫そうだった。
「このまま、あちら側だけで解決できれば最善なのだがね」
アサルトライフルを構えたまま、リーガンがそう言った。
人の恐れは、動物にも伝わる。
林の心が安定したことで犬たちも少しずつ落ち着きが取り戻し、泰然自若としたロッキーが率先して行動をとることで、一つの群れとして指示へ従うようになっていた。
「あっ、だめ、こら!」
途中で林が声を上げたものだから、何事かと最後尾を守っていた那由汰がヒョイと覗く。
「それは、私のおやつ…… ご飯は別にあるから!!」
「はは、鳴き疲れて腹が減ったってやつか」
「手のかかる『子』たちです」
涙目を拭い、林が振り向いた。
「無事にディアボロを撃破したそうだ。重傷もいない」
「……ったく、面倒かけやがって。あのひょろメガネ」
リーガンからの報告に、那由汰が悪態をつく。夏草はメガネを掛けていないのだが、『そういう雰囲気』という理由で呼んでいる。
「あの、犬に噛まれた場所……大丈夫ですか?」
「ああ? 掠り傷だ、掠り傷。ツバつけときゃ治る。狐と犬の取っ組み合いだ、珍しいもんでもねぇよ」
「狐…… ああ、そういえば『ヤンキー狐』」
先日、夏草が那由汰をそう呼んでいたっけと佳槻は思い出す。
「誰がだよ!!?」
「騒がしいと思ったら、ヤンキー狐くんも来てくれたんかー」
「呼んでんじゃねぇよ!」
到着するなりヘラリと笑う夏草へ、那由汰がギャンと反応を切り返した。
「そちらの負傷度は?」
「軽傷。応急手当である程度カバーできたよ」
リーガンと黎は、互いの状況報告を。
「犬達の様子はどうっすか?」
「あ、痛そう……」
自身の体の大きさで犬を警戒させないか心配しながら四郎が屈んで顔を出し、犬相手に使用可能かわからないけれど、念のためと救急箱を手に鈴音が続く。
「でも…… 安心した顔つきっすね」
丸くなって眠ってしまっている犬もいた。
四郎が手を伸ばし、顎を撫でてやると気持ちよさそうに上を向く。
「強硬手段…… 取らずに済んで、ホッとしました」
犬たちの状態次第では強制的に眠らせるなり、考えは佳槻や鈴音にあったが、叶うなら使いたくはなかった。
不安を、強制的な『力』で捻じ伏せる形になる。犬にだって、感情はある。
(犬たちのパニックは、ディアボロの『音』による恐怖と警戒もあったろうけど、天魔に襲われた地に取り残されたトラウマだって強いはず)
そう考える佳槻は、今、こうして犬たちを暖かく受け止める存在こそが一番の助けだと判断していた。
那由汰によるボス格の説得もあり、林に負傷させることも無く済んだ。
飛びかかって噛付く行動は――緊急事態であったし、撃退士が体を張って止めたのだから事故の範疇だろう。
飼い主を待つ『彼ら』に、変な噂は立たないと思いたい。
「今日は…… 本当に、ありがとうございました。私はこのまま、犬たちとここで朝を待ちます」
「僕も護衛に残るから、万が一の時も大丈夫ですよ。あ、車の中で寝させてもらっていいでしょうかね!」
鈴音から林、林から夏草へと車のキーが渡される。
「現状、これ以上の天魔接近情報は受けてないしね……。迅速に対応してもらえて助かった」
改めて、夏草が6人へ頭を下げる。
檻さえしっかりしていれば、外側の建物は簡素で良い――自治体は、その考えを見直さなければならないだろう。
犬の貰い手は募るとして、保護センターの役割はもうしばらく続くはずだから。
「まぁ、夜も更けてきたことだし、急ぐことも無いだろう。少しの間、お茶でも」
犬たちが、寝静まるまで。
リーガンが片目を瞑り、マグカップの用意をした。
ぬくもりは、ひとのこころを優しくする。
優しい気持ちになって、見えてくるものもある。
受け止めてくれる存在を。
どんな危機的状況にあっても、守ってくれる存在を。
その中で、自分にもできる何かが、必ずやあることを。
蓮は濁りに染まず――、それは信頼の形の一つ。
この夜に守り通した信頼は、必ずや花を咲かせるだろう。