「丑の刻に参らせる天魔、ねぇ。相変わらず天魔はワケわかんねー」
虎落 九朗(
jb0008)が、下見を終わらせた所で、そうつぶやいた。
「丑の刻参りというと確か、自分の身も省みず、一心に相手の事だけを思っての奇行……?」
和泉早記(
ja8918)が、首をかしげながら答えた。こちらも、準備は整えているようである。
彼は一般人の侵入を危惧し、念の為に廃寺の入口方向と本堂側の細道に、簡易立入禁止現場的にロープを張り巡らしている。
「奇行といえば、これほどの奇行もない。随分と悪趣味な敵だが、一気に畳みかけてしまえば問題ないだろう」
現場で張り込んでいたルーノ(
jb2812)が、二人の傍によって答える。とりあえず、一般人が近づく気配はない。誰かが乱入してくる可能性は、今の所なさそうだった。
「ずいぶんとタチの悪いディアボロじゃないか。精神攻撃、自傷行為。人の内側を引っ掻き回して、気に入らないな」
しかし、それは人の心に憎しみがある証明でもあるのかと、紗姫・カスティリャーノ(
jb5103)は感慨深く述べた。
これ以上の被害は、出ないようにしたい。そう思う彼女の心は、この場にいる誰とも共通している。
「タチが悪いってのと、気にいらないってのには、同感っすね。……ま、なるようになるっすよ」
安形一二三(
jb5450)が、若干の緊張を言葉に表した。心なしか、声もこわばっている感じがする。
初陣というなら紗姫も同じだが、こちらは緊張しながらも、心を落ち着ける術を知っているらしく、見た目に気負いは感じられない。
それを彼は羨ましく感じながらも、己を鼓舞するように言った。
「初陣なんで花々しく飾りたいもんですねぇ……」
花々しくなるかどうかは、始まってみなければわからないことだ。
色々と思案するなか、九朗の携帯が鳴る。出てみると、それは仲間からの報告だった。
「下見した感じでは、夜まで敵が出現する気配はなさそうです。今は、一般人が入ってこないように注意しておけば、よろしいかと」
アステリア・ヴェルトール(
jb3216)は、九朗とは別に探索を行っていた。その彼女からの報告を聞く限り、やはり日中に戦闘に持ち込むのは難しいらしい。
とすると、想定通り、夜間戦闘になる。初陣の二人には、厳しい戦場になりそうだ。
「まだ時間はある。休んでおきましょう」
早記が、一二三と紗姫にサンドイッチとジュースを投げて渡した。実際、敵が出ないなら夜まですることはない。
彼は彼で、夕方まで寝るつもりらしく、適当な所に腰を掛けて、目を閉じた。そうした態度を見て毒気を抜かれたのか、二人も軽食をとりつつ休息を取った。
これで、緊張は解れただろう。九朗は安心して、現場で警戒に務めた。今しばらく、交代まで時間はある。ただの見張りとはいえ、出現が確認出来たら、すぐに戦闘なのだ。気を引き締める前に、休める者は休んでいくのがいいと、そう思う。
樹木の出現が確認できたのは、やはり、夜になってからだった。人の怨念が目に見えるように、幹には人の顔が浮き出ている。悪霊と植物の混合物といえば、その異質さが分かるだろう。
位置も社の後ろであり、目撃情報と一致する。ディアボロ以外の、なにものでもなかった。休憩していた者も連絡を受け、集合している。
下見の段階で把握できた頃だが、山肌・本堂からの道から狙撃は、難しそうだった。山の斜面は急で、狙撃する体勢を取るには向かず、無理に狙っても効率が悪い。本堂からの射撃はまだマシだろうが、射線が限られる上に夜間戦闘である。当然、離れれば離れるほど命中精度は落ちる。それでもあえて狙おう、と考える者はいなかった。
ともあれ、視界は常に星の輝きで光源を確保している。直接戦場に乗り込んで戦う分には、問題はなかった。
まず最初に、早記が動いた。攻撃が通る範囲で可能な最大距離を常時確保するのが、彼の戦術である。
仲間の後ろに控えておけば、味方の様子がおかしければ周囲にも注意喚起できるし、予め警戒しておけば回避準備も出来る。
「俺はあの辺りから、射程ギリギリで牽制します。支援は任せてください」
「ああ、頼む。精神耐性のある俺が、まず一度あたってみる」
早記の言葉を背に、九朗が聖なる刻印を掛けて徐々に接近、距離を確かめる。安全地帯を確認する意味もあるが、おそらくそう上手くはいかないだろうと予想もしている。
戦場はせまい。もしかしたらすでに全員範囲内かも――と。予測していたのだが。
「うぉッ!」
案の定、であった。九朗が敵の攻撃に反応し、両手を交差して顔面をガードする。
飛んできたのは、釘だった。おそらく、これまで樹木に打ちこまれたであろう釘。それが木の幹から打ちだされたかのように、勢いよく飛んできたのだった。
バッドステータスは受けていない。幸運だったと思うことにして、今度は躊躇なく踏み込んでいく。本堂の裏はまるまる敵の射程だと思うべきだが、その外はおそらく安全。
だがそれはこちらからの攻撃も届かぬか、確実性に欠く。火力を集中させて一気に畳まねば、敵の逃走を許しかねないと思えば――もう選択肢は即時決戦、それ以外にない。
「撃ちます。状況はどうあれ、攻撃手を止めなければ何時かは倒せる筈」
早記のフレイムシュートが、九朗の後ろから飛んだ。敵が木である以上、当たれば燃えてもおかしくないが――そこはディアボロ。あきらかに樹木の見た目でも、完全にそのものとはならぬらしい。
炎上はせず、ただ数秒燃え広がった所で消えた。それでも効いてはいるのか、悶えてうごめき、枝葉が辺りに散らばる。
その敵のダメージを確認した後、他の仲間、後衛からの射撃が続いていく。
「手を止めるなよ……押しきれ!」
ルーノが味方の行動を阻害しないよう、射線に注意して位置取りし、ヴァルキリーナイフが幹に打ちつけられていく。釘より太く長いそれは敵に食い込み、確実にダメージを与えていく。
敵は厄介な能力もちだ。早々に片付けるにこしたことはない。
「了解。――行きます。アウルの炎よ!」
アステリアが行ったのは、偽翼を展開しての空中戦、対地攻撃である。ファイアワークスによる火勢攻撃も選択肢のうちだが、残数が少ない。初手で使った後は、弓による射撃に切り替えた。
そして初陣の二人、紗姫と一二三が召喚したヒリュウをそれぞれに従え、攻撃に加わった。統制のある攻撃といって、良いだろう。
集中した火力は確実に敵の力を削ぐ。幹に浮かぶ人の怨念の表情も、一つ、二つと消えていく。それを呼応するように、幹から伸びる大きな枝が、またいくつか地面に落ちていった。
「よく狙って、ヒリュウ」
「うッし! やッちまえ、ヒリュウ!」
経験不足、という不安要素も、連携して攻める分には問題も消える。
特に紗姫は意識して、前衛の援護となるように、メンバーの動きを見ながら攻撃タイミングを図っていた。一二三もまた、突っ込む九朗のサポートのつもりで、チクチクと援護する形で攻めている。
そして、九朗が敵の目前へと肉薄する。敵の注目が、ただ一人の前衛である己に集中しているなら、後ろの味方への注意も弱まるだろうと思って。
「ぶち、かますッ!」
アウルの槍の投擲。九朗の手で作られ、投げられたそれは、見事木の幹の中心に直撃した。浮き出た人の顔らが、苦悶の表情にうめく。のみならず、樹木自体も大きく揺れ、その葉のほとんどを散らした。
再度、樹木のディアボロは釘の射出を行うが、九朗が前面に出ることで攻撃を受け止める。――状態に異常はない。あるいはこのまま、思い通りに戦い、勝てるかもしれない。
六人の奮闘が、完全な形で報われることになるか。戦いが佳境に進むにつれて、そうした楽観も生まれてきた頃――。
「これなら、楽に勝てますかねって……ありゃ?」
「……うん?」
紗姫と一二三が気付いたのは、偶然だった。つまり、偶然に頼るまで、気付かなかった。
そして一人空中戦に徹していたアステリアは、真っ先に敵の攻撃を理解していたが、距離をとっていたがゆえにどうしようもなく。九朗は近すぎる上に、前衛の仕事が多忙すぎて見逃し。
何が起こったか把握して、具体的に行動に移そうとしたのはルーノと早記のみ。それでもギリギリの所であったため、できることは少なく――。
「皆、散って!」
「足元を警戒しろッ」
落ちた枝葉がまるで意志を持ったかのように動いていた。だが警告も遅く、空を飛んでいたアステリア以外の全員が、この攻撃にさらされる。
敵にとって、枝葉は武器なのだ。こちらが撃退士と理解して、容易にその武器を使わず、温存し、追いつめられたこの状況で初めて出したのだ。
葉が、枝が、撃退士らの足を取り巻く。拘束か――と思いきや、そうではない。
「なんだこりゃ……あ」
一二三は気づいた。
その葉に。
枝の節一つ一つに。
「ちょ……ッ」
紗姫は見た。
幹から消えたはずの、うらみがましい人の呪い顔が、びっしりとこびりついていた。
――うろぉぉぉん。うおぉぉぉぉぉん。
至近距離で、それらは撃退士らの体を登り、顔の目前まで迫り、正気を失った表情で、暗い両目と暗黒の意志だけを見せつけて、弾けるように消えた。
――ぱぁぁぁぁん。
この場にいる誰もが、同じ音を聞く。そして、その中の幾人かは、『目の前が真っ暗になった』。
「正気です!」
早記は抵抗できた内の一人だった。いち早く我を取り戻して叫ぶ。
「俺も大丈夫だ! 皆はどうだ!」
九朗も問題ない。耐性をつけていたことが、ここで活きた。
「こっちも正気だ! 大丈夫なのはあんたらだけか!?」
紗姫も正常である。運に助けられた、というほかない。そしてアステリアは最初から攻撃を受けていないため無事であり、二人の異常を理解したのも、やはり彼女が最初だった。
「一二三さん! ルーノさん! しっかりしてください! ――皆さん、お二人がかかりました! ご注意を!」
一二三は幻惑されている様子で、体を震わせ、おびえながら、めちゃくちゃに光のリングで辺りを攻撃していた。
「くるな、くるなよ怪物がぁ。……くっそぉぉぉッ!」
攻撃は敵の方にも向かったが、味方の方にも流れ弾が飛びかねない様子である。このまま放置は望ましくない。
「――ッ! あ……」
ある意味もっと心配なのが、ルーノだった。ただ、呆然と立っている。身動きどころか、指先一つ動かしていない。目は開いているから、眠ってはいないらしいが――これは意識が朦朧としている、と考えるべきだろう。
「一二三さん幻惑! 回避してください!」
早記の警告の声が、戦場に響いた。しかし、前には樹木の敵がなおも控えている。敵は攻撃をやめた訳ではなく、釘の射出に加えて、切り落とされた枝葉を用いての撹乱をも狙ってきていた。そして、これ以上の混乱は戦線の崩壊を招く。悠長にしてはいられなかった。
決戦を焦る撃退士たち。そして敵は確かに、追いつめられていた。撃破も目前だろう。
二度目の不覚はとるまいと、全員が警戒していた。だからこそ、再度敵が大きく体を揺らし、大規模な範囲で枝葉を動かしにきた時、全員が覚悟を決めた。
「が! ……っあ、は――。くそ、本当に、趣味の悪い……」
そして彼も覚悟は決まっていた。ルーノが正気を取り戻す。
ダガーで自分の腕を傷付けて、己の正気を確かめた。……まだ己は戦える、それを確認して、戦闘に参加する。
「あれ。――え。……もしかして俺、やっちまってたっすか」
「安心しろ、俺もだ。気にするな」
「……申し訳ねぇっす。もう、負けませんから」
「良し」
ルーノに遅れる形で、一二三が己を取り戻し、改めて射撃の列に加わった。
その攻撃のすぐあと、敵は倒れた。もう、限界だったのだろう。地面に倒れて、枯れ、一本の腐った樹木になり果てた。もう、怨霊らしき人の顔も、怨嗟の声も聞こえない。
途中で焦らされたが、最後はあっけない。格別の強さを誇る相手ではなかったにしろ、それでも、とにかく不愉快で厄介な敵であったことは、間違いなかった。
一二三は緊張でカラカラになった喉を潤すように、烏龍茶をがぶ飲みした。
「過程はどうあれ、勝ちました。いい経験になりましたね」
「どーなんすかね……俺、足引っ張っちまったみたいで」
アステリアの言葉にも、一二三の反応は鈍かった。精神攻撃で幻惑されたのが悔しいらしい。
「敵がね、でっかくなって、迫ってくるみたいに見えたんすよ。で、怖くなって、めちゃくちゃにやりました。情けないっすね、俺」
「誰もそんなこと思ってない。そういうことだって、ある」
紗姫が、淡々と答えた。
誰がああなっていても、おかしくはなかった。その点を考えると、自分の代わりに、彼が犠牲になったような気もして、落ち着かない。
「『私はこんな幻覚に惑わされない』……なんて。考えるのは容易です。でも、実際に抵抗できるかどうかは、運みたいなものですから」
「そーだな。あんまり深く考えても、足かせになるだけだ。幻惑、魅了、その他いろいろ、戦い続けていくなら、こういう目には絶対にいつかは会う。後悔を引きずったままでいる方が、よっぽど有害だぜ?」
だから割り切った方がいいと、九朗はアドバイスした。アステリアの言葉も、もっともに聞こえた。経験の豊富な戦士たちの言葉なのだから、当然だろう。
「どんな感情だって、心にあるだけなら、良くも悪くもないから。恐怖なんて、誰の心にもあるし、刺激されたら過剰反応もしますよ。……どんな形であれ、戦う意思を捨てなかったのだから、一二三さんは立派に戦えたと思います」
早記がそう指摘すると、そうかもしれない、と一二三も思えた。己は生きているし、次がある。
「すいません――じゃなくて、ありがとうございました。何とか、やっていきますよ、これからも」
気を取り直して、一二三は礼を述べた。そして気付く。一人、欠けていることに。
「あれ、ルーノさんは?」
「帰還する、って言って、もう帰られました。……思う所が、あったのでしょう」
今回の敵は、そういう敵だった。朦朧とした意識の中で何を見たのか、一切話さず、翼を可視化・飛行しその場を離れた。
なら追及はすまいと、皆は思い思いに別れの挨拶をして、解散する。
余談だが、被害者の女性は後日、無事に目覚めたとの報が入り、皆を安心させた。
そして、どこかの空の下で、ルーノは物思いにふける。あの時見たのは、友の幻影。
生きているはずのない彼の、己の名を呼ぶ声が、責める声が、耳を塞いでも聞こえてきた。
ただの幻覚であることはわかっていたし、理解もしている。だが、今は少しでも早くここから離れたい。
そして早く忘れてしまいたい。今日の事も、あの時の事も。
ルーノは飛ぶ。過去の想いを振り切るように。その姿を仲間にさらす事さえ、しようともせずに……。