●
「そこで抱えてくってどんだけ楓に執着してるんすかあのオッサン…!」
三方向から現れたディアボロ達が包囲網を狭めていく中、平賀 クロム(
jb6178)はシマイが消えていった入口を睨み思わず毒づく。
「行くっすよ。ここであいつを逃したら楓に何されるかわかったもんじゃないっす」
その言葉に、場の全ての者が頷く。
空を飛び一気に屋上へ向かう者達が武運を願う言葉を残し、敵の居ない市役所の出口から一度外へ。
視線の向こう。外で待機していた者達も丁度敵の応援と交戦を始めたようだった。
願うように視線の先の戦場にも武運を祈りながら、各々が翼を広げる。
一息で高度を一気にあげ、屋上を眼下に収めれば、
「…随分と早かったね。もう少しゆっくりしてくれてると嬉しかったんだけれども」
楓に斬られた傷口を抑えながらも、軽薄な笑みを崩さないシマイの姿が見えた。
●
この光景を何度見ただろう。
ヴァニタス・リーンとそれに付き従う赤い靴を履いた人々。
市役所目掛けて前へ前へと進み続けるそれらを前に、紅香 忍(
jb7811)はリーンの真正面に立ち塞がる。
「…通行止め…だ…」
その言葉は宣戦布告の合図。即座にライフルを構え、リーン目掛けて引き金を引く。
放たれた弾丸を、リーンは僅かな所作で周囲に鈴の音を響かせると共に眠らせ、拳で叩き落とす。
「行かせ…ない…」
直後、浪風 威鈴(
ja8371)が車を遮蔽物に構えた狙撃銃から弾丸を放つ。
真正面からの攻撃に対処した直後を狙われてしまえば、即座の対応は難しい。威鈴の弾丸を眠らせることが出来ぬまま、リーンは弾丸の衝撃を身体で受け止めることになる。
横殴りの衝撃にリーンの身体がよろめくが、すぐに体勢を立て直しなおも前へ。
その後方、赤い靴を履いた少女達が先を進むリーンに追いつこうと走る速度を早めていくが、その目の前に夜桜 奏音(
jc0588)が割り込む。
「あなた達をリーンの元へは行かせはしません」
掌から生み出す風を叩きつけるように解き放つ。
突如生み出された強風に、前進を続ける少女達がたまらず後退。自ら背面に飛び退ることで体勢を崩すことを回避。
そこに、レイ・フェリウス(
jb3036)と浪風 悠人(
ja3452)が一気に距離を詰める。
「悪いけれど、此処から先は行かせないよ」
「そういうこと。君たちにシマイと合流されると困るんだ」
赤い靴を履いた少女達が武器を構えて応戦しようとするよりも早く、頬を張る快音、二つ。
過去の報告から、リーンが眠りの術を維持しない限り赤い靴を履いた一般人はすぐに目を覚ましていた。
「目覚めない…?」
だからこそ、頬を張った二人の少女が即座に反撃に出たことは、想定外の出来事と言っていい。
切り上げる軌跡の剣の一閃への対処に、レイはわずかに遅れを見せた。
下から上へ身体を走る刃、一瞬遅れて血の華が咲く。
「叩いても起きない靴を作った、とか?」
「いえ。だとすれば、今ここでそれを切ってくるのはおかしいはずです」
ディアドラ(
jb7283)が両の眼にアウルを集めながらレイの独白に返す。
七条梓を奪うための病院強襲にも赤い靴を履いた一般人は用いられていた。そして、そこではすぐに一般人を起こすことが出来たはずだ。
「ただの少女じゃないのかもしれませんね」
「…その通りです。冥魔の力が色濃く現れています」
悠人が頬を張った少女からの反撃を回避しつつ告げる違和感に、まだ頬を張っていない三人の内一人に宿る天魔の力を見定めていたディアドラが答えを出す。
つまり、ディアボロだ。おそらくはシマイが撹乱のために作り上げた偽物の一般人。
頬を張って目覚めなかったということは、レイと悠人が接触した二人もディアボロと考えてもいいだろう。
まだ手付かずの二人の中に一般人が含まれている可能性もゼロではないが、それはこれから見ても判る。
後方で少女達――花一匁とシマイは呼んでいたそれらの正体が暴かれていくのを感じながら、リーンは進む。
忍と威鈴が二方向から銃撃を続けているにも関わらず器用に弾丸を撃ち落とし、あるいは直撃を避けるように当たる位置を選ぶことでその足を止めようとしない。
「行かせはせぬよ」
リーンの進路に割りこむように、終始リーンの挙動を観察していたバルドゥル・エンゲルブレヒト(
jb4599)が立ち塞がると同時、アウルで編み上げた鎖を彼女目掛けて放つ。
至近距離から放たれた鎖をリーンは回避出来ない。鎖から流れこむアウルに痺れたように、ビクリと一瞬身体が跳ねる。
だが、それでも止まらない。
鎖の戒めを強引に振り払うと、そのまま固めた拳をバルドゥル目掛けて叩き込む。
「む…!?」
防具が眠るという術以上に天使とヴァニタス、レート差が増幅する力が強すぎた。
身体がくの字に折れ、一瞬動きが硬直する。
バルドゥルの硬直をフォローするように彼の身体を目隠しにリーンへ肉薄していた忍が拳にアウルを集め、強烈な一撃を叩き込む。
腹部に突き刺さるその一撃にリーンの肺から呼吸が全て逃げていくのを手応えで感じる。
だが、それでもリーンは忍を無視し、バルドゥルを忍への遮蔽物のように横を通りぬけて市役所へ向けて走る。
この一瞬、リーンと真正面から当たるものがバルドゥル以外に居ない。
一人でヴァニタスを抑えなければならない状況から生まれた僅かな隙間を、リーンは見逃さない。
「私がリーンの手勢を引き離しますので、リーンの元に」
奏音が再度強烈な風を巻き起こし、ディアボロだと判断された三体を更にリーンから引き離す。
その言葉に悠人は頷くと、踵を返してリーン目掛けて駆け出す。
ほんの僅かな間であるとは言え、リーンと距離がある花一匁への対応に向かっていたのは痛かった。
悠人がバルドゥルの近くに辿り着いた時にはリーンは彼の刃の射程外にいる。
「っつ、すまない。リーンがそちらへ向かった…!」
「…まだだ…」
足を狙い機動力を削ごうとする威鈴の銃撃を眠らせながら回避し、リーンは一直線に市役所内へと姿を消していく。
喉の奥からこみ上げる血を乱雑に吐き捨て、バルドゥルが市役所内部の味方へ通信を送る。
そして、忍もリーンを追いかけるようにこの場を離れ、市役所へと消えていく。
「この場にいる彼女たちは全員ディアボロ、一般人ではありません!」
リーンの突破を許したという事態に意識が向きかけていた一同だが、霊視で残った二体の判別を終えたディアドラの声に我に返ったようにその場に残された少女達を見る。
ディアボロだと分かってしまえば遠慮する理由など存在しない。
リーンに続けと足に込められた力を更に強める彼女たちの背後、レイの周囲に突如現れた深い闇が彼女たちを包むと同時、闇が爆ぜた。
「こちらです」
闇に視覚を奪われ奏音の声を頼りに剣を振るう少女だったが、奏音は振るわれた剣の軌跡を先読みし、その攻撃をいなすと同時に背後を取る。
同時、振るわれた剣の勢いを盗んで演舞のように華麗な一回転、反撃の二刀は吸い込まれるように少女の首元へ突き刺さる。
闇の範囲外に居た少女達もバルドゥルが鎖で麻痺させ、動きが止まった所に悠人が斬りかかる。
自身のアウルを天界に偏らせて放つ一撃はディアボロ相手にはより強力に刺さる。
袈裟に斬られた少女はそのダメージに耐え切ることが出来ない。斬られた衝撃に逆らえず背中から地面に倒れこむと、そのまま起き上がることがなかった。
(あなたが愛した人を護るのならば、私は貴方の背を護りましょう)
残った少女達の内の一人を砂塵で包み石としながら、ディアドラはこの場に居ない老紳士へ思いを馳せる。
この身がその腕に抱かれることはきっと、無いのだろう。
けれど。あるいは、だからこそ。命を預けられる朋として、彼の全てを護ろう。
その決意が、ディアドラを今この場に立たせていた。
●
市役所内部。
飛行して屋上へ向かうものは何の障害もなくこの場を離れることに成功したが、己の足で階段を登って屋上まで向かうものはそういう訳にはいかない。
今撃退士がいる場所から階段のある所まではそれなりに距離がある上、その進路上にはディアボロが三体。
少なくとも、進路上にいる彼らへの対処を考えなければ余計な負担を強いられることは必至だ。
まずその場にいるどの存在よりも早く、黒百合(
ja0422)が動いた。
ヒリュウを呼び出し己の背面に配置し死角のカバー。ロケット砲を取り出し狙いを定め。
「Fire…♪」
鈴の鳴るような可愛らしい声と共に放つにはあまりにも強烈すぎるアウルの弾丸が、ディアボロの一体を襲う。
回避は難しいと判断したのか、敵が両腕を盾に防御を固めたようにも見えた。
しかし、凶悪とすら言ってもいい武器の破壊力に加えて彼女が纏う天界寄りの力、そして天魔の眷属を討つことに特化した一撃が合わさってしまえば、防御など屁の突っ張りにもならない。
びり、と周囲に走る衝撃が去った後、着弾地点には何も存在しない。
元より不定型の姿を持つ存在ではあるが、ここまで影も形も残さず消滅してしまうとはディアボロ達も思わなかったのだろう。
つい一瞬前まで存在した味方が一体消えてしまったことを認めると、慌てたようにその身体から一斉に黒煙を吹き上げて自身の身体を隠す。
ディアボロにだって生存本能の一つくらい、ある。
「なるほど、逃げ隠れするのがお得意か」
チョコーレ・イトゥ(
jb2736)が両足にアウルを纏わせ、周囲に転がる障害物を足場に天井に張り付きながら小さく呟く。
眼下、桜乃=Y=アルセイフ(
jc0910)が光球を生み出し黒煙の中に隠れたディアボロを見つけようと目を凝らしているが、煙と同化してしまったようにその姿は捉えられない。
それは上から戦場を眺めているチョコーレも同様だ。少なくとも、煙がそこに存在する間は敵の姿を捉えることは困難だろう。
シマイへ向かう者達も交戦の必要ありかと武器を構えるが、チョコーレは手元の書物から影の槍を生み出し窓へ向けて放つと同時に制止。
「余計な力を使うな! ここは俺達に任せて、早くシマイを追え!」
「そうそう、楓さんは取り返してもらわなきゃね」
チョコーレと同時に弓を構え、別方向の窓へ矢を放ち煙の逃げ場を作りながら、クラリス・プランツ(
jc1378)も力を温存するように告げる。
「悪いわねぇ。それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうわぁ」
「守らせていただきます。誰かの願いを叶える為にも」
シマイへ向かう者の一人、ジーナ・アンドレーエフ(
ja7885)が一同を代表して了解を返し、真正面のディアボロ達が発した煙を迂回するように移動を開始する。
そして、早見 慎吾(
jb1186)と桜之がそれを護衛するように周囲を固める。
煙の逃げ場は次々に作られている。だが、自然の空気の流れに任せていては一瞬で敵が視認できるほど状況が好転することはない。
ディアボロが相手であろうと、相手が何処から仕掛けてくるかわからない空間の中に突っ込んでいくのは自殺行為だ。
屋上のシマイと相対することが必要な状況下、ここで消耗してはいけない。
階段のある出入口目掛けて移動を始めた一団を、シマイの元へ向かう存在だと認識したのか、煙の中から影で形作られた拳が二つ、移動を続ける者達へ飛来する。
「っつ、嫌な予感は的中してほしくないね…」
一つは桜之が盾を構えながら拳の射線上に割り込んで対処。
形の定まらない拳の軌道は非常に読みにくく、危うく受け止めるタイミングを逃しかけたが両足を踏ん張りその衝撃を受け止める。
そしてもう一つは、走り続けるジーナが後ろに目でも付いているように絶妙なタイミングで振り返ると同時に放った銃弾が撃ち落としてしまった。
「凄い…ジーナさん、インフィルトレイターでしたっけ?」
「ただの女の勘だわぁ」
勘で攻撃タイミングを見切り迎撃してしまったことも十分凄いのだが、あまり深くは言及すまいと桜之は決める。
慎吾が受けたダメージを癒してくれれば、まだ彼らの盾となることは出来る。
そんなやり取りの中、正面左手側の煙の中から何かを踏み潰す音が聞こえた。
音の正体は、クラリスが煙の中へ投げ込んだスナック菓子だ。それを踏み抜く音があれば場所を特定する一助になるのではないか、そう判断しての行動だ。
「我は我にできることをやろう」
音で煙の中の敵を捉えられないかと意識を尖らせていたアストリット・シュリング(
ja7718)が、真っ先にそれへと反応した。
複数の足音からそこまで距離は離れていないと判断すれば、市役所の床にアウルを流し込み、敵がいると思わしき箇所へ槍を放つ。
煙の奥から動揺したような気配。視認は出来ないが当たったと見ていいだろう。
そこに追撃とばかりに慎吾が流星を呼び出し、煙の中の敵へ重圧を与えていく。
「頭が隠せていないぞ?」
空気の流れが次第に煙を薄くしている。
黒煙が色付ける空気の流れとは不自然な黒があれば、それは敵に違いない。
天井からチョコーレがワイヤーを振るい、クラリスも別の敵へと矢を放つ。
せめて少しでもシマイへ向かう者達へ被害を与えようと拳を構えていたディアボロ二体は、あっさりと攻撃を受けた者達へその矛先を変えた。
チョコーレは拳が放たれる瞬間を見切り回避したが、クラリスに向けられた拳は完全には消えない黒煙に覆い隠されてしまった。
避けきれない拳が肩に突き刺さり、弓を取り落としそうになる。
けれど、震える手を意識で律してもう一度、弓を引く。
今、この一瞬を精一杯生きていたい。
その積み重ねこそが人生というものだと彼女は考えているから。
「中々の耐久レースだね。でも、絶対に行かせないよ」
言って、更に別の敵へ矢を放つ。
赤に染まる弓弦に誘われるように矢を放たれた一体が拳をクラリスに向けるが、横合いから叩きこまれた黒百合のロケット弾が影を消滅させる。
「皆様、楓殿の方は我々にお任せを」
シマイの元へ向かう者達が階段へと辿り着いた。
ヘルマン・S・ウォルター(
jb5517)の声にその場に残る者達は先を託すように頷いて返す。
「ヘル爺」
階段目掛けて走る一体へアストリットが追いつき、電撃のような衝撃を浴びせて動きを止めながら一言。
「本懐を遂げられよ」
「…ええ」
振り返ること無く、ヘルマン達は階段を駆け上がっていく。
「…! リーンがこちらへ来る!」
残った敵にヘルマン達を追わせないと階段の周囲を抑えにかかる慎吾の通信機が伝えるバルドゥルの声に、その場の緊張感が高まる。
ディアボロの牽制を続けていた葛葉アキラ(
jb7705)とリアン(
jb8788)が一度交戦していた敵と距離を取り、慎吾の指示に従い階段の奥の通路へと姿を消す。
程なくして通路の奥から戦闘音が響いてくる。戦場となっている広場に続く通路の奥にも敵が居たようだ。
直後、通信機からの警告の通りヴァニタスの少女、リーンが現れる。
彼女の登場と同時、示し合わせたように階段が無い出入口二つからもディアボロがそれぞれ数体ずつ姿を見せた。
「…やれ。少々無理のある状況やもしれませんね」
リーンがまず発した言葉は、それだった。
ヴァニタスと、頭数こそあれディアボロだけで複数の撃退士が固めるたった一箇所のゴールをこじ開けることが出来るかと問われれば、おそらく難しい。
背面から放たれる銃撃を、地を転がるようにして真横に避けると同時、リーンを追いかけてきた忍も市役所内に飛び込んでくる。
単純に足の速さで言えば、完全に忍の方へ軍配が上がる。そんな相手を前に今から踵を返して逃げ帰れるとも思えない。
進まなければならない。
屋上まで辿り着き、シマイと合流し、彼の撤退に便乗する。それが出来なければ、倒れるだけだ。
●
市役所内で交戦が始まったのとほぼ同じタイミングで、飛行して屋上に辿り着いた者達もシマイとの交戦を開始した。
ディアボロの一体が楓を屋上の隅、戦闘に巻き込まれない場所へと運ぶのを尻目に、綾羅・T・エルゼリオ(
jb7475)が真っ先に動き出した。
シマイの周囲を固めるのは市役所内にも居た影のようなディアボロだ。それらが一斉に黒煙を生んだ直後、黒煙目掛けて突風を吹かせ煙を散らす。
もとより屋外、風で吹き飛ばしてしまえばディアボロも利用出来ない。
「獅子身中の虫となるよう、楓を唆したのは俺だ」
「…へえ?」
ディアボロを隔ててその様子を見ていたシマイは、綾羅のその声に小さく眉を動かした。
安い挑発だ。そうは思いながらも、シマイの手は動いていた。
指で銃を作るように人差し指を綾羅へ向けると、白い光を放つ。
「させません」
悪魔の一撃を受け止めたのは廣幡 庚(
jb7208)。
黒色の盾の上から感じる衝撃の重さは流石に悪魔と言ったところか。
追撃のためにシマイの周囲に居るディアボロも動き始めたが、それをいつの間にか再度宙へ舞い上がっていた綾羅がガトリング砲から無数の弾丸を吐き出し牽制する。
「自らの怒りすら自覚できないとは。可哀想な男だな」
「可哀想? 俺が?」
構わず庚へ攻撃を続けるようディアボロへ命じつつ、視線を上空の綾羅へ。
見返す視線。綾羅はまっすぐにシマイを見下ろして。
「楓に裏切られて、お前は何を感じた。怒りを覚えたか、悲しみを覚えたか。
お前の心に刻まれたそれらは、お前が楓を大切に思っているからこそ生まれたんじゃないのか…?」
「俺の心を、君の都合のいいように決めないでほしいね」
綾羅の言葉を遮るように、シマイが指先から三匹の蝶を生み出し、彼へと飛ばす。
綾羅が迫る蝶を警戒し構えた直後、彼に迫る三匹の内一匹がファラ・エルフィリア(
jb3154)によって撃ち落とされる。
残りの二匹は彼の近くまで辿り着き、爆発。レート差の乗った二つの爆発をかわしきることが出来ない。
マクシミオ・アレクサンダー(
ja2145)が呼び出したストレイシオンの防御結界が二つの衝撃をわずかに低減させるが、耐え切れない、意識が途切れる。
気絶し宙から落下する綾羅を庚が受け止め、治癒を施すが一度では目を覚まさない。
「シマイたん! お尻狙ってもいいかな! 良いよね!?」
綾羅へ更に攻撃を仕掛けようと指先を向けたシマイだが、ファラの場にそぐわない明るい声に怖気を感じたか、真横に飛ぶ。
ほんの一瞬前までシマイの尻があった空間目掛けて彼女が放ったら雷符が通り抜けていく。
「君さあ、この間と言いもうちょっと真面目にやれないのかい」
「あたしシマイたんの尻のほうが大事だから! 良かったじゃんモテ期到来だよ!」
「俺、尻ばかり狙われるのをモテ期とは言いたくないなぁ…」
先にファラを黙らせたほうが精神衛生的に良いと判断したのか、右手に白光で剣を作り、一息に斬りかかる。
マクシミオがその行動を読んでいたのか、ファラとシマイを直線で結ぶ地点に流星を降らせていくが、左手の青い障壁を掲げてそれを受け止めるシマイの足は止まらない。
シマイに腹部を刺し貫かれファラの表情が苦痛に歪んだが、それでもファラの口は動き続ける。
「加齢臭hshs!」
手に持つ雷符に命を喰らう術を込めて至近距離で放った。
シマイの身体に走る雷のアウルを通じて、傷をわずかながら癒やす。
そのままシマイとの距離を取ろうとするファラをフォローするべくマクシミオが動きかけたが、数体のディアボロが放つ拳がそれを阻害する。
飛行して一気に屋上へ向かうという方法は、確かに障害をショートカットするために有効な手立てである。
だが、全員が飛べるわけではない以上、走って屋上を目指す者達も居ることは勘定に入れる必要があっただろう。
まだ建物内にディアボロがいる可能性もある。それ以上に、単純に上昇すれば良いだけの飛行班と比べ、屋上まで到達するのにどうしてもある程度の時間が必要となってしまう。
部隊を分けて挟撃を図ろうとしても、到着タイミングが遅れてしまえば寡兵が順番にやってくるのと変わらない。
強力な能力を持つ相手にとっては、各個撃破の好機とも取られかねない。
だが。
「往くぞ、諸君!」
赤糸 冴子(
jb3809)の声と共に屋上への出入口が数多の攻撃で吹き飛ぶ。
やや遅れる形とはなったが、屋上まで走ってきた者達が間に合った。
●
階段までの道はほぼ一直線だった。
待ち構えていたディアボロも居たが、ヘルマンやアンジェラ・アップルトン(
ja9940)の放つアウルの奔流が障害を薙ぎ払っていく。
結果、ほぼ消耗なしに屋上階段まで辿り着いたヘルマン、アンジェラ、クロム、ジーナ、冴子の五名。
閉じている入口の扉ごと潜んでいた数多の蝶を撃ち落せば、入口にシマイが仕掛けた罠は、全て無力化されてしまった。
「支配の鎖に抗う同士の意志は引き受けたぞ!」
扉を破った勢いのまま、冴子は一息にシマイへ吶喊。
迎撃のため白い剣を振るうシマイに怯む素振りすら見せない。
振り下ろされた剣が肉に食い込んでいくのも構わず、攻撃後の隙を逃さず散弾銃の台座で悪魔の顎を殴打。
頭部に走る衝撃は流石に辛いのか、小さく首を振るって意識をクリアにするような所作。
「ちょっとクラっとしたよ。そんな後先考えずに突っ込んできて、死ぬ気かい?」
「否。全ての闘いに命をかけ、なお生きてこそ革命は成る」
こんな所で死ぬわけにはいかない。さりとて、温存という言葉に縋り最後までぬるま湯に浸かるような生を冴子は良しとはしない。
痛覚の全てを遮断しているのではと疑ってしまう程、後先を考えない猛攻だった。
それを可能とする術の存在も知らない訳ではないし、そんな無茶がそう長く続かないことは当然だ。
相手が冴子一人であるならば逃げ回り時間切れを待てばいい。
だが、この場に居る敵は彼女だけではない。
「シマイ殿。今の私は、貴方に手が届きますかな?」
冴子から距離を取るようにサイドステップ――しかけた所で両足にアウルを蓄えたヘルマンが神速の勢いで迫る。
速度任せに振り下ろされた黄昏色の鎌は、シマイが青い障壁を展開するよりも早くその切っ先をシマイの肩へと埋めていく。
刃が心の臓に届く前に強引に退き自ら肉を裂いて致命傷から逃れはしたが、その合間に冴子が離しただけの距離を再度詰めてくる。
散弾銃が突き付けられた腹部。放たれた弾丸が至近距離で炸裂する。
ヘルマンの再度の追撃を白い剣で何とか流すが、それ以外の行動に割ける余裕が失われているのをシマイは感じる。
周囲のディアボロ達に援護を命じようにも、クロムやアンジェラがそれを許さないとディアボロに攻撃を加えている。
トドメとばかりにジーナと庚が二人がかりで傷を癒やした綾羅が戦線に復帰し、また上空から銃撃を浴びせており、シマイへの援護も思うように行えない。
「…むしろ、届いてなかったと今まで君が思ってたことの方が俺は驚きだね」
冴子に殴打された際に口の中を切ったのか、血の色が交じる唾を吐き捨てながらシマイは忌々しげに声を発する。
何度、己の企みを目の前の老執事達に阻まれてきたことか。
何度、留めおこうと手を尽くす楓が彼らの方を向いたことか。
彼らさえ現れなければ、楓はずっと己の従者で居たはずだ。ずっと、ずっと己を見るしか出来なかったはずだ。
「捕らわれたのは、どっちだろうな?」
楓を転がしていた方角から不意に聞こえた声に、ハッとしたようにシマイは視線を向ける。
そこに居たのは、楓を背負うケイ・フレイザー(
jb6707)の姿だ。
翼を持たず、さりとて階段経由で屋上へ向かわなかった彼は、壁走りで建物の壁面を駆け上りここまで辿り着き、息を潜めていたのだ。
そして、楓の傍らに居たディアボロも戦闘に駆り出さなければならない程にシマイが追い込まれた瞬間を見計らい、楓を確保するに至った。
「火事場泥棒とは趣味が悪いね」
「アンタにそう言われれば光栄だな。なあ、こいつの感情はそんなに旨かったのかい」
言葉にしながら、駆け出す。目指すはヘルマン達が破った扉の向こう、市役所内。
仲間達がディアボロの数を減らしてくれている今なら、辿り着ける。
「今にして思えば、残さず食べてしまっても良かったかもしれなかったね。
人形はつまらないと昔君に言ったけれど、手元から無くなるよりはずっと良い」
手元から蝶を生み出しヘルマンを牽制。
構わず突っ込んでくる冴子を無視し、手元の剣を構えてケイ目掛けて床を蹴る。
「いい加減にしろ。楓は…人間は、てめぇらの人形なんかじゃない!!」
「そォいうこった。男の嫉妬ほど醜いモンはねェぜ?」
だが、ヘルマンや冴子から受けた傷が明らかに速度を鈍らせている。
ケイを剣の射程へ収めるよりも早く、クロムがその進路上に割り込んだ。
彼の解き放つ風がシマイを押しのけ、ケイを更にゴールの方角へ運ぶ。
更に、マクシミオが構える槍から幾つもの光弾が放たれる。
青い盾を構えそれを受け止めたが、連続で着弾する獣の如き衝撃に押され、更にケイとの距離が離れていってしまう。
アンジェラやファラが蝶を撃ち落としている間にヘルマンがシマイをこの場に留めるべく入口を抑える。
後は任せた、と言葉を残してケイがヘルマンの脇をすり抜け、屋上から消えていく。
●
同時刻、市役所内部。
指揮官ではないリーンがディアボロの指揮を取った所で状況は好転しない。
黒煙も生み出した直後ならばともかく、時間経過で効果が薄れてしまえばそれでおしまいだ。
戦場となった広場に居たディアボロは全て倒された。市役所内にまだ何体か残っているが、最早各個撃破を待つだけだ。
そして、リーンも。
屋外の敵を片付けたレイと悠人も合流し、忍と三人で彼女を攻め立てていく。
「後顧の憂いは断っておきたいからね。ここで死んでおくれ」
レイが周辺に数多の爆発でリーンを呑み込んだ直後、悠人がその目くらましに一気に接近。
レートを天界の側へと引き上げた一撃が重すぎる。市役所の床を滑るように転がり、倒れた机に衝突してようやく停止。
その状態から、何とか起き上がろうと藻掻くリーンの額へ忍が銃口を突きつけて。
「…終わりだ…」
有無を言わさぬ宣告。突き付けられたチェックメイトに、リーンは静かに、目を閉じた。
銃声。リーンの身体から完全に力が抜けていった気配。
悪魔の人形を謳う少女は今この瞬間、人形と変わらぬ物言わぬ存在へ成り果てた。
リーンだった骸を見下ろしながら、忍はしばしそこから動かない。
市役所に飛び込んでいくリーンを見た瞬間、逃げられると思った。
二度と手の届かない所に彼女は行ってしまうと思った。
その直感はきっと、間違いではないと思う。
けれど。
こうやって彼女を倒してしまった今、紅香忍はもう二度と、リーン・リインに会うことは無い。
心の奥底に積もる嫌な気持ちは、狙うと決めた首を取った達成感の裏返しなのだと忍は思う。
また狙うべき首を定めれば、こんな気持ちは無くなるはずだ。
そう、信じることにした。
●
「シマイよ。何故そこまで楓に固執するのだ」
大勢は決した。
屋上のディアボロは全滅し、残りはシマイしか居ない。
死活の効果時間が切れたことで冴子は意識を失ってしまったが、残るものは皆まだ戦えるだけの余力を残している。
傷口を抑え荒い息を繰り返しながら、楓が消えていった屋内への入り口を見つめるシマイに、アンジェラは声をかける。
「…人の裏切りにこだわりがあるように見える。もしや、楓のように裏切られて傷ついたことが?
もしそうなら、裏切らない者に出会えた喜びも分かるはずじゃ――」
その先の言葉を言わせないと言わんばかりに、シマイの指先から放たれた光がアンジェラの頬を薄く裂いた。
濁った水底のような瞳でアンジェラを見つめるシマイには、普段のような軽薄な笑みが存在しない。
「裏切られたことなんて無いさ。むしろ、裏切って傷つける側にずっと居たよ。だからかな。周りの連中皆、今ひとつ信じられなくてね」
そうか、とシマイは自身すらも内心で抱え続けていた疑問の答えを見つける。
ようやく自覚する。ビジネスライクな間柄であったはずの相手を、ここまで執拗に手元に置こうと思っていた訳。
「あいつはさ。俺の従者なんだよ。敵でもない、何時裏切るか分からない味方でもない、俺だけの従者。固執する理由なんて、それで充分だ。
…君らが悪いんだぜ? 君らがあいつにこうもちょっかい出さなければ、俺だってあいつにここまで執着することなんて無かった」
少なくとも、最初の認識の通り、利用し利用される間柄で在れた筈だ。
「でも、楓の心はもう、あんたの物じゃあないだろ? そろそろ、幼い執着から卒業したらどうだい?」
やれやれとばかりに肩をすくめて声を投げかけるジーナを睨むように、彼女へと視線を向ける。
が、大きくため息一つ。背中に翼を顕現させると、一同が動き出すよりも早く宙へと舞い上がる。
受けた傷もそれなりに深い。ここに居る者達と、まだ市役所内に居る者達。全てを倒して楓を取り戻せるとは思えない。
迎えを待っていたのは、楓と共に逃げる筈だったから。
一人で逃げるだけならば。それまでのように、一人で空を飛ぶだけならば、撃退士達を振り切ることなど容易いことだ。
「…俺は、諦めないよ」
「アンタって、ぼうやだねぇ…」
「何とでも言ってくれていいよ。少しの間、あいつは君たちに預ける。
けれど、そう遠くない内にあいつを迎えに来る。なりふり構うつもりはないから、覚悟しておくことだね」
その時こそが、今度こそ最後だ。
口にこそ出しはしないが、シマイの目はその場に居る者達にはっきりとそう告げていた。
翼を大きくはためかせ、一息でこの場から去っていく。その姿が小さくなり、やがて消えていくのにそう時間はかからなかった。
(了)