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シュトラッサーが遺した爪痕。
其れを完全に天へ還す為のイベントが今日、開かれる。
前日より準備に取り掛かっている若者も居り、半壊している北東要塞周辺は久方ぶりの活気を取り戻していた。
(鬼が居た城だな)
解体作業半ばまで、昨日は手伝いをしていた。
本日の昼頃、撃退士たちの一斉攻撃で解体終了できるよう準備も済ませている。
寒風に髪をなびかせ、大炊御門 菫(
ja0436)は異形の建物を見上げた。
「既に鬼は居なくなったが…… 心に巣くう鬼退治と行こうか」
「大炊御門さん!」
遠方から酒井・瑞樹(
ja0375)が駆けてきた。
「露店に関してなんだが、お寺にも当たってみたのだ。大根焚きについても、教えてもらえるだろう?」
厄除けと云われのある『大根焚き』。
色々な味付けや仕上げがあるらしく、料理の得意な仲間が中心となって担当するが、本家の薀蓄を聞くのもいいだろう。
大根焚きだけでなく、祭りめいた明るい露店も――できれば市民の手を借りて開きたい。
急なことかと思ったが、昨日のうちに菫は自治体職員へ打診していた。それへ肉付けするように、瑞樹もまた走り回っていたのだ。
「地元で団結する、というのが大事だと思うのだ」
「……地元。そう、だな」
菫は、京都にある裕福な旧家を飛び出してきた身である。
(実家が、気にならないでもないが)
立ち寄ることはできないが、無事を祈り、自身が『此処にいる』ことは正しいのだと言い聞かせた。
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前日から、黙々と石像作成に取り掛かっている青年が二人いる。
点喰 縁(
ja7176)と東郷 煉冶(
jb7619)だ。
「点喰先輩、東郷先輩、暖かいお茶をどうぞ」
「……ああ」
「お、ありがてぇ。良い香りだねぇ」
御影がポットに詰めたほうじ茶を差し入れに来た。
作業の手を止め、二人は脚立から降りて小休憩を。
「木彫とは感じがちげぇけど、要領は掴めてきたかねぇ」
指物師を生業としている家系の縁は、職人の眼差しで作りかけの石像を見遣る。
「解体の下準備をした限り、廃材相手の方が楽に思えるな……」
煉冶は力加減の難しさに唸った。
「流石に、天界の残した物質で彫像、は無理だったけどよ」
当初、廃材を利用して像を残そう、或いは地中へ埋めようといった形で話を進めていた。
しかし自治体職員へその旨を伝えると、『要塞の瓦礫は微弱な霊波を放っていることが調査でわかり、現状の規定では市の職員が全部回収する事になっている』という返答だったのだ。
この世界、この地球にはない物質であるのなら、対応へ慎重になるのも当然か。
像を作るという意見自体は承認され、別途、相応の大きさの石を用意されることとなった。急な話だったので、誂えるのは一つだけ。そして今に至る。
風水でいうところの『鬼門』とは『何処から見て』かが要素の一つで、それを考えるなら復興後の京都にとってこの地が『鬼門』となるかは別として。
人の心に巣食う、恐怖という名の鬼を封じる、という思いを込めて。モチーフは鬼門封じの『猿』とした。
「……ちょっと前まで、ここが戦場だったんだな」
大きな戦いが展開されていた頃、煉冶は撃退士として能力を開花させていなかった。
(ずいぶんと、深手負ったよなぁ)
口には出さず、縁は茶をすすりながら『昔』と『今』を対比する。
懐かしい街並みは焼かれ、崩れ、記憶が鮮やかであるほどに胸が痛む。
「みんな帰れるといいけんどねぇ……。手ぇ貸せるところは貸すくらいしか、手伝えねェけど」
カップから唇を離し、吐息と共に零した縁の独り言に、煉冶は驚いて顔を上げた。
「うン?」
「あ、いや…… 俺も、そう思う」
(今までは『誰かの助けになればそれでいい』くらい、だったな)
煉冶自身が、離れた町で暮らす家族へ仕送りすることで手いっぱいだったこともある。
けれど、なんだろう。この、胸の奥がむず痒いような感情は。
具体的な土地の状況を見て、人の声を聞いて、自分が、撃退士が、できることの意味が……煉冶なりにわかってきたような気がする。
「要塞そのものが天界の技術と物質ですか。厄介なモノを遺してくれたものです」
本格的な解体に向けての計算を済ませたグラン(
ja1111)が、資料を手に三人の元へやってきた。
「グラン先輩」
「光嬢は久しぶり」
御影に気づいたグランが、微かに表情を和らげる。
「天使が侵略して要塞を作る前の写真がこちら、地図はこちらです」
「おー、懐かしいねェ」
縁は身を乗り出し、京都府警の建物や、京都府庁の正面から延びる釜座通りの写真に目を細めた。
「廃材を埋めることは許可が降りませんでしたので、通常の更地にするとして…… 完成した像を設置するのなら、この辺りなどいかがでしょう」
事前に自治体職員へ依頼し、連絡の取れる地元民からアンケートを募っていた。そのデータも、グランの手元に。
「埋めた穴の上が妥当かと思ってたけんど…… 地図を見ると、たしかにねぇ」
グランの指した場所へ、縁は深く頷いた。
「ところで」
笑顔のまま、グランは御影へ向き直る。
「料理が絡む仕事にいるとは何とも奇遇な話です」
「え、えへへへへ?」
(きっと料理スキルの向上を狙っているに違いありません)
「俺、シンパシーの術は持ってねぇけど…… なんとなく、グラン先輩の考えてることは察しやしたぜ」
「ここはひとつ、光嬢の奮闘に期待したいところ。失敗作は私が食べても良いでしょう」
「あ、あ、あー!! 失敗って決めつけないでください! 点喰先輩まで! 東郷先輩、笑ってるのわかってるんですからね!!」
「なんだ、騒々しい……。石像づくりにここまで人員が必要か?」
姿を見せたのは水無月 神奈(
ja0914)。
塔の解体について御影へ確認しようと探していての、
「神奈さんっ 聞いてください!!」
華麗なる巻き込まれ、であった。
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「ゆず飯も出す所あるようなので、それも作ってみたよ〜」
柔和な笑顔で、星杜 焔(
ja5378)が下準備の説明をする。
寺毎の形式を参考にし、色んな人々にとっての『懐かしさ』を意識した。
「ふむ、列になるだろうから鍋ごとにわかりやすく表示した方が良いな」
料理を得手とする瑞樹が頷きを返し、サポートを。
前日から煮込み始めていたものもあるし、これから用意するものもある。
「光さん、料理一緒にどうかな」
「はうっ」
焔に話を振られ、御影は飛び上がりそうになるのを10cm程度で耐えた。
見栄を張るつもりはない。
教えてもらえるのなら喜んで。
だがしかし、ここまで『出来ないんだろう』と優しい眼差しで見守られてしまっては意固地にもなる。
「大炊御門先輩! 京都ご出身ですよねっ」
ぐわし、と音が聞こえる勢いで、御影は菫の腕を掴んだ。
「そ、そうだが」
「神奈さんも!」
「……ああ」
「地元美少女手ずからの大根焚きも一興ではないでしょうか!!」
「少女……という年でもないな」
「大炊御門、そこではないように思うが。光、私は料理では力になってやれないぞ……」
「見ててください、星杜先輩、グラン先輩! ぎゃふんと言わせる大根焚き、作って見せます!!」
(あー、逆方向のフラグだね〜……)
強化された切り出し小刀を手にした御影の勇姿に、焔はそっと旗を振った。
「ゆず飯用の米とぎ汁を利用して、大根の下ゆでをしたんだよ〜。臭いやアク対策になるんだ」
それぞれの鍋の説明をしていく焔。瑞樹は思わずメモ帳を取り出しながら聞き入る。
聞き入る傍らで、飛散してきた木片を片手で払う。
ワンテンポ遅れて皮の剥かれていない大根が飛んできた。そちらは焔の光翼によって防がれる。
「な、何が起きているんだ?」
御影、菫、神奈が使用している調理台へ目をやると――
鍋をかき混ぜようとして勢い余った菫が、お玉で鍋の底を突き破っていた。
「仕上がりが純粋に大根だけであるのなら、上々でしょうか」
グランは聞こえないように呟いた。
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(まだまだ残ってるな、爪痕が)
間もなく、塔解体からの『鬼やらい』が始まる。
黒夜(
jb0668)は準備を整えながら、改めて周囲を見回していた。
黒夜が米倉と対峙したのは、夏のこと。
しかし、あの使徒へ黒夜の攻撃は届かなかった。
覚えている。
サーバントの攻撃の痛みを。
伝えたい言葉を言えなかった悔しさを。
ハッキリと味わった、敗北を。
(……それでも)
夏の暑さを失い、沈み込むような寒さの中で、変わらない思いを黒夜は抱く。
(『あの場所』から離れることができたきっかけに、感謝してる。だから、絶対に忘れない)
悔しさも。痛みも。一生勝てないんじゃないかという敗北感も。
全て、『自分が』得たものだ。
「この一撃が終わりであり、始まりだ。ならば私達はその境界にいる事になる……中々これは、不思議な気分だな」
愛用の槍を手に、感慨深く菫は呟いた。
人々が、息を呑んで見守っている気配が伝わる。
大勢の人がいて、けれど空気はシンとしている。
「武士の心得ひとつ、武士は怨恨を持ってはならない、だ」
体に刻まれた痛みを、瑞樹もまた忘れることはないだろう。それでも、気持ちは常に前へ。
(私の悔しさや無念さ等、他の人達に比べれば些細な物)
比較するようなものではないが、比較せずにはいられなかった。
抗う力を持つ者と、持たない者ではあまりにも違う。
この建物一つ、崩すことができないのだ。
使徒へ、力が届かなかった。けれど瑞樹は、眼前の塔を崩す力を擁している。
「雪辱を果たせぬまま終わったのには、きっと意味があるのだ。――私は私に出来る事をやろう」
(昔の京都を取り戻すのはもっと先だろうが……。これが復興の一歩になれば幸いか)
言葉には出さず、塔を睨むのは神奈。
(失われたものは戻ってこないが、生きる者がいるならまだやり直せる)
生きているから、苦しみも、憎しみも、怒りも、憤りも、ささやかな喜びも、幸福も感じることができる。
自身の価値観が大きく変化することは――此の先あるのかどうか、例えば一つ、おいそれと口には出来ない変化があったけれど――解らない。
生きて生きて、生き抜かなければ見えてこないだろう。
だから。
「その為に、過去となった支配の象徴には消えて貰う」
撃退士たちの一斉攻撃で、土煙を上げながら監視塔は沈んでいった。
(……おたくのことを、一生忘れない)
ゴーストアローによる最後の一撃を放った黒夜は、崩れる塔へ合わせるように、頭を下げた。
菫の吹雪月により、アウルが塵雪のように周囲に舞い、そして儚く消えていった。
(……あ、れ)
チャージングによる全力攻撃を放った煉冶は、自身を取り巻く光纏の変化に気づく。
それは、龍を象った白い雷のような力強さで、この地に触れて煉冶に起きた心境の変化を象徴しているようだった。
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冷えた体を暖めるように、大根焚き振舞われる。
「こっちは昔ながらの塩味、そっちは大根とお揚げさんの醤油味だね〜」
焔と、瑞樹、それに配膳の手伝いとして縁が加わる。
「……で、あっちは何でぇ?」
「恐らく、京都へ吹き込む新しい風、なのだ」
「見事に、焚きましたね」
「表面の香ばしさがポイントだと思うんです」
御影、それ大根焚きやない、ステーキや。
キリッとした表情を崩さず、エプロン姿の御影はグランの反応を伺う。
「この時期と場所で大根焚きといえば有名なお寺があります。日を改めて、そちらも味わいましょう」
「悔しいっ」
「おかしいな。あの程度で鍋の底が破れるとは予想外だったが、そこからの機転は充分だったように思うのだが」
「……大炊御門、そこではないように思うが」
呆れ声の神奈だが、三人で取り組んでの結果なのだから強くは言えない。
「ああ、そうだ光」
すっかり機を逸してしまっていた……おかげで、緊張も解れたろうか。
「……遅くなったが。高等部への進級、おめでとう。大した物では無いが身形にもっと気を使っていい年頃だろうし、祝いの品だ」
御影が神奈と出会ったのは、御影が中等部二年の頃だったろうか。
姉のように、何くれとなく接して、守って、或いは歩みを合わせてくれた。
(もう…… そんなに経つんだ)
包みを開けると、青い宝石がはめ込まれたネックレスが姿を見せた。
「神奈さん!? こ、こんな高価な」
「祝いとは、弾むものだろう」
慌てふためく御影の姿に、神奈は少しだけ表情を和らげた。
「光の髪と、同じ色だ。きっと守ってくれる」
「ありがとうございます…… 大切に、しますね」
神奈の中で、御影に対する感情が妹へ似たそれとは変化し始めていたが、御影はそれを知る由もなく。
神奈自身も手余ししていたが、共に居たいという気持ち自体に変わりはない。
緊張から柔らかな笑顔へとなった御影に、神奈は胸のつかえが一つ取れた。
すっとチェーンを手に、御影へとつけてやる。
「っっ!!?」
「銀狐の真似をしてみたが…… 思っていたより恥ずかしいな……」
不意によぎった悪戯心で御影の額へ軽くキスをしてみるが、なぜか神奈の方が赤面の度合いが強い。
「神奈さんったら!」
くすくす笑う御影は、いつも通りだ。きっと『スキンシップ』の枠内に収められている――安堵していいのか、どうか。
急激な変化を望まないのなら、安堵するところだろう。熱い顔を片手で隠しながら、神奈はそう考えた。
並行して縁日――とまでは行かないが、避難先で工芸品を作っていたり、染物を作って居たりした人々が呼びかけに応じ、小さな市となっていた。
撃退士たちも興味深く品々を覗きこんでは言葉を交わした。
賑わいの中、瓦礫を積み込んだトラックが去ってゆく。
爪痕の穴も埋められ、そこに前日のうちに準備した木製の櫓が設置された。
(もう本当に、鬼はいないのだと実感して貰えるといいな〜)
焔は力仕事を手伝いながら、そう祈る。
そこへ投じられるのは、恐怖・困難の象徴として鬼の面と――
「事実は消えなくても、終わったことなんだ」
クシャリ、『封都』当時の新聞の一つを握りしめてから、黒夜はそれを空高く放った。
閉じ込められた思いを炎が燃やし、煙は天へと高く高く昇ってゆく。
言葉なく、誰もがその行方を見守った。
それぞれが、それぞれに、抱く思いがある。
迷いがあり、不安があり、それは時として鬼の如く恐怖となって襲ってくる。
立ち直り始めた京都には、そんな感情が随所に渦巻いていて。
(……しかし、忘れてはいけない。
心の鬼を払ってもそれがいつでも私達の近くに居る事を。ならばいつでも、何度でも、払ってやろう)
それがきっと皆の幸せに繋がる筈と、そう信じて。
「私達の往く道は、間違ってない」
菫の言葉もまた、鬼払いの煙に乗り、空の高みへと吸い込まれていった。
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東裏辻町・釜座通り。
かつて京都守護職屋敷が置かれた通りの、ほんの片隅。
京都の復興、そしてその先を見守るように、2m程の高さの猿の石像がひっそりと佇んでいる。