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目の前に鬼がいる。
だというのにルーガ・スレイアー(
jb2600)はまずスマートフォンの操作を優先した。
「折角だから、久々に…」
慣れた手つきで何やら画面を操作すると、スマートフォンを首にぶら下げる。
どうもこの悪魔、動画配信サイトに戦いの様子を配信しているようだった。
「……おお! 早くも視聴者さんが一人!」
「ルーガさん、真面目にやってくれねえっすか……」
声を弾ませるルーガに平賀 クロム(
jb6178)は気の抜けたような声をかける。
普段シマイが前線に出張る機会などそうは無い。シマイと会話できるこのチャンスをクロムとしては逃したくはない。
「分かっているのだ、平賀殿。見てくれる人が居るなら余計に負けられないしな」
「てのもあるっすけど、シマイが先にここにいた以上、何か事前に仕掛けていてもおかしくないっすから」
油断は出来ない、という視線を受けて、ルーガも戦士としての表情で頷き返す。
クロムが炎のアウルを纏わせると同時、翼を広げて飛び上がり、上空から周囲を見渡す。
改めて、薄暗い空間だった。
上空から敵の動きを掴み、味方への奇襲を防ぐために宙に位置取ったつもりだ。
しかし、薄暗い上に周辺は雑木林に囲まれた自然公園。ダメ押しとばかりに相手の外観が黒いと来ている。
そうなると、平時程の索敵効果は望めないかもしれない。
「シマイのおっさんは相変わらず悪趣味だな」
ケイ・フレイザー(
jb6707)は阻霊符にアウルを込めながら後方への意識を強める。
顔だけを動かして周囲を見る限り、目の前の三体以外に敵は居ないように思える。
「…お気に入りは連れてきていないのか」
お気に入り、とはシマイのヴァニタスである八塚楓の事だろう。
恒久の聖女達との諍いに割って入ってきた戦場でもその姿を確認できなかったことから、本当に連れてきていないのかもしれない。
だが、相手はシマイ・マナフである。
確実に伏兵なり、罠なりを仕掛けているだろう。言葉にこそ出さぬが、それはこの場に居る撃退士達の共通認識であった。
「ダミーの次が時間稼ぎの鬼ごっこねェ。バル、そっちお願いね。オッサンの抜け殻みたいな伏兵鬼、きっちり見つけるわよ」
「了解だ、ジーナ殿」
ジーナ・アンドレーエフ(
ja7885)とバルドゥル・エンゲルブレヒト(
jb4599)が鬼達を正面に左右に散る。
意識して息を吸い、息を吐く。周辺の生命反応を探知すべく感覚を研ぎ澄ます。
同時に牙撃鉄鳴(
jb5667)が後ろに退き、正面の鬼達の射程から一度逃れた。
索敵の精度を高めるためには、それを行う者の数を増やす事が手っ取り早い。
両目にアウルを集中させ、暗闇の先を見渡す。
ルーガが上空から戦場を見下ろして感じたように、鉄鳴もまた普段よりも索敵の精度が落ちている事を感じていた。
勿論、薄暗がりの中でもそのシルエットを認識することが出来れば、アウル越しに見つめる世界の中で鉄鳴は確実に敵の存在を捉えることが出来る。
例えばほら。遊歩道に立つ鉄鳴の左右。
雑木林に一体ずつ潜む、鬼達の姿が。
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「左右に二体だ、気をつけろ」
鉄鳴の鋭い声に反応したか、二体の鬼が彼目掛けて飛び出し、左右から触腕を振るう。
挟み撃ちにされてしまう状況で全ての攻撃を余さず避けることは、歴戦の者でも難しい。
だから、鉄鳴が下す決断はシンプル。左から振るわれた触腕に自ら当たりに行くように横へ跳んだ。
当然、左からの一撃を避けることは出来ないのだが、右から振るわれた触腕を避けることに成功する。
二体より一体のほうが軽い。
「範囲内に敵数4……いや、5か? 見える位置の他、右手の林に一体だ」
「ごめんねぇ、こっちの反応は正面の2つだわァ」
バルドゥルとジーナが生命探知のためにアウルを解き放ったのは鉄鳴が攻撃を受けた直後のことだった。
バルドゥルが捕まえた反応は5。正面の三体と鉄鳴を襲った内の一体、そして正面右手の林の中にもう一体。
一方でジーナの探知は奮わない。正面三体の内二体の反応を捕まえるに留まった。
正面に三体、後方に鉄鳴を襲った二体、そしてバルドゥルが発見した姿の見えぬ一体。
これで全てか、あるいはまだ伏兵が居るかは判断出来ない。
とはいえ、索敵ばかりに心を割いていても状況は進まない。
これは隠れん坊ではなく、鬼ごっこだ。鬼はいずれ向こうからやってくる。
「鬼ごっこ、か。全部殺してしまえばもう追いかけられないな?」
「然り、でございます。しかし、相変わらず面倒なことばかり仕向けてくる方でございますな」
外で様子を見ているに違いない悪魔へぼやくと共に、ヘルマン・S・ウォルター(
jb5517)の構えた漆黒の小銃が正面に居る鬼の一体を的確に捉えた。
銃弾に付随して舞う蝶のようなアウルが鬼を侵食し、その意識を薄れさせる。
走り始めた鬼の身体がバランスを取れず地面に転がる。
それでもまだ動こうと地を這うように手足を動かし続ける鬼へと、アストリット・シュリング(
ja7718)が冷徹な声と共に光の矢を叩き込んだ。
「出し惜しみはせんよ。残念ながら、他者より秀でる所のない只人なのでね」
一瞬の内に鬼の身体が霧散していく。
元より、鬼達はあまり耐久力の無い種族なのだろう。
先ほど攻撃を受けた鉄鳴にもそれほどダメージが生じていない様子を見るに、数が増えるという特性を頼りに数で押すタイプのようだ。
そこまでを一同が感じ取る間に、残った二体が生命探知のために僅かに突出したバルドゥル目掛けて突き進んでいく。
鬼ごっこのセオリーは複数の鬼が一人を集中的に狙うことである。
孤立しないように立ち位置を意識していたが、それでも確実に索敵を行うために多少なり散る必要がある。そこに付けこまれた形だ。
互いが互いの逃げ場を奪うように振るわれた二つの触腕を、バルドゥルは捌き切れない。
それでも無理やり身体をひねり被弾を一度に抑えたことは賞賛されるべきことだろう。
次の鬼は、ジーナのすぐ近く。遊歩道と雑木林の境に音もなく現れた。
「ジーナさん、一旦退くっす!」
息つく暇もないとはこの事か。ジーナは飛び退るように現れた鬼との距離を取った。
「ヘルマン、牙撃を頼む。あっちは俺とクロムが」
「かしこまりました」
ヘルマンが鉄鳴の方へと向かうのを気配で感じながら、ケイとクロムはバルドゥルのフォローへ。
鬼がバルドゥルへ追撃の触腕を振るう前に、アウルの蝶を纏った光球が、銃に込められた紫電が、二体それぞれを穿つ。
「ワイ将、平賀殿のほうに近づいてくるアヤシイ影を発見!」
「俺の方でも確認した。平賀、来るぞ」
ルーガと鉄鳴の目が雑木林の奥からクロム目掛けて走る鬼の姿を捉えた。
阻霊符を使っていたために草の中を駆ける足音も聞こえる以上、それは最早奇襲とは言えない。
真正面から振るわれた触腕を、クロムは難なく回避。
「集まったわねェ」
一人を複数で襲うことをセオリーとする鬼ごっこ。ならば、自然と鬼達が密集してしまうのは当然のこと。
ジーナの言葉と共に、無数の流星が鬼達へ降り注ぐ。ケイとクロムによって足元が覚束なくなっていた二体など、消える前から形も残らない。
「ルーガちゃんのドーン★といってみよーお!」
ルーガの放つ黒いアウルの光に飲み込まれ、ジーナを追い駆けるように距離を詰めてきた鬼が消滅する。
ルーガもまた広範囲を攻撃できる技で敵を一網打尽にしようと狙っていたが、上空から放つ直線範囲攻撃はよほど敵が纏まっていない限り複数を巻き込むことは難しい。
もっとも、ルーガ程の力量を持つ者の攻撃ともなれば、敵からすれば恐ろしいことに変わりはないのだが。
その後も残る鬼達は何とかその数を増やそうと足掻き、また数体程数を増やしはした。
だが、鉄鳴が目となり、ルーガが見下ろす戦場では雑木林を活かした奇襲など撃退士に通じるはずがない。
「いい加減に終いだと良いのだがな…」
振るわれた触腕を地を這うように掻い潜るアストリットの手から雷が迸る。
ばちり、と空気が爆ぜた音が響くのと、動くことの出来ない鬼目掛けて数多の攻撃が降り注ぐのはほぼ同時。
「やれ。これで、ようやくゆっくりお話が叶いますな…」
ヘルマンが呟いたのは、周辺を囲っていた黒い壁が次第に薄れていった為だ。
今ほど倒した鬼で、この下らない児戯もお終いなのだろう。
「やあ、お疲れ様。頑張ったみたいだね」
結界に閉じ込められる前と全く変わらない薄い笑みと共に、シマイ・マナフが歩み寄ってきた。
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歩み寄ってくるシマイがまだ何かをしでかしてくるのではという疑念を一同は消しきれない。
そんな中、歩み寄ってくるシマイにルーガがスマートフォンを向ける。
「リスナーの皆さんになんか一言とか言えー」
「あ、それがカメラ?」
向けられたスマートフォンに対し、シマイもポケットから端末を取り出し画面を覗きこむ。
「うわ本当だ、俺が写ってる。一部始終これで見てたとは言え、俺が写ってるってちょっと感動だなぁ」
「リスナーさんはお前だったのか…」
更に言えば、視聴者は結局最初に視聴していた1人から増えなかった。
「なあ。結局あの子は連れて来なかったのかい?」
まさか視聴者が敵だったとは、と若干ブルーになりながらもシマイの言動を逃すまいとカメラを回すルーガを押しのけるように、ケイが一歩前へ。
「あいつも人気だねぇ。ああ、その通りだよ。今回はお留守番、さ」
「ふぅん……それにしても、アンタんとこの可愛い子、イイよな。いじめたくなる。
なあ、何でこんな絶好の機会に連れて来なかったんだ?」
人と人同士が争い続ける、そんな戦場だったというのに。
揺れ動くヒトへの感情を、諦観と憎悪の色へと塗り直すにはもってこいだったというのに。
「いじめたくなるだなんて酷いな。あいつは結構ナイーブなんだ、優しくしてやってほしいね。
今回は俺個人の友達付き合いだったしね。種子島に一人も指揮できる奴を置かないのは危ない訳だよ」
指揮が出来る者がいなくなるのは拙い、だから楓を残した。確かに言っていることは筋が通っている。
だが、種子島で確認できた中では、ディアボロに指揮を出せる存在はもう一人居たはずだ。
そいつではなく、楓が残った理由は何なのか。
「お前、楓の記憶や感情に何か手を入れたっすか?」
考え込むケイから言葉を継ぐように、クロムが切り出した。
ポケットに録音機を忍ばせ、その言動を録る準備も整えてある。
問うた言葉は、シマイを取り巻く状況の中で、彼が一番気になっている事柄。
「俺が楓の記憶に手を入れたって? そんなことする訳無いじゃないか」
「すっげえ胡散臭い口調っすね…」
「信用ないな俺も……なあ、君。あいつをいじめたくなるって言った、君なら分かるだろう?」
答えの代わりに、シマイはケイを指さした。
怪訝な表情を浮かべるケイを他所に、変わらぬ微笑が、少しだけ深くなる。
「心ってのは何も手を入れないまま一番美しいんだ。俺が手を入れたらもう、ただの人形劇さ。
俺の意のままに動き続けるあいつも悪くはないんだろうけれど、それはつまらないからね」
「ですが、貴方が彼を惑わしていることもまた、事実ではありますな」
ざり、と小さく地面を踏みしめながら、ヘルマンが睨むようにシマイを見遣る。
その視線を正面から受け止め、シマイはわざとらしく肩をすくめる。
「心外だね。従者が揺れているなら、それを正すことも主の務めだろう。
元よりあいつは、人を捨ててでも成し遂げたいことがあるんだ。それにNGを突きつけて惑わせているのは、むしろ君達の方じゃないのかい?」
「よくもまあ、ぬけぬけと言って下さいますな…!」
彼の事情を知らぬ訳ではないだろうに。
ヘルマンの声に弾かれたように、バルドゥルとアストリットが動く。
バルドゥルが編み上げた聖なる鎖を放ち、それをシマイが弾く一瞬の間にアストリットが側面へ回りこむ。
「あんまり、おじいちゃんに無茶させないでほしいのよねェ」
異界から呼び出した何かの手がシマイの足を掴みその動きを制限すると同時に、ジーナがアウルの流星をシマイ目掛けて撃ち込んでいく。
「本人に言ってほしいね。君らが言ったほうが聞き分けいいんじゃないの?」
足を動かせない中、シマイが左手で宙に円を描いた。
描かれた円に一瞬で青の着色がなされ、降り注ぐ流星群を受け止める盾となる。
「そうは言ってもな。爺様の思いは、貴様が思う以上に強いものだ」
バルドゥルがそう告げた瞬間、シマイは気づく。
ヘルマンの姿が、無い。
「腕の一本、ないし眼球の一つぐらいは、手土産に頂きたく」
ジーナの放った流星群を隠れ蓑に、アストリットとは逆側面にヘルマンは構えていた。
力を、込める。一瞬で練り上げた黒いアウルが力の奔流となり、一直線にシマイへ降り注ぐ。
「悪いけれど、それも勘弁だね。あいつを心配させたくはないからね」
けれど、シマイがまだ一つ上手だった。
今度は右手が円を描く。描かれた円には、黒の着色。
迫るアウルの暴力が、掲げられた黒の円に呑み込まれて消えてしまう。
「……! ケイ殿、離れろ!」
アストリットが気付いたのは、偶然と言ってもいい。
シマイが黒い円を生み出した瞬間、ケイの頭上に同様の物が生まれていた。
ケイの身体が反射的に動く。彼が飛び退った直後、頭上の黒い円から生まれた黒い光がケイの居た地点を撃ちぬいた。
ヘルマンが喉の奥で小さく唸る。見れば分かる。ケイを襲ったあの黒い光は、自分が放った一撃だ。
攻撃を跳ね返すのではなく、別の者へ向かうように仕込んでいるのだから始末が悪い。
「お得意の結界術でございますか」
「正解。鬼ごっこ中、俺が何か仕込んでいると君たちは考えてたみたいだけれど。
じゃあ、君達を待っている間に俺が何の仕込みもしなかったなんて……考えないよね?」
崩れない微笑はそのまま、周囲の温度が下がったような錯覚。
次の一手を打てず動くことの出来ない一同を見ていたシマイだが、不意にマフラーを一つ直すと共に回れ右。
「ま、そろそろ俺はお暇させてもらうよ。君達も鬼ごっこで結構疲れただろう?」
「待て」
けれど、最後までずっと様子を見ていた鉄鳴が手に持つリボルバーのハンマーを起こし、振り返るシマイ目掛けて引鉄が引かれる。
放たれた銃弾がシマイの髪を掠め、前髪を数本落とした。
「金でも何でも借りはきっちり返さないと気が済まない性格なのでな。いずれその余裕ぶった顔を撃ち抜いてやる」
「怖いなぁ、じゃあ精々撃ち抜かれてしまわないように気をつけないと、ね」
最後に、シマイはようやく笑った。
常に崩さぬ微笑ではなく。楽しそうな、実に楽しそうな笑顔。
「今日の日はさようなら、また会う日まで……なんてね」
のんびりと去っていくその歩みを止めることが出来る者は、居ない。
(了)