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夜の砂浜は、随分と静かだった。
寄せては返す波の音だけが世界の全て。恋人同士が肩を寄せ合い言葉を囁き合うのにこれほど適した場所もそうはあるまい。
――その中に、異物が無ければの話ではあるが。
知らねば判らぬ事とは言え、静かなこの場所に恐ろしい化物が居ただなんて、一般人は特に信じたくないに違いない。
「いつ何時、何が起こるか等、判らないモノですよねえ…」
ディアン(
jb8095)としては、上等なのかもしれないが。呟く言葉には、今から始まる戦いへの歓喜の色が強いようにも見られた。
「そう思いませんか? 堕天使」
「……かもね。けれど、人に危険を及ぼすなら、排除しないとね。そうして安心感を与える事が、ヒーローの役目でしょう?」
ディアンの声に覇気無い声で返すアデル・リーヴィス(
jb2538)の瞳に、しかし決意の色は灯らない。
やる気が無い訳ではない。『ヒーロー』たれ。そう在るために手段を選ぶつもりはない。
「ふふっ、夜の海も素敵だね。水着でも着てくればよかったかな。勿論ビキニだよ?」
「えっ」
一方で、白桃 佐賀野(
jb6761)にウィンクと共にそんな言葉を投げかけられた宮路 鈴也(
jb7784)は思わず『彼』を見つめ返してしまう。
格好こそ女物の服装であるが、確か佐賀野は男性だった筈だ。普通に女の子と言っても通りそうなほど可愛らしい外見ではあるのだけれど、それでも男性だった筈だ。それが、ビキニ?
しばしの間戸惑うように佐賀野を見つめる鈴也。やがてその視線に笑いをこらえられなくなったのか、佐賀野の笑い声が小さく周囲に響いた。
「ごめんね〜、期待した?」
「……その、あまりからかわないで欲しいんですけれど…」
「ふふ、悪かったって。まあ、よろしく頼むよ〜」
ばしばしと背中を叩かれて何とも微妙な表情を浮かべながら、鈴也は事前の作戦を思い返しながら意識を切り替えていく。
その隣で、前髪に隠れた瞳の奥、顔無 喪普子(
jb8389)の目が砂浜の上を動き回る三つの巨体を見据える。
先行していた撃退士が照らすライトの向こう、今はどの個体も地上に居るのが確認できた。
その表情が見えない以上、何を考えているのかを正確に読み取る事は非常に難しいのであろうが、今は本人がその心情を吐露してくれる。
「う〜む、被害者が出てしまってますかぁ…私とは直接の関係はありませんが〜、やはりいい気分はしないものですねぇ……」
勿論、被害者と言ってもまだ死者が出た訳ではない。けれど、人が襲われたことは事実である。故に、この先本当に誰かが殺められてしまう前に、危険の芽を摘み取らねばならない。
きゅ、と。拳を小さく握り締める。普段のゆるさはそこには無い。
撃退士として誰もがそう在るように、喪普子もそう在る。自身を偽る術に長けた一族であろうと、その気持ちは偽りでは無い筈だ。
阻霊符にアウルを込め、各々が光を纏う。
七組の足が砂浜を踏みしめ、害意を狩らんと一斉に駆け出していく。
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「ワーム型かぁ……可愛くないよね」
撃退士達の接近を察知したか、臨戦態勢に移るワーム達を眺めながらそう呟いた草薙 タマモ(
jb4234)の身体が光の翼によって宙を舞う。砂浜は相手の土俵。向こうが有利だと分かっている場所でわざわざ戦ってやる道理など無い。
タマモに追従するように喪普子も陰影の翼をその背に生むと、ある程度の高さを保ちながら戦場全体を把握出来る位置を取ろうと空を駆ける。
「それにしてもぉ〜……ワーム達、最初から地上に出てましたねぇ〜…」
呟くような喪普子の声に焦りは無いが、誤算と言えば誤算であった。
ワームは地中からどうやって狙いを定めていたのか、という疑問に対して、撃退士達は熱源を頼りにしているのではないか、という推測を立てていた。故に自分たちよりも熱を持つカイロを多量に用意していたし、それによって敵の強襲位置を誘導する準備も出来ていた。
しかし、どれだけ入念に地中の敵を誘導する策を準備しようと、敵が地中に居なければそもそも策を用いる必要が無い。
試しに、と。距離が詰まっていく中で佐賀野がカイロを放ってみる。
先行してるワームは放られたカイロに一瞬反応したように見えたが、狙いをそちらに移す事は無くそのまま撃退士達の方へと突進を続けている。
「熱に反応するみたいだけれど、それだけじゃないのかもね〜。俺達が目だけじゃなくて、耳とか皮膚とかで物事を感じられるみたいに、さ」
「でも、それなら尚更地中に潜れば熱頼りになるかもしれませんね。砂に潜れば目も耳も塞がりますし」
佐賀野とタマモの声に鈴屋は頷き一つ。
ならば準備も無駄にはならないか。そう思い直した時、金をなびかせ一つの影がワーム目がけて躍り出る。
「醜いディアボロめ! ドロシーの剣の錆びにして差し上げますわ! いざっ!」
金色のオーラを身に纏いながら颯爽とワームへ突き進んで行くのはドロシー・ブルー・ジャスティス(
jb7892)。
正義の名の下にただ敵を打ち倒す。愚直なまでに最短距離をひた走る様は何とも雄々しく映る。
「ドロシーさん!」
背後から、鈴也の声。思考は常に攻撃一辺倒に染まっているドロシーではあるが、その声の意味を理解できない程愚かでは無い。
ワームが手に持つ巨大な大剣の射程圏内に収まるや否や、跳躍。直後、鈴也の放った光の矢が先程までドロシーが居た場所を貫くようにワームへ突き進んで行く。
ドロシーの挙動に気を取られたワームは、光の矢に反応できない。地に潜む暇も無く腹部を抉る痛みに身体を硬直させたかと思えば、次の瞬間には跳躍したドロシーが放つフルスイングによって身体が大きく真横へ泳ぐ。
「――!!」
斬撃、というよりは殴打に近い一撃に打ちすえられワームの呼気が周囲に鋭く響く。
が、相手も巨体相応にタフだ。横に流れた体勢を強引に立て直せば、そのまま身体を一閃、ドロシーの小さな身体を薙ごうと迫る。
「させませんよぉ〜……!」
「か弱い女の子を傷付けちゃ駄目だよ〜」
割り込むように、喪普子と佐賀野がワイヤーをロープのようにワーム目がけて巻き付け、その動きを阻害しようと動く。
しかし、斬ることに特化した武器を縛る用途に用いて十全以上の効果を望む事は難しい。
それ以上に、3mを越す巨体ともなれば、その力も相応にある。いくら撃退士の膂力といえど、勢いの付いたワームの身体を二人で抑えることは出来ない。
更に言えば、喪普子は宙に居る。地面と違い踏ん張りの効かせようがない空中で力勝負を挑むのは、無謀であった。
拮抗、すら生まれない。二人は咄嗟にワイヤーの活性化を解除する事で降り抜かれるワームの動きに身体が持って行かれる事態を回避する。
緩まぬ速度は相当な物で、ドロシーが大剣を盾に凌ごうと動くよりも早く、その身体が強く打ちすえられた。
トラックに跳ねられた子犬のように弾き飛ばされるドロシーの身体を鈴也が慌てて受け止め、ライトヒールを施す。
「……っ、そんなものでは、このドロシーに土をつける事など出来はしませんわ!」
「無理はしないでください。しかし、これで一体ですか……キツイですね…」
吐き出された鈴也の声には、今度こそ焦りがあった。
地中からの攻撃を意識しすぎた。それが無くてもワームの攻撃力は侮れる物では無い。
可能ならばもう少し、地上で動くワーム達のことへ意識を割くべきだったのだろう。
畳みかけるように、更に後ろから一体がこちら目がけて迫ってくる。
これは一度後退も考えるべきか。 誰もが一瞬そう思った時。
突如、ワームの動きが縛られたように制止した。
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ワームの動きを止めた物の正体はディアンが放った髪の幻影だった。
彼は多対一の状況を作るための足止めを成さんと、味方から離れ回り込む様なコースを取っていたのだ。
元より、遠距離攻撃の類は持ち合わせていないのだろう。もう少し前に出ればそのままディアンの身体を叩き潰せるような位置であると言うのに、ワームには幻影から抜け出そうともがく事しか出来ていない。
「さあ、どうぞ此方へ――」
ディアンの瞳は、深緋光を纏った瞬間から同色に染まっている。闇夜の中で爛々と輝くそれは不気味ですらあり、その目で射ぬかれたワームが怯えたように身じろぎをしたようにも見えた。
「敵、ディアンさんの後ろです!!」
宙から飛ぶ、タマモの声。
味方の間に飛び込むように現れたディアンを狙おうと、最後の一体が彼の背後から迫り来る。
ちら、と後ろを見るディアン。もう既にワームは目の前に来ている。今から回避行動を取ろうとしても間に合わないかもしれない。
けれど、彼の口元に刻まれる弧は深くなるばかり。
闘争がもたらす愉悦故か、それとも。
「きみの相手はわたしだよ。直ぐに眠らせてあげる」
ワームの背後から更に迫る、アデルの存在を知りえていたからか。
アデルもディアン同様、足止めのために迂回路を取り、宙から狙い定めた相手を捉えるタイミングを狙っていた。
そして、ワームの意識から獲物以外の何もかもが消え失せたその時を精確に見切り、急降下。
アデルが目一杯広げた五指から迸る紫電がワームの無防備な背中を貫き、夜闇を一瞬鮮烈に彩る。
ディアン目がけて振り下ろされようとしていたその巨体は紫電が奔った直後から急激に勢いを失い、重力に従い地に落ちてゆく。
どすん、と重い物が砂に沈む鈍い音。
体勢を整え直し、宙から戦場を見据えていた喪普子はそれを見逃さない。
「もらいましたよぉ〜…!」
振り子を描くように、上空から降下することで稼いだ速度を引き連れて交錯。そして、一瞬遅れて大剣の軌跡がワームに刻まれ、その身体が二つに断ち切られる。
「これで、残りは二体…!」
ディアンが留めた一体は未だに束縛を抜ける事が出来ていない。ならば、今は佐賀野が注意を惹くよう立ち回り動きを止めている一体を先に片付けるべきか。
タマモは手に持つ符にアウルを込め、腕を振るう勢いでその一枚を投擲。雷帝の名を冠する符は雷の刃を生みだし、ワームの脳天を穿とうと空から降り注ぐ。
その威力が見ただけで脅威だと判断できたのだろう。まるで水に潜っていくような自然な動きで見る見る間にワームの身体が地中へと消えていく。タマモの一撃はその尾を僅かに掠めただけに留まった。
だが、地中に潜る行為への対策は十分すぎるほどに織り込まれている。
地上からの攻撃への想定が不足していたということは、その分地中からの攻撃への想定は十全以上に成されているとも言い替えることも出来る。
地中にワームが潜った直後、撃退士達が一斉に、一箇所にカイロを投げ集め偽の標的を作り上げる。
その箇所から皆が距離を取り、更に鈴也が生命探知で地中の動向を探る。
生命探知の効果時間はワームの動向を一から十まで追い切れるほど長くないが、潜った地点と現在地点が分かれば進行方向を割り出す事など造作も無い。
「動いています。進路はカイロの方向……バッチリです!」
人の体温よりも高温を発する幻想の熱に惑わさたワームは、熱を喰らい尽くそうと地中からその牙を剥き、躍り出る。
けれど、その牙に手応えは微塵も存在しない。
「ふふ〜、俺を見てみて〜! 」
「丸こげにしちゃうんだから!」
ワームが攻撃の不発を悟った瞬間、タマモと佐賀野が放つ劫火が二つ、ワームへ着弾。その身体を熱が見る間に蹂躙して行く。
そして。身体のあちこちが爛れたワームが最後に感じた物は。
「終わりですわ! 覚悟なさい!!」
ドロシーの声と、彼女が振るう剣が己を絶ち切っていく感触のみだった。
これで残りは一体。
「害虫駆除の時間もそろそろ終わりだね〜、最後まできっちり踊っていくよ〜」
「そうですね。最後迄、愉しんで踊りましょうか」
佐賀野とディアンの声に、一同は改めて武器を構え直す。
七対一の状況など、いくら強力な個体であれどワームに覆せるはずもなかった。
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「来た時よりも美しくです」
剣を仕舞ったドロシーはそう呟いて、戦闘中に放り投げられたカイロやその他目に映るゴミを拾い集めた。
戦闘中は前へ前へと進む姿勢が強いが、戦う必要のない場では案外マメなのかもしれない。
「あ、手伝いますよぉ〜…」
喪普子がサクサクと足音を立ててドロシーの方へ歩いて行き、それに倣うようにタマモと佐賀野も砂浜を歩き回り、ゴミを拾い集めている。
一同を追い掛けるように、鈴也が怪我の残る者達へライトヒールを施していく。
ぼんやりとその光景を眺めていたアデルだが、不意に背後から視線を感じて振り返る。
一人の少女が立っていた。
アデルの動きに合わせて、一人、また一人と撃退士が少女の存在を認識する。
「私、ミミズみたいなのに襲われて……交番で撃退士の人がやっつけに行ったって聞いて……それで、その…」
どうやら、この娘があのディアボロの第一発見者のようだ。
話を聞くに、居てもたってもいられなくなったか。存外肝が据わっている、と鈴也の治癒を受けて戻ってきたディアンは思う。
何を言おうか言葉に詰まったように見える少女に、自称・弱者の味方は小さく鼻を鳴らすと一歩少女へ歩み寄り、言葉を引き継いだ。
「貴女を襲う恐怖は、掃いましたよ。唯、どうかお忘れなきように。いつ何処が戦場と化し、愉しい宴の幕開けとなるか――誰にも判らない」
天使も悪魔も、蔓延る世界なのですから。そう〆る言葉に少女は小さく俯いてしまった。
丁寧な言葉だからこそ、その言葉の重さがより肩にのしかかってしまっているのかもしれない。
アデルは一歩前に出た。俯く少女にここで何か言えないなら、ヒーローでは無い。
少女の肩にそっと手を置き、僅かに顔を上げた少女と、目を合わせる。
「でも、もう大丈夫。きみの大切な日常は護られたし、この先もずっと、護り続けて行くから」
その言葉は、真なのだろうか。少女が見詰めるアデルの瞳には、言葉に込められたような熱が見られないように思える。
「何かあったら、また駆け付けるよ。わたしは、ヒーローだから」
「……はい。本当に、ありがとうございました」
冷たさを感じる瞳。熱のこもらぬ冷めた声。
それでも。
少女はアデルに、撃退士たちに深々と頭を下げる。
放たれた言葉がどれだけ虚ろに響く、虚像の言葉であろうとも、その言葉を受け取る者はアデル本人ではない。
だから。少女にとってアデル・リーヴィスは。そして今この場にいる撃退士たちは。きっと、少女にとってのヒーローなのだ。
在ろうと誇る対偶の英雄は、今この瞬間、確かに真であった。
喉元過ぎれば熱さを忘れる。少女を襲った恐怖はすでに、その熱を失った。
いま彼女の中に存在するのは、恐怖の熱を塗り替える、それよりも苛烈で暖かな、新たな熱。
この熱はどれだけ月日が経とうと、失せることはないのだろう。
(了)