●
休日とは言え、修練に終わりはない。
その日も雫(
ja1894)は訓練場へと出向いたのだが、どうにも身が入らず、結局その日は早々に訓練を切り上げてしまう。
「さて、どうしますかね…」
学園を去るという選択肢は頭の中にちらついているが、正直に言えば雫にとって武器を持たない自分が想像できない。
けれど、どこか外の高校を受験して――と、武器を持たない未来を考えるのは、戦わない未来を求めているからなのかもしれない。
「……そう言えば、ここの偏差値ってどれくらいでしたっけ」
どうやって調べたものだろうか、と考え込んでいると、視界の端に悠の姿。
「先生」
「雫か。どうした?」
渡りに船とはこのことだと、早速偏差値を訪ねてみる。
「俺はともかく他の先生方の授業の質は悪い物ではないが……本来授業があった日に急な依頼で戦うことになった覚え、無いか?」
「あ」
得心いった、と声を漏らす雫に、悠はため息交じりに頷いて。
「ここの性質上、授業がシラバス通りに進むことが無いんだよな」
補講もやっているが、それでも限界はある。
そのため、自身のレベルを知りたいなら全国共通の模擬試験を受けてみるのは手かもしれない。
「今から勉強しても受験に間に合わない気が……」
話を終えて去っていく悠を見送りながら、雫はベンチで難しい表情。
もしかしたら、傭兵稼業も視野に入れなければならないかもしれない。
●
校舎内、とある部室。
レポートを終えた礼野 智美(
ja3600) と美森 あやか(
jb1451)は蜂蜜レモンの飲み物を口にしながら一息ついている所だった。
「…そういえば、いつか進路について話した事あったっけな」
親がいない者は学費の問題もある。部活内ではこのまま撃退士としては何らかの形で所属した上で卒業する、という意見が多数だ。
かくいう智美自身も姉の手伝いと護衛は決定なので、進路としては経済学部に進む予定でいる。
「あやかも、残るんだろう?」
「うん。…あたしはお兄ちゃんの境遇次第なのはそのままだけど」
あやかのの夫が悪魔である以上、久遠ヶ原を離れる事は考えられない。だから、島内での仕事を色々調べてみたりもした。
あやか自身は学園に所属する人達の子供のための保育園か幼稚園の先生を目指しており、教育学部に進めればと考えているという。
「そうか。なら、お互いにもうしばらく学生でいそうだな」
「うん。撃退士は…このままだと学園所属系になるのかなって。万一の為に撃退士としての立場でいたいけど、先生と撃退士って両立可能かなって」
「あやかなら出来るさ。どこかに所属するなら学園が一番自由効くし柔軟だしな。私もぎりぎりまで学園所属のままでいるつもりだけど」
「その後、どうするとか考えてるの?」
問いかけに智美は、迷うことなく頷いた。
「このまま撃退士も続けるつもりだけど、何処かに所属すると時間が縛られるから、卒業後はフリーランスかな?」
「そっか…」
その時が来たら、少し寂しくなるね。
あやかがぽつりと告げたその言葉に、智美も何も返さない。
その未来が来るのは、もう少し先の話だから。
それまでに、寂しさを感じないほどの思い出が作れればいい。智美は、そんなことを思うのだ。
●
図書館では、次回の試験に向けた【勉強会】が開催されていた。
「ぱぱー、台形の面積って底辺掛ける高さだっけー?」
鉛筆をがじがじとかじりながらクリス・クリス(
ja2083)はパパことミハイル・エッカート(
jb0544)にヘルプを求めた。
そのおでこには知恵熱対策なのか、冷却シートが張り付けられている。
台形はなー、とノートに台形を描きながら説明していくミハイルは一昨年の進級試験主席である。教え方は上手いようで、クリスの表情にたちまち理解が広がっていく。
「わしこの世界が平和になったら、きのこの研究者になるって決めてたんだの!」
クリスの隣では、橘 樹(
jb3833)がきのこに関する書籍を夢中で読みふけっている。
「菌糸類がいるからこそ、命は循環できるんだの!」
人界に来てから命について考えることが多くなったと、樹は思う。自分の研究がいずれ何かの役に立てば、とさらにその隣の黄昏ひりょ(
jb3452)に熱く語り掛ける。
そのひりょ。樹のきのこ愛に若干引き気味ではあるものの、大きな夢を持つ樹の姿を羨ましいとも思う。
「そういえば、ひりょは何勉強してるんだ?」
「ええ、教員試験や考古学に関して勉強しているところです」
ミハイルに本のタイトルを見せれば、一同の会話を聞いていた不知火あけび(
jc1857)も話に加わった。
「どうして考古学を勉強しようと思ったんですか?」
「依頼先で考古学をかじった事で興味が湧いてきてね。古代の遺跡を発掘するロマン、というか…」
「分かるぞひりょ。太古に思いをはせるのは男のロマン! ってな」
考古学の参考書をパラパラとめくりながら、ミハイルも肯定するように笑いかける。
「ほむ、では教員の方の理由は何かあるのかの?」
「俺は撃退士としては平均レベルで、特に得意分野があるわけでもないんだけどさ」
そんな自分でも後から入ってくる撃退士達に伝えられるものがあるのではないか――そんな思いに駆られることがあるのだという。
発掘と指導。両立が難しそうな両者はひりょにとってどちらも捨てがたい未来である。
だから、両方を取ろうと考えている。自身の人生だから後悔しないように、と。
(学園の先生達にも色々アドバイスをもらいに行こうかな)
学園に来た頃は誰かを頼る事が苦手だった。でも、時には誰かを頼る事も大事だという事をここで学んだ。
「逆に不知火さんはどうなんですか? 将来の夢とか、目標とか」
「私の道は決まってるんだ。不知火の当主になって一族をまとめるよ」
自身の補佐をしてくれる叔父の存在や傍にいてくれるという師匠の存在もある。
心強い存在が二人もいれば、きっとやっていけるとあけびは信じている。
「なら、いなくなってしまいますの?」
「んーん、大学卒業まで学園にいるよ。今の当主は元気だから、許される限りここで沢山学ぶつもり」
クリスの寂しそうな顔を吹き飛ばすように、あけびはあっけらかんと笑って見せて、けれどその表情は一瞬だけ真剣なものとなる。
あけびがこの学園に来たのは一族の権力争いが激化したのも一因である。もっと強くならなければそれを収めるのは難しいはずだ。
「ふうん……じゃあ、サムライガールもそのうち卒業か?」
「まさか! 不知火は忍の一族だけど義理人情に溢れる忍がいたって良いじゃないですか! 人間と天魔の為に暗躍するのも悪くないと思っていますよ」
心はずっと侍でいる、とミハイルに返すあけび。
そんな彼女を見遣るクリスは知恵熱からか、中等部の制服に身を包む、良い具合に成長した自身の姿が頭をよぎるのだ。
「小等部を巣立ち中等部に上がる晴れ姿をパパに見せつけて感涙に咽ぶ姿を見たいなー…」
「ああ、クリスの初等部卒業式や中等部入学式は有給取ってでも参加するぞ」
「その頃にはボクだって食べてきたお菓子の栄養が中等部で花を咲かせるに違いないっ、今まで出会った素敵なおねーさんたちみたいに目指せ、ばいんばいんっ」
「そうだな。そして格好いい大人を目指すなら文武両道で行こうぜ。ピーマンは食べられなくてもいいからな」
いや食べられるようになろうよ。一同が思わず突っ込んだ。
「ミハイルさんは今後どうされるんですか?」
再度勉強に戻りながら、ひりょがふとミハイルに問いかける。
「俺か? 元々会社の命令でここ来てたから、卒業したらまた元の会社に戻るだろうな」
ただ、以前所属していたアングラな部署ではなく、人を守るための部署につきたい。口には出さなかったが、ミハイルはそう思っている。
今後、アウル能力者が増えることで、犯罪やテロは増えるだろう。
その対策や指揮、部下たちの育成を担っていければいい。
「ほむ、皆それぞれの道で頑張れるとよいの♪」
この先の道が違ってもこの日、学園で共に過ごした時間は消えない。
一緒に学んだこと、一緒に闘えたこと、一緒に遊んだこと――たくさんの思い出は一生忘れない。
「そのためにも進級を…が、がんばるの!」
「集中講義、付けてやろうか?」
目が泳ぐ樹の両肩をミハイルがロック。
これまで進級試験はほぼ落第という惨状を覆すため、樹の戦いが今始まろうとしている。
(…そういえば)
早くも涙目の樹にくすりと笑みを漏らしつつ、不意にあけびは最近見る夢を思い出す。
師匠似の少年と一緒に、何かと戦っていたような、曖昧な夢。
あれは一体――なんだったのだろう。
●
隣で【勉強会】の面々が楽しげに語り合うのを聞きながら、黒夜(
jb0668)は一人教科書と向き合っていた。
彼女は元々学園に残るつもりでいるため、進級試験の勉強で朝から図書館に籠っていたのだ。
「まだ実感はねーが、終わったんだな」
撃退士として生きた果てに死ぬつもりだった。
だが、仕事はまだ残ってはいるだろうが、撃退士として死ぬことは今の世界ではそう叶うことではないとも思う。
なら、他に何ができるのだろう。
そう考えた時にふと浮かんだのは、学園内にある居場所、学園にいる大切な存在。
「…あの場所を残すには、何が出来る?」
一度ペンを置いて、天井の照明をぼんやりと見やる。
黒夜として生きるようになって出来た大切なもの。一度何かを得るということは、それが失われることを恐れる時間の始まりでもある。
大切で、だからこそ失いたくない。最後のあの瞬間、神界のシステムに願った程に。
いつかは風化するかもしれない。いつかの未来、自分から放り出したいと思ってしまうかもしれない。
けれど、自分だけのエゴだとしても、今は死ぬ事よりも残す事を考え出した。
だから、まずはそこから始めていけばいいのだ。
黒夜の道はここからである。
●
なつなが音楽室の扉を開いたのは、漏れ出るヴァイオリンの音に引き寄せられたからであった。
扉を開いた先、一心不乱に練習に励むRehni Nam(
ja5283)の姿。扉が開く気配に彼女は弦を動かす手を止めた。
「こんにちは、Rehniさん。一生懸命練習してたみたいだけど、そっちの方向に進むの?」
「ええ、お世話になった人に感化された所もあるんですけれど、元から趣味だったのですよ」
完全に事が終われば、音大へ転向したいのだとRehniは告げる。将来はプロとして音楽を奏でていければいいとも思っているらしい。
そうまで将来を見定めている彼女の姿に、なつなは羨望を覚えずにはいられない。
「と、言っても考えることは一杯あるのですけれどね」
予定通りの進路に進めたとしても道は容易ではないだろうし、学費の返納も考えねばならない。
「朝比奈先生も出来るだけそういうの、軽くできればって言ってたけど……」
「本当なのです?」
悠に聞いた話を伝えれば、何かしらの条件を提示すれば補助も引き出しやすいかもしれない、とRehniは思う。
「先を考えてる人がいるって分かっただけで収穫だな。頑張らないとって思った」
ありがとね、と笑顔で礼を述べ、なつなは音楽室を去っていく。
それを見送ったRehniは再び、ヴァイオリンを奏で始めた。
●
ミニタイトスカートのバーテン服という出で立ちの樒 和紗(
jb6970)はバイトの買い出しのため、商店街を訪れていた。
「さて、次は…」
馴染みの青果店でフルーツを購入し、酒屋で新入荷の酒をいくつか見繕った。
先輩から渡されたメモを見ていると、悠の姿が目に入る。
「こんにちは、朝比奈先生。お食事ですか?」
「ああ。そちらは……働いている所の買い出しといった所か」
「ご名答、です。それにしても安心しました。昨日は随分とお忙しいような姿…でしたので」
昨日はどうやら言い淀むほどに危なかったらしい。忘れてくれ、と唸るように頼んでおく。
「善処します。ところで先生……区切りが良い時期は何時なのでしょう?」
「区切り?」
「…唐突過ぎましたね」
苦笑する和紗に先を促す。
聞いてみると、フリーの撃退士に転向するタイミングに悩んでいるそうだ。
和紗は今後も撃退士としての活動を続けるらしい。そして、バイト先の先輩もフリーであるため、いつかは自分も――と考えているようだ。
「学業も半端ではと思いますし…やはり4年生でしょうか?」
「そこが分かりやすい区切りだろうな。フリーを見越すなら、学園の活動を通してコネを作っていくといい。
ただ、思い立ったら吉日という言葉もある。今の立場よりフリーでいる事が良いと感じるなら、今すぐにでも転向出来るとは思う」
なにせ天王との戦いを切り抜けた者達だ。どこでもやっていける実力はある。
フリーの立場に何を求めているのか考えてみるといい、という言葉を最後に、悠と別れた。
買い出しの荷物を抱えながら、フリー、という言葉を反芻する。
バイト先の先輩は、何を思ってフリーの立場となったのだろう。
●
日が昇り切り段々と暑くなって来た頃、天宮 佳槻(
jb1989)は住居としている長らく休業状態だったファストフード店の掃除を終えて、遅い昼食を取っていた。
窓の外からは学生たちが今後の事を話す楽しげな声が聞こえてくるが、佳槻はその中に混じっていく気になれない。
佳槻自身は、当面は学園に残り大学へ進む予定でいるが、それはあくまで当面の事だ。
「明るさは滅びの姿であろうか。人も家も暗い内はまだ滅亡せぬ…だったかな」
町の様子に、どこかで読んだそんな言葉を思い出す。
アウルの成長を重んじるあまり、学園生の多くは自己主張はしても客観性に欠けると佳槻は思うのだ。
そしてそれを助長する学園への不信感は、最早佳槻にとって拭いきれぬまでに育ってしまっている。
特に、一般人の返還交渉がおざなりにされたことや、ベリアル側にまともな抗議が出来ていないことなど、関東で発生した一連の悪魔への対応は無能としか思えない。
悪魔の機嫌を取る事のみを優先した学園の危うさに気付く人もいる筈だ。いずれ社会との間に問題が起こるだろう。
「その時、学園はまた…」
これまでのように、不都合なことを隠し無かったことにするのだろう。
過去の無理が祟って自分は長くはない。だからこそ、消される暗部を見て残しておこうと思う。
それらが存在していた事が、消えてしまわぬように、と。
●
「進路、ですか……」
喫茶店の窓から学園生が発したと思われる単語を聞いて、貝舘 飴雫(
jc2035)と鈴澤 うるみ(
jc2464)は互いに顔を見合わせた。
二人は先の大規模作戦では事務方として前線のサポートを続けてきた。事後処理まで含めて一段落着いたのは悠と同じくつい先日の話であり、打ち上げとして喫茶店でお茶を楽しんでいた矢先の出来事であった。
「とはいえ、途中までは同じ道になりそうなのですよね」
「うるみお姉さんとまだいられるのは心強いとですけれどね」
二人は元々戦うというよりも、研究のために学園にやって来た人間である。
すると、卒業後は学園の研究施設に籍を置くのが共通の進路となるだろう。
「飴雫さんは、アウルの美容転用、でしたよね」
「ええ、未覚醒のハーフの方でしたり、特定の性質のアウルを持つ方でしたり、極めて限定された対象ではありますけれど、成果は出ているのですよね」
天魔の外見が変わらないという特徴を応用したアンチエイジング。完成すれば、世の女性たちへの朗報となるに違いない。
成果が見えている対象がいるのだから、後は如何に効果を得られる対象を広げるかだけだが――言うは易いゴールでも、現実は中々遠い。
「研究ですので時間がかかるのは承知ですけれどね。うるみお姉さんの方は下着の研究、でしたっけ」
「そうですね。魔装の生地を応用した一般向けの下着と、翼と尻尾がある天魔の方向けの量産可能な下着のデザインを研究していますね」
前者の研究が進めばより丈夫なものを作ることが出来るだろうし、後者はいつかの未来に天魔が地球に気楽にやってくるような日が来た時に必ず重宝されるはずだ。
うるみの話では、前者はそれなり、後者は結構な成果が出ているらしい。
二人の道がいつか分かれるとしても、学園で過ごした日々は、今日二人でお茶を飲んだことは、分かれた道を進む二人を結ぶ繋がりになる筈だ。
二人とも、きっとそれを知っている。だから、今は事後処理を終えた自分たちをねぎらおう。
タイミングを見計らったようにやってきた店一番人気のケーキに、二人の目が輝いた。
●
早めの昼食を終えた砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)は、商店街をぶらぶらと散策していた。
そんな人間が知った顔を見れば暇つぶしに声をかけるのは当然であり、事実砂原は通りがかった悠に迷うことなく声をかけた。
「センセ、今からご飯? すっかり暑くなったし、蕎麦なんかつるっと美味しいよ」
「少し前までカップ麺ばかり食っていてな…今、麺はあまり見たくない」
「結構我儘だね…あ、そうだ。ちょっと考え聞いてみたいんだけど。
感情に代わる代替エネルギーが見つかったってことは、天魔の地球への侵略戦争は無くなるってことだよね。これって、他の世界もなのかな?」
「明言は出来ないが、同じではないかと思う」
この地で三界同盟が結ばれた以上、『敵と戦うための資源の収集』を行う必要も無くなる筈だ。
「ああ、というのもさ。僕、冥魔空挺軍に入団希望したんだ。
だけど、他世界への干渉が無くなったら大人しく冥界に留まっちゃうのか…センセはどう思う?」
その問いに、砂原を留めるべきか悠は少し悩んだようだった。
とはいえ、すぐにその考えを振り払うように首を横に何度か振って、
「私見だが、それは無いと思う」
「何で?」
「お前さんらと一緒だよ。連中は面白そうな事があれば絶対に飛びつく。俺には大人しく一か所に留まってる姿が想像できん」
学生たちをこれまで相手取ってきた気苦労とか理解とか、色々な感情が滲む評価だった。
その後、悠の腹が本格的に鳴り出したのを機に彼と別れる。
「別世界を旅したいのはあるけど、共に在りたい子達となら、何処でもいいか…」
悠の言葉通りにならなかったとしても、きっと最終的にはそう落着く。
だから今は、ケッツァーの面々にちょっかい出しに行こうと砂原はこの後の行き先を定めた。
●
「先生、お昼ですか〜? よかったら食べていきませんか〜」
腹ペコを目ざとく発見した星杜 焔(
ja5378)はバイト先の鉄板ステーキ店の割引券を悠へ差し出した。
「料理屋……厨房の方か?」
「ええ、勉強中なんです〜」
笑みを浮かべたまま、焔は料理を始めたきっかけを語り始めた。
孤児だった彼が料理を始めたきっかけは父と母の味を再現したいと思ったからだそうだ。
そして、学園で過ごす日々の中で自分以外にも思い出を求める者がいることを知った。
京都の救出作戦では、孤児になったばかりの子供の不安げな顔を見た。
とある孤児施設からの依頼で、ショウを通して子供たちが笑顔になっていくのが嬉しかった。
「色んな依頼を請けてやりたいこと固まりました。今は目標に向かって勉強したりお金をためたりです」
「孤児のサポート、といった所か?」
正解です、と焔は常の表情よりも少し、笑みを深くする。
「俺は孤児の子達が健やかに皆で家族になれる施設を作りたい。
そして小料理屋を併設して父さんの味を継いだ料理を作りたいんです」
今はひとり育てるので精一杯なのでまだまだこれからですが、と照れくさげに笑う焔に、一人育ているなら十分だろうと未だ独身の悠は思ったりするのである。
夏だというのに独り身に吹く風が心なし寒い。
●
「これからって、そういえば…」
目の前の戦いばかりで未来に目を向けていなかったことに気づいた。
商店街での買い物の最中、Spica=Virgia=Azlight(
ja8786)は旅行代理店の前で足を止めて、そんなことを思う。
「…旅行」
「どこか行くのか?」
後ろからの声に振り返る。そこには昼食に向かう最中の悠と焔の姿。
「先生。卒業したら、旅をしたいけど…お勧めの場所って、ある…?」
「どこか行ってみたい場所はあるのか? そこを中心に考えていけばいい」
「私の故郷と……」
Spicaの故郷は天魔との争いで荒廃していたたものの、現在はゲートが破棄され復興中だという話は風の噂で聞いている。
その後、院に進むか就職するかについても併せて問うてみると、資料のありかや撃退士としての一般的な就職先をいくつか挙げた上で最終的には自分で決めるしかない話だと悠は〆た。
悠達と別れ、Spicaは旅行店のパンフレットを何枚か棚から抜き取る。
近い未来としては学園で大学部を修了したい。けれど、そこから先は全くのノープランだ。
今付き合っている彼氏との結婚も考えてはいるが、今すぐの話ではない。
それこそ、旅も含めて彼氏と相談してみるのも良いかもしれない。
●
大狗 のとう(
ja3056)にとっては、世界の行く末がどうあろうと大きな変化は無いのかもしれない。
彼女にとってはきっと毎日が小さな探検日和だ。故に、見覚えのある姿を発見すれば彼女は躊躇なく声をかけた。
「先生やっほー、久しぶり!」
ステーキショップの窓際席に座った悠に向けて窓を叩くのとうの姿に、悠は手招きで入ってこいと合図する。
呼ばれたなら遠慮なく、とのとうはレストランへ足を踏み入れると、悠の対面の席に陣取って。
「なぁなぁ。先生はこれからどうするのか? 先生するのか?」
「…随分唐突だな」
「や、最近進路に迷う生徒が増えてるように見えるんだよな。だったら先生だってそうだと思うんだよ」
「まあ、俺はそのままここに残るつもりだ。今更別の事を始めるのもな」
お前はどうするんだ、と悠が投げかけた問いかけに、のとうが両腕を組んだ。
「俺はなー……」
と、何かを言いかけたのとうが不意に鼻をひくつかせた。
同時に、店員がハンバーグの乗った鉄板を悠の前に運んできた。
羨ましそうにハンバーグと悠とを行ったり来たりする視線に、悠はプレートをのとうへ押しやった。
「食え」
「いいのか!?」
頷く悠に目を輝かせつつものとうは一度居住まいを正して。
「で、そう。俺ってば、これからどうするのかまだ分からないのだ! でも、きっと俺は俺のままで、楽しいを探し続けるのだ!」
何を選んでも。何処へ行っても、みんなで掴んだ世界の『今』に立ってるから。
ハンバーグを頬張りながらそう告げる笑顔には、迷いなど無くて。
その笑顔だけで、悠は少し、報われたような思いがあった。
●
校舎をうろついていたなつなは、桜庭愛(
jc1977)によって女子プロレスの部室へ連れ込まれていた。
部室のあちこちをぐるりと見渡せば、リングにトレーニング機器、プロレスのための道具が所狭しと並んでいる。
「桜庭さんはやっぱり、プロレス系なの?」
「ん、進路? そうだね、私の【美少女プロレス】を世界規模で喧伝し、世界中を旅する事かな」
興行を通じて見習いを鍛えていくことで、天魔や力を悪用する者から自身の町を守れるようにその地域の撃退士を育成していくことが目標なのだという。
「今後は私たちが後進を育てるんだよ」
「後ろにいる人なんて考えたこと、無かったなぁ…」
けれど、それが自分でも出来るならば、この学園に自分がいた意味もある気がする。
女子プロレスに参加するかはともかくとして、愛の言葉はなつなに何かしらの影響を及ぼしたようだった。
「そゆわけで、なつなちゃんは美少女プロレスに興味ないかな?」
「えっ」
こういうリングコスチュームはどうだろうか、と様々な衣装を持ってにじり寄る愛になつな、思わず後ずさり。
最終的に押し切られる形で様々な衣装を着せられる運命が待っているのだが、それ余談。
●
島の外れにある、小高い丘。
飛鷹 蓮(
jb3429)はその丘の大きな樹の下に寝転がっていた。その傍らではユリア・スズノミヤ(
ja9826)がユリアはラベンダーを摘んでいる。
「未来、か」
そんなことを呟いてしまうのは、最近のせわしない音に感化されているからだろうか。
「今がずっと続けばいいのにって思っちゃうのは…幸せで満たされてるからなのかな」
そうなのかもしれない、と内心で頷く。
思い返せば、蓮のこれまでは淡とした日々を過ごしているだけだった。
「でも何時かは“先”の未来を見なきゃね」
いつの間にか、ユリアが傍に来ていた。真剣な表情を浮かべる彼女に、蓮も起き上がって彼女を見つめる。
「蓮。前にも言ったけど…私、蓮の探偵事務所で働きたい。
勝手だけど、私達の新しい居場所を――未来を作りたいの」
「…そんな顔をしなくても、ユリアが本気で考えていたことは知っていたぞ」
そして、答えもとうに決まっている。
ユリアと一緒なら、毎日に“意味”が出来るだろう。寧ろ、彼女がいなければ――
「蓮?」
不意に立ち上がった蓮は、ユリアへ向けて手を差し出した。
「ユリア、俺は学園を辞める。その時は共に、一生の居場所を作ろう」
「……うん」
その手を取って立ち上がると、ユリアは先程見せた真剣そうな表情に、少しだけ笑みを混ぜて――不意に蓮の背後へ視線をやる。
「…?」
「あ、まーくん発見!」
蓮が釣られて後ろを向いた先、今来たらしい高野信実(
jc2271)の姿。
そして、信実を見つけてダッシュするユリアの姿。
「その、お邪魔っしたか?」
ユリアに抱き着かれた信実はわたわたと抵抗を見せながら問うてみるのだが、当の本人たちに気にした様子が見えなかったので良いことにした。
「こんな所でどうしたの」
「進路、考えたくて。ユリア先パイは、これからどうするんすか?」
「私? 私は踊りも出来る女探偵を目指そうかにゃーって☆」
外連味溢れる探偵だなぁ、と思ったが、自ら進路を定める彼女は信実にとって心からの尊敬対象だ。
「逆にまーくんはどうするの?」
「俺は…」
問われた言葉に、光を纏う。
オーラドレストによって警官風の姿となった信実の表情はに、どこか自信が無い。
幼少期から憧れてた警察官という夢。けれど、それを思うたびに、父の姿が脳裏に浮かぶのだ。
パチンコにのめり込んだ結果、家を捨てた父。彼を思うと夢を追うのに罪悪感と引け目を感じてしまう。
「俺は父さんとは違うって分かってるんす。けど…俺の中には父さんの血が流れてるって思うと…」
いつか、己も自分の事しか考えられなくなるのではないかと、怖いのだ。
「まーくん。自分の生き方に負い目を感じないでいいんだよ。まーくんの人生なんだから、自分の意志を大切にしてねん」
多分、その言葉は、父親の鎖に雁字搦めされていた信実にとって、きっと救いの声だった。
「ね、まーくん。まーくんにとっての正義って、何?」
「俺の、正義は…」
目を閉じる。父親なんて関係ない。自分が貫きたい正義の形を思い浮かべ――
「この大好きな日常を守ること」
目を開き、ユリアを正面から見つめて、そう宣誓する。
その声に、ユリアもまた嬉しそうな笑みを返して。
「ね、まーくん。お互いの“正義”の為に手を繋げたら嬉しいな」
「……ええ。お互いの正義、協力し合えたらいいっすね」
ユリアの優しさに、我慢していた涙が溢れてくる。
止まらない涙に構わず、ユリアは優しく信実を抱きしめた。
一部始終を見守りながら、蓮は思う。
ユリア自身が大切な者の居場所になっていることを、彼女は気づいていないのだろうか、と。
●
「はぁ、としおさん遅いなぁ…」
もう夜と言って差支えの無い時間になっても、華子=マーヴェリック(
jc0898)の待ち人は戻って来ない。
携帯で連絡してみようか、なんて華子が思い始めた頃、佐藤 としお(
ja2489)の声が玄関から響いた。
「おかえりなさい♪ 少し、遅かったね」
「少しサーバントを倒すのに時間がかかってね。あの戦いが終わってから、なんだか依頼に関してもちょっと緊張感がぬけちゃったな……」
テーブルに座るよう促したとしおの前に自慢の手料理を出しながら、彼の言葉は分からないでもない――と、華子は思うのだ。
世界の終わりを良しとせず、神に抗い走り続けたあの瞬間と、今こうやって恋人と夕食を食べる瞬間では、あまりにも何もかもが違い過ぎる。
けれど、あれは夢ではなかった。あの戦いを通して、世界は今変わり続けている。
だから、そろそろこれからの二人の事を考えていく必要があるのかもしれない。
「としおさんは卒業したらどうするの?」
「僕自身としては卒業後も撃退士として活動していきたいと考えてる」
世界が変わっていく中で、今後撃退士が必要とされない日が来るかもしれない。
けれど、アウルを使える者達がいなくなるということは無いはずだ。そんな後輩たちに、アウルを誤って使わない様に導いていけたらといいと、としおは思うのだ。
「華子はどうするの?」
「私は撃退士でも一般の看護師でも、資格を取って人様の役にたちたい」
そこで一度言葉を区切って、としおへと笑いかけた。
「それで、いつまでもとしおさんの隣に立っていたい。としおさんはいつも無理するから」
二人の進路相談はその後も続き、気が付けばとしおは華子の膝枕の上でウトウトと眠りに落ちていた。
「ラーメン屋でも…良いかな……」
としおらしい寝言を聞きながら、彼の頬を優しく撫でる。
未来の事を共に考えるのも楽しかったが、こうして疲れた彼を癒してあげるのもやはり好きだ。
「ま、今はとりあえずこの時を楽しみましょう〜♪」
幸せそうな寝顔を眺めながら、華子は小さく呟いた。
●
夜が明け、休日が終われば日々の生活で進路を考える機会も少なくなるかもしれない。
けれど、この日未来を考えたことは自分の先を定めるきっかけの一つであったに違いない。
各々の未来が、どうか輝かしいものでありますように。
(了)