●午前班
午前10時……
大ホールに響き渡る歓迎のアナウンスと共にブザーが鳴り響く。
サークル参加者の盛大な拍手音が波のようにうねる。
一般参加者たちは入場ゲートを狭しと、次から次へと会場へ。
大勢のなだれ込んできた客たちは、自分の好む各ブースへと歩く速度を速める。
そんな中、とあるブースはさっそく繁盛しているようだ。
「わー、巫女さんがいるぞ!」
「すみません、巫女さん、一冊ください!」
「ん……、まいどあり、です」
とあるブース、文芸同好部は、巫女さんの美少女が売り子をしている、ということで開場直後の客たちを引き寄せたようだ。
同人誌を次々と売りさばいているのは、桜坂秋姫(
ja8585)だ。
もっとも、本人はコスプレのつもりではなく、普段着なのだが。
「はい、一冊、500円になります!」」
ブース内で金銭を管理しているのは、礼野 智美(
ja3600)だ。
今日の彼女は開襟シャツに麻ズボンの涼しげな恰好である。外の日差しが強かった為、薄手の長袖上着も軽く羽織っている。
「お待たせしました!」
ブースの目の前で、ぼいんなメイドさんがにこにこしながら話しかけてくる。
全体をシックな黒の基調で決めているエレガントなスタイルのメイドさんは、アーレイ・バーグ(
ja0276)だ。
智美と秋姫は、思わずアーレイのメイド服に見惚れていた。
もっとも、見惚れていたのは、この二人だけではない。
「ぶはぁぁぁ!!」
ブースの奥にいた部長はいきなり鼻血を吹き出した!
「刺激が強すぎたかしら?」
部長はアーレイの胸元に目が行っていたらしく、彼は血みどろになった。
「色魔アーレイ」の異名は伊達ではなかったようだ。
「こら! ブースと同人誌を汚すな!」
智美は思わず部長をしかりつけたが、ポケットティッシュも渡してあげた。
「お? このブース、すげえな! メイドさんに巫女さんがいるぞ!」
通りかかりで五人ほどいた男たちは、文芸同好部のブースに集り出した。
午前11時……
両隣のブース、最初に挨拶を交わしたきり、全く会話していない。
「こんにちはー! うちは文芸同好部と言って部活の文集を売っています!」
アーレイは右隣のブース主に話しかけた。
相手は大学生ぐらいだろうか。
「あ、これは、どうも。うちは東京の方にある大学のSFサークルです。よかったら、どうです?」
アーレイは同人誌を受け取りお礼をして、代わりに自分の部の同人誌を手渡した。
お互いに、ぱらぱらとページをめくってみた。
あ、そのページ!
「私が描いたんです! 私、絵師をやっています」
ブースでは午後班のハートファシア(
ja7617)が書いた短編小説「百合的政略逆転劇」にアーレイの挿絵が載っているのである。
どうやらこの話は、妃のアーレイとハートファシア侍女の百合話のようであるらしい。
前半では、王が死に、傍にいるハートファシアが泣いているアーレイを抱きしめている場面が。
半ばになると、アーレイが民衆の支持を集め、熱く演説しているシーンが出てきて。
そして、最後の方で、大臣のような悪役たちと決戦しているシーンまで出てくるようだ。
「お話も気になるけれど、絵の方も美少女が萌えてて素晴らしいですね。普段も同人活動しているんですか?」
「私、個人サークルでも活動していてオリジナルの百合作品をネットに上げているんです」
得意げなアーレイは、こうして同人トークを次々と炸裂していく。
アーレイが右隣ブースと会話しているとき、左隣のブースとは、智美と秋姫が会話していた。
「うちは社会人グループでやっているミステリサークルだよ。はい、よかったら、一冊どうぞ!」
左隣のサークルが智美と秋姫に同人誌を手渡し、お礼に智美が部の同人誌を一部相手方に手渡した。
社会人は同人誌をめくり、智美が書いたページをざっと見る。
−−−−−
あるところに、古い歴史があり、お茶会やピクニックを楽しむ「文芸部」という高校の部活があった。
「校内新聞の締切ピンチなんで、コラム手伝ってもらえません?」
「午後に流すうちの部の放送、放送の子が休むんで、手伝いに来てもらえませんか?」
「演劇の脚本、なかなかいいアイデアが浮かばないんだ。一緒に考えてもらえるかな?」
「よし、全部、引き受けた。なんとかなるよ」
「もう、部長ったら!」
「文芸部」は、普段から他の部活(新聞部、放送部、演劇部)との交流を大切にしていた。
一方で「文芸部」に反発した生徒が立ち上げた「文化部」が登場。
文章や作品の意見交換にシビアな部が出てきて、文化祭で売り上げ部数対決を「文芸部」へ挑んでくる。
「やい、文芸部部長、勝負しろ! 負けた方が廃部というのはどうだ?」
「ううん……。やりたくないんだけれどな……」
「部長、あんな部に負けないでください!」
はたして、対決の結果はいかに?
−−−−−
隣の社会人は、いつの間にか夢中で智美の小説を読んでいた。
「ううむ。続きが気になる展開だなあ」
「ん……これ!」
秋姫も自分が書いた小説のページを開き、あたふたとアピールしてみる。
促され、目を通す隣の社会人。
−−−−−
ある街に、腕はいいけれど、プライドが高くて客を選ぶので、廃業寸前な自動車修理工がいた。
そんなある日、妹とその夫が交通事故で死亡。
妹の子、つまり姪を男は、引き取ることになったのが、当然、その自信はなかった。
姪の方もなかなか心を開かない。
もともと遠かったのにさらに遠ざかる二人の距離。
だが、姪を育てる為、仕事がないままではまずい。
何がまずかったのか?
今までの自分の考え方を反省して、男は頭を下げて同業者から様々な仕事を分けて貰う。
そんな彼を見て、姪は、一言、恐る恐る言葉を発する。
「おじさん……。私も、仕事、手伝っていいかな?」
「え……。仕事を手伝う?」
−−−−−
隣ブースの男はいつのまにか小説を読みながら、思わず泣き出しそうだった。
「良い話で泣けてくる。僕も姪に読ませたいな」
正午……。
そろそろお昼なのでお腹も空いてくる頃だ。
会場内は室内でクーラーがかかっているはずだが、1500ブース規模の大会場なので暑い。
会場内の客足は途絶えることなく、次から次と大勢の客たちが動き回るので、会場の熱気は冷めることを知らない。
「さあ、お昼ごはんにするぞ!」
智美はクーラーバッグから塩強めの梅干しおにぎりと凍らせたペットボトルを取り出し、ぱくり。
アーレイも保冷容器から凍らせた水が入っている1.5Lのペットボトルとおにぎりを取り出し、一緒にぱくり。
秋姫はお弁当を忘れてしまったので、会場の売店でからあげサンドイッチとお茶のペットボトルを買ってきていた。
「さすがに暑い。暑さ対策してきてよかった」
梅塩にぎりを頬張りながら、額から汗が流れた智美は溜息をつく。
「午前中は、まずまずですね」
凍らせた氷が涼しく輝く天然水を飲みながら、アーレイは午前を振り返る。
「ん、とりにく……とりにく!」
秋姫は自分のからあげサンドイッチを一瞬で食べてしまう、ぺろり!
●午後班
13時……。
周囲のブースたちもグループでサークル参加している者たちは、交代の為、頻繁に人がブースの内外を行き来している。
さすがにお昼頃なので、各ブースとも移動が激しい。
「よお、待たせた!」
副部長がブースに真っ先にやってきた。
「即売会って参加初めてですが、色々と見回ってしまいました」
ニナエス フェアリー(
ja5232)は大きな手提げを持ちながらブースに現れる。
清潔感のある半袖シャツにスラックス、後ろ髪はまとめてバレッタでとめた涼しげな恰好である。
午前中に購入した同人誌の少年漫画、少女漫画、特撮本が、袋にぎっしり。
「午前中はのんびりと色々と見て回ったんだー。 801とか興味津々だったなー」
ルーナ(
ja7989)も大きな手提げを両手に提げ、続いて現れる。
彼女はいつも通りのワンピースだが、暑そうというわけではない。
袋からは、怪しく輝いている美少年たちの漫画がぎっしり。
「この手のイベントは初めてなので、頑張りたい気がしますがやっぱ眠いです……」
ふああ、とあくびをしながら最後に現れたのは、 ハートファシアである。
黒のノースリーブワンピースを着こなし、髪はツインテールで決め、小さいシルクハットをかぶっている。
でも今さっき起きて、会場へ駆けつけた、という感じだろうか。
「午後班の皆さんが揃ったみたいですし、私たちも即売会見て回りましょうか?」
こなれた手つきでカタログをめくり、慣れてない智美と秋姫にあれこれ教えるアーレイであった。
13時半……。
ニナエス、ハートファシアと副部長はお弁当を忘れてきたので売店でサンドイッチを買い、ルーナは持参してきた幕の内弁当を開ける。
売店、混んでた混んでた。
並んで買って帰るまで30分近くかかってしまった。
その間、ルーナがしっかりお留守番。
「内部でクーラーが効いているとはいえ、この暑さ」
ニナエスは保冷剤を包んだタオルを首の後ろにあてながら、ボトルに入った天然水をごくり、と飲む。
「午前班に負けないぐらい、私たちも売り上げたいものです」
ハートファシアはウェットティッシュで額の汗を拭いながらも、もう片手でサンドイッチをぱくり。
「午後はのんびりするんだなー!」
ルーナは焼き魚を箸でほぐしながら笑顔で話しかける。
14時……。
お昼ご飯の時間帯は、他の参加者たちも食事で忙しかったのか、あまりブースは混まなかったようだ。
食べ終え、しばらく、ぼっーとしていると、隣のブースの人たちと目があった。
右隣の大学SFサークルの男(こちらも交代済み)がハートファシアに話しかけてきた。
「どうも、こんにちは。しがない大学のSFのサークルやっています。よかったら、どうぞ?」
ハートファシアは同人誌を一冊渡された。
「あ、ありがとうございます。うちの同人誌も一冊どうぞ」
彼女もお礼として自分たちの同人誌を大学生に手渡した。
大学生は、さっそくページをめくり出す。
−−−−−
麗しき容貌の美少女妃、アーレイ。
アーレイは、とある王の妃であったが、ある日、王は死んでしまう。
王の死を境にして、残された大臣たちはアーレイを自分たちの傀儡にしようと、あの手この手、権謀術数に明け暮れる。
「うぬぬ。大臣めは、いったい何を企んでいるのでしょう?」
「アーレイ様、負けてはいけません! 私がついています!」
アーレイを支える侍女のハートファシア。
二人は様々な妨害を乗り越え、政治に励み、民衆の支持を段々と得ていく。
やがて、二人は主従を越えた関係へ……。
そんなある日、王の死は大臣たちが仕組んだものだと判明。
「アーレイ様、あの大臣共をいよいよ討伐する時がきました!」
「最後まで一緒に戦ってくれますね、ハートファシア?」
−−−−−
隣の大学生は目元に笑みを浮かべ唸り出す。
「ふーむ。とても興味深い話ですね。おっと、ブース前にお客さんが来たので、この辺で失礼」
ハートファシアは微笑み返す。
「あとでじっくり読んでみてください。楽しいと思いますよ」
ハートファシアが右隣のサークルと会話していた同じ頃、ニナエスとルーナは左隣のサークルと会話していた。
「こんちはー。ダメな社会人でミステリサークルやってまーす。一冊、どうです?」
ダメそうな男は同人誌を一冊ずつ、ニナエスとルーナに手渡してくれた。
「うちのもお返しにどうぞ」
ニナエスは相手方のを受け取ると、すぐさま、自分たちの同人誌を相手に手渡した。
男は、ぱらぱらと同人誌をめくり出す。
「へえ、なんかいいっすね。どんな小説書いたんすか?」
ルーナが笑顔で答える。
「ボクたちは作家じゃなくて、絵師なんだなー! これ、この絵、ボクの」
と、ルーナが同人誌に載っていた礼野智美作「友情の輪と文芸部」の挿絵を細い指で思いっきり指した、これ、これ!
挿絵の前半では、文芸部の部員たちが他の部活部員たちとお茶会をしているシーンがぺらり。
半ばになると、文芸部部長が新聞部、放送部、演劇部たちの部活動を手伝うシーンがコマ切れになって奮闘中のシーンが。
後半の方では、文化部部長が文芸部部長に対決を挑み、文芸部部長はげんなりとし、文芸部副部長が目元に火花を散らし、部活同士の睨み合いの場面が。
「へえ、君、うまいすね。特に美少年とか。少女漫画とか描くんすか?」
ルーナは得意げに、えっへんと頷く。
「普段は描いてないんだな。でも今回は特別に少女漫画風の絵を可愛く描いてみたんだな」
男は、へえ、へえ、とか唸りながら、別のページをぺらぺらとめくる。
「で、そっちのお兄さん何描いたんすか?」
ニナエスは、自分の作品紹介の番が来た、とばかりに、ぱあっと笑顔になる。
彼は、桜坂秋姫作「とある自動車修理工の生き方」という小説の挿絵のページをめくり出した。
「私が担当した挿絵は、全て、水彩風になっています」
男は、へえ、ほう、とか言いながらページをめくる。
前半部分では、自動車修理工が他の業者から孤立しているような暗いタッチのシーンが出てくる。
ページをめくり、中半になってくると、男と姪の間に厚くて不透明な壁が二人を断然する場面が。
だが、最後の方になると、男と姪が自動車を一生懸命に一緒に直しているシーンで二人に笑顔が浮かんでいる。
「描線と濃淡には、特に気を配りました。なるべくやわらかいタッチになるよう心掛けました」
ニナエスが解説すると、同人誌は白黒だが、水彩のタッチが際立っているニナエスの絵を、男は食い入る様に見つめている。
「なるほどねえ。また独特な味でいいっすね」
15時……。
会場もラスト一時間ということで、客もサークルも、ぱらぱらと帰って行く。
それでも臨時部員の女性たちは、最後のひとがんばりだと、張り切っている。
「頑張って書きました……どうぞ?」
と、ブースでサンプル品を手に取っていた客に、ハートファシアは、首を傾けながら、笑顔で売り込む。
「いらっしゃいませーっ! どうぞ、見て行ってくださいねー!」
と、追撃するかのように、ルーナが客ににっこりと笑いかける。
可愛い女の子が笑顔で二人も売り込んでいたせいか、客の青年は、たじたじしながら、じゃあ、一冊ください、と恥ずかしげに言う。
女性二人は喜びながら、手を取って、踊り出す。
副部長はこほん、と咳をした。
「ところで、終了まであと20分もないだろう。客も途絶えてきている。ブースを片付け始めよう」
終了間近で、午前班が帰ってきた。
皆、疲れ混じりだが、表情に達成感も窺われる。
臨時部員たちの作品は部長へ反省を促す意図もあったが、メッセージは届いたであろうか?
<完>