●魂を喰らう山
新興住宅街の一角に、最初の失踪者である吉田仁志の家はあった。
「何事においても、精度向上というものは大事だねぃ」
学習机に鎮座するパソコンの中身を調べつつ、皇・B・上総(
jb9372)が苦笑する。失踪者たちの位置情報からは役立つような真新しい情報は見つけられず、それならばと水竹 水簾(
jb3042)を手伝って仁志の部屋を調べていた。
「ところで、なぜこの子は山桜のことばかり調べているのかねぃ?」
「遊び場に生えているのかもしれないな。……ん?」
水簾が、参考書や問題集に隠れるようにして本棚にしまわれていたノートを引っ張り出す。
「見つけたぞ。吉田君の冒険の軌跡だ」
「ほう!」
表紙に「冒険の書」と書かれたノートを、水簾が机に広げる。そこに書かれていたのは、仁志が今まで冒険をした場所のまとめだった。
「どうやら、何枚もメモをとり、最後にノートにまとめる子のようだな」
「几帳面な子さね。どれどれ……」
最新の遊び場と思しきもののメモを、2人掛かりでチェックしていく。ややあって見つかった場所のメモには、
「「……枯れ木の洞穴?」」
そんなタイトルが付けられていた。暫しの思案の後、水簾がポンと掌を叩いた。
「なるほど、枯れ木は山桜のことか。物によっては葉が赤茶色をしていたりするからな。吉田君は初めて山桜を見て、枯れ木だと思ったんだろう」
「なるほどねぃ。花の咲く枯れ木に、謎の洞穴。なんとも子供心をくすぐる組み合わせさね」
メモによると、山中で山桜が2本並んで立っている場所の、その木の根元に洞穴の入口があるようだった。
「さて、それじゃあ現地班にも連絡して、速やかに場所を特定しようじゃないか。生存の確率がゼロでない場合はその分生存率が上がるし、効率的に動けば我々も無用に疲れずに済むのだよ」
まるで冒険ごっこを楽しんでいるかのような余裕の笑みで、しかし瞳の奥には真摯な光を宿し、上総が椅子から立ち上がった。
その頃、警察の聞き込み時に渋い顔をしたという老人、武田國春の家では。
「うふふ、話をしたら罪悪感も薄れるわよ」
「ひぃぃぃそんな甘言には乗らんぞぉぉぉ」
古い話を聞くのは好きなせいかどこか楽しげなクレール・ボージェ(
jb2756)の誘いに、國春が必死に抵抗していた。
「あらあら、意地になっちゃって。ほら、我慢はやめて楽になりましょう?」
クレールの蠱惑的な笑みに、國春が念仏を唱え出す。彼の陥落は時間の問題だろうが、それを待つ余裕はない。面倒なことはさっさと済ませたいとばかりに、功刀 夏希(
jb9079)は國春の前にそっと座った。
「昔あの山であったという儀式について、部外者の私たちが何かを意見するつもりはありません。人の心を支える為に信仰が必要だったのは、理解しています」
もっとも、人の命が支払われるなどもってのほかだが。迷信はあまり信じない夏希だが、正直に話せばこじれてしまうのが分かっているので、言葉選びは慎重だった。
「ですが、今またあの山に人命が関わっているのです。彼らと彼らの家族を助ける為にも、どうか、語っていただけませんか」
誘惑するクレールと、頼み込む夏希。2人を交互に見ていた國春だったが、ゆっくり深呼吸をすると、思い出を辿るように語り出した。
「儀式があったのは、儂の爺様が子供だった頃までの話じゃよ。しかし『あの山は魂を喰らうから、立ち入ってはいけない』と、儂らは厳しく言い聞かせられて育ったんじゃ。それゆえ、地元の者ならば絶対に近づかない。近くを歩いているだけで、親にぶん殴られる。そういう場所だったんじゃよ。……行方不明になっているのは、新興住宅地のお子さんじゃろう?」
すっかり冷めた茶を啜ると、國春は仏壇を見やった。
「……実は子供の頃、好奇心から山に入ったことがあるんじゃ。飼い犬のコロを連れて、冒険気分でな」
妻と思しき遺影の隣には、すっかり色あせた犬の写真が飾られていた。
「山の中ほどじゃったかのう。熊笹が生い茂る場所があってな、かき分けた先でそれは見事な山桜が生えているのを見つけたんじゃ。見とれて近づいたそのとき、コロが急に地面にはまったんじゃ。引っ張り上げようとしたんじゃが、木の根元に小さな穴があってな……そこから何かがコロを引っ張ってたんじゃ。儂は怖くなってしまってなぁ。コロが必死に助けを求めているのを知っていながら、手綱を離して、儂だけ逃げ帰ってきてしまったんじゃ」
蘇る罪悪感に、國春が涙を浮かべる。
そんな彼にお礼を言い、仏壇に手を合わせると、クレールと夏希は武田家を出た。
目指すは、魂を喰らう山だ。
「手がかり、手がかり……ないなぁ……」
木の梢に頭頂部がこすれているのも構わず、鷹之氷野(
jb8916)がぼそりと呟く。立ち止まって一息つく超長身の氷野の隣では、彼とは正反対に超小柄な鴉乃宮 歌音(
ja0427)が白衣の袖で額の汗を拭っていた。
「熊笹の生えている場所に、2本の山桜か」
市街地で行動中の仲間たちからの情報によると、山の中腹部分に2本の山桜が生えている場所があるらしい。赤茶色の葉をした立派な木らしいが、果たしてどこにあるのか。
目印のカラーテープを木の幹に貼り、力を借りることのできる小動物はいないかと、歌音が周囲を見回したそのとき。
「……あの木、山桜じゃないか?」
氷野が歌音をひょいと持ち上げた。氷野の視界を共有するにはこれが一番効率がいいと、2人で山中を探索するうちに気付いた方法だった。
「赤茶色の葉と花っぽいものが見える」
「行ってみよう」
手がかりがあるのならと、ハイパー凸凹コンビが揃って目的地めがけて走る。
近づくにつれ、地面にじわじわと異変が広がり始めた。
なんでもない山道に、何かを引きずったような細い跡が付き始める。歌音を先頭に注意深く辿った先は、熊笹の生い茂る獣道。更に進んだそこには――。
「ああ、これは見事だ」
「だなぁ」
山桜の大木が2本並んで立っていた。赤茶けた葉の間には可憐な花が咲き誇り、陽光の中ではらはらと花弁が風に舞っている。まるで夢のような光景だったが、地面には明らかにもみ合ったような無数の足跡があった。
用心して接近した木々の根元にあったのは、大人1人が這ってぎりぎり入れるような小さな穴だ。元々あった入口を土で埋め立てようとしたような、不自然なほど狭い、だが子供の興味をそそる暗闇への入口が、そこにはあった。
●前へ、前へ。
入口の見た目とは対照的にしっかりと掘られた通路を、ペンライトの光が照らす。
「ヘンゼルとグレーテルみたいだな?」
転々と置いてきた蛍光塗料付きの石を見やった氷野の言葉に、水簾が思わず苦笑する。
「これなら食べられてなくなることもないだろう?」
大きな物体を引きずったような跡に誘われるように、湿り気のある道を進んでいく。
そのとき。
道の奥から近づいてくる何かを引きずるような音が聞こえてきた。目線を交わし頷き合うと、得物を構えて息を潜める。
呻き声と共に姿を現したのは――地面を這いずる1人の若い警官だった。
「きみたちは、人間か」
水簾たちの姿を見るなり、手酷い暴行を受けた様子の警官は地面に突っ伏した。すぐさま助け起こそうとした氷野を、水簾が一旦止める。
「両足と右腕、骨折しているね?」
「化け物に2匹掛かりでやられたんだ。奥に……俺を庇って化け物にやられた先輩がいる。どうか、せめて街へ連れ帰ってやってくれないか」
この奥は1本道で、化け物たちはどこかへ行ってしまったと伝えると、警官は意識を失った。
水簾と氷野が2人掛かりで、気絶した警官を、次に奥で息絶えていた警官を洞穴の外へと運び出す。外で待機していたのは、夏希の呼びかけに応じて集まってくれた救護班だった。小さな町の連続失踪事件に撃退士が介入し、その上地元民の中でも年長の部類に入る國春が禁忌を承知で協力するとなれば、危険が伴うと分かっていても協力したがる者がいた。
警官たちを外へ運び出した直後、洞穴内に銃声が響いた。別の道を進んだ歌音のものだろう。
その音が、救えなかった命に悔しさを噛みしめていた水簾の中で何かを弾けさせた。うつむいた彼女の口元に、うっすらと笑みが浮かぶ。父譲りの赤い瞳に、好戦的な光が宿った。
水簾であって、水簾ではないものが、銃声が聞こえた道へと歩き出す。
「ああ、久しぶりの外の世界……」
緊迫した状況に似あわぬ官能的な声色で呟くのは、もうひとりの水簾――白羅だった。
●死という名の平穏を
夏希の動きに合わせ、激しく揺れるライト。
ディアボロを小部屋に入れまいと攻撃を続ける、歌音の発砲音。
触手のように動く白髪を武器に、歌音へ迫るディアボロ。
先ほどまで気絶した仁志だけがいた洞穴内の無音の小部屋は、いまや戦場と化していた。
「もう無理だよ、もういいよ……」
「無理なんかじゃないです。必ず助けますよ」
微かに意識を取り戻した仁志を背後に庇いつつ、夏希が必死に歌音の援護射撃を続ける。
小部屋の入口でにらみ合う歌音とディアボロが、互いの足元を狙って攻撃を繰り出す。
「逃ガサナイ……逃ガサナイ、逃ガサナイ逃ガサナイ逃ガサナイ!!!!!」
仁志に飲ませるつもりだったのだろうか。大きな葉に汲んだ水を大切そうに持ったディアボロが、長い白髪をゴムのように伸ばし、歌音の片足を絡めとる。
思わずよろめいた歌音だが、射撃の手を止めることはなかった。己へと伸ばされた髪を乱暴に撃ち散らせると、再び攻撃へと転じる。
瞬間。
「見ぃつけた」
楽しい玩具を見つけたかのような、しかし艶のある女の声が通路に響いた。棒状に凝縮したアウルを幾本も手の内に生み出し、水簾もとい白羅がディアボロに背後から迫る。
「さ、遊びましょうよぉ!!!!!」
全身のばねを生かした鋭い攻撃が、ディアボロの背中に、腰に、次々と決まった。
ディアボロに一瞬の隙が生まれたのを見逃さず、歌音の銃口がディアボロの足元から胴体へと照準を定める。
「あなたの役目は終わりました」
足止めではなく、旅立たせる為の一撃を。
「もうあなたを責める者は誰もいない」
清廉な白い霧が立ち込める中に、歌音の凛とした声が響く。
「安らかにお眠りなさい」
引き金を引く、細い指。
弔いの言葉を乗せて放たれた一撃は、ディアボロの胸を真正面から貫いた。
●自由への標となりて
じゃらり、じゃらり。
足首の枷から伸びる鎖を引きずり、湿り気のある道をディアボロが進む。明かりなど不要。足元に転がる目印替わりの菓子類の包み紙などなくとも、ディアボロが立ち往生することなどなかった。
背後から人工的な明かりに照らされ、更に目の前に1人の悪魔が出てくるまでは。
「うふふ、どこに行くのかしら?」
壁から姿を現し、ディアボロの正面に立ちふさがる悪魔が微笑む。もちろんディアボロの主ではない。キメリエスハルバードを手にしたクレールだ。
ディアボロの背後では、ランタンを携えた上総がカラーボールを振りかぶる。
「キミたちが元々何であったかはおおよそ見当がつくが……運命ってやつさ。悪く思わんで欲しいねぃ!」
言うなり、上総がカラーボールを放り投げた。完全に足を止めていたディアボロの背中にもろに当たり、派手な染料が飛び散る。
直後、ディアボロが凄まじい勢いで上総に向き直った。ぞろりと長い髪が、胴からはみ出した肋骨が、急成長する植物のように上総へと一気に伸びる。
「おっと、ボクの方がお好みかな!? 」
ある程度距離を保っていたおかげですぐさま防御に転じることができた上総だったが、それでも狭い通路では全てをうまくやり過ごすことができず、白い肌に細やかな切り傷が次々と刻まれていく。
なおも上総に向かおうとするディアボロを止めたのは、クレールだった。
「自由になりたいなら、私が解放してあげるわよ。かかってきなさい」
形のいい唇でホイッスルを吹き鳴らすと、クレールは黒い斧槍を突き出した。挑発的な一撃をまともに受けながらも、ディアボロが標的をクレールへと変えて髪を触手の如く伸ばしてくる。しかしそれらはハルバードに巻き取られ、力任せにぶちぶちと引きちぎられた。
「閉所じゃ射程を武器にできない分、嫌がらせに比重が偏るわけさね」
上総が呼び出した異界の腕たちが、ディアボロの体へと絡みつく。
「やっと見つけたー……」
上総の背後から突然現れたのは、氷野だ。クレールたちが残した痕跡を追って加勢に来た彼が放つアウルの弾丸が、上総の攻撃と共にディアボロを背後から攻め立てる。
「生贄……嫌な響きね」
クレールがハルバードを大きく振りかぶった。
ロングコートが、豪奢な赤い髪が、まるで翼のように広がる。
「自由がないぐらいなら、楽にしてあげるわ」
全てを断ち切るように、振り下ろされる刃。
ディアボロに、その一撃を逃れる術などなかった。
一瞬の静寂の後、それに真っ先に気付いたのは氷野だった。
「何か聞こえる」
長い指が道の先を指す。示されるまま耳を澄ませたクレールと上総の耳に聞こえて来たのは、
「誰かいるのかーーー!」
「仁志くんなのーー!?」
なんとも元気な2人の少年たちの声だった。
●安寧の在処
「チョコは好きかしら? あげるわ」
「マジで!? ありがとうお姉ちゃん!」
2人揃って柱に繋がれていた少年たちに、クレールが持っていた菓子を差し出す。ディアボロによる暴行の痕跡はあるが、それでも思った以上に元気な少年たちは己の足で立ち上がり、歩き出した。
「何日も怖くなかったのかねぃ?」
一旦脇道に寄せたディアボロの死骸が子供の視界に入らないよう、巧みに立ち位置をキープしつつ問う上総。そんな彼女に、少年が疲労の色はあるもがそれでも笑みを返してきた。
「ずっと2人一緒だったから、化け物も大丈夫だったよ。そういえば、仁志くんは見つかった?」
「んー……外にいる人に、聞いてみよう」
洞窟の出口で、水簾が子供たちに手を差し伸べて出るのを手伝ってやる。
一同を迎えたのは、救護班と保護者たちの歓声だった。そんな中で仁志の姿を探し、少年たちがきょろきょろしていたそのとき。
「見つかったぞ、と」
仁志を背負った歌音が洞穴から出て来た。行方不明者全員の発見に一同が湧き上がる。
「武田さん、これ洞穴に落ちてました」
仁志に水を与えつつ同伴していた夏希が、國春に犬用の首輪と思しきぼろよれの物体を差し出す。それを抱き締めると、國春はその場に泣き崩れた。
「担架あるか? 意識はあるが、かなり衰弱しているから頼む」
見た目に反してパワフルな歌音の背中から担架へと映った仁志に、彼の両親と友人の少年たちが駆け寄る。
「もう危険なところに入るなよ?」
少年たちに声をかける水簾と、仁志の目線がぶつかる。
「……ここが、ラストダンジョンだよ」
花びらの舞う中で、少年は微笑んでいた。