風が木々を揺らす。
空の薄い青だけが、のんびりと下界を見下ろしていた。
●
放たれた矢、倒れ込む先陣の撃退士、進行方向右手側面から姿を見せた天使――カラス。
一瞬にして、場は騒然となった。
「前回の雪辱、晴らさせてもらおうじゃねぇか」
マキナ(
ja7016)は闘争本能剥きだしでカラスを睨み付けた。
伊豆の戦いでは、痛烈なバックアタックを受けた相手だ。自分の力があの程度だと思われてはマキナも癪に障るというもの。
ほぼ同じタイミングで、周囲半径10m程の結界が発動する。部隊中央に居た陰陽師、天宮 佳槻(
jb1989)によるものだ。
「四神結界、展開完了です」
物理と魔法、両方の守備を上昇させる強力な結界は、防衛しなくてはならないタイミングギリギリまで持ちこたえてくれる。
――佳槻が倒れなければ。
(下手に逃げ回るのは却って危険そうだしな……。とにかく、こちらが立ち続けることだ)
佳槻は、カラスの機動力の高さを目の当たりにしている。あの時は平地で、今は両側を森林に挟まれているが……その違いは、どのように響くか。
いずれ、自分たちの足場を固めることに無駄はないはず。
(ふっ…… そのすまし顔を、ぐちゃぐちゃにしてやるのっ)
完全に悪役の言葉を胸で吐くのはエルレーン・バルハザード(
ja0889)。
フルボッコというよりは、涙とか羞恥とか、たぶんそういった方向のぐちゃぐちゃ。腐女子的な意味で。
妄想は後ほど全開するとして、今は敵発見と同時に遁甲の術でもって、騒動を逆手にとって気配を薄くする。
「大丈夫か」
「んん……」
真っ先に穿たれた撃退士へ、ヒールを飛ばして強羅 龍仁(
ja8161)が呼びかけた。
20歳前後と見えるルインズブレイドの若者は、脇腹を押さえ立ち上がっては振り向いた。染めたのだろう傷んだ茶髪の隙間から、薄紫の瞳が覗く。
「その分なら動けそうだな。時間はない、残りは自己回復で頼む。戦えそうなら盾役を頼めるか?」
「切りこめと言われないだけありがてェ」
口の利き方はいささか乱暴な男は、龍仁へ礼を短く述べると盾を構え直した。笑うと吊り上がった眦に愛嬌が垣間見えた。
「ゴウラさん、だっけか。オレは盾に若干の隙あり・ハルヤ。改めてヨロシク」
「隙があってどうすんのよ」
すかさず、野崎が冷ややかな声を挟んだ。
「『速い者が競走に勝ち、強い者が戦いに勝つとは限らず』……だったかな?」
ハルヤと共に先頭を注意深く進んでいた常木 黎(
ja0718)は、ささやかな助け舟を。半ば、自分へ言い聞かせながら。
「それにしても、奴さんも張り切ってるねぇ……。迷惑な」
「……ん」
「……ま、私は報酬分の仕事をするだけさ」
野崎の表情が、やや暗くなったことに気づき黎は話を逸らした。
(弓兵の正体はカラスか。てことは、近接戦型が近くにいるハズだな)
事態の急変と与えられたデータを基に、黎の後方を歩いていた若杉 英斗(
ja4230)が警戒を強める。
(カラスはエルレーンさん達に任せるとして、俺は黒騎士の相手を)
フェニックスを連想させる赤い翼が英斗の背に現れ、それはオーラとなって淡い輝きとして全身を包む。窮地に屈しない意思が英斗へ『再生』の恩恵を与える。
「後ろ……!」
そこへ、野崎が短く叫んだ。
カラスを発見してから逆方向へ索敵を掛ければ、撃退士を挟み撃ちするかのように黒騎士が二体、潜んでいた。
「問題なのは、カラスがその気になれば…… この場にいる全員を潰す事が、いつでも可能と言う事です」
最後方に居たヴェス・ペーラ(
jb2743)は翼を広げると同時に上昇し、戦域を俯瞰する。
滞空高度を上げれば敵の攻撃は当たらないが自分の銃の射程も限られる。そして、やはり森林地帯になれば的確に狙うことは難しそうだった。
「こんにちは? カラス。……会いたかった、わ」
限定解除と共に、佳槻の後ろについていた少女――矢野 胡桃(
ja2617)が伏せた視線を上げる。
「ごめんなさい? 私、借りはきっちり返すタイプなの。……この間の借り、利子つけて返してあげる」
天使が次の行動へ移すより速くライトグリーンの瞳がその姿を捉え、スナイパーライフルのトリガーを引いた。
●
赤褐色の軌跡を描いた弾丸は風にはためく外套越しに右腕を穿ち、天使の血を山林に散らす。
「ヒトの欲は、怖い」
カラスは、痛みに顔を歪めるでなく短く返しては冷笑した。
「また君か―― 君たち、か」
見慣れた顔の多さに、重ねて零す。こう見えて記憶力は良い方だ。
「他に罠の気配はありません、敵勢力は天使1、サーバント2のみです」
野崎の索敵へ重ねてヴェスがサーチトラップでフィールドの安全を確認し、
(……森へ潜むにも、相手の懐に飛び込むしかないか)
黎は森林内の防御効果を活かせたらとも考えるが、騎士は南北に配置されており、どこへ向かっても攻撃を貰いに行くようなものだと気づく。最悪、挟み撃ちだ。
ひとまず位置は現状維持、ハルヤを背面の盾としアシッドショットを北側の黒騎士へと放てば、着弾と同時に黒い装甲がジワリと腐食を始める。
「奴は俺が抑えます。野崎さん、みんなの援護を!」
同時に動き出した黒騎士が、北は黎、南は胡桃を狙って剣を振り下ろす。
英斗が瞬時に庇護の翼を展開し、二重三重の攻撃を凌いだ。
「くらえ、――セイクリッドインパクト!」
玄武牙が、より強い白銀の輝きを纏う。
黎が防御力を弱めた騎士の、右側面へと回り込んでの天翔撃!
防護壁の発動を封じるが、辛うじて剣で受け止められる。なるほど硬い……が、立ち回りに注意すれば動きを止めることはできそうだ。
「……緋華さん、回避射撃をクロスボウに絞ることってできる?」
「任せて」
背中同士で、黎と野崎が短く言葉を交わす。
先遣部隊合流時に受け取った情報と経験則からすれば、このタイミングでカラスは動く――
「させるか、よ!!」
痛覚の一切を遮断し、マキナが荒れ地を蹴る。
翼を展開していない天使は、即座に空へ逃れることもできないだろう。このまま、そこへ縫いとめれば!
「!!?」
縮めたはずの間が、スッと開く。なんてことはない、突進に合わせて相手も移動したのだ。
北側へ下がりながら、クロスボウからボルトが放たれる。
「へっ、効かねぇなぁ!!」
肋骨の辺りを穿たれ、血の塊を吐き出しながらもマキナは顔色一つ変えやしない。
秒単位の機先。マキナの死活より先に発射されていたなら、恐らく沈められていただろう。
「……雪辱、ね」
口の中で呟き、素早い動作で弓床へ次のボルトをセットするとカラスは狙撃先を変えた。
「そんな言葉を向けるから」
「緋華さん!!」
取って返し、黎が回避射撃を放つ。
「――ッ」
二発が逸れ、もう二発は野崎の胸元へと沈んだ。
「緋華――……」
龍仁の『神の兵士』が反応すらしない。
「急所は外れてる、死ンじゃいねェ」
ハルヤは舌打ちし、傷の深さを確認する。撃たれたのは鎖骨の下、呼吸はしているようだから上手い具合に下手な部分は避けられた、か。
しかし、意識が戻る気配はない。
「わたしの『仕事』はなくならないんだ。有り難いことだね」
天使はクロスボウを右手だけで持ち上げ、森の奥へ後退しながら左手で暗色纏う防護の風――ミストラルを巻き起こした。
それを追うように、森の中を駆ける影がある。エルレーンだ。
(名前は覚えていないけど、クール美人系しゅとらっさーだったの)
※天使です
ということは、頂上にいるのはもっと偉いやつってことかな?
つまり、あれは使いっ走り!
なのに、あんなクールぶっちゃって! ぷぷー!!
忠誠? 強がり? 腹黒? 苦労人?
(それとも、禁断の―― 愛?)
この間わずかコンマ3秒。
エルレーンの腐女子力が飽和し、もう一人の┌(┌ ^o^)┐が生まれ出る……!!!
物音にカラスが振り向いた時、森林の南方にエルレーンの姿があった。
機動力が半減する程の足場の悪さも、彼女には苦にせず駆けまわるだけの『足』がある。充分に距離を取ったと安心などさせやしない。
(初手から、範囲攻撃を仕掛けてくるかとも予想していたが)
対黒騎士に盾役を担う英斗、それから倒れた野崎が範囲に入るよう癒しの風を発動しながら、龍仁はカラスの動向を注視する。
早期決着を望むのは、天使とて同様のはずだ。強硬手段として切り込んでくることも覚悟していた。
しかし今回はドラゴンのように空中から強力な遠距離攻撃で連携を取れるサーバントはいない。
黒騎士の頑健さを軽視するわけではないが、機動力と攻撃射程の長さを持つ敵は、今ここにおいてカラスしかいない。
こちらの戦力行動調査を先に持ってきたのなら、恐らく激化は次のタイミング――。
が、後退したことが裏目に出て、マキナとエルレーンに挟まれているように『見える』。
森の出口にはマキナ、荒れ地には少なくない撃退士たちが控えており、南方にはエルレーン。
一、二手だけではマキナを振り切ることは難しい。が、向こうには三手、行動手段がある。
(北、か)
仮に、抜けることができるとしたならば。
(……緋華が、狙われた)
見てそれと判る装甲の薄さから、一撃で落とせると判断された?
マキナが攻撃に動じなかったことから眼前のもう一人へと対象を移しただけとも思えるが、裏を返せば『徹底的に攻撃を重ねて一人を落とす』ことを選ばなかった、に繋がる。
(……考えろ…… あいつの思考を……、そしてその先を……)
誰一人欠けることなく護りぬきたい。
龍仁の願いは容易く慈悲の欠片なく打ち崩された。
あの広い戦場でのことを思えば、この人数で充分に持ちこたえていると言えそうなものだが――それまでに重ねてきた悔いが大きい。
胸に走る鈍痛を押し殺し、龍仁は盾を構える手に力を込めた。
●
「さぁ、カラス。私とダンスはいかが?」
胡桃は黒騎士の移動とすれ違いに対面の森へと踏み込み、二撃目を放つ。
少女の声は恐らく天使へ届いていないが、正確無比なアウル弾が雄弁に語る。
「この間みたいに、攻撃をただ食らうだけだと思ったら……大間違い、よ?」
自由に翼を使えたのなら、それを許すフィールドであったのなら一足飛びに来るかもしれない。しかし、今は『そう』じゃない。
範囲スキルを使ったなら、守りに有利な森林を自ら削ることになるだろう。わざわざ、そんな手を打つだろうか。
「ビジネスライクな貴方なら、分かるんじゃないかしら? 私は私に出来る『役』を果たす、わ」
仲間が、騎士やカラス自身の足止めをしてくれている。ならば、胡桃は牽制狙撃に集中するのみ。
「あまり、盾から離れるな」
いざという時に護りきれない――龍仁の声へ、胡桃はゆるりと首を振る。だってそれじゃあ、なんのための『武器』か。
胡桃の動きへ合わせるように、黎も黒騎士が移動した後の森林地帯へと飛び込む。
こちらへ背を向けたままの、他方の騎士へとアシッドショットを撃ちこんだ。
胡桃、黎と続けざまに交錯する銃弾に騎士が困惑してると見て、すかさずヴェスも狙撃へ加わる。
高度を少し下げての、ナパームショット。周辺すら吹き飛ばす威力を、それだけの攻撃力を有しているのだと見せつけた。
天使の金眼が、チラリと動く。
(赤い髪の―― 先の戦いでも多少の攻撃には耐えていたが)
猛獣のような男の気迫が何処から来るものか気にならないではないが、確実性・労力の少なさから優先順位を弾きだしていく。
「見えているよ」
カラスはエルレーンの影分身へとトリガーを引いた。
――が。
二発――計八本を撃ちこむも、影は華麗に回避と回避と回避を重ね、掠り傷のみに抑える。
無理かと悟り標的を変えるも、背を向けているようでいて荒れ地組もこちらへ警戒を続けている。英斗は盾で全てを凌いだ。
「そう簡単に玄武牙を貫けるものか!」
呼応して襲い掛かる、南方の黒騎士の攻撃も青年は盾で押しのけ――
「くっ……」
挟撃の形で連携をとってきた他方からは、やや痛めに斬りつけられる。
(むしろ、俺に集まってくれて好都合だ…… 絶対に、耐え凌いで見せる!!)
地上の射手たちは無事に森林へと移動を済ませ、挟撃で英斗を倒せると判断したのだろう騎士たちの目論見も現状では潰すことができた。
実質、首の皮一枚だ。
もしも黒騎士が反転して、黎や胡桃を狙ったのだとしたら守ることは誰にもできなかった。
連携をとる、その基本行動がサーバント側にしてみれば仇になったといえるだろう。
こうしている間にも、アシッドショットの効果はジワリジワリと続いていて、英斗の反撃も通りやすくなっていく。
「イッケメーン!! ケナゲウケェ! ┌(┌ ^p^)┐」
それは、俊足にして唐突だった。
たぶん、カラスの顔色は変わったのだと思う。しかし誰もそれを目にすることはできなかった。
エルレーンの影分身が飛びかかると同時に、その顔面へ本気のprprを繰り返しているからである。
下手なバッドステータスよりも、これは、その、なんだ、苦しい。呼吸以外の意味で。
「オマエノウスイホン フユノサイテンニダス!!」
――3秒。
あまりにも突拍子のない行動に我を失っていたカラスの、背後を取るには十分な時間。
振り払おうと左手を上げる間に、本体であるエルレーンは低い体勢で森林を突っ切り、可能な限りの跳躍から薙刀による痛烈な一振りを下ろした!!
金色の┌(┌ ^o^)┐アウルがほとばしり、まともに喰らったカラスが膝をつく。
「ざまぁm9(^Д^) プギャーwww」
彼女の高らかな笑い声が、カラスを朦朧へ突き落としたことの宣言となる。
「ちッ…… 運のいい……」
じり、間合いを詰めながらもマキナは攻撃の手を休める。わざわざ行動不能としているところを起こしてやる親切もない。
「騎士の足止め、入ります!」
佳槻が合図を叫び、南側の黒騎士へと石縛風を放つ。
英斗へバックアタックを掛けたばかりで、側面がガラ空きだ。防護壁の発動が間に合わず、剣で攻撃を防ごうとした動きが裏目に出る。まともに攻撃ごと喰らって、見る見るうちに石化した。
それを見て龍仁が北上し、対天使への盾となりつつ背後の英斗へヒールを掛ける。
範囲魔法が残っていることを考えると、癒しの風を温存しておきたいところだ。
「大丈夫か」
「ありがとうございます、行けます」
英斗に累積していたダメージもここで全快する。
足場の悪さこそあれ、決して広いフィールドではない。
背に背を合わせたところで、敵味方双方の遠距離攻撃の射程、それにカラスの機動力はすっぽり収まるだろう。
『絶対に安全な場所』など、ありえない。
あると思ったなら―― それは、油断だ。
●
カラスは未だ朦朧状態だったが、黒騎士が石化から抜け出るのは早かった。
「もう少し、固まっていろ」
佳槻が石縛風を重ねて掛け、
「その先へは、行かせません」
彼の頭を越えてヴェスがもう一体を狙撃する。
――ホモクレェ!
奇声が走った。エルレーンの狙撃銃から白銀の┌(┌ ^o^)┐型アウル弾が森から突っ走って黒騎士の側面へ食らいつく。
「隙あり……!」
英斗が踏み込む、二発目の天翔撃が頑強な鎧ごと打ち砕いた。
「……今のうちに、捕捉させてもらうよ」
少なくとも直近の脅威は封じ込んだとみて、黎はカラスに向かってマーキングを放つ。
ダメージを与えないスキルだ、これで朦朧から醒めるということはないし的確に当てられる。解除後の動向もすぐに掴むことができる。
ほんの一瞬の、小康状態。
この間にマキナと胡桃は各々のスキルを再度発動し、時間の経過でエルレーンの『影分身』が消える。
「Watch out!」
黎が短く警戒を叫ぶ、カラスの初動へ重ねるように胡桃が移動しながら先手を打つ。
思いのほか、朦朧からの回復が早い――全くかからないわけではないと判明しただけでも上々か。
「あら。前回から何も学んでいないとでも? あまり馬鹿にしないで頂戴」
木々の合間に、銀の髪が踊る。踊る。
「案外と早いお目覚めなこった――……」
じわり、じわり。胡桃の穿つ弾丸は確実にカラスへダメージを与えているが、黒の外套に沁みる血の色は判断が難しく、外観ではどの程度の痛手となっているかは判らない。
それでも、彼は剣へ持ち替えることなくスルリとマキナの横をすり抜ける。
「!! 待て、逃げンのか!!?」
青年の攻撃よりも、その動きは速い。振り返りもせず、天使はピストルクロスボウを荒れ地へ向けた。
「以前……可愛い牙、と言いましたよね」
ヴェスの援護射撃により被弾を減らし、気絶を免れた佳槻がカラスへ言葉を向ける。
開幕初手に発動していた八卦水鏡による、反射。
受けるダメージが増えれば、それだけ相手への反射も大きくなる。
「あなたの牙は、どの程度ですか?」
(……不思議だ)
窮地だとわかっている、敵を侮っているわけでもない。しかし、佳槻の心は波紋のない水面の様に落ちついていて、戦いに対しての純粋な高揚感だけが明確な輪郭を成している。
丁度ひと頃感じた暖かな感情が冷め、疎外感も悲哀も消えて……逆に、生きている手応えを感じている。
夜空に花火が散る、その直後の静けさの様だ。
「馬鹿になどしていないさ」
カラスの言葉は、さて、誰へ向けたものか。
天使はグイ、と撃退士陣営へと切り込み――進路を阻害しようとする龍仁の動きもひらりと躱す。
「頼もしい仲間からはぐれて迷子になったのかい、お姫様?」
「胡桃!!」
佳槻が振りかえり、目を見開く。
結界は、まだ生きている。範囲内に彼女は居る。しかし、佳槻をギリギリで救った回避射撃の担い手たちは全て技を使い尽くしていて、直接守ることのできる英斗の翼も然り。
森へ身を潜め、カラス単体狙いを重視した結果、胡桃は黒騎士の足止めを中心とするメンバーたちから距離が開いている。
「……私の『これ』は、魔法だって物理だって、墜とす」
避弾と、カラスの攻撃が交差する――僅かずつ、敵の攻撃の勢いが優る。4本すべてを受け止める前に、胡桃は落ちた。
龍仁の悲鳴は、音にならなかった。
「佳槻くん、前だ!!」
舌打ちし、黎は再び風の防護壁を纏ったカラスへ弾丸を撃ちこむ。
ヴェスが続き、森から抜け出たマキナも天翔弓を引き絞る。
「くそッ!!」
放ったアウルの矢が回避され、悪態を吐くマキナの横を風が駆ける。エルレーンだ。
「思ったより、早いお目覚めだったの…… もっと、油断だらけの顔を見せて良いの!!」
カラスの行動が終わり、味方からの集中攻撃を浴びているタイミングでの、再度の兜割り――
しかし、薙刀は空を切り地表を割るに留まった。
「油断はしていない、最初から」
君たちは、怖いからね。
そういって、カラスはクスクスと穏やかに笑ってみせる。
(……胡桃)
二度目だ。
及ばなかった守りを悔いる気持ちを今は封じ、黒騎士が未だ石化中であることを視界の端で確認すると佳槻はカラスへ正対する。
(ただで、噛まれるわけじゃない)
せめて、有益な情報を喰らいついてでも持ち帰る――
憑代へ、アウルによる符術を絡めて式神を作り出す。
「――縛!!」
持ちうる最高の技を、天使へ差し向ける。
「下がれ、佳槻!」
ぐい、と押しのけるように龍仁が割って入り盾となり、その体勢のままで佳槻へ回復術を施す。英斗がフォローに入り、万全に戻した。
回避され、霧散した式神を見つめて佳槻は考える。これまでの有効打、そして効かなかった技。
(虚を突かないと当たらない――。真っ向勝負じゃ難しいのか?)
行動の速さもある。
しかし、残された時間はわずか。
耐えきれば十分といえるが、相手の情報を得られたかと言えば……
一柱の天使と撃退士たちは、睨み合い、互いの機を探った。
●
黒騎士の石化が解けるのと同じくして、カラスは翼を広げた。猛禽類を思わせる、横広がりの黒い翼。
それと同時に地上を蹴る。
「交戦記録は、あまり残したくないんだけど」
目を伏せ、ピストルクロスボウを左腰へ下げ、右に携えていた剣を抜く――
日に透ける刀身。物理的な能力を持たないことが見て取れた。
「!! 来ます!」
後方上空から警戒していたヴェスが、天使の狙いを察して注意を発する。
佳槻の上空で、二度、刃が煌めいた。
吹き降ろす強烈な風。上昇しながら、二連続でダウンバーストを打ち下ろす。
龍仁は自身の盾、英斗は黄金のオーラを纏う光盾で凌ぎ、佳槻は寸でのところで回避に成功する。
「良い的だぜ、じっとしてろよ!!」
すかさず、マキナが再びの矢を放つ。今度こそ外しやしない。
外――
「なんだそりゃあ!!」
たしかに外さなかったが、剣で軽く払われる。手元へ掠り傷を負わせる程度にとどまる。
「……クロスボウの時には見せなかった」
冷静に、佳槻が呟いた。
「武器によって、対応が変わるということか?」
龍仁が範囲回復を発動しながら聞き返す。
(それを言うなら、ミストラルを発動していたのは左手であるし、魔法剣を扱うのも左手か……)
伸縮自在の、鞭を扱っていたあの時も。
撃退士にしてみれば、物理攻撃・魔法攻撃の切り替えは任意で出来るから、都合よく解釈するのもトリックに掛かるような気もするが――
じっくり考え込んではいられない、佳槻は即座に黒騎士へ再三の石化を掛け、射手たちがカラスに向けて攻撃を浴びせる。
「What's up?」
挑発するように黎が視線をやれば、ほんの少しだけ天使の表情が変わったかのように見える。
黎は、彼の使徒の死に、触れている。それを知らぬ『主殿』ではないのだろう。
「君も、元気そうで何よりだ」
「……あっそ」
目の前で友人を落とされて、自身の回避射撃が及ばなくて、黎だって内心は穏やかじゃない。でも、それをポーカーフェイスに押し込んで応じる。
(生きれば、勝ちだ)
もうすぐ――
●
佳槻が二度目の四神結界を張ろうかと案じたところで、上空で羽ばたきの音。
(――……血?)
ぱたり、佳槻の頬へ滴るのは――天使の外套を伝った、赤い血だった。
「残念ながら、時間の様だ」
天使は告げる。
「待ちやがれ、行かせるか――……」
マキナが叫ぶと同時に、死活の反動が体を襲う。それまでの累積ダメージもすべて上乗せして、だ。
エルレーンが、彼を庇うように立ちはだかる。
――雪辱
その言葉なら、カラスにだって当てはまる。使わないのは、私情を挟まないだけだ。
使い始めたなら、終わりがないから。
悔しさを払っても払っても、戦いを続ける限りは勝ちがあり負けがある。
都度都度で、エネルギーを消費してなどいられない。
「『人間』ならば、感情を糧に出来るというのに『撃退士』は煮ても焼いても食えやしない。だから怖いんだよ、『ヒト』というのは」
カラスの言う『ヒト』には、おそらく人界へついた者も含まれているのだろう。
「いつまでも、祓えやしない。――また、会うこともあるのかな?」
カラスも深手を、負っているはずだ。
こちらの想定していた制限時間よりワンテンポ早く、天使は石化の解けた黒騎士を伴い撤退していく。
追いかける撃退士は、居なかった。
●
「――はい、そうです。カラスが―― 他は周辺に異常なし、撃退士の負傷は……」
英斗が、光信機で拠点へ連絡を入れる間、龍仁が仲間たちのケガの回復に努めていた。
他に敵勢力が近くに無いこと、トラップの危険性が無いことは戦闘開始時に野崎とヴェスとで確認してある。
ならば、帰り道の奇襲を警戒して、ここで盤石にして帰還すべきだという判断は拠点からも許可が下りた。
「胡桃」
「……佳槻お兄ちゃん」
気絶からは回復したが、重体の身体は千切れそうに痛い。目を覚ました少女の目に、真っ先に飛び込んできたのは義兄のすまなさそうな顔だった。
「また……守れなかった」
佳槻の言葉に、胡桃が視線だけで否という。
「佳槻お兄ちゃんの結界、ずっと感じてた、わ」
森の中でも。離れていても、守ってくれていた。
佳槻は治癒膏を尽くし、コツリと額を当てる。
「倍返しは、確実に聞いてたと思う」
「ってことは…… 4倍にして返された、ってこと?」
「たぶん」
率直な義兄の返答に、少女は呆れた笑いを空に向けた。
一番傷の深かったマキナも、ようやく身を起こすに至る。
「……あの野郎」
開口一番に、低く呟いて。
「サーバントとの連携パターンはなんとなく掴めた気はしますが……今回と同様に、これ以降も襲撃してくるのかどうか、ですね」
手の内がバレたというのに、繰り返すだろうか。ヴェスが思案する。
「油断さえしなければ、通常の盾で凌げないことはないと感じました」
「英斗くんの盾は、通常より非常に優秀だからね……?」
半ばあきれたように、黎が笑う。
「だれもしななくてよかった」
項垂れたのは、野崎だった。その声は掠れている。
「ノザキさん、オレのこと放置する気マンマンだったでショ」
「初手で倒れて転がしとけば、敵も死んだと思って追討ち掛けてこないだろうって」
「ちょ、ゴウラさん、今の聞いた!? ノザキさんが倒れた後、ずっと守ってたのオレじゃんか!」
ハルヤに揺さぶられ、龍仁は曖昧な笑みを浮かべる。
「……。強羅さん」
少し考えて、野崎は上着のポケットからパスケースを取り出した。そこに挟めている写真を取り出す。
「良かったら。強羅さんが、持ってて」
「……これは?」
見覚えのある青年を中心に、8人ほどの男性が笑ってこちらを見ている。
「伊豆支部を離れる時、塩見くんから貰ったの。向こうの、撃退士のメンバー」
「…………」
「その時のことは、あたしは深く聞いてないけど…… カラスの強襲の結果、非戦闘の援護へ転向した人も一緒にがんばってるんだって」
塩見と最後に顔を合わせた時、意識的に龍仁はその話題を避けていた。
相手にしてみれば、逆に不自然だったということか。
「ひとは…… つよいよ、強羅さん。まもってくれて、ありがとう」
龍仁の返事を待たず、野崎は情報整理の為に皆を集めた。
佳槻だけが、龍仁の手へ押し付けられた写真を気の毒そうに見つめていた。塩見がそれを渡した理由が、なんとなくわかっていたからだ。
●
クロスボウと剣は、恐らく物理と魔法の属性ごとに使い分けられていること。
それ故に、手にしている武器によって発動するスキルが変化すること――今回は未確認だが物理のサイクロン、魔法のダウンバースト。
防護魔法のミストラルに関しては、どちらでも発動が確認されている。
「ん? いくらなんでも、あの短時間で武器の持ち替えはしていないんだ」
「今回のところは、ですね」
野崎の問いに、佳槻が応じる。
「あとは…… 気になるといえば朦朧からの回復の早さ、でしょうか」
「ぜ、ぜんぜん効かないよりは救いがあるけど……、耐性があるんだね」
戦闘時と打って変わって、内気な姿となっているのはエルレーンだ。佳槻は頷き、
「それから、たぶん、深手を受けての撤退かと」
頬に残る血の感触を指先でなぞり、付け加える。想定していた時間ぎりぎりだったから、判断は難しいが――恐らくは。
「……それで胡桃ちゃんが狙い撃ち?」
野崎から話を振られ、胡桃はムゥと頬を膨らませた。
「スピード、射程、的確さ…… この辺りを嫌うっていうか、まあ目立つ攻撃よね」
フリーで遠方からバンバン強力な攻撃を撃たれたら、まずそこからどうにか、と言ったところなのか。近距離であれば飛行なり三回移動で振り切れるが、長射程は何処まで行っても射程内だ。
「サイクロンは使ってないけど…… 胡桃ちゃんの得物よりは射程の短いクロスボウ、と。まあ、あれでスナイパーライフル級だったらメチャクチャよね」
「回復手から潰していくかとも予想していたんだが」
「短期決戦だったから、かしら。優先順位は、確実に真っ先に少ない手数で潰せr ごめん強羅さん、ちょっとブーメラン入ったわ」
野崎が胸元に手を当てつつ。
「そこでいくと、エルレーンさんやマキナくんは、優先順位から外されたのかな」
影分身はスキルを発動できない、それでもエルレーンの生み出した影は天使の攻撃を軽く躱して見せた。――あと一手、受けていたら危ないところではあったが。
マキナは、前回と今回での、手ごたえの差から違和を感じたのだろう。
初手以降、彼らが攻撃されることは無かった。
「接近戦の猛攻で、足止めできると思ったんですけど」
悔しげに、マキナが拳を鳴らす。
最後に放つつもりだった攻撃も、敵が上空に在っては届かなかった。不完全燃焼の思いばかりが渦巻く。
「カラスも私達同様、複数パターンを想定して状況に応じた行動をとったのでしょうしね」
どちらが、どちらのペースへ巻き込むか…… その読み合いだと、ヴェスが言う。
「退けたことには、違いありません。それに、少なからず情報を得ることも出来ました。天使も前線へ関与していると判明した以上、先遣部隊の警戒はより強まるでしょうけれど……」
これまでの纏めに目を通し、己を納得させるように続けて。
「……難儀な仕事が続くようだね、こっちは」
黎が、深いため息とともに髪をかき上げた。
――そうだ。
まだ、富士山頂までの道のりは遠い。
この時点で天使が徘徊していることは、少なからずプレッシャーとなる。
いつどこで、呪歌が口ずさまれるか解からない。
それでも、一手一手を確実に進んでゆくしかないのだ。
またヨロシクね。
軽い調子で、これからも此処で戦いを続ける茶髪のDOG撃退士は学園生たちを見送った。