●
からりと晴れた、良い天気だった。
穏やかな風も、流される雲も、どこからとなく香る草花の匂いも。
地域によっては梅雨の影響も出ているだろうに、まるで神様からの祝福のように、暖かで、優しい天気だった。
「あ、見えてきやした。あの建物ですねぇ」
朝の、気温が上がり始める頃。
ヒップバッグへスマホを入れ、そこからヘッドセットを繋げた点喰 縁(
ja7176)が、野崎からの連絡を受け現地と情報をすり合わせる。
「ありがとうごぜぇやす。とりま、戦闘して来まさぁ。何がしか異変が起きるか、状況終了したら連絡しやす」
『よろしく頼むよ。式場は今のところ落ち着いてるし、みんなの出迎えもすぐにできるよう、スタンバイしておくから』
このスタイルであれば、仮に式場側でイレギュラーが起きても縁が素早くキャッチできる。
安心した風の、野崎の声が縁へ届き、そして通信は切れた。
「筧さんを式に間に合わせる為に全力を尽くす。――それだけ、だろ?」
「筧のあにさんのあねさん…… ええいややこしい。成実さんの気持ちも、わからなくはないんでねぇ……。尽くしやしょう、ミソギ」
戦う理由。
その先へ届けるもの。
見えているものは、明確だ。
真っ直ぐな決意を胸に、月詠 神削(
ja5265)が縁へ併走し、光纏する。
友人へ頷き返す職人青年の、胸中は少しだけ複雑だった。
(身内が撃退士で、自分は違う…… 成実さんの、気持ち……)
わからなくは、なかった。
縁は、自分が撃退士としての力に目覚める前の事を思い出す。
従妹が先に覚醒し、久遠ヶ原へ来ていた頃の、自分の感情。
そして、縁自身も撃退士となってから二年目を迎えている。
『撃退士として戦う者』と『それを待つ一般人の身内』、どちらの気持ちもわかるようになっていた。
「曲げさせたくないのよ……」
後方を走る常木 黎(
ja0718)の小さな声が、風に流れて消えてゆく。
(それ、なんだろうなぁ)
縁の心の中に、ぼんやりと漂っているものは。
戦う者の、事情や気概。
それだって、よくわかる。生半可な覚悟で身を投じるわけじゃない。
戦闘が長引いて式に間に合わない状況になれば、戦闘途中であろうが筧を強制的に送り出す作戦ではあるが、具体的な行動を縁は考えなかった。
他に申し出ている者がいるということもあるし、感情を辿れば恐らく、黎と同じようなものだろう。
(ちぃっとばかし、種類は違うのかもしれないけんど)
ちらり、後ろを盗み見る。縁と同じく、筧の直接援護に当たる彼女の表情は、何処か思いつめた――他のメンバーとは少しだけ違った、差し迫ったものが感じられた。
遠方から、野鳥が群れをなして飛び立っていく。
ディメンションサークルで到着して以降、幾度か目にしていた光景だ。
市街地からは程よく離れ、戦いに専念できそうな寂れた地域へ突入する。
野崎より目印だと聞いた少しだけ背の高い廃墟も、その向こう側から響く戦闘音も、陽光にきらめくシルフェの羽もしっかりと確認できる。
晴天にそぐわぬ雷撃が幾度か迸る――夏草の攻撃だろう。
筧は銃を所持しているということだったが、銃声は聞こえない。大太刀で戦闘しているということか。
その代わり、間隔を置いて地を鳴らす重い響きが伝わる。ゴーレムの攻撃か?
「……お花を自分で渡せるように用意しておいたのも、やる気に満ち溢れているのも、結婚式に出席したいからだと思うんです」
目標地点を目を逸らさず、北條 茉祐子(
jb9584)が口にする。
「きっと、そうだろうね」
Camille(
jb3612)が、淡々と同意を示した。
(喪う辛さを知っているから、慶事より人を救う方を選ぶ……か)
資料で見ただけではあるが、想像はできる。
『選択』という形で両方を同時に突きつけられた場合の、当人なりの最善策なのだろう。
(それが焦りを生んで、視界を極端に狭めているんだよね。きっと)
紫色の、宝石のような瞳を細め、言葉なくカミーユは思案する。
「筧先輩が結婚式に参加できるように、がんばります」
意気込む茉祐子へ、青年は「良いんじゃない?」と柔らかく返すに留めた。
●
本日貸切のプレートが下がった、カフェレストラン。
新婦控室として用意された一室にて。
通信を切り、さて、と野崎は手元の封筒をヒラヒラと躍らせていた。
――鷹政が来たら渡してくれ。中は見ないで欲しいが、中身を見ろと電話が来たら中を見て酷く驚いて欲しい。
強羅 龍仁(
ja8161)からの伝言で、成実へ渡すよう頼まれており、内容については野崎も聞いていない。
「野崎さん?」
「ああ。そろそろ交戦地帯に入るって連絡さ。大丈夫、久遠ヶ原の学園生は優秀だよ?」
白い椅子に腰かけ、不安げに鏡を見つめていた依頼主の肩へ、野崎がそっと手を置く。
(……結婚、か)
幸せになってほしいと願うのは、野崎とて同様だ。誓ったその相手を、彼女は喪っている。
「あたしにも、幸運を分けてね、花嫁さん」
(さぁって、カミーユくんにも頼まれたことだし、それぞれに似合った衣装探しを張り切るとするか)
正直、カミーユの衣装が一番ハードルが高い気がする。本人のセンスが良いだけに。
笑いを残し、野崎は貸衣装部屋へと向かうその前に。
「そうだ。これ、頼まれものなんだけど……」
●
舗装されていない道路の先、開けた空地へと出た。
周辺に、精々が三階建て程度の廃墟が幾つか。
撃退士たちの突入方向から、多少の遮蔽物とはなるが戦闘フィールドを見渡すに大きな支障とはならない。
鈍重な動きのガード・ゴーレムたちの背後を、転々と動き回る影がノームなのだろう。
幻想的な美しい羽を持つシルフェは高所を旋回し、中央で戦う二人の撃退士を逃がさない役回りの様だ。
交戦するには距離があり、ノームの動きを捕捉するには至らない。しかし、フィールド中央辺りに撃退士二人の姿は視認できた。
「探す手間が省けたというか、無謀というか……」
目にして開口一番、カミーユが呟く。
銃で距離を取るより、威力のある太刀で斬りつけた方が早い。そんなところか。
隠れもせず、囲まれることを動く手間が省けたと言わんばかりに刀を振るう阿修羅は、その髪と同じように白いコートを赤く染めている。
返り血なのか、自身のそれかはわからない。
(廃墟に潜伏――は、『ない』んだ)
カミーユは事前情報に『敵を郊外へ誘導』とあったことを思い出す。
「ディアボロにとっての『目標』が姿を消せば、引き離した市街地へと戻りかねない……か。ならば、『目標』を増やすことも助けになるな?」
神凪 宗(
ja0435)が、グイと脚に力を込める。
一行より一つ前へ進み出て、こちらの存在へ気づいたらしいシルフェへ、声を高らかに。
「戦いを長引かせるほどに、そちらが不利になるぞ? ――人語を介する知能を持てば、斯様なことなど了承済みか」
たった二人の撃退士を、これだけ取り囲んでも倒せずにいる―― その背後から、不意を突くように姿を見せた一団に、人語を介するかどうか定かではないが、少なからずディアボロたちにも動きに変化が見えた。
「!! 来てくれたのか!」
「今、追いつきます」
紫紺の髪をうなじで纏めた陰陽師、夏草が遠方から振り返る。
陣に結界、フル稼働で筧のサポートに徹しているため身動きがとれないようで、神削がそれで構わないと短く声を返す。
宗へ狙いを定め、シルフェ数体が向かってくる。
直近の一体が、距離の関係もあったのだろうか魔法ではなく降下して杖を振り下ろしてきた。
「そっちから降りてきてくれるなんて、好都合だね」
「月詠、今だ」
「……あぁ」
妖精が振り下ろす杖を宗が軽やかな身のこなしで回避すると、その先端が地面へ食い込んだ。
(細腕にそぐわぬ威力か…… でも、当たらなければ脅威じゃないだろ)
杖が巻き起こす微風にサラリと黒髪を流し、物怖じすることなく神削は神速の拳を繰り出す!
羽の付け根を狙った的確な一撃は、華奢な体を地へ落とした。
「神凪さんっ 右手上空からも接近してますっ!」
桃色の和弓に矢を番え、茉祐子は魔法攻撃発動のモーションをとる上空の妖精へ狙いを定める。
(届くかな…… 届いて……っ!!)
柔らかな、淡紅藤色の光が少女の掌中に宿ると同時に、敵の放つ風の刃と入れ違いにアウルの矢が放たれる。
刃は宗の装束を浅く掠め、矢はシルフェの脚を穿つ。
カミーユも弓を引き、続けて援護を。
「すごいな筧さん、ゴーレムのハーレムですか!」
冗談とも本気ともつかぬ言葉と共に、英斗が手負いのシルフェへ銃口を向け、トリガーを引く。
遠方にいたシルフェたちも、こちらの行く手を阻むべく集まり始めていた。
動きの鈍いゴーレムの一団は遠く、二体が筧へ攻撃を仕掛けている。遠方の二体の陰に、ノームが潜んでいるようで、筧を標的に代わる代わる矢を放つ。
威力はさほどでもないのか、筧は避けようとすらしていない。腕が足が裂かれても、その動きが鈍る様子はなかった。
その代わり、後方の夏草が都度都度で怒号を浴びせているようである。それもまた、届いていないらしい。
(子供にとって、遊ぶ玩具が増えたってぇところでしょうかねぇ……)
結果論に過ぎないが、縁はそんなことを考えた。
数だけで見れば、ディアボロの力押しで撃退士二人など圧殺してしまえそうなものだ。それをせずに、居る。ベテラン二人の立ち回りもあったのだろうけれど。
「……あの時とは、違う」
(ろくに彼の助けになれなかった、あの時とは……)
黎の、愛用のアサルトライフルを握る手に、自然と力がこもる。
力み過ぎないよう自制心と戦いながら、彼女は呼吸を整える。
それは、去年の夏の終わりの出来事。
いつまでも、雨の染みのように黎の心に残る記憶。
(今は)
十全に戦える。
その背を守ることが、出来る。
「案外と厄介だな」
宗を狙う敵の進路を塞ぐ位置で、盾を担う龍仁がこぼす。
救援すべき対象が見えているのに、なかなか辿りつくことができない。
シルフェは一度動きを停められると、次からは警戒するように距離を置いて風魔法を放ってくる。
身軽が信条の宗といえど、度重なれば全くの無傷でもいられない。龍仁が状況に応じ、回復魔法で支援した。
(それでも……挙式には)
彼個人の望みは、筧が『結婚式』自体に間に合うことではなく、スタートである『挙式』へ間に合わせることだった。
妻と死別していることが彼の心に大きな影を落としているのか、あるいは既婚者だからこその、思い入れなのか。
喪ってわかる。そんな言葉じゃ形容できない悔いを、龍仁は背負って生きている。
(鷹政、お前はこんなところでグズグズしている場合じゃないだろう……)
肉親が、片割れが、待っているのだ。
無責任に仕事を放棄しろとは言わない、それでも『選ぶこと』は許されるはずだ。
(お前の為じゃない、お前を待つ成実の事を考えろ)
届かぬ叫びを胸に秘め、三方向から来る攻撃をしのぎ続ける。
「――来た!! 落すよ。……早く、斃れろ……!」
これが最後の障害物。
黎が合図を叫び、渾身のイカロスバレットを放つ。弾丸がうねり、妖精を貫いては地に落とす。
「もう一つ!」
踏み込んで、続けざまに。
「これで…… 道を、拓きます!!」
真っ直ぐな真っ直ぐな茉祐子の矢が、進路をふさぐ最後のシルフェを貫いた。
●
シルフェ5体を撃破し、ようやく先行の二名と合流する。
空中をも『距離』とする敵を相手に、すり抜けようとすれば背を狙われる形になり、結果的に手こずってしまった。
敵が散開しているとは聞いていたが、そこへ集団が現れることでどういった変化が生じるか―― 行ってみなければわからない部分ではあったけれど。
「もうひと働き、いけそうですかい?」
駆けつけた縁が、夏草へ回復魔法をかける。
「ありがとう、生き返った……。スタミナ不足を実感したよ。おかげさまで、僕は平気。そっちの作戦は?」
「筧のあにさんの直接援護と、遊撃としてディアボロ撃破の二班に分かれる手筈でさぁ」
「了解。それじゃあ、向こうの労働過多阿修羅は、頼みます。僕は遊撃班のサポートに回ろう。補助系のスキルはあまり残ってないけど、邪魔にはならない」
――僕の声は、どうやら届かないようだしね。
宵闇の陰陽師は、そう言って苦く笑った。
●
回復魔法を掛けられ、筧の身体が僅か、軽くなる。
気に留めていなかったノームの矢の雨が、逸れてゆく。
(……戦いやすい)
無意識下にそう感じるものの、それが『何故か』まで、意識の沸騰している阿修羅は気づいていない。
「筧さーん、どこー、返事してー」
不意に、視界が塞がれた。
――誰かの、背中。
――聞き覚えのある声。
「見つけた。手伝いにきましたよ、筧さん」
筧の前に出て、庇護の翼を展開しながら若杉 英斗(
ja4230)が頼もしい笑みを浮かべた。
「え」
「よかった、返事してくれた」
派手な激突音が響く。
英斗の盾が、地表をも砕くゴーレムの拳を受け止めた。反動で僅か、青年の足も地に食い込む。
「鷹政、お前はこっちだ」
「強羅さん!?」
龍仁にグイと襟首を掴まれ、改めての治療を受ける。柔らかな光が灯るたび、傷がふさがり血が止まる。
「……ズタボロだな」
「男前だと言ってくれ。俺の依頼ってどうなったの……」
「もう一つ二つ、入ったんだよ」
そこへ一石を投じる、聞き慣れない声。カミーユだ。妖艶な雰囲気を纏う青年の、言葉の意味を把握できなくて筧はじっと彼を見つめる。
「式は時間を延ばしたから」
「え…… 時間? 延ばし、って」
「間に合うよう、落ち着いて冷静に対処していこう。自棄にならず、さ」
カミーユの声は、混戦の中にあって落ち着いたものだった。
劇団に所属していることもあり、『その場に最適な』声のトーンを意識がけることなど朝飯前。
姉が、挙式の時間をずらしたこと。
夏草から、応援の要請があったこと。
筧からの花束受け渡し委任依頼も承知の上で、こうして撃退士が集っていること。
要点をかいつまみ、カミーユが説明する。
「ね。人数も、これだけ増えたんだし」
「…………」
(ハトが豆鉄砲食ってる)
筧の反応を受け、カミーユは胸中で感想を零した。
何故、筧が花束を他者へ託したのか。
何故、筧は無謀な戦い方をしているのか。
そこを考えれば、『有効な言葉』は見えてくる。
それは、シンプルで良い。
彼をよく知っている必要なんてない。
『確実な、現実的な、安心材料』これに尽きる。大切な花束を託す程に、彼が学園生を信頼しているというのなら。
カミーユの声は、言葉は、この状況においてこれ以上のないものだった。
「自分が引き付けるから、筧さんは敵の死角から攻撃して下さい」
「えっ アッハイ!」
最前線で、盾として、そして煌めきを残像とする剣として立ち回る英斗の呼びかけへ筧がカタコトで返事をする、そのタイミングで――
「吹き飛べっ……!」
英斗が真正面から、アーマーチャージでゴーレムへ力押しでけしかける!!
「いまです!」
体勢を低く、地を擦る足さばきで筧が距離を詰める。横薙ぎに刀を振るい、亀裂の入った胴体を砕いた。
「かってェエエエエエ!!!!」
痺れの残る手を振る姿に、周囲に安堵の空気が漂った。
「おかえりなせぇ、あにさん」
「縁君!!?」
「……見えてなかったとか」
「みみみ見えてた、ばっちり!! 今日は猫さん一緒じゃないの?」
「戦場には連れてきやせんよね……? もう少し、落ち着きやすか?」
「やだ、冗談…… ……」
誤魔化す筧の視界が、その瞬間から急に広くなった。
(……あれ)
「援護するよ。早く片そう」
「……黎さん」
「殴ってでも式へ連れてくって人もいるみたいよ。早いところ『仕事を完遂』して、無傷で向かいたくない?」
軽く声を掛け、カミーユは英斗が抑える二体目のゴーレムへと攻撃すべく闘気解放を発動する。
――殴ってでも。
それが誰か、真っ先に思い浮かんで筧は肩をすくめた。
「今日は、筧さんに怪我されると困るんですよね」
二重の意味を込めて、英斗が背中を向けたまま。
「……かなわないな」
「筧のあにさん、泣くのはあねさんの結婚式か殴られて強制退場の時にしてくだせぇ」
「泣いてねーし! 間に合わせるし!!」
「それから壁は俺と若さまに任せて、せっかくの長ぇ射程の得物、威力を見せて下さいやすか?」
「泣いていい?」
(元気そう、だけど……)
回避射撃で援護をしながら、黎は筧の様子を盗み見た。
それまでの傷は、全快している――とはいえ、疲労までは回復することはできない。
(朝5時…… そもそも、それ以前に)
双子の姉の結婚式前日。当日5時に緊急依頼。そして、今。
「黎さんには、借りを作ってばっかりだね」
銃を活性化し、振り向くその表情。いつも見せるそれより、少しだけ覇気が無いように感じた。
「貸しじゃない、返してるのよ?」
静かに静かに降る淡い雪のようなそれは、どれくらい積もっただろうか。
どれくらい、返すことが出来ているだろうか。
●
先の5体が撃破されるのを見て、残るシルフェの動きは慎重なものになっていた。
追えば逃げる、かといって引けば、恐らく移動力に魔法の射程を乗せて攻撃して来ることは目に見えていた。
「遠巻きにしてくれるなら、それはそれで有り難い……か」
視界からは消さないよう細心の注意を払いながら、宗はノームの矢を掻い潜りゴーレム相手にニンジャヒーローを仕掛ける。
「ノームは挑発が効かないというが…… 『盾』を釣ったら、どうくる?」
緩慢な動きで、ゴーレムの1体が遊撃部隊に向かって動き始める。
4体いるうち、1体は合流時点で撃破している。
もう1体は今、カミーユたちが相手取っており。
「……見えた!」
撃退士たちへ接近するゴーレムから離れ、他の『壁』へと向かうノームを、神削が捕捉する。
「逃がさないよ」
「効いてっ! お願いっ!」
移動力を最大限に引き出していた神削が、真っ直ぐにノームを追いかける。
その間に、茉祐子は最前線へ出て、サンダーブレードをゴーレムへ浴びせた。
剣の雷撃はディアボロの巨体へと纏わりついて火花を散らし、動作を麻痺させる。
「絶対に、筧先輩の本当の気持ちをかなえるんです」
(お姉さんの結婚式に、行ってもらうんです)
まだ、茉祐子は当人と言葉を交わしていないけれど。
交友があるという直援部隊の数名と会話している姿を目にして。
――ついでに、やたらやる気に満ち溢れてる特攻阿修羅の回収を頼む
夏草からの依頼内容が、どうして彼女の心へ響いたのかわかったような気がした。
「回復の暇さえ与えるものか」
速攻に速攻を重ね、龍仁がヴァルキリージャベリンで穿つ。
遠く光の軌跡を残して消えてゆくアウルの槍は、様子を伺うシルフェたちにも牽制となろう。
「いつまでも、のらくらと鬼ごっこをしているわけにもいかないしな」
壁を喪ったノームは、小さく弱い。
集中の一撃で沈めた神削が、取って返してゴーレムの背面を取った。
闇を消し飛ばす光が、その拳に宿る。
●
「廃墟にも、隠れている気配はなかった」
「撃破数は僕がカウントしてたよ。誘導した数とピッタリ、完全撃破」
「時間は?」
「11時前…… 余裕……?」
「余裕ですねぇ。はい、一列に並んでー 掠り傷ひとつ残させやしやせんぜ」
全員がぐったりとした表情で、廃墟の一つの下に集う。
最後は、壮絶なる鬼ごっこだった。
地上のノーム1体、空中のシルフェ1体。
機動力のある敵なだけに、取りのがして市街地へ向かわれてはかなわない。
かといって、回避に専念されてしまうと捕捉は非常に困難な敵だった。
ともあれ……敵の殲滅、完了。
敵が潜んでいないか確認してきた宗と夏草が戻ると、縁と龍仁が残っていた回復スキルをフル稼働で全員の治療に当たる。
「車は二台、だったな。一台は俺が運転しよう」
「あ。じゃあもう一つは俺が」
「ストップ」
縁経由で野崎より、レンタカーの駐車位置を聞いた宗が歩き始め、筧が続こうとする背へ黎が呼び止めた。
「あ、えーと…… 私が行くよ。鷹政さんは、休んでなよ」
「? そう?」
どうして、と問われたら返答に詰まったかもしれない。
なんとなく程度に感じていた違和から、黎はもう一台の運転役を申し出る。
「さて、それじゃ式場に行きますか! 花束は自分で渡して下さいね」
「……はい」
英斗の言葉に、筧が小さくなる。
(大切な姉を祝う気持ちの一方で、姉を取られるような寂しさがあったり……?)
距離を置いて煙草に火を点けながら、カミーユはそんなことを考える。
「最悪、間に合わなかったら俺のスーツを貸して車内で着替えてもらおうかとも思ってたけど…… 必要ないようだね」
「月詠君、それは俺に車内で脱げと、そういう算段であったと」
「結果的に…… そうなるかな」
四の五の言ってられないだろう、と真顔で返す神削の髪を、筧がグシャグシャにかき回した。
「それじゃあ、俺はここで別行動だな」
「え。どうして強羅さん。ただ飯だよ?」
「……そこに釣られるのはお前くらいだろう」
嘆息交じりに、龍仁は筧の額を小突く。
「式場には行かず、後片付けをしていくさ」
「後って…… 特にないですけど」
キョトンとするのは、夏草だ。
「今回のディアボロ発生の件はフリーランス経由だったんで、その辺りの事後処理は僕が。片付けるも何も、……ここ、空き地ですし」
「なら、その事後処理を手伝う」
「…………」
筧が、じ、と龍仁を見上げる。
戦闘時においての彼と、変わらないようにも見えるが……
(結婚式、か)
筧は、龍仁の事情を深く知らない。
しかし、撃退士としてなら人一倍情が厚いことを知っているし、普段からの面倒見の良さも知っている。
式への参加は『筧からの依頼』の延長に過ぎない。
強要するものではないし、当人が拒否するのなら、それなりの理由があるのだろう。
「わかった。それじゃあ、夏草君と後は頼んだ。あ、それでも一応、終わったら連絡貰えると助かる」
「……それくらいなら」
●
そして14時を少し回った頃。
双子の姉の結婚式前日。
当日5時に緊急依頼。
バイクを飛ばすこと2時間で現場へ急行。
同僚と二人がかりで住民の避難とディアボロの誘導を2時間がかり。
学園の撃退士と合流し、約2時間ばかり戦闘漬け。
からの、3時間ドライブで式場へ。予約の花束もお忘れなく。
「筧さーん、朝ですよー」
「…………疲れてるなとは、思ったのよ……」
「バッドステータスじゃねぇから、回復スキルでどうのってぇわけにも」
緊張の糸が切れた筧、爆睡からの、起きない。
誰か。
この事態を予測していた、誰か。居ませんか。
「……仕方ありませんね」
眼鏡のブリッジを押し上げ、英斗が真剣な表情で進み出る。
「何か、アイディアでも?」
茉祐子の言葉に、小さく頷きを返し。
「いちばん。若杉 英斗、歌います」
「「な ぜ」」
「シリアスな場面で、重要な存在でしょう!?」
「初耳ですぜ!?」
結論を言うと、到着を聞き涙目で駆けつけた新婦による蹴りつけで、その弟は起床した。
「なんか懐かしい」
という言葉は、その場にいた誰もが聞かなかったことにした。と思いたい。
「お幸せに、成実さん」
笑いを噛み殺し、黎は新婦へ祝福の言葉を。
●
まるで神様からの祝福のように、暖かで、優しい天気。
庭園を彩る季節の花々の香りは優しく、戦いで疲れた体を癒してくれる。
「い、いいんでしょうか」
「良いよー、凄くいいよ、茉祐子ちゃん。瞳の色が綺麗だから、映える色合いにして正解ね」
優しい新緑を思わせるワンピースに、アクセサリーはシルバーで。足元は、ストラップ付のパンプスを。
髪をハーフアップにするだけで、印象も変わる。
「あ、その…… 中学生なのに、参列させてもらって……」
周囲は大人ばかりだから、緊張してしまう。
「お姫様に年齢なんて関係ないったら。可愛い、可愛い」
先ほどから、野崎による茉祐子のドレスアップの手が止まらない。
「この化粧要らずの肌ったら!! あ、色付きリップはしようか。ヤダどうしよう楽しい」
「緋華さん、茉祐子ちゃんが困ってるよ」
「自分で渡すつもりだったのだろう? 何を今更」
「うぐ」
「ほら。ただ一人の姉の笑顔、作ってあげられるのは筧だけなんでしょ」
「うぐ」
宗にカミーユからグイグイと背を押され、筧は往生際の舞台から落とされる。
「たっぷり眠って、コンディションはベストだろう? 他に何かある?」
「いってきます」
神削の言葉がトドメを刺した。
「……めでてぇはずなんですがねぇ。あ、泣いた」
穏やかに披露宴へと移り、撃退士たちも賑わいへと溶け込む。
男性陣はスーツ姿、女性陣はワンピースとショール。
シャツやネクタイの組み合わせにも野崎は無駄に 否 熱心にこだわったらしい。
「宴もたけなわとなりました。それではここで――」
ブーケトスの時間が来て、片隅で静かに雰囲気を楽しんでいた黎の肩がピクリと反応する。
(い、いや、別に欲しいっていうわけじゃ……)
日の暮れかけた空へ、季節の花で彩られたブーケが舞う。
花びらを幾つも散らし――
「……エールなのか皮肉なのか、解釈に悩むね」
すとん。
カミーユの手に、綺麗に収まった。
自身が学園の門を叩いた経緯を思い出し、苦笑する。それでも、花に罪はない。
神様の悪戯がもたらした美しいブーケへ、鼻先を近づける。
「幸運が、舞い込むかな」
●
「残念だったね」
「な、何が?」
「立ち位置変えたの、見えてたし」
くすくす笑いながら、筧が黎へと歩み寄る。
式は無事に終わり、一般参加者は二次会会場へ、撃退士たちは学園へ戻る準備を始めていた。
「はい、幸せのお裾分け。さっき、北條さんにも渡したんだけど。女の子には特別ね」
小さな、白い花一輪。
姉へのブーケから引き抜いていたらしい。
黎の、胸元で握りしめていた拳を開かせ―― 何を握っていたかに気づき、『それ』へ通して絡める。
「あ…… あり、がとう」
小さいながら、存在を主張するように花は香る。
(……今、なら)
『仕事』は終わって。周囲の人もまばらだから、きっと声は他には聞こえない。
緊張の度が過ぎて、眩暈を覚えながら。
黎は顔を上げ、まっすぐに鳶色の瞳を見つめた。
「……好きです、付き合って下さい」
駆け引き無しの、真っ直ぐな言葉。次の瞬間、筧の姿が視界から消えた。
「腰、抜けた……」
「え、え、…… あの」
「だって…… いや、俺、迷惑かけたばっかりで 待って、迷惑しかかけてねーよ!」
指折り数える。
黎と初めて一緒に仕事をしたのは奇しくも二年前の今頃だった。
『あくまで依頼完遂が最優先、だね』
皮肉な言葉に表情、徹底したプロ意識。仕事をする上で、小気味よく会話ができる存在、というのが第一印象。
『螺旋みたいだ』
筧の中で、音を立てるように存在の意味が変わったのは、昨年の夏の終わりだろうか。
居心地の良さの理由は、かつての相棒に似ているようで、もう会えない友人に似ているようで、しかし彼女は『まったく別の』たった一人だということ。
螺旋のように似た軌跡を描きながら、完全に重なるわけではなく、たった一つであるということを、思い知らされた。
全くの無意識の頃から、時間は感情は静かに降り積もり、変化を越えて、今がある。
「自営業だから休みなんてないようなものだし、連絡がそのまま斡旋所に貼り出されるような現状だよ?」
それを、答えにして。
柔らかな芝に座り込んだまま、筧は黎へと右手を伸ばした。
「うわ! な、泣いてるの!?」
「〜〜〜っ」
言葉なく抱き付く黎へ、筧はうろたえながら。
「えー……。これは、サイズ関係ないからね……。手持ちの物でアレだけど。俺からの『約束』」
ヒヒイロカネのウォレットチェーンと並べて下げている編み紐を外し、黎の黒髪をひと房、不器用に結んだ。
ささやかながら、厄除けのまじないが籠められている。
離れていても、なんて柄にもないが。
「筧さん、二次会行きましょ、出会いを求めて!」
式が終わるまで外で待っていた英斗が二人の姿を目にした瞬間の顔は忘れない、とは縁の言葉。
●
(もう、全てが終わった頃か……)
時計を見て、龍仁が廃墟に腰を下ろし、電子たばこを咥えて。
住民への戦闘終了の報告も1時間足らずで終わり、何を思うでなく空を眺めていた。
そろそろ、連絡を―― そう考えていたところに、逆に筧から連絡が入った。
『強羅さん、ごめん! 俺のバイク、回収お願いできる!? 鍵は付けっぱなしだから!! あ、「写真」と交換でOK?』
――バイクで駆けつけそのまま戦闘
そんな状況説明だったか。
了解の意を返し通信を切り、彼もまた思い出す。
(……あの写真、鷹政には話し忘れていたな)
それは、筧を強引にでも離脱させる時の為の『仕込み』だった。
筧には『同じものを成実へ送ってしまったから、取り返して来い』と『切り札』を見せるはずだったが――出番がなかったため、空振りに終わった。
とはいえ、『向こう』には普段の筧の姿の写真。『切り札』は、龍仁の手元に一枚きりだから、どう転がっても誰にも被害は起きない。
あの場で開封して、そのまま姉へ贈ったってよかっただろう。
(鷹政……、お前は間違えるな……)
大切な『家族』の影を胸に、龍仁は夕焼けに染まる空気の中、ゆっくりと立ち上がった。
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それぞれがそれぞれに、きっといつか巡り合う――もしかしたら既に手と手を握る、大切な人の。
幸せを願う気持を花束に代えて、どうか届けばいいと。
祈り、願い、新婦は撃退士たちを見送った。