●悪魔はいつも一歩引く
「よろしくお願いします……」
依頼書で指定場所とされていた空き教室へ集まった撃退士。彼らに対して、依頼主である悪魔、エレナはぎくしゃくと頭を下げた。
天使や人間と話すときは、酷く緊張する彼女だ。無駄に力が入っていて、撃退士達に椅子を進める時には机にぶつかって転倒しかけた。
「エレナさん、まず俺の考えていることなんだが」
撃退士の中で一番最初に口を開いたのは、鳳 静矢(
ja3856)だ。
「皆でフォローするから、佐原さんの歌を聴いて学園に来る事を決意したって事……一度真剣に伝えてみたらどうかな?」
「そ……そうですね。私もそうした方が良いと思います……」
鳳にただ話しかけられただけでもなお緊張を強くするエレナ。その様子を見て、美森 仁也(
jb2552)が一歩前に出た。
「落ち着いてください。俺も悪魔ですよ」
そういって、美森は一瞬己の本性を現した。黒色だった髪が輝くように銀色へと変わり、金色の瞳がエレナを見据える。ばさりと広がった翼と尻尾は、彼が悪魔であることを雄弁に語る。
それが、エレナを少し安心させたのだろう。彼女は微かに笑みを見せた。
「……激励会?」
「はい。パーティーにかこつけて、愛さんと仲良くなれば話しやすいと思いますの」
華澄・エルシャン・御影(
jb6365)の提案に、エレナは小さく首を傾げた。
パーティーという意見に、奉丈 遮那(
ja1001)も賛同するようにゆっくりと頷く。
「たしかにいいですねぇ、パーティー。鳥料理とか出たら嬉しいのですけど」
どうやらパーティーに参加することを決めたらしく、鳳がその意見を素早くメモに書き留めた。
「じゃあ、私はエレナさんと一緒に、愛さんへ招待状を届けましょう」
五十鈴 響(
ja6602)の言葉にエレナも頷き、一先ず激励会を開く方向で流れが固まった。
一度決まれば、撃退士達の動きは大変早い。何しろ、彼らはこういう事が大好きなのだから。
鳳が激励会を開くための空き教室を確保するため職員室へと走り、奉丈ものんびりとした動きで教室の外へ向かって歩いていく。
「……ありがとう、皆」
はぐれ悪魔が、少し俯きながらそっと呟いた。
●歌姫はすぐに逃げ出す
昼食の時間。食堂の隅でサンドイッチを食べる佐原 愛の隣へ、同じくお昼ご飯を持った奉上がスッと歩み寄った。
「あのぉ、すみません。他の所が一杯なので、お隣に座ってもよろしいでしょうか〜?」
相手を警戒させないように、持ち前ののんびりとした雰囲気で話しかけた奉上。出来れば激励会の前に愛に話を聞いておこうという考えだったのだが……
「ご、ごめんなさい、済みません! 私音楽室に行きますから……!」
愛は、サンドイッチを抱えてパッと立ち上がると、一目散に逃げ出してしまう。それこそ、奉上が止める暇もない程素早い動きだった。
「……あれ? まさか、こんなすぐに逃げられちゃうなんて……」
確かに依頼前にエレナに聞いた話で、愛が人見知りだとは聞いていたが……まさか、これ程とは。予想以上の人見知りに、奉上はただただ目を丸くすることしか出来ない。
そんな様子を、遠巻きに観察していたのは、同じく愛から話を聞こうとしていたソーニャ(
jb2649)だ。彼女も、愛が歌をどのように思っているのか聞いてみようと考えていたのだが……
「……あの様子だと、まだ難しいかしら」
苦笑いしつつ、走り去る愛の後ろを慎重についていく。どうやらこの歌姫、よほど気をつけないと怯えた兎のように逃げ出してしまうようだ。
「……愛の事だし、多分奉上さんとソーニャさんは大変だろうな」
五十鈴と共に招待状を作りながら、エレナは肩を竦める。彼女は字が下手なので、実質招待状を書いているのは五十鈴なのだが。エレナはごく稀にこうした方が良いと思う、と口を出すだけの状態だ。
代わりに彼女が行っているのは、美森の提案で始めた調べ事。
「それだと、激励会の会場にも来てもらえるか少し不安ですよね……大丈夫でしょうか?」
美森が、華澄と共に卒業生の就職先を調べながら首をかしげる。彼らは、撃退士を続けながら歌の教師なども兼業する卒業生を紹介することで愛を説得しようと考えていた。幸いにもその考えは功を奏したようで、撃退士と音楽教師を兼任している卒業生は数人リストアップできている。下調べにしては、上手くいっていると言えるだろう。
「よし、っと……こんな感じで良いかな。さっそく持っていく?」
五十鈴が招待状を広げ、それをのぞき込んだエレナが感嘆の声を上げる。女の子らしく可愛らしい絵などを描き加えているのは、エレナにはまねできないところだ。
「上手だ……ですね。よし、さっそく持っていきましょう」
一瞬素が出たエレナに、美森がクスリと少し吹きだした。
「激励会……ですか?」
エレナに渡された招待状を手に、愛は戸惑った様子を見せる。いや、それもある意味無理はないかもしれない。
何しろ、エレナと共に五十鈴と美森、そしてとても目を輝かせた華澄が付いてきているのだから。
「貴方が音楽室で歌っているあの綺麗な声の方ですね! 凄い上手だなぁって感動してたんです!」
華澄の一言に、愛は少し嬉しそうな笑みを浮かべた。
「有難う御座います……」
そして。自分の好きな音楽を褒められたからだろうか。人見知りな彼女にしては、珍しく決断が早かった。
「あの、エレナも居るなら……激励会、参加させてもらいます」
そっと招待状を胸ポケットに仕舞って、愛が頭を下げる。
作戦が上手くいったことに、撃退士達は内心でグッとガッツポーズを決めた。
●歌姫の為に
放課後。招待状を持ってやってきた愛と共に、激励会は始まった。激励会と言っても、普段久遠ヶ原学園の生徒が行う茶会とそう大きな差があるものではない。五十鈴が紅茶を用意し、美森が飲み物を用意し、華澄がパイやケーキを用意し、そして……鳳が、ひたすらフライパンを振るう。いや、単に真剣に料理を作っているだけなのだが、鳳のような高レベル撃退士が真剣になると、それだけで何か鬼気迫るものを感じる。
それを、大丈夫なのかしら? と言いたげに見ながら奉上はサーブされてきたから揚げをサクサクとつまんでいた。ちょっと雰囲気が暗いのは、やはりお昼愛に逃げられたのが少しショックだったのだろうか。
何はともあれ、鳳が全力でフライパンを振り続ける中、激励会は進行していく。
「愛さんって、歌が好きなんだよね。歌の事、どう思っているのかな?」
最初に口火を切ったのは、ソーニャだった。彼女は、愛がそれとなく教室の隅へ移動しようとするのを見逃さなかったのだ。
ソーニャの唐突な問いに、愛は一瞬動きを止めた。
「好きだけど……止めないと駄目かなって思ってます。じゃないと、私……」
俯いた愛に、美森がスッと一枚の書類を差し出す。それは、久遠ヶ原学園に所属している撃退士や、卒業した撃退士の資料。
「佐原さん、知っていますか? 久遠ヶ原学園だけでも、これだけの人が、音楽と並行して撃退士の仕事をこなしているんです」
資料を見て、愛は目を丸くする。どうやら、資料に書かれていた人数は、彼女が思っていたよりも多かったらしい。
「でも……私は……」
しかし。その資料を見ても、まだ愛は首を横に振った。それは、音楽を続けないという意思表示に他ならない。
「そんな……せっかくそんな綺麗な声をしているのに……」
エレナの声は、しかし愛には届かない。そうして一瞬彼女が躊躇した隙を突くように、愛は頭を下げてその場を逃げ出そうとする。
が。それを、スッと渡された紙皿が遮った。上に載っているのは、卵焼きやウインナー、サンドイッチ、おにぎり。かなり盛りだくさんで、そっと持たないと崩れてしまいそうだ。そんな皿を渡されたため、愛は慌てて立ち止まる。
「それらは私が作ったものだが……味はどうかな?」
鳳だ。彼は先日の依頼で重傷を負っていたが、それでもこのぐらいの事を軽くこなす技量を有している。
「え……えっと、凄く美味しいです……」
あっさりと、自然に行われた通せんぼで、愛は逃げる気を失ったらしい。卵焼きを一つ摘み、小さく頷く。そんな彼女に、鳳は改めて口を開いた。
「私はよく戦地に行く……が、こうして好きな料理も楽しんでいたりする。佐原さんも、歌が好きならば無理にそれを捨てる必要は無いのではないかな?」
「で、でも……!」
思わず、といった動きだった。愛はパッと鳳を見据える。
「私……いっつも後衛ばっかりで、それに援護も下手だから皆を傷つけてばっかりで……だから、強くならないと……」
言葉の最後は尻すぼみで、俯いてしまう。しかし、それを聞いて五十鈴がそっと近寄った。
「愛さん、私はダアトで後方支援ばかりですが、自分が出来ることを考えてる。それに、撃退士は、幸せな日常を守る為に存在してると思う。だから、聖歌隊も続けるし、オルガンも諦めない」
五十鈴は、強い意志の籠った視線を愛に向ける。その視線を受けて、愛は少し身を竦めた。まるで、自分とは違う何かを見つけたことに驚いたように。
「そうですよー。戦闘も最前線だけが戦場ではありまえんから、それ以外で頑張ることも出来るはずです〜」
のんびりと、奉上が頷く。しかし、その言葉にも愛は首を縦に振らない。
「でも……私は全然実技が出来ないから、歌う時間だって戦う練習に当てないと……」
「好きな時に来て歌えば? まったく歌う時間がなくなるわけじゃないでしょ」
頑なな愛に、ソーニャが言う。それでもまだ動かない彼女に、ソーニャは少し笑みを浮かべた。
「それに、湧き上がる気持ちは止められない」
――音楽って、そんなものじゃないの?
その一言に、愛は大きく目を見開いた。自分の一言が、彼女に何らかの変化をもたらしたと気付いたのだろう。ソーニャは、すいっと部屋の一点を指さす。
「それに、君という音楽を見ていてくれる人? もいるしね」
その指の動きにつられて視線を向けた先に居たのは、エレナだ。彼女は困った様子で頭をかく。
「困ったな……私の言いたいことは、撃退士の皆がすでに言ってしまった……」
でも、敢えて言うなら。
「私は、愛の歌を聴き続けたい……ぞ?」
エレナの一言に、やっと愛は首を縦に振った。泣きそうな顔を袖で隠して、しかししっかりと頷いた。
●人と悪魔の架け橋
「ありがとう……皆のおかげで、愛も歌を歌い続けてくれると言ってくれました」
私のエゴに付き合わせてしまった、と頭を下げるエレナに、華澄が笑顔を見せる。
「これからは大丈夫。貴方も、自信をもって愛さんを支え続けてあげて。また困ったことがあれば、力になるわ」
「撃退士以外の仕事を目指すのも、お金だったり、専門的な勉強だったり、色々ハードルはありますけど、そういうのを相談できる人がいるのも大事ですよね〜」
その点、愛さんはもう大丈夫でしょう? 奉上の言葉に、愛も小さく頷く。
そうして依頼を終えて帰っていく撃退士達に……二人は、飛びきりの笑顔を見せた。自分たちの為に、必死に頑張ってくれた彼らの為に。