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木々の芽がふくらみ始めているとはいえ、山の中は未だ肌寒い。
そんな季節。
「山といえば俺の得意分野っスからね! 必ず救出してみせるっスよ!」
「幼女は世界の宝……。何が何でも助けなければ!」
熱意の方向性が甚だしく逆方向に感じられないこともないが、名無 宗(
jb8892)、加茂 忠国(
jb0835)それぞれに燃えている。
山岳地帯で生まれ育った宗には、この程度の山じゃ物足りないかも知れない。
しかし、山は山。
「天気予報は晴れ、ってことっスけど…… 山の天気はコロコロ変わるもんスからね。晴れているうちに、なんとかできりゃいっスですけど」
「レインコートや温かなお茶を用意したのですよー。無事ヤヨイちゃんを助けられれば良いのですが……」
ホッカイロも、ありったけ。
荷物を背負い、Rehni Nam(
ja5283)は遠い山頂を仰いだ。
自分たちは撃退士。多少の無茶は、押し通る。
けれど、攫われたのは七歳の少女なのだ。
寒さ。飢え。不安。押し潰されてやいないだろうか。
「何事も、何かあってからでは遅いからね。ボク達に出来ることをやりにいこうじゃないか!」
暗い表情のレフニーの背を、神崎・倭子(
ja0063)が景気よく叩いた。胸のつかえを吐き出させるように。
(守れる命があれば、なんとしても守る)
周囲への警戒を切らずに進むのは、リチャード エドワーズ(
ja0951)。
何事かあればすぐに前線へ飛び出せるよう、位置に気を付けて。
「天狗攫い、だな」
ランベルセ(
jb3553)は、地上に在りながら自慢の黒羽を広げたまま、宙に向かって呟いた。
人界に興味を抱くが故に雑多に取り入れようとする知識は、時おり偏ったり断片的であったり誰に仕込まれたであったり。
「サバクッタと唱えると、戻って来るんだとか」
「それ、『鯖食った』っスかね? 天狗が、魚の鯖を嫌うっていう」
「真言か何かのようだと感じていたが…… そうらしいな」
宗の言葉へ、ランベルセが頷く。
「……それはそれとして」
野崎が話の方向を変える。
(さらわれた少女が目的だとは考え難いのなら、やっぱり撃退士……つまり、救出にやってくるであろう俺達が目的なのかな)
考えに耽っていた若杉 英斗(
ja4230)が、野崎の声で思考を中断した。
「よろしく野崎さん」
「よろしく…… 久しぶりだね若杉くん。騎士の矜持、今回も期待してるから」
英斗と野崎が共闘するのは、約一年ぶりだろうか。悪魔の支配領域内の、病院でのことだった。
「……や」
「やぁ、黎さん」
常木 黎(
ja0718)とは、今回うわさされている『天使』に連なる使徒の件で、野崎とは戦場を長くしていたが……妙にそっけない。
(『撃退士にしか出来ない事』か……)
依頼の斡旋時、野崎が口にした言葉が黎の心に引っかかっていた。
『戦うこと』それが黎にとっての目的であり手段であり、つまり『理由』で選ぶことはしてこなかったから。
あえて、そうして偽悪的に振舞って来たから。
「『仕事』。頑張っていこっか」
戦う理由は、それぞれだ。
野崎だって、喪った恋人につながる情報を求め――次第によっては復讐さえも考え、撃退士となったのだ。
深入りはしない。
小難しい顔をしている黎を笑い飛ばし、後衛に回る彼女とバランスを取るよう、前衛のサポートへと野崎はついた。
「まさかの前衛特攻隊長っスか!」
つい、と背を押され、宗が驚きつつも頬をかいた。
「まぁ、決定力はないっスけど、山で俺を働かせたら敵う奴はそうそういないっスよ!」
「頼んだよ。一人で一体を相手取る必要はないんだ。うしろには、あたしたちがいるから」
戦闘時の足回りを考えれば、一人ずつ進むことが望ましい道幅。
気づくと先陣を切る形になった宗へ、力を抜くよう野崎が笑いかけた。
●
時折、野鳥が飛び立っては梢を揺らす。小さな獣が茂みから茂みへと移動する。
風の音、草木の音。
自然の豊かさが、研ぎ澄ませた神経に触れる。
木立の向こうに揺れる影。
地面に落ちた枝を踏む音。
感知能力をフルに使う英斗が、軽くめまいを覚える。
「どこからどこまで、警戒したらいいのか」
「面倒なサーバントばかりだな」
ランベルセは、息を吐きだした。
姿を消すもの。
鳴き声で配下に指示を出すもの。
巨体だが、機動力に長けるというもの―― だったか?
「誰が飼っているのか知らないが、趣味のいいことだ」
――時々は撃退士のようなことをしておかなくては。
ついでのように呟き、首を巡らせる。
低く、獣の呻き声が山中に響いた。
「アルネブ……? ウサギとはかけ離れた声、ですが」
レフニーは声の方向を探る。
うまく行けば、直後の敵の動きから『指示内容』を解析でき――
「チッ」
「……来た!」
「!!!」
黎と野崎の銃声が重なる。
ランベルセの黒い羽が散った。
いつから『そこ』に居た?
撃退士たちが山へ入り道を登る間に透羽は既に姿を消しており、指示と同時に解除、阻霊符の効果など気にせず木々を倒しながら隊列の中央部へ突貫してきた……!
回避射撃と乾坤網を重ね、ダメージを最低限にとどめるも、ランベルセの意識は風を切る一撃で刈り取られる。
「そっちも!!」
倒れる黒翼の天使の補助に回ろうと動いたリチャードへ、野崎が鋭い声を浴びせた。
先ほどまで登ってきた経路に、緋色の塊。魔法攻撃発動直前の、透羽。
リチャードは脚に力を入れて、方向転換をする。
完全な体勢ではないが、辛うじて辛うじて、炎刃を受け止める。
「私が相手だ!」
「殲滅は狙わないっても、さすがに無視はできないっスね!」
リチャードが斜面を降り、タウントを仕掛ける。
彼が引き付ける間に、宗が暗色の魔法球を放った。
「名無さん、そのままで!!」
銃を引き抜き、英斗が逆方向から援護に回る。
リチャードと宗による対応で、上手い具合に死角が出来上がっていた。
他方。
「っちゃー。完全にオチてる……っても、回復は後回しだ。ごめんね、ランベルセくん」
「傷は深いが大丈夫! 今は、ボクが守るから!!」
敵の動きに警戒し、倭子はいつでもランベルセの盾となるよう立ち回る。
「今は、私が牙となるのですよ」
ランベルセの血で汚れた透羽へ、黒色の魔法爪が襲い掛かる。
「こういうパターンもアリ、か……」
奥歯を噛み、黎が引導を渡した。
「掠り傷だ」
回復魔法を数度掛けられ、あとは自身の治癒膏で充分だと言ってのけたランベルセは、一呼吸つくなりそう告げた。
「他の敵が集まってきても困るから、早く上を目指そう!」
倭子がグイグイとランベルセの背を押す。
(慣れた……と思ってたけど、状況が違う。それに……)
黎は長い髪をかき上げ、気を引き締め直す。
「『主様』は、一味違うのかな」
黎の思考を継ぐように、野崎が呟く。
姿を限りなく消すに近いスキルを所有する敵――それは、黎と野崎も過去に幾度となく対峙してきた。
宵。鳥型サーバントを使役する女シュトラッサー。今回の事件の背後にいるらしい『天使』は、その『主』だ。
同タイプの能力でも、追加要素、フィールドの変更、目的によって指示を変えれば動きも自然と変わって来るということか。
「撃破したのは二体。その後、追撃なしでウサギさんの位置も特定できず。厭な感じだね」
「不意打ちを回避するのは難しいだろう。先に気づくことが出来れば、それは不意打ちではないのだしな」
では、どうするか?
作戦に、大きな抜け落ちはないか……?
●
「透羽来たよ!!」
黎の声が鋭く走る。
「倭子ちゃん!」
「飛んで火に居る夏の虫? 上等だね……!」
素早く立ち位置を代わり、倭子が盾役を担う。その隙に、黎はマーキングを。
命中すると同時に、サーバントの身体は紅蓮に染まり、炎の刃を躍らせる。
「燃やせるものなら、燃やしてごらんよ!!」
後方を崩すわけにはいかない。強気な瞳で、倭子は炎に臨む。
「!?」
「ちょっ、どういう……」
敵に見つかれば瞬く間に打ち倒されてしまうというのは、『敵』も承知の上なのか――その上での指揮なのか?
まるで自爆にすら見えるような炎は、クリティカルアタックとして盾ごと倭子を飲み込んだ。
「前方! 油断しないで!」
こっちは大丈夫――倭子の容体を確認し、レフニーが叫ぶ。
「来るとわかってりゃ平気っス!!」
木を薙ぎ倒し、地を這う音が近づいている。
「う、わ」
木が…… 登山道へと倒れ込んでくる!
英斗たち前衛に詰めていた撃退士が避けようとする、その向こうからサーバントの赤い背が覗いた。アクラブだ。
強くしなりを作った尾で、倒れた木々ごと地面を薙ぎ払う!!
「……っっ!!」
宗が、高く吹き飛ばされる。
「名無さん!!」
耐え抜いた英斗が叫ぶが、返事はない。
「上だ!」
間髪入れず、リチャードが叫ぶ。
上空には……『いつからそこに居たのか』。
紅蓮の鳥が、まさに炎の刃を吐きだそうと、していた。
土煙が巻き起こる。
気を失い、防御行動のとれなかった宗が倒れ伏し、更なる追撃さえ受けかねない状況で。
「……はは、やめらんないねぇ。『病み付き』だ」
黎が、前衛陣を襲うサーバントを射程に収め、バレットストームを放った。
心なしか、自嘲的な笑みが浮かんでいる。
「あとは」
「私たちが」
「ぶん殴る!!」
「騎士らしくないよ!?」
愛用の白銀のトンファー『双龍牙』で硬い表皮ごと打ち砕いた英斗へ、思わずリチャードが言葉を挟んだ。
叫びながらも、上空の透羽を、ショットガンで的確に打ち落とす。
●
倭子は気絶にとどまったが、宗の負った傷は深かった。
命に別条はないだろうが、しばらく目を覚ます気配はない。
「とにかく、早く任務を達成して山を降りましょう」
宗を背負い、英斗が先を促す。
「到着した瞬間に集中攻撃! なんてのはゴメンだね。あと一歩、ってところが要注意だね」
もう少しで山頂―― 先ほどの攻撃こそ、それだったのかもしれない。
「人間の顔はあまり見分けがつかないが、そうそう子供がうろついていることもないだろう」
開けた場所へ到着し――ひときわ強い風が吹き付ける。
ランベルセは片目をつぶり、周囲を視界に納めた。
「なるほど、石碑に…… 神社って、あれかな」
英斗が、気に掛かる箇所を見つけた。
「注連縄が、ない?」
小さな鳥居。その向こうの社。垂れ下がっているはずの注連縄が、存在しなかった。
「罠らしいものは見当たらないけど……」
「探知できました。社の中に、います」
レフニーの声が、かすかに震える。
居ることは、確かだ。
しかしそれが、少女か。サーバントか。或いは天使か――? そこまでは、わからないのだ。
「弥生嬢を模した幻影なんて可能性もあるけど。試しに攻撃するわけにもいかないし、そこは腹を括っていくしかないね」
「はい、なのです」
手を握り、倭子の言葉にレフニーが頷いた。
「少なくとも『他』には、いないはずです」
レフニーの能力で確認した、18メートル四方には。
範囲外からの突撃も考えられなくはないから、最後まで油断できないが。
こん、こん。
膝を落とし、倭子が社の扉を叩く。
「誰か。いるかな?」
「……っ、っ」
ドン、
返事は一回。
「弥生嬢だ!」
精いっぱいに体を伸ばし、足で叩き返したのだと知る。
内側に破片が飛ばないよう注意を払って、木製の扉を叩き割る。
注連縄を使って、拘束されていた少女の姿があった。
「私たちが」
女性同士が、こんな時には適任だろう。倭子とレフニーが、ケアに回る。
「私は神崎・倭子だよ。久遠ヶ原学園から来た、撃退士。助けに来たよ」
「同じく、レフニー・ナムなのです。……ゆっくり、ゆっくりで大丈夫ですよ」
縄をほどき、赤くなった部分へ応急箱の薬を優しく塗り込みながら、レフニーが抱きしめる。
双眸に涙を湛えた弥生は言葉を発することすらできず、小さく震えていた。
今すぐに行動を、というのは難しいだろう。
甘いいちごオレを与えて、感情が落ち着くまで待った。
宗が彼女に渡そうとしていた、カロリーブロックも一緒に。
●
翼の音が近づき、ランベルセが顔を上げた。
「驚いたなぁ」
猛禽類を思わせる黒い翼は、ランベルセのそれと似た類に見受けられる。――その持ち主が、上空で笑っていた。
「君は、翼を持つのに飛ばなかったのかい? ――飛べなかったのかい?」
「……何を」
「上から見れば、よくわかるのにね、ってことさ」
布を乱雑に巻きつけた、黒衣の天使はそう言った。肩より下の、真っ直ぐな黒髪。冷たい、金色の瞳。
――ギリ
黎の隣で、歯を食いしばる音がする。
「緋華さん――」
彼女の顔が、憎悪に染まるのを……初めて目にした。
「俺達になにか用があって、こんな回りくどい事をしたんじゃないのか?」
射撃手たちを背に回している英斗は、気づかないまま天使へと語り掛けた。
「……今回のことは、未成年者略取という罪で非常に心証が悪い」
不機嫌な顔でランベルセが続く。
「天使ならば、あまりつまらないことをするなよ」
「はぐれた身に、言われたくはないことだ」
天使は弓なりに目を細める。
「山を登って人探し。そこへ人数を割いている間に、もう一つ向こうの山でゲート術式を完成させる。というのは、どうだろう」
英斗と野崎の顔色が変わった。かつて悪魔に、同様の手口を使われたことがある。
「あるいは、遠方で苦戦している同朋を、少しでも助けるべくアチラへ回る『撃退士』の数を減らす。これもいいね」
(聞いて答えるとも思っていないが)
天使の表情、仕草、声色をランベルセは注視した。
(子供がいる。交戦は避けたいところだが、仕掛けて来るようなら手札を探っておきたい……。どう出る?)
「場合によっては、ここで山を爆発させても面白かったんだけどね」
パチン、指を鳴らして天使は笑った。
「まだまだ、山の中にはわたしの『子』が散りばめられている。帰り道には気を付けるんだよ」
遠く、アルネブの咆哮が響く――
撃破した敵は何体で、残るはおおよそ、何体だったか?
●
「よし、もう大丈夫だよ」
帰りはひたすらに走り戦闘を回避して。
ふもとの町へ辿りついたころには、一同の身体から力が抜けていた。
ランベルセに抱えられていた少女へ、英斗がチョコレートバーを差し出す。
「ミッションクリア、それ以上でもそれ以下でもない、か」
「上々だと、思っていいんだろうね」
不満そうな黎へ、倭子が並ぶ。
どうあっても敵の深追いはリスクが大きかったし、予見するにも限界があった。
今だからこそ『ああしておけば』だなんて、言えるのだ。
「……ざっけんな」
片手で顔を覆い、絞り出すような声で野崎が呟いた。
撃退士だからできることを。
そう、思ったのに。
撃退士を釣るために、一般人の、年端もいかない少女を攫った――?
「…………ふざけるな」
冷たい風が、小さな声をさらって消えた。