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異なる羽、と書いて翼と読む。
この場合の異なるとは、蝋で出来た羽を言うのだろうか。
それとも、本来交わらなかった世界の間に生まれた己が持つ羽を言うのだろうか。
Julia Felgenhauer(
jb8170)は地上から蝋細工のグリフォンを見上げ、そんなことをふと思う。
御伽噺のような、と。自分の感性があの翼を指して思うなら、きっと異なるのは向こうなのだろう。
「でも、母さんから貰ったこの翼は傷つけさせはしないわ」
呟く彼女の隣で、元 海峰(
ja9628)が視界を覆っていた包帯を解き、孔雀のような羽を顕現させる。
蝋の翼で飛び、太陽の熱で翼が溶けて落下した青年の神話がギリシャにあった。
こちらに気づき甲高く鳴いたあのグリフォンも、それと同じようなものか。
ならば、撃退士という太陽の熱で溶かしてやろう。
「本物の翼と蝋でできた翼、どちらが上か、わからせてやる」
「向こうも準備が出来たみたいです。行きましょう!」
死屍類チヒロ(
jb9462)が無線を首にぶら下げながら、二人を促すように声を上げる。
それが契機。グリフォンが獲物を求め翼を一つ羽ばたかせると同時。
陽光が、闇が、金の孔雀が。一斉に翼を広げ、一息に高度を上げる。
夏の空気を切り裂き空へ奔る爽快感の中に、ノイズのような不快感を感じた。
事前の情報こそあれど何処に潜んでいるかわからない狙撃手が、グリフォンに挑む三人を獲物と定めたのが分かる。
「狙われるのはあまり嬉しくないけれど、此方は多勢だ! お前らに負ける気もないわ!」
「希臘の神話を、西蔵の技で仕留めるのも面白い」
狙撃手を排除するために地上班も動いているが、彼らが二体を片付けるまで対策も無しに浮いているつもりもない。
Juliaと共にグリフォンの上空を取った海峰が、下から睨むようにグリフォンを見上げるチヒロが、アウルを練り上げ周辺に己の分身を生み出した。
直後、海峰の羽から生み出された海峰そっくりのそれが、地上からの銃弾に撃たれて消えていく。
厚みの存在しない分身は至近距離から見ることの出来るグリフォンには無視されてしまう。
けれど、遠距離から狙う狙撃手が相手ならば話は別だ。
ディアボロの知性では、二人が生み出したそれがダミーであることに気付かないだろう。
上空にいる三人に加え、六つの分身が生み出され一つが今撃たれ、狙撃手が狙える標的は八つ。
狙撃が見当違いの方へ飛んでいくけば、それだけ持ちこたえられる時間も増す。
「でも、この高さにも届くなら、何処にいても空は射程内と考えてしまって良さそうね」
「そうだな。逃げられぬ場所での立ち回りは心臓に悪いが…地上の部隊のお手並み拝見と行こう」
Juliaと海峰が言葉を交わす僅かな暇の中、今度はチヒロの分身が撃たれて消える。
「そっちは分身だよ! こっちが本物だい!」
そんなことは意にも介さぬとばかり。闇色の翼が持つ刃は、風を纏って蝋の獣へ襲い掛かる。
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チヒロと無線で通話をしていた鈴代 征治(
ja1305)は互いに準備が出来たことを確かめた後、お節介かもしれないと思いはしながら、一言だけ付け加えた。
「空中戦はかなり危険です。ピンチとなったら迷わず退いて下さい」
「じゃあ、狩りの時間と行きますか。おいで、ストレイシオン!」
浪風 悠人(
ja3452)が呼びかけるように中空へ向けて声を発すると共に、暗青の鱗を持つ竜――ストレイシオンが世界に顕現する。
ストレイシオンは自身の存在を誇示せんと一つ咆哮を挙げ……ようとしたが、首を動かす動作で枝に頭をぶつけてしまい、不機嫌そうに小さく唸るにとどまった。
「あぁ〜…そうか。ストレイシオンくらいのサイズになるとこの雑木林、結構狭いのかもしれないな」
木々の間隔はストレイシオンの全長と同程度。決して動けないということはないが、移動に多少難儀しそうだ。
「ははは。まあ、敵を探す目を増やす意味では間違っていませんよ」
「鈴代クンええこと言うなぁ。よっしゃ、一緒に小賢しい事考える奴らをガチコン言わしたろ!」
ストレイシオンの挙動がおかしかったのか黒神 未来(
jb9907)が笑いながらぺしぺしと竜の足を叩いてから、雑木林と道路の境に陣取り神経を尖らせる。
未来が見上げた上空では海峰とチヒロの分身が生まれ、同時にその一つが撃たれて消滅するのが見えた。
「今、撃ったみたいや! 居るか?」
「……! 居ました…!」
狩人の家に生まれたという矜持故か、浪風 威鈴(
ja8371)の隠れ潜む狙撃主を見つけだそうというモチベーションは一同の中でも一層高い。
自分が狙撃主なら何処に陣取るか。その予想に基づいた幾つかの狙撃地点の内一つ。
そこに、カメレオンの姿を持つ狙撃手の姿を確かに認めた。
「隠れる……敵……」
駆ける。
相手はスナイパーを謳うのだ。いくら姿を隠す能力があるとはいえ、何時までも一箇所に留まっているとは思えない。
事実、狙撃主はちらと威鈴を見た直後、木から木へ飛び移るように彼女から逃げていく。
威鈴の手にはペイントボールが握られていたが、木々を飛び回る敵に闇雲に投げても当てられないのは当然の話。
だから、動きを止める一手が欲しい。
「残念、行き止まりだ!」
その一手は、征治によって。
未来の声と同時に木々を縫うように林を駆け抜けた彼が、狙撃手の進路を塞ぐように立ち塞がっていた。
全力で林を突っ切ったためか軽く息を切らせながらも、持っている本のページを手繰る手は弛まない。
姿を消しかけている狙撃手に放たれるは光槍一刃。
いくら本来のジョブではないとは言え、歴戦の撃退士である征治の一撃を真正面から捌ける能力は狙撃手に無い。
槍が狙撃手の肩に突き刺さり、動きが止まる。
その瞬間を見逃さず、威鈴がペイントボールを狙撃手の足元へ投擲。足場となっている枝に衝突したペイントボールが弾け、中身が狙撃手の足元を赤く染める。
「こうなったらもうただのカモ撃ちやね。うちに見えたら――おしまいやで?」
塗料越しに狙撃手が未来の方を向いたのが分かる。
そしてその行為は、彼女が告げた通りお終いへ続く挙動であった。
得意気な笑みを浮かべる未来の左目が、赤く輝く。
殺傷能力を帯びた視線が姿を消した狙撃手を貫くと同時、動きを制限しようと纏わりつく。
それでも狙撃手は意地を見せた。魔眼がもたらす重圧を振り切り、何とか包囲網を抜けだそうと更に枝を蹴る。
「遅れた分取り戻すぞストレイシオン、あそこだ!」
やや遅れて戦場へ辿り着いたストレイシオンの喉の奥から放たれる雷が、悠人が指し示す枝を焼き落とす。
落とした枝は、狙撃手が着地する予定だったはずの枝。
収まるべき足元を失い落下する狙撃手を守ってくれる物など、空中に存在するはずもなく。
「まずは……一つ……」
ただ落ちていくしか出来ない赤色を狙い澄ませて、威鈴が構える狙撃銃の引鉄が引かれる。
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「地上班、一体撃破です!」
グリフォンの突進を回避しながらチヒロが発した声は、グリフォンの抑えを続ける三人にとって待ち望んだものだった。
一方向のみを気にすれば良い状況に変わったことは、かなりの負担軽減に繋がる。
「流石だね…ところでチヒロ、代わろうか?」
「大丈夫です! Juliaさんは上からの押さえつけ、続けてお願いします」
上から下へと攻撃する方が勢いが付く分楽なのは、グリフォンも変わらないのだろう。
戦闘が始まってしばし経つが、上を取るJuliaと海峰よりも、グリフォンよりも低い位置に居るチヒロがやたらと狙われる。
けれど、分身を再度補充しながら返る声にはまだまだ余裕がありそうだった。
上から二人がグリフォンへ攻撃を重ね続けているため、グリフォンがチヒロに集中しきれないことも一つ要因であろう。
『こちら地上班です。もう一方の林へ移動します。
道路を突っ切りますので、その間出来るだけグリフォンの気を引いていて下さい』
「こちら空中班、了解! ってことです。もう少し頑張りましょう!」
「分かった。蝋の雨に気をつけろと伝えておいてくれ」
無線越しに発せられる征治の声は当然、上からグリフォンへ攻撃を重ね続ける二人にも届いている。
ちらと海峰は下を見遣る。
蝋の雨を警戒してか、ある程度の距離を開けている地上班がタイミングを伺っているのが分かる。
出足さえきちんと護ることが出来れば、グリフォンが反応するよりも早く地上班は道路を横切ることができるだろう。
空中班が三方向からグリフォンを攻め立て、その隙に地上班が道路を突っ切る。
言葉に出さねど撃退士達が思い描いたシナリオは、そんな筋書き。
けれど、それを描くための第一歩として三対の翼が動いた直後、Juliaが狙われた。
狙撃手への警戒は怠っていないし、分身が撃たれた方向から大まかな位置は把握している。
しかし、相手も移動する以上何処から狙われるか分からないという前提は完全に覆ってはいない。
故に、狙撃手が本物を標的を定めた時、放たれる弾丸を回避するのは困難を極める。
「あっ……ぐ、っ!!」
Juliaの翼に、弾丸がめり込む。
一撃で昏倒するような事態は発生しなかったが、彼女はバランスを崩し僅かに高度を下げてしまう。
そして、それを眼で追うグリフォンは、丁度地上を駆ける撃退士達が何人も居ることに気が付いてしまった。
慌てて抑えに入ろうとする海峰とチヒロを無視し、一息で地上目掛けて急降下。
狙われたのは威鈴。
大きくなる上空からの影に気づき左右へ飛ぶことで狙いを逸らそうとしたが、その努力も虚しくグリフォンの足に捉えられてしまう。
「威鈴!」
「……任せて。浪風さんはスナイパーをお願い」
このままでは威鈴が地面に叩きつけられる。
悠人がグリフォン目掛け足を向けかけたが、それよりも早く空を滑るように桃色の影――Juliaが落ちてくる。
捕まった威鈴が放り投げられた瞬間、威鈴と地面との間に割り込み、彼女を受け止める。
それを見て、悠人は安堵の息を一つ。頼んだ、と言葉を残して改めて林の中へ消えていく。
威鈴のことが心配ではある。けれど、やるべきことがあることも理解している。
既に征治は林の中、先程狙撃が行われたと思わしき地点まで移動し、眼を閉じている。
閉じた瞼の闇の奥で感覚だけが鋭くなり、周辺生物全ての居場所がアウルを通じて彼の脳内に入力されていく。
一体目の動きから考えれば、この短時間で生命探知の範囲から狙撃手が抜け出ていないことは、ほぼ確定事項。
仲間がいて、グリフォンがいて、そして――
「――そこだ!」
目を見開き、ペイントボールが投擲される。
中空に向けて放たれたそれは、枝の上に陣取っていた透明な何かに命中し、血のような印を刻みつける。
「ストレイシオン! その赤を狙え!」
征治から逃れるように赤が動き始めたが、立ち塞がるように悠人が再度ストレイシオンを呼び出した。
世界に顕現するや否や放たれた雷撃は、逃げる狙撃手をほぼゼロ距離で捉える。
びくり、と赤が痙攣し、枝の上から落下する。身体が痺れたのか、そのまま移動する様子はない。
いくら姿を隠すことが出来ても、こうなった狙撃手に死以外の末路が訪れるはずもない。
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威鈴を受け止めることには成功したJuliaだったが、受け止めた時の衝撃は存外重い。
翼を撃ち抜かれたことも手伝って、動きが鈍っているのが自分でも分かる。
「蝋の雨が来る! 直ぐに離れろ!」
海峰の警告。弾かれたように上を向いた直後、熱の塊がひとしずく、頬を濡らす。
本日快晴、時々蝋の雨。
「……行って!」
威鈴を雑木林の方へと突き飛ばすようにしながら、痛みを叫び続ける翼に鞭打って再度、空へ。
蝋が翼に纏わりついて羽ばたくことを邪魔する。
僅かに胸元のペンダントに触れ、羽ばたき一つで固まりかけている蝋を払う。
母が与えてくれたこの翼は決して、蝋細工の見世物であることを良しとしない。
手折れぬ翼が空を駆ける。
左手に持つ古びた刀が何処を狙えばいいか、最適解をコンマ一秒毎に予測し、補正し、修正し。
「背中ががら空きなんだよ! 食らえ、忍風斬撃ーッ!!」
「堕ちてゆけ。それが、神話に謳われる蝋の翼の末路なのだからな」
手折れぬ翼が降り注ぐ。
本日快晴、時々蝋の雨。ところによって炎とチヒロが落ちるでしょう。
振り上げた刀と、落下の勢いと共に振り下ろされる忍刀がグリフォンの両翼を深く傷付け、まともに回避行動が取れない所に海峰が放つ焔色の蛇が蝋の身体を締め上げていく。
蝋の雨を降らせた上、海峰に与えられた熱もある。
グリフォンの翼に高度を稼げるだけの蝋が足りない。
「うちの視線からは逃げられへんのやで? ライブスタートや!」
赤く輝く未来の眼が、最早弱点まみれのグリフォンを得意気な笑みで睨めつける。
その眼と同様に赤く塗られたエレギギターから放たれる衝撃波がグリフォンを捉え――その翼を手折る。
落ちてゆく、落ちてゆく。
蝋の翼で空を駆ける生き物は、そうあることが定めなのだから。
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直ぐに車が道路を走るから、少しだけその場に待機して何事もないか確認して欲しい。
戦闘を終えたことを無線で報告すると、愛想のない声がそんなことを告げた。
だから、撃退士達は木陰に腰を下ろし、チヒロが持ち込んだカツサンドを食べながら談笑を続けている。
征治が最後のライトヒールで威鈴の傷を癒やし、額に浮かんだ汗を拭う。
狙撃手がほぼ分身ばかりを狙っていたために、空中で戦う三人の怪我がほとんど発生しなかったのは大きい。
お疲れさん、と未来が預かってくれていたカツサンドを受け取り、征治は木の幹に背中を預けてそれを頬張る。
少し離れたところでは、悠人と威鈴がJuliaへ戦闘中の礼を述べ、その隣で海峰がカツサンド片手にチヒロへチベットでの修行時代の話をポツポツと語っている。
そして、道路ではトラックが待ちわびていたと言わんばかりに道路を行き来している。
天魔に襲われているにも関わらず、今この島では夏祭りが開催されている。
そのためなのか、道路を進むどのトラックの荷物にも多くの荷物が積まれているのが見て取れる。
この道路が通ることで祭に必要な物資の流通がスムーズに進んだのだとしたら、この戦いは間違いなく種子島を護るためのものであったに違いない。
天魔に襲われているからこそ、人は今夏祭りを行おうと思ったに違いないから。
不意に、昼間にも関わらず大きな花火が打ち上げられる。
青空の下で咲く花火は、夜のそれと比べてとても見難い。下手をすれば音しか聞こえないようなこともある始末だ。
けれど、気付けば皆、その花火を見上げている。
ありがとう。そう言われているような気がしたからかもしれない。
夏は続く。
真昼に打ち上がる花火が、種子島の夏を彩っている。
(了)