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カラリと晴れた、祭り日和と言える日だった。
「お久しぶりです、塩見さん、野崎さん」
「こんにちは、お手伝いに来ました」
天宮 佳槻(
jb1989)、ヴェス・ペーラ(
jb2743)の姿を見つけ、塩見の表情が明るくなる。
二人は、ここに支部が移転した際にも共に戦ってくれた仲間だ。
「人手は多い方がいいだろう。片付けや整理が残っているなら手伝うぞ」
後方から、強羅 龍仁(
ja8161)も顔を覗かせる。彼もまた、近隣での戦いへ駆けつけてくれたことがある。
「ありがとうございます、強羅さん」
「僕も、祭りの時間まで支部を手伝いますよ」
佳槻が龍仁へ並び、
「私は、花火大会の会場のお手伝いを考えていました」
「あ、助かります。きっと、ごった返してるかと」
ヴェスの申し出に塩見が頷く。
「お仕事ですものね! 唯、頑張りますわっ! 自由時間の間に、会場の下見をしておこうと思うのです」
張り切る笑顔を見せるのは唯・ケインズ(
jc0360)。
「自由時間は、軽くツーリングしてこようかと思ってたんだけど…… いいかな」
「あら、黎さん」
「まともに顔つき合わすのは久しぶり、かな?」
野崎と友人関係にある常木 黎(
ja0718)は、そう言って薄く笑った。
「お噂はかねがね?」
「……緋華さん」
「ふふ。積もる話は、また後でね。ツーリング、大丈夫だよ」
意味深な野崎の言葉に、黎が狼狽の片鱗を見せたところでこの場は切り上げる。
「花火大会は楽しむつもりで行ってきてください。職人たちも安心して豪快な花火を見せてくれるはずですから」
話しながら、塩見が周辺の簡易地図を配る。
「えーと、それじゃあ…… うん?」
指折り数え、野崎が首を捻る。
学園からは、6名の助っ人が来るという話だったけれど……
唯たちの後をこっそりと追う、青年の後姿。イツキ(
jc0383)だ。
「……まあ、個人的な事情はあるよね」
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佳槻は2階の資料室で、整理に当たっていた。
目張りされた窓ガラスと、ところどころヒビの入った壁が、襲撃当時の惨状を物言わず語っている。
(……あの時、取るべき手は有って、考えにも入れてたのに)
天使の急襲を受けた一件を、佳槻は思い出していた。
会議室を襲われ、同時に階下から侵入の気配。一刻の猶予も許されず迫られた選択。
(結局役立たずだったし、このくらいの手伝いは)
「天宮くん、順調?」
「あ、はい。片付けや掃除なら毎日ですし」
様子を見に来た野崎が、差し入れといってスポーツドリンクを持ってきた。
「あの時は、ありがとうね」
キャップを捻り、佳槻は静かに首を横に振る。
「役に立たなかったー、とか。思ってない?」
「それは」
つい、今しがた。
ペチリ、野崎が自身のペットボトルを佳槻の頬へ当てる。ひんやりとしたパンチだ。
「あの時、ガッチリと階下を押さえてくれてなかったら、今ココにあたしたちはいないよ?」
「……そうでしょうか」
少年の表情は浮かない。
「佳槻君は、あの場所に興味なかった?」
「神社ですか。多分何も残ってないだろうし……今更悪態を吐いたところで仕方ありません」
「というと?」
「此方の慣れこそ、考え直すべき処なのでしょうから」
「……言うねえ」
『こうすれば勝てるだろう』という、一種の戦略テンプレート。
そうした部分へ付けこむタイプの敵なのだと、佳槻は分析していた。
「それじゃあ……『次』は、期待してもいいのかな?」
挑むように試すように、野崎は口の端を上げた。
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軽く会場の下見に立ち寄ってから、黎は反転して山間の道路を走る。
道路が破壊された箇所も残っているので、支部に用意されているバイクはオフロード用が多く、取り回しが良い。
「……あれ、か」
程なくして、話に聞いていた神社が見える。
通って来た道路の荒れ具合を見るに、此処だけ無傷というのがおかしい。
バイクを止め、鳥居を睨みあげてから黎はその下を潜った。
「――どいつもこいつも……」
夏の空に、黎の悪態は吸い込まれていく。
彼女とカラスとの面識は、彼の天使が最初に報告書へ現れた時までさかのぼる。
かといって、出現が推測される戦い全てへ食らいつくことはできず、それは他の名のある天魔たちに対しても同様で。
同じ戦場にあったとしても、戦力バランスを考え他の敵へ当たった方が有益と判断したなら、黎はそちらを選ぶ。
(あちらさんは、こっちへ毛ほどの印象も持ってはいない・いなかっただろうけどさー……)
撃破できたなら最善だろうけど、優先すべきは『課せられた任務を確実に遂行すること』だと黎は考えているから、色気を出した戦いを好まないということもある。
それが結果として、敵に顔も名前も認識されないのは―― ……
(虚しさや屈辱が入り混じるっていうか……)
「あー……」
こういった感情を、上手く言葉にして昇華できない。
人目のないところだから、せめて、空を仰いで悪態を吐くくらいは自分に許してやろうと思う。
「今に見てろ、クソッタレ」
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「今回は、お呼び下さりありがとうございます」
会場へヴェスたちが姿を見せると、DOG支部の撃退士たちもにわかに活気づいた。
「若い女子!」
「がっつくな、危険だと思われる!!」
そんなやりとりに、唯がクスクス笑う。
「日本のお祭りですのね。楽しみですわ〜!」
「お手伝いをしたいのですが、どういったことから始めれば……?」
「屋台へ顔出ししてくれると助かるかな。久遠ヶ原からも応援が来てるって改めて伝えてもらえれば、安心して取り組めるから」
ヴェスは頷き、離れ際に手荷物から――
「よろしければ、皆さんで。これまで、ずっと警戒や注意の呼びかけをなさっていたのでしょう?」
取り出したのは支度金で用意した、ありったけののど飴だった。
意表を突かれ、撃退士たちに笑いが起きる。
「こいつは、たしかに有り難い」
炎天下での作業への、ささやかな清涼剤となったようだ。
それを見守る影一つ。
(唯……っ 声を掛けたいが、我慢だ! あくまでひっそりと見守るのだ俺!)
ワケあって、変装してます唯の兄ですイツキです。
(……唯の動向が気になるが……いや、依頼に専念せねばな)
咳払いをして、気持ちを切り替える。彼女たちとは、別の方向を選んだ。
「唯も頑張っているようだ。メインの祭りで何事も起こらない様、下見でもしておくか……」
「おとーさん、むこうだって!」
「おべんとうわすれるなんて、ばっかでー!!」
イツキの傍らを、小学生くらいの兄弟が駆けてゆく。
(……伊豆での戦いは、話に聞き及んでいるだけだ)
沢山の命が消えただろう。
今も何処かの地が、同じ目にあっているのかも知れない。沢山の命が消えているのかも知れない。
通り過ぎる小さな風を目で追い、イツキはそんなことを考える。
「……俺が運が良いだけ、なのかもな……」
恐らく、死は誰にでも平等に訪れる。
然し、奪われるのは別だ。不当……なのだと思う。
(せめて、消えなかった命の為……その命がこれからも輝き続けれる様、祭を成功させたいな……)
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(思う所で、何も出来なければ……)
じりじりと身を焼くような太陽が、ゆっくりと傾いてゆく。
額に浮かぶ玉の汗は暑さのせいだけではないが、そうと気づく者は居ないはずだ。
体調の悪さを押し隠し、龍仁はゆっくりと立ち上がる。
屋上へ設置中だった物見台も、ひとまず完成となった。
「わ、出来てる!」
様子を見に来た塩見が、驚きの声を上げた。
「これくらいはな。塩見たちは、このまま支部に残るのだろう。夕飯を作っておくが、リクエストはあるか?」
「良いんですか?」
「料理の方が得意だ。静岡の郷土料理でも構わない」
「それは嬉しいな。地元へのUターン撃退士からも喜ばれると思います」
たとえばそれは。
龍仁は助けきれなかった幾人かの撃退士の姿を脳裏に描き、かき消す。
(俺は何をしに来た……。護れなかった、役立たずなのに……)
「強羅さん?」
「ああ。沖あがりも良いだろうかと思っていたが……材料が難しいか」
「そうですね……。あ、だったら! ちんちん揚げ、お願いできます?」
「任せておけ」
油で揚げる時に「ちんちん」と音がするので名前が付けられた、魚のすり身に野菜を混ぜ込んで揚げたものだ。
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「ふーっ、『温泉』とっても気持ちよかったのですわ!」
「事件を解決するのに手一杯でしたので、これまでここの地域の事はあまり知りませんでした」
本格的なお仕事前に、汗を流してきたヴェスと唯も、会場へ戻っていた。
地元の人々も利用する温泉は堅苦しくなく、雑談を楽しむことができた。
「皆さん、これからはここで穏やかに暮らしていけるのですよね」
ごく普通の日常。その貴重さを肌で感じた。
「……気を引き締めてお仕事、ですわね!」
唯は小さな両の手を握りこむ。
「唯はステージの警護を致しますわ。ステージはきっと山程の人が集まるでしょうし。そう言う所は危ないと、唯は思うのです」
「私は花火大会を一望できる場所に移動しますが、何かあったら無線で連絡ください。飛んで行きましょう」
「こちら常木。今、どの辺り? ……了解。じゃあ、逆側に向かうよ」
ヴェスと監視場所の確認をしたあと、黎は一般客の入り始めた会場を見渡す。
(……箸巻きと梅ヶ枝餅は流石に無いのかな)
その前に屋台で食べ物系を見て回っていたが、地方の縁日で気に入った物が見当たらず、少し寂しかったり。
「黎さん、見つけた! あっちで天宮くんが屋台出してたの。ちょっと行ってみよう」
「え」
「あーまみーやくーん!!」
「もしかして、今回を一番楽しみにしてたのって…… 緋華さん?」
わたあめ、イカ焼き、ポップコーン。たくさんの宝物を抱え、両親と歩く子供の姿。
ふいと目を逸らし、龍仁は人の少ない場所を選び雑踏を過ぎてゆく。
心臓の音が、頭にまで響くようだ。
具合の悪さは加速している。
(今更、感傷にでも浸ると言うのか……。滑稽だな……。感傷に浸る権利など、俺にはありもしないのに)
弱さを誰にも見せない龍仁だから、思考が下方向へ進む時も歯止めが効かない。
……とん
膝に小さな衝撃を受けて、そこでようやく龍仁は下を向いた。
「はぐれたのか?」
涙でぐちゃぐちゃになった少年が、彼の足にしがみついている。
はぐれた上に、人通りのない場所まで出てきてしまい、途方に暮れていたようだ。
「せっかくっ、お父さん帰って来たから…… おろどかそぉと思っ……」
(父親は、撃退士か)
「がんばって、ここまで来たんだな。自分の名前は言えるか?」
マインドケアを発動し、少年の心を落ち着けながら龍仁は頭を撫でてやる。
無線で、該当する姓の撃退士がどこの配置についているか確認を取りながら、浴衣姿の少年を肩へ乗せた。
(……然し、唯は大丈夫だろうか。ああ、お兄ちゃん心配だよ!!)
龍仁からの迷子情報へ返答してから、イツキの胸がざわつき始める。
「あ…… 唯の、ビオラ」
ステージ方向から流れてくる。
訪れ始めた宵闇に、それは美しく響いた。
(ということは、唯がステージに!!? あんな大勢の目につく場所へ!? ああ、お兄ちゃん心配だよ!!)
という建前で、妹の晴れ姿をコッソリ観に行こうとしたところへ。
「おにーちゃん、どこー!?」
泣き叫ぶ少女、発見。
兄として。これは、こればかりは看過できない。
「俺は久遠ヶ原の撃退士だ、怪しい者じゃない。お兄ちゃんと二人で来たの? 合流出来るまで、一緒に探そう」
結果として、唯の奏でるビオラに聞き惚れた少女の兄を発見するついでに唯に発見されるイツキであるが、
「イツキ様って、何だか雰囲気が唯の兄様に似てるのですわ」
「ははははは、そうなんだ? 俺とは初めましてだね!」
こんな顛末となる。
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夜空から、音と光が零れ落ちてくる。
降り注ぐような、数多の花火。
撃退士たちは各自の持ち場から、それを見上げていた。
「花火か……あまり見たことがなかったけど」
ヨーヨー屋台の傍らで、佳槻は空を見上げた。
花火が消えて次の花火が上がるまでの、僅かな静けさと暗さが染みるように感じる。
「……以前は、戦う事に怖さを覚えていたような気がするのに」
ふと、ここ最近のことを振り返って苦笑が漏れた。
戦っているだけは、自分だけでも自分の存在を感じられるのだ。
いつの間にか『戦うために』戦っていた?
自分はいわば、不発の花火のような物だと佳槻は考えた。
(多分、あんな風に輝くことはなく、ただ消えていく)
誰の記憶にも残らず、自分がいた場所には別の誰かが何の違和感もなく居ることだろう。そんなことを考える。
それは安らぎなのか。諦めなのか――わからないけれど。
それでも空へ上がる事……戦える事は、幸運だと思う。
花火のような派手さは無くとも、静寂なる闇に瞬く星のように、せめて。
戦いで家族を失った女性が、撃退士へ怒りをぶつけるという場面があった。怒り、或いは嘆き。
彼らに罪は無く、命を落とした者も誇りをもって職務を全うしたのだと彼女にもわかっている。わかっていても、それではこの悲しみはどこへ運べばいいのか。
いっそ、あの花火のように空へ散らせたらいいのに。
泣き崩れる女性をヴェスが後ろからそっと抱き留める。その間に仲間たちが集まり、事態の収束に当たった。
「誰にも大きなケガがなくて良かった……。落ち着きましたか?」
「儘ならないよねえ」
「まったくだ」
互いに会場への注意は逸らさないまま、黎と野崎は言葉を交わす。
野崎の手には、佳槻から貰ったヨーヨーが二つ。
一つは塩見への土産だそうだ。
曰く『腐る物じゃないし、気分だけでも』と。
「それでも…… 次がある、って思えるうちは何とかね」
黎には黎の、野崎には野崎の、それぞれに思うところがある。戦いがある。
ぽつりぽつり、花火の合間にどちらからとなく、そんなことを話した。
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「土産だ。余り気張り過ぎるなよ」
ぽすん、龍仁は静岡遠州名物さくら棒で塩見の肩を軽く叩く。
「ありがとうございます。……強羅さんも、その、無理をなさらないでくださいね」
「うん? 俺か?」
「さくらごはん、美味しかったです。他のおかずも」
龍仁が用意してくれた料理は、少なからず地元に精通しているから出せる味だと感じた。けれど、龍仁は話題にしない。
塩見は、言葉を探す。若輩の自分が、何と言ったらいいのか。上手く伝わるだろうか。
「僕の先輩が、言ってました。ロバの耳って叫べる穴は、掘っておけって」
弱音を吐くことは悪いことじゃない、何がしかの形で吐き出さなければ苦しいだけだと。
「笛が作られては堪らない」
「このご時世、賑やかしにしかなりませんよ。笛太鼓だらけです」
「……そうか」
涙も叫びも花火の音にかき消され、風がさらってゆく。
花火の終わった静かな夜空からは、星の光が淡く輝いていた。