●準備万端整えて
「皆、手筈は宜しくて?」
作戦のために借りた空き教室のホワイトボードを背に、桜井・L・瑞穂(
ja0027)が教卓にパンと手をついた。そうしてしまってから、教卓の埃っぽさに気づいてさっと手を払う。
「…はい。準備、できました」
「こちらも大丈夫」
瑞穂の声に訥々と答えたのは篠宮 潮音(
jb0722)と平野 渚(
jb1264)だ。二人ともお喋りなタイプではないのだろうが、簡潔にすぎる二人の答えにフォローを入れるように、藍 星露(
ja5127)も指折り数えて確認をする。
「みんな恋子さんと木葉くんの写真は確認したよね。この時間、人気のないだろう場所も確認済み。あと先生たちや斡旋所の人たち、一部の生徒たちへの根回しも、ちゃんと出来ています」
準備は万端、です。最後にそう付け加えてにこりと微笑む星露。瑞穂はその答えに大きく頷くと、ぐっと掌を握りしめる。
「それでは、行きますわよ!不器用で世話の焼ける後輩たちに、手を差しのべてあげませんと!」
「そうだね、両思いなのにくっつかないなんてもったいないよ!」
元気よく瑞穂に同調した雨宮 祈羅(
ja7600)も含めて、やる気十分に教室を後にしだす女性たちに対して、子供ながら唯一の男性である時駆 白兎(
jb0657)はだいぶ冷めた感覚を持って呟く。
「本当に女性はこういう話が好きですね。僕としては、依頼を達成してお金がもらえればそれでいいんですけどね…」
その白兎の声は、誰に届くでもなく、彼一人しか居ない教室に響いた。
●脳筋、鬼恋子の昂揚
「そこの貴女!そう、貴女ですわ、鬼恋子!」
放課後の昇降口。失意にしょぼくれ、猫背になりながら下校しようとここまでやってきた恋子は、鋭く飛んだ自分を呼ぶ声にびくりとして辺りを見回した。しばらくはふらふらと視線を彷徨わせた恋子だが、すぐに声の主に心当たりをつけて、おずおずと返事をする。
「は、はい…なんでしょう?」
恋子を呼んだのは、放課後の西日を背に昇降口の扉を塞ぐように立った五人の生徒。その真ん中に立つ背の高い女子生徒が声の主らしい。恋子の返事を聞いたその女子生徒は、斜に構えたその立ち姿から今度は足を肩幅に開くと、ブレのない優雅な、それでいて機能的なウォーキングで恋子に詰め寄ってくる。残りの四人もその後に続いて恋子に近づき、半分取り囲まれるような形になった。
「悪いけれど、ちょっと一緒に来てくれるかなぁ?」
にこにこと優しそうな笑顔でそう言う女性に若干ほっとしたのも束の間、その隣にいるモデルのようにすらっとして女性的な面立ちをした男子生徒が発する真逆のトゲトゲとしたオーラにまた萎縮してしまう恋子だったが。
「ん、大丈夫。お話するだけ」
更に隣のツインテールの頭に無理矢理「安全第一」と書かれた黄色いヘルメットを被った少女の呟きに、恋子はピンとその意図をくみ取る。
(拳でお話、てこと…ね?)
そう覚悟を決めてしまえば、恋子はすうと深呼吸をして、肝を据える。相手の大半が多分、自分より手練れであることは解った。
(何でこんなことになったのかは解らないけど…)
だが恋子の残念な筋肉脳はその状況を楽しみだしていた。
「では、鬼恋子さん、こちらへ…」
高く結ったポニーテールと顔を覆う大きなマスクと眼鏡がミスマッチな小さな女の子が明らかな作り声で恋子を校舎外へ誘った。
がっちりと四方をガードされるような並びで恋子が連れて行かれたのは、校舎から少し離れた体育館。その一階に作られた、学生たちにはピロティと呼ばれる吹き放しの広場であった。
体育館ではたくさんの生徒が部活に励んでいるが、一階のピロティ部分は昼間でも薄暗く、校舎からは樹木に隠れて死角になっていることもあって、あまり人が近づかない。(七つ以上あると専らの噂の)久遠ヶ原七不思議の舞台にもなっているくらいだ。
「で、何の用件ですか?」
恋子はとんとんとその場で軽い足踏みをして戦闘態勢に入りながら、自分をここまで連行してきた五人をぐるりと見回す。
すると、初めに恋子を名指しした背の高い女子生徒が腕組みをして、ふぅとため息をつく。だが、その姿に一分の隙も見られない。
「貴女と杉下木葉のこと、聞き及びましたわ。なんでも、彼は午後の授業に出席しなかったというじゃありませんの。このままでは学業の妨げになりますし、風紀的にも…」
彼女の話はまだまだ続きそうだったが、その言葉を遮るように、先ほどから一番好戦的なオーラを発している女性的な面立ちの男子生徒が拳を作りながら声を発した。
「まぁ、要するに、だ。お前ら、ちょっと目に余るんだよ」
「…リア充撲滅」
「そういうことなの、ゴメンね」
彼に続いてツインテールにヘルメットの少女、優しそうに笑っていた女性さえもそれぞれに戦闘態勢に入る。
当の恋子は、その思ってもない私刑の理由に眉を寄せた。
「つまり私が負けたら、次は木葉くんを殴りにいくんだね…。そんなのは許せないよ!貴方達がいくら強くても、私は負けないから!絶対に木葉くんに手出しはさせない!」
「あら、強気な言葉ですのね。杉下木葉にそこまで入れ込む理由って何ですの?」
くす、と恋子の大口を少々嘲るような笑みで、背の高い女子生徒。その言葉に、恋子は至極簡潔に、自分の気持ちを吐き出した。
「木葉くんが好きだから!」
「よろしいですわ。それでは皆、いきますわよ!」
彼女のその言葉が引き金であるかのように、恋子は地を蹴った。
●使われていない社会科準備室にて
午後の授業も受けずに杉下木葉が何をしていたかと言えば、この使われていない社会科準備室に入り浸っていた。果たして、木葉は時間も忘れて放課後の今まで恋子攻略の作戦を練っていたのである。
今は主のないスチールデスクに座り、ぶつぶつと小声で作戦を練る木葉だったが。
「杉下ぁぁぁ!」
ガラガラガラッ!ピシャーン!
鍵をかけていたはずの社会科準備室の扉が勢いよく開き、エキセントリックな呼び声が木葉の耳を打った。
びくりとして扉の方を振り返る木葉の目に飛び込んできたのは、級友の平井ゆかりと、彼女に連れられているウサギの耳を模したフード付きの白いパーカを着た小さな少年。
あまりのことにぽかんと口を開けて二人を見ている木葉に、ゆかりはつかつかと歩み寄る。
「こんなとこで優雅に作戦練ってる場合か!」
「ちょ、ゆかりさん、なんでここが?というか、鍵はどうやって?」
目を丸くしてパニックになりかけている木葉に、ゆかりはキッと表情を厳しくした。
「そんなことはどうでもいい!それよりも…」
ゆかりはそこまで言うと一度息を呑む。そして、告げた。
「恋子が拉致されたのをこの子が見たらしいんだ!」
「!」
木葉は目を見開いて、説明を求めるようにうさ耳パーカの少年を見る。彼は伏せがちに落としていた視線を上げて、木葉に軽く頭を下げた。
「僕は小等部3年の時駆白兎といいます。以前の依頼でゆかり先輩と知り合って、恋子先輩のことも見知っていたんですが。先ほど昇降口で恋子先輩が五人組に校舎の外へ連れて行かれるのを偶然見たんです。僕が止められれば良かったんですけど…」
ごめんなさい、と口元に手をやってしおらしげに言う白兎の頭に、木葉はぽんと手を置いた。
「いや、五対一じゃ仕方ない。賢明な判断だよ。恋子ちゃんが何処へ連れて行かれたか解るかい?」
「は、はい。多分体育館の一階にあるピロティに…」
白兎が場所を告げたその瞬間、木葉は白兎とゆかりに背を向けて、がらりと校庭に面した窓を開ける。そして。
「ちょ、杉下!」
止める暇もあらばこそ、木葉はひょいと低い柵を越えるような感覚で窓の外に飛び出していった。ここは三階である。
社会科準備室に残されたゆかりと白兎は顔を見合わせた。
「まったく、アウルがあるからって三階から飛び降りるとか、ないわー…」
「…ちょっと自分に酔っていやしませんか?それとも、本当の本当に、恋子先輩のことが大切なんでしょうか…ね…」
今までのしおらしい少年の演技から本来の自分に立ち戻った白兎はそう言いながら辺りを見回す。
「ここはスレイプニルを召喚するにはちょっと狭いですね。とりあえず、校舎外までは自分の足で行くしかなさそうです」
●杉下木葉、推して参る
木葉は走った。
早く早く、恋子に危機が訪れているというならば救わなくては。
近いはずの体育館までの道のりがやけに長く感じた。
そして、やっとピロティまで辿り着いた木葉が見たのは。
「恋子ちゃん!」
冷たいコンクリートの床に倒れ伏している恋子と、その恋子を囲むように立つ五人の生徒たち。
「あら、やっと来ましたのね、杉下木葉。待ちくたびれましてよ」
木葉の姿を認めた五人のうち、背の高い女子生徒がそう言って前に出てくる。次いで、女性的な面立ちの男子生徒、優しそうに微笑む女性、ツインテールにヘルメットの少女も木葉に向き直る。
ただ一人、ポニーテールに大きなマスクと眼鏡をした小さな少女は恋子を確保するようにその隣から離れようとはしなかった。
「恋子ちゃんを返してください…」
静かながら、闘志を秘めた木葉の一言。だが、今度は優しそうに微笑んでいた女性がその微笑みを軽い苦笑にして、首を傾げる。
「んー、そうはいかないんだよねぇ」
木葉はぎゅ、と両の拳を握る。爪が掌に食い込んで肌を破りそうなくらい、強く強く握りしめる。
「なら、奪い返すのみ!」
ダン、と木葉が地を蹴り、一気に加速して女性的な面立ちの男子生徒に肉迫した。その加速の威力も乗せた重い拳の一撃が、彼の鳩尾に決まる。
男子生徒は苦しそうな声を上げて派手に吹き飛んで倒れ、動かなくなる。
一方木葉はバックステップで再び残り四人から距離を取っていた。
ヘルメットの少女がその木葉に追随するように飛び出し、ハリセンで一撃を加えようとするが、木葉はするりと避ける。逆に木葉は少女の腕を捕まえ、投げ飛ばす。少女はそのまま壁に激突し、床に踞った。
そのまま木葉は一歩だけ後ろに下がる。
木葉に掴みかかろうとしていた優しそうな女性は、一歩避けられてしまい、バランスを僅かに崩した。だが、木葉はそれを見逃さずに、背負い投げの要領で床に叩き付ける。
「…あと二人」
木葉が残った二人を睨み付けるように見た。
「姐さん…ちょっとヤバくないですか?」
「貴女は少し離れていなさい。わたくしが決着を付けますわ」
恋子の側にいた小さな少女が少しだけ不安そうな声で言うと、背の高い女子生徒は少女にそんな風に言って、少女をこの場から離れさせた。
二人きりになった女子生徒と木葉はじりじりと間合いをとりつつ睨み合う。
そして、ある瞬間、二人は同時に地を蹴り激突した。
●ハッピーエンド?
「恋子ちゃん、恋子ちゃん!」
何度も聞こえる自分を呼ぶ声に、恋子はうっすらと目を開いた。ぼんやりとしたその視界に映るのは、恋子の顔を覗き込むようにして心配そうな顔をしている木葉。
「木葉…くん?私、どうしたんだっけ…」
そう言いながら目を擦ろうとしたその時、恋子は経緯を全て思い出して急いで上半身を起きあがらせる。
「そだ!私、五人組にここまで連れてこられて…!」
そして、辺りを見回して、絶句した。
恋子をここまで連れてきた五人組、恋子は勝つことができなかった五人組、その四人までがそこかしこに倒れているのだ。
「こ、これ、木葉くんが倒したの?」
「うん」
木葉の言葉に、恋子は目を大きく見開いた。それならば、恋子が勝てなかった相手に木葉が勝ったというなら、間接的にではあるが恋子の出した条件を木葉はクリアしたことになる。
「す、凄いよ木葉くん!やっぱり、木葉くんは私より強いんだよ!だから…」
「うん、そうなる…のかな?…そうだけど…」
だが、木葉は肩を震わせて、恋子の体をぎゅっと力強く抱きしめた。
「こ、木葉くん!?」
「それよりも、恋子ちゃんが危ない目に遭ってる時に側に居れなかった自分が、許せなくなりそうなんだ」
木葉は、そっと背中に回していた手を恋子の肩に置き直して、まっすぐに恋子を見つめ。
「だからもう一度、聞いてもいいかな。君のことが好きなんだ。ずっと側に居させて欲しい。…いいかな?」
もう一度、恋子への告白。
恋子も、今度こそは間違わない。
「うんっ!喜んで!」
●ハッピーエンド!
ポポポポポンッ!!
木葉と恋子の想いが通じ合ったその時を狙ったかのように、その軽い破裂音はその場に響いた。何が起きたのか解らないうちに、紙テープまみれになる木葉と恋子。
二人がゆっくりと辺りを見回すと、木葉が撃破したはずの五人組が、床に腹這いになりながらもクラッカーを手にしているのだ。それだけではない。ゆかりや白兎の姿もあった。それどころか、幾らかのギャラリーまでその後ろには控えているではないか。
「…これは…どういう?」
「なんとなく、途中からそんな気はしてたんだけどね…」
呆然とする恋子が木葉を見上げた。木葉は少しだけ苦笑い。
「お芝居でしたのよ」
背の高い女子生徒、瑞穂がそう言いながら、ぱたぱたと服についてしまった埃を払いながら起きあがる。
「ゆかりちゃんから依頼をもらってね」
優しそうな微笑みの女性、祈羅はそう言ってふふふ、と楽しそうに掌を合わせた。
「貴方たちがすれ違っているようだからって」
女性的な面立ちをした男子生徒、男装をしていた星露が腹這いのまま頬杖をつく。
「…どうにかしてくっつけてほしいと」
ポニーテールに大きなマスクと眼鏡の小さな少女、潮音がマスクと眼鏡を取りながら言い切った。
「僕もその依頼を請けた人間ですよ。ま、皆、望み通りの結果を得られたようで良かったですね」
僕も、ですが。と言って、白兎は珍しくにこりと微笑む。
予想外の展開に辺りを見回すばかりの恋子に、そそっと近づく影があった。ツインテールにヘルメットを被った少女、渚だ。渚はちょこんと恋子の前に膝をつくとそのオッドアイでじっと見つめてくる。
「…脳筋類からのお知らせ。素直にどう思ったかまっすぐ伝える事。敵を倒すより難しいけどそれはすごく大事」
それだけいうと立ち上がって今度はゆかりを見ながら、呟いた。
「二人とも、良い友達を持った。それはすごく幸せな事」
木葉と恋子の視線もゆっくりとゆかりに向けられる。その視線に、ゆかりはいつものようにさばさばと笑った。
「あはは、上手くいって良かったよ。…二人ともさ、幸せになんなよね!おめでと!」
「おめでとう!」
「おめでとーぅ!」
次々と掛かる祝福の言葉を、木葉と恋子はその手を固く繋いだまま、受け止めていた。