鳳 静矢(
ja3856)は、炊事講座にあたって、ピーラー・卵切り器・こし器を用意してきていた。
「料理も慣れると結構楽しいぞ。是非やってみるといい」
依頼人の息子である、広川一郎にそう語りかけるが、彼自身はそう乗り気でもないようだ。
「……出来た方がいい、ってのはわかるんだけどなぁ」
「そうですよね、一人ですと特に炊事は面倒ですよね。ですが身体が資本の撃退士なんですから!」
カーディス=キャットフィールド(
ja7927)が、一郎に語りかける。
「粗食では、すぐに倒れてしまいますよ。もう少し体に気を使ったご飯を食べませんか?」
「うーん、でも、俺不器用だしなぁ」
「不安なのはわかります。でも、料理って、案外簡単ですよ? 慣れれば楽しくなる、というのも保障します」
「なら、試してみるのもいいか。今日は、よろしく頼むよ」
カーディスにそう言われると、一郎も『そういうものか』と考えを改めたらしく、少しは前向きになってくれた。
そうした所で、美森 あやか(
jb1451)が質問に入る。
「いつもは、食事はどうなさっているんですか?」
「大体、朝はシリアル、昼は適当にカロリーメイトでも買って、夜はパスタをゆでることが多いかな。基本的に、手間は掛けない」
「毎日、ですか?」
「ああ、ここ最近は毎日かな」
「……この献立で心配するなっていう方が無理ですよ。パスタって同量のお米に比べると高いですし、カロリーメイトを2箱、とかだと外食とそんなに値段替わりません。後は飲み物ですよね。一緒に飲んでいるのがペットボトル入りのジュースやスポーツ飲料では値段莫迦になりませんし」
「うーん、言われてみればそれもそうか」
米よりパスタを好むのは、単純に好みであるらしい。炊飯器はあるが、たまに実家から送られてくる米を炊くだけで、自発的に米を買うことはないと言う。
「車の免許持ってないし、米は持ち運ぶと重いからなー。だったらパスタでいいやってね。……塩パスタにケチャップやらベーコンやらを乗せるくらいはするけど、やっぱり栄養は足りてないのかな」
「ちょっと味付けが単純すぎるな。副食があるならともかく、それ一品だろう? 体からケアせんと戦えないぞ……?」
矢野 古代(
jb1679)が、年長者としての助言をする。言葉を尽くしている辺り、少年をなんだかんだで心配している模様だった。
「一人暮らしの時はパンの耳が主食だった時期があったな、懐かしい。……その後、身体壊してお袋の雷が落ちたよ」
だから、せめて肉親に心配されるような食生活はするな、と白鷺冬夜(
jb3670)は言った。
「まず買い物だな。付き合え」
「……そういや、これから用意するんだったか。あらかじめ買っておいてくれても良かったのに」
「買い物から始めた方がいい。食事に関しては、準備にも時間をかけるべきだ。……経験談だぞ? 無碍にはしてくれるな」
冬夜にも、教える料理の案はあった。それを試すためにも、まず買い物から始めるべきだった。広川一郎の炊事能力の向上を求めるなら、食材選びから学ばせるのが常道である。
「この手の依頼を我輩に依頼するとは……実に目が肥えた依頼人であるな!」
そして、炊事講座の為に集った撃退士の中で、もっともテンションの高い人物は誰かと言えば、マクセル・オールウェル(
jb2672)という他ない。
「まず買い物という案には賛成である。広川少年よ、共に来るのである!」
「え? ちょ」
どれくらいやる気にあふれているかと言えば、広川少年の襟首をひっつかんで、さっそく買い出しに向かうくらいに。
「買い出しに同行させてやろうって思ってたが、先手を打たれたな。……ま、強引にでも突き合わせた方がいいさ」
古代は友人の強引さに感心しながらも、その後を追った。皆も、それに続く。
彼らは近場のスーパーマーケットに来ていた。
「時にお主は調理器具は持っておるのか? 最低でも鍋にフライパンや包丁、炊飯器、そして電子レンジは欲しい所である」
「実家から押し付けられたから、家に揃ってるよ。鍋と電子レンジ以外は、あんまり使わないけど」
「まあ、あるならば問題ないのであるが。……宝の持ち腐れと言うのは、何ともアレな話である」
マクセルは使われない調理器具を哀れみながらも、食材を吟味する。
「ふむ、今日は豚バラが安いのである。野菜は……インゲンであるな! となればメニューは決まったのである」
二人が食材をカゴに入れていく様を見ながら、他の参加者たちも思い思いに食材を選んでいる。
そんな中、古代はマクセルとも友人であることから、気軽に二人の間に入って話しに加わっていた。
「一つ一つはカロリーメイトより割高に見えるが、実際に使うのは半分か四分の一位なので価格は安く済むんだ。料理は面倒だが、自炊に慣れれば大分生活費が浮くしな」
「おっと、そうであった。せっかくなので、カロリーメイト換算で、食費を計算して見るのである」
そうして、マクセルは器用にも食材・光熱費をカロリーメイト(2本入り価格:100久遠)換算しCM単位で解説してくれた。
食材がこれくらいで、米がいくら、光熱費まで加えれば、どの程度かと、わかりやすく。
「どうであるか?」
「……計算は苦手なんだ。正直、思ってもみなかったよ」
「そもそもしっかり食わねば力が出まい! それで依頼に挑んだ挙句怪我して医者に掛かれば、節約した分がぱぁである。真の節約は目の前の節約のみにあらず。未来を見据えリスクとの天秤を見極めてこそのものである」
マクセルの心情にして、信条と言ってよい。この鍛え抜かれた体は、自ら管理して作り上げられたものである。その努力、経験は一郎にとって無視できるものではない。
「精進せよ。そして、我輩を超え、遥かな高みを目指せ。そう、真の節制者となるのである……!」
「ん、わかった。頑張るよ」
準備の段階で、広川少年の意識を改革できたのは、彼の強引さが良い方向に働いたおかげであろう。
そして、買い物が終われば、今度はお待ちかねの調理に入る。
調理室に帰ってくると、まず一郎に調理を教えたのは、静矢だった。
コーンカレーとツナコーンサラダを作る様子で、その調理の工程に入っている。
「こうして幾つかの材料を一緒に入れると手間も光熱費も省けるのだよ」
「手際がいいなぁ。……不器用だと、無駄に長引いてしまうことも多いし、参考にさせてもらうよ」
ジャガイモ、コーン、卵を調理する過程をよく見せて、今後の参考にしてもらう。その意図あっての行動だが、実際に手に持って作業した方が、身に入るものだ。
「茹でたジャガイモの皮はするする剥けて面白いぞ? やってみるといい」
ゆで終えたジャガイモを、一度軽く水で洗い冷まし、指で強めにこすってジャガイモの皮を剥く。
単純だが、初めて行う皮むきの作業は、一郎にとっては思いのほか新鮮だった。
「終わったら、人参にも挑戦してみるといい。これも皮が剥けていくのが結構楽しくてな」
「……ん、たまにやる分には、悪くないかもな」
今度はピーラーで人参の皮を剥く。一郎もこれを手伝って、皮を剥いていった。量は少ないので、これはすぐに終わる。後は静矢がジャガイモ・人参を大きめに切り、玉ねぎを半円状に切り分けていった。
包丁の使い方を見せておき、手本とさせるつもりだった。後は、己で自得してくれるだろう。こちらはもう、肉と野菜と茹でコーンを一緒に入れて煮て、ルーを入れれば完成だった。他にも手を入れる部分はあるが、あまり一郎を独占するのも良くない。次の相手に譲るべきだろう。
「そちらはひと段落したようですね。では、今度はこちらを手伝ってみません?」
カーディスの声に振り向くと、一郎の目の前には人間大の猫がいた。
正確には、黒猫の着ぐるみを来たカーディスなのであるが、フリフリエプロン装備の黒猫と言うのも、なかなかシュールな格好である。
「さて、せっかくですのでレシピ本に従って始めてみましょう。題して、猫でもできる!簡単ご飯!(節約版」
そういって一冊の本を取り出した。猫のイラストの表紙が、まぶしく映る。
「料理は面倒くさいものですが、手抜きをしても美味しくできるものなのですよ! 見た目! 食べたという気分が満足いたします」
「そりゃ楽しみだ。何を作るんだ?」
「今回は、簡単にできるサラダとプリンを作ります。大丈夫、まず失敗しませんよ」
カーディスは食材の野菜を取り出すと、それをシリコン製の鍋に入れて、レンジでチン!
「え? それだけか」
「後はマヨネーズやドレッシングをかけて出来上がりですねー。ほら、失敗しないでしょう? さ、次は少し手作業をしてみましょう」
一郎は、アドバイスを受けながら卵を割りほぐし、砂糖を数回に分け入れた。生クリーム100CCと牛乳300CCを大きめの器に入れ、同じくレンジで沸騰しない程度に温める。
「さ、できましたら、両方を混ぜ、バニラエッセンスを入れましょう」
「お、おう」
耐熱タッパーを用意し、上記のものをこしながら入れる。不器用と言えど、これくらいは確実にこなせた。
「プリンの高さまで水を入れ、レンジで約7分まてば、簡単で美味しいプリンが出来ますよ〜」
「……少し、時間が空くなぁ。なんだか、楽しくなってきたから、出来ることがあればやりたいんだけど」
7分の間、待ち続けると言うのも芸のない話である。そこで、あやかが声を掛けてきた。
「でしたら、こちらをお手伝い願えますか? パスタを作るついでに、日常的に出来るものですよ」
あやかが勧めるのは、スパゲティサラダだ。ゆでたパスタに、胡瓜と玉葱スライス。茹で卵をおろし金で降ろしてマヨネーズであえ、塩胡椒で味付けするだけ。
「同量ならパスタだけより単価は抑えられますし、茹で卵は冷凍可能なんですよ?」
「この手があったか……いや、ありがとう」
「パスタを作るなら、具を入れて見たら宜しいかと思います。トマトソースだけがパスタの具じゃありません」
そう言って、様々な調理をあやかは実物を見せながら、解説した。
「旬の物は多く流通しますからそれだけ安く出回ります。茸は通年値段安定してますし鶏肉は一番安いお肉。栄養バランスよくなりますし、単価安くなりますよ」
「ほー、皆、よく考えてるんだなぁ」
一郎はここに来て、感心しきりである。とはいえ、いかに簡単でも、料理といえば身構えてしまうのが男と言うものだろう。気楽に炊飯器一つで出来る料理を覚えておけば、ものぐさな人間でもやる気になりやすい。冬夜はその点を考えて、一郎に接してみた。
「一人暮らしのものぐさ料理人には、炊飯器だけで出来る料理も必要だろう。炊き込みご飯ってのを、覚えてみるか?」
「……難しそうに聞こえるけどな。材料を刻んだり味付けしたりで、手間を食うんじゃないか?」
「でもないさ。ま、見てな」
材料は、米、ツナ缶、粉末ダシ、醤油、人参。人参は先ほど剥いていたので、その作業に抵抗はない。
作業工程は、たったの三つ。
1:炊飯器に米と水投入
2:ツナ缶1個を汁ごと投入
3:細めにピーラーで剥いた人参と粉末ダシ、醤油を投入→普通に炊く
「以上。魚の切り身をツナ缶の代わりにするのも良いな。そん時は炊けた後に飯と一緒にほぐす。旬の魚なら安いだろ」
「ツナ缶の方が安いイメージがあるけどなぁ。今思うと、人参は結構使えて便利そうだ。常備しておいた方がいいのかな」
「今回は栄養の観点から入れただけだ。普段は面倒で入れん。調味料の量は適当で良いだろ?」
「食えればいいよ。濃すぎなければ」
「ああ、少し薄いかな、程度にしておくといい。味は後からでも足せるからな」
米を使う場合、米を研ぐという作業はつきものだが、無洗米を使う手もある。節約を考えるなら、休日に飯を大量に炊き、ラップ等で1食分に小分けし冷凍するのがいい。食べる時はレンジで温めれば済む。
他のチェックポイントとしては――。
・生もの等は夕方になると値引きされることが多い
・切るのが面倒ならカットされたものを買え
・一人暮らしなら調味料は小さめサイズを買う方が余らせず使い切りやすい
「これくらいか」
「日中にしかスーパー行かないから、夕方の値引きは知らなかったな。……そうか、行くなら夕方あたりが狙い目か」
「代わりに、広告の品はよく売り切れてる。ま、ケースバイケースだ」
身にしみるような、オジサンらしい助言であった。ある程度適当で、気軽に出来る点もいい。
ここで、もう一人のオジサンも、一郎少年に調理の手ほどきに向かった。古代である。
「作る物はトマトスープとミートボール。玉葱と人参トマト、セロリキャベツなどを入れたコンソメベースのスープだ」
「ミートボール、懐かしいな。俺でも作れるのか?」
「もちろん。しかもこの料理の良い所は小分けの真空タッパーで一食ごとに保存できると言う事。一度作ればある程度の量は保存できるから、大体8〜10日位を賞味の目安としてくれればいい」
さっそく、調理に入る。ミートボールは簡単だ。牛挽き肉に塩コショウ、ケチャップを混ぜて粘り気が出るまで練り、一つ15gほどに分けて焼く。
「今は全部調理してしまうが、焼かない状態で冷凍保存も出来る……大体半月は保つか」
「作り置きすれば、好きな時に取り出して作れる訳か」
「そう。この技法は他にも当てはまるものが多いから、覚えておくといい」
調理を見ながら、古代は優しく指導した。包丁を握ることには、多少は慣れてきたようだが、まだ危ない所はある。それを軽く注意しながら、教えていった。
以外にも不器用だった手つきも、それなりに様になってくる。飲み込みがいい、と古代は内心で称賛した。
「料理は楽しいし、なにより俺達は体が資本だ。しっかり食べて置くのも大切だし……依頼によっては明日死ぬかもしれない。それなのに前のメシが塩パスタやらってのは味気ないだろう?」
「そうっすね、本当に。……皆さん、ありがとうございました。俺、これからはちゃんとやっていけそうです」
最後に、マクセルが己の料理を披露した。
インゲンの豚バラ巻焼き、インゲンと人参のソテー、インゲンの味噌汁……。一種の食材でも、料理のバリエーションは数多い。それを知るには、最適の組み合わせだった。
「楽しそうであるな。……もはや、心配はいらぬか」
「ん、考え直したよ。――でも、皆で料理するのが楽しすぎて、一人でやるのが侘びしくなりそうだよ」
そうして彼らは、談笑しながら食事を終え、解散した。
一郎にとって、得るものが多い一日となった。これからはもはや、食事をおろそかにしようとは思うまい。こうして、一人の撃退士の食生活が改善された。依頼人も満足するだろう。だがそれ以上に。
「明日は、何を作ろうかな」
料理好きの少年が、一人生まれた。その事実の方が、よほど重要なのかもしれない。