●暗き森を切り開いて
鬱蒼と生え茂った木々に閉ざされた空。
歩を進めていく度に、体力を殺ぐようなぬかるんだ地面。
ただ、生ぬるい空気が彼らの体を包み、気力を減退させる。この不快な環境は、まるで何かおぞましい生き物の体内へと足を踏み入れてしまったのかと錯覚するほど。
「ふむ……この報告書、少し引っかかりますのう」
虎綱・ガーフィールド(
ja3547)は、斡旋人から受け取った報告書を読み進めながら、ぽつりと呟きを零した。
「なにか、問題でも?」
その呟きを拾った宮田 紗里奈(
ja3561)は、周囲を警戒しつつ、虎綱へと訊ねかける。
「何とはいえぬが何か足らぬような気がするのですよ」
虎綱は生来の暢気さを今は潜めさせ、真剣な眼差しで報告書を読んでいた。
木々を操る、猿人型のディアボロ『賢人』。自らの領域であるこの暗い森を増大させ、着実に自分の領土を増やしていく、非常に厄介なタイプのディアボロだ。だが、報告書は余りにも情報が少ない。
「どちらにせよ、今は警戒を続けるしかない」
「だな、待っていてもどうにかなる物でも無いだろ。俺たちは反応があったら、作戦通り、ど派手に切り払うだけだ」
天空寺 闘牙(
ja7475)と久遠 仁刀(
ja2464)の二人は、虎綱の違和感を認めつつも、前衛として自らの役割を果たすことを推奨する。
『賢人』というディアボロの情報は決して多くない。完全な作戦を取るには、斡旋人からの情報では、圧倒的に不足している。ならば、撃退士たちが取るべき手段が、どのような未知が襲ってこようとも、最善の態勢で迎え撃つこと。
「そうで御座るな。だからこそ、自分たち前衛の役割があるで御座る」
「……前方に、集中。なのです」
虎綱と紗里奈は頷き、再び周囲に警戒に戻る。
そう、彼ら四人はあくまでも前衛。大胆に敵の懐へ踏み込み、森を切り開いていく者たちだ。そして、前衛がいるということは当然、後衛も存在する。
「……静か……だね。何か気配、感じる?」
八辻 鴉坤(
ja7362)は周囲の静けさを怪訝そうに呟く。
森とは、一種の完結した世界である。森の中では生き物たちの食物連鎖によって構築され、その循環によって森の生態系が保たれている。だが、この森は余りにも、そういう生き物の気配が希薄であった。
「小動物などの気配は感じられませんわね。けれど、嫌な感じはこの森全体からひしひしと伝わってきますわ」
卜部 紫亞(
ja0256)は不自然にざわめく木々に、魔導書から生み出した雷をぶつけた後、ため息混じりに言葉を吐き出す。ディアボロの能力によって、不自然に増大していく森。そして、木々を操る能力。つまり、撃退士たちはいつでも襲われる可能性があり、一瞬たりとも気を抜くことは許されない。
「木々の増殖か、砂漠化の進む処に居てほしい能力だな」
御影 蓮也(
ja0709)も軽口を叩きつつ、紫亞同様に、時折、不自然にざわめく木々を睨みつけている。だが、蓮也の意識は木々のほかにも、このぬかるんだ地面に向けられていた。
「ここ最近、この地帯では降雨が観測されていない。いくら陽が当たらないとはいえ、これは……」
蓮也がその疑問を推理する前に、周囲の木々が一層、ざわめきを増す。
「さて、いよいよだね。1kmか……短い距離じゃないよな」
久遠 栄(
ja2400)は木々が激しくざわめいた所へ、練りこんだアウルを放ち、マーキングした。この暗き森は人の方向感覚を狂わせ、惑わせる物。この様に目印を付けていかねば、混乱に陥った場合、最悪の結果になりかねない。
「ま、念のためにね……方角もこれで迷わなくて済むだろう」
肩をすくめつつも、栄の涼しげな目は、次第に激しくなっていく木々の動きをしっかりと観察している。
「……来る。薄くて、広い気配だ」
鴉坤の生命感知が、ディアボロの気配を察知。それと同時に撃退士たちは、既に襲い掛かるそれに意識を向けていた。
――――死闘が始まる。
●賢人襲来
襲い掛かる木々と、撃退士たちが戦闘を始めてから数十分が経過していた。
「まだ、温いな」
四方八方、ほぼ全ての方向から襲い掛かる枝の槍を、仁刀の大剣が切り捨てていく。その姿はさながら嵐。森の中で荒れ狂う小さな暴風だった。
「燃え尽きよ!」
虎綱が操る猛火の蛇が、襲いかからんとする木々を飲み込み、燃やし尽くす。大木すら一瞬で燃やす火蛇だが、戦闘を同じくする仲間たちには火の粉すら飛ばない。虎綱の精密な操作が、それを為しているのだ。
「この程度ならば、問題は無い」
「薙いで、進む」
金色に輝く鎧を纏う闘牙は、正確無比な拳の一撃により、倒れ掛かる大木を叩き潰し、小さく鋭い針の如き一撃を食らわさんと放たれる枝の槍を、紗里奈のトンファーがなぎ払う。
派手な動きだった。
今まで慎重を計っていた撃退士たちにしては、余りにも派手で消費が激しい動き。けれど、これこそがこの作戦の肝でもある。
激しく、苛烈な攻撃。
今まで敵対した撃退士たちが倒れ付した攻撃を、より強力な攻撃によって封殺する彼らに、この森の主は危険感を募らせていく。
「こちらからは姿を確認できない…そっちから目視できる?」
「ええ、確認したわ」
そしてついに、前衛から離れた位置で虎視眈々と様子を伺っていた後衛が、猿人型のディアボロの姿を補足。危機感を募らせ、より精密な攻撃で撃退士たちをしとめようとした白き仮面を被った、猿人型のディアボロ――『賢人』が鬱蒼と生い茂る枝葉の潜んでいたのを発見した。
「――!?」
「ようやく捕まえたぜ……ここからが勝負だなっ」
栄が放ったアウルが『賢人』に撃ち込まれ、十分という制限時間内ではあるが、栄には『賢人』の位置が手によるように把握できる。これでもう、撃退士たちが『賢人』を見失うことはない。
「右だっ!そっちに行ったぞっ!」
栄の声により、撃退士たちは、予め分けておいた前衛と後衛を、『賢人』逃がさないための陣へ迅速に変化させる。
『賢人』は、陣が完成する前に、木々を操って撃退士たちを分断しようとするが、
「させるか」
蓮也が残像すら残らない動きで張り巡らせたカーマインが、木々の動きと、『賢人』の動きを両方鈍らせる。そして、そのまま『賢人』をぬかるんだ地面まで引きずり落とした。
引きずり落とされた状態の『賢人』の姿は、まさに隙だらけ。この好機を歴戦の撃退士たちが見逃すはずがない。だから、ここで撃退士たちが動けなかったのは、彼らの慢心でも油断でもなく――――『賢人』というディアボロの本領が発揮されたからだ。
「なんともこれはいっぱい食わされたというやつで御座るな」
虎綱は額から冷や汗を流しつつ、撃退士たちの心境を代弁する。
撃退士たちを拘束したのは、木々ではない。それが植えられているぬかるんだ大地が、泥が、スライムの如く液状化したものだった。
『賢人』という名のディアボロは木々と同化し、操作するディアボロなのではなく、土壌に寄生し、それを操作するディアボロなのである。急速に森が増大したのも、自身が操作しやすい木々を創造したのも、全部その能力の延長線上だ。
そして、多くの撃退士たちを葬った無数の槍が拘束された撃退士たちに殺到し――鮮血が舞った。
●だから彼らは恐れない
鮮血は確かに、この暗き森に舞い散った。
だがそれは、決して撃退士たちの敗北を示すものではない。
「やれ、日々鍛錬に励んできた成果もちょっとはあったみたいだな」
何度も繰り返された愚直なまでの鍛錬。その一端が、仁刀の一撃に現れていた。大剣を振るったことにより生まれた黒い衝撃波は、オーラの軌跡を描き、霧虹の如く揺らめく。そして、撃退士たちを拘束する泥、木々の槍を薙ぎ払った。自身が流した鮮血を代償として。
「泥だ。あいつはこの泥濘によって、木々も操っている――奴の周囲を乾かせないか?」
降雨もないのに不自然なぬかるみ。木々に加え、泥も操作する能力。点と点が結ばれ、蓮也の頭の中で一つの解答が導き出された。
「承知! 燃え尽きよ!」
「くらえ、雷光の牙を!」
虎綱が操りし猛火の蛇が、『賢人』を飲み込み、大地を焦がす。闘牙が地面に突き立てた拳から雷光が発生、地面を伝わり、『賢人』の足元から天へと、雷が奔る。
けれど、まだ『賢人』は倒れない。
「ぐ、しぶといな……」
二人の攻撃を喰らった『賢人』だが、すぐに体勢を整え、切り払われた枝の槍を掴み、撃退士たちへと投擲。闘牙が自らの鎧でそれを防ぐも、『賢人』は素早い動きで、既に離脱行動に入っていた。
『賢人』は撃退士たちの包囲の中から、僅かな隙間を探し、そこから抜け出していく。
「やはり来たわね」
そう、紫亞がわざと空けておいた微妙な隙間から。紫亞の魔導書から放たれる攻撃は、威力は低めながらも、確実に『賢人』の行動を阻害、離脱を防いだ。
「……ここは下がって」
次いで、『賢人』の腕から放たれた木の槍を、鴉坤のシールドが確実に止める。
「俺では……きっと力が足りない……仕留められないから……でも」
鴉坤の言葉は嘆きではない。なぜなら、彼はきっとわかっているからだ。自身の力が不足していようと、鴉坤が『賢人』の攻撃を止めることによって、仲間がその不足を補ってくれると。
「これで、終わらせる」
ぬかるんだ泥の中から、飛び出すは紗里奈。一陣の疾風が如く、『賢人』へと肉薄する。
本来は、自分の領域であり、『賢人』が見逃すことはないぬかるんだ大地。けれど、度重なる攻撃と包囲により、意識が削がれていたのだ。
このまま逃走しようとしても、初速の差で紗里奈からは逃げ切れない。だから『賢人』は紗里奈を迎え撃とうと、木々から鋭い槍を作り出し、迎え撃つ。猿人さながらのフットワークで紗里奈を翻弄しようとするが、
「ちょろちょろと素早さが自慢か?止めてやるぜ、お前の動き」
栄から放たれた精密な狙撃が、『賢人』の動きを縫いとめる。
そして、紗里奈の影と『賢人』の影が交差。振りぬかれたトンファーと、突き出された槍が、お互いの持ち手の運命を決めた。
「…………」
無言で紗里奈は頬を拭う。紗里奈の頬には、泥のほかにも、一筋の赤い線が。
『賢人』の胸には、トンファーで叩きぬかれた大穴が。
一度痙攣し、体を揺らめかして倒れ付す『賢人』。どさり、という何気無い音が、撃退士たちの勝利を示していた。
「まだ居るかもしれない。森は? 増殖が能力なら、倒した今、変化があるんじゃないか?」
蓮也の言葉を証明するかのように、『賢人』を倒したことにより、鬱蒼と生い茂っていた木々たちは塩の柱の如く結晶化、そして塵へと帰っていく。
「……なるべく、森は。残して、欲しかったですが」
「まぁ、自然環境的にはそれでよう御座ろうが。森が広がったままだと、やはり問題で御座るからな」
どこか残念そうに呟く紗里奈と、ほっと胸を撫で下ろした様子の虎綱。この暗き森は、元々理を捻じ曲げられた増殖した虚像に過ぎない。その虚像を、撃退士の彼らはどう捉えただろうか?
もっとも、例え、あの暗き森にどんな意味があろうと、『賢人』という名をもったディアボロにどんな意図があろうと、それは彼らが恐れるにたる理由ではない。
未知という名の恐怖も、最善と勇気を兼ね備えた撃退士たちの足を止めることは出来なかったのだから。