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朝日が昇るには、まだ早い。
微か、星のまたたきが弱くなるかどうかという頃合。
(空が……赫く燃えている)
不自然に赤い空を、熱量を持つ明るさを、各務 翠嵐(
jb8762)は遠く眺める。
「武士の心得ひとつ、『武士は民を守らねばならない』だ」
懐中電灯で、未だおぼろげな足元を照らし酒井・瑞樹(
ja0375)は駆ける。
延焼の恐れはないというけれど、確かに照明の役割になるだろうけれど、燃えていいものが燃えているわけではない。
小さな集落の、人々が寄り合っていた建物だ。
「人の命を全て救おうとする事の何が悪い。私は、私自身を含め全て守ってみせる」
大炊御門 菫(
ja0436)の声は、輪郭があいまいな時間帯に凛として響く。
依頼が出されたのは夜のこと。出発までに住民票を借りる時間はなかったが、せめてもとハンドスピーカーをその手に。
「夏草」
菫の言葉に視線を向けていた陰陽師へ、小田切ルビィ(
ja0841)が呼びかけた。
「状況から推測すると、敵は高機動型の可能性が高い。韋駄天で皆の移動力を上げて貰えると凄ェ助かる」
「わかった。適宜サポートはしていくつもりだけど、他に必要なことがあればいつでも声をかけて」
闇夜に浮かぶ雲のような、ふわりとつかみどころのなさげな男は、案外としっかりした声でうなずきを返す。
走りながらの打ち合わせは、ごくシンプルに。
目標地点へ到着する頃には、幾分か視界も明るくなっているだろう。
(この、緊張感ね)
言外に伝わる張り詰めた空気。
芹沢 秘密(
jb9071)は口元に冷たい笑みを浮かべた。
待ち受けているのは崖っぷちの状況からの、起死回生の逆転劇。
(生きる意味。賭けるに値するゲームだわ)
身体の芯まで冷えるような、時間と舞台。
「存分に楽しみ、そして救いましょう」
賭けなんて表現は、不謹慎? ――否、誰だって気づいているはずだ。
戦場とは自身の命をbetして、勝利を得るための場であると。
リスクが高いほど、リターンが大きいことを。
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風が動いた。
次の瞬間、家屋が横から崩れ、つぶれた。
到着した直後の出来事に、撃退士たちは言葉を失う。
威嚇するように毒針が足元へと連射され、アクラブと称されるサソリ型サーバントは集落の奥へと瞬く間に姿を消した。
(依頼だから助ける、それ以上でも以下でもねぇ……ねぇんだよ)
ざわり、背筋に冷たいものが走るのを感じながらも、恒河沙 那由汰(
jb6459)は己へ言い聞かせていた。
理由。
理由が必要だった。
過去を悔やむ那由汰にとって、『他の誰かの為』に動くこと、は。
「いいか!! 俺たちが良いと言うまで、決して外に出るな! 物音も立てるんじゃねぇぞ!」
「学園から派遣された撃退士です。しばらく戦闘音がしますが、退治を終えた後にお知らせしますので、今しばらくご辛抱下さい」
「建物が倒壊するかもしれない。万一に備え、机の下などに隠れていてくれ!」
上空から、ハンドマイクを通して那由汰が荒っぽく叫ぶ。
翠嵐と菫が、それに続いた。
(人が死ななければいい、ではあまりに想像力が無さすぎる)
凍てつくような視線を、秘密は倒壊した建物へと走らせた。
この時期に家を失い、一体どこへ行けば良いのか。
集う場所は今も燃え続けている。
連絡を受けた当初、『サソリもウサギもさして知能の高いサーバントとは思えない』と彼女は断定していた。
それは、何を根拠に?
――遠く
家屋が押しつぶされる音。
地を駆け回るサソリ、つかず離れずを保ち行動するウサギ。
――なんらかのサイン交換を
事前情報に、あったはずだ。それは何を意図しているのだろうか。
「行くよ」
紫紺の髪が、眼前で揺れた。夏草が、範囲内の仲間へと韋駄天を掛ける。
「……早く倒して、ゆっくり空見たい」
自身の体が軽くなったことを実感し、七ツ狩 ヨル(
jb2630)は明け方の空へと羽ばたいた。
人界の空が好きだ。夜明けの空に見惚れ、この世界を選んだ。
繊細な星の輝きも、淡い月の光も、強い太陽の光も――
炎に照らされる空を、しかし美しいとは感じない。
「家屋が倒壊している方面を辿れば尻尾を捕まえられるだろう。戦闘に適した場所なども見つけ次第、連絡するよ」
短く告げ、翠嵐もまた上空へ。
人工物が壊されるくらいなら未だいい。
被害が周辺の自然へと及ぼうものなら、本格的な復帰にも時間がかかるだろうし何より翠嵐の優先順位として許せない。
翼持つ者と地を駆ける者とに分かれ、夜明けの攻防は始まった。
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「……ハッ、蠍と兎かよ。どっちもオリオンに纏わり着いてる連中だぜ」
空に輝くオリオン座へと視線を走らせ、ルビィは愛用の大太刀を活性化する。
天魔を打ち倒す撃退士は、さながら『狩人オリオン』といったところか?
「目立つ方が敵を誘き寄せ易いだろう。私が先を行ってもいいだろうか」
視界に不自由はしなくなっているが、懐中電灯をチカチカと点滅させて瑞樹が申し出る。
あえて武装を解き、逃げ惑う一般人を装う。
サーバントに、撃退士と一般人の区別がつくかはわからないが、単体で怯えている様子を見せれば何がしか違う反応を得られるかもしれない。
「ウサギやサソリを見つけたら、わざと悲鳴を上げてこちらに気付かせるのだ」
「敵を誘い出す為……か」
若干、危険な気もするが。菫が顎に手を当てて思案する。
「いや、案外イケるんじゃないか。アチラの体がデカイのは見ての通りだ。釣られて出てきたら俺が挑発で吊り上げる」
「その後ろから石化ですねわかります」
「話が早ェ」
言葉を挟んだ夏草へルビィは片目を閉じ、瑞樹の盾となれるようわずか後方についた。
一段と空気が冷え込む時間帯。
「肺の中に冷気が満たされていくこの感じが、集中力を高めてくれるの」
上空班から戦闘に適した場所への連絡が入る。
それと同時に、秘密は敵の動きへ耳を澄ませていた。
「――来る!」
瑞樹の電灯を狙うかのように、倒壊した建物を超えてウサギ――アルネブが押しつぶしを掛けて来る。
素早くルビィが位置を変わり、カイトシールドを緊急活性させる。
「大炊御門さん、待って!」
「何?」
対して、夏草が声を上げる。
「魔具から手を離したら……アウルを通さなきゃ、ヒヒイロカネに戻ってしまうよ。トラップにしたかったみたいだけど」
「む……」
地上に槍を突き刺し、そこへウサギが飛び込めば労なく串刺しに――確かに、そう考えたのだが。
手を離し一瞬でヒヒイロカネに戻るでもないだろうが、このうす闇の中で地面に転がったソレを逐一拾うわけにも行くまい。
「酒井さん、逆方向よ」
秘密の呼びかけへ、瑞樹は瞬時に刀を抜く。
背後の敵は石縛風に掛り動きを止めている。じきにルビィが挑発をかけ、連絡を受けた場所へと誘導するだろう。
「これ以上、町を破壊させないのだ!」
跳躍ではなく、突進からの鋭い噛み付き攻撃が少女を襲った。腕に激痛が走る。
「肉を切らせて、骨を――断つ!!」
「これならば、確実だろう?」
痛みに耐えた瑞樹が重心を低くし、右足を踏み出して敵の後ろ足――機動力の要へと斬りつける。菫は流れを受けるように側面へ回り込み、胴体へと深く深く槍を突き刺す!
散り際に、アルネブはその姿から想像のつかない奇声を上げた。低くうめく、獣のような。
「仲間を呼ぶつもりかしら」
「連携攻撃をされると厄介なのだ……」
隙のある跳躍に気を取られ、側面から突進されては回避はかなり難しいだろう。
瑞樹は体感速度を思い返す。
「ハンドスピーカーで鳴き声を打ち消すことはできないか?」
「ただの『音』なら可能かもしれないけど、天魔による魔法的なものであれば難しいんじゃないかな」
見上げる菫へ、夏草が首を振る。
「撃退士の放つ雷状の魔法は、避雷針で対応できるかな。そう考えてもらえればわかりやすいだろうか」
「なかなか……うまくいかないものだな」
「そのための、撃退士なんだと思うよ」
自分たちにだけ、発揮できる能力。扱える武器。
「ひとりじゃ無理なことだってある」
「それは!」
ふ、と瞳から光を消した夏草へ、菫が言い募った。
「手の届く範囲を広げていけば……、全てを助ける事が出来る筈」
必ず。
「……うん。うん、そうだね」
まぶしいものを見るように、夏草は菫へ目を細めた。
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ぐしゃり。
ぐしゃり。
もっと他に、表現方法がないのか?
単純な響きが届くたびに胸がざわめく。
つぶされた建物に、人は居たか。
隙間へうまく逃げることができているのか。
「助ける? 俺が? ……はっ、笑い話にもならねぇな……」
笑えない。嗚呼、ほんとうに笑えない。
横殴りにしてくるサソリの尾を、避けるでなく受け止めて、那由汰は自嘲した。
その背には一軒の民家。
「うざってぇ……節足動物がいきがんじゃねぇ!」
尾を振りぬいて出来た隙へ、鎖鞭による攻撃を。
「出してみろよ、毒針をよ!! 他に動きようがねぇんだろ!?」
絡めとり、引きちぎる勢いで揺さぶりをかける。
「関節とか狙えれば、少しは斬り易いかな……」
わずかな隙に、属性攻撃の準備を整えていたヨルが上空から舞い降りる。
「そろそろ朝だから……サソリは消える時間」
魔法属性の斧槍が、甲殻の隙間へと鋭く差し込まれ、胴体を分断した。
「……毒」
「ああ? こんなの、ツバつけときゃ治る」
発射された毒針を、那由汰は防御するでなく受けていたようだが……案じるヨルへ、なんでもないと手を振られる。
「小せぇダメージを気にする時間がもったいねぇ」
「……そう、だね」
言おうとしていることは、なんとなくわかる。
守りたいものは一緒だ。
あの音を聞きたくないのも。
(思い出と共に、希望の灯りも焼き尽くしてしまうつもりか)
燃える建物の近くまでアクラブを誘導した翠嵐は、応援の到着まで遠距離攻撃による牽制で場を保つ。
蛍のように。ひらり、ひらり、火の粉が薄闇に舞う。
夜が明け始めた空気は、夏の宵の口のよう。
「機動力が脅威なら、この場に縫いとめてしまえばいい」
先陣を切って姿を見せたのは、菫だ。
繰り出される鋏による攻撃を、銀の光輪を放ちその力を減衰させる。
「永久の静寂に包まれながら散りなさい」
「悪ィけど、神話通りにヤラレてやる義理は無いんでな……!」
生じた隙へ、秘密のアイスウィップ、ルビィの封砲が地を奔り襲い掛かった。
「アルネブは?」
「狩り終えた!!」
菫が短く応じ、再びサソリの攻撃を弾き返すと同時に留めの一撃を打ち込んだ。
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悪夢のような夜が明ける。
透過能力を持つものたちが、潰された民家の様子を確認し、生存者の救出に当たる。
「……あ。大丈夫、俺、悪魔だけど撃退士だから」
母に抱きかかえられ、目に涙を浮かべている少女と視線が合い。
かといって動じる様子を見せるでなく、テンション低めにヨルが説明し――
「そうだ……」
携帯してきたものを思い出す。
「寒かった……よね」
小さな手へカップ、そこへカフェオレを注ぐ。
――あたたかい。
ずっとずっと耐えてきた叫び声をあげ、ようやく少女は泣き出した。
悲しみと――安堵と。
温かな飲み物は、ひとのこころをほぐす。
(足りるかわかんないけど……)
もって来ておいてよかった。
自分の好きなものを、受け入れてもらえてよかった。
「夏草さんも一緒にどうだ?」
「いや、酒井さん、その前に傷……」
「手当てをしてもらったから、大丈夫なのだ。血は止まっている。動けるのなら、力の限り動くのだ」
「……だね」
囮役も務め、深く傷を負った瑞樹だが、『武士の心得』を見失いはしない。
全焼し燻る建物への最後の鎮火活動に汗を流した。
「オメェらはまだ生きてんだろ! だったら諦めんじゃねぇ! 最後まで生に縋りやがれ!」
他方で、潰された家屋を前に崩れ伏している人々へ那由汰が声を荒げていた。
(あいつは生きたくても生きれなかったんだ……)
それは、おそらく那由汰が背負い続ける十字架なのだろう。
どれだけ悔やんでも取り戻せやしない命の灯火。
「大丈夫……、ほら、山は無事だからね。この場所での生活は、取り戻せるよ」
悠久の時を生きてきた翠嵐は、やさしく背を撫で。
「麓で、受け入れ態勢が整っているそうだ。まずは、そちらへ避難を」
菫の声が響く。敢えてハンドスピーカーは使わず、少人数で団体を作るように、撃退士たちで守りやすいように。
「空に輝く神話の英雄も怪物も、日が昇れば消える。ここから先は人の力で切り開く時間ね」
「……オリオンって、サソリが怖いから西の空に逃げるって言うけどさ」
秘密の声を聞きながら、ヨルは夏草へ星座図鑑を開いて見せた。
「敗北から学んで慢心を捨てたオリオンは、サソリよりも先にある物……たとえば太陽に気付いて、撤退するって行動が出来るようになった……とか、ないかな」
「……新しいねぇ」
悪くない解釈に、夏草は表情を和らげた。
悪夢のような、夜が明け。
新しい朝、一日が始まる。
気がつけば、天上のオリオンは何かから逃げるように、あるいは何かを追うように。姿を消していた。