●森林公園入口
いつもなら休日を楽しく過ごす人々で賑わっている筈のその場所は今、しんとした静寂に満ちていた。
静寂と共に辺りに漂うのは不穏な気配、つまりは、天魔の放つそれ、戦いの匂いだ。
撃退士達は既に全員が公園内に突入しており、その場に残っているのはカルマ・V・ハインリッヒ(
jb3046)唯一人だった。身体の至る所に痛々しく傷が残るその身では天魔との戦闘は難しいと、その場にて管制に従事することにした為であった。
「自業自得とはいえ、せめて刀さえ振るうことが出来れば……」
眉を寄せてそう一人ごちるも、傷が治ってくれる訳でもない。諦めて自分に出来る事をするしかなかった。
「この身体では大した事は出来ませんが……せめて、皆さんの『目』になりましょう」
決意を新たにそう言ったカルマの目には、迷いはない。
手に持った携帯には続々と仲間たちの報告が集まっている。次々に地図の捜索範囲が塗りつぶされていくのを見ながら、今回の依頼の成功を彼は確信していた。
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「……自分勝手な行動をとるなんて良くないことなの。ちゃんと見つけて、愛ちゃんがきちんと叱るの!」
逸れた子供達の行動を思いながら、自らの同行者に携帯越しにそう言ったのは、周 愛奈(
ja9363)だ。未だ年齢は七歳とは言え、しっかりとした分別を持っている事がその瞳に宿る光からも分かる。今回、森林公園の地図を確保し、エリアを分けて探索の効率化を図ったのも彼女の功績だ。彼女は続ける。
「それに先生も先生なの! いくら子供たちが心配でも、無謀だと思うの。だから、ついでに見つけて愛ちゃんがきちんと叱るの!」
子供達や先生の生存を信じる楽観的なその台詞は、未来を担う若者らしい。
上空には、愛奈とは対照的な物憂げな雰囲気をした女性がいた。愛奈の声を微笑ましげに聞いているのは、数百年という長い時を生きてきた者の余裕か。積み上げられた年月は、人を現実的な思考へと変える。それは天使であっても変わらないのか、彼女、ウィズレー・ブルー(
jb2685)は、愛奈とは異なり、見つけた後よりも、今現在の状況が気になる様だ。
「無事であるといいのですが……」
そう言って周囲の音や気配を意識し、懸命に救助者の行方を探る。
森林公園は森林部分と遊歩道部分からなっており、遊歩道はある程度開けている。そのため、ウィズレーはその背中に透けるような真っ白な翼を顕現させ、上空に昇り、敵や要救助者の存在を探っていた。
そんな時だ。
「要救助者発見、それに天魔なの!」
繋ぎっ放しの携帯からそんな声が聞こえたのは。ふと下を見てみると、愛奈が上空に浮かぶウィズレーに向かって合図をしていた。どうやら、森の方を指している。ウィズレーが見たのを確認してすぐに愛奈は森の中に入っていく。
どうやら相当切羽詰っている状況らしい。ウィズレーは愛奈のもとへと急いで向かった。
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「美佐さんは今、どこに?」
出発するや即座に美佐に連絡を取り、その居場所を聞いたのは、カーディス=キャットフィールド(
ja7927)だ。出発する以前にも神凪 宗(
ja0435)が一度連絡を取っているのだが、その時とは居場所が変わっている可能性もあった。
電話の向こうからは、息切れの音と、焦るような声が途切れ途切れに聞こえてくる。
「あ、あのっ、私……今、子供たちを捜して! それで!」
殆ど責任感のみで動いているのだろう。天魔の姿も遠くから確認しているというし、その焦燥感は察して余りある。撃退士でない一般人が天魔と遭遇したら、命を失う覚悟をしなければならない。そのような状況の中で、子供を救うために走り出した勇気は賞賛に値するものだ。しかし、冷静な判断力、という観点からすれば全く評価できないのも事実である。
カーディスは美佐からやんわりとその居場所を聞きながら、絶対に移動しないようにと指示する。美佐が移動したのは、この場所に子供たちを捜す人間が彼女しかいなかったからだ。だから、その点も補足する。
「お子様達は私どもが全力で探します」
すると、美佐はやっと安心したように、小さく、「はい……どうか、よろしくお願いします」と言った。
横でカーディスが美佐と話していた内容――美佐の今いる場所、それに子供たちの行きそうな場所を、地図に書き込んでいた宗が苦々しげに言う。
「まさか移動しているとはな」
「パニックに陥った一般人は何をするかわかりません。こういうこともあります」
宗は頷き、地図に書き込んだいくつかの印を見ながらため息をついた。
「子供たちが行きそうな場所は……森の中、か。開けた場所にいてくれれば助かったんだが」
地図を見ながら、宗が言うと、カーディスが真剣な表情で、
「ミイラ取りがミイラにならないように注意しないとなりません」
と言って、阻霊符を使用する。森の木々を透過されないようにとの配慮だろう。植物はいい障害物になる。
そのとき、ふと、宗が遠くを見つめて言った。何かを見つけたようだ。その目は空を捉えていて、カーディスも同じ方向に目を向ける。
「……天魔だ。羽が四枚。あれが烏天狗、というやつか。まずは救出優先だ。今は隠れるぞ」
カーディスも同じものを確認し、頷いた。
出来ることならさっさと殲滅したいところだが、今回は他にやるべきことがある。優先順位を間違える訳には行かなかった。
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『B−5に天魔を確認したとのことです』
電話の向こうから聞こえてくるのはカルマの声だ。
『鬼道忍軍の二人は天魔を迂回して美佐さんの保護行うとの事なので、付近にいる班は可能ならば天魔の殲滅に回ってください』
「……ですって」
アーレイ・バーグ(
ja0276)はその金色の髪をさらりと流しつつ、胸元を大きく揺らして振り返る。その視線の先にいるのは、トレンチコートを着た矢野 古代(
jb1679)と、特徴的な感情を灯さない瞳を持つアデル・リーヴィス(
jb2538)だ。
アーレイは続ける。
「天魔など早期殲滅が理想ですし……殺しに行きましょう」
言っている事は別におかしくないのだが、その瞳には妙な迫力がある。何か、天魔に深い恨みがあるのか……。
そんなアーレイに対し、アデルは肯定的に返す。
「こういう時の為に、ヒーローはいるんだよ」
ただ、その言葉は単純な肯定ではなかったらしい、アデルは続ける。
「でも、敵の撃破より救出を優先すべきじゃないかな。ヒーローはまず非戦闘員を助けるものだよ」
アデルに続いて、古代も言った。
「なんとしても、無傷で帰さんとな。子供たちも先生も。そのためにはやっぱりまず捜索と保護をすべきじゃないか?」
単純な多数決で済む判断なら、ここで決着だったかもしれない。しかし、アーレイは食下がる。
「B−5周辺には鬼道忍軍が向かっていると言いますし、そうなると私たちが迅速に天魔を殲滅した方がむしろ安心ではないでしょうか。」
その意見には一理あった。天魔が要救助者を先に見つける可能性もある。
「いや、考えている時間が勿体無いな。アーレイの言うとおり、さっさと殲滅しよう。ただし周辺に要救助者を発見したらそっちを優先だ」
古代があまり殲滅にのめりこまないように釘を刺す。
アーレイもそこの所は理解しているようで、頷いた。
それから三人は目的の場所に向かったが、先ほどの論争が無意味だった事をそこで知る。
二体の天魔――背中に四枚の翼の生えた、真っ黒で不気味なディアボロがそこにはいた。烏天狗、と呼ぶにふさわしいその姿。それが、一人の少女に襲い掛かろうとしていた。
瞬時に光纏した三人は、疾風のような速さで烏天狗に襲い掛かる。
戦うに当たってのフォーメーションは既に決めていた。アーレイが前衛を務め、他二人は側背面からの攻撃を試みるというものだ。
今回の場合は子供を守りながら戦う必要があるから少し予定から外れるが、その役目はアデルが担う。
「……た、たすけて…! わたし、死にたくない……死にたくないっ!」
怯えた声でだだをこねる様にそう叫ぶ少女――おそらくは、この子が井谷美夏なのだろう。
少女を落ち着かせる必要を感じたアデルは少女を諭すように言う。
「きみは家族を悲しませたいの? 友達の涙が見たいの? 永遠に消えない傷を負わせたいの? 違うなら、もう少しだけ、頑張れることがあるよね」
「頑張れること……?」
「そう、今ここできみが僕たちから逸れれば、あの天魔達は嬉々として襲ってくる。きみは、ここで恐怖に耐えないとならない」
「……わたし、怖い」
「そう、怖いのは当たり前さ。ただ、きみは僕たちを信じて、ここでじっとしてればいい。それが、きみの、頑張れることさ。できるかな?」
すると、美夏はゆっくりと頷いて前を見つめた。視線の方向には、天魔と戦うアーレイがいる。彼女は今、一人で前衛をしながら立ち回っていた。
「ダアトって前衛張る職じゃないんですけどねー」
そんな事を言いつつも、実際に張れてしまっているのはその高い能力の故だろう。烏天狗は縦横無尽に飛び回りながら、四枚の羽で強烈なカマイタチの様な風を引き起こすも、アーレイが即座に張る障壁にその勢いを減衰させられ、僅かにダメージを与えるに留まっている。
しかし、僅かなダメージも続けて与えられては馬鹿にならない。
勿論、アーレイも黙ってはいない。
「地味に痛いですね……これで、どうですかっ!」
相手を痺れさせた隙に集中攻撃を加えようとスタンエッジを使用するも、烏天狗はものともせずに向かってくる。
一方、古代は、空を飛ばれては厄介と、
「子供や女の視界に何時までも入ってるんじゃねぇ。落ちろ、天の狗!」
羽を狙って針形に形成されたアウルの弾丸を打ち抜いた。しかし、烏天狗は傷ついた羽を羽ばたかせ、かまいたちを発生させる。しかしその攻撃が古代のもとに届く事はない。
「ちょっと、なんで私ばっかりなんですか!」
烏天狗は二体とも前衛であるアーレイを集中して狙っている様だった。
このままではまずいと古代は、襲い掛かる風の刃に対し、限界までアウルを注ぎ込んだ弾丸を打ち出す。それは衝突と同時に小規模な爆発を起こし風を散らした。
「んな攻撃で傷を負わせようなんてちいとはやいね」
刹那、そんな事を嘯く古代の後ろから氷の錐が出現し、射出される。
「平和を邪魔する無粋な子は、嫌いかな」
アデルの手元から放たれたその煌く氷晶は真っ直ぐに烏天狗まで飛んでいくと、その胸元を貫く。
銃撃、電撃、氷の貫通と、流石に耐え切れなかったのか、烏天狗は崩れ落ち、動かなくなった。
しかし、もう一体残っている。
烏天狗は飽きもせず、アーレイに突風を浴びせた。しかし、
「最後の一匹です……!」
アーレイは電撃を叩き込む。すると、烏天狗は身体を痙攣させた。そこに古代とアデルの攻撃が殺到する。
最後に残ったのは、烏天狗の残骸。羽の毟り取られた鳥のように、哀れな姿であった。
●
美佐のもとに辿り着くと、そこには天魔が群がっていた。
二体の烏天狗。視認すると同時に、カーディスは消していた気配を限界まで表出させ、名乗りを上げた。
「烏天狗! カーディス=キャットフィールドがここにいるぞ!」
突然の大声に注意を引かれたのか、烏天狗のうち一体がカーディスの下へと飛んでくる。
宗は一瞬、烏天狗の注意が逸れた隙をつき、アウルを脚部へと集中させ、雷鳴のような速度で美佐のもとへと向かう。烏天狗とのすれ違いざま、羽へと一撃を加えるのを忘れない。
瞬間、羽を落とされた烏天狗も反撃をするが、烏天狗の爪が裂いたのは宗ではなく、一着のロングコートだった。
「どこを見ている?」
烏天狗はあたりを見回すが、いつの間にか宗は遠ざかっていた。その腕には美佐が抱えられていた。
カーディスはそれを確認し、烏天狗への攻撃を始める。カーディスが雷遁を放ったのは、先ほど宗を狙っていた烏天狗だ。背後から加えられた一撃に防御も間に合わず、傷を負うと共に、身体が麻痺して動けなくなり、そしてそのまま崩れ落ちた。
残るは、あと一匹。
宗が再度足にアウルを纏い、高速で切りかかると同時に、カーディスも側面から雷遁による鋭い一撃を加えた。
流石の烏天狗もこれはたまらなかった様で、一度、大きく痙攣するとドサリと地面に伏し倒れたのだった。
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愛奈が指した方向、そこにいたのは、二人の少年である。しかし、その場所は極めて危険だ。彼ら二人は、樹上にいたのだ。
しかも、一体の天魔が少年達を木から落とそうと、漆黒の羽を羽ばたかせて突風を浴びせている。
愛奈は急いで天魔のもとに近づきスタンエッジを放つ。天魔は攻撃されて始めてその事に気づいたのか、驚いたようにその場を離れて、少年たちへの攻撃をやめた。
「早く降りてなの!」
愛奈はそう木の上にいる二人に叫ぶが、少年たちはおびえて動けない。
その声によって愛奈が少年たちを助けようとしていることに気づいたのか、烏天狗は愛奈ではなく、少年たちの方へと向かっていく。
これはまずい、と思ったのもつかの間、横合いから突然飛んできた氷の刃の直撃を喰らい、烏天狗は地上に落下した。
氷の刃の飛んできた方向を見ると、そこには高速で飛翔するウィズレーの姿がある。直前まで烏天狗が気づかなかったのはウィズレーが木々に上手く隠れていたからだ。
「傷つけません、人も、仲間も!」
そのままの勢いで少年達のもとへとたどり着いたウィズレーは、腰が抜けて動けない樹上の少年を抱えて地上に降ろした。
「ウィズレー、ナイスタイミングなの!」
愛奈の声に、ウィズレーも笑顔で応えた。しかし、まだ戦いは終わっていない。
烏天狗は絶命したわけではないからだ。
そう思って、落下したはずの場所を見ると、烏天狗がそこにいないことに気づく。
「どこです!?」
瞬間、強烈な風が吹いてきて、ウィズレーの肌を裂いた。
風の発生源を見ると、そこには烏天狗の姿があった。しかしウィズレーも黙ってやられたままにはしない。
「冥府側の攻撃は確かに私にとっては毒……しかしそれは逆も然りでしょう」
そう言って、再度、氷の刃を放った。それは先ほどの急場の一撃とは異なり、真っ直ぐに烏天狗の頭部に向かって飛んでいく。落下した影響で俊敏さを落とした烏天狗は避ける事も出来ずにその一撃に反応できずに倒れた。
それを確認したウィズレーは怯える少年たちを振り返って言う。
「大丈夫ですよ。怖いものはもういません…」
それから、少年達は安心した様に笑ったのだった。
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『最後の天魔二体の殲滅、及び少年二人を保護を確認しました。皆さん、依頼は完遂です』
携帯でその言葉を聴いた撃退士達が公園入口に続々と戻ってくる。それぞれが一緒にいる子供や先生とにこやかに話しながら歩いてきている。誰にも大した怪我はなく成功と言えそうだ。
こうして、今回の依頼は幕を閉じた。