暗闇に沈んでいた街を、月明かりが照らし出していく。その中に現れたのは、四車線道路の真ん中を踊るように進む複数の人影。そして、その中央を静々と歩く着物姿の女学生。
まるでダンスホールを往くように進む一団の後ろにあるのは、放棄された幾つかのヒヒイロカネ――恐らく先遣隊のものであろう――或いは破壊され、放棄された車列。
最初こそ警官隊や撃退士に包囲されていた彼らだが、もはやその行く手を阻むものは無い……
「素敵な月夜にこんばんはですの」
否。舞踏会に、永遠などという言葉は無い。いずれは時計が鐘を鳴らし、その終幕を告げるのだ。
ましてや、これは悪趣味な人形劇。最後まで黙って観覧など、出来ようはずがない。
故に。舞台の外から、観客席から声が掛けられた。その声に反応した操り人形達が見たのは、知らぬ間に正面に居る少女。
足音、いや、衣擦れの音一つさせず、操り人形達の前に立った紅 鬼姫(
ja0444)は、彼らに向かって小さく手を振った。
「……そして、さようならですの」
一瞬、月を背に黒羽を浮かばせ。弓なりの笑みを一つ残して、その姿はゆらりと街角の影に薄れて消えた。
『……?』
現れた時と同じように唐突なそれに、ディアボロが小さく首を傾けるのとほぼ同時。街角から、それぞれの得物を手に歩み出た一団がある。
久遠ヶ原学園の撃退士達の到着だ。
「……悪趣味な……」
それぞれのV兵器の間合い。そこまで接近して気付いた事実に、クレメント(
jb9842)が小さく眉を顰めた。
それは、ディアボロの周囲を囲む市民の状態。中央のディアボロが無傷であるのと対称的に、彼らは既に『満身創痍』の状態であった。
ある者は胴に多数の弾痕を残したまま歩き。ある者は腕を一つ失い。ある者は首から上を砕かれ。いずれの姿を見ても、もはや生存しているとは考えられない。先遣隊との戦闘の結果であろうが……それでもなお、彼らは鉄パイプを握り、拳銃を振りかざし、撃退士達に向かって攻撃を行おうとする。
こんなものを、悪趣味以外のなんと形容すれば良いのだろう。こんな、人間の尊厳を一切無視した敵を、許容など出来得るはずがないのだ。
「彼らは、既に命の火が消えた状態……」
そんな彼らに対し、蓮城 真緋呂(
jb6120)が、構えを作った。その緋の瞳には、感情の色は移っていなかったけれど。
「それを操って戦わせるなんて許せない」
白く澄んだ手の中で、小さく涼やかな音を響かせた。
音の正体は、彼女の刃。仏の名を関する愛刀、阿弥陀仏連華。冥魔を斬るのに特化したその刃は、この敵を倒すには最適である。
彼女の構えた一刃の力に気付いたのか。ディアボロが、『操り人形』を動かした。それは、撃退士達の前に立ち、盾となる動き。前衛が鉄パイプを振り上げ、後衛が拳銃を構え。
「……どいて」
その一言を合図に。撃退士達が、アスファルトを疾走した。
この人形劇を終わらせるために。
操り人形にされた人々に、せめてもの引導を渡すために。
「蓮城さん、援護する!」
「分かった、任せる」
短い言葉と同時に、浪風 悠人(
ja3452)が蓮城の前へと出た。彼が構えるのは、シャインセイバー。その名の通り全体を眩く輝かせる細身の剣は、月明かりしか光源の無い中では若干目立つかも知れない。
だが、構えたところでシャインセイバーでは間合いの外。ディアボロは特に構えることなく、配下となった警官に射撃を指示しようとし――
「せめて、安らかに眠ってください……」
浪風が一瞬、黙祷を捧げる様に視線を下げた。次に視線が上がった時には、既に彼のシャインセイバーは光の色を変えている。
白く光り輝いていた剣身は黒色に。溜め込まれたエネルギー量を誇示するかの如く、漏れ出した力がパチパチと弧を描く。
「――“封砲”……!」
次の瞬間。彼の正面、直線状の操り人形達が弾け飛んだ。三人を巻き込んだ“砲撃”はディアボロをも掠め飛ぶ。
スキル【封砲】。その一撃が、操り人形によって守られていたディアボロの姿を露わにする。
『………………』
だが。普通のディアボロであれば、この一撃でもはや行動不能となっているだろうが。それでも、操り人形と化した人間は動く。全身の骨を砕かれようと、足を吹き飛ばされようと、ディアボロにとっては関係ないのだ。ディアボロがすいっ、と手を上げれば、糸に操られるように人形達が立ち上がる。
「ならば……!」
それならばと。撃退士達もまた、覚悟を決める。如何なる障害を使われようとも、それを突破する覚悟を、だ。
たとえ、それが死体であっても。その死体が人間であっても。より大きな被害を食い止めるためには、絶対にこの場でディアボロを破壊しなくてはならない。
故に。【封砲】によって拓かれた空間に、撃退士達は飛び込んだ。
「悪く思うな。火急的速やかにおたくを無力化してやるのが、俺のせめてもの情けだ」
布が張られ、空気を押し出す破裂音が一つ。それは、ロングコートが翻る音だ。その音に、操り人形が虚ろな視線を向ける頃にはもう遅い。既にその四肢は切断され、鉄パイプが落ちる鈍い音だけが木霊している。
ジョン・ドゥ(
jb9083)。その足運びは鋭く軽快で、死体を操るディアボロに対し高速での判断を迫る。その手の中には武器等無く……否。違う。時折月明かりの中にちらりと光る刃がある。夜色をした、双剣が。
ナハトデーゲンの銘を有する剣だ。それをまるで腕の延長線のように器用に扱い、彼は他の撃退士達と共に操り人形の群れを斬り進む。が……
『……』
ギチリ、と。撃鉄が起こされる音が、小さく、しかし確かに響いた。警官の使うニューナンブМ60。38口径の弾丸は、決して撃退士達に致命傷を与え得るものではない。が……精神的な効果は、また別な問題だ。人間が、人間に撃たれるというのは想像以上の苦痛を――
「ロック!」
「おぉ!」
ジョンの鋭い叫びに、すぐさま反応が返った。呼びかけに応じて飛来したのは、上空から突き刺さった弾丸。それは、操り人形の腕を吹き飛ばすものではなく、的確にその武器を狙うものだ。
狙いは、過つ事無く警官の拳銃を直撃し、それを弾き飛ばした。二撃目など要らない。一撃で、だ。
「一般市民をゾンビにした罪は重いぜ……! ジョン! 遠慮はするなよ……」
上空というのは、得てして生物にとって死角だ。故に、そこに目立つ存在が居ても、気付けないことがある。
今のこの状態が、まさにそれだ。ディアボロも、視線を上げてやっと気づいた。
夜空の中に、紅蓮に燃え盛る人影がある。にじみ出るそのオーラは、多少努力して隠そうとしたところで……やはり、目立つ。
神鷹 鹿時(
ja0217)。爛々と光るその瞳には、ディアボロに対する鋭い怒りが浮かぶ。その怒りを体現するのは、彼の手の中にある銃――いや、銃と呼んでいいのだろうか? それは、撃退士が扱う装備の中でもトップクラスに長いというのに。
全長1020mm。神鷹は決して背が低い方ではない。が、今彼の手の中にある銃は、彼の半身を優に超す長銃身を誇るのだ。
スナイパーライフルMX27。その名は伊達ではなく、V兵器の中でも屈指の射程を誇る。その射程距離は、当然ディアボロにも届き……
「……っと!」
しかし、同時に警官の拳銃の射程圏内でもある。如何に長射程と言えでも、それはV兵器の中では、だ。通常の拳銃と比べると、その射程は御世辞にも大きいとは言い難い。
故に、目立つ彼に対し射撃が集中する。慌てて翼を消して地上に降りる彼を支援するのは、クレメントだ。
「……心が持ちません」
彼の攻撃は、決して操り人形の破壊を狙ったものではない。槍で転ばせ、突き飛ばし、怯ませる攻撃だ。単純な破壊ではすぐに立ち直ってしまう相手でも、これならば効果的に時間稼ぎを出来る……が、それでも限界がある。敵は幾ら叩きのめそうとも動くことが出来るのだから。
「とりあえず動きを制限しませんと……」
己を半円状に包囲する操り人形達と少しの間視線を交わし。彼は、一つのスキルを詠唱した。
「――“コメット”」
瞬間。生み出されるのは、無数の彗星だ。本物程の大きさがあるわけでは、当然ない。が、アウルで生み出された彗星は彼の頭上をクルリと旋回した後……轟音と共に、操り人形達へと激突した。
『………………!』
これが、決め手だ。彗星は、激突したときに一つの効果を残す。それが……
「重圧です。これで、動かせないでしょう」
淡々と。クレメントが声を掛けた。その相手は必死に操り人形を起こそうとするディアボロ。が、【コメット】の効果は絶大だ。操り人形は皆浮き上がることすら許されず――
『……』
故に、ディアボロは決意した。自身が動き、撃退士を狩ることを。彼ら6人を狩り、新たな操り人形とすることを。目尻を下げ、笑顔と形容できなくもない表情を作り出し。
ディアボロが、跳ねた。
「っ……!!」
最初に狙われたのは、浪風だ。彼だけは、操り人形の攻撃に対し、唯一防御行動を行わなかったからだ。故に彼の体は彼方此方に鉄パイプで殴られた痣を残し、額には銃弾を撃ち込まれた時にできた切り傷が残る。
だからこそ、狙えると判断されたのだろう。しかし、彼が防御を行わないのは、相手が“人間”であったからこそだ。
「でも、ディアボロが相手なら!」
引き、構えるのはシャインセイバー。その剣身とディアボロの爪が激突し……
『……』
金属を削る甲高い異音と共に、一撃は防がれた。しかし。
「……!」
もう一撃が、即座に叩き込まれた。速攻、それも精度の高い一撃。どうにか躱すが、纏うヴァルキリーメイルの装甲には深々と傷が残る。
「もう一撃来るか!?」
さらに振りかぶられるディアボロの腕に対し、浪風が防御の為に下がろうとし……
「貴女も元は人間でしょうけれど、悪意の魂を込められた時点で倒すべき敵なの」
そこへ、蓮城が飛び込んだ。最初の一撃こそ不意であった為見逃したが、二度目は無い。そして、一度見切った技を喰らってしまう程、彼女は甘くない。
「――“アイビーウィップ”」
まだ、阿弥陀仏蓮華の間合いには遠い。が、刀を振った。それに応じて生み出されるのは、植物の蔦。
『……!』
それが、ディアボロの首を締め上げた。それでもなお前身しようとする相手に対し、蓮城は躊躇なく阿弥陀仏蓮華を捨てた。即座に引き出されるのは、アルゲンテウス。蜘蛛の糸よりも細く、月光を反射して光ることでのみ己の存在を示す鋼糸。
「これで、どう……?」
アイビーウィップの効果が切れる前に、それを首に掛け、渾身の力で引き絞る。
『……!』
真っ白だったディアボロの首筋に、一筋の赤い線が刻み込まれた。玉のように膨れた血がたらりと垂れ……しかし、切断しきれない。
だから。一瞬苦痛に歪んだように見えたディアボロの表情が、また笑顔へと戻った。目は弓なりになり、細く閉じられた瞼の奥には、確かに蓮城を舐るように視る瞳がある。
「っ……」
蓮城の表情に、焦りの色はない。しかし、その頬を一筋の汗が伝う。
「こいつ……!」
当然、他の撃退士達も黙っているわけではない。ジョンが走り、神鷹がライフルを撃ち、クレメントが槍を振るう。
が、それを銃弾が邪魔する。重圧に動きを縛られてなお、操り人形が撃つ拳銃だ。それが撃退士達の対応を遅らせた。
敵に、武器を持ち変えさせる時間など与えない。今されたことを、全て倍以上にして返してやろう。そう言いたげに、蓮城の首に向かってディアボロが手を伸ばした、その瞬間。
「素敵なお召し物、汚してしまうのはとても残念ですの」
ディアボロの纏う着物の裾。それが、軽く引かれ、持ち上げられた。
『……?』
ディアボロの視線が、きろりと後ろを見る。
そうだ。何故操り人形の攻撃を一切防がない浪風が、あの程度の怪我で済んでいるのか。何故、幾らクレメントに援護されたとはいえ、神鷹を銃弾が直撃しなかったのか。
彼女が、大きく動く仲間の影に潜み、援護していたのも一つの要因なのだ。それらの要因が重なることで、誰一人欠けることなくこの状況へと辿り着いている。
遁甲を使って、極限まで己の存在を隠し続けていた紅が。ディアボロの裾を、興味が無くなったと言いたげに手放した。そこからは、一瞬の動きだ。
ディアボロが、さらに己の首へとワイヤーが喰い込むことも厭わず振り返り、腕を振り上げ。それよりも早く、紅が鞘から二刀の刃を解き放ち。
「……さようならですの」
最初にディアボロに向かって行った言葉を、もう一度繰り返した。刃をつっ、と伝うのは、一本の朱い線。
「ちゃんと、最初に言いましたの」
小太刀二刀、龍虎。それを一度軽く振って血を払い、パチンと鞘に納めるのとほぼ同時。
「死ぬには良い夜ですの。ほら、あんなにも月が綺麗ですの」
紅の後ろで、一筋の水流が炸裂した。横一列に弾けたそれをするりと躱し、彼女はふわりと翼を広げた。
「それでは皆様、哀しみに昏れる絶望に満ちた良い夜を……」
首刈り姫は、決して獲物を逃しはしない。宙へと踏み出した彼女の後ろで、ことんとディアボロの首が落ちた。
哀しげに虚空を睨むそれは、まるで悲劇の少女の首のようだった。
「こんな事するディアボロを見ると凄く腹立つぜ……! 俺達は殺人鬼なんかじゃないのにな……!」
戦闘が終わり。やってきた警官たちが状況の整理を始める中、とうとう動かなくなった市民の死体の側で神鷹が苦々しい叫びを上げる。そう、彼らは死んでいたとはいえ、天魔ではなかったのだ。それを害すなど、出来れば避けたい事だった。
「ごめんなさい……もう戦わなくていいから」
そんな彼の横で、蓮城が開いていた犠牲者の瞼を降ろしていく。
そうして暗く沈んでいく空気を吹き飛ばすように、ジョンが警官から貰った缶を掲げる。
「ああー終わった。せっかく終わったんだ、今は冷たい飲み物が一杯欲しいだろ?」
そう言って、撃退士達一人一人に缶を投げていく。それをキャッチしたクレメントは、ふと周りを見渡して呟いた。
「……おや? 浪風さんは?」
あちこちに散らばっていた犠牲者の破片を集め、それに鎮魂歌を捧げて。浪風は、待っていた警官たちに敬礼を一つ送る。
「手伝うので、出来れば彼ら被害者の供養は出来ないでしょうか?」
浪風の提案に対し、警官たちが小さく頷いた。
「もちろんですとも。被害を出したのはディアボロであって、彼らではありませんから」
ご協力、感謝します。そう言って警官たちは頭を下げ……ちらりと、同僚であった死体へ視線を移した。
「あと……彼らを止めてくれて、ありがとうございます」
ほんのわずかに表情を曇らせて。警官たちは、また状況生理の為に散らばっていく。
少しでも街の復興を早めるために。ディアボロの残した傷から、少しでも市民を守る為に。
Fin