●商店街
とあるビルの屋上で、限りなく気配を薄めた男性が一人、双眼鏡を片手に座っていた。
一見、探偵稼業かと勘違いしてしまいそうなほど物腰柔らかで洗練された雰囲気の男だ。
しかしそれは、彼のもう片方の手に食べかけのアンパンが握られておらず、また双眼鏡を置いた手にコーヒー牛乳が握られていなかったらの話である。
彼はもぐもぐと食事をしながら、商店街の一地点を監視していたのだった。
彼――カーディス=キャットフィールド(
ja7927)の双眼鏡がうつすのは、商店街を歩く人々――ではなく、その口元だ。
「ふむふむ……なるほど。やっぱりこの辺なんですね」
この距離では、当然、双眼鏡にうつる人間の声など聞こえない。しかし、彼の耳には、しっかりとその声が聞こえていた。
「……ピエロ……パントマイム……ははぁ……」
そして、一通りの情報を得たカーディスは、ことりと双眼鏡を置いて、またアンパンと食べ始める。
もぐもぐ。ごくりごくり。
「やっぱり、張り込みと言えば、アンパンとコーヒー牛乳ですね。うん」
おいしそうに食べるカーディス。その姿は幸せそうで、平和に満ちていた。
●久遠ヶ原学園廊下
「ピエロですか……? さぁ……」
そう申し訳なさそうに頭を下げる少女の前には、同じ制服を纏った物腰穏やかな男性が立っていた。
「いえ、貴重な時間を割いていただきありがとうございました」
そう柔らかく言って彼――龍仙 樹(
jb0212)は踵を返し、仲間の下に戻っていく。
「駄目でしたか。特徴的な格好をしている集団ですから、僕はすぐに見つかると思ってたんですけどね」
無表情にそう言って樹を迎えたのは、時駆 白兎(
jb0657)だ。包帯と眼帯、それに長く伸びた白髪がどこか異様な雰囲気を放っており、その隠されていない方の目に宿る光は、物事を数字で考える者特有の知性を湛えている。
白兎の言葉に少し考えるような表情になった樹は、ふと思いついたかのような顔で笑った。
「久遠ヶ原で“特徴的な格好をした人”を探すのは難儀かもしれませんね」
「あぁ……みんな、そういう格好をしてますね」
言われて、白兎は納得して頷いてしまった。久遠ヶ原学園はその性質上、おかしな格好をした人物に事欠かない。
「普段なら喜ばしい、と言うべき我が校の校風も、今回に限っては憎いですね」
「しかし三人ですよ。それだけのピエロが固まって動いていれば、流石に目立ちそうなものです。僕なら一度見たら忘れませんね。そんな情報も覚えておけば誰か酔狂な人が買ってくれるかもしれません」
「では、酔狂な私たちはその情報を売ってくれる方を探しにまた歩きましょうか。……でも、聞くべきところは聞くだけ聞いてしまいましたからね。これ以上となると……」
そうして、二人は途方に暮れかけて顔を見合わせた。
しかし、そんな二人の肩を叩く人があった。首を傾げて振り返ると、そこにはよれたスーツを着た男性が立っている。見るからに冴えない勤め人、という感じだが、ここはオフィス街でも満員電車でもない。であれば、その男性の正体はただ一つしかないだろう。
「……お前ら、いまピエロつったか?」
その男性の名は、乃木隆文。久遠ヶ原学園の臨時講師だった。
二人は彼と会話し、そして詳しい事情を聞く。すべて聞き終えて息を吐いた樹は言う。
「…なるほど、大体の事情は解りました」
「あとは彼らを止めるだけ、ですね」
白兎が後をついで、そう言ったのだった。
●久遠ヶ原学園部室棟
「本当にここにいるんでしょうか……?」
訝しそうな顔でとある部屋に向かって部室棟を進むのは、小柄な少女――氷雨 静(
ja4221)である。
静は、樹と白兎から連絡を受け、とある部室に向かっていた。
横には、小麦色の肌を惜しげもなくさらす露出度の高い衣装を纏った強欲 萌音(
jb3493)が歩いている。彼女は楽しそうにこれから出会うべき人々のことを考えながら言う。
「ピエロ様って凄いっすねー! ……もしかしたら大儲けのヒントとかあるかもっす!」
「……伝え聞く能力があれば、確かに可能かもしれませんが……」
そんなことを話しながら辿り着いた先に扉があった。木製のよく磨かれた飴色の扉だ。
静は、ノブにゆっくりと手をかけ、そして扉を開く。
「誰かいらっしゃいますか……?」
「サインくださいっすー……?」
おそるおそる、二人でそんな声をかけつつ中を覗いてみるが、人影は見えない。
「誰も、いない?」
静は扉をあけ放った。やはり、だれもいない。
「萌音様。どうやら誰もいないようですよ。外れなのでしょうか?」
後ろから着いてきた萌音の方を見ながら、こくりと首を傾げる静。しかし、なぜか静に声をかけられた萌音の眼は見開かれていて、静から焦点が外れている。
「……? 萌音様?」
「う、う、うしろっす! 静様!」
「うしろ?」
言われて、きりきりと首を後ろに回す静。
するとそこには、
「きゃ、きゃあ!」
顔を白塗りにした奇妙な格好の男が立っていた。
一瞬、驚きに顔を染める二人だったが、すぐに息を整えて、まっすぐに相対したの尋常ではない胆力の故か。
静はその奇妙な男に、話しかける。
「あの、貴方様が、クラウン研究部の部長様でいらっしゃいますか……?」
男はその言葉に唐突に目をぬっと見開き、静に近づいてきた。少し後ずさったことは責められないことだろう。
「あ、あのっ」
微妙に取り乱しかける静に、男は言う。
「ふむ! 何を隠そう、私がこのクラウン研究部の部長である!」
思いの外、張りのある声だった。びりびりと響くその声。それは芸の一つなのか。そうであるなら、やはり訓練をしたのだろう。先ほどの妙に迫力のある仕草だってそうだ。すべてを芸に注いでいるから、意識せずとも出るのだろう。だとすればどうして事件なんて。
そんな思考に陥りかけた静の後ろから萌音の声が響く。
「部長様っすか! あの! サインくれないっすか!」
「ん? サイン? なんだ。君らは私のファンかね。なるほどあげようあげよう」
機嫌よさそうに色紙を出して、さらさらと書き始める部長。しかし、そんな空気を打ち払って静が言う。
「いえ、そうじゃなくてですね! 最近、学園でピエロによる事件が……」
そこまで言った時だった。部長は突然振り返って、窓の方に向かって走って逃げだす。
「あっ、逃げるっす」
言っている間に、部長の体は窓の外に翻っていた。
「に、逃げられてしまいました」
「でもま、これで確定っすね」
「そうですね……みんなに連絡しましょう」
そうして、静は携帯端末を取り出して、かけ始めたのだった。
●飲食店街にて
「クラウン研究部ですか?」
端末片手に、クリフ・ロジャーズ(
jb2560)はそう呟いた。通話の相手は静だ。
「はい。もう少しで捕まえられそうだったのですが……逃げられてしまいまして」
「そうですか……わかりました。何かあったら連絡を」
「はい。お願いします。では」
ぷつり、と通話が切れると、クリフはまた闇にまぎれ、息を潜めて辺りの監視を始める。
周囲に飲食店が立ち並ぶこの通りは、久遠ヶ原の学生がよくお世話になっている飲食店街だ。ここにもまた、ピエロが出ると情報があった。しかしどんなピエロが出るのか、その情報はない。だからこその監視、だからこその隠密だった。
そんなクリフの監視に、とうとう引っかかる人物が現れる。
それは奇妙な光景だった。
でっぶりとした体型の男がとことこと街に現れると、道行く人を止め始めた。
はじめは誰もが嫌そうな顔をしているのだが、数人に一人、興味を持つ人が現れ始める。
そして、その人はその男と数言会話し、そして男が大げさなリアクションを繰り返す度、はじめは仏頂面だった顔が笑顔へと変わっていくのだ。
気づいた時には、飲食店街は多くの客に満たされていた。
クリフはそこで初めて、自分もまたその芸に魅せられたことに気づき、慌てて端末を取り出して連絡をする。
「何かあったんですか?」
そう尋ねる静に、クリフはピエロが出現したことを報告した。
●学園入口
「……もうファンがついているんですか?」
白兎がそう言って辺りを見回すと、十人ほどの生徒や教師がそこに集まっているのが見えた。
「本当に、プロではないですか」
樹が感心してそう言った。
「まだ来てはいないようですが……これだけ期待されてれば、来ざるを得ないでしょうね」
静が背を伸ばして生徒の群れの向こうを見ながら言う。
「そうっすねー。ここに来るのは、やっぱり部長ピエロ様っすか?」
「カーディス様がパントマイムピエロを、クリフ様がコミュニケーションピエロを確認したとのことですから、残りは……ということですね」
萌音の台詞に静が情報統合の結果を話すと、萌音は深く頷く。
「なるほどー……っと、来たみたいっすよ!」
その台詞にほかの三人が萌音の視線の先を注視した。するとそこには、部室で見た部長ピエロがいた。
登場からすでに多くのアイテムをジャグリングしていて、どのようなバランス感覚を持っているのか理解できないレベルである。
周りの生徒たちの反響もすさまじい。口笛や歓声が上がっている。
しかし、だからと言って捕まえない訳にもいかない。四人はそれぞれ打ち合わせ通りに素早く観客の中に紛れ込み、そしてピエロに近づいたのだった。
まず樹がオーラを纏い、わずかにピエロの気を引くと、静と萌音がその後ろに素早く回り込んだ。
気づいた時には既に決着がついていたと言っていい。
四人は包囲が完成したことを確認すると、観客の振りをやめた。
がやがやと不自然な空気が流れ始めたその場に、白兎の声が響く。
「学園からの依頼で皆の登校を邪魔する人をお仕置きにきました」
その声にピエロは四人がどう見てもただの観客でないことに気づき、逃走の構えを見せる。
しかし、
「人前での『練習』も程々にしておかないと怒られっちゃうすよー?」
「ピエロの真髄は己を犠牲にしても観客を楽しませることにあるはず 周りに迷惑をかけてピエロの矜持にかかわらないのですか? なぜこのようなことをなさるのです?」
回り込んだ静と萌音の姿に気づき、諦めたようにため息をつく。
どうやら、観念したらしい。
ピエロは力なく呟く。
「……フェスティバルに、出たかったんだ」
その言葉を聞き、頷いたのは樹だ。
「乃木講師から話は聞きました。やはり……小テストが原因で部活中止になった一件が原因で?」
「なぜそれを……!?」
驚いて目を見開くピエロ。
しかし樹はそれには答えない。
「こんな騒ぎを起こしたら、逆効果になるのではないですか?」
「そ、それは……」
動揺するピエロ。
「テストの結果が悪かったのは自業自得です。追試してもらうなりフェスティバルだけでも出場させてもらうなり、まず先生に頼み込んではどうでしょうか?」
樹に続いて、萌音が言う。
「自分の技には自信があるようっすけど、自分の特技を安く売りすぎっすよ! 信条に従っての行動は美しいっすけど、それだけっす。 今、ピエロ様たちには目先のコトしか見えてないっす! 」
「む……」
もう一押しで落ちる。そこに、静が最後に言った。
「先ほど、一瞬とは言え、私たちも芸を見せていただきました。この域の芸に至るまでには相当な努力が必要だったはず。それに比べれば小テストで通過点をとることなど容易いはずです。心意気を見せれば先生方もフェスティバルへの参加を認めてくださるのではないでしょうか?」
それから、ピエロは息を大きく一息吸うと、
「……一緒に、頼んでくれるだろうか」
と言ったのだった。
もちろん、四人は笑顔で頷いたのだった。
●飲食店街にて
「って事らしいですよ」
通話状態の携帯端末を、大量の観客を集めたピエロに投げて渡すクリフ。
事情は既にすべて話してある。ピエロは素直に受け取り、客も解散させた。
ピエロは泣きながら頷きつつ、電話の向こうの話を聞いて、切って寄越す。
「なぁ……俺たちのしたことは、間違っていたと思うか?」
ピエロがそう聞いた。クリフは答えた。
「君達の芸は楽しいひと時を与えてくれる素晴らしい物なんだから。芸を見せた後、お客さんの生活に悪い影響が出るような事になっては勿体無いですよ」
その言葉を聞いて、ピエロは目を見開き、力なく肩を落とした。
「……そうだな」
クリフは続ける。
「なら、君達が本当に芸を見せたい場所はここではないでしょ? もう一度先生と話をしに行きましょう」
ピエロは顔をあげて、クリフを見つめた。そして何度も頷き、言ったのだった。
「……ありがとう」
●商店街
「と、いう訳のようですよ」
気配を隠すのをやめたカーディスは、一部始終をピエロに語る。
ピエロははじめは信じられないような顔をしていたが、徐々に頭が落ち着いて来ると納得したらしい。
もぐもぐとアンパンを食べているカーディスを一瞬見て、迷惑をかけて申し訳なかったと謝った。
「私に謝るのもいいのですが、それより先生に一緒に謝りに行きましょうか。みんなで」
「……いいのか?」
「いいも何も……私たち、みんな貴方たちがフェスティバルに出るのを楽しみにしてましてね。そのためには協力は惜しみませんよ」
カーディスの言葉を聞き、涙が止まらなくなったピエロはその後しばらくありがとうと言い続けたのだった。
●謝罪と結末と
教員室でに、静の声が響く。
「彼らは迷惑をかけましたが理由があってのこと。この通り改心しましたのでどうか彼らの素晴らしい芸を披露させて上げて下さい」
それに続いて、クリフの声も。
「彼らは芸に対する熱意がどれほどの物なのかを伝える方法を間違えただけだと思うんです。これだけ人を惹きつける芸を身につけるのって相当大変だったと思いますし。フェスの出場だけでも許可して頂けないでしょうか?」
先ほどから、熱心な説得が続いていた。
先日起きたピエロ事件の首謀者、クラウン研究部の活動についてだ。
フェスティバル出場ができなくなったことがその原因だったということで、事件を解決した六人の撃退士たちがぜひその点に配慮してほしいと嘆願しに来ているのである。
もちろん、そう簡単に認めるわけにはいかない。しかし、解決した者たちたっての願いである。それに……、
「……はぁ。もうわかったよ。認める認める」
クラウン研究部顧問、乃木講師はそう言って許可証を渡した。
呆気にとられる撃退士たち。
すると、乃木講師は笑って説明する。
「いやな、あの事件以来ファンが増えちまってなぁ……出してやれってお前ら以外にもうるさいんだ。だからまぁ、そういうわけだ」
なるほど納得な理由である。あれほど客を集めた芸にファンがつかないはずがない。撃退士たちは喜び勇んで、許可証を研究部へと届けに行く。
乃木講師が、その後ろ姿を眩しそうに見つめていた。