●
緑の香りが、濃い。何処からとなく、咲きはじめの花々が匂う。
日差しに暖められた風は、芯に微かな冷たさを残す。
四方に田畑が広がり、ポツンポツンと民家が建っている。更に視線を伸ばせば、途中からは無軌道に押し潰されていた。
「……ッ」
無残な光景を前に、山里赤薔薇(
jb4090)は声を詰まらせる。
「酷い、街の人達が帰るお家が……。ボク、絶対に許さないから!」
古き良きジャパニーズハウスは、どれだけ大切に人々が暮らしてきたかを証明している。
どれだけ愛着を寄せられて、歳月を過ごしてきたかを証明している。
犬乃 さんぽ(
ja1272)の肩が怒りに震えた。
(俺らは、ここで戦って『はい終了』だが……)
最新の情報を持つという一般人・安東のいる駅舎の屋根と、線路向こうの、中途半端に破壊された建物を見比べながら、恒河沙 那由汰(
jb6459)は舌打ち一つ。
「――だりぃな。……面倒事は嫌なんだがな……」
憎まれ口を叩き、それに反するように地を蹴る脚へ力を込めた。
(帰る場所…… 俺には、在る)
鈴木悠司(
ja0226)は、広がる現実を青い双眸に映しながら『大切なもの』を其処に重ねた。
他の人にも、そうであって欲しい。そして、それが『此処』というのなら……
(だから、守る)
そも起伏の少ない表情が、戦いを意識することで尚のこと無表情に近くなる。
力を。
誰かにとっての大切な場所を、守り抜く力を。求め、願い、武器を手に。
「あなたが安東さん? こんにちは、ボクはニンジャの犬乃 さんぽ! 久遠ヶ原から、暴れ回る天魔をやっつけに来たよ!!」
小ぢんまりとした駅舎の前に年季の入ったRV車が停まっており、傍らには落ち着かぬ様子の青年の姿があった。
さんぽの朗らかな声に、青年がハッとした表情で振り返る。
「あ…… はい、安東 政広は俺です」
(家族や幼馴染の事が心配で仕方ないんだろう)
自分よりずっと年上の男性が、泣きだしそうな顔をしていて。
若杉 英斗(
ja4230)は、胸の奥が締め付けられると同じ強さで、闘志が燃え上がるのを感じた。
「彼奴らの狙いが何かは分からないけど、安東さんやこの街に住む人達の為にも、天魔の好きには絶対させないもん! 今の状況を、教えてもらえるかなっ」
さんぽに促され、安東は車に常備していたらしい道路マップを広げ、撃退士たちが到着するまでの様子、そして現状を伝えた。
素人目だから、もどかしい部分もあったが、メンバーたちはじっと聞き入る。
「ありがとうございます。……後は私達が解決します。大丈夫、大事な人達はきっと無事です」
だから、今は駅舎から離れて――
見上げる赤薔薇へ、安東の表情が強張った。
「もし、よければ俺も一緒に…… 建物が崩れて地図が役に立たない場所でも……、俺なら町の案内が、できます」
その声は、震えている。
「此処に何か大切な物でもあるのかしらァ? ……私には貴方の気持ちは分からないわァ……。でも、これだけは考えて欲しいわァ」
ずっと押し殺してきた恐怖、多少延長したって耐えられる……居残ると言い募る安東へ、黒百合(
ja0422)が言葉を挟んだ。
彼女の独特なテンポの口調が、程よい間となる。青年は、少女の意見を待った。
「此処で、ただ呆然と見ているだけが貴方にとって最善の行動かしらァ……。自分の出来る最善の行動は何かしらァ……?」
「俺は気休めを言うつもりはねぇ。ここに、てめぇがいても足手纏だ。避難してな」
そして那由汰の歯に衣着せぬ発言に、俯いて歯を食いしばる。
「んー……っ、だったら。せめて、ココで待っててくれると助かるかなッ☆彡」
少し考えてから、新崎 ふゆみ(
ja8965)が妥協案を提示した。
「戦いが終わって安全を確認したら、今度は町の人たちの無事を確認してまわらなくっちゃ、でしょッ?」
――町の案内が
安東に、出来ること。
「でもっ、もしテキが近づいてきたら……車で逃げてねっ、おぢさん☆ミ」
「 おぢ 」
「もち、そーならないよーにふゆみたちもがんばるけど★」
悪気のない女子高生の発言、という名の凶器に絶句する青年を眺めつつ、那由汰が深く長い溜息を吐きだす。
強引にでも避難させようと考えていたが、ふゆみの言葉にも一理あるだろう。
「……出来ねぇ約束を、するつもりはねぇよ」
だるそうに、首の後ろへ手を回し。
「……駅舎に、敵の一体も届かせねぇ」
「僕たちを、どうか信じて待っていてくださいね」
胸元で可愛らしく手を組み、鑑夜 翠月(
jb0681)がにこりと笑った。
ようやく、安東の表情が和らぐ。
「急ごう。一刻も早くサーバントを殲滅してやる!」
英斗が拳を打ち鳴らすのを合図に、撃退士たちはサーバントが迫りくる方向へと目を向けた。
●
「見晴らしがいいのねェ……」
陰影の翼を広げ、真っ先に最大高度から状況を再確認するのは黒百合。
上空の風に、彼女の長い黒髪が躍った。
……前線は維持するには時間制限があるらしく、フイと消えてはまた増えてを繰り返している。
黒色のサーバントは常に体から柔らかな光を発し、ゆらりゆらり的を絞らせず地を走る。
絶えず動いて分身のタイミングもそれぞれだから、どれが本体か見極めるのは非常に難しそうだ。
黒百合からの情報を受け取りながら、地上班も前進を始める。
(専攻を変えたけど、やることは変わらない。奪われないよう守るだけよ)
深呼吸で気持ちを整え、赤薔薇は駅前から少し離れた建物と建物の間へと、体を滑り込ませる。
道路を挟んで反対方向には那由汰が配置についた。
(ここで生きる奴らは、その後もここで生きねぇといけねぇ……。なら……)
小さな駅舎。しかしその駅は、線路は、多くの街へ都市へ繋がる道であり。
自分が壁としているこの建物も、今回の事件で住居を失った人々の拠り所となるはずだ。
消耗品の盾として使うことは、避けたい。
――みしり
巨大蜘蛛が何かを破壊する音は、遠く。しかし、確かに。
悲鳴は聞こえない、空き家か避難済みか……いずれにしても、生きてゆくための場所がまた一つ、傷付けられている。
「出でよ忍馬! ニンジャ合体だ」
九字を切り、さんぽは忍馬――スレイプニルを召喚、軽やかな身のこなしでその背へと飛び乗った。
正面を駆けながら、悠司は闘気解放に縮地と連続して発動していく。
(仲間が来るまで、出来るだけ進行を抑えるんだ……)
「準備できるものが限られていたって、ふゆみたちは負けないんだよっ★ミ」
悠司の少し後方を、水鉄砲を手にしたふゆみが進む。
狼たちに守られ、巨大蜘蛛は町を破壊しているという。前線での戦いが長引けば、建物への被害は大きくなる―― そう、判断して。
「そーれ★ ボクジューシャワーをくらえっ」
前線を抜け、真っ先に蜘蛛自体の動きを止めるべく、ふゆみは墨汁を詰めた水鉄砲を燈狼に向けて一斉噴射を試みる―― しかし。
ふゆみがトリガーを引くより早く、悠司が群れの隙間を抜けるより早く、10体近くの燈狼の群れが、二人へ襲い掛かった。
速い。
「!! 愛のパワァで、まもってだーりんっ☆ミ」
咄嗟に身をかがめ、ふゆみは恋人の写真で強度倍増の盾で身を守る。最初から盾として蜘蛛の動きを止めるつもりだったから、行動は早かった。
一方、走るモーションへ移っていた悠司は完全に虚を突かれ、回避することもままならず爪で、牙で、猛攻を許してしまう。
「しまっ……」
どれが影で、どれが本体か、肉眼では識別できない。
そうする間にも消えたり増えたり、幻燈ゆらめく狼の、その一体が悠司の首筋へ深く牙を立てた!
「鈴木さん……!!」
(この状況で、待ち伏せはできない!)
燈狼を待ち受ける場所まで引き付ける作戦から急きょ変更し、倒れた悠司を助けるべく英斗が飛び出る。
「分身ごと片付けてやる! 喰らえ、ディバインソード!!」
直ぐに判別できないのなら、判別しなくてもいい攻撃手段を仕掛けるのみ――!
叫びとともに、力強く腕を振り上げ、下ろす!
春の空に、アウルの力で形成された白銀の聖剣が幾つも煌めいて反射した。
使い手の意思に従い、黒きサーバントの身体を穿つ。本体も分身も区別なく。
分身は消失し、4つのサーバントの死骸が悠司の周囲に崩れ落ちた。
「お前達の相手は、ボクだっ!」
ふゆみを守るように、さんぽが駆けつける。
「喰らえッ 大地爆裂ヨーヨー☆ストライク!」
スレイプニルの背からヨーヨーを地表へ放ち、分身諸共アウルの土石による爆発に巻き込む。
「これで…… 全部?」
撃ち漏らしへ、赤薔薇がファイヤーブレイクを。
「……行かせるかよ」
群れからするりと抜け、一体だけ駅舎へ向かい始めた燈狼へ、すかさず那由汰が駆け寄るとサンダーブレードで斬りつけた。
一閃。
幻燈と雷光がぶつかり、爆ぜ、そしてサーバントは事切れた。
「大丈夫ですか? 覚えたてのヒールだから……癒されなかったらごめんなさい」
気絶から醒め、ゆるりと身を起こした悠司へ、赤薔薇がライトヒールを掛ける。
「ん。んん……、ありが、とう」
けほ、血の塊を吐きだしてから、悠司は声が通常どおり出ることを確認し、赤薔薇へ礼を。
予想以上に、敵の動きが速かった……完全にイニシアティブを取られてしまっていた。
遮るもののない通りを正面からぶつかり合って、一瞬でも通り抜けられると考えたのが甘かったのだろうか?
隙を作るなら、全員で燈狼に当たるか、戦闘が始まった隙をすり抜けるべきだったのだろうか。
「……あらァ? 地表は綺麗になったわねェ?」
空から、黒百合の声。
時間にして一瞬、けれど流れた血は敵味方夥しく―― 気が付けば計8体の燈狼が倒れ、他に揺らめく灯りは無かった。
●
金色の瞳を、愉悦に細め。
「きゃはァ……暴れられる御時間は終了よォ、さっさとこの世から御退場をお願いしようかしらァ……♪」
高度30mを維持して、尚。
地上に対しても長い射程を誇るスナイパーライフルを構え、黒百合は高精度狙撃スコープ越しに黒色の巨大蜘蛛――餓蜘蛛を覗く。
遠目にもわかる巨躯が、平屋建ての家屋を押し潰す――完全に、隙だらけのその背中。
(牽制する予定は……これじゃァ、変更よねェ……)
上空で、敵味方双方の陣形を握り、万が一の時には注意喚起を叫ぶ位置に、黒百合はあった。
しかし、真正面から切り込んだ悠司・ふゆみへの波状攻撃はあまりに速く。
蜘蛛を、意識しすぎていたからかもしれない。
それを思うと――
「最善の行動、ねェ……?」
自分が、力無き一般人へ掛けた言葉が跳ねかえる。
結果オーライ、狼たちは掃討した。ならば。
切り替え、黒百合は大きな『的』へ向け、強烈なアウルの弾丸を放った。
(……行ける。動ける)
体に違和感がないことを確認し、悠司は再び縮地で駆ける。
(今度、こそ)
鬼蜘蛛が、のそりと押し潰した家屋から頑強な脚を伸ばす。
近隣の家屋、その外付け階段を上がり、直線距離を最短にして、悠司はアサルトライフルで攻撃を仕掛けた!
動きを止めるべく脚部を狙うが――硬い。
「そーれ☆ いっちゃうよー! どっかんどっかんくらーっしゅ☆ミ」
地上からは、ふゆみが逸早く駆けつけ、銃撃でバランスを崩した鬼蜘蛛へとリミッターカットの猛攻を。
盾であり、刃である魔具が、キラキラと攻撃に合わせて反射する。
「シ、シビレルー……!」
反動で動けなくなるのもお約束。
「暴れ足りないわァ……」
ゆっくり降下してきた黒百合の言葉は、戦闘終了を示していた。
「被害は、最小限に食い止められたってことで良いんだろうか」
複雑な表情で、英斗が呟く。
分身を使い、揺らめく燈狼に惑わされた印象が強くて、どうにもすっきりしなかった。
(実体と分身の区別は……攻撃するしかなかったのかな)
影は、分身にもあった。角度を変えたからといって、姿に違和があるでもなく。
それ以上、観察をする余裕は無かったが、『本体に攻撃が命中した場合、分身は消失する』ということは確認できたから良しとするべきなのか。
「最少だろうが最大だろうが…… こいつらは壊されて、そんで……こっから後ろは、丸っと無事だ」
那由汰が、三白眼をちろりと背後へ流す―― 駅舎から、安東が青ざめた顔を出していた。
「おい! 案内すんだろ!?」
「は、はい!」
動けない……というか、腰を抜かしている?
さんぽが駅舎へと向かい、再度召喚したスレイプニルに跨ると、安東へと手を伸ばした。
「短い時間だけど、忍馬で運んじゃうよ」
クライムの技術を持たない一般人だから、さんぽが青年を抱きかかえる。
少女のような外見の少年にエスコートされ、安東から苦笑がこぼれた。
「そうだ。ねぇ、安東さんを待ってる人って、お嫁さん? 恋人さん?」
そして、そのまま表情が凍結した。
●
サーバントたちが進んできた道なりに、家屋は押し潰されている。
逆を言えば『それ以外』は、無事だった。
内心、ホッとしかけた那由汰が、慌てて首を横に振る。
(柄にもねぇ……、笑えねぇ……。くそ……、感化され過ぎだ)
赤らんだ頬を、周囲に気づかれないよう袖口で隠し。
遠く、ふゆみのホイッスルが響く。負傷者発見の合図だ。
「……ふゆみ、あほだから、カイフクとかはできないけど、っ……でも、これぐらい、やらせてほしいんだよ」
倒壊した家屋の、瓦礫を取り除きながら、だらりと伸びる手へ懸命に呼びかける。
血の気の引いた、白い手。仕事で荒れた職人の指先。
両の手で握りこみ、赤薔薇が光を注いだ。
●
春の夕日が、美しく燃えている。
ある程度の遠方は、黒百合が翼で確認をしてきて。
安東の家族は、風邪を引いていた彼の幼馴染の元へ向かい、難を逃れていたそうだ。
ひたすら音を立てないよう身を潜めていたから、通話などに応じられなかったということだった。
涙腺が決壊した安東が、泣き笑いで頭を下げた。
「もう…… 大切なものを奪われるのは……おしまいだって、思ってたのに」
平穏な、平凡な日常に、ドラマティカルでデンジャラスな演出なんて頻繁に要らない。
(大切なモノ……)
青年の言葉に、悠司の心が揺れた。
力。
常に、悠司はそれを求める。
己の無力さを、感じるがゆえに。
大切なモノを奪われる悲しみを苦しみを、赤薔薇は知っている。
祈っても願っても『神様』が救ってくれるわけではないことを、知っている。
それでも――たとえば今日。救うことができた命が、あった。
目を伏せ、間をおいて、それから少女は顔を上げた。
「私たちが……戦います。奪わせません……」
平穏な、平凡な日常を。
大切な人を。
帰る場所を。
県内各地で散発するサーバントの被害。
次は、何処か。狙いは、何か。
日々を懸命に生きる人々が知るわけもなく、わからないまま、日々を懸命に生きている。
生まれ育った、大切な此の場所で。