悪魔の従者から人の営みが侵されるという通報があった。
その事実について何を想うかは、受取手の心が決めることだ。
そこに、正解も不正解も存在しない。
「あの楓ちゃんが主人の命令に反抗するなんてな」
ケイ・フレイザー(
jb6707)は、その通報を面白いと感じた。
八塚楓には何かに囚われず、「自らの由」のみで動き続けて行って欲しい。
今回の通報は、その第一歩だったのではないだろうか。
歩み始めた楓が何処へ向かうのか。是非とも歩んだ先を見てみたいものだ。
「――ってなわけで、ここは勝ちにいかねえとな」
「何が『ってなわけで』なのかはよく分からないっすが…」
声を受けた平賀 クロム(
jb6178)は、その通報に戸惑いを覚えた。
八塚楓は人類の裏切り者だ。
多くの人々を理由もなくただ殺めた、敵。いつか倒すべき相手であるという認識は今も変わらない。
けれど。
何故こうも、己はあいつを助けたいと思うのか。
知とは毒だ。倒すべき相手と断じて何度も刃を、言葉を重ねていった結果――人類の敵たる彼を、何処か憎み切れなくなっている己が居ることも確かで。
赤い靴を履いた人々が、愚直なまでに一直線に迫ってくる。
バンダナを抑え、意識を切り替える。
赤い靴を履く足が、撃退士達に届く数歩先まで近づいた所で、クロムが動いた。
自ら一息で赤い靴たちと距離を詰め、圧縮された風を開放、赤い靴達を左右へ押しのける。
作り出された隙間に今度はケイが割って入り、彼が解き放つ風の暴威がもう一度赤い靴達を襲った。
二度の暴風で海を割ったように中央に作られた道。
赤い靴は右に一体、左に二体。まずは分断できたか。
「…通報してきたって事は『止めてくれ』って事っすよね、楓」
クロムのその呟きは、吹き荒ぶ風に乗ってケイの耳にのみ届いた。
「――ってなわけだよ」
今はまず、その思いを叶えよう。
●
アンジェラ・アップルトン(
ja9940)は、その通報を信頼した。
赤い靴が人を操るための条件。この場に居座り続ける不可解な睡魔。
二つから導かれるのは、『靴を履いた人々が目を覚ませば、靴の支配から開放される』という推測。
久遠ヶ原の毒りんごを自称する己が誰かを目覚めさせるとは、中々洒落が効いている。
「ヘルマン殿、左は私が!」
「承知いたしました、それでは私が右の一人を」
アンジェラと同じ結論に至ったヘルマン・S・ウォルター(
jb5517)は、右側に押しやられた一人へ向けて猛然と走りだす。
ヘルマンは、受けた通報よりもまずシマイ=マナフへ思いを馳せる。
相変わらず操ることが好きだと冷ややかに笑う心底で、怒りと異なる感情が同居していることは、知らぬふりをした。
ヘルマンとアンジェラがほぼ同時に赤い靴との距離を詰め、加減を込めた体当たり。
直後に控えるリザード達との戦いに巻き込まれぬよう、突き飛ばす先を国道脇の畑へ向けることも忘れない。
赤い靴は二人を避けることが出来ぬまま、目論見通りに畑へと突き飛ばされ、
りいん。
不意に、鈴の音。
二足の靴が操る人々は目覚めること無く受け身を取って立ち上がり、そのまま手近の二人へと襲いかかる。
アンジェラの側は二足同時に相手をしなければならない上、無闇に反撃が出来ない状況は何とも動きにくい。
「目覚めないか…!」
「アンジェラさん、もう一発風が来るっすよ!」
フォローのためにクロムが再度風を解き放ち、左側に寄せられた二足を完全に畑へ押し込む。
生み出された風に乗ってアンジェラも畑へ。用意していた水を二足の顔へ撒き散らし、注意を他所へ向けぬようにすることも忘れない。
「貴方がこの睡魔の元凶ですかな。その鈴かご自身か、しかと判断は出来かねますが」
ヘルマンの頬を赤い靴が掠めていく。
頬に生まれた僅かな熱を感じながら、彼は奥の少女へ水を向ける。
「今目の前で起きていることが事実です。
強いて言うならば、多少の衝撃で目覚めてしまうならば、元より兵として用いることに無理があるのではないでしょうか。
それよりも、それを気にする余地は無いのでは?」
淡々と答える声に付随するように、槍を構えたリザードが背後からヘルマンを貫かんと駆け抜ける。
●
銃声。
次の瞬間にはヘルマンを貫いていただろう槍は、早々に右側の畑に位置取っていた紅香 忍(
jb7811)が放つ銃弾によって阻止される。
同時に、ヴォルガ(
jb3968)とケイが拓けた道を駆け抜け、残った二体へ向けて攻撃を仕掛けていく。
ヴォルガにとって、楓からの通報はどう映ったのだろう。気が付けばそこに居る髑髏は何も語らない。
只々首を刎ね飛ばさんと放たれた一撃をかろうじて受け止めたランサーは、その斬撃の重さに思わず膝を着いてしまう。
振るわれる一撃は、彼の外見相応に命を刈り取るにふさわしい。
「ゥウ……!」
ランサーの喉の奥から、警戒するような唸り声。
余所見などしている余裕はないと、意識しているのが傍目で分かる。
その隣で風色のアウルを纏ったケイは、次々に繰り出される刺突を払い、流し、時に受け。
攻撃の軌道をコンマ一秒毎に計算しながら致命傷を受けぬよう立ち回る。
唯一予想外だったのは、矢の射程には居るだろうに未だ射手が動かないこと。
ランサーが避けることを期待してまで攻撃を加える気はない、ということだろうか。
(シマイのおっさんなら「みんな仲良く」なんて思考は刷り込まねえと思ったんだがな…)
ケイが避けたらランサーに矢が当たるような位置取りならば話は違ったかもしれないが、少なくともこの状況下で己に矢は飛んでこない。
一方、攻撃の邪魔をした忍目掛けて畑に向かいかけたランサーを、ジーナ・アンドレーエフ(
ja7885)が放つ火の玉のようなアウルが止める。
ジーナは、受けた通報を楓が変わり始めた証だと思う。
人とは、自身の過ちに気づいたその時に変われるものだと彼女は考える。
けれど、楓の後ろにはシマイが居る。
シマイが楓を操ろうとする限り、不要な災厄は撒き散らされ続けるのだろう。
「悪いけれど、潰させてもらうよ」
今の所赤い靴達は左右の畑でアンジェラとヘルマンが抑えてくれている。
手加減した攻撃で目覚めさせて靴を脱がす、という当初のプランこそ上手くいかなかったが、このまま戦い続ければ矢や火炎に巻き込まれることはないだろう。
後は、一般人が巻き込まれぬ位置取りを意識し続ければいい。
「ヴォルガさん、もう少し右に寄ってもらえるかしらぁ。そう、そんな感じだわぁ」
カオスレートの隔たりが生む強烈な刺突をを物ともせずに捌きながら、よく出来ましたとばかりに満面の笑顔。
(……物好き)
操られた一般人を救おうと試行を重ねる同行者達を、忍はそう断じる。
敵は殺す。それだけだ。
今だってほら、ヘルマンへ攻撃を続ける赤い靴の寄生主、その心臓へ一発撃てばそれで敵が一つ減るというのに。
彼にとって、ヴァニタスからの通報などどうでもいい。
そこに依頼があり、報酬があればそれは立派に己がここに立つ理由足りうる。
側面からの射撃を続ける忍の存在を厄介と感じたか、ランサーが咆哮一つ。
それに応じて、少女の側で待機していた射手が動いた。
三体が一斉に弓を引き絞り、忍目掛けて斉射。
いくら機動力のある忍軍と言えど三体からの攻撃を全ていなすことは難しく、一発が左手を貫き畑に血をまき散らす。
「……っ! 後で殺す…!」
忌々しげに声を押し殺し、一度矢の射程から逃れる。
その隙に射手目掛けて走りかけたクロムだったが、忍が矢の射程外へ逃れたことで向けられた目に思わずブレーキ。
(あれを抜けて射手を一人でどうこうするのは難しそうっすね)
一般人の避難が叶わぬ状況下、多くの者がランサーへ当たる中では一人で弓矢を捌き切れないと判断する。
ならば先にランサーを片付けた方が早いとジーナが相手をしているランサーへ。
「ジーナさん、アンジェラさんの手伝いしてあげて欲しいっす。コイツは俺が」
二足からの攻撃を浴び続けるアンジェラには、どうしても攻撃を避けきる事が出来ない瞬間がある。
既に何発かダメージを受けている彼女のフォローには回復スキルを持つジーナが適任だろう。
「悪いわね、こっちは頼んだわぁ」
ジーナも同意見だったようだ。頷き一つ、走りだす。
視界の端に移るヴォルガと戦うランサーが深く息を吸い、口の端から炎が覗いたのが見えた。
アンジェラの元へ辿り着くにはどうしても一瞬、ヴォルガと同一直線上に立つ必要がある。
それを狙い、二人共焼いてしまおうという腹づもりだろうか。
「……死ね…」
けれど、それは忍が許さない。
ヴォルガとケイ、二人が相手取っていたランサー二体を同一直線上に置いていたのは撃退士達も同じだ。
轟!
忍が放つ焔色の蛇が生む熱はランサーの攻撃を一瞬止めるには十分すぎた。
得られた空白をジーナが駆け、アンジェラの元へ辿り着く。
よくも邪魔をしたな、と言わんばかりにランサーは忍を睨みつけるが、交戦中にその行為は自殺行為でしか無い。
「余所見とは、余裕だな?」
月の光を受けて、ヴォルガの大剣に飾られたルビーが輝きを放つ。
その煌めきが、首が銅から離れる前にランサーが見た最後の光だった。
●
一体数が減れば、後は雪崩のように戦況は撃退士の側へと傾いていくばかり。
一体目のランサーを倒したヴォルガと忍はそのままケイが対応していたランサーへ。それが片付けば、今度はクロムが抑えていたランサーへ。
ヴォルガの一撃の重さを脅威と見た射手は何度も彼へ矢を浴びせたが、髑髏は何度射られても倒れようとしない。
「頃合いでしょうか」
りいん。
ランサーが全て倒れたことを見届けると同時、少女の呟きと共に鈴の音が周囲に響き渡る。
次の瞬間、あれほど暴れ回っていた赤い靴達が急に動きを止めた。
「……あ、あれ?」
「何処だ、ここ」
先の鈴の音が眠りを操作するためのスイッチだったのかもしれない。
赤い靴が動きを止めると、それを履く人々が目を見開き、困惑したような声を上げる。
またいつ目の前の人々が眠らせられるかも分からない。話は後だと言わんばかりにアンジェラとヘルマンが赤い靴を脱がせにかかる。
それを尻目に、忍は少女へと銃を向けて。
「貴様……ヴァニタスか? 悪魔か?
……シマイの手下か? ……シマイはどこに居る?」
「順にお答えします。ヴァニタスか、悪魔か。ヴァニタスです。
シマイの手下か。一応、YESでしょうか。彼の手伝いという名目でここにおります。
最後のご質問に関しましては、貴方がたが何処へ向かっていたのか、という所が答えになるかと」
銃声。放たれた銃弾は弓兵の持つ盾に受け止められる。
「そう急かずとも今日はもう何も行いませんのでご安心を。
今ほど、シマイ様から伝言を預かりました。
『集落は抑えた。取り戻したければかかっておいで』――だ、そうです」
「左様ですか。時に、シマイ殿にお伝えを。自分の体を動かさないと、いざという時にギックリ腰になりますよ、と」
「…お伝えしておきましょう」
用事は済んだとばかりに少女はそのまま回れ右。集落の方向へと一歩、足を進めて。
それを止めるように、クロムが声を上げる。
これは聞いておかなければならない。きっと、この少女とは浅からぬ付き合いとなるのだろうから。
「俺は平賀クロムっす。あんた、名前は?」
「…そうですね。名乗っておきましょうか」
かけられた声に再度撃退士達の方を向くと、少女はドレスでも纏っているかのようにボロボロの外套の端をつまんで。
それを少しだけ持ち上げて、一礼。
「リーン=リイン。それが悪魔の玩具である私の名です」
●
リーンと名乗る少女がこの場から立ち去った後、ヴォルガは念入りにリザードの死体を解体し始め、忍もそれに習って死体の処理を始める。
首から尾、部位毎に切断を徹底する様は異様ですらあったが、死んだふりという可能性がちらつく程の生命力を持つのがリザードマンという種族だ。
そうでもしなければ落ち着かぬという彼の言は、臆病というよりも戦場の恐ろしさを熟知しているが故の言葉のようにも見えた。
「……死んだかね?」
語りかけられた首は、答えない。
「赤い靴の物語は死ぬまで踊り続ける呪い…胸騒ぎがするな」
ここまでの状況から、楓の通報は本物であり、悪魔が集落を抑えた事は事実なのだろう。
ケイが本部に現状を伝えた所、一度対策を練る必要があるため引き上げて欲しいとの事だった。
しかし、それよりも脳裏に居座る違和感がアンジェラの足を止める。
目覚めた一般人への状況説明を行うジーナやクロムを見やりながら、彼女の思考は止まらない。
ヘルマンも何か引っかかるものがあるらしい。顎に手を当て視線をあちらこちらへと漂わせている。
考える。
眠っている等、意識がない状態の人間を赤い靴は操ることが出来る。
意識のない、人間。
「梓の意識は今も…?」
不意に口に出た言葉に、ハッと顔を上げる。
ヘルマンも同じ結論に達したらしい。
楓への戒めのために赤い靴で梓を奪うことなど、シマイなら平然とやってのける。
「彼女の保護は出来ないのか!?」
「それも含めて、対策を練る必要があるんだろうな」
話を聞いていたケイにも頷ける所はあったのだろう。
再度電話を取り出し、この推測を本部へ伝えるようだ。
(……シマイのおっさんは、何が見たいんだ?)
「ヘルマン殿、何処へ?」
何処かへ向けて歩き出すヘルマンへ、アンジェラが声をかける。
「いえ…何とか楓殿に言葉を届けたいと思いまして。打てる手は全て打っておこうかと」
●
その集落には、夜相応の静けさが存在していた。
問題は、集落に漂う静けさが、悪魔の手によって作り出された物であるということだろう。
誰も彼もが眠っている――赤い靴を履いたまま。
「あぁ?…気付かれちゃったか」
集落のとある一軒家。シマイ・マナフ(jz0306)は自分でも久しぶりだと思う渋面を作っていた。
撃退士とリーン達の一戦は監視用のディアボロ経由で観察していた。
今回の結果は、散々計画を邪魔され続けてきたこれまでから予測できていた事。
しかし、まさか一度の邂逅で己の企みを見抜かれるとは。
楓とて馬鹿ではない。そう遠くない内に赤い靴の意味に気付く。
それまでに梓を確保できる見積もりではあったが、撃退士に勘付かれた以上楓が己の目論見を知るのもすぐの話だ。
老いた悪魔が楓と出会った場所へ残したメッセージも、隠蔽は出来るが焼け石に水だろう。
「んー…まあ、少し頑張るかなぁ。急に動いてギックリ腰になっても困るし、ね」
ともあれ、直に戻ってくるリーンを出迎えよう。
こきりと首を鳴らして玄関へ。家の扉を開き、思う。
檻の外から獣達を眺めているつもりでいたが、現状は火遊びに近い。
火傷には、ゆめゆめ気をつけねばなるまい。
扉が、閉じる。
作り出された静寂が、再度場を支配する。
(了)