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「……くっそー、情けねえなぁ」
ロヴァランド・アレクサンダー(
jb2568)の呟きは静かな部屋の中で、やたらと響いて聞こえる。
己よりも弱い者を護る事こそが矜持、かつ誇り。そんな自分が逆に捕まってしまっただなんて。
その無様が恥にしか思えぬロヴァランドは苛立たしげに青い床を一度蹴り、しばしの沈黙。
「……目ェ、チカチカしてきた。早く出ようぜ、こんな所」
「そーだね。人質の事もあるし、ちゃっちゃと解決したいトコだよ」
ポケットから取り出したメモ帳に見取り図を作成しながら、クラウス レッドテール(
jb5258)も軽い口調で同意を示す。
物が少ない為、見取り図の作成はすぐに終わった。クラウスはそれをテーブルの上に置くと、テーブルの脇で白桃 佐賀野(
jb6761)が問いかけが綴られているメモに目を落としている様子を横目でちらと見遣る。
そして、部屋に設置されている四種のオブジェも念のためにとデジタルカメラに収めておく。
その佐賀野。一度メモに踊る文面を指でなぞり、「ふふ」と小さく笑みを零す。
「刹那を刻むものっていうのは秒針のことかな?」
「だと、思われます。世界は時計、残りの二人は長針と短針でしょうね」
佐賀野の言葉を継ぐように紗衣(
jb8401)がテーブルに歩み寄り、カウンターを拾い上げる。
「つまり、『時計の長針と短針は一日の内に何度重なるか』という問題になります」
間違っていないか、と一同へ目線を送る沙衣に、誰もが異論を挟まず首を縦に振る。
問題の根さえ分かれば後は回答を示すだけ。
かちり、かちり、かちり、かちり。カウンターが数字を刻み続ける音を手元で感じながら、紗衣は閉じ込められたこの結界へ想いを馳せる。
信頼を試し、そして壊してしまおうとという黒い意思。それが許せないと同時に、哀れにも思えてしまう。
こんなやり方を採る誰かは――あるいは、こんなやり方しか採れない誰かは。余程哀しい生き方をしているとしか思えないから。
かちり。
カウンターが、22を示す。
その横腹に取り付けられた赤いボタンを、躊躇うことなく押し込む。
かちり。
部屋の隅々にまでその音が響いた様な錯覚。
周囲を見渡せば、青の中に異なる色彩、四つ。
花瓶が、黄色に染まっていた。
「紗衣おにーさん、すごいの!」
「失敗したら…と思うとさすがに肝が冷えましたがね」
満面の笑みで拍手を送る天童 幸子(
jb8948)に、紗衣は照れくさそうな表情を返す。
幸子の持つ無邪気な空気に笑みをこぼしながら、ディアドラ(
jb7283)は他の部屋に向かった仲間たちと連絡を取り合っていた。
真っ先に赤の部屋へ連絡を取ったのは、彼女にとって気になる人がその部屋にいたからだろうか。
「他の部屋にもこういった問いかけがあるみたいですわね。それと、数こそ一致しないとはいえ、オブジェの種類も共通のようですわ」
「扉の前のパネルは?」
「今確認していただいていますわ……パネルの種類はここと同じだそうですわよ」
問いかけに返ってきたディアドラの声に、クラウスは先程確認したパネルをもう一度見やる。
一歩遅れて佐賀野がそれに続き、パネルの縁をなぞる。
「『正しい答えを刻む事が出来るのであれば、何かが鮮やかに彩られる』ってのは、花瓶が黄色に変わった、これだよね」
「そうだね〜、だから、『その彩りを持つ部屋に、変わった何かの数を問うと良い』っていうのは…」
「黄色いお部屋にいる人たちに、花瓶が何個あるか聞けばいいの?」
かくり、と首をかしげながらの幸子の声に「よくできました〜」、と両手でマルを作りながら佐賀野が返す。
正解を貰えたことが嬉しいのか幸子は一度小さくジャンプすると、黄色の部屋のメンバーへと連絡を取る。
「黄色いお部屋の花瓶、一つだって!」
念のために、とディアドラは他の部屋のメンバーともいくつか言葉を重ねる。おおむね、他の部屋も同様の答えが導き出せたようだ。
この扉を開くためには、『黄色』『花瓶』『1』、このパネルを押せばいい。
「鍵が解った所で次の部屋に行きたいトコだけど、ここまで大がかりなことして向こうが謎解きだけで終わらせるとは思えないよね」
「だね〜。俺としては頭脳労働よりは向いてると思うからいいけど」
黄色に染まった花瓶を写真に収め、その他にも部屋に変化した物がないか探し終えたクラウスの呟きに、佐賀野も頷いてみせる。
十中八九、この先には敵がいるだろ。
「私が敵でしたら、扉が開いて入ってきた相手を待ち構えて、ズドンとやってしまいますわ。固まっていたら一網打尽ですわよね」
「だなァ。この中じゃ一番耐久力のある俺が先行するのが良いだろォな。向こうの攻撃を集めるから、そしたら頼むぜ」
ロヴァランドが光を纏い、その身に白い鱗を発現させる。
爬虫類の持つ細長い瞳孔が戦いの予感に奮え、爛々とその輝きを増していく。
「みんな、準備できたみたいなの!」
他の部屋と連絡を取り合っていた幸子とディアドラ、そして紗衣がそれぞれ三種類のパネルの前に立つ。
「――、せーのっ!」
かちり。
幸子の掛け声で、パネルが押し込まれる。
待ちかねていたように、扉が開く。
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扉が開いたと同時、ロヴァランドが嘲罵のオーラを纏い、次なる部屋へと飛び込む。
扉をくぐり抜けた一瞬で周辺状況を集め、瞬時に整理する。
右手側奥に開け放たれた扉があり、外の光が漏れている。出口だろうか。
敵は六体、部屋の奥に半円を描く様な形で配置されている。扉が開いたことを認め武器を構えたようだ。確かレッドリザードとか言った個体だ。
そして、目の前。部屋の中央に設置された格子、その中に護るべき無力な者達八名。
「面倒くせェ…さっさか助けてこんな場所とはオサラバだぜっ! おらっ、来いよ薄っぺらい鱗野郎!」
身に纏うオーラだけではなく言葉でも挑発を重ねながら、まずは右手、出口側の壁目がけて足を動かす。
言葉が通じた訳ではないだろうが、敵全ての害意が己に向けて集まっているのが分かる。
まず第一関門はクリアできたか。壁際に辿りついたロヴァランドは、集まるだろう攻勢に向けて防御への意識を高めて――
気付く。
「……! 伏せろ!!」
部屋の中央、撃退士が飛び込んできたことに希望を見出し、ロヴァランドに近い位置へと集まっていた人質たちへ、焦った様な声を飛ばす。
その後ろ。ロヴァランドがいる地点から格子を挟んだ位置に居る二体のリザードが、小さく息を吸う音。
レッドリザードは炎を吐く個体である。その有効射程もそう短いものではない。
そして、注目を集めるロヴァランドに敵は我先にと攻撃を集めるだろう。
ならば。一足で届かぬ距離にロヴァランドがいる場合、敵はどうやって彼を攻撃するか。
鋭い呼気が閉じられた空間に響き、おびただしい熱を孕んだ風がロヴァランドへ迫る。
そして。
「うわぁあああ!?」
「あっ、熱い……!」
ロヴァランドの警告が幸いしたか、炎に直撃した者はいない様だった。
だが、それでも服の端に火がついて一人が悲鳴を上げ、周囲の者達が慌ててそれを消そうと駆け寄っている。
直後、携帯が鳴る。赤の部屋からの連絡によれば、檻は敵を倒さないと壊れないこと。人質を放置して誰かが脱出すると、他班や人質に被害が出ると言うことが告げられた。
撃退士達の表情に、焦燥と緊張が滲む。
格子が挟まれたこともあり、ロヴァランドへ届いた焔は想定した程ではなかったが、それは撃退士の尺度で言えばの話だ。
移動して射線をずらそうにも、近寄ってきた残り四体の槍や炎が容易に人質の安全圏へ移動させてくれない。
突き出された槍の一撃をアウルの盾で受け止めながら、奥の方で更にリザードの喉が赤く光る気配。射線は今も一般人を巻き込む位置に在る。
やめろ、と叫びそうになった刹那。
歌が、響いた。
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敵の意識が先行したロヴァランドへ集まった事を認めるや否や、残りの五人も部屋と飛び込んでいた。
状況を把握した佐賀野と紗衣、そしてクラウスは目線で抑えに回るとディアドラ、幸子へ告げて走り出す。
「――♪、〜〜…♪」
己を誇示するように歌い続ける佐賀野と、それに続く紗衣。
その後方ではクラウスが銃を構え、今にも炎を放とうとしているリザード目がけて銃のトリガーを引く。
響く歌声と踏み込む足音がリザード二体へ敵性存在の接近を知らせる。
すぐそこに居る敵に背中を見せてまでロヴァランドを攻撃するほど、リザード達も間抜けではない。
「貴方の相手は私です」
紗衣が突き出したハルバードが敵の槍によって反らされ、佐賀野が振るうワイヤーがクラウスの銃撃を避けた別のリザードの肉へと喰い込む。
一体一が二つ出来た形式。佐賀野とクラウスが壁に背を向けたまま戦っている限り、この二体が放つ炎が一般人へと届く事態は起こらないだろう。
「どうも撃退士でーす、おまたせ〜」
「悪いね遅くなって。怪我したみたいだけど大丈夫?」
武器を揮いながら、佐賀野とクラウスが格子の中の一般人へ声を投げる。
「ああ、コイツも火傷はしたけど大丈夫だ」
服に付いた火は既に鎮火されており、火傷を負った者も呼吸こそ荒いが致命傷ではないようだ。
紗衣は安堵の吐息を漏らす。突き出された槍の一撃を捌き切れずに腹部を掠め、じんわりと痛みが広がっていくが、それを気に解さず人質となった彼らへ向けて落ち着いた声を投げかける。
「あなた方は我々が必ず助け出します。どうか信じて今少し耐えて下さい。私はあなた方と仲間を信じます」
「――ああ。俺達も、信じてる!」
その声色で、人質達の心に熱が灯ったことを撃退士六名は理解する。
「信じられちゃったね。こりゃ、余計に負けられなくなったなぁ」
軽口を叩きながら、クラウスが真正面からぶつかる二人をサポートすべく、的確なタイミングで銃弾を放ち続ける。
「いいんじゃないの〜? ほら、何かドラマみたい。君の声が俺の力になるのさ! なんてね〜」
佐賀野の言葉に小さく笑いながら、紗衣は突き出された槍の一撃を精確に見切り、手に持つハルバードをその穂先を目がけて叩きつける。
その衝撃でリザードの手元から槍が零れる。咄嗟、リザードは武器の回収すらせず炎で紗衣へと追撃をかけるが、それでも紗衣は止まらない。
一閃。炎を割る一撃がリザードを下から上へとなぞる。
リザードの身体から鮮血が咲き、青い床に赤が広がるのは、その一瞬後のことだった。
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「人の子を害するなら、ねえあなた。死んでおしまいなさいな」
冷え切った声と、それに付随する冷たい目。
ディアドラが放つ光の針の周辺に蝶が付随し、リザードの一体を襲う。
ロヴァランドへ意識が集まっていたが故に、標的はその攻撃を回避できない。
気付いた時には目前に脅威が迫り、突きささる痛みと共に意識が朦朧とする。
「おっきいトカゲさん、怪我した人をいじめちゃダメなの!」
次の一瞬、痛みと朦朧、そのどちらも消えて失せる。
リザードの頭部に突きささる衝撃と爆音。幸子の炸裂符が直撃したのだ。
防御行動を何一つ取れない状況での一撃が決まってしまえば、余程の存在でない限り耐え得ることなど出来はしない。
「っ、炎が来るぞ!」
ロヴァランドが相手取る二体の後方に居るもう一体が、炎を放つ。
可能なら散開して炎へ備えたいが、人質を巻き込まないために壁側を背にし続ける必要があるため、それも難しい。
立ち位置を散らす事が出来ず、ロヴァランド、ディアドラがその炎に呑みこまれる。
「おにーさん、おねーさん!」
悲鳴にも似た幸子の声に応えたのは、再度放たれた光の針と、蝶。
カオスレートの隔たりが生む攻撃はディアドラには随分と堪えるが、それでも彼女は悪意を恐れない。
争いは好まないとはいえ、阻まねばならぬ悪意も、護らなければならない者も存在する。
「温い焔ですわね。これでは、倒れてあげられませんわよ」
光の針が炎を吐いたリザードへ突き刺さり、それに付随する蝶が敵の意識をかき乱す。
「そォだな。ちろちろ弱っちィ炎しか出せねえ癖にでけー顔してンじゃねーぞ?」
言葉と共に炎の中から生えてきたワイヤーに身体を絡め取られ、リザードは悲鳴を上げるように一つ、吼えた。
コイツめがけて、どれほど槍を突き立て、どれほど炎で焼いただろうか。
もう倒れて良い筈なのに、あと一歩が届かない。
何故、何故お前は倒れない――!?
「――俺を焼きたかったらこいつの五倍は持ってこい!」
ロヴァランドが、吼えた。ワイヤーが幾重もの刃と化し、リザードを切り裂く。
重い音が地面に伏せる音が、聞こえた。
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「これで、終わりなの!」
幸子が放つ何度目かの炸裂符が弾け、爆発がリザードの身体を打ち据える。
その一撃でとうとう、最後まで抵抗を続けていた一体も倒れた。
それがスイッチだったのか、檻の中と外を隔てていた格子が次第に薄れていき、数秒後にはその姿を消す。
囚われていた者の一人が格子のあった空間に手をかざし、何も無い事を確認する。それを認めて一人、また一人とおっかなびっくり撃退士の方へと歩み寄っていく。
安堵で張り詰めていた糸が切れたか、崩れるように膝を落とす者を、慌てたようにディアドラが支える。
「お待たせいたしましたわ。随分と恐ろしい思いをさせてしまいましたわね」
「いや。助けてくれるって、信じてたから。なんて言うんだろうな。
その、あれだ。撃退士と一緒に戦えてたみたいで、ちょっと嬉しかった、かもしれない」
照れくさそうに鼻をこすりながらの言葉に、ディアドラもまた笑みを返した。
「怪我してるおにーさん、大丈夫なの? 幸子、手当てしてあげるの!」
最初に炎に巻かれた者に、幸子が近寄っていく。
治癒の為のスキルを持つ佐賀野が最初に処置を行おうと彼に声をかけていたのだが、「自分よりも戦っていた人を」とロヴァランドを指して聞かなかったのだ。
「お嬢ちゃんみたいな子も撃退士なんだな…怖かったろ」
幸子のたどたどしい手つきでの治療に少々顔をしかめながらも、自分よりも年下の女の子があの恐怖と立ち向かっていたのかと、今更ながらに感嘆の表情。
その声に、幸子は一度治療の手を止めて首を横に振り。
「ゆきこは座敷童子のゲキタイシ。みんなにしあわせ運ぶのがお仕事なの。痛くても辛くてもがんばるの!」
幸子ちゃんマジ天使。治療を受けながら彼が目頭を押さえたのだが、さておく。
「ま、とりあえず出ようか。他の所も気にはなるけれど…まあ、皆やってくれるよね」
皆、幸子が配った食料を腹に収めて大分落ち着いてきた。
雑談ついでに将来の為自分の名前を売り込みながら周囲を写真に収めていたクラウスが、頃合いかと切り出した。
他の部屋の動向が今どうなっているのかは分からない。が、仮に戦闘中であるとすれば、余計な通信が何か致命的な綻びを生む可能性だって、ゼロでは無い。
大丈夫だ。きっと、皆やり遂げてくれている。
そう信じる事が出来る。
さあ。出よう。
青だけの単調な世界を飛び出て、色彩溢れる種子島の地へ。手と手を取り合って。
(了)