●
「『カエデー・プリンセス』ですか…」
ジープの側面に身体を預けるような姿勢で連絡を受け取ったルチア・ミラーリア(
jc0579)は、単語を頭の中で反芻。
あまりに頭の悪い単語に、そのまま現実逃避してしまいたい気持ちを何とか堪える。
「お笑い以外の何物でもありませんが、本物そっくりに作らなかっただけマシ……なんでしょうかね」
「ルチア姉様!」
声に、視線を下ろす。
いた。
ワクワクした表情で、ルチアを見上げていた。
何が?
八塚楓(多分)が。
「ルチア姉様、この車どうしたの? 乗っていい?」
好奇の目線を向けながら様々な角度からジープを眺める少年に背を向け、ルチアは一度目を閉じる。
深呼吸一つ、目を開ける。
やっぱり居た。
「これが……カエデー・プリンセス…!?」
……どうしよう、この状況。
●
「カエデープリンセス? ……プリンセスなんだ?」
目の前の中学生くらいの楓を見て、蓮城 真緋呂(
jb6120)が真っ先に抱いた至極真っ当な感想は、それだった。
これから成長期に入ることを想定してか、やや大きめに仕立ててある学ラン姿。
これを『姫』と呼ぶのも流石に、変な感じがする。
「ねえ、楓さん…学ランの貴方は何て呼んで欲しい? 呼んで欲しいように呼ぶわよ」
にこりと笑いかける真緋呂に学ラン姿のミニ楓は驚いたように目を見開いて。
「姉弟なんだからそんなに改まって呼び方なんて…
でもそうだな……『私だけの楓』って呼んでくれると嬉しいかな…俺、お姉ちゃんだけの弟だから…」
「そ、そう呼んで欲しいんだ…」
どこの世に姉へ「私だけの」などと言わせる弟が居るのか。
本音を言えば恥ずかしいし、ちょっと引いた。
けれど真緋呂はそのリクエストへ頷き返す。
一人っ子だった己を姉と呼び慕う楓の登場に、弟が出来たようで嬉しいかもしれないと思う心も、間違いなくある。
「わ、わかった。ええと…私だけの楓?」
「何? 俺だけのお姉ちゃん」
微笑み返す楓の目から心なしハイライトが消えているように見えるのは気のせいだろうか。
――なんか、変なスイッチ押しちゃった?
●
「ちっちゃい楓ちゃん可愛いなぁ、折角だからお洋服も可愛いの着せてあげたいよね〜」
白桃 佐賀野(
jb6761)の目の前に居る楓は六歳程の背丈だろうか。
佐賀野を兄でも姉でもなく「ももたん」という呼ぶ辺り、性別についてはきちんと白黒つける気もないのだろう。
「やっぱりセーラー服とかー」
ヒヒイロカネから絶妙に楓の背丈にあったセーラー服を取り出すと楓に手渡す。
手渡された楓は何の疑問もなくそれに着替え始めるではないか。(※屋外です)
「俺とお揃い〜♪」
「ももたんとお揃い〜♪」
セーラー服に着替えた楓はというと、佐賀野と同じ服を着ることが出来たというそれだけでもう満面の笑顔。
「そうだ、これも付けようね!」
手渡された猫耳カチューシャを何のためらいもなく装着するミニ楓。
今ここに猫耳楓が誕生しました。
「わ〜、楓ちゃん可愛い〜っ!」
思わず猫耳楓に抱きつく佐賀野。
頬ずりまでするその様は弟バカと呼んでも差し障りがなく、今ならきっと昔居た気がするバカになるサーバントが出てきてもバカにならないだろう。
以前も元からバカだった気もするが。
「お天気いいからお散歩しようか」
「うん!」
おやつは完備、迷ってもその辺の人に道を尋ねればそれでいい。
手と手を繋いで楽しそうに二人は島内を歩き始めた。
●
「これがシマイの仕業…だと…やはりあいつはうすいほんに出てきそうな男だな!」
憤りを隠そうともせずにアンジェラ・アップルトン(
ja9940)は声を荒らげる。
冥魔の本拠地ではシマイが楓を増やして侍らせているという話も聞く。
きっと(検閲削除)を(検閲削除)で(検閲削除)されて(検閲削除)(検閲削除)とかいうやり取りが生じているに違いない。
「お姉様。その、いい加減落ち着いて欲しいのですが」
妄想の世界に旅立つアンジェラを見ていられなくなったのか、楓がため息混じりに声をかけた。
年の頃は15程。本物も檀にだけは丁寧な口調で接するようだが、目の前の彼は丁度そんな感じの性格付けなのだろう。
「すまない、取り乱したな…そういえば楓とはメイプルの事であったな」
「まあ、確かに英訳するとメイプルではありますね」
久遠ヶ原で同名の喫茶店を営むアンジェラの目がキラリと光る。
「よし、お正月の種子島で『黄金色カフェ・MAPLE』出張でスイーツを振る舞うとしよう。
楓にはカフェの制服を着て看板む…すめ? むすこ? になって貰おう」
「何がどう『よし』なのか分からないのですが何で俺がそんなことを…」
「ミニスカートのフリルの多いウエイトレス服しか用意がないのだが…うん、まだ若いし問題ないだろう」
「俺の意思は無視ですか」
「楓? お姉様の言うことが聞けないのか…?」
覗きこむように楓と目を合わせ問いかけるアンジェラ。
その目に逆らえないのか、目線を逸らしてしばしの間。
やがて蚊の鳴くような声で小さく、
「……分かり、ました…」
●
「おにいちゃーん、遊んでよー。お馬さんしてー!」
5歳位の幼い楓に髪を引っ張られながら、ヘルマン・S・ウォルター(
jb5517)は現在の状況を整理する。
「……これは明らかに、シマイ殿の仕業でございましょうな」
状況整理おしまい。それ以外に考えられない事を穿って考える必要もない。
目の前の楓もただの偽物とも言い難い者のようだが…この状況をどうしたものだろうか。
誰もがこの状況に立って一度は必ず考えることをヘルマンもまた考え、
「楽しみましょうかな」
ぴったり一秒という最速スコアで結論を下すと、楓の両肩をやおら掴んだ。
怒られる。そんな怯えを楓の肩越しに感じた。
「楓、私は『おじいちゃん』ですよ、お・じ・い・ちゃ・ん」
「お、おじい…ちゃん?」
予想外の言葉に呆気にとられながらも呼称を改めた楓だったが、直後無言で涙を流すヘルマンの姿に今度は驚きが表に出る。
「お、おじいちゃん!? どうしたの、どこか痛いの…?」
我が悪魔生に、一片の悔い無し…!
涙を拭って深呼吸を何回か。それで何とか平静を取り戻したヘルマンは、楓の頭を一つ撫でて微笑みかける。
「…おじいちゃん年甲斐もなくはしゃぎすぎてしまったようです。
さぁ、楓。何処に行きたいですか? どこでも連れて行ってさしあげますよ。お馬さんだって頑張っちゃいますぞ!」
迷うこと無く四つん這いになりながら高らかに宣言するヘルマン。
そこに居たのは悪魔というより、ただの孫バカおじいちゃんだった。
●
だからどうした、という感じだった。
紅香 忍(
jb7811)からすれば、ヴァニタスが増えようが減ろうが関係ない。
毒にも薬にもならなそうなこの一件は面倒臭いの一言に尽きる。
「ねーちゃん……」
だから、ずっと自分の後をついて来る5歳児サイズの八塚楓について、忍はずっと無視を決め込んでいた。
性別を間違えているのは自分の育ちが育ちだから良いにしても、一度反応したら沼に引きずり込まれる気がしてならない。
忍とて年齢はまだ子供だが、それでも五歳児と比べれば歩幅は大きい。普通に歩けば彼我の距離はどんどんと離れていく。
「っ、ねーちゃん……」
けれど、楓は中々しつこい。
走って撒くことも出来るが、それをしたらこの楓は自分を探し延々と島内を彷徨い続ける気がする。
「……こい…」
少し考え、ため息一つ。その首根っこを掴むと子猫をぶら下げるようにして楓を持ち歩く。
その扱いに一瞬驚いたような表情を見せたが、忍の関心が自分に向いてくれたのが嬉しかったのか楓は途端に笑顔。
目尻に浮かぶ涙を見れば、さっきまでベソかきそうだったのが丸分かりだ。切り替えの早いことだ、と内心で呆れる。
「ねーちゃん、どこ行くの?」
楓が何を話しかけても無視していた忍だが、その質問にふと足を止める。
持っている楓を肩の高さまで持ち上げ、その顔をしげしげと見て思いつく。
「……シマイ…場所…解る?」
こくこくと頷いた後、ある方角を指し示す楓。
それを方位磁針代わりに、忍はシマイのねぐら目掛けて歩き出した。
●
「これはどういうことでしょうか〜」
色鮮やかな赤の髪を右手で撫で、アマリリス(
jb8169)はのんびりとした口調でそう呟いた。
赤の色彩が珍しいのか、彼女の赤い髪におそるおそる手を伸ばす9歳くらいの楓がそこにいた。
どうしたものかと少し考え込んだが、下手にどこかに行かれるよりも、一緒に居る方が良いかと判断。
「良い天気ですし見回りついでに、一緒にお散歩にいきますよ〜」
「…あ、うん! 行こ、お姉ちゃん!」
姉と一緒に行動できるのが嬉しいのか、アマリリスを先導するようにずんずん先へと進んでいく。
楓に小走りで追いつくと、ぎゅっと手をつないで。
「元気あるのは良いですけど、やんちゃ過ぎるのなら手を繋いでおきましょうか〜。お手手も小さいですね〜」
「ち、ちっちゃくなんてないもん! 手なんて繋がなくて良いから!」
顔を赤くしながら楓は反論する。けれど、言葉とは裏腹に繋がれた手を振りほどこうとはしない。
そろそろ異性に興味が出てきたお年頃だ。それが姉であれ、異性との接触は嬉しいやら恥ずかしいやら。
「あらあら〜」
アマリリスもそれは分かっているのか、楓の反論をぽややんと笑って流し、手を繋いだまま歩き続ける。
「――〜…」
楓もそれに倣う。耳まで真っ赤になりながらもその表情は結局、緩みっぱなしだった。
●
「あはははっはははは! シマイのおっさんあんた最高!!」
ケイ・フレイザー(
jb6707)はまず爆笑した。
数分ほど笑い転げた後、まだ腹の内に残る笑いの残滓を何度か急き込んで追い出しながら、ケイは足を公園へと向ける。
「一番膝抱えてる子はどこかなっと…」
ぐるりと公園内を見渡し、見つけた。
公園の隅、ベンチの上で膝を抱え隠れるように蹲る三歳ほどの楓の姿。
「よ。おにーさんにちょっと付き合ってくんないか? 遊ぼうぜ」
にこりと微笑みかけるケイに、その楓は驚いたように目を見開いた。
「え? どうして…?」
初対面の人間に怯えている、というよりも何故自分なのかと不審に思っているようにも見える。
向けられる好意が自分を裏切るのではないか、幼いながらにそんな不安が渦巻いているのが見て取れる。
「ほら、子供は天気のいい日は遊ばないと駄目だぜ」
まだ何か言いたそうにしている楓をケイはやや強引に立ち上がらせ、様々な遊具を巡る。
最初こそ怯えた表情が強かった楓だが、そこはやはり子供である。
しばらく遊んでいる内にその表情からは警戒が薄れ、笑顔も浮かぶようになっていた。
「よーし、ブランコの次は何がいい?」
「ジャングルジム! お兄ちゃん、どっちがてっぺんに登れるか競争しよ!」
何時ものケイを知る物が見たら、きっと驚いただろう。
それほどまでに普段の皮肉屋はなりを潜め、そこに居るのは良き兄としての姿だった。
●
助手席に楓を乗せ、ルチアが運転するジープが種子島を走っている。
島のあちこちを見て回ったが、普段以上に種子島は平和である気がする。
何せディアボロやサーバント連中にも楓が懐いており、彼らも侵略行為どころじゃないように伺えた。
「普通に考えれば、冥魔側の撹乱または陽動なのですが……」
窓の外の景色に夢中になっている楓を横目でちらと見て、ルチアは独りごちる。
確かに混乱はする、が。何故楓を大量発生させようと思い到ったのか。そもそもどこまで有効なのか。
……もしかして本当に何の意味もなくただの趣味なのだろうか?
脳裏に浮かんだ仮説が正鵠を射ているようにしか思えない。
頭痛を堪えながらも詰め所に辿り着く。ジープを止めて、楓と一緒に車を降りる。
今後の判断を仰ぐために詰め所に入ろうとした直後、教師の一人がまるで逃げるようにして外へと飛び出していく。
唖然とした表情で走り去っていくその教師を見送ってから、恐る恐る詰め所の方へと視線を向ける。
「楓! 頼むから大人しくしていてくれ! 備品を壊すな!
そっちの楓! パソコンで何を――止めろ、勝手にメールを出すな! 政府関係者も居るんだぞ!」
続けて響いてきたのは、今までに聞いたことがない程切迫した悠の声。
言葉の内容にこのまま回れ右してしまおうかとルチアは思ったのだが、残念ながら悠が気づくほうが早かった。
背中に楓がひっついているままルチアへ駆け寄る。
「ミラーリアか! すまん、今すぐコンビニで菓子と飲み物を買ってきてくれ!」
「何事です…か?」
取り出した財布を丸ごと彼女に預け、ため息混じりに悠は告げる。
「暇を持て余した楓達が、詰め所で遊び始めたんだ」
教師達は基本的に軍隊さながらの厳しい環境下で訓練漬けの青春を過ごしてきた者達だ。
突然現れた子供にどう対処すればいいか分からぬまま、気がつけば他の教師は皆外に逃げていってしまったそうだ。
遊び回る三人の楓に混ざりたそうにしていた自分の楓を菓子で釣って引き離し、ジープのエンジンをかけながらルチアは思う。
「撹乱作戦として、物凄く効果的ですよね…」
「ルチア姉様、なにか言った?」
何でもない、と曖昧に笑ってジープを走らせる。
――戻ったらあの三人の相手をしないといけなくなるのだろうし、出来るだけゆっくり用事を済ませよう。
悠に内心で合掌しつつも、ルチアは迷うこと無くそう決めた。
●
一方、真緋呂は学ラン姿の楓と一緒に不審者の捜索を行っていた。
楓達に絡んでいるなら、関係者かもしれない。
(…と言うか間違いなく檀さんだろうから、関係者には間違いないと思うけど)
一体何を思って檀は不審者扱いされるような行動を取っているのか。
楓の顔を見ながら考えていたが、視線に気づいた楓は真緋呂へと向き直り、首を傾げて。
「お姉ちゃん、どうしたの?」
「何でも無いわよ、私だけの楓。不審者ってどんな人かなって考えてただけ」
「そう……でも、お姉ちゃんは俺だけのお姉ちゃんなんだから俺のことだけを考えてないと…」
本日何度目かの冷や汗。
己を好いてくれているのはよく分かるのだが、少々それが行き過ぎているように真緋呂には感じられるのだ。
一歩分横へ距離を取る。ほぼノータイムで楓が取った分の距離を詰める。
「どうして逃げるの?」
「ち、違うのよ私だけの楓? 今何か物音が――」
言って、止まる。
撃退士としての耳が捉える、子供の怯えたような声。
何か言いたそうにしている楓を置いて、走りだす。
突き当り曲がって、居た。十歳くらいの楓と、彼に煎餅を差し出すマスクとサングラスの不審な人物――!
「何やってるのっ!」
不審人物の容貌がアウトだったこともあり、真緋呂は即座に実力行使に出た。
疾走の勢いを殺さぬまま華麗な跳び蹴り、不審者は回避行動すら取れない。
「もう、嫌がってるでしょ? 大丈夫?」
派手に吹き飛んだ不審者を他所に、不審者に絡まれていた楓へと声をかける。
怪我の有無や何かされていないかを問うてみたが、特に被害はないようだ。
「ありがとう、お姉ちゃん」
「どういたしまして、楓さん。無事でよかったわ」
「――どうして、俺以外と話すの? お姉ちゃん」
背後から囁きかけられた楓の声に、思わず硬直。
油の切れたからくり人形のような挙動で後ろを振り向く。
そこには予想通り、学ラン姿の楓が立っていた。でも何でさっきまで持っていなかった包丁とか持っているのか。
「ありがとうねお姉ちゃん、大好き!」
爆弾を置いていかないで。
走り去っていく楓に発言の撤回を求めたかったが、こういう時だけ憎たらしい位に子供は足が早い。
「楓に大好きって言われてる…」
温暖なはずの種子島の気候が、更に下がった気がする。
声の方を向く。大方の予想通り、八塚檀がうつろな眼差しでこちらを見ている。
ポケットから何故か藁人形を取り出しそれを握りつぶす檀。もしアレに自分の髪が入ってたりしたらどうなってしまうのだろうか。
後ろを見る。包丁を持ってる楓。正面を見る。藁人形を握りつぶしている檀。
(え、何。私、2人から命の危険に晒されてる?)
生命力が減ってもいないのに大逃走の発動条件だけは満たしているような錯覚。
「わ、私だけの楓? そんなことよりそろそろ行きましょ! 私ちょっとお腹すいちゃったみたい」
辿り着いたのは、せめて一人に減らそうという発想。
楓の手を引き、半ば全力疾走で真緋呂は走り出す。
「待ってくださいよ…まだ私の話が……」
「檀ちゃ〜ん!」
真緋呂を追いかけようとした檀だが、上空から投げられた声に視線を上へ。
そこには、幼い楓を姫抱きで抱えて宙を舞う佐賀野の姿。
それに気を取られている間に真緋呂は檀から逃走することに成功し、後日佐賀野へ礼を述べに行ったそうだが、それはまた別の話。
檀から逃げられても病んだ楓はまだ彼女の傍に居る訳で、彼女の受難はもう少しだけ続く。
さて。
檀は握りつぶしていた藁人形を一度ポケットにしまい込む。
佐賀野が楓を姫抱きしていることに歯噛みこそしたが、とりあえず自制は出来たようだ。
それを知ってか知らずか、佐賀野は地上へ降り立つと開口一番こんなことを宣う訳だ。
「檀ちゃんは楓ちゃんに好かれてないんだね…」
「ガフッ」
ふっ、と鼻で笑うことまでした。
悪気があろうが無かろうが怜悧な言葉に胸をえぐられた檀、たまらず吐血。
「あ! そんなことよりね、俺の楓ちゃん! すっごい可愛いんだよ〜」
檀を警戒しているのか佐賀野の後ろから出てこようとしない楓に、前に出るよう促す。
それに応じておずおずと檀の前に現れた楓の姿に、檀は思わず噴き出ようとする血を止めるべく鼻を抑えた。
何故か。セーラー服+猫耳の楓である。
楓欠乏症を起こしている檀にとってこれ以上の劇薬は無い。
「か、かか楓にそんな格好をさせるだなんて羨まし、ではなく…ああでも羨ましいぃぃ!!」
頭を抱えてごろんごろんと地べたを転がる檀の姿にふと、思いついたように楓に耳打ち。
こくりと頷いた楓は何とか平静を取り戻し立ち上がった檀へと歩み寄り、上目遣いで彼を見上げ。
「八塚楓6しゃいです。おこづかいくださいにゃ?」
「はぁぁいっっ喜んでッッッ!!!」
財布から諭吉さんをあるだけ取り出し猫耳カチューシャに挟む。それでいいのかと思わなくもない。
「それにしても檀ちゃん、何でそんなことしてるの〜?」
「私は楓マイスターになるために旅に出たのです。おかげでジャスミン様から今日の晩御飯は抜きと言われてしまいましたが…」
楓マイスターとやらが何を指しているのか佐賀野には全く理解できなかったが、とりあえず頷いておいた。
「ふ〜ん…まあ、楓ちゃんに好かれてない檀ちゃんじゃきっと無理そうだけど、自分を信じて頑張ってね!」
「ぐ…」
ぐうの音も出ない檀を他所に、佐賀野は楓の猫耳に挟まれた諭吉さんを自分の懐に突っ込んで、再度楓と手を繋ぎ直す。
「じゃあ帰ろっか楓ちゃん」
「うん!」
楓の頬に軽くキスしてウインク一つ。
「ばいば〜い檀ちゃん!」
そのまま楓と共に何処かへ飛び去っていく。
再び一人になった檀は佐賀野と楓の姿が消えるまで呆然と空を見上げていたが、やがてがくりとその場に力なく崩れ落ちる。
「楓に…楓にちゅー……」
物凄く、羨ましそうな顔だった。
●
「やあお馬さん、早かったね」
幼い楓を背に乗せた名馬ヘルマン号を出迎えたのは、シマイ・マナフ(jz0306)のそんな楽しそうな声だった。
四つん這いの体勢でシマイをキッと見上げると、後でジュースを奢るからと背中の楓を宥めすかし一旦降りてもらい立ち上がる。
「お会いしたかったですぞシマイ殿…このような機会でなければ貴方の元にお邪魔できそうにありませんでしたからな!」
ずい、と一歩シマイの方へ詰め寄る。
「貴方には是非ともお礼をしなければならないと思っておりました…」
一歩前に出ると、やおらシマイの右手を取り、強く握手。
「ありがとうございました。いやぁいいもの見ましたぞ!」
「喜んでくれたみたいで何よりだよ」
あっはっはっはっは、と和やかに笑い合うおっさんとじいさん。
「時に、本物がおりませんな…?」
「あ、うん。殴られそうだったから、どこかに飛ばしちゃったんだ」
両手で楓達を抱え上げながら、世間話でもするかのような気軽さで告げたシマイの言葉にヘルマンの眉が潜められる。
「何ということを…あちこちの楓と人々の様子を見せられて嫌がる楓殿を見るのが醍醐味では無いのですかシマイ殿!?」
「俺がこれを言うなと言われるのは重々承知の上で言わせてもらうけれどもさ、君も結構エグいこと考えるよね」
確か、本物を開放するとかどうとかで敵対していた記憶があったのだが、撃退士は心の平穏までは約束してくれないらしい。
契約内容はよく読んだほうがいいよ楓、と心の中で適当に言っておく。
と、その時。
ばーんと部屋の扉が勢い良く開かれる。立っていたのはフリルたっぷりミニスカートのウエイトレスが二人。
一人はトレイの上に美味しそうなケーキと紅茶の入ったサーバーを乗せ、威風堂々仁王立ち。もう一人はその影に隠れ両手で顔を覆っている。
そう、アンジェラと、楓だ。
「美味しいスイーツの差入れに伺いました」
「いっそ殺してくれ…」
部屋をぐるりと見渡したアンジェラ、シマイが楓達を抱えている光景に大層ショックを受けたようで、思わず一歩後ずさり。
「なんということでしょう、シマイが楓のようなものを複数はべらせている…
これは確実にうすいほんがぶあつくなる展開アンジェラおぼえた」
「君みたいに腐ってる子に真実突きつけるのは非常に酷なんだけれどさ、俺も楓たちも別に尻の他に第三の穴とか実装してないからね」
「えっ」
「いや『えっ』じゃなくてね。学園で保健体育を必須授業にするように教師達に言っときなよ」
ないない、と楓を下ろして手を横に降るシマイにアンジェラは舌打ちしつつも気を取り直し、テーブルに菓子を広げ始める。
「ほら楓、パンケーキを出してくれ。折角安納芋で作ったんだ、いろんな人に食べて貰いたいしな」
「わ、分かりました…おい、お前らスカートをめくるな!」
自分と同じ顔をしたショタ共にスカートをめくられるという訳のわからない構図に耐えながら、顔を真っ赤にした楓もアンジェラに続きお菓子の準備。
「よし、楓達にリーン、ヘルマン殿、お座りください」
「……あれ、俺は?」
テーブルの上の皿を数える。この場に居る人数よりも一つ足りない。
一人だけ座れと言われていないシマイは己を指さしアンジェラに抗議の目を向ける、彼女はさらりとその視線を受け流す。
「いや、全員の分を用意していたつもりだがプリンセスの人数が思った以上に多くてな? 仕方ない事だな?」
仕方ないー! とちび楓達が元気よく声を合わせたことにショックを受けたのか、シマイはくるりと回れ右。
「そ、そうだね。仕方ないことだね。まあいいんだ俺ほらあんまり甘いのって得意じゃないんだ。
…ちょ、ちょっと、外出てくるよ」
誰もが分かるほど涙声だった。
隅でげんなりしていたリーンがシマイを止めようと立ち上がるのをヘルマンが制する。
「菓子くらい、私の分を…」
「リーン殿、そのお気持ちは出来れば、そちらの楓に向けてくださいますでしょうか」
ヘルマンが向ける視線にリーンも倣う。
シマイが出て行った扉とは別の扉。五歳ほどの楓が立っていた。
「ねーちゃんが、ここで遊んでろって…」
●
「この仕打ちはあんまりじゃないか…!!」
公園のベンチに突っ伏しシマイ・マナフ(外見年齢40代)はマジ泣きしていた。
「俺が泣いて飛び出したのに誰も追いかけてきてくれないっておかしいだろ…!」
普段の行動を完全に棚に上げつつ尚も泣き続けるシマイ。
と、そこに。こちらへと近づく足音。
やっときてくれたか。涙と鼻水でだらしないことになっている顔を更にだらしなくゆるめた笑顔で後ろを振り返る。
「……シマイ……死ね…」
アサルトライフルを構えた忍の姿に、シマイ、硬直。
次の瞬間、フルオートで放たれる数多の弾丸が次々に身体へ吸い込まれていく。
「ちょ、ま、待って! 痛い痛い何かに目覚める痛い!!」
忍は一切聞く耳を持たない。
かなりの時間銃撃を続けていたがようやく撃ち方止め。
動きを止めたシマイへ近づけば、耳をすませて、
「ハァ――……ハァ――……」
「チッ」
直後聞こえてきたのは如何にもまだ生きてますよと言わんばかりの図太い呼吸音。
しぶとさに思わず舌打ち。再生していくシマイの腹部につま先で蹴り一つ、それで諦める。
ひいこら言いながらシマイが何処かへ逃げていくのを見送り、ベンチに腰を下ろす。
付いて来た楓はアンジェラ達の声がする家屋へ向かうように言ってある。今頃皆で菓子でも食べている筈だ。
「あっ、ねーちゃん、居た…」
そう思っていたから、その声に少しだけ動揺した。
首だけで声の方を向く。間違いない。自分につきまとっていた楓だ。
「…どうした……?」
「ん。僕、ケーキよりねーちゃんと居たほうがいい」
断りなく自分の隣に腰掛ける楓を眺める。
その視線に気づき、「どうしたの?」と首を傾げる楓。
「何でも無い……それより…よくやった……」
言葉と共に、頭を撫でてやる。結局シマイは殺せなかったが、それでもここまで案内してきた楓の功績は大きい。
グリグリと頭を撫でられ、楓はちょっとくすぐったげに笑みをこぼした。
「ご褒美……焼き芋…買う…」
「うん!」
ベンチから立ち上がり、焼き芋を売る屋台車を求めて、二人は歩き始める。
繋いだ楓の手は、温かかった。
●
「いいお天気ですね〜」
「……」
場面を川岸に移す。沈み始める夕日を眺めて楓を背中から抱きしめるようにアマリリスが座っている。
その姿勢で結構な時間が経っているが、その間楓は一言も喋らなかった。正しくは、喋れなかった、だろうか。
姉の体温や髪の毛の香り、触れる肌の柔らかさや背中越しの二つの膨らみ、どれを取っても思春期の少年には劇薬だ。
今もほら、顔は夕日が出ている今でも分かるくらいに真っ赤、今にも煙が吹き出しそうな程であった。
「楓君〜、今日は楽しかったですね〜」
「……ん」
頬を染めた楓がそれでも腕の中で小さく頷いてくれたことに、笑みが深まる。
「それじゃあ〜そろそろ帰りましょ、」
うか〜、と続いたはずの言葉が、不意に止まる。
穏やかに流れる川。本物の八塚楓がどんぶらこどんぶらこと流れている。
「…助けたほうが良いんでしょうか〜」
「助けたほうがいいんじゃない、かな」
そうと決まれば話は早かった。冬の水温は少々堪える物があったが、楓を岸まで引き上げることに成功する。
「大丈夫ですか〜…?」
「お前は…」
程なくして目を覚ました本物の楓。見覚えのある顔に目を瞬かせる。
「良かった〜、楓君も楓さんを助けるのを手伝ってくれたんですよ〜」
「……まだ消えてなかったのか」
撃退士が現状を把握しているにも関わらず事態が収拾していないこの状況に、ため息一つ。
「おっ、いたいた。やっと見つけたぜ」
文句でも言ってやろうかと楓が思ったその時、背後からケイの声。
小さな楓を肩車しながらこちらに歩み寄ってくる。
また面倒なのが増えた、と楓は嫌そうな顔をするが、お構いなしにケイは肩車していた幼い楓を下ろし、小さくその背を本物向けて押してやる。
「楓ちゃん。そいつ抱き締めてやりな」
「…は? 何でそんなことを――」
「いいからいいから。きっと、いいことあるぜ」
次いで不安そうにケイの方を見る幼い楓の頭を優しく撫でて、
「怖がるなって。大丈夫、ああ見えてあのおにーさんも結構優しいぜ」
ケイがそういうのなら、と本物を見つめる幼い楓。
本物はしばし困ったように目線を彷徨わせていたが、やがて幼い己に手を伸ばし、壊れないように腕の中に抱きとめる。
「おにーちゃん、ちょっと冷たいね」
「……さっきまで、川の中に居たからな…嫌か?」
「んーん。びっくりしたけど平気」
「そうか……温かいな、お前」
ぽつり、ぽつり。今の楓とかつての楓は、少しずつ言葉を交わしていく。
「子供は体温が高めと言いますし、冷えた楓さんの身体もポカポカしますよね〜」
「あー…いや、そういう意味で言ったわけじゃないんだけれどな…」
がりがりと頭を掻いてケイは苦笑い一つ。
彼には幼い頃の記憶がない。けれど、愛されていたという事実だけは今も覚えている。
だから幼い楓に優しく接し、僅かな間でも愛を注いだ。
それは失ってしまった自分の優しい子供時代を取り戻したいと言う代償行為でもある。
愛する事で愛されなかった傷は埋められると、彼は無意識に信じている。
そしてそれは、楓本人にも同じことが言えるとケイは思うのだ。
インナーチャイルドの癒しなんて信じている訳じゃないけれど。
こんな馬鹿馬鹿しい結界の中なら少しくらい、ご都合主義の救いがあってもいい。
「ケイさん、いいお兄さんですね〜」
「……勘弁してくれよ」
一度なりを潜めた皮肉屋は、まだ営業再開とはいかないようだ。
そっぽを向いた彼の頬が赤かったのは果たして夕日だけのせいだったのか。
穏やかに笑うアマリリスは、肯定も否定もしなかった。
●
日が暮れて、夜が来て、そして朝はいつものように訪れる。
人々が目を覚ませば、あれだけ島を騒がせていた小さな楓達は何処にも居なかった。
何時もの日々に添えられた、ほんの僅かな喪失。
――それを少しでも寂しいと感じてしまった程度に、あの一日は楽しかったのだろう。
ルチアが抱いたそんな感覚はきっと、多くの者の胸に残っていたはずだった。
(了)