●
蒼い槍が二つ、宙を切る甲高い音と共に撃退士に迫る。
不可解な軌跡を描きより多くの者を貫こうと奔る二槍。けれども真正面からの一撃だった故か、速さの割に成果は大きくなく、浪風 悠人(
ja3452)の身をわずかに掠めただけであった。
「ハッ、流石は撃退士ってとこっすか!」
急加速に急反転の連発で制動が効かず、地面に突き刺さった槍から飛び降りたロウワンが獰猛に笑うと同時、紅香 忍(
jb7811)がロウワンもろとも、とランサーを狙ったアウルの雨から逃れるように更に地面を強く蹴った。
アサルトライフルの弾丸が槍から機械人形へと変形していくランサーを穿っていくが、それを悠長に見ている間もなくロウワンが忍へと距離を詰めていく。
ばちり、と彼の身体中を駆け回る雷が爆ぜる音。出し惜しみなどしない、という宣言の通り、小手調べをすっ飛ばした全力の拳を振るわんと黒い装甲が覆う右拳に力が籠められる。
そのままならば忍の心臓を穿つはずの拳はしかし、向坂 玲治(
ja6214)がアウルで編み上げた崩れぬ光翼が受け止めた。
その隙に忍はロウワンから距離を取り、突っ込んできたランサーたちをけん制するようにその周囲を旋回し始める。
「魔法か」
「確かめてみるっすか?」
小さく発せられた言葉に、もう一度試してみろと言わんばかりにロウワンが今度は直接玲治を狙って膝蹴りを放つ。
一撃目から体勢が整い切らず、わずかに身をよじって直撃を避けるのが精一杯だった。レート差による威力増加もあるだろうが、脇腹に突き刺さる衝撃は玲治ほどの撃退士であっても『重い』と感じる一撃だ。受けきれないまま何度も食らってしまうのは危険だろう。
「あ、そういえばご主人のスリーサイズ分かった?」
前方、後方、二つの方角から敵が迫ってくるという状況下、砂原・ジェンティアン・竜胆(
jb7192)のへらりと軽薄な笑みがロウワンに向けられる。
「関節めっちゃ痛かったっす」
「質問に答えてないよー? いや、話は後かな。まずは僕たちもやらないといけない事あるしね?」
言うが早いが、バックステップ一つでロウワンから距離を取り、すぐさま踵を返しハーメルンが居る方角へと走っていく。
それに龍仙 樹(
jb0212)、夜姫(
jb2550)、エカテリーナ・コドロワ(
jc0366)が続き、残った四名がロウワンと二体のランサーを留めるべく武器を構えなおす。
「彼さ、言いつけは守る子、だよね」
「成程。命令が人間の誘拐にある以上…ということですね?」
隣を走る夜姫の声に、正解、とばかりに竜胆はウインク一つ。
好戦的な言葉に反して、ロウワンの目的は『撃退士と戦うこと』ではなく、『子供たちを連れ去ること』である。
それが竜胆の推論である。
事実、竜胆たちが自分に背を向けたことに、ロウワンは確かに顔色を変えた。
背を向ける四人を追いかけようと地面を蹴った直後、雫(
ja1894)の構える拳銃から放たれた弾丸に肩を穿たれ思わず足が止まる。
「……っ、おいおい、コイツの上からぶち抜いてくるんすか?」
具合を確かめるように傷口を押さえ、喉の奥で小さく唸って雫を見据える。
抗議するように彼を纏う雷がばちりと爆ぜるが、魍魎を形作る邪神の如きアウルを纏う彼女は答えない。
「帯電、しているのでしょうか…直接攻撃は避けた方が良さそうでしょうかね?」
「かもしれませんね」
話しぶりから防御能力を上げる物だろう。電撃が伝うものであれば、ロウワンに触れたV兵器越しに電撃がこちらの身体を焼かないとも限らない。
とはいえ、この場に残ったメンバーの役割はロウワン、そしてランサー二体をハーメルンへ対応するメンバーに向かわせないことだ。必要ならば近接を挑むことも考えねばならないだろう。
ジェルトリュードという女悪魔によって、目の前で連れ去られた人々の事を思い出す。
直接刃を交えた訳ではなかったが、あれは明確に『負け』であったと悠人は思う。
これ以上負けを重ねることは許されない。そう思うのは撃退士としての役目ゆえか、自身の矜持ゆえか、あるいはそれ以上の何かがあるのか。
明確な理由を今口に出すことはできないが、それでもこの身を犠牲にしてでも――そんな覚悟は腹の中で決まっている。
「お手数ですが、お相手願います」
言葉は丁寧だが、挑戦的な声色だった。
右手と心に込められたアウルが中空で収束、そのまま幾筋もの流星と化してロウワンとランサーたちへ降り注ぐ。
「うおっ……!?」
巻き上げられるグラウンドの土の奥、ロウワンの驚いたような声。ダメ押しとばかりに玲治が影から異形の腕を呼び出し拘束を図る。
砂煙が上がると、影に束縛された二体のランサー、そして自身を掴もうと動く手の群れを合切蹴り飛ばし逃れるロウワンの姿。
「それにしても、歌声……後方の敵ですね」
不意に、雫の視線がハーメルンの方へと向かう。
禍々しいオーラを纏うため若干信じがたい所はあるが、背丈や幼い顔立ちを見ればアウルが無ければ彼女もあの音色に操られ筑波に向かっていたのだろう、ということはロウワンにも分かる。
「……耳障り、ですね」
「させねえっす!」
銃をハーメルンに構えたままそちらへ足を向けかけた雫を止めようと、ロウワンが彼女目がけて突き進む。
が、それはフェイント。地面を蹴る足音が雫の耳に入った瞬間、銃口はロウワンへ。
神威を纏う戦姫と、挑戦者の視線が交錯。刹那、軽く乾いた音と雷が落ちたような音が発せられたのはほぼ同時。
ロウワンの身体が世界から溶け、電流が一筋戦場を駆け抜ける。
「寝とけっす!!」
電流が流れるのならば、そこには確かに意識が存在する。雫の目の前で雷が再度ロウワンを形作り、そのまま彼女の顔面を砕いてしまえと拳が走る。
「野郎は無視だってか? 寂しいこと言わねえでくれよ」
だが、これも玲治の光翼のカバーリング範囲内。
奥義にまで至ったとはいえ雫は阿修羅。魔法攻撃主体のロウワンの攻撃とは相性が悪い。玲治が攻撃を肩代わりできるならそれに越した事はないだろう。
事前にロウワンと接触経験のある竜胆や忍からこうやって身体を電気と成して動き回る術が存在していることは知らされている。一度その存在が分かってしまえば割り込むことはいくらでもできる。
雷を纏った拳が玲治のアウルに留められ、雫に届かない。
舌打ち一つ、相手をしていられないと竜胆たちの排除へ向かおうとするが、その足が、今度こそ縛られた。
「よそ見は厳禁……馬鹿め……」
ロウワンが背を向けた瞬間、忍がロウワンの影目がけて放った銃弾が彼をその場に縫い止めてしまっているのだ。
力づくでその戒めから抜け出そうともがくロウワン。悪魔の抵抗力であれば脱出は易しいことであるが、その間に動きが制限されてしまうことはどうやっても防げない。
拘束を振り払いかけた直後、纏う装備の重さを武器にした玲治の身体がロウワンの目前に迫っていた。
「が、ぁッッ!?」
避ける、どころか防御行動すらまともに取れなかった。
ぶちかましの衝撃に踏ん張りがきかず、ロウワンの身体がやすやすと宙を飛ぶ。着地後もその勢いが抑えることが出来ず、転がる様に10m程の距離を開けてようやく静止。
接触の際、ロウワンが纏う電撃が玲治にも伝搬し身体を焼いている。受けようの無い電撃は結構堪えるのだが、彼はそれにも動じず口角を釣り上げ不敵に笑って見せた。
「……低周波マッサージの方がまだ効き目があるな」
「言ってくれるっすね…!」
「怒ったか? じゃあもう少し俺らの相手してけよ。
俺もお前もここで足止めだ。あとは、どっちの味方が優秀かってところだ」
「そうそう。決着は他に任せて、こっちはこっちで楽しみましょうよ」
上半身だけを起こして玲治を睨んでいたロウワンへ、悠人が挑発の言葉と共に紅蓮の焔を放ち追撃をかける。
起き上がれない状態では避けられるはずもなく、両腕と身体に纏う電流でその一撃を耐えるも、それによってロウワンに流れる電撃は消えてしまう。
更に追撃が来る前にと完全に体勢を立て直したロウワンは、けれど二人の言葉に首を横に振る。
「魅力的なお誘いじゃあるんすけど……それは後でもいいんすよ。
兄さんたちが撃退士ってルールの中で動いてるみたいに俺もケッツァーってルールで動いてるんすから。その中で全力でやる、それだけっすよ」
言葉と同時、ランサー達が拘束を振り解く。その視線はハーメルンの方へと向いており、まだ足止めの手を止める訳には行かないことを暗に示していた。
●
ハーメルンへと向かう四人の前に立ちふさがるランサーたちの目の前で、竜胆が色とりどりの炎の華を咲かせ敵を飲み込んでいき、それに追随するエカテリーナが強酸を放つ。
「怪談話をそのまま真似た作戦とは幼稚だな。今に引きずり降ろしてやる!」
言葉と共に、身体の周囲に毒々しい黒霧を纏ったまま宙に浮くハーメルンを見上げる。
まだ、彼らは魔弾の射程外。もう少し距離を詰める必要がある。
「援護します。目標の元へ急ぎましょう」
手に持った魔導書を手繰り、樹が羽のような光をさらにランサーへと放つ。
爆発の中の気配から外してしまったということはなかったはずだが、焔が晴れるよりも早く炎を割り、二体のランサーが樹と闘気を解き放った夜姫へと迫る。
樹へと向かうランサーについては都合三発の攻撃を受けた訳だが、それでも動きが鈍らない。大概にタフだ。
「今回も阻止しなければならないのです。ここで倒れているわけにはいきません」
とはいえ、そのタフさに怯えていては撃退士など勤まらない。瞬間的にカオスレートをフラットに戻し、槍の一撃を受け止める。
玲治ほどではないが樹もディバインナイト。レート差さえクリアしてしまえば数度の攻撃で倒れてしまうようなことはない。
「久しぶりの依頼で勘を取り戻すに時間はかかるかもしれませんが…身体はそこまで錆び付いてはいませんよ」
夜姫を狙った一撃を彼女は抜き放った剣で突き出された槍の軌道をわずかに逸らし切っ先の上から自分の身体を除ける。
槍の返りよりも早く彼女がランサーの懐へと潜り込む方が早い。
槍も剣も近すぎて振るえない超々近接距離。自身の魔力を雷と成して右拳に収束。人間ならば心臓があるだろう個所目がけて、ランサーへ拳を叩き込む。
ばちり、と空気が鋭く爆ぜ、拳が叩き込まれたランサーが痙攣したようにびくりと身体を震わせ、その動きを止める。
(そういえば)
周辺状況への警戒を怠らないまま、夜姫の頭にふと一つの疑問が浮かぶ。
通常ゲートと言えば地脈を利用して開くものだったと思うが、どうやって上空で開けたのだろうか。
それを問うてみたくはあるが、はたしてロウワンにきちんと説明できるだけの頭があるのだろうか。言っては何だがあまり頭がよさそうには見えない。
ともあれ、夜姫を尻目に砂原とエカテリーナは更に前進を続ける。
ランサーを迂回するように緩い円弧を描くような進路を取り、入った。射程内。
「落ちろ! 子供を狙うしか能のない騒音公害が!!」
エカテリーナのアウルがミサイルのような形状を取り、ハーメルンのうち一体へと放たれる。
まさかそんなものが飛んでくるとは予測していなかったのか、無心で何かを演奏しているように見えたハーメルンが驚いたような気配を見せたのが遠目でも分かった。
目前で炸裂した翼を手折るアウルの衝撃に、ハーメルンはたまらず高度を落とす。
「来るよ、コドロワちゃん」
「……ああ」
高度を落とすハーメルンが着地した直後、それまで撃退士が射程に収まっていなかったからか動かなかったシューターが一斉にエカテリーナの方を向いた。
ロウワンがハーメルンを狙う者を優先して行動するならば、その取り巻きのディアボロとて同じ行動を取っても不思議ではない。
円弧を描くように三体のシューターがエカテリーナを射程に収めるべく位置を調整し、一斉に矢を番える。
「おっと? そんな寄って集ってはカッコ悪いよ?」
竜胆がシューターの一体の足元にアウルを集め砂塵を巻き起こし、その身体を石化させるが、残りの二体への介入は不可能だった。
引き絞られた矢が空間を貫きエカテリーナへと迫るが、隣にいた竜胆がアウルの防壁を展開する。
「っ…! やって、くれる……!」
「あー、向坂ちゃんにも来てもらうべきだったかも…?」
防壁陣によりエカテリーナも受け防御には成功したのだが、あくまで攻撃を受けるのは攻撃された本人だ。
本来後衛であるエカテリーナに前衛並みの防御能力を期待するのは無理がある。加えて重い装備を活性化し続ける代償として生命力も十全であるとは言えない。
二発の矢によって意識が飛びかけるのを、歯を食いしばって堪える。まだ一体悠々と宙に浮いている輩も居る。アレを叩き落とすまでは倒れる訳にはいかない。
「砂原さん! エカテリーナさん! 後ろから!」
樹が警告した背面。夜姫が止めようと地を蹴るより早く、ランサーが樹を無視してそのボディを巨大な槍へと変形させ、竜胆とエカテリーナを貫かんと迫る。
樹の警告に加え、そもそも砂原はハーメルンを狙うエカテリーナが狙われることを念頭に置いていたこともある。ランサーの一撃に反応できなかった、ということはないが、それでも尋常ではない速度で迫るランサーを避けきれるかと問われれば話は別だ。
咄嗟に二人は左右に飛ぶのだが、巨大な槍に跳ね飛ばされるように地面に叩きつけられてしまい、エカテリーナはそのまま起き上がることが出来ない。
すかさず起き上がる竜胆の目の前で、槍から機械人形に戻ったランサーが再度武器を構える。
竜胆と合流した樹が放った光の羽を受けても、ハーメルンはまだ倒れない。次に狙うべきはこいつか、とシューターとランサーが樹の方を向く。
「龍仙ちゃんどれくらい耐えられそう? 男を護るのは大サービスだけれど、それくらいしてあげちゃうよ?」
「ニュートラライズが切れるまでは耐えきれますが、その先は少し危ういかもしれませんね」
行動に優先順位が存在すれば、目の前の敵を無視して動くケースは当然あるだろう。
この場に限って言えば、冥魔の行動基準は一貫して『ハーメルンを狙う者の排除』にある。
その行動基準自体は間違いなく推察が出来ていた。ならば、もう一歩踏み込んで『ハーメルンを狙う者を護る』ことを考える必要があったのかもしれない。
いくら手練れの撃退士と言えど一度に取れる行動は一回しかなく、多くの選択肢を取り揃えていても想定した状況が一度に来たらそのうちの一つにしか対応できない。
何より敵の頭数は多い。自衛の手段を持つ樹はともかく、竜胆一人でエカテリーナを護りきることは非常に難しいと言わざるを得ないのだ。
例えば味方のダメージを肩代わりできる玲治も一緒にハーメルン対応者の護衛に回っていたら。
例えば遠距離攻撃手段を持たないランサーの足止めを束縛や重圧で済ませ、移動できなくても遠距離攻撃のできるシューターをスタンや石化という絶対的な手段で止めていたら。
例えばそもそもハーメルンを担当するものを増やして狙いを分散させていたら。
思いつく手段はまだあるが、今はそれを検討している場合ではない。
「コドロワちゃん。倒れるのはまだ早いよ」
倒れ伏したエカテリーナへ治癒を施す。ダメージの具合的にはすぐに意識を取り戻してくれるはずだ。
後方には夜姫が動きを止めたランサー、そしてロウワンたちがいる。
これまでの行動パターンを考えればその全てがハーメルンを狙う者の排除に動くことは容易に想像できる。
万一ロウワンたちが足止めを突破してこちらへ雪崩れ込んで来たら今度こそリカバリが効かない状況に陥ってしまうだろう。
故に、それよりも早くハーメルンを倒し切らねばならない。
●
視点をロウワンへ対応する者たちの方へと移す。
ハーメルンが攻撃され始めたことを察したのか、その応援へ向かうべくロウワンが体の向きを変える。
二体のランサーもロウワンの邪魔はさせないと、それぞれ近くにいた忍と悠人へ襲い掛かる。
「逃がしませんよ」
二人が繰り出される槍をさばいていく中、フリーになっている雫が白く輝く剣を構え、刀身に更に太陽の如き光を収束させると、一気にロウワンとの距離を詰めた。
ロウワンの身を護る電流は今はない。ならば直接刃を振り下ろしても問題ない。
だが、闇を切り裂く光は、ロウワンが再び身体を電気に変換したことで宙を切る。
「あんたみたいなバケモノ相手に真正面から挑む奴なんざ居ねえんすよ! これ受けるくらいなら身体痛ぇの我慢した方がマシっす!」
「悪魔がそれを言いますか」
攻撃の絶対回避という便利な能力ではあるが、本人の言の通り身体にダメージが生じるようなデメリットもあるのだろう。それを承知して尚その札を切らなければならない程度に、雫の一撃はロウワンに警戒されているのだろう。
ばちりっ、と空間が爆ぜる音。吹き飛ばされた始点と終点、その中間程にロウワンの身体が再構成されていく。
そのままハーメルンの応援へ向かおうとするが、それよりも早くランサーの一撃をいなした忍が距離を詰めてきた。
「……蛇の毒だ…味わえ……」
悪魔の身体すらも蝕む毒を纏った貫手が雫の銃撃によって開いた傷口を掠めると、直後体中を駆け巡る違和感にロウワンの表情が苦悶に歪む。
全身に巡る毒に魔力で抗いながら、ロウワンは威嚇するように歯を剥きに忍を睨む。
「へ、ぇ。周りでチマチマ削ってくるタイプかと思ったら随分度胸あるんすね…!」
「……接近しないと……誰が……言った?」
「その通りっすね…! 流石あいつを倒しただけある…!」
あいつ、という言葉にわずかに忍が反応したが、それに何か返すよりも早く悠人と玲治がロウワンを追いかけてきた。悠人に襲い掛かったランサーもそれに続く。
問答よりも毒に耐えるよりも先に進まねばならない。脂汗さえ浮かぶ体の不調を大きく息を吐き出すことで無理やり誤魔化して、ロウワンは駆けだす。
視界正面、ハーメルンを狙ったことで標的にされた樹が二体のシューターとランサーから攻撃を受け、それをレートを落として受け止めている。
その左方、電撃による戒めから抜け出したランサーが、動き出すよりも早く夜姫が再度一撃を叩き込み再度沈黙する姿。
どちらもまだ距離はあるが、もう少し走れば追いつける。それまでにハーメルンが耐えることが出来ればまだ勝機はあるか、とロウワンは再度魔力を集め体中に電撃を纏った。
「逃がしませんよ!」
背面からの悠人の言葉、上空からのプレッシャー、足元で自分の足を引っ張る影の音。
悠人が生み出すアウルの隕石と玲治が呼び出す影の手。影に足を掴まれ何とか振り払うも、降り注ぐ隕石の重圧で確実に動きが鈍る。
更に悠人に追随するランサーが影の手に巻き込まれて動きを止めてしまったこともロウワンにはマイナスに働いている。
だが、それでもハーメルンを狙う者へとたどり着こうという意思は鈍らない。
「止まりなさい」
側面に回り込む雫が銃のトリガーを引き、ロウワンは舌打ち一つ、右手に纏う装甲を盾にその一撃を受ける。めり込んだ弾丸によって装甲にヒビが入ったのが雫よりも近くにいる悠人や玲治には見えた。
(種切れか、避ける時のデメリットが無視できなくなってきたか……?)
銃と剣の威力の違いがあるとはいえ、あそこまで警戒してきた雫の攻撃を避けない理由を、悠人がそう察する。
だとすれば、この一瞬が正念場だ。
●
血の匂いで目を覚ました。
樹が珍しく顔をしかめて腕に突き刺さった矢を無理やり引き抜いているのが、エカテリーナが意識を取り戻して最初に見た光景だった。
「起きた? もうひと頑張り行けるよね?」
樹にヒールを施しながら竜胆の告げる言葉に、即座に状況を把握する。
樹は防御に優れるが、それでも素のレートが高すぎる。レート調整の術を失ってしまえば、防御に関してはエカテリーナとそう変わらない。
そして、その状況はもうすでに訪れてしまっている。シューターは一体未だに石化しているが、それでもランサーを含めて三体。まだレート調整が出来るとは到底思えない。
そうだ。まだ、大人しく寝ていることなんて出来はしない。
竜胆へ頷いて、愛用のスナイパーライフルを杖に無理やり起き上がる
ハーメルンを護るようよう立ちはだかるランサーとシューターが驚異が復活したことに再度エカテリーナへ武器を向けるが、それよりも早くエカテリーナがアウルでミサイルを生み出す。
この一瞬が正念場だ。
「――飛べぇ!!」
言葉と共にミサイルがまだ宙に浮くハーメルンの目前で破裂し、無理やり地面へと引き摺り落とす。
同時。シューター二体が放つ矢がエカテリーナの身体を貫いた。
竜胆が防壁を展開したが、それでも傷だらけの状態で受けきれるものではない。口から血を溢れさせ、膝から崩れ落ちた身体は今度こそ起き上がれない。
「後はアンタだけっすかね!」
背面。ロウワンの声。重圧で移動速度こそ鈍ってはいるものの、それでもすぐに樹を拳の射程に収める所まで接近を許している。
更に後方ではやや遅れてこちらへ向かって来るランサーを、忍が影を縫い止めることで留めている。後方にいる敵の中で動けるのはロウワンのみだが、この状況で本人がたどり着いてしまうのは非常にまずい。
樹はロウワンから逃れるべく移動しようとするのだが、それよりも早く目前のランサーが突くではなく殴るような挙動で手の中の槍を振り落ろす。
レート差はもう操作できない。ゴッ、と鈍い音が周囲に響き殴られた頭部、目の奥がチカチカと明滅する。
乱暴に近づいてくる足音は近く、自身が動けるまでにかかる時間で相手は追いついてくるだろう。
詰んだか。諦観に似たそんな思いが樹の脳裏によぎったが、それよりも早くロウワンの進路上に割り込んだ足音がある。
「同じ雷使いとして手合わせ願いたい所ですが……それは次の機会でしょうかね」
夜姫だ。樹の盾となるべく、全速で進むロウワンの前に立ちふさがると迫る相手の速度を重ね、構えた太刀を振り下ろす。
「邪魔ぁ…っ! してんじゃねえっす!!」
右肩から袈裟に切られ身体から血の華を咲かせ、激痛に顔は歪んでいるけれども。けれど悪魔のタフネスに頼ってロウワンは倒れない。
触れた刀身から流れる電流が夜姫を襲うと同時、邪魔された苛立ちに任せた前蹴りが彼女の鳩尾に刺さる。
衝撃にくの字に曲がった夜姫の身体を続けて左腕で払いのける。乱暴に地面に叩きつけられた彼女はそれきり起き上がらない。
ロウワンの表情には、今や焦燥の色しかない。
ここで夜姫に足が止められてしまったことは、ほぼ致命に近い失敗だ。
現に――
「もう猶予も無いよ、龍仙ちゃん。多少無理に突っ込んでもあれ、倒しちゃわないと」
「分かっています。攻め切りましょう」
「あーあー。痛いのヤなんだけどなぁ…」
竜胆と樹が、ハーメルンへ向けて全力で戦場を駆け抜けていた。
止めろ、とロウワンがディアボロへ向けて叫ぶが、それが間に合わないことは本人も分かっているだろう。
シューターは新たな矢を番えるに時間がかかる。ランサーの射程にもはや二人ともいない。この一瞬、二人がハーメルンへの攻撃を加える前にどちらかでも迎撃できる存在が、冥魔の側にはいないのだ。
「大体さぁ、レディ連れ去りは困るなぁ。世界の宝なんだからね?」
エカテリーナがハーメルン二体を地上に引きずり下ろしたこの状況下ならば範囲攻撃も意味を持つ。
竜胆が手元に生み出した巨大な槍が一直線に空間を奔り、二体のハーメルンをまとめて貫いていく。
既に何度も攻撃を受けていた一体はそれによって絶命してしまい、動かない。そしてもう一体も。
「人攫いは許せることではありませんが、今回は尚更です。生きて帰れるとは、思わない事です」
ハーメルンへと肉薄した樹が、手元の魔法書に限界以上のアウルを注ぎ込む。
命すら失いかねない程膨大なアウルに応じて世界に顕現したのは、白銀の騎士。とある御伽噺の中の、英雄。
進め、と意識で命じると同時、樹はかつて共に育った孤児院の仲間たちを思い出す。
ここで冥魔を止めなければ、きっと自分のように親と会えなくなる子供が増える。子供と会えなくなる親が増える。
今目の前で剣を振るう白銀の英雄はきっと、親子が離れて生きることになるという、悲しい出来事を生まないためにその剣を振るうに違いない。
龍仙樹は、そういう者こそが英雄であると、信じているから。
光を携えた鋭い剣が、ハーメルンへ振り下ろされる。
その剣はハーメルンが動くよりも早くその身体を両断し、そのまま膨れ上がる圧倒的な光で敵を呑み込んでいった――
●
同時刻。操られた子供たちに対応するフリーの撃退士や警官たちの中から歓声に似たどよめきが聞こえてきた。
「……あ、れ? ここは…?」
「先生、どうして僕たち外出てるの…?」
先程まで何を言っても反応しなかった子供たちが突如足を止め、現状が理解できないと言わんばかりにあちらこちらを見回し始めている。
おそらく、連絡のあった通り久遠ヶ原の撃退士達が原因の根本を取り除いてくれたということだろう。
バハムートテイマーが呼び出したヒリュウの偵察によれば、ディアボロの一団が子供たちを回収するためか接近しているという報告もある。もう少し時間がかかっていたら、たとえ子供たちが正気に戻っていても逃げる時間が無かったかもしれないが、これだけの距離があるなら何とか逃走も出来るだろう。
その事実に安堵の息。まだ完全に気を抜くことはできないが、大きな山は乗り越えたと言って良いはずだ。
そう判断すると、その場を取り仕切る撃退士が声を張り上げ、そのまま子供たちを避難させていく。
●
「あぁあああああ!! 悔しいっすッッ!!」
ダン、と八つ当たりするようにグラウンドを踏みしめ、ロウワンは自分の頭をわしゃわしゃとかきむしった。
結構派手に血を流しているはずだが、それ以上に本人の言の通り悔しかったのだろう。場が戦場でなければそのまま床に転がってバタバタ暴れかねないとすら思えてしまう。
随分と子供じみた反応に悠人は一瞬呆気にとられたようにそれを見ていたが、まだ油断することなく武器を大剣に持ち替えて、一歩ロウワンの方へと。
「大勢は決しましたよ。まだ、続けますか?」
クールダウンも兼ねているのか、その言葉にロウワンは一度ぐるりと周囲を見渡した。
倒されたハーメルン以外はまだディアボロは動くことが出来る。対して撃退士の側で動けるものは六人。
自身に積み重なったダメージは実は結構余裕のない所まで来ていたりするのだが、それを抜きにしても数で押し切ることはきっとできる。
そうでなくとも、今から残った手勢を率いて子供たちを掻っ攫う場まで向かえば十人、二十人くらいは連れ去ることも出来るだろう。
だが。ハーメルンが倒された時点で、この場において自分が敗北していることをロウワンはよく理解している。
この場においてロウワンは、負け犬でしかない。
負け犬に吠える喉は許されず、ただただ尻尾を巻いて逃げるのがお似合いである。
もう一度乱暴にグラウンドの地面を蹴ると、ディアボロたちを一瞥。それでランサーもシューターも武装を解除した。
「……認めるっす。今回は俺の負けっす。なんで、大人しく引かせてもらうっす」
悔しい、とか。めっちゃ悔しい、とか。そんな単語が顔に描いてあるようだった。
思わず苦笑すると、悠人を皮切りにその場の全員が武器をヒヒイロカネに収めた。
「次に機会があれば、また再戦を」
「そりゃ願ったりっす。マジ覚えてろっすよ、次絶対ギャフンって言わせてやるっすからね。
そっちで寝てる姉さんにも伝えといて欲しいっすよ、雷使いの勝負も望む所だって」
倒れたままの夜姫をちらと見てそう言い残すと、既に撤収態勢に入っているディアボロたちに続くようにロウワンも背を向け、
「待ってください」
言葉と共に、樹の放つ光の羽がロウワンの頬を浅く裂いた。
首だけで振り返り、樹と視線を合わせる。
「貴方は龍の逆鱗に触れました。次に会う時は私も最初から出し惜しみなく、全力で戦わせてもらいます」
「……俺は、最初っから全力だったんすけどね」
それでも相手は全力で無かったのか、と。どこか不機嫌そうな色の混じった声だった。
「いや龍ってのも難儀っすね。こっちがいちいち逆鱗とやらをつついてやらねえと本気出せねえんすから。さぞ窮屈っしょうね」
そこまで言ってから、ロウワンは息を吐き出し首を左右に振った。
言葉尻だけを捉えた揚げ足取りであることは、本人が重々承知している。
「……悪ぃっす。今は何言っても負け惜しみでしかねえや。じゃあ、次は最初っから本気出せるように存分に逆鱗とやらぶち抜いてやるっすよ」
不機嫌そうなまま、またグラウンドを蹴る。
何度も悪魔に蹴られてグラウンドも災難だろうに、と思いつつ竜胆は「ロウワンちゃん」、と声をかける。
「……何すか。ああ、お頭のスリーサイズっすかね。測り行ったら返り討ちあったっすよ」
「あ、それで関節痛かったんだ……ま、いいや。そうじゃなくてさ、またね? って一応言っときたくてさ」
「ま、またねって兄さん……」
台詞の後に星でも浮かんでいそうな気楽な声だった。
こうも軽くまたねなどと言われた本人も毒気を抜かれてしまったのか、長く緩く息を吐き出し。
「……そうっすね。また、っす」
その言葉だけを残し、悪魔の勢力はその場から去っていく。
そう返す表情には、呆れたような苦笑が浮かんでいた。
(了)