●心は雲を抜けた先
粉砂糖のようにうっすらと雪が降り積もった広場に、6人分の足跡が刻まれていく。
「屋上の監視は1時間おきのローテーションとしましょう。班分けは、先ほどのように」
作戦の最終確認を進めるのは、ゆきわんこのぬいぐるみを抱き締めたコリトス=ポリマ(
jb8030)だ。
「携帯やスマホの音やバイブは切っておきましょう」
「敵が階下から来た場合、屋上監視班は仲間の到着まで、一旦屋上に出なければならないだろう」
コリトスに続いて言葉を紡ぐのは、凪澤 小紅(
ja0266)だ。
それにしても、と小紅は思う。
(「屋上で吠える、ね。変な敵もいたものだな。だが、早く排除しなければな」)
「よく屋上で遠吠えをしているということですが……いったいどういうことなのでしょうか?」
小紅がハッとしたように発言者を見る。同じようなことを気にしていたのは、樒 和紗(
jb6970)、音海 宗佑(
jb7474)らと共に見取り図を再度確認していた神坂 楓(
jb8174)だった。
見取り図を一通り見たのか、楓が小脇に抱えていたファイルを開く。それに挟まっているのは、依頼者を通じて集めた行方不明者に関する情報だ。
「行方不明の朝倉大輔さんですが、ディアボロが遠吠えをするという研究棟によく出入りしていたそうです。よく屋上に出入りしていたと、友人や同じ研究室のメンバーからの話があります」
ファイルに記載された大輔についての情報には、彼が遠距離恋愛をしていたことまで書かれていた。
屋上によく出入りしていた大輔と、その屋上で遠吠えを繰り返すディアボロ。
両者の接点がどこかに隠されているのではないかと、楓は資料をこれでもかというほど見つめた。
彼女の隣からファイルを覗いた宗佑が、やりきれない様子で僅かに眉根を寄せる。
大輔は被害に遭ってしまったのか、それともディアボロになってしまったのか。どちらにしろ、生存の可能性に繋がる情報が見当たらない。
「俺とそんなに歳変わらないじゃないか……くそっ……」
ファイルに挟まっていた学生証のコピーを見た宗佑の呟きに、楓が顔を上げた。おそらく同じ推測を抱いているであろう楓の瞳は、悲壮な光を宿していた。
「……わかってる。依頼だ、切り替える。憤るのは終わってからにするさ」
そんな2人のそばで、和紗は曇天を見上げていた。
(「遠く遠く……何へ向かって吠えているのでしょうか。見上げる空に、空の向こうに何が?」)
舞い降りてくる粉雪に問うように、心の中で呟き――和紗は首を小さく横に振った。
(「……まあ、考えても詮無いことなのかもしれませんが」)
意識を仕事に向けようと、和紗が口を開く。
「行方不明者については、生存の可能性と……死よりも最悪の可能性、この2つを考えて行動しましょう。発見できたときは、隠れて待機してもらう、ということでお願いします」
その言葉にコクコクと頷き、カレイドスコープ(
jb8089)が気だるげに口を開いた。
「……それじゃあ……僕と音海殿がまずは屋上の監視だね……」
●きみを探している
鉛色の雲から、飽くことなく降り続ける。髪に、肩に、そっと積もる。
「……雪は嫌いだ……」
無意識にふれたそこに、あるはず左腕の感触はない。
無人の屋上で空を見上げるカレイドスコープの呟きは、静寂へと吸い込まれていった。
その頃、カレイドスコープと同じ3班の宗佑は屋上へ続く階段を監視していた。廊下のほぼ端にある古い資料室からは、階段も、廊下も、どちらもしっかり監視できる。
目と耳に全てを集中し、待ち続け――。
「……そろそろ交代の時間だな」
廊下に何者の気配もないことを確認すると、宗佑は資料室からそっと滑り出た。
お互いの死角をフォローし合うように警戒しつつ構内を探索するのは、2班の和紗とコリトスだ。
「ところでコリトス、そのぬいぐるみは……」
「あったかいですよ」
プリティなぬいぐるみを抱き続けていたコリトスが、和紗にみかんねこのぬいぐるみを差し出す。
「もうひとつあるので、いかがですか?」
空調が切られた無人の構内。廊下は息が白くなるほど寒い。コリトスに勧められるままに触れたぬいぐるみのほのかな暖かさに、少し心が和む。
気付けば、和紗はぬいぐるみを抱いていた。
温もりを味わいつつ、もう片方の手で手鏡を操る。曲がり角の先を確認した瞬間、和紗の表情が変わった。
手鏡にちらりと映ったのは、こちらに背を向けて歩いている、有翼の人狼――今回のターゲットであるディアボロだった。
和紗が己のアウルをこっそり打ち込んでディアボロに印をつける間に、コリトスが仲間への合図を送る。
無言で頷き合うと、2班はディアボロの追跡を開始した。
3班と交代して屋上の監視をしていた1班の小紅と楓が、2班からの連絡に息を呑む。ディアボロが見つかったのは、2人がいる屋上への階段の踊り場からさほど遠くない場所だ。
それに気づいた直後、小紅は階下からの気配に気づいた。楓もまたそれに気づき、小さな体を僅かにこわばらせる。
『来た』
ただそれだけのメッセージを手早く皆に送信すると、小紅は楓を連れて屋上へと出た。雪上に足跡を残さないよう、壁際を移動する。
2人が給水塔の陰に潜んでからややあって――屋上に、獣の気配が満ちた。
●声は今もここに
一対の翼を持つディアボロが、緩慢な動作で屋上の中心へと立つ。その特徴的なギョロ目で北の空を見つめ、ディアボロが静止した直後。
静寂を切り裂くように、矢が放たれた。狙い澄まされた一射が、ディアボロの翼の付け根に深々と刺さる。
唸り声を上げて振り向いたディアボロの視線の先にいたのは、和紗だ。
「和紗さん、そのまま右です!」
戦場の様子を注意深く観察する楓の声に、ディアボロの背後へ回ろうとする和紗が動く。
そんな和紗の後ろから、ささやかな雪煙を上げながら赤い光が飛び出した。
「動けなければその羽も役に立つまい」
縮地で一気に踏み込んできた小紅が、身の丈を遥かに越える大剣を豪快に薙ぐ。鋭い殺気を伴った一撃は、ディアボロの脇腹にまともに決まった。
一瞬大きくふらついたディアボロだったが、その目に光が戻る。同時に、風切音が響いた。粉雪を舞い上げて放たれたキックが、小紅へと迫る。
避けきれない。瞬間的に悟った小紅を支援したのは、
「風よ。俺の仲間を守ってくれ」
宗佑の巻き起こす風だった。ふわりと体を包み込むそれに助けられ、小紅がディアボロの攻撃を紙一重でかわす。
「知能もなさそうな君に呼びかけてもしょうがないが、そんなに遠くへ叫びたいなら、遠くへ行かせてやろう」
翼で上空へと舞い上がったコリトスが放つ弾丸が、ディアボロの肩を掠めた。
「ああ、厄日だ……」
間延びした呟きをこぼし、カレイドスコープが気だるげにパイルバンカーを構える。
「まあ、きみのだけどね……。僕自身、少しばかり機嫌が悪いんだ……」
カレイドスコープのゆっくりとした歩みが、徐々に小走りへと、そして疾走へと変わる。
「……悪いけど、八つ当たりをさせてもらうよ……」
全体重を乗せた渾身の一撃が、ディアボロの腰に吸い込まれるように決まった。完全に注意が他に向いていたディアボロが派手に転がり、粉雪が舞い上がる。
「もう1度行くよ……」
カレイドスコープが、頭上のコリトスに視線を送る。言葉の意味を理解したコリトスが、小さく頷いた。
立ち上がったディアボロに、カレイドスコープが再び攻撃を繰り出す。しかしそれは先ほどのものと全く同じ軌道――いや、むしろ清々しいほどの大振りの一撃だった。
ディアボロが余裕とでもいうように回避した瞬間。
「……おとなしく塵となるがいい!」
コリトスの放った弾丸が、ディアボロの腕を穿った。
よろめいたディアボロが、己の頭上に舞う天使をゆっくり見上げる。
大きく裂けた口がゆっくりと開き、無数の牙が露わになる。
「させるかよっ!!!!!」
厄介な攻撃の予感にいち早く動いたのは、宗佑だった。叫ばせてはいけない。必死で繰り出した鞭状のアウルが、ディアボロの腿をしたたか打ち付ける。
「ほら、目の前の私に集中しろ」
同じタイミングで動いた小紅の振るう白刃が、ディアボロを切りつける。
ディアボロが大きく息を吸う。
今まさに遠吠えをしそうな気配が満ちた、そのとき。
「サヨナラ、だ。……自ら思考できなくなったら、もはや生きている意味もなかろう」
コリトスが至近距離から放った弾丸が、ディアボロの喉へと吸い込まれた。
声を上げることすら叶わぬディアボロの口から、ごぼり、と血が溢れ出す。なおもあがこうとするその背中に、和紗が狙いを定めた。
最期のそのときも、このディアボロは空へ向かって吠えるのだろうか。
空の向こうのどこかへ、言葉にならぬ声を届けるように。
もしもそうなのならば。
失われた声が聞こえるのなら。
「俺には、その声がとても哀しく感じます……」
炎のようなアウルを纏った矢が、ディアボロを背後から貫いた。
空を仰ぎ、吠えるような姿のディアボロがゆっくりと倒れる。二度と動くことのないその体を見下ろし、カレイドスコープが懐からシガレットチョコを取り出したそのとき。
どこからともなく電子音が響いた。
この場にそぐわぬそれは、少し前に流行ったラブソングだ。周囲を見回していた楓が、屋上に端に溜まっている雪から聞こえていることに気付く。
小さな手で掘り当てたのは、黒いスマートフォンだ。表示された電話の相手は――大輔に関する情報にあった、交際相手の名前だ。
出てもいいのだろうかと悩む間も、歌は響き渡る。
「朝倉さんを元に戻すことは叶わないとしても……」
楓の両手に力がこもる。
「大切な人たちに、可能な限り、朝倉さんの言葉を残せるようにしてあげたいと思うのは、わがままでしょうか」
楓の方に、宗佑がそっと手を置く。
その光景を見ながら、カレイドスコープはシガレットチョコを咥えた。
「神様というのは残忍で残酷なものだね……。相変わらずに……」
見上げた空からは、飽くことなく雪が降りてくる。
まるで白い羽根のように。
全てを埋め尽くすように。
雪は、ただ静かに舞っていた。