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レイガーの露払いとばかりに三体の影狼が山間の開けた空間を疾駆する。
その視線の先に居る撃退士達の位置を、目を左から右へぎょろりと動かして確認。
誰を狙おうか、という一瞬の自問。まず二体の狼が「一番近いから」という理由で鷺谷 明(
ja0776)を標的とした。
各々武器を構える撃退士の中で彼が他の者達よりもわずかに前に出て、愉快そうに狼と、その奥に居るレイガーを眺めている。
一体が正面から、もう一体が側面から明を切り裂こうとその爪に力を込め、必殺の間合に飛び込むべく二体同時に大地を蹴り、
「ふはは、ここらへん一帯は罠だらけだ。覚悟せよ」
そんな小馬鹿にしたような笑い声が返ると同時、真正面から明を狙う狼が突如、その動きを鈍らせる。
狼達が現れる直前に彼が事前に仕掛けていた不可視の結界。
馬鹿正直に突っ込んできた狼は哀れ、結界に囚われてしまったのだ。
正面と側面、二方面からの同時攻撃が、側面からの攻撃と正面からの攻撃に分かたれる。
一対一が二回。二回とも明の機動力の敵ではない。
「グゥ…!」
二体が明に攻撃を集めたことで範囲攻撃を狙っていた者達が動きかけたが、側面から明を狙っていた個体はそのまま左へ跳躍。一息で明から大きく距離を取る。
その距離、普通の撃退士なら二足ほど必要な程度。それによって二体を一網打尽は叶わなくなる。
攻撃後にすぐさまその場から離れることが出来る程度に機動力のある相手だ。
その立ち位置をコントロールしたいのならば、普通の敵以上に「その場に留めるための手立て」が必要となってくる。
故に、この二体を纏める事こそ叶いはしなかったが、明が一体の動きを麻痺させることが出来たという事実はこの場の戦況を撃退士達に大きく傾けたと言っていいだろう。
明に仕掛けた二体に一瞬出遅れた狼が獅堂 武(
jb0906)を牙の射程に収める直前、明が麻痺させた狼も巻き込む位置へ蓮城 真緋呂(
jb6120)の生み出す数多の流星が降り注ぐ。
爆撃のような星屑を狼はかろうじて避け切りはしたが、それによって武の喉笛へ食らい付けるはずの跳躍に勢いが不足する。
「とりあえずぶっ飛ばせばOKだな!」
カウンター気味に鞭のように振るわれた数珠に足を奪われれば、必殺を狙った噛み付きは虚しく中空で音を立てるのみ。
武が反撃だと数珠をヒヒイロカネに戻し別の武器を活性化させようとする一瞬で狼は右方向へ飛び退り、一度体勢を整えなおそうとする。
しかし、コメットで体勢を崩され武に足を打たれている状況では初速が出ない。稼げた距離は十全な状況からは程遠い。
当然、真緋呂も武もそれを見逃さない。
「蓮城、任せたぜ!」
「ええ」
武が手に持つ符から氷の刃を生み出して、狼目掛けて放つ。
直線的な軌道を走る氷刃を狼は回避することが出来たのだが、回避直後の僅かな制動の合間を縫うように真緋呂が生み出す二度目の流星に足が追いつかない。
「私に出来るのは、還すことだけ」
ディアボロとて、被害者なのだ。彼女はそう思う。
魂を奪われ、悪魔に都合のいいように作り替えられただけの哀れな者達。
――冥魔が魂を狩るのならば、私は魂を還す。
雨と呼ぶには強力すぎる流星が降り注ぐ中、悲鳴すら上げることも出来ないままに狼が一体、倒れ伏す。
他方。明から距離を取ることの出来た狼は、次の瞬間、驚きに目を見開いた。
自身の最大の武器である機動力。それを最大限に活用し敵と大きく距離を取ったというのに――
「俺の『速さ』は飾りじゃないんでね」
すぐ目の前に、ルドルフ・ストゥルルソン(
ja0051)が自分を射程に収めている。
後先を考えず全力で走ったというならまだ判る。だが、目の前の男はあたかも歩いてきたような気軽さでこちらとの距離を詰めてきた。
そのことが、狼には信じられない。
狼の目の前でルドルフの右腕が白銀色の雷に包まれる同時、それが無造作に振るわれる。
驚愕に囚われた狼は、その行動への回避が遅れたか。足を動かし始める前に雷に呑まれていく。
身体が動かない。その正体がアウルの塊であれ、雷を模した衝撃に身体を穿たれてしまえば、その身が硬直するのは当然。
それでも何とか痺れる身体を押して爪を振るう狼を無視するように、銀狼が奔る。
「こうなっちゃうと、もう狩られるのを待つだけの哀れな害獣って所だね。盗らせてもらうよ」
声は、狼の後ろ。銀狼の牙たる刀が、狼の喉から生える。
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狼から僅かに後方。狼面の悪魔、レイガー・ウルヴァリンが進む。
影狼と撃退士達が交戦を始めるのをちらを見遣り、さて自分は誰と遊ぼうか。そんな視線。
その視線の先に止まったのは、キイ・ローランド(
jb5908)。
青白いオーラをその身に纏う彼がレイガーを見据えるその瞳には、外見からは想像できないほど怜悧な色。
「自分が倒れるまでお相手願おうか」
「良いですぜ。兄さん相手なら退屈することもなさそうでさ!」
言葉と共に大地を踏みぬき一気に距離を詰める。握りしめた右拳、まずは試金石の一撃。
その拳は軟な相手ならば一撃で大地に沈めるほどの威力があるにも関わらず、アウルの力で盾を編み上げたキイには堪えた様子がない。
どころか、これならば素で受けきれるとすら判断。拳を弾くように振るう剣には余裕すら伺える。
「かぁ〜…あっしの拳骨、結構硬い自信あるんですがなぁ…」
手応えを得られない右拳から衝撃を逃がすように一度スナップ。直後、今度は右拳に金色のオーラを纏う。
武器をぶつけて相殺を狙うか。キイの脳裏に一瞬その選択が浮かんだが、それで防御が疎かになるよりも受けきることを考えた方が良い。
放たれた金色の一撃を、真正面から受け止める。
今度は流石に余裕とは行かない。
みしりと身体が悲鳴を上げる音。拳の衝撃に弾かれたように吹き飛ばされていくキイの身体を、彼の真後ろで控えていた影野 明日香(
jb3801)が受け止め、僅かながらに勢いを減衰させ諸共後方へ。
「キイ君、大丈夫?」
「ええ」
「なら重畳。思う存分暴れてくれていいわよ」
明日香が緩衝材のような役割となった。着地の衝撃からキイをかばうように抱きしめ地を転がった彼女のおかげで、キイの復帰も早い。
自身を癒していく彼女の治癒と声に小さく頷いてみせると、彼は再度立ち上がりレイガーへと向き直り。
「一撃も重くておまけに速い。けど、まだまだだな」
「そういう挑発、大好きですぜ…!」
拳の骨を鳴らすような仕草と共にキイの方へ歩いて行くレイガー、その側面から明が仕掛ける。
「おいおい。この場に居るのはローランド君だけじゃないんだがね」
言葉と共に彼の手に握られた聖杖がレイガーの腹を撫でるように触れる。
直後、レイガーと、未だに麻痺したまま動くことの出来ない影狼を巻き込むように、流星群が降り注ぐ。
まともに動くことの出来ない影狼が力尽きていくのを、その場の誰もが気に留めない。
「――っと、こいつぁ失礼!」
頭部を護るように両腕を頭上で交差させて流星を受けきったレイガー、衝撃の残滓を振り払うように勢い良く両の拳を腰だめに構え、意識を明にスイッチ。
その構えから一気に明へ襲いかかろうとし――、直後、足元に広がっていく影とヤマカンじみた脳裏の警告に従うように真横に飛び退ることを選ぶ。
だが、間に合わない。突如宙から突き出された白色の槍が、レイガーの肩を深々と貫いた。
「ガ、ァ…!?」
槍の持ち主は龍崎海(
ja0565)。
背中に顕現させた翼で事前に大樹に身を潜めていた彼は、レイガーが明の一撃を防ぎ動きを止めた一瞬を機と見て仕掛けたのだ。
「久しぶりだな。折角連絡先を教えたのに、連絡してくれないなんてつれないじゃないか」
「ハ、ハハ。申し訳ない、あっしもあっしでやることがありましてなぁ」
肩に突き刺さった槍を掴み海を睨めつけるレイガー。
そのまま引き寄せられては叶わないと海は武器を一度ヒヒイロカネへ収納し、即座に最活性、高度を上げてレイガーの拳から離れようとする。
それを逃がすまいと右手の拳、爪の部分に魔力を込めて鉄爪を振るおうとするが、わずかに生じた溜めを明が見逃してくれない。
明が瞬間活性した小さな盾で殴られ、溜めていた魔力が霧散する。
小さく舌打ち、一度仕切り直しだと一度バックステップ、距離を取る。
「さっきから少し鬱陶しいですぜ、兄さん!」
自己再生を働かせて肩の傷を塞ぐと、今度こそ明へ突き進んでいくレイガー。
「褒め言葉と取っておくよ。私は変身術師でね、戦いにおいては真正面から騙くらかすのが至上だ」
その言葉と同時、先程吹き飛ばしたキイが戻ってきた。
レイガーと明を繋ぐ直線上に割り込むと、明を殴り伏せんと振り上げた拳を受け止め、耐える。
「折角広いトコまで来たんだし、俺と鬼ごっこ、してかない?」
そこに、影狼への対処にあたっていた三人が戻ってきた。
挑発じみたルドルフの声にレイガー、小さく苦笑するように笑い。
「どうにも今日は兄さん方ばかりからお誘いをいただきますなぁ。どうせ誘っていただくならそっちの別嬪さんがたに誘ってもらいたいもんですが」
「悪いけれど、貴方相手にそれを言う気にはとてもなれないわ」
「ハハ、嫌われたもんでさぁな」
軽口じみた声で真緋呂と明日香を見やるが、にべにもない明日香の返答に肩をすくめる仕草。
「別に嫌ってはいないわ――憎いだけよ」
刀から大剣に持ち変え、真緋呂の緋色の瞳が目の前の悪魔を表情無く見据える。
見栄を切るようにぶん、と音を立てて大剣を一閃すれば、その切っ先をレイガーへ向けて。
「お相手、お願いするわ」
真緋呂が地を蹴ると同時、圧倒的な機動力でレイガーの背面にルドルフが回り込み、その首を穿たんと刃を突き出す。
流石に急所への直撃は許さないとばかり、振り向きざまに腕を盾として掲げその一撃を防ぎ、空いたもう一方の手で太陽の光を収束させた真緋呂の一撃を受け止める。
塞がった両腕を開放するように、膂力任せに二人の武器を押し戻すと同時、武が素早く刀印を切る。
「腕の一本ぐらい置いていけ、コノヤロウ!」
邪を払う破邪の真剣と共に武の裂帛の気合が放たれると同時、彼の持つ小刀の先から生み出された鎌鼬。
ルドルフと真緋呂を弾き硬直したレイガーの背に押し当てられた切っ先から解き放たれた衝撃がレイガーの体勢を崩し、彼の身体を地に転がす。
それを逃さないとばかりに上空から海が槍を突き出すが、そのまま地面を転がり回避。勢いのまま四肢をバネに跳躍すると、一度撃退士達から距離を取る。
「我ながら攻めあぐねてますな」
にっちもさっちも行かないこの状況はこれはこれで楽しいのだが、1対7の構図はやはり少々やりにくい。
今の所、自身の攻撃は全て上手くいなされている。
極限を冠する金色の拳も当たれば効くが、明日香を起点とした手厚い回復がすぐに癒してしまう。
ならばどうするか。極限以上、限界突破の拳を振るうのみだ。
レイガーが右手に金色のオーラを生み出す。その挙動に撃退士達が警戒したような表情を浮かべるが、それに構わず更に強く、力を収束させる。
三手の内の二手を費やし極限を振るうレイガーの魔拳。それが可能だと言うのならば、三手全てを攻撃に費やすことだって、出来る。
収束させた金色が右拳に収まりきらず、辺りを金色に染め上げるように噴き荒れる。
「そっちの兄さん。あっしのとっておきでさ。受けられやすかい?」
一歩、前に踏み出しながらキイへと声を放つ。
水を向けられたキイは何も応えず一歩前に出ると、腰を落としその一撃を受け止める姿勢を見せる。
――来い。
静かに、キイの目線が告げる。
それを認め、狼面のバケモノは実に楽しそうな表情を浮かべて地面を蹴り、一息に距離を詰めたかと思えば圧倒的な金色をキイへ叩き込み、
光が生まれた。
月よりも太陽よりもなお眩い黄金の光が奔る。あまりの光量にその場に居た全ての者達が揃って目を細める。
その拳が突き出された先にあるもの全てを塵芥と化す光は衝撃を伴い、キイの身を護るアウルを瞬く間に食い破っていく。
衝撃波が渦を巻き、空間ごと世界が揺り動かされているような錯覚。
その場に留まることなど、出来るはずもなかった。
初手に極限を冠する拳を受けた時よりも更に強い力で弾き飛ばされる。
弾丸のごとく吹き飛ばされるキイの行く先にあったのは、戦場中央にそびえ立つ巨木。
轟音が周囲に響き、とんでもない速度でキイを叩きつけられた大樹に人型の窪みが生まれる。
けれど。
「…生憎、自分はまだ倒れてないぞ」
キイは、自力で立ち上がった。回復のための手立てを持つ者達がキイの傍らへ駆け寄り、次々と治癒を施していく。
大量に確保されていた治療の術によりキイが全快状態だったことや、真正面から完璧な形で受け止めることが出来たこと、海が神の兵士の射程内にキイを収めたこと等、要因は幾つも存在するが、それでも鬼札の一つとして認識していた一撃が凌がれてしまったことに、レイガーは驚きを隠せない。
更に言えば、レイガーには知る由も無いが、例えキイが意識を失う所までダメージを与えられたとしても、海の持つ生命の芽が即座にキイを起き上がらせていただろう。
こうなってしまうと、レイガーには、
「ッハハ! バケモノ共め!」
この楽しさに笑うしかないのである。
「…お前がそれを言うか」
「バケモノにバケモノって言わせる意味、ちったぁ考えたほうがいいですぜ? まあ、あっしとしちゃあ願ったりではあるんですがな。
しかし、こうなると泥仕合になりそうですなぁ。まさか、まだ終わりじゃありやせんよね?」
化け物扱いされたことに不快感を隠そうとしないルドルフに平然と返すと、再度レイガーは拳を構える。
だが、そんなレイガーから視線を外し広場北方――最初に柏木なつな達が去った方角を見ていた武が、レイガーに向けて小さく手を横に振った。
「いや。選手交代の時間だぜ」
その言葉に、レイガーも武が見ていた方角へ視線をやると、レイガーは納得したように小さく唸った。
「成程。こいつはしてやられましたなぁ」
その視線の先には、数多の撃退士達。
レイガーをこの場に留めるために編成された部隊が、ようやく到着したのだ。
誘導されているとは感じていたが、
殺到する仲間たちと入れ替わるように一同はレイガーから離れ、その場を退いていく。
…明だけはその場に留まり戦い続けることを選んだようだが。
連戦ともなれば疲労も蓄積する。無事であればいいのだが。
ともあれ、防御に秀でた者達が数多く集まったとは言え、レイガーという悪魔を7人である程度余裕を持って抑え続けることが出来たのは大金星と言えるだろう。
永久と等しき一時は、一同が金星を確信した瞬間、確かに終わったのだった。
(了)