●出陣の前に
タッタッタッ……。
冬の朝、晴天。切れてしまいそうなほど冷え込んだグラウンドのトラックを、制服を着た一組の男女が足音も軽く走り込んでいる。
「幸桜へばるなよ!かははは!」
先を行く少年、獅子堂虎鉄(
ja1375)は豪放に、後に続く少女……いや、正確には男の娘、権現堂 幸桜(
ja3264)に声をかけた。幸桜ははっはっと規則正しい呼吸を続けながら、こくこくと頷く。
「うん、僕がんばるよ!」
ディアボロが現れたという高等部校舎の前庭で二人はアップを始めていた。時間はないが、いざというときに体が温まっていないと動けるものも動けないものだ。
「獅子堂さん、幸桜さん、そろそろ行きますよ」
がこ、とグラウンドに面した昇降口の重い鉄扉を少しだけ開けて眠そうな声で二人に呼びかけた望月 紫苑(
ja0652)。彼女もまた、準備と称してどら焼きを幾つか平らげてきていた。腹が減っては戦は出来ぬのだ。
紫苑の声に従って、虎鉄と幸桜はそのままゆっくりと走る速度を緩め、校舎に向かった。
昇降口はまだ薄暗く、ぴんと空気が張っている。普段の学園生活では見る機会の少ない、人の気配のない昇降口。それは、どこか不気味でもあった。
「さて、これで全員揃いましたね」
皆の注目を集めるように発言したのは桜宮 有栖(
ja4490)。こくり、と軽く首を傾げ柔らかな微笑みを浮かべると、指を唇の前で軽く組んで皆を見る。
「少々風変わりな依頼ですが、きりりと気を引き締めて参りましょう」
その言葉にうんうんと頷く道明寺 詩愛(
ja3388)。
「下着姿の男性が落ちてたら爽やかな朝が台無しだものね。元凶を断たないと」
その言葉に、微かに全員からげんなりとした雰囲気が漏れた。
●男の娘は準備に時間がかかるの
「じゃあ、僕、下駄箱の裏で着替えてきますね」
幸桜がそう言って小走りに下駄箱の裏に回る。
目標のヒメマルカツオブシムシの幼虫型のディアボロは男性のズボンを狙って食べると言う。幸桜と虎鉄は囮という大役を任されていた。
「じゃあおいらも……」
虎鉄もそう言うと、その場で制服の上から着物を羽織る。これで最悪ズボンを全部食べられてしまっても見苦しい姿になることはない。
「あれ?今日の依頼はてとらちゃんの方かもと思ってたんですけど……少し残念なのですよ♪」
可愛らしく首を傾げて虎鉄の女装時の人格であるてとらを名指ししたのは犬耳カチューシャにゴスロリ服のドラグレイ・ミストダスト(
ja0664)。その言葉に、虎鉄は苦笑いで返答する。
「男の娘3人じゃ囮にならないだろー」
幸桜同様、ドラグレイもまた男の娘、なのである。
「お、おまたせ……」
そんな会話をしているうちに、着替え終わったのか幸桜が下駄箱の向こうから戻ってきた。その出で立ちを見て、虎鉄は目を見張る。
「か、可愛い幸桜が埴輪みたいな姿にー!?」
虎鉄と同じく、ズボンを全部食べられた時のことを考えたのだろう。スカートの下にジャージのズボンを履くという、冬場の女子高生のような姿にショックを受けたようだ。埴輪とは言い得て妙である。がくーんと肩を落としてその幸桜の姿を嘆く虎鉄に、スカートの裾を引っ張りながら今度は幸桜が苦笑い。
「虎鉄さん、仕方ないよ。囮役なんだもん。そんなに落胆しないで」
そんな二人を見て、誰かが鋭い舌打ちをした気がした。……気がしただけかも知れない。
●ミッションスタート
「じゃあ、さっき話し合った通り、A班とB班に別れて行動するということでいいですか?」
確認を取るように詩愛が言うと、こくこくと幸桜が頷いた。
「うん、そうだね」
A班が詩愛と有栖、囮役に虎鉄。B班が紫苑とドラグレイ、囮役に幸桜という班分けだ。A班は西棟二階から三階、四階を順に調べ、B班は東棟三階から四階へ行って、最後に東棟の四階で合流する手はずになっている。
「よし、ではお互い気を付けて行こう!」
虎鉄の音頭に、皆が表情を引き締めた。
A班・西棟二階
先に捜索場所に着いたのはA班だった。
詩愛がポケットからB班のドラグレイと通じた携帯を取り出す。
「A班西棟二階到着です。これより捜索を始めます。そちらもお気を付けて」
押さえた声でそれだけ告げて携帯をポケットに戻した詩愛は虎鉄と有栖を振り返る。その時、ふわりと詩愛のポニーテールにした髪がそよいだ。
「あら、道明寺さん、髪から美味しそうな香りが……これは、とんこつ?」
有栖が鼻をひくひくとさせて、詩愛の髪の香りを嗅ぐ。詩愛はぎくっとしたように目を見張り、髪を押さえた。
「あ、はは。朝からちょっとラーメンの仕込みをしてまして……」
「なるほど、だからとんこつの香りなのですね」
うふふ、と目を細めて微笑む有栖に詩愛ははぁと深いため息。
「さっさと済ませて、登校前にシャワーを浴びないとですね」
「まあ、とても美味しそうでいい香りですのに。食べちゃいたいくらい」
有栖はどこまで本気なのか解らない微笑みを崩さない。
「……………」
努めて無表情でその二人を見ていた虎鉄だが、詩愛はその虎鉄の表情に目を細め、片足を軽く上げた。
「獅子堂さん、変な想像とか……してませんよね?」
ぶるぶるっと虎鉄は首を左右に振る。それは否定の意味だったのか、それとも恐怖からくるものだったのだろうか。
結局、西棟二階は何事もなく捜索を終了した。
「西棟二階捜索終了。異常なし。西棟三階の捜索に移ります」
B班・東棟三階
「B班、東棟三階到着しました。これから捜索します♪」
ドラグレイがA班に連絡を入れたのを確認してから、B班は囮役の幸桜とその隣のドラグレイを先頭にゆっくりと東棟三階を中央階段から東に向かって進み始めた。
「それにしても、男性のズボンだけ狙って食べるなんて物好きなディアボロもいたものですね……」
眠そうながらも周囲の警戒を怠らずにリボルバーを掲げる紫苑が呟くと、ドラグレイは人差し指を唇に当ててこくりと首を傾げる。
「ふむー、やっぱり男性のズボンと普通のズボンは味が違うのかな?」
「うーん、あんまり考えたくないけれど、そのディアボロには解るんだろうね」
軽い苦笑いでスカートを軽くつまみ上げた幸桜は、その隣でドラグレイがにやとほくそ笑んだのには気づかなかった。
(…それにしてもこれは上手く動けば少し悪戯できるかもですね♪)
そんな企みをしているうちに、東棟三階も特に何事もなく捜索は終わる。
「東棟三階捜索終了、異常なし♪これから東棟四階の捜索に移ります♪」
A班・西棟三階
「なんで和弓、あんなに高いんだろなぁ?」
虎鉄が噛み締めるようにしみじみと呟く。その言葉に背後の有栖は握った手を唇に添えて首を傾げる。
「どうしてでしょうねえ。学園の考えまでは解りませんし、なんとも言えませんが……」
そこまで言って、手にしたショートボウを見る。
本当は和弓にしたいのですけれどね、と有栖が言おうとしたその時だった。
ガシャ……ン!
机が倒れるような音が鳴り響いて、三人が一瞬で警戒態勢をとる。虎鉄はズボンを守るように地面に片膝をついて身構え、その隣で詩愛は軽くステップを踏んでいつでも足技を繰り出せるようにする。少し後方に位置取った有栖はぴんと背筋を伸ばし、鋭くなった視線で辺りの気配を探っているようだ。
だが、その音は詩愛のスカートのポケットの中、B班と繋がった携帯電話から漏れた音であった。詩愛は急いで携帯を取り出すと、B班に呼びかける。すると、向こうからドラグレイの応答が返ってきた。
「B班、東棟四階、東端の教室で接敵!応援を頼むですよ!」
●いざヒメマルカツオブシムシ
「来たっ!」
幸桜が手袋をした手でぎゅっとロッドを握りしめた。
東棟東端の教室に入った直後、窓側に並ぶ背の低いロッカーの中から跳ね上がるようにして三匹のディアボロが飛び出した。その姿は一抱えもある大きな茶褐色の団子虫に細かな毛が生えたような容姿で、とてもではないが美しいとは言えない。
B班の三人は備品の破損を防ぐため、素早く教室から退避し、廊下でディアボロを迎え撃った。
ドラグレイがA班への連絡をしている間に、幸桜はロッドを振り上げ、大上段から振り下ろしの攻撃を加える。だが、幸桜が履いている絶好のエサを前に興奮しているらしいディアボロは素早く飛び跳ねてなかなか捕まらない。
「くっ」
続いて振り上げ、そして横薙ぎの連撃。今度はロッドの先が一匹のディアボロを捕らえた。ぐしゃ、という音と共に無力化するディアボロ。
幸桜はひゅんとロッドを振って露払いをすると、後方に飛びずさり、紫苑の射線を確保する。
それを待っていた紫苑は飛びずさった幸桜を深追いして飛び上がった一匹をリボルバーで正確に狙い撃ちした。
パンッ!パンッ!
弾は正確にディアボロの体に撃ち込まれ、その反動で空中からボトリとリノリウムの床に落ち、これもまた無力化した。
だが、次の瞬間。
「わあっ!?」
幸桜が中途半端な悲鳴をあげてスカートを押さえた。紫苑と通信を終えて戦線に戻ったドラグレイが幸桜を振り返る。もしかして、ディアボロに……。
幸桜のスカートの太股部分を押し上げる物体。とり逃したディアボロの最後の一匹が幸桜のスカートの中に入り込んだのだ。
「わー、やだやだっ!」
ぺたんとその場に座り込む幸桜。その間もディアボロは幸桜のズボンを食い荒らしているらしく、もぞもぞと動き続ける。
「わうー!幸桜ちゃんに手を出すとは良い度胸ですよ♪」
素早くドラグレイが苦無を手の内に揃え、ヒュオッと投げつける。
ビッ!
ドラグレイの苦無は幸桜のスカートを幾らか破いたが、そのままディアボロを壁に縫い付けた。最後の一匹が無力化する。
「ひゃっ!?」
破れた部分は丁度ディアボロに喰われた部分だったらしく、幸桜の白い太股が見えてしまっている。たまらず、幸桜は上から着ていたローブを引っ張り延ばしてその足を隠そうとする。
「ふふふ♪わざとではないのですよ♪本当ですよ♪」
によによと笑いながらそう言うドラグレイに、幸桜は渋い顔をしながら思った。
(ぜったいにわざとだ!)
●本当に怖いのは?
軽い足音がして、西からA班の面々がやってきた。
「あー、もう終わっちゃったんですか?」
「出遅れたようですね」
残念、と呟く詩愛と有栖。その顔には割とはっきりと、暴れ足りない、という色が見えた。その二人に、紫苑とドラグレイが応える。
「……資料にあった通り、本当にズボンにしか興味なかったようですし、弱かったですね」
「こっちの被害は幸桜ちゃんのズボンとスカートだけですよ♪」
「うう……こんなに肌を見られちゃった……僕、もうお嫁にいけない……」
そこで、今まで黙っていた虎鉄が無言のまま、若干見当違いの方向に嘆く幸桜に近づき、さっと自分の着物を脱いで幸桜の背に掛けた。その顔は余所を向いていたが、ほんのりと頬が赤い。
「風邪、引くぞ?」
「虎鉄さん…」
釣られてほんのりと頬を染める幸桜。
不思議な光景だった。服装的には男女で健全なシーンに見えるが、虎鉄は中性的な少女のようにも見える容姿で少女同士にも見える。その実、虎鉄も幸桜も立派な男性なのだ。
皆がそんな光景にもにょもにょとした気分になっていたところ、パシャリと軽いシャッター音が響いた。
「んー……っと」
手にしたスマフォの画面を見つめているのは有栖。指で素早く操作して、今撮ったであろう写真を見ている。そして、満足そうに微笑んで頷いた。
「私、フレンチトーストが食べたいかな?」
そう言って有栖が差し出したスマフォの画面には…破れたスカートの上に虎鉄の着物を羽織って座り込む幸桜と、頬を赤くして立ちつくしている虎鉄の姿が収められていた。説明されなければ、若干いかがわしい雰囲気である。
「おっふぉ!」
「ええー!?」
にこにことしている有栖の手元を見ながら、虎鉄と幸桜は呆然と立ちつくす。
「皆さんも一緒に、朝食をいかがですか?」
有栖の提案。そして虎鉄と幸桜には無言の奢れというプレッシャー。
「あはは、本当はお呼ばれしたいですけれど、やっぱり授業前にシャワー浴びたいから」
「私も……ふわ……午前中の授業は履修していないので、午後まで一眠りしに……」
髪の香りを気にする詩愛と、こくこくと船を漕ぐ紫苑はその申し出をやんわりと断る。有栖は少しだけ残念そうな顔をしたが、すぐにいつもの柔らかい微笑みに戻ると、今度はドラグレイを見る。
「なら仕方ないですね。他の方はご一緒出来るのかしら。ドラグレイさんは?」
名指しされ、ドラグレイは悔しそうにきゅっとスカートを握りしめた。
「わうー、ちょっと負けた気がするのですよー!」
同じくイタズラを試みた身として、有栖にちょっとした敗北感を感じたらしい。少しの間そうしていたが、すぐに顔を上げて有栖を見上げる。
「こっ、これから取材!取材があるのです!だからまた今度……今度よろしくなのです!」
「はい、ではまた、ですね」
有栖は今日一番の華の綻ぶような笑顔。ドラグレイは若干下を向いたまま、その有栖の手を右手で軽く握って振る。どうやら握手のようだ。
その時、有栖の表情が一瞬だけ無表情になる。だがすぐに笑顔を取り戻し、その握手に応えた。
「……さて、と。では、参りましょうか、虎鉄さん、幸桜さん?」
ぱたぱたとスカートの裾を叩いてから、虎鉄と幸桜を振り返る有栖。その笑顔に二人の男が戦慄したのは言うまでもなかった。
「ふふっ、ディアボロも人間も、女性とは欲深いものです。皆さん、女性の欲深さにはくれぐれもご用心を ね?」