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聞いていた通り、確かに八塚柾の姿は檀に年を取らせた姿をイメージしたものと似通っていた。
黒の着物姿で現れた柾を見て、一同はそんなことを思う。
「本日はお忙しい中お呼び立てに応じていただきまして、誠にありがとうございます。
私、八塚家現当主、八塚柾と申します。本日はよろしくお願い致します」
それぞれが応じるように名乗っていく中、最後に白帽の少年、浅茅 いばら(
jb8764)は名を告げてからもう一言。
「初めまして、当主殿。帽子を被ったままで失礼するで。
それと、レコーダーで録音させて貰っても? 檀と楓に報告しやすいようにしたいんよ」
指で頭部の白い帽子を指し示し、続いて手元のレコーダーを柾に見せて二つの断り。
柾はそれを気にすること無く頷いた。
「私も外行きの物とは言え、着やすい服装をさせて頂いております。
録音も、無闇に外部へ公開しないで頂けるのならば」
元より録音は報告目的でしか無い。構わない、といばらは頷き返す。
「それと。アンジェラ様でしたか。結構な物をいただきまして、ありがとうございました」
「いえ、お口に合えば幸いです…重ねて、本日は交渉の場に感謝を」
手土産に果物を持参していたアンジェラ・アップルトン(
ja9940)への礼に彼女は小さく頭を下げてから、口を湿らせるように一度手元の茶を口に含む。
それを機に柾は自身の居住まいを正し、撃退士達を真正面から見据える。
ぴり、と戦場とよく似た緊張感が周囲を支配し、知らず撃退士も各々が姿勢を正した。
「…では。あまり長引かせても仕方ありません。始めるといたしましょう」
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「私は檀と楓、双方から経緯を聞きました」
そう切り出したのは、アンジェラだ。
「檀、楓、梓が天魔に襲われた結果、梓は檀を庇い楓と梓は重体。
…そして、楓は能の世界で生きられない体になった。
そんな楓に家族や兄弟弟子が「役立たず」「必要ない」と言った――事実に違いないですか」
意識すら逃すことを許すまいと柾を見つめて問う、経緯の再確認。
その視線を柾は真正面から受け止め、頷いてみせる。
「事実です。他の弟子が何を言ったかは当人に聞かねば分からぬことですが。
少なくとも私は言いました。これまでを無為にしてしまったお前に、演者としての価値は無い、と」
楓が力をつけはじめた時期だったからこそ、余計にその再起不能の報は痛手だった。
飛べぬ鳥のように。舞えぬ八塚は八塚であることは出来ない。
「ですが、妬みや嫉妬、謗りが四方から飛ぶのは常日頃のことです。あれが八塚の血であることは事実でした」
例え檀の替りであることしか許されなかったとしても、だ。
だから、その身に悪意が降り注ぐのはその時が初めてではない。
そこで折れるなら、それまででしか無い。
「…それで、楓をその後どうするつもりだったのですか」
「能は決して演者だけで成立している訳ではありません。別の役割を考えていました。
それに、八塚の男ではある。何処かの娘と引き合わせれば子をなすことも出来たでしょう」
平然と告げる柾に、いばらは思わず腰を上げかけたが、何とか自制。
違う道を用意する気があったなら、否定を投げる前に何故それを言えなかったのか。
そして、何よりも――
「梓て子のこと二人がどう思っとったか、あんた知っとります?」
柾は、答えない。
「楓は梓が好きで、檀はそれを知ってた。
でもあんたらがいらんこと言って、それが二人を傷つけて。結果、道を違える切欠になったんや」
いばら自身に親の記憶はない。
けれど、親という存在がこんなにも子へ冷淡であっていいはずが無い。そう信じたい。
「うちは彼らとちゃうからあんたを責める資格はない。
けど悪魔は意識のない人を操る術を手に入れた。梓を利用して、楓の気持ちにつけ込んで支配しようとしとる。
あんたの息子らは望まんのに、人を傷つけることになってしまうんや」
いばらの言葉を追うように、葉月 琴音(
jb8471)がひよこの描かれたスケッチブックに文字を躍らせる。
『もし、悪魔が梓さんを手中に収めた場合、楓さんは強制的に戦わなければなりません。
そのことは八塚家にとっては少なからずマイナスになるのではありませんか?』
「なるでしょうな」
筆談という形式に一瞬面食らったような表情を浮かべたものの、柾はあっさりとそれを認める。
「なら…」
「ですが、多少、です。彼らがヒトを止めた時点で何もかもが上手くいくとは思っていません。避けねばならないのは致命にいたる失態です。
久遠ヶ原という環境ですとピンと来ないかもしれませんが、市井の人間にとって天魔とは恐れるものでしかないのです。
そして、シュトラッサーやヴァニタスに素性を尋ねる物好きはそういません」
故に、このままでも致命的な綻びは生まれない。
言って、柾はアンジェラと琴音以外の四人――天魔の血が流れる者達を順に見やる。
名家の長として生きてきた彼には、流れる血がどんなものであるのか、言葉にせずとも分かるのかもしれなかった。
視線を向けられた者達の中、ヘルマン・S・ウォルター(
jb5517)は大事に抱えていた八塚の能についてのパンフレットを傍らに置き、
「一つお聞かせ頂きたい。一人の人間として楓殿や檀殿はどのような御子でありましたかな?」
そんなことを、問いかけた。
「一人の人間として、ですか…」
「ええ。二人が生まれた時、何を思われましたかな。
幼い頃の彼らや練習に打ち込む姿に、八塚の道具として以外のことを思われたことはありませぬか。
それらを思い返し、もし何かしらの思いをお持ちであればその思いだけはずっとお持ちいただきたく」
彼らを家の為に切り捨てようと。それだけは父として。
そこで初めて、柾が視線を逸らした。
「それは…不可能です。私は、彼らを捨てたのです。放り投げて、無かったことにしなければならなかった。
だから私は、彼らのことを覚えていることには出来ません」
「成程、長きにわたり脈々と続きたる家には、其れ故の柵も重さもありましょう」
そう。本来なら双方の主張は平行線のままのはずだ。
部外者である者にはどうやっても思い至れぬ深みが、長い家故に存在してしまう。
ならば何故、この場は成立したのか。
「…悪ィな親父さん。アンタの言い分は重々に承知してる。むしろ同意してェ位だが」
答えを告げるのは、正座のまま隻腕で器用に一歩前に出たマクシミオ・アレクサンダー(
ja2145)。
「それでも、俺はアンタの「家を守るため」という選択を。
家長として、何と引き換えても家系を守るという覚悟を。
アンタが今までにしてきたことの全てを――否定させてもらう」
家の為。忌々しいその言葉のために一度は放り出された者として。
マクシミリオは、柾の行ったことを間違いだとは思わない。
むしろ正しいとすら思う。同じやり方で700年家を続かせた男を一番近くで見てきたのだから。
だからこそ、分かることもある。
「檀はな、期待してンだよ。あんたが父親の情に負けてくれるって」
甘っちょろいよなァ、とマクシミリオは小さく笑う。
でもな、と一つ言葉を挟んでから、
「アイツにとっては、本当に最後の、最後の賭けなんだ。
家族であること。父と子であること。それをアンタに証明してほしィだけなんだ。
そしてアンタはそれに応じた。息子のために何かをしようと、父として思うことが出来た」
「……」
違うか? と投げかけられた言葉に、柾は沈黙。
その沈黙は、肯定に近いのではないかと一同は思う。
確信する。
柾と二人をつなぐ何かは、まだ途切れてはいない。
●
「なあ、」
その時、ロドルフォ・リウッツィ(
jb5648)が声を出した。
ヘルマンと肩を並べ、二人はヒトに仇為す彼らのように笑ってみせる。
「ただ梓ちゃんをを引き渡すってのがまずいなら「たまたま病院に天魔の襲撃があって浚われた」ってのはどうだ?
丁度ここに天使も悪魔もいることだしな」
「そうですな。それで護れるのならこの身が討伐されても重畳」
「そういうこった。汚れ役が必要なら、引き受けるぜ」
すぐに助け出したが後遺症があるかもしれない、と言えば預ける言い訳もつくだろう。
その言葉に、柾は否を返すべきだった。
それでどうにかなるのならば、とうの昔に梓の身柄は久遠ヶ原にある。
「…何故」
しかし、柾の口は何故を問うていた。
己が浚ってしまえばいいと告げる言葉。目を見れば、本気で言っていることが分かってしまう。
「何故、あなた方はそこまでする…?」
「楓殿がかつてこの家に在った。理由はそれで十分でございます。
唯その一つを以って私はこの家の全てを愛し、護りましょう」
爺やとは、そういうものですから。
そう嘯いて、ヘルマンは笑う。
「檀の…友の何よりの願いだからな。応じない訳にはいかねェよ」
ロドルフォその言葉に、琴音も頷いて。
「…まあ、最初はさ。事情を知らねえまま何で人間をやめたんだってくってかかっちまったけどよ」
頭を小さくかいて、ロドルフォは檀の姿を脳裏に思い描く。
危なっかしくて放っておけない、優しすぎていつも自分を蔑ろにしてしまうシュトラッサー。
時間の経過と共に変わっていった、彼の見せる幾つもの表情。
それら全てが、己の言葉に力をくれる。
「自分はどうなってもいい、楓を救いたい。それには楓を自分の手で殺すしかねえ、って。
そこまで覚悟を決めていたんだって知って、心から力になりたいとそう思ったんだ」
これで梓まで戻れない道に踏み出させてしまったら本当に、救いがない。
だから。
「梓ちゃんを久遠ヶ原に引き渡しちゃくれねえか? 命にかけても護ってみせる。約束する」
宣誓するように右手を胸に当て告げるロドルフォ。
その言葉に勇気を貰う様に、琴音がペンを走らせる速度を増す。
思い出すのは檀のどこか寂しげで、悲しそうな表情。
彼のために力に成りたいと思うその気持ちは恋とは少し違うのかもしれないけれど。
でも、彼の笑顔を見てみたいという気持ちは、嘘じゃない。
だから、一歩踏み出せる。
『私も弟がいて、少なからず檀さんの気持ちが分かります。
でも、それだけじゃないんです。あの人はどこか寂しげで……消えてしまいそうな時があります。
檀さんのお友達として、お願いします。少しだけ、父親として二人のことを考えてもらえませんか?』
手渡された紙面に添えられたのは、セージの花を挟んだ栞。花言葉は――「家族の愛」。
花言葉を知っていたのだろう、柾は懐に収めていた書面を取り出す。
檀からの、救いを請う手紙。
手元の二つを交互に見る柾の心は、間違いなく揺れていた。
「あの日楓を抱きしめた時、泣き叫んでいる子供だと感じました」
アンジェラは思い出す。
死者と呼ぶには温かすぎる身体。同じくらいの背丈であったはずなのに、随分と小さく感じた。
あの姿は、余りにも愛情に不慣れなようで。
そしてそれは、檀にも同じことが言える。
「二人を「親」として愛した事は、ありませんか?
彼らへの愛が少しでもあるなら、伝えられる機会は最後かもしれません」
「確かに今は彼らは人とちゃう。でもあんたの息子やろ。
あんたに情けがあるんなら、どうか二人を救うきっかけをうちらにください。
お願いや――彼らの信じている、まことの幸いのために」
それすら叶わなくなってしまったら、二人とも壊れてしまう。
そしてその波紋はきっと、楓を想うあのヴァニタス――リコにも波及する。
(…そんなんはほんまに嫌やなぁ)
そんな光景は見たくないと。いばらはリコの笑顔を想い起こして、そう思う。
「なあ。最後くらい勝たせてやれよ。
あいつらの絶望を、涙を、拭ってやれよ。
ラスト一発に全部賭けて祈ってるあいつらをさァ、助けてやってくれよ!」
そうでなければ、望む結末に辿り着いてもあの二人が本当に救われたことにはならない。
家のために捨てられたマクシミリオには、それがわかるから。
知らず、彼の声には縋るように強い語気が込められていた。
六人の言葉達に、柾は一度まぶたを閉じる。
長い、長い沈黙があった。
●
誰もが固唾を呑んで柾の言葉を待っていたが、やがて彼はまぶたを開き、細く息を吐き出した。
「……檀も、楓も。本当に良い人たちと巡り合いましたな」
そう呟く柾の表情から、険が取れたように見えた。
「分かりました。表立っての移送は出来ませんが…何とか梓を久遠ヶ原へ預ける用意をいたしましょう」
「本当ですか!?」
アンジェラの弾む声に、頷いて返す。
「捨てたはずでした。二人へ向ける親としての情など」
頭の冷静な部分はまだ、この決定を覆すべきだと警鐘を鳴らしている。
しかし彼らの言葉を受けて、捨ててしまった二人に親として何かをしたいと思う気持ちが勝ってしまった。
「…ただ。やはり多少の時間を頂くことはご承知ください。
未だ彼女は生命維持に機器を必要としております。必要な準備も、それなりに存在するのです」
場がにわかに騒がしくなる。
教師陣に結果を告げたり、楓や檀への報告について相談を始める撃退士に向けて、柾は一度咳払い。
「一つだけ、手前勝手なお願いを許して頂きたい」
凛と通る声。
その場にいた誰もが、柾の方を見やる。
「貴方がたはいずれ、楓を終わらせるのでしょう。もしかしたら、檀のことも。
それならば…全てが終わってからも、彼らを忘れないでやって頂きたいのです」
二人に親として行えることは、これが最後だ。
梓を引き渡したら、自分は二人を無かったことにしなければならない。
「元凶たる私が言うにはあまりにも虫のいい話だとは承知しております。
ですがどうか、私の息子達を。そして息子を愛してくれた梓のことを。よろしくお願いいたします」
そう言葉にして、柾は一同に向け、畳に額を擦りつけるように深く、頭を下げた。
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「八塚殿」
各々が帰り支度を整えている中、ヘルマンは柾に近寄り囁くように。
「可能なら形見分けに何かいただければ一生恩に着ますぞ。足袋一つ、消しゴムの一欠片でも構いませぬ」
「申し訳ないのですが、楓の私物は全て処分してあります。故に、お渡し出来るものがございません」
「…そうですか」
表情は変えずとも明らかに落胆したような気配を滲ませるヘルマンに、柾は少しだけの間を置いて、
「望むなら、今の彼に言うと良いでしょう。
貴方がたが出会い、言葉をかわしてきたのは、ここにいた楓ではないのですから」
本当は、探せば私物の一つくらい残っているだろう。
けれど、彼らが楓を終わらせるのならば。
形見として持つべき物は、八塚にいた頃の物ではないと柾は思うのだ。
「あなた方なら楓も拒みますまい」
不器用な奴ですから多少文句は言うのでしょうが、と。
柾はこの日初めて、小さく笑みをこぼした。
(了)