●ディメンションサークルを待ちながら
「ええ、ですからリフトを少しだけお借りしたいのです。それと今回の場合、被害が出てしまう可能性がありますので、それも許して頂ければと……」
倉庫街管理会社の役員と繋がったその電話。静かな声で交渉をしているのは機嶋 結(
ja0725)。まだ小さな少女だというのに毅然とした態度で交渉をする様は随分と大人びていた。
集められた撃退士たちはディメンションサークルの準備が出来るまで、各々がスライム撃退のための準備をしていた。全員が携帯に音声会議の出来るアプリをダウンロードして戦闘中の意志疎通を図れるようにしたり、ミルヤ・ラヤヤルヴィ(
ja0901)は追加してスライムのゲルを拭いたり防いだりするタオルやサングラスを用意したようだった。
「スライムかあ。一体どんなもんなんだろうな」
遊佐 篤(
ja0628)が興奮したような声で呟くのに、その隣に座っていた日向 迅誠(
ja5095)もやはり興奮を隠せない様子で同調した。
「俺、これが初めての依頼なんだ。それがスライム退治なんて、まるでゲームみたいだよなっ!」
「ゲームですか……?」
迅誠の言葉にぽつりと反応したのは鳳月 威織(
ja0339)。それを不快故と取ったのか、迅誠は慌てて両手を振る。
「ああ、危険なのも、厄介なヤツだってのも解ってる!舐めてかかると本気で死にそうだから真剣に掛からねぇとな!」
迅誠がそう言って拳を握りしめたのとほぼ同時に、ディメンションサークルの様子を見に行った御手洗 紘人(
ja2549)が待機場所のドアを開けて戻ってきた。
「準備ができたようですよ」
紘人の言葉にほぼ全員が緊張の色を隠さなかった。ただ一人、威織だけは、口元に楽しそうな笑顔を浮かべていた。
●ヒーロー軍団参上!
「………」
コンテナの陰から倉庫街に堂々と居座るスライムの様子を伺うと、渡辺十和は急いで首を引っ込めた。コンテナを背にはあと小さな息をつく。
透過能力のある天魔とその眷属に遮蔽物は意味を為さないと解ってはいたが、視界を遮る道具にはなるだろうと、十和はコンテナの陰に隠れ続けていた。ただ、相手に『視覚』があるのかどうか、微妙なところだが。
かつん!
ふとした拍子に十和のブーツの踵が背後のコンテナを鳴らした。その思わぬ大きさに、十和はびくりと肩を揺らす。気づかれなかっただろうか。あれに『聴覚』があるかどうかも解らないが、音は物質を揺らす。それを感じられたらお仕舞いだ。
緊張に荒くなる息を両手でどうにか押さえつけて、十和は待った。そしていかほどの時が過ぎた頃だろう。一瞬だったような気もする。とても長い間だったような気もした。
じゅる……。
不思議な水音と共に背後のコンテナからぼたりと何かが滴り落ちた。十和がびくりとしてそちらを見た瞬間、彼の死角から破裂するような勢いでスライムがコンテナを透過して現れる。コンテナを透過してのプレス攻撃だった。
完全に不意を突かれた十和は逃げることができない!
「……っ!!」
スライムに取り込まれ窒息する自分を思い描いた十和だったが、それは現実にはならなかった。代わりにぐいと腕を引かれ、ふわりと軽い浮遊感を感じる。
十和が恐る恐る目を開くのと、足が地面につくのはほぼ同時だった。その拓けた視界の中、思い思いに並び立つ六人の撃退士。それはまさにテレビのヒーロー登場シーンのようで。
その撃退士のうち、一人の少年がニカリと笑って十和に向かって右手を突き出し、元気良くサムズアップ。
「待たせたな!遅ればせながらヒーロー軍団参上だぜ!」
間一髪、十和を助けたのは迅誠だった。身軽な彼が十和を浚うようにして近くのコンテナの上まで運んできたのだ。
「よう、渡辺。無事だったか?」
篤が軽く十和の背を叩いて訊ねる。
十和は幾度か目を瞬かせ、驚きを飲み下したようだ。そして、じんわりと自分が無事であることを悟ったのか、深いため息と共にその場に座り込むと、乾いた笑い声を上げた。
「はは……。大丈夫。ありがと。オレが女の子だったらきっと今のでお前らに惚れてるわ」
「いやいや、野郎の告白はいらねぇって!」
減らず口を応酬しながら、三人はお互いに握った拳の腕をクロスするように押し当てた。
「そこ、呑気に友情を暖めている場合じゃないですよ!」
結の声がその場を打ち据えた。皆がはっとしてスライムに目を向ける。
獲物が急に消えて混乱したのか、それともただ単に何も考えていないのか。スライムは一定時間じっとしていたが、すぐにごぼこぼと水音をたてて動き始めた。
「……おぉ。これはまた、大きいですね。斬り応えがありそうです」
ちゃき、と音を立てて刀を構えながら楽しそうに呟いたのは威織。
「残念なのは何を考えているか分かり辛い所ですが……いや恐らく殆ど何も考えてないのでしょうが……まぁ、良いか。 僕と踊ってくれるのでしたら、それだけで嬉しいです……よっ!」
そう独りごちると、威織は軽いステップを踏むようにコンテナの天井を蹴って飛び出した。そして、そのままスライムの懐へ潜ると刀を閃かせ、スライムのゲルを一部分、切り飛ばす。
それをちらりと視線の端で見て、結は早口で十和の注意を引きつけた。
「作戦、一度しか言いませんよ、いいですか?」
その声に十和が真剣な顔で頷いたのを確認すると、結も満足げに頷いて、武器とするトンファーを構えた。
●狙撃班
遠距離から核を狙撃出来る銃を持った篤とミルヤは、スライムとはいくらか離れたコンテナの上に登り、待機する。その際、篤は今まで気になっていたことをミルヤに訊ねてみた。
「で、ミルヤ先輩、そのサングラスなんなんですか?」
「ん、かっこいいでしょ?」
フレームに片手を当てて、にこりと微笑むミルヤ。篤から見るとサングラスで目元か見えないので、口元だけ笑ったように見えたが。
「まさか、それだけの理由ですか!?」
驚いたように篤。だがミルヤはゆるりと頭を振る。
「ううん。弾で跳ねて、ゲルが目に入ったらヤだからね」
「あ、意外とまともな理由だった……」
思わずほっと胸をなで下ろした篤だったが、次のミルヤの一言に、また驚かされることになる。
「んん?……何だか、スライムが可愛く見えてきた。 プルプルした感じがなんともいえない感じ」
「……あ、リフトが動き始めましたよ」
諦めたような篤の視線の先で、エンジンのかかったまま放置されていたリフトが動き始めていた。
●リフト班
交渉でリフトを使用する旨了承を得て、この作戦は採用されていた。名乗り出た迅誠がリフトを運転し、さらに大きな的として囮になろうというのである。その為には透過能力を制限する阻霊陣を誰かがリフトに使わなくてはならないのだが。
「あの」
阻霊陣を手にした紘人がリフトに乗り込む迅誠に向かって呼びかける。
「ん、どうした?」
「阻霊陣って、術者がずっと手を触れてないといけないんでしたよね。つまり動かすには僕も乗らないといけない……」
「ん、確かそうだったな」
紘人は困ったような顔をして、リフトを見た。どう見ても一人乗り。しかも余計なスペースはほぼない。
「どこに貼ればいいんだろう……」
●近接攻撃班
ひらり、ひらりと刀が、トンファーが舞う。一振りごとに僅かずつだが、確実にゲルを斬り飛ばしていく。一ヶ所を集中攻撃するようなその攻撃に、スライムは焦れたような動きをしていた。
「ぬるぬるして……気持ち悪い。さっさと……消えなさいよねっ」
一言ごとにトンファーの強烈な一撃を繰り出す結。その表情には確かなスライムへの憎悪が宿っている。対照的に、威織は始終楽しそうに笑いながら刀を振るっていた。
「……?」
その二人の様子に戸惑いながら、十和も二人に続く。
「わぁぁぁぁぁっ」
その時、背後から叫び声が聞こえてきた。思わずびくりとして十和は後ろを振り返る。
果たしてその視線の先では、迅誠の運転するリフトが爆走していた。ただし、リフトの屋根にあたる部分に紘人を乗せて。どうやら阻霊陣を貼る場所をリフトの屋根の上にしたらしい。
だが、どうやら屋根の上の乗り心地は大分ハードなようだ。
「全く、遊んでいるのではないのに……」
結がちらりとリフトの様子を見てぼやいた。
●カクゴの時
その直後。すぅ、とゲルが退き、スライムが大きく伸び上がるような動作をした。
「!!」
皆が息を呑んだ。
プレス攻撃の前兆だ。
近接攻撃班の三人が地を蹴り、リフトが全速力でスライムから離れた。その瞬間、ぷつんと糸が切れたようにスライムの伸び上がりが止まり、あとは重力に任せるままにどうと潰れる。
近接攻撃班の三人はなんとかプレス攻撃の範囲外へと逃げ出していた。リフトも、辛々、逃れたようだ。
それを確認した後、全員の目が狙撃班へ向かった。そこには、それぞれリボルバーを構える篤とミルヤ。狙撃はもう行われたようだ。
結果は?と皆が固唾を呑んでスライムと狙撃班を見守る。
だが、ミルヤがゆるりと首を振った。
それに答えるように、スライムが元の潰れた水滴状に戻り始める。
「くっそ、もうちょっと……もうちょっとだったのに!」
篤が悔しそうな声で唸る。篤の言うとおり、二人の狙撃弾は核まであと数センチという所まで及びながら、そこで勢いを失っていた。
「もう一度だ!」
迅誠がぎりと唇を噛み締め、リフトを再発進させる。スライムは近づいてきたリフトを取り込もうと震え始めた。
「私たちも……っ!?」
結がその迅誠に続こうとした瞬間、結は息を詰めて動きを止めた。体の奥底の方に、何か違和感を感じたのだ。しかも、その違和感は急速に大きくなっていく。
それは、威織や十和も薄々感じていることだった。前線で戦った三人には、細かいゲルの飛沫が降りかかっていたのだろう。ゲルの毒が回り始めているのだ。
だが。
「僕はお先に行きますよ」
にこり、と笑って威織はスライムに向かって走り出した。続いて十和も、こちらは難しい顔をしながらだったがそれに続いた。
結は顔を上げ、スライムを毅然と睨み付けると、軽くトンファーを構え直す。そして、やはり走り出した。先に走り始めた二人と並ぶ。
「あああああっ!」
裂帛の気合いと共に、三人の武器がスライムに深く突き立てられた。更に飛沫が飛ぶが、もう気にしない。
核に少しでも近く!近く!かき分けるようにゲルを切り裂く。
リフトを運転する迅誠も細かく動き回り、スライムの戦いの照準を合わさせない。狙撃班の二人もそれを援護する。
そして苦しそうに身を捩るスライムは、再度、伸び上がるような動作をしはじめた。しかも、今度は伸び上がりが先ほどよりも大きい。スライムも、捨て身の攻撃に出たのだ。
そして、またぷつりと糸が切れるように伸び上がりは止まり、そして周囲にどどうとゲルが広がる。
近接攻撃班の三人は半ば転がるようにしてそれから逃れた。足元がゲルに浸る。だが、直接的なダメージを食らう範囲からは辛くも逃れることができていた。
だが、ここからが問題なのだ。狙撃弾が核へ到達しなければ、スライムは倒せない。そのうち、近接攻撃班は身動きができなくなってしまう。そうなれば、もう勝ち目はない。
篤とミルヤはトリガーにかけた指が震えるのを感じた。
その時だった。
「いっけぇぇぇぇ!」
迅誠の声が辺りに響きわたる。そして、潰れたスライムを轢くようにしてリフトがスライムに体当たりをした。
どんっ!という派手な音と共にリフトはスライムに激突し、止まる。
一見すると、自棄になってしまったのかと思うような行動。だが、それに確たる意志があったことに、皆はすぐに気づいた。スライムに衝突した衝撃をバネに使って、リフトの屋根に乗っていた紘人が空高く飛んでいたのだ。
紘人は空中でくるりと体制を整えるとその場で光纏し、右手を振り上げた。
その手の中に現れたのは、楕円型の槍のような光弾だ。
「この一撃!僕の全身全霊の一撃なのです!!」
紘人の叫びと共に光弾が放たれる。それは激しい勢いで、しかし吸い込まれるように正確に飛び、スライムの核へ向けて突き刺さった。
「……やったか!?」
迅誠がリフトから身を乗り出して核を見る。
だが光弾は核まであともう少しというところまで到達しながら、そこで霧散してしまった。
「駄目……なのか!?」
皆が諦めを感じ始めたその時。
ダァン!
銃声が響いた。篤とミルヤが同時に撃ったのだ。
そして、続いて……ぱりん、という薄い飴が割れるような音がした。スライムの核が破壊された音。光弾が貫いた分、ゲルは薄くなっていた。二人は紘人の光弾が貫いたゲルの隙間を狙い、同時に狙撃をしたのだった。
スライムはぱんっという呆気ないほど軽い音と共に、弾けて無くなってしまった。
後に残ったのは、六人の撃退士と、勢いがつきすぎたのか港の縁から飛び出して、海に落下してしまった紘人の残した水柱だけだった。
●優しさと厳しさと
戦いが終わって、皆は思い思いにスライムのいた場所に集まってきていた。緊張の細い糸はまだぴんと張っていて、その余韻に浸るような数秒。
だが、それは十和の腹から響いてきたぐぅ〜という緊張感のない音に邪魔される。
「腹減ったぁ……」
腹を抑えてそう言う十和に、皆の緊張も一気に途切れた。
「全く、余計な仕事、増やさないで頂けます?……ま、お疲れ様でし……た」
十和の最初の暴走のことを言ったのだろう。結は十和の胸を軽く手の甲で叩いてため息混じりにそう言うと共に、毒が完全に回ってしまったのか、崩れ落ちそうになる。咄嗟に篤がそれを支えた。
続いて、威織と十和もその場に尻餅をつくように座り込んでいた。彼らももう限界なのだろう。そのままその場に倒れ込み意識を手放したようだ。毒が抜けるまで小一時間の間、彼らには休息が必要だった。
「あー、機嶋は軽いからいいとして、この二人も運んでいかないとならないのかぁ」
頭の後ろで手を組み、苦笑いで迅誠がぼやく。
すると、ミルヤが十和に近寄り、担ぎ上げようとするではないか。
「あ、ミルヤ先輩、いいですよ。そっちは俺たちが運んでいきますから」
篤の一言に、ミルヤは首を傾げ、そう?という顔をすると、自分が半分担ぎ上げている十和の顔を見た。それから、ぺち、と小さな音をたてて軽く十和の頬を張ったのだった。
「起きてる内にやりたかったけど、まあしょうがないかな…」
ミルヤはそう言って、割と優しい顔で十和を見ていた。
その頃、ようやく海から上がってきた紘人がくしゃみ混じりに叫んだ。
「あの、僕、忘れられてませんよね!?この真冬に寒中水泳までしたっていうのに!死ぬほど寒いんですけれど!」
ミルヤが用意したタオルも、どうやら日の目を見ることになりそうだった。