●
自然の洞窟を活用したその施設は、人の手が入り、いくつもの道や部屋が遍在する入り組んだ作りになっていた。
撃退士たちは周囲を警戒しながら、施設内を探索していた。
今のところは生存者の気配もなく、本当にここに天魔が闊歩しているのかと疑問に思うくらいに静かだ。
しかしそんな静寂も人類の敵、天魔の前では容易く破られる。
何かに気づいたかのように洞窟の奥を鋭くにらみ始めた龍崎海(
ja0565)がぼそりと呟いた。
「……御堂さん、気づいてるよね?」
その相手は白銀の髪を垂らした美貌の女性、御堂玲獅(
ja0388)だ。
彼女の目線もまた、まっすぐに龍崎と同じ方向を見つめている。
「はい。勿論……では、あとは手筈通りに。皆さん! 前方に天魔の反応があります……人間は、いないようですね」
本来ならあまりにも舌足らずな台詞だったかもしれない。
しかしここにいるのは全員が天魔と戦うことを職業とする撃退士だった。
当然、既に戦う準備は整っている。
それに、しばらく天魔を探し回っていたことで退屈も頂点に達していたのだろう。
撃退士たち全員が戦意に満ち満ちていた。
とはいっても、今回の依頼の目的上、全員が戦いに参加するわけにもいかない。
その場には事前に決めておいた班分けに従い、戦闘を主体として行動することとなった四人が残り、生存者の保護を目的とする四人は天魔のいない方向へと走り去っていく。
その姿を見送った一人である、アルクス(
jb5121)が学園依頼としては初めての天魔との戦闘に気合を入れてウォフ・マナフを握り笑う。
「こっちに来て最初の仕事かぁ。んー、多分何とかなるかな」
施設侵入前にも、人に喜ばれるように依頼を完遂したい、と言っていたところから、善良なその性質が見て取れた。
アルクスと同様、仕事に対するやる気満々なのが、灰色がかった銀髪を二つに結んだメイベル(
jb2691)だ。
「同業者さん、になるのでしょうか 友のピンチはすなわちチャンス! 全員お助けして、目一杯感謝されてみせますよっ!」
メイベルの明るく元気なその性格と口調は、一緒にいる人間の気持ちを和ませる。天魔の前に和みも何もあったものではあいかもしれないが。
そんな二人とは対照的に、ナヴィア(
jb4495)は冷静に前方から迫ってきているであろう天魔に対する評価を述べた。
「ここの能力者を殺したというのなら、結構な強さでしょうね」
彼女の感覚はどこまで行っても合理的、だった。もしかしたら生存者たちの保護すら、どうでもいいと思っている節がある。
「そろそろ来るよ。気を張って」
龍崎の声に、全員が頷いた。
洞窟の暗闇の向こうから近づいてくる不気味な影がその輪郭を明らかにする。
強靭な筋肉で構成されたその肉体。
馬と人間の複合されたその奇妙なキメラ。
それは、まず間違いなく情報通りの存在。
ケンタウロスだった。
●
「こっちです!」
叫びながら御堂は多くの人間を誘導していた。
全員の腕にその傷害の重症度に合わせて色分けされた紐がつけられている。
御堂の診察によるトリアージの証だった。
施設内部の生存者を見つけたのは、先ほど龍崎たちと別れてからすぐのことだった。
旧退魔師施設内部の生存者たちは、こういった事態も想定済みだったらしい。
天魔の襲来や、実験用天魔の逃走など緊急事態の際は、一所に集まり、救助を待つ。
特に組織の中でも能力が弱いものはそれが徹底されていた。
そのことが今回、功を奏した。
施設職員の殆どが、同じ部屋に詰めていたからだ。
しかし何事も例外はある。
「ここに彼がまだ戻ってきてないんだ!」
そんな声が部屋の中に響いた。
見ると、ひとりの研究者風の男が桜花(
jb0392)に必死な形相で縋っていた。
御堂が近寄り、話を聞く。
「どうかしたのですか?」
「いやさ……なんだか、一人、逃げ遅れた人がいるらしくて」
その言葉にシロ・コルニス(
ja5727)とギルバート・ローウェル(
ja9012)も集まってくる。
生存者保護はこの班の何よりも目的だから。避難場所への誘導もほぼ終わった今、逃げ遅れた人間がいるならその保護に走るべきだった。
「そのひとはどこですか?」
シロが研究者の男に質問する。
「……分からない。ただ、彼は天魔の実験室にいたはずなんだ。今あの部屋はどうなっているんだ?」
それを聞いて、シロは気の毒そうな顔をする。
男は、そのシロの表情で察したらしい。うつむいて、静かに涙を流した。
「……そうか。分かった……」
「ごめん。私たちがもう少し早く来ることが出来れば……」
桜花が申し訳なさそうにそう言った。
男も人に八つ当たりをしようなどと考えている訳ではないのだろう。
ゆるゆると首を振る。
「いや。そういうことじゃないのは、僕も分かっている。無理を言った……」
桜花が何とも言えずにいると、ギルバートがふと思いついたかのように言った。
これ以上、この話を続けるのは良くないと思ったからかもしれない。ただ、その判断が事態をいい方向へと導いていく。
「そうです。聞きたいことがあったのですが……」
「なんだ?」
「この施設にいたであろう、実験用の天魔の数です。この広さではかなりの数に上るだろうことが推測されますが……」
「いや、天魔をとらえておく、ということが思いの外、大変だったからな。この施設にいた天魔は二体だけだ。どちらとも、なんだ……ケンタウロス、のような容姿をしている天魔だった」
「そうなのですか……では久遠ヶ原に連絡していただけた人にもお話を聞きたいのですが、どこにいるか分かりますか?」
「依頼? 異変を感じてここに来てくれたのではないのか?」
「いえ、流石にそれは……新見さん、という方から依頼の電話があったので」
「新見!? 彼は生きてるのか?」
「……もしかして彼は先ほど言っていた?」
「そうだ……そうか、まだ生きてるのか……?」
「それは分かりませんが……希望はあるようですね」
「では、頼む。彼を……彼を助けてやってくれ」
「勿論です」
男の真摯な瞳に、四人は顔を見合わせて頷き合った。
生存者の避難もそろそろ終わる。今こそ、敵を殲滅するときだった。
●
その半人半馬の生き物は極端に素早く、また高い射撃能力を持って撃退士たちを翻弄していた。
目にもとまらぬ速さで弓に矢を番え、放つ。
その繰り返しで、撃退士たちは既に結構な傷を負っていた。
ただ、ナヴィアが阻霊符を使用し、壁や床に潜れないようにし、アルクスがその優れた移動力を活用してケンタウロスの側面に回り込むなど、辛うじて対応できてはいる。
「全く、早いなー。まぁ馬だもんね。当然と言えば当然か。足を狙って……っと!」
アルクスの撃ち込む闇の弾丸は確実に敵の体力を削り、徐々にその機動性を蝕みつつある。しかし、だからと言って、油断はできない。
「痛ったいなぁ……盾張ってもキツイね」
いくつも放たれる光の矢を、龍崎は盾を構えて引き受けていた。
その矢は早く、また重かった。しかし、龍崎もやられっぱなしではない。
合間を縫って近づき、十字槍を思い切り薙ぐ。
「グオォォォォ!」
ケンタウロスは、獣か人か判別のつかない叫び声をあげて暴れた。
傷は浅くない。ただ、致命傷と言えるほど深くも無かった。
「やれやれ。俺もまだまだかな」
そんなことを呟く龍崎の後ろから、ナヴィアが闇を纏った戦斧を振りかぶって飛び出してくる。
「捕獲なんて考えてられる相手じゃなさそうね。悪いけど、消えてもらうわ!」
ブォンと巨大な音を立てて振り切られたその戦斧は、ケンタウロスの腕を一本刈り取っていく。ただ、流石は天魔の端くれ、と言うべきか、化け物、というべきか。
ケンタウロスはそんな体になりながらも、弓を引く。手で引けなくなったケンタウロスは、口で弓を引き絞り、矢を放ってくる。
速度は先ほどより遥かに落ちたものの、今度は一撃の攻撃力が増している。
「あ、やば」
ふとそんな声を上げたナヴィアの耳に、
「危ないですっ!」
という叫び声が聞こえた。
見ると、目の前にアウルが網状に展開され、それが自分の体に纏わりついていくのが分かった。
ケンタウロスの放った光の矢は、ナヴィアの纏ったアウルによって、その攻撃力を減退させられる。
声の方向を見つめてみれば、そこには、ぶい、を手で形作ったメイベルがいた。
「ふふ……ありがとう」
「いえ! どういたしまして……あぅっ!」
よそ見をしていたその瞬間、メイベルにケンタウロスが突っ込んきて体当たりを食らわせた。
光の矢よりはマシとは言え、ダメージは小さくない。
一瞬、立ち上がれず隙が出来た。
(まずい、やられますっ!)
そう思った。
しかし。
次の瞬間、ケンタウロスは大きく体を痙攣させて倒れた。
その後ろには、
「……ふう。大丈夫だった?」
十文字槍を切り下げた龍崎が立っていた。
●
その研究員は追い詰められていた。
いくらアウル行使能力があるとはいえ、撃退士として働けるほどのものを持っている訳ではない。
そんな状態で、手練れの撃退士すら瞬殺するほどのポテンシャルを持つケンタウロスにかなう筈がなかった。
にも関わらず、男はひたすらにケンタウロスに追い立てまわされながらも、生きていた。
それは、男の能力の故ではない。
そうではなく、それは。
「くそ……こいつ、遊んでやがる!」
ケンタウロスの醜くゆがむ顔を見ながら、男は吐き捨てるようにそう言った。
そう。どうやらこの天魔は、男を追い立てまわすのが楽しいらしい。
だから、いつまでたっても殺さずにいたのだ。
しかし、それもそろそろ終わりのようである。
ケンタウロスはその手に持つ弓に矢をゆっくりと番え、よく狙いすませて男を見つめた。
射抜くような、とはまさにこのことだろう。
男は、もはや逃げられないことをこのとき悟った。
あぁ、弓が……放たれる。
そう思った瞬間、ケンタウロスの腕にロングボウの矢が突き刺さる。
「ガァ!?」
断末魔の悲鳴を上げるケンタウロス。
当然、男を狙っていた矢は明後日の方向に飛んでいき、男は自分が助かったらしいことを知った。
きょろきょろと周りを見渡すも、その矢を放ったらしき狩人の姿は見当たらなかった。
けれど、突然耳元に声が響いた。
「あまりきょろきょろしすぎると、またねらわれますよ。ゆっくりとうしろにさがってください。しずかに、おとなしく。おまえもまだ、しにたくはないでしょう?」
ぎょっとして声の方向を見てみると、そこには頭がすっぽりと隠れる巨大な牛の頭蓋骨を被った上半身裸の男がいた。果たしてどちらが天魔なのかとついケンタウロスと見比べてしまう。しかし少し物騒ではあったが、その台詞や行動からみて明らかにその男は味方である。
「すまない……助かる!」
男はそうシロに言って下がった。
シロはそれを確認すると武器をナイフに持ち替え、ケンタウロスに向かっていく。
そんなシロの後ろから、高速で銀色の炎がケンタウロスを刺し貫く。
「容赦はしない。する必要も感じない。異端の怪物よ、血の川に溺れろ。お前達の存在は許されない、だから死ね」
見ると、そこにはギルバートが立っていた。ケンタウロスを見つめるその冷徹な目の中には憐れみと言った感情は一切垣間見ることが出来ない。その聖職者としての矜持は人のためだけに費やされるのだろう。
ケンタウロスが話すいくつもの光の矢も、全く怯まずにその持つ盾で受け止め、掻き消していくその姿は、確かに美しき神の使徒であった。
そんな中、打ち刀を構え果敢にケンタウロスに向かっていくのは桜花だ。しかし、ケンタウロスの機動性に足がついていっておらず、とうとう、足が止まってしまう。
そんな桜花の油断を、ケンタウロスは見逃さなかった。ケンタウロスは大きな口を開けて、桜花を飲み込もうと近づく。
けれど、桜花の前に御堂がシールドを構えて立った。
「大丈夫ですか?」
「ごめん、助かったよ」
そうして、二人は笑いあう。
「では、このまま一気に倒してしまいましょう。幸い、シロさんとギルバートさんのお陰で敵は満身創痍です」
「オッケー!」
御堂の言葉に頷き、桜花はバヨネットハンドガンを打ち込む。
それと同時に、御堂が雷霆の書を開いた。すると、雷の剣が真っ直ぐにケンタウロスに向かい、その胸を貫く。
さしものケンタウロスも、これには参ったのだろう。一度大きく痙攣すると、そのまま横倒しになって、大きな音を立てて倒れたのだった。
●
避難所には、依頼を終えた撃退士たちと旧退魔師施設の職員たちがいた。その雰囲気はぴりぴりとしたものではなく、助かったことによる安堵と、撃退士たちへの感謝が感じられる。
新見、というあの研究員も彼を心配していた研究員と再会できたようである。
「本当に、今回は助かりました。久遠ヶ原にはもう足を向けては寝られません……」
そんなことを言っている。
「私たちは仕事をこなしただけよ。気にすることないわ」
ナヴィアが突き放すようにそう言った。合理的で冷静な彼女のことだ。本心を言っているのだろう。
メイベルとアルクスは、
「そうですよっ! 気にしなくていいんですっ!」
「そうそう。これ以上つらそうな顔しなくてもいいんだよー」
と言って笑っている。それでも研究者たちは、
「しかし今回のことは僕らのやり方に問題があったわけで……」
などと言いつのろうとしたが、今回出た死者の為に祈っていたギルバートが、
「私は教会のもの。どれだけ離れようと、久遠ヶ原で教育を受けようと変わりはしない 古い教えを守り、新しい術を知り、それを持ち帰るのが仕事。我々の教えをより強固にするために。我々の技術がまだ通用することを証明するために。――貴方たちもそうではないのですか?」
と呟いた。それに続いてシロが、
「シロには、ふるいことやあたらしいことはわかりません。シロはこのクニにきた、すべてがあたらしいです。おどろき、こわいこともありますが、とてもたのしいですね。シロのムラにはなかったものがたくさんありますから」
と言った。それは彼なりの励ましの言葉だったのかもしれない。そうして、龍崎が提案する。
「やり方が問題だったというのなら、少しずつ変えてみればいいのではないですか。能力者は学園って風潮ですが、学園の修練や能力の方向性等が合わない人もいるでしょう。そういう人達の更なる選択肢として必要だと思いますし」
一人一人の言葉に、研究者たち、それに施設職員たちも頷き、明るい顔つきになってきている。今回の事件は不幸な事故だった。これで今まで引き継いできたものを諦めるのはあまりにももったいない。そんな心境になってきているのだろう。
そうして、けが人の応急処置を終えた御堂が言った。
「さて。これでもう大丈夫でしょう。怪我も、そしてこの組織も。みんな、帰りましょう」