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多治見市南西に位置する、高社山。
遠目から見る分には、とても長閑な山である。
しかし一年半前のゲート騒動以降は人が入ることなく、その穏やかさが却って不気味に感じられた。
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「目撃情報のあった寺にも聞き込みをしてきたよ」
北方にある城址跡から尾根を伝い沢を巡るのは、鳳 静矢(
ja3856)・常木 黎(
ja0718)・天宮 佳槻(
jb1989)の三名とフリーランス撃退士の筧だ。
「お疲れ、静矢くん。……それは?」
黎が、遅れて到着した静矢の手にしていた物へ小首を傾げる。
「ああ……。寺で借りてきたんだ。これを使う状況に無いと良いのだが……」
「布団用のシーツ……か」
小さな体だ、多少の衰弱やケガなら抱き上げて運ぶことはできる。
もし、それができない場合――大きな布は、即席の担架になる。
静矢の考えを理解し、黎が言葉を濁す。
「人の管理の手が回らない山は、慣れた大人でも自分の位置を見失いますからね……。方位術を使いますので、『道』自体は僕が常に把握できるようにしておきます」
場所によっては個人行動になる局面もあるだろう。そう言って、佳槻は人数分の方位磁針を取り出した。
「あ、助かるな。ありがとう、天宮君。大事に使います」
筧は方位と地図とを照らし合わせ、改めて四人でこれからの進み方を確認し合った。
「地元の人間しか知らないような、この辺りの洞穴や空堀跡についても教えてもらえたよ。そうした場所で過ごしている可能性もあるだろう」
静矢が、白地図へ書き込みながら情報を共有する。
「……子供の行動力には驚かされるよねえ」
黎は、薄く笑った。
半分は、皮肉。もう半分は、畏怖――怖れと憧れだ。
「あ、そうだ」
熊避けに、と携帯プレイヤーを取り出した黎へ、佳槻が声を掛ける。
「人の声が野生化したペットを刺激する危険性、というのは…… どれくらい、だと思いますか」
自分は、上空からの声掛けは控えようと思う――そう、申し出る。
「そっか。熊だったら、無駄な争いを避けるかもしれないけど……」
失念してた、筧が唸る。
「『元ペット』というのが?」
「人慣れ、か」
静矢が続き、黎が頷く。
「『人の声』に集まるかもしれない――最悪、子供が返事してそっちに向かったら……」
「音楽だったら大丈夫じゃないかな。でも、歌声は入っていない方がいいのかも」
筧は思案しながら、ふと思いついたように付け足す。
「まじない紐に、鈴でも付けておけばよかったね」
「たっ……」
「はい?」
「……なんでもない」
仕事仕事。黎は口の中で繰り返し呟いた。
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――本格的な捜索が始められる少し前。
山の麓・南の砕石場、その事務所に強羅 龍仁(
ja8161)の姿があった。
一睡もせず、憔悴しきった男性を前に。
「……オレが、書類なんか忘れたから」
迷子になった林亮介少年の父という人は、まだ30前の若者だ。
「落ち着いて聞くんだ」
仕事で荒れたその手を上から握りこみ、龍仁はマインドケアをそっと発動する。
スキルの効果は一時的なものでも、言葉と気持ちを受け取る余裕が出来ればいい。
それが、じっくりと伝わればいい。そうすれば、スキルに関係なく心は落ち着くはずだ。
「子供は俺達が必ず見つけ出す。必ずだ」
目と目を合わせ、声の強弱に細心の注意を払い、龍仁が断言する。
「…………」
「妻を支えれるのは、今ここに置いて夫のお前しかいない。彼女を支えて、俺達を信じて待っていて欲しい」
「……妻を?」
「最後に、あの子を見送ったのは誰だ?」
「妻です」
「きっと、彼女も自分を責めているはずだ。だから彼女に伝えて欲しい。自分を責めてはいけないと。……お前もか」
龍仁の言葉に、父親が弱りながらも笑いを浮かべた。目の端が、赤い。
「いいか? 必ず息子をここに連れてくる。だから、今は山に近づくな。どういった動物がいるのかもはっきりしていないんだろう」
静かに、父親は頷いた。
(『子供』の為に――それだけが俺の全て……。俺の存在意義だ)
一歩進むごとに表情から感情を隠してゆき、龍仁は仲間の待つ登山口へと向かう。
「ひょろメガネ。よろしくだ」
「誰がメガネ!? 両眼1.5あるよ……」
『ひょろ』は否定せず、企業撃退士の夏草が恒河沙 那由汰(
jb6459)へ振り向いた。
この街からは少し離れた――ああ、あの時も山だった――場所で、共に戦ったことがある。それ以来の再会だ。
「なーんか、メガネってカンジがすんだよ。いいから呼ばれとけ」
強引に押し通しつつ、那由汰は気だるげに地図へ視線を落とす。
「で、熊出没場所ってぇのは?」
「遠目に、大きく木々の揺れを見たとか。荒らされた麓の畑の、足跡を辿るとこの辺りとか、そういう不確かな情報なんだけど」
「……」
「きいてるかーい、恒河沙くーん」
「……だりぃ…」
「言わないお約束さね。まだあるよ」
「熊確定じゃねぇか、ソレ。ぜってえ棲んでるだろ」
「もともと、熊が出るような山じゃなかったからなー……」
野放し状態の期間に、他の山から餌を求めて移動してきた可能性が高いだろうか。いずれ『居る』事は確かなのだろう。
「すまない、遅くなった」
「いや、大丈夫です。今回もお世話になります」
「……面識あったのか、お前ら」
到着した強羅へ夏草が手を挙げ、那由汰が興味薄げに呟く。
夏草が、説明するでなくヘラリと笑った。
「とりあえず登山道を主軸に頂上目指して、隠れそうな場所とか獣道なんかを捜索してみようかと思ってっけど、そっちはどうする?」
「道が別れているなら個々での捜索も必要だとは思うが、概ねそれでいいのではないか?」
「じゃ、出発すっか。途中で腹減らして倒れんなよ、ひょろメガネ」
「心配はいらないさね、見せかけヤンキー」
「……。今テメェなんつった!?」
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――こちら、沢ルート。尾根に到達。ここまで少年の足跡及び動物と思しき足跡無し
――こちら、登山ルート。一つ目の神社、異常なし ってぇか、これを神社って呼ぶのか? かなりガタ来てるぜ?
社の鍵は壊れてたが埃と砂だらけで、何かが入った形跡なし
無線のやりとりを聞きながら、単独で上空を見て回るのはアヴニール(
jb8821)。
『足』では踏み込めないような場所も、確認してゆく。
「あー、聞こえるかの。こちらも残念ながら子供の気配はないのじゃが…… 大きく崖崩れを起こしてる箇所がある。昨日今日のものではないようじゃな」
双眼鏡で目を凝らし、
「そして、登山ルートの者へ注意喚起じゃ。熊の足跡が向かっておる。大きいのと、小さいの、じゃな」
『……親子、か?』
「みたいじゃの。今は姿が見えぬゆえ、山の中を歩いているのやもしれぬ」
龍仁の強張った声に、少々驚きながら少女悪魔は報告を続けた。
『冬眠前には早いだろうし、気は立ってないと思いたいけど…… ありがとね、アヴニール嬢』
ゆるっとした、夏草の声が続いた。
「……ふむ。秋の熊、とは警戒が必要なものなのじゃな」
地図とは別の場所へ、無線を通じて耳にした『ふしぎなことメモ』を書き付ける。
「これで、山の半分くらいかの……。地面を歩くよりは早いが…… 広いのう」
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沢ルートチームは、足場の悪い岩脈へと突入する。
「……鬼道忍軍限定招集とか、した方が良かったんじゃない?」
あまりの光景に、黎が絶句した。
所によっては沢というより谷だ。
「岩場や水溜まりなど足場の悪いところに入り込んだか、あるいは衰弱、溝に落ちたなどの理由で動けなくなっている可能性も高いですね」
「先ほどの、アヴニールさんからの連絡も気がかりだね……。こちらには、熊の気配はないと見ていいのだろうか。それにしても――」
「待って」
翼を広げ、地上から数メートル程度のところへと飛翔した佳槻へ黎が呼びかける。
「佳槻くん、下の―― えっと、そう、そっち。よく見てもらえるかな」
「? ……毛? 犬か何かでしょうか」
枯れ沢とはいえ、下にはごくわずかに水がたまっている。喉の乾いた獣が飲みに来るわけだ。
足跡であれば、天候次第で消えることもある。しかし、季節の変わり目で抜けた毛は――残る。岩肌に、それが引っかかっていた。
四人の間に、緊張が走る。
「もしも」
最初に口を開いたのは、佳槻だ。
「迷子の子が、飲み物も食べ物も持っていなかったら、水を探して……という可能性は、有りますよね」
比較的近くの寺の住職が、少年の姿を見たのは日の高いうちだというけれど。
たとえば冒険心を出して、喉が渇いて、水を見つけて――足を、滑らせたら?
「皆さん、韋駄天を使います。下の方へ降りられますか?」
その言葉に、翼を持たない三人が集まり、風神の加護を受ける。
足場の悪さを気にせず、一気に下へ向かうと同時に警戒と捜索を開始した。
佳槻が俯瞰で全体を確認し、黎はプレイヤーを切って物音へ集中する。静矢は岩脈に沿い、身を隠すような場所を見て回った。
「――居る」
人差し指を立て、黎が脚を止めた。
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「ここは、山火事でも多かったのか?」
眉根を寄せ、最後の神社を確認した那由汰が呟く。
「山神以外は、火事避けの神社が二つか……。つーか、それだって違う神を祀ってんのかよ。信心深いのか疑い深いのかわかんねーな」
「池も、鎮火用かもしれないな」
獣道の確認から戻った龍仁が、熊の足跡を見つけたことを伝えながら言い添える。
「追い払うだけで済めばいいんだが」
「同意だな。無駄な殺生は好きじゃねぇ」
依頼内容は、子供の保護だけだ。
子供を、守りたい―― そう、思うのは。
人も獣も、変わらない。
咄嗟に、夏草が四神結界を発動する。それを合図に、龍仁は振り向きざまに星の輝きを放った。
落ち葉を狙い、那由汰が炎焼を放つ。燃え上がる炎は、接近していた母熊に対して柵の役割を果たす。
これ以上、近づかないように――互いの為の、境界線だ。
「安心しろ、俺の炎は山火事なんて起こさねえよ」
程なく、沢ルートから少年発見の連絡が入った。
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遠く、発煙筒の放つ煙が見える。
他班への目印となるし、野犬程度ならば警戒させることにもなるだろう。
静矢が手渡したそれを手に、保護された少年がゆっくりと登山口へ向かい歩いていた。
「よく頑張ったな、さすが男の子だ」
ぽんぽんと静矢に肩を叩かれ、照れ臭そうに笑えるようになったのも漸くの事だ。
それまでは――
(子供の純粋さが…… 恐ろしくて、羨ましい)
泣きながら、必死に、与えられたスポーツドリンクや食料を口に詰め込んでいた。
かと思えば、大人数を巻き込んだこともそっちのけで、いかに夜を過ごしたか、星空が綺麗だったか、街を離れる前は親に内緒で遊んでいたのだと『武勇伝』を語ってみせ――
その『まっしろ』な姿に、黎は反射的に目を逸らしてしまう程の眩しさを覚える。自分を照らすことを、怖いと思う。
「無事で、何よりでした」
佳槻のように、さらりと言うことさえできないほどに。
駆けつけた龍仁が、用意していた毛布で小さな体を包んだ。
「良かった…… もう大丈夫……、大丈夫だ」
強羅さんの方が大丈夫じゃない顔をしてるな、とは筧は飲み込んだ。
「強羅さんが預けてくれたカフェオレが、一番気に入ってたみたいよ。あったかいの、安心するもんな」
「……そう、か」
「熊は、登山ルートの方で巣にしてるような場所を見つけたぜ。どうすっかは…… 任せりゃいいよな。めんどくせーし」
那由汰と静矢、それにアヴニールが地図を照らし合わせ、最終書き込みをする。
「これからの住人の生活に役立てば、良いのじゃが」
「アヴニール嬢の、山の全体を捉えた情報は今の状況じゃあ大助かりさね」
背伸びをして完成してゆく地図を覗こうとするアヴニールへ、夏草が目を細めた。
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救急車で搬送される少年、彼へ同行する両親を見送り、慌ただしく時間が過ぎた。
仕上げた地図を手渡し、説明をして解散――そういった、ほんの少しの時間の隙間。
筧のもとへ、龍仁が歩み寄る。
「ようやく来れた。お前とあの子が守った街を見てみたくてな」
今は此処に居ない、少年。龍仁にとっても、大切な存在だ。
「本当は……あの子が来るんじゃないかってな……」
「……強羅さん」
親と子、その立場に――言葉に、龍仁が敏感なことを筧は知っている。
龍仁が何を願っているのか、言われずとも察していた。
でも。
だからこそ。
言っておかなければいけないと、思う。
「俺、魔法使いじゃねんだよ…… 全部の願いを、叶えることはできない」
「? どうした、急に」
「頼む、強羅さん。これ以上……今は、どうか触れないでほしい」
頼むから、酷いことを言わせないでくれ。
悩まなかったなんて、思わないで。
掠れる声に、龍仁が一つ問う。
「……俺に、願う権利はないのか?」
返る声は、なかった。
……痴話喧嘩?
耳打ちした夏草へ、黎の肘が鋭く入った。
「状況が読めなくて」
「読めないなら、呼べばいんじゃない? 筧さーん、所長が話あるってー」
「なっ!」
「それじゃあ、お疲れ様でした常木所長!」
「性格悪……」
夏草と黎は昨年、一つの事件を通して面識があった。その為か、どことなく気安い雰囲気はある。
「って、あれ、黎さん?」
駆けつけた筧が、夏草不在に気づいて周囲を見渡す。
「…………『黎』」
「状況が読めないんですが」
「い、いいよ、なんでもない」
言ってみてから、恥ずかしさが追いかけて来て黎は顔をそむけた。呼称の変更を要請、など。
「冗談冗談!」
立ち去ろうとする肩に手を伸ばし、その背に額を当てる。
「黎」
「……鷹政さん?」
(泣い、てる……?)
何があったのか、結局は聞けなかった。
必要なことなら、いつか話してくれるだろうし。話したくないことは誰にだってある。強要するつもりはなかった。
「あー、そういや。夏にもオリオンが見えるって知ってたか、ひょろメガネ」
「だから両眼1.5さぁね、ヤンキー狐」
「なんで微妙に変わってんだよ」
「稲荷神社が無いのはけしからんって、耳と尻尾出して怒ってたんで」
「出してねぇよ!」
「ほら今」
逃げる夏草と追いかける那由汰を眺めつつ、静矢や佳槻は現地の人々へ山の現状を詳細に伝えていた。
「熊の対応は自治体へ任せる形になると思いますが、沢ルートは野犬対策が完了すれば問題ないと思います」
「野犬と言えど、元は飼い犬だったからね……。良い意味での『知能』があると思えば」
顎を撫で、静矢が添える。
短期間しか滞在できない撃退士ではなく、そこに住む人々だから対応できることは充分にある。
充分にあるのだと、伝えるための今回の任務でもあった。
「眺めのいい山じゃったな。今度は、歩いて登ってみたいのじゃ」
アヴニールの無邪気な言葉が、何より人々の気持ちを温めた。
星座の位置が変わる頃には、ハイキングができるようになるだろうか――
どこからとなく、そんな言葉があがった。
それは、未来へ向けての道しるべ。