●
黄金のドラゴンが火炎球を吐き出し広域の地表を焼き払う。
遮るものを尾で振り払い、或いは牙で喰らいつく。
飛び交うアウルの弾丸は、矢は、光は、銀色に輝きを放つ盾を貫くことができない。
虚ろな眼光の騎士たちは射出される矢のスピードで距離を詰め、鋭い刃を繰り出した。
近隣の戦況を伝える通信機からは、悪い情報ばかりが流れてくる。
「久遠ヶ原から応援が到着した! 路を開けろ!!」
最後方の部隊からの伝令は、瞬く間に最前線まで駆け抜けた。
限りなく賭けに近い、危険を伴った策を学園へ要求し――そして、受諾した若き撃退士たちが遂に到着したのだ。
騎士に、ドラゴンに、潰されてゆく部隊の一方、頑健に耐え続ける部隊が盾となり壁となり血路を拓く。
「行け! 頼む、どうか――」
願いを託す企業撃退士の声が風のように消えてゆく。
夥しい血の流れる平原を、若き撃退士たちは目標地点まで振り返ることなく駆け抜ける。
それは、東方戦線を貫く一条の光の如く。
●
季節は冬、しかし寒さを感じる余裕などなかった。
(……ま、死地に行くのと死にに行くってのは、ちょっと違うわよね)
御堂 龍太(
jb0849)は考える。
自分たちが大将首まで届くようにと最善を尽くす撃退士たちが倒れてゆくのに、手を差し伸べることも許されない状況を、考える。
「あたし達は死ぬ為じゃない。生きる為にここにきたのよ」
手を差し伸べることはできないが、せめて言葉は届けよう。
自分たちが生還し、そして道を付けた者たちも生還するよう。
「使徒を倒して統制を乱し、他部隊が押し切ってくれるのを願うか……」
こちらも、僅か12名。使徒と大天使が待ち構える部隊へ、充分な数と言えるかどうか。
自分たちは、矢に過ぎない。
撃退士勢力全てを賭して、初めて戦局を押し返すことになるだろう。
努めて努めて冷静に、龍崎海(
ja0565)は周囲の状況を視界に入れながら先の展開を考える。
「ようやく京都を奪い返したのに、他の場所に大規模ゲートを作らせるわけにはいかないよ」
あの戦いを思い出す。熾烈に熾烈を重ねた死闘を思い出す。
これ以上、自分たちの国を、街を、奪わせたりしない。
経験を積んだからこその、揺るがぬ意思。決意。それが海を走らせた。
「ここで、食い止めましょう。今なら、敵の態勢の不備も衝きやすい筈です」
白銀の髪をなびかせ、御堂・玲獅(
ja0388)は海と並走する。その横顔は、常と変らず凛と咲く花のように美しい。
二人は医術にも精通している。冷静な判断力、そしてバックアップの迅速さには自信があった。
(静岡か……、ここを落とさせる訳には行かないな。あいつの為にも……)
他のメンバーとは違う感情を胸に秘めるのは強羅 龍仁(
ja8161)であった。
静岡は、今は亡き妻と龍仁が共に暮らしていた土地。そして永遠の別れを迎えた場所でもある。
それは戦いの舞台である富士市ではないが、『まもりたい』土地であることに違いはなかった。
投じる想いの深さは、否が応にも深くなる。消すわけにはいかない決意の光が、その胸には宿っていた。
「厄介ですね」
龍仁の考えを知らぬ森田良助(
ja9460)は、あちこちを飛行するゴールデンファイアドラゴンの動きを意識しては呟いた。
巨大な火球による広範囲爆発。
遠方まで届く炎のブレス。
ああ、今、強力な盾を装備していたディバインナイトがスピンテイルで吹き飛ばされた。
「何かあれば、俺が身を挺して庇う。良助はドラゴンを落とすことに専念してくれ」
「よろしくお願いします、強羅さん」
狙撃のプロであるインフィルトレイターは、今回の部隊では良助ただ一人。
上空を自在に飛び回り遠近双方に対応した能力を持つドラゴンを、自由にさせてはいけない。
恐らく攻略の鍵になる良助が、優先的に狙われるような事態も避けたいところだ。
「敵は倒す……それだけだ」
事前情報によれば、今回の騎士サーバントたちは遠距離攻撃にこそ力を発揮する盾を装備しているのだとか。
近接攻撃になれば剣がある。
あちらにも考えあってのバランスなのだろう。が。中津 謳華(
ja4212)には関係ないこと。
「時間を長引かせれば俺達が不利になる。故に行うのは、一点突破」
使徒、或いは大天使のどちらかに深手を負わせ、軍の撤退を促す。それがミッションだ。
制限時間は設けられていないが、ノンビリもしていられない。
力の出し惜しみは、しない。
しかし、出すべき場面を、見極めて。
(敵の大将が居るのか……。ここは正念場、という事だな)
周囲は喧噪に包まれているのに、酒井・瑞樹(
ja0375)の心臓の音は頭にまで響くほど。緊張していることは自覚していた。
(今度こそ、戦えず倒されはせぬ……)
一歩踏み込むごとに、戦うべき敵の姿が近づいてくる。
武者震いをしながら、瑞樹は敵を見据えた。
「ふうむ、美しきに拘る大天使は、従えるものにも拘るのかのう」
金と銀、美しいというか無駄に派手というか煌びやかな軍団である。
インレ(
jb3056)は、のんびりとした口調で敵の配置を確認した。
門のように左右へ展開するシルバーナイト。
後方上空から威圧するゴールデンファイアドラゴン。
そして――
「あはは! 見えた見えた! 皆美味しそうだけど、天使と使徒は格別ね。――絶対に解体してあげる!」
雨野 挫斬(
ja0919)の歓喜の声が、響いた。欲情にも狂喜にも似た輝きで、その瞳は震える。
向かう先、その最奥に。倒壊した建物に腰掛ける金の天使と青の使徒が、居た。
こちらの接近に気付き、それでいて品定めをするように、今は動きを見せずに。
●
敵との距離が完全に縮まるその前に、スイと良助が体を滑らせる。
(自由になんて、飛ばせない……!!)
普段の幼い表情が、トリガーを引くと同時に引き締まる。
狙い澄ましての、対空射撃。当たれば――でかい。
「簡単には落ちぬか」
デカブツに見えて、ドラゴンの動きは案外に機敏だ。
当て損ねた良助がシルバーナイトから集中攻撃を受ける前に、素早く謳華が前線へと到達する。
「負けるわけにはいかん…… 天使共を斃す為にも、ここでは倒れん!!」
良助を狙っていた騎士たちは、直近へと迫る謳華へ攻撃を切り替える。
三体で一つの意思を持つかのように、白刃が絶え間なく謳華へと襲い掛かる。
「この程度……!」
謳華は初撃を組んだ腕でガードする。流れる動きで二撃目にも対応するが、上段から下段、太腿を斬りつけられた。回避し損ない、血管の太い部分をやられたらしく、鮮血が滴る。
三撃目が鋭い突きを繰り出してきたところで、謳華の身体がふわりと軽くなる。
「今は耐えろ……、大丈夫か?」
龍仁の、『神の兵士』が発動したのだ。
謳華の飛びかけた意識を繋ぎとめると同時に、致命傷になり得た出血も止まっている。
「……させるか!」
他方。ドラゴンから目を離さずにいた良助が叫ぶ。
高度を下げてきたことで、警戒を強めてはいたが…… その口元から火の球が落とされるのを目視すると同時に回避射撃をぶつける!
発されて数メートルと行った地点で、アウル弾に当たった火球は派手に爆裂した。
広範囲の爆炎は地上へも届いたが、生憎そこには敵も味方も居ない。
離れた場所からの爆撃を狙ったのであろうが、良助の集中力が勝り、結果としてドラゴンのみが熱波の端に巻き込まれた。
「でかした」
言葉は短く、謳華と肩を並べるように龍仁は良助の盾となり、ドラゴンへ向けて追撃のコメットを放つ。
良助による自爆誘発はドラゴンの――或いは後方で指揮を執る使徒の警戒を強めたらしく、力押しではなく後退を選んだドラゴンは続けざまに降るアウルの隕石を回避し、ゆっくりと翼を上下させてはこちらの出方を伺っているようだ。
(これで良い。狙撃手が良助だけだと読まれなければ十分だ)
できるなら、命中させて重圧の効果も付与したいところだったが……まずは、良しとする。
「待たせたわ!! 皆まとめて、縛ってあげちゃう!」
程よく騎士たちが団子状態になった所で、龍太が間合いを掴む。
シルバーナイトの足元から、龍太の発動する結界が立ち上がる。
「せぇ、の!!」
攻撃は、体を覆うほどの盾で防がれてしまうが、狙いはダメージではない。
「おっしゃぁああああああ!」
「!?」
野太い雄叫びに、刀を抜いた瑞樹が一瞬だけビクリと驚き龍太を見上げる。
「攻撃は任せたわよっ」
龍太がバチンとウィンクを飛ばし、少女の背を押す。
スピード勝負の戦場で、敵の動向は飛び込んでみなくては解らない。
自分たちとの力の差がどの程度か、どれだけ通じるかも、刃を交えるまで解らない。
この人数で、これらの敵を、相手取る。
(土台、無茶な話だと思っていたのよ)
騎士の意識を引き付けんと飛びかかる瑞樹の背を、ドラゴンを警戒する良助の背を、龍太は見守る。
(だからこそ『やらなくちゃ』、目標達成なんてできないのよね)
真っ先に謳華へ集中攻撃を仕掛けたシルバーナイト。そのスピードが、長けた剣技が、優秀な盾が、全ては龍太にとって良い方向へと傾いた。
三体全てを束縛に成功した確かな手ごたえは、生き抜くことに重きを置いた龍太の心へ、少なからず力を与えた。
「武士の心得ひとつ、武士は強敵に怯んではならない!」
「守勢に甘んじるつもりはない」
束縛を受けて動けないとはいえ、盾は健在であるし鎧を纏ったサーバントの守備力は高い。
瑞樹の太刀と、謳華の墨焔を纏った膝蹴りが繰り出されるも、撃破へは至らない。
それでもいい、今は、ここは、サーバントを他方の班へ向かわせないことが第一なのだから。
焦る心を封じ、自分たちの動きが路を繋ぐのだと今は信じて。
●
銀の閃光が走った。かのように、見えた。
左側へ展開するシルバーナイトへ対応すべく向かう部隊、その先頭に立つ玲獅は悲鳴を飲み込み、一足に距離を詰めてきた集中攻撃を白蛇の盾で凌ぐ。
(重い……!)
盾を構える腕が痺れる。
しかし、護りに対する自信は――思いの強さは、玲獅とて負けはしない。
盾で、ガッチリと受け止めきる! すぐさま玲獅はコメットを降らせた。
これが、こちら側の反撃の合図!
三体ほぼ同時に行動をとったというなら、直後の今を叩くだけだ!!
防御に自信があるのは確かなようで、回避ではなく盾でアウルの隕石を受け止めた騎士たちは、僅かながらに重圧の枷に嵌る。
「閃光の如く突撃する能力――それが、これというわけか」
サーバントの能力を確認しながら、主たる大天使の瞬間加速能力も似たものだろうかと推測を立てながら、インレは体勢を低くして左端へと回り込む。
右手に剣を。左手に盾を。
人間を模したサーバントは、それ故に見てそれと死角が解る。
「剣を持つその手で、足を守るのは可能かな?」
玲獅の側面を抜け、鎧で守られたその足元を狙って渾身の薙ぎ払いを仕掛けた。
「「――ッッ」」
硬い、インレは顔を顰め、
文字通り足をすくわれた銀騎士の一体は転倒し、意識を刈り取られた。
体勢を崩したインレと連携をとるタイミングで、山里赤薔薇(
jb4090)が小さな体で滑り込む。
倒れた敵へ追討ちを? ――否。
「相手が天使でもディアボロでも関係ない! ……守り通すの!」
放たれたスタンエッジは、迷いなくその横の騎士を襲った。
剣技に長けた騎士様の、魔法の能力は如何程か?
ドン、
鮮烈な魔法攻撃は銀光の盾により威力を軽減され受け止められる、が、スキルの纏うスタン攻撃までは封じることはできない。
「5秒でも10秒でもいい、無防備となった一瞬に、大量の火力をぶつければいい」
心臓を握りつぶされそうな緊張の中、願うように海が呟く。
策は立てた、しかし全てうまくいくとも限るまい。想定外は、常に覚悟しておかなければいけない。
「その傲慢を砕かせていただきます!」
毅然とした声で、アウル弾を放つのは蒼空ヲ疾駆ル者(
jb7512)。
名の通り、何よりも飛行することを愛するが、制空権をとっているのは現状ではドラゴンだ。
今は地を滑るように移動し、攻撃の的確さに集中する。
「足りない…… あなたじゃ物足りないの! 邪魔をしないで!!」
インレによってスタン状態へ陥っている騎士へ、挫斬がワイヤーを絡ませる。
「早く行かせて。早く逝って? アハハハ! あなたも美味しそうだけど、今日はもっと念入りに解体したいひとたちがいるの!!」
そして―― 斬。容赦なく刻み、撃破する。
「正攻法じゃ、流石に通らない……かな」
海は、赤薔薇がスタンを掛けた騎士に向けて至近距離でのインパクトを叩きこむも、その純粋な防御力の高さに歯を食いしばった。
(さて、どう出るかと見ていたが)
闘気解放により能力を高めていた獅童 絃也(
ja0694)は、サーバントの動きから指示を出す使徒の意図を読もうと試みる。
互いに易く攻撃の届く距離からの交戦開始。
先手を取ったのは撃退士、狙撃手の良助。
シルバーナイトたちは真っ先に彼を狙うかと思えば―― 進行方向を阻む謳華、あるいは玲獅へと攻撃対象を切り替えた。
「……ふむ」
切り替えた。確かにそう見えた。
右班・左班、それぞれだけを見ていたのなら気づかなかったに違いない。
一瞬、『全てのシルバーナイトが良助を標的としていた』。
それは、彼が突出したからだろうか?
否、誰もが一歩踏み込めばすべての敵に届く距離であった。
良助を狙った理由は何だ?
(……龍、か?)
ドラゴンを真っ先に狙ったから?
放たれる火球による爆撃の脅威は凄まじい。サーバント部隊において何よりも厄介な敵であろう。
そも、上空に居る限り近接武器では攻撃も届かない――
(届かない)
上空に居るドラゴンへの攻撃を、させないための騎士の行動判断だと、そういう仕掛けだというのか?
直近の敵への切り替えは、騎士自身を守るための当然の行動だろう。
脚へ力を込め、直ぐにでも飛び出せる構えを取り、絃也は再度、戦況全体を見る。
やや後ろを飛行しているドラゴンへ行かせまいと、柵のように騎士たちは撃退士に向かっていた――ただし、スタンや束縛に掛かり残念なことになっているが。
「知能は有れど、弱点も有る―― なるほど」
標的は、定まった。
●
真白の翼を背で揺らし、ガブリエル・ヘルヴォルは広大な戦場を眺めていた。
主たる大天使を守るように、青い中華服の使徒・北條 泉はその隣に。
「軍全体を見れば押していますが…… どうしましょうねぇ」
使徒の口調は他人事のように軽い。
『どうしよう』、判断を仰ぐ程度には差し迫った状況ではあるのだが。
ガブリエル軍に押されるのを覚悟で強化する箇所を絞り、届けられた撃退士の一部隊は、直ぐそこで暴れている。
金焔竜の火球――ナパームブレスで焼き払えば済むと思ったが、まるで初手から狙っていたかのように誘爆された。
それを受けて、北條はすぐに指示を切り替えている。
(突破されるか?)
シルバーナイトは攻防共に優秀な能力を持つ。が、それもまた一部で封じられているようだ。
「えぇ、花は一撃のもとに散ってこそ美しいと思いますの」
「姫様、会話が噛み合っていないんですが」
「イズミ。あれはなんですの?」
「え?」
「――見て、いませんでした、の?」
美しい微笑と共に突きつけられる刃が、北條の髪の先を微かに削いだ。
●
火球封じの策は正解だったのか、警戒するようにドラゴンは後退しながらファイアブレスを吐き出す。
「っ、うわ!?」
「良助!」
回避射撃で軌道を逸らそうと試みるも、紅蓮の炎は狙撃手を包み込む。
元々、良助は魔法攻撃への耐性が高いわけではない。
龍仁が叫び、神の兵士で崩れかけた良助の身体を引き起こす。
「くっ、まだまだ…… 撃ち落とすまで、僕は!!」
距離を取られたことで、ますます味方たちはドラゴンの動きを止めにくくなるだろう。
広範囲の攻撃を封じた形になったとはいえ、炎の息もまともに喰らえばひとたまりもない威力だ。
腹に力を籠めて良助は再度イカロスバレットを撃つが、二度目もまた躱される。
(どうして……!!)
狙撃の腕には自信がある。頼れる護衛がいて、これ以上ない状況で集中して攻撃できる場面だというのに!
(焦っちゃだめだ。考えろ。僕ひとりで戦ってるんじゃない)
敵の特徴、それもある。
「次で墜とします。必ず……!」
深呼吸一つ。良助は銃を握り直す。
「森田さん一人だけではないのだ!!」
ブレス攻撃を目にした瑞樹は、狙いを彼一人に絞らせないためにともう一枚の壁として駆けつける。
「武士の誇りに賭けて!」
放つ封砲は、宣戦布告。
狙ってくる敵が良助以外にもいると思えば、敵の動きにも迷いが生じるだろう。どうか、そうであるように。
「……よし」
ドラゴンの動きを確認し、絃也は前線へ踏み込んだ。
狙いは左に布陣するシルバーナイト、海と競り合いをしている個体だ。
側面へと回り込み、拮抗している力の隙を突く。
「この一撃、押し通す」
最大に上昇させた攻撃力で、肘撃から徹しを付与した渾身の拳撃を。
確かな手ごたえと共に、騎士は地へ倒れ込んだ。
「さて、此処からだな」
絃也は顔を上げる。
左手残り二体は未だスタン効果の内にあり、右手の騎士たちは束縛の術に落ちている。
策通りに進まないことも考えてはいたが、信じて全力を賭してこそ為せることは確かにあるのだ。
使徒と、大天使への道が見えて来る――
誰もがそう、信じていた。
●
ガブリエル軍の誇るシルバーナイト。
その片翼をもがれた。
他方は縛り付けられている。
(……早いね)
北條は何処か嬉しそうに目を細め、得物を握る手に力を込めた。
「さて、僕も戦場を華々しく彩ってまいりましょう」
刃を交えることは、手の内を明かすことにも通じる。
手の内を知ったところで、主たる大天使様の『純然たる強さ』へ撃退士たちが対抗できるのかといえば、容易ではないだろう。
容易ではないが、不可能だとも思わない。
ただの人間でしかなかった北條でさえ、使徒になることで信じがたい力を得た。
使徒と撃退士とを並べることは違うだろうが、『変わる可能性』そのものを、否定することこそが脅威。そう、北條は考える。
ひらり、軽やかに建造物から飛び降りる。それと同時に、伸縮自在の鞭を蔓のようにしなやかに、伸ばした。
●
それは強烈な一陣の風だった。
竜巻のように地を疾駆し、軌跡にある物すべてを薙ぎ払う。
「!!? っ、が……」
遥か遠方から、使徒・北條が金鞭を振るい絃也を打った。
「脅威は初太刀で払うが鉄則ってね」
どこぞで聞いたようなセリフを吐いて、軽薄な雰囲気の青年使徒は笑った。
「ふっ、皮肉だね。撃退士の血だと綺麗な花が咲くんだ」
しならせた鞭を、手元へと戻し。
「獅童さん…… 獅童さん!! どう、して」
神の兵士が発動しない。
倒れ、動かぬ絃也に玲獅は膝を着く。範囲に気を付けて癒しの風を起こすが、それでも絃也の目は開かない。
(気絶じゃ済まないほどの攻撃力、ということか……)
カオスレートの相性もあっただろう。不意打ちという要素もあったのかもしれない。
同じく、神の兵士が反応しなかったことに驚きながら、海は状況を分析した。
(……うん?)
カチリ、無意識に使徒と視線が合う――と思ったのも一瞬。
使徒は玲獅、そして龍仁へも目線を動かしていた。
どういうことだろうか?
「絶対に! 絶対に! 死んでも解体してあげる! キャハハ!」
一方、挫斬は高揚のままに死活を発動した。
「浮気しちゃ嫌よ。あたしだけを見て」
狂気じみた言葉は、しかし行動と共に味方の盾となるように使徒へと近づいてゆく。
使徒が、射程圏内に来た。その事態は撃退士全員に緊張を走らせたが、右班は継続してサーバントの足止めに徹する。
左班はサーバントをほぼ撃破している、作戦通りそのまま使徒と――使徒の行動を制限させるためのブラフとして、大天使へと迎えるはずだ。
奥へと突き進む味方の為に、後方をガッチリ固める役割へ集中する。
「3人もいて、あたし1人も満足させられないの?」
挑発的な言葉を掛けて、龍太は四神結界を発動する。
束縛の効果はあくまで『その場から動けない』だけで、剣を振るうこと自体は可能だ。
接近戦の味方を守ることは欠かせない。
「終わりだ、雑兵」
それを受け、謳華は純粋なる殺意でもって一体を葬った。
(……天使様)
純白の翼、波打つ柔らかな金の髪。
物語に描かれるような優美な姿のそれに、赤薔薇は一瞬だけ目を奪われた。
たった一瞬だ。あの、遠い建物の上から此処へ来るまで。
「うふふ。ごきげんよう」
風が動いた。
「初めまして、美しい方。わたくしはガブリエル・ヘルヴォル。貴女のお名前を聞かせて?」
玲獅の眼前で、ガブリエル・ヘルヴォルが優雅に微笑んでいる。白い頬に、数滴の血――玲獅のものだ。
姫様まで出張るなんて、遠方で使徒のやや間の抜けた声が響いている。
「御堂さん!!」
海が発動する神の兵士で、玲獅はギリギリのところで意識を繋いでいた。
シールドを発動し掲げた盾に、大天使の振り下ろした青龍偃月刀の衝撃が響いている。
しかし防ぎきれなかった部分から血は噴きだし、玲獅の装束を赤く染め上げていた。
痛みと震えが、生の実感を玲獅に与える。何が起きているのかを知らせる。
(多分ガブリエルも、自分達に最も強力な攻撃を加える者を最優先で…… 強力な)
例えば使徒は真っ先に、能力全開で騎士を落とした絃也を狙った。そうであるように。
(嗚呼)
玲獅が思い至るに、数秒も掛からなかった。
自分が倒れなかった理由。
離れた場所、良助がファイアブレスを受けて尚、立ち続けている理由。
(『これ』ですか……)
神の兵士、限りは有れど『撃退士という攻撃』そのものを存続させる能力ともいえよう。
保持者を見てそれと解ることはないだろうが、交戦していくうちに気づかれるのも敵が大天使ともあれば然もありなん、といったところか?
気絶を通り越してのダメージには、その能力も届かない――使徒による絃也への強力な攻撃は、その判断の一つ?
「御堂・玲獅と申します」
直近で見る大天使の瞳に威圧されないよう。跳ね返すように玲獅は答えた。
凛とした声が戦場に響く。
「そう。レイシ」
美しく微笑み、そして大天使は翼を羽ばたかせた。
近づいたのは一瞬、そして離れるのもまた一瞬。
機動力、というのはこういった意味か。
奇襲を狙いバレルロールのように飛行からの狙撃を試みた蒼空ヲ疾駆ル者だったが、軽く回避されてしまった。
(鬼道忍軍の迅雷のような感じでしょうか……)
移動範囲は遥かに長く、飛行もする。敵の懐へ深入りしても、文字通りの一撃離脱が可能というわけか。
的とされにくいよう、曲芸飛行に似た動きで飛び回りながら、蒼空ヲ疾駆ル者は大天使について考察した。
「成程、確かに美しい。その在り方もまた、美しくあるのかもしれない。
……だが、僕は気に入らない。故に止めさせて貰うぞ」
インレの胸にあるのは、尊きものへの想い。
それはいつだって、彼を突き動かす。熱く、燃えゆく心として。
死活を発動しながら大天使を追うインレに先駆け、海は槍を投擲し、叫ぶ。
「この時期に動くなんて、京都を奪われたザインエルの尻拭いか?」
攻撃は軽々と回避されるが、大天使は先程とは違った眼差しを海へ向けた。
一瞬だけ浮かんだ感情、しかしそれも些事とばかりに笑みへ変わる。
「あら。京都一つ奪り返して、そんなに嬉しいんですの? この国だけで、幾つのゲートがあるとお思いでして?」
伊豆の国を支配下に置くガブリエルは余裕ある態度を崩さない。
その言葉は玲獅の回復へ当たっていた龍仁の耳にも届き、彼は無意識に奥歯をかみしめる。
幾らでも、容易に、これからも、支配地を増やすことができるのだとばかりの言葉に心を掻き乱される。
「例え天使様でも、私たち人間を搾取して奪うんだよね?」
龍仁の傍らにいた赤薔薇の声は、震えている。
「ああ、俺たちの世界での、神話や宗教の神や天使とは別物だからな」
「私はもう分かった。……この世に絶対正しいことなんてないんだって」
「赤薔薇」
少女の表情に何処か悲しみに似た感情を読み取り、龍仁は思わず名を呼んだ。
●
海の攻撃の流れを継ぐように、追いついたインレがワイヤーを放つ。
「戦の華と呼べる一騎打ちとは行かないが。まさか応えぬとは言わないだろうな、美しき天使よ」
触れたならきっと柔らかな四肢へと巻き付けることを狙うが、偃月刀で容易く振り払われる。
「黒き兎さん。そうね、その攻撃が月へと届くようになったのなら、考えてもよろしくてよ」
「ほう。それは期待してもいいのかな」
「姫様!!」
北條が叫ぶ。
万が一にも、とは思うけれど、自軍の総大将がフラフラしていちゃ心臓に悪い。
何のために、自分が撃退士へと攻撃を仕掛けたものだか!
「遊びましょうお二人さん! それとも逃げる?」
北條へは、挫斬が真っ直ぐに向っている。
舌打ち一つ、北條は鞭を旋回させて防護の風を巻き起こした。数メートル離れた主君も範囲に入れている。
「アハハ! 女の子を鞭で打つなんてエッチね! そんな悪い子はお仕置きよ! 体の中から解体してあげる!」
守備力を上げたところで、上を行く攻撃をすればいい!
挫斬がもう一歩深く踏み込み、徹しを仕掛けた。
使徒の顔が、微かに歪む。
両腕の衣が裂け、ワイヤーは軽く肉を裂いて離れた。
「落ちなさい、花のように」
ガブリエルは慈悲無き一撃をインレへ繰り出すが、痛覚をシャットアウトした今の彼には通じなかった。
「花は咲いてこそだろうて」
乗せるは祈り。込めるは想い。放つは我が斬撃……!
遠ざかるその前に、身を斬る刃をものともせず、インレは更に距離を詰める。
絶招・禍断。
掌打で、大天使の心臓を狙う!
必然的に柔らかなふくらみを狙うわけだが、大天使は非常に良い笑顔で青龍偃月刀の柄の部分で其れを打ち下ろした。インレは手首が折れるかと思った。
「回避が高いというか、攻撃を尽く捌く、わけ、だな!」
折れてない、良かった。痛覚はシャットアウトしているはずだが、違う何処かが痛かった。
「イズミ。ゲキタイシというのはアンデッドなのかしら」
「でもないでしょう。本気出してください」
海とインレの連携を往なしながら、ガブリエルは使徒と肩を並べた。
呆れ声で、使徒はドラゴンをインレへとけしかける。
ナパームブレスを封じられている以上、直近の脅威へと対応を変更した。
ドラゴンが、凶暴な牙を剥く――そこへ。
黒い霧を纏ったアウル弾が、胴体へ命中し……ドラゴンは倒れた。
「ようやく、落とした…………」
ダークショットの一撃。
これすら回避されたら。使徒と大天使が掻き乱す戦場で尚もドラゴンが暴れたら。
不安が逆転しての強気の攻撃が、ようやく実を結んだ。
良助は肩で息をしながら、気を緩めることなく銃口を使徒へ向ける。
「厄介な」
使徒が蒼い瞳を冷ややかに細めた。
「まぁだ始まったばかりだというのに。あまり技は見せたくないんよ」
後ろ手にガブリエルを守り、北條は魔法による強烈な下降気流を周囲に生み出した。
周辺を洗いざらい薙ぎ倒し、刻み、倒れたドラゴンさえ識別無く巻き込む。
「これで少しは綺麗になったかねぇ」
北條の正面には、ギラギラと目を光らせる挫斬が立っていた。
(え、アンデッド?)
「まだよ! まだ! あなた達を解体するまで倒れるもんか! アハハハ!」
死活の二重掛け。危険は承知で、しかし引くことを是としない。
自身の血に塗れながら、挫斬は北條への攻撃に集中する。
――それ故に。
執拗に正面から攻めたてる挫斬の存在故に。
コンマ数秒、背後の気配への察知が遅れた。
「もう、誰にも何も奪わせやしないんだ!」
少女の叫び。
そして背中に走る一筋の熱。
(やられた)
深く斬りつけられたことを、北條は悟った。
いつの間に、背後に回った?
こちらが先に気づいていたなら、少女は何もできないまま刻まれていただろうに。
無謀にもほどがある賭けだ。二度は通用しないだろう。
とはいえ賭けは賭け。
少女は、数秒というイニシアチブを取るに成功したのだ。運であろうが実力であろうが、これが結果だ。
●
瞬間移動で使徒の背後に回り、速攻で斬りつけた赤薔薇は、しかし瞬きする間にガブリエルの刃によって散らされた。
血の海に沈む幼い体を前に、龍仁が凍り付く。
「綺麗に、花が咲きましたわね」
少女の姿でありながら、敵はやはり敵だ。
微笑みとは、ここまで残酷に映るものだったろうか。
「それに比べて。お前の血は美しくありませんのよ、イズミ」
他部隊よりドラゴンを一体呼び寄せ、その背へ使徒を乗せ。ガブリエル自身は真白の翼を広げる。
「撤退は美学に反しますが、敗北ほど許せないことはありませんの。
短い未来へ向けて、どうぞ足掻きなさい、ゲキタイシさん」
――またいずれ。
去り際に、ドラゴンがナパームブレスで周囲を払う。
追随を許さぬ速度で大天使と使徒は戦線を離脱した。
「終わった……の?」
龍太が口の中で呟く。
軍団長を失いこそしたものの、指揮能力を持つ金焔竜の咆哮により、小部隊は統制を保ち続けていた。
増援の送りこみも案じられる。
だが、使徒へ重体を負わせたこと、それに伴い大天使をも戦線から離脱させたことは撃退士側の士気を上昇させた。
部隊の三分の一が重体となった学園生たちは、速やかに後方へと下げられる。
後方部隊からは、歓声を持って迎えられた。
油断できない状況は続くが、差し込んだ一条の光は、その強さは、確かに未来へと路を繋げるだろう。