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「やな感じで三つ巴状態っすね…」
「それだけ、天界と人間の協力関係を歓迎してないってことなんだろうな」
自身の足に磁場を形成することで滑るように走る平賀 クロム(
jb6178)の呟きに、風色のアウルをその身に纏いながらケイ・フレイザー(
jb6707)も頷く。
視線の先には飛び跳ねる兎が二体。
その背を見て、更に遠くにいる一般人の姿を見て。
ディアドラ(
jb7283)は随分と状況を引っ掻き回すのが好きだとここには居ない悪魔を思い、ため息一つ。
「彼らに何かあれば、使徒も楓様も、私達に梓さんが守れるとは思ってくれなくなるでしょうね」
「そっすね、だから最悪の場合、あの兎も倒さないとっす」
「シマイのおっさんの思惑通りに事が運んでしまうのも心底嫌だが、な」
天界との協力関係は薄氷の上に成り立っているとケイは認識している。
所詮は使徒との口約束が端の同盟。あの天使の少女がそうそう絆されてくれるとは思えない。
「私も…そう思う…今までと今回、同じく問題は起こらない…なんて保証はないし…」
ベアトリーチェ・ヴォルピ(
jb9382)もケイに同意を示すように、小さく頷く。
こちらが害と見なされれば切り捨てられる可能性もある。シマイが動き出した以上は、常に最悪のケースは想定しておきたい。
「ただ、いずれにせよ人命が最優先である事に変わりはないでしょうな」
ヘルマン・S・ウォルター(
jb5517)の言葉に並走するジーナ・アンドレーエフ(
ja7885)も頷く。
「そうだねぇ。人に被害を出せば、使徒もヴァニタスも『撃退士なら信じていい』と思ってくれなくなりそうだしね」
天界側も今立っている場所が戦場である以上、時に戦い合うことも承知のはず。
実際、天使の言いつけを忘れて人を襲うものは今でも存在するし、それらを排除する事自体は今までもやってきたはずだ。
アンジェラ・アップルトン(
ja9940)も頷きつつ。
「人命は最優先かつサーバントを傷つけずに済むなら、それに越したことはない。今後のリスクを減らすためにも最善を目指そう」
リーンを威嚇するように唸る亀まで辿り着き、そこでアンジェラとヘルマンが進路をリザードの射手が居る方角へと変更した。
「そちらはお任せいたしました」
ベアトリーチェと共にヘルマン達に追随する紅香 忍(
jb7811)が構える銃から、光が放たれる。
放たれた光弾は亀へと向かうリーンの左手を掠めるに留まったが、元より牽制以上の意図はない。
「また、会った…な…」
「鈴が鳴るから…リーン=リイン?」
忍とベアトリーチェの声にリーンは答えず、撃退士たちの動きをちらと見遣る。
赤い靴へ向かう者、兎へ向かう者、己の背面に居る射手達に向かう者が居て、亀へのフォローへ回るものが居ない。
リーンはその意図を考えかけ、緩く首を振るって思考を止める。それならばそれで構わない。
己の任務を遂行するため、足を進める速度がわずかに早まる。
●
兎の姿をしているだけあってその足は速かったが、全力で走れば余裕を持って回りこむことが出来た。
並走する二体の兎の内一体に、クロムは飛び込むようにその身を躍らせ抱きつく。
隣ではケイがもう一体の進路を塞ぐように立ち塞がる。
攻撃された、とまではいかない曖昧な干渉。
纏わりつくクロムに、歩みを邪魔するケイに、兎達は一瞬どうするべきか逡巡したように見える。
その時、赤い靴の人間が再度銃を構える。
咄嗟、ジーナとディアドラは銃と兎を繋ぐ射線上に躍り出ていた。
兎が受けた傷からすれば強力とは思えないが、それでも背を向けているケイとクロムに当たるのは拙い。
「っつ、やれやれ。シマイのじーじは、相当にワルだねぇ」
「本当ですわ。ヘルマン様、鎌でお尻をブッスリやっちゃって下さいませんかしらね。
ああ、前を切り落とすのでもいいと思いますけれど」
何やら物騒な台詞をディアドラが呟いたと同時に、二人は一気に一般人へと肉薄。
「はい、ごめんよ」
ジーナの言葉と共に、ぱん、と小気味いい音が周囲に響いた。
音が良い分、衝撃もそれなりにあったようだ。
先程まで銃を構えていた二人は身震いを一つ、銃を取り落としてハッと目を見開く。
「おはようございます、わたし達は撃退士です。突然ですが、皆様を安全な場所に移動させます」
「…え?」
「説明は後で。とりあえず、その靴だけ脱いじゃってもらえるかしらぁ」
マインドケアや言葉の丁寧さもあってか、未だに状況を把握しきれていない二人からするりと靴を脱がせることに成功する。
自律的に靴が動く様子は伺えない。靴単体で動く術は無いのだろう。
「ジーナ、ディアドラ。その二人を連れて離れてくれ。こいつら、まだ狙ってるぜ」
ケイが言葉と共に風を解き放ち、兎達をわずかに遠ざける。
風の残滓が届く程度に、兎との距離は近い。
組み付いた兎に振り払われたのか、地を転がっていたクロムが再度立ち上るのも見える。
試しに、とディアドラは二足の靴の内片方を兎へと放ってみる。
僅かに注意は靴の方へ向かったようだが、それでも靴の脱げた一般人へ向ける敵意は無くならないようだ。
「人間とディアボロが分離されたからと言って、把握できるほどでは無いのですね…」
「そりゃあ、サーバントだものねぇ。兎のオツムにそこまで期待するのが無理な相談だと思うわぁ」
再度飛びつくクロムを今度はなんとか避わし、ケイを迂回する進路を取って兎達は自身を傷つけた者へと尚も迫ろうとする。
だが、二人によって出足が鈍った兎では、人を抱えているとはいえ撃退士の全力疾走には敵わない。
しばしの間遠ざかっていくジーナとディアドラを兎は追い続けていたが、やがて駄目だと悟ったのかその足を止めた。
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矢が一般人に向かぬように、と射手へ向かったヘルマンとアンジェラが一番近くでそれを見ることが出来た。
足を緩めぬリーンを迎撃するように亀はわずかに首を後ろへもたげ、次の瞬間には彼女目掛けて火炎を放つ。
それに対してリーンは左手を面前にかざし、
りいん。
音と共に炎が『眠った』。二人は直感的にそんなことを思う。
鈴鳴りが周囲に響くと同時、リーンを焼き尽くそうと迫る炎の勢いが、目に見えて落ちた。
速度さえ落ちてしまえば対処は易い。
体を左へ傾けて弱々しくなった炎とすれ違うと、速度を落とさぬまま亀へと迫る。
対象を『眠らせる』ことで回避を容易にする術なのだろうか。
そのまま甲羅を砕かん拳を振り上げ、響音と共に今度は甲羅が『眠った』。
身を護るため硬く在れ。その存在意義を忘れ眠りに堕ちた甲羅は――脆く。
突き刺さる拳は甲羅ごと亀の身体を貫き、周囲を赤く染める。
息も絶え絶え、と言った体の亀目掛けて射手が追撃の一矢を放とうとするが、それはアンジェラが許さない。
「そこまでだ!」
横合いから振るわれる大剣の一撃に、射手はかろうじて反応する。
咄嗟に追撃を諦め、腕部に装着する形の小さな盾で何とかその一撃を受け止めた。
だが、一撃が重い。
防御のために十全の体勢を取れたわけではない。
直撃こそは避けたが体中を襲う衝撃を逃がすことが出来ず、数歩後ずさってしまう。
「ヘルマン殿、そちらは頼んだ!」
「その首、刈り取らせていただきましょう」
続いてヘルマンはもう一体の射手目掛けて黒の光を一発、二発。
そもそも、彼が持つ鎌の破壊力が凄まじいこともある。黒光を乗せた一撃を二発受けては、盾があったとしても耐えきれるはずがない。
射手が一体、悲鳴すら上げられずに崩れ落ちる。
放った衝撃が巻き上げた砂塵の向こう、リーンへと水を向けて。
「今度の靴は武器を所持、けれど動きは遅いと来ましたか。
先との違いを鑑みれば、赤い靴の実験のようですが。まだ完成には程遠いので?」
「それを判断するのは、私ではなくシマイ様です。ただ、確かにまだ調整が足りないとは仰っていましたね」
言葉と共に、破砕音。亀が一体倒されたことを、その音は告げていた。
元より複雑な状況下、「可能な限り」被害を減らすように求められているサーバントの優先順位が下がる事は仕方がないことではある。
「亀さん…全滅は…させない…」
けれど、そのままリーンを好き勝手に動かすことはさせない。
赤い靴へ向かうように装い、ベアトリーチェはやや大回りにリーンの側面につけていた。
彼女はヘルマンの一撃が目隠しを作った瞬間にスレイプニルを喚び出し、突撃を命じる。
砂塵を割って、黒き竜が目にも止まらぬ速度で疾駆する。
リーンとて自分が何時までも自由に動けるとは思っておらず、撃退士が己を狙う可能性は常に考慮していた。
だが、それでも不意を打たれた形となる。
亀の炎を避けたような術を使う間もないまま、黒竜の蹄が吸い込まれるように彼女の腹部へ突き刺さる。
ひゅ、と肺から息が逃げていくが、構わずスレイプニルから数歩ほどの距離を取る。
念話で命じたのか、残ったリザードがスレイプニル目掛けて牽制の一矢。
かわし切れず竜の前足を掠めた痛みがベアトリーチェに伝搬し、薄らぼんやりとした彼女の表情が僅かに歪む。
それに構わずリーンは収まりかけている砂塵の向こうを見据える。
間違いなく追撃が来る。蛇のような目を持つ彼が、この機を逃すはずがない。
二度という少ない邂逅でも、それくらいは分かる。
「馬鹿め…」
リーンの読みは当たっていた。
けれど、二度の邂逅では忍の機動力までは勘定に入れることが出来ていなかった。
気配を薄め周囲に溶け込みながら、彼は既にリーンの背面を捉えている。
「死ね…私のために…」
向けられた害意に、リーンは背後を振り返る。
遅い。無防備な背中へ向けて、情けも容赦も無い銃弾が放たれる。
●
その耐久力は、腐ってもヴァニタスと言うべきか。
忍の弾丸をモロに受ける形となったリーンだが、傷口から血を溢れさせながらも尚、残った亀を砕こうと拳を振るう。
彼女への対応にあたった二人はその接近戦闘能力を警戒してか、遠距離攻撃やヒットアンドアウェイを貫く方針を取っていた。
それ自体は決して間違いではないが、結果的に亀へのフォローを行う機会を失ってしまうことにも繋がった。
アンジェラ、ヘルマンが逃げ回るようにリーンの援護を続けていたリザードを倒すのとほぼ同時に、リーンも残った亀を屠ることに成功する。
だが、そこで手詰まりなのは彼女自身も分かっているだろう。
側背面を執拗に狙われ続けた結果、ダメージもそれなりに蓄積していたし、ケイとクロムが戻って来たことでリーンを囲む輪は完成しかけている。
ジーナたちの追跡を諦めた兎達が戻ってきているが、四方を囲まれている状態で兎達にまで手を出せる余裕は彼女にはない。
「帰れるようならシマイのおっさんに伝えとけよ。
オレは誰かの思惑通りってのが心底嫌いなだけだ。向ける評価は優しさなんてもんじゃない」
「後…私…そんなに正義の味方じゃない…」
ケイとベアトリーチェの言葉に、リーンは答えない。というよりも、応える余裕がないのかもしれない。
側面から放たれた忍の銃弾を眠らせ、そのまま拳で叩き落とす。
その直後に放たれるスレイプニルの雷光を、地面を転がるようにして尚も回避。
立ち上がるや否や、リーンは自分の方から兎目掛けて駆ける。
その行動に僅かに動揺を見せた兎を突き飛ばすようにして道を作り、包囲を強引に抜けだす。
「リーン、『お前の』目的は一体何っすか?」
今にも逃げ出しそうなリーンへ向けて、クロムは声を投げていた。
見せてくれ、と彼女は言った。人形のような彼女であっても、自身の意志はある訳で。
彼には、それが何なのかが気になった。
「…平賀クロム。私は人形です」
呼吸を整える間もあったのかもしれない。
時間にして数秒。それだけの間を置いて、彼女はそう返した。
「故に、貴方の好きなように私の目的を定めるといいでしょう。遊ぶ者に応じて名すらも変わるのが、人形です。
私の意志は、私で遊ぶ者が自由に決めればいい話です。
ただ…対立するもの同士、互いのことなど知らない方が楽だとは思いませんか」
クロムの反応を待たず、三歩のバックステップ。
三歩目の足が地につくと同時に背中を見せ、そのまま雑木林へと姿をくらませる。
サーバントへの被害は亀が二体。人を救うことを第一に動いたことを考えれば、十分過ぎる成果だ。
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『皆、無事みたいねぇ。私達も赤い靴を履いていた人も、何事もなく詰め所まで戻ってこれたわぁ』
「…良かった…靴を履いてた人……無事…?」
『流石に少し疲弊しているけれど、前回の人よりは元気ねぇ。
ほとんど動かなかったことも考えれば、宿主の消耗を避けることを念頭に調整されてたんじゃないかしらぁ』
このままジーナとディアドラは救出した人を病院まで連れて行くらしい。
それにしても、宿主を長持ちさせるために調整された赤い靴。
こんなはた迷惑な物をまだ持ちだすということは、梓のことを諦めていないということだろう。
ベアトリーチェが会話を打ち切り通信機を切ったところで、考え込んでいたクロムは口を開く。
「梓さんの話なんすけれど、意識を失う切欠となった天魔がまた梓さんを狙っているという情報が入った、って方向で保護に持っていけないっすかね」
「あるいは、梓を襲った天魔は撃退士が討ち漏らした物で、その償いに久遠ヶ原の最新医療で回復を試みる、という方向もありかもしれないな」
「それも行けそうっすね。要は「身内の恥」にならなければ良いんすよね?」
「向こうの事情は分からないが、それも教師陣に言ってみるといいんじゃないか? 打てる手は打っておくに越したことはないしな」
クロムとアンジェラが口にした言葉二つを、ケイがメモに書き留める。
調整が足りない赤い靴、梓を保護しようと働きかける段階まで漕ぎ着けている撃退士。
眠り続ける彼女へ近いのはまだこちらだ。
だから、このまま攻勢は緩めない。
一つ一つが向こうの予想を一欠片でも覆せるのならば、何とも良い気味だろうか。
今後の方針を話し続ける一同を他所に、忍はリーンが己に撃たれた地点に立っている。
視線を地面へ。彼女の血は既に地に染まり、赤黒い色だけをそこに残している。
地面の赤を忍の中指が撫で、そのままちろりと指に舌を這わせる。
「あれを倒せば…次はシマイ…」
きっと悪魔の首は、己の野望を為すために役立ってくれるだろう。
その隣でヘルマンは、シマイが抑えたという集落の方角へと視線を向ける。
かつての己の理想を体現したような、あの悪魔。
眼が緑色に染まるような激情を覚えずにいられない。
腹の中で膨れ上がる緑眼の獣がシマイへ牙を突き立てる瞬間を思う。
彼もまた、ここには居ないシマイへ向けて言葉を発していた。
「いずれ、必ず殺させていただきます」
それぞれの想いを織り込み、糸は手繰られ続ける。
人と悪魔、二つの糸が交わるのは、もう少しだけ先の話。
(了)