●水族館上階にて
「――たァく、世話の焼ける」
張りはあるが少し粗野な声で、面倒臭そうに島津・陸刀(
ja0031)はそう呟いた。
誰もいない水族館に声が反響して広がっていく。陸刀は横を歩く八尾師 命(
jb1410)が何か返答をしてくれないかと目をやるが、命は、
「幸樹君とディアボロを探知するんですよぉ」
等と呟きながらみょんみょんと何か発していた。その体はアウルの光輝を身に纏っており、何か特別な能力の行使がそこにあるのが感じられる。これが撃退士でなければ首を傾げるところだが、陸刀も命も久遠ヶ原の撃退士だ。命が何をしているかは火を見るより明らかな話だった。
子供――幸樹君の居場所や、ディアボロの正確な数が確認されていない以上、小部屋や通路を虱潰しに捜索していくしかない。
真剣に幸樹君の捜索を行っている命を見て、これでは返答は望めないな、と諦めたところで、陸刀はもう一人の同道者の方をちらりと見やる。
紫の瞳に白髪という色彩感を別にすれば、一見すると、通常の人間のように見える彼女。しかし口元を注視すれば、そこには人にあるべくもない牙のような鋭い犬歯がちらりと覗いている。
(……はぐれ悪魔、か)
アセリア・L・グレーデン(
jb2659)の少しばかり人間離れした容姿を観察しながら、陸刀はそう思った。
実のところ、陸刀は人間以外の種族と肩を並べて戦うのは初めてだった。それが果たして運が良かったことなのか悪かったことなのかは、分からないことだ。しかし、だからこそ陸刀には天魔が信ずるに値する存在か、分からなかった。
だから、今回の依頼を通して、人間陣営につく天魔について、信用できるか見極めるつもりだった。
そんな陸刀の視線が、若干強すぎたのかもしれない。アセリアがふと振り返って、陸刀に首を傾げて呟く。
「なにかご用ですか?」
若干冷えた声に聞こえるのは、陸刀を咎めた故か。
いや、そうではないだろう。アセリアの目には怒りの色は浮かんでいない。ただ、そこには凪いだ湖のような冷静な感情が湛えられている。
「……なんでもない。しかし中々見つからないな」
陸刀は向けられた疑念を逸らすようにそう言った。アセリアは口元に手を寄せて答える。
「幸樹君も、ディアボロも、ですね。不意打ちも警戒していましたが、こうまで手ごたえがないと……」
二人はそここに展示されている水槽を見ながら顔を見合わせた。
無人になったビルでも電力は未だ供給されている。そのため水槽は以前のまま、極めて繊細な光でライトアップされていて美しい。
けれども、ここまで展示されていたどの水槽の中にもその住人は不在だった。
「おそらくは、ディアボロに捕食されたのでしょうね」
そう言ったアセリアに、陸刀が少し眉根を寄せて言った。
「幸樹はそんなことになってないだろうな……?」
しかし、そんな不安は次に放たれた明るい声で霧散する。
「いや、そんなことはないようですよ〜」
ふと、探知に集中していた筈の命が意味ありげにそう言った。
「なにか、見つかったのか?」
「はい。幸樹君が……とは言っても」
――この下なんですけどね〜。
命は手に持った館内図を困ったように見つめながらそう呟いて、床を指さした。
●水族館下階
「……ええ。分かった。バックヤードの方ね? 了解」
ピッ、と手早く端末を操作して、フローラ・シュトリエ(
jb1440)は向き直った。
その赤眼の先にいるのは、不破 炬鳥介(
ja5372)と桐生 水面(
jb1590)だ。
「なんかあったんか?」
自慢の流れるような緑髪をしゃらんと傾げ、水面がそう聞く。その声が少しばかりはずんでいる気がするのは気のせいではないだろう。
先ほどまで、下階捜索班は人の隠れられそうな場所を手当たり次第に捜索していたのだが、なかなか見つからず、手詰まりになりかけていた。
そこへ来て、命から連絡が入ったのだ。期待するなと言うのが無理である。
「命さんが生命探知で見つけたそうよ。ただ、下階にいるみたいだから、より近くにいる私たちに任せたって」
「なるほどなぁ……ほな、いこか。バックヤードの方やんな?」
水面が確認がてら、炬鳥介にそう告げると、炬鳥介はガクン、と一瞬項垂れて返答を返した。
「……バックヤード……ディアボロ…も…そこ…にいる……か…?」
どこか、燃える炎のような情熱を感じさせるその台詞。
それが伝わったのかどうか、水面は少し考えてから答える。
「どうやろな。それにしても、命ちゃん、見つけるのはやいなぁ」
「…餅は、餅屋…か。俺…の、餅屋は…」
「もうすぐよ」
フローラは炬鳥介の言葉に意味深にそう返し、足を進める。
バックヤードの扉のある地点まで、周囲を警戒しながら歩く。展示されている水槽はやはりさびしく、ここがほんの数時間前まで営業中だった水族館であると言われても俄かには信じることができない。
そんな異様な雰囲気の中、ふと、炬鳥介は奇妙なことに気づき、呟く。
「…穴が…?」
炬鳥介の言葉に、フローラと水面は視線を翻す。
見ると、
「たしかに……」
「穴、やんなぁ……」
天井に大きな穴が開いているのだった。
「どう考えてもディアボロやん。……どうやら少なくとも、阻霊符は効いたみたいやな」
ディアボロの潜航能力。それがスキルによるものか物質透過によるものか分からなかったので、念のため、使用しておいたのが効いたことが確認できた。
「しかし、潜れないからって貫通せんでもええやんか……」
突き破られていたのが、水族館に入ってすぐに目にした大水槽だったらと考えるとぞっとする。
「バックヤードは、この先ね」
いつの間についていたのか、扉は目の前にあった。
フローラが手をかけて、扉を素早く開け放つ。
後ろには、水面と炬鳥介が敵の襲撃を警戒して構えていた。
しかし、
「……ディアボロ…いない…か?」
「そうやな……」
「いないに越したことはないわ。さぁ。進みましょう」
フローラの台詞に引っ張られるように、二人はバックヤードの中に入っていく。
「さて、どこやろなぁ……」
「……子供…どこ…か」
三人で目を皿にして探すと、意外とすぐに見つかる。
バックヤードの端の方で、丸くなって震えている小さな人影が見えたのだ。
三人は駆け寄る。
「無事みたいやな……もう大丈夫やからな?」
水面がそう言って頭を撫でると、幸樹は水面に抱き着く。
「う……うあぁぁぁぁぁん!!」
「あ、あんまり大きな声で騒ぐのは今はよした方が……!」
慌ててフローラがそう言うも、
「…もう、遅い……敵…来た…」
見ると、炬鳥介の右腕がめらめらと燃え上がり鱗のような形を作って全身を覆っていく。
光纏――アウルの力の発現の証だ。
つまり、それは戦うべき時が来たということ。
「……俺の…餅屋は…ここだ…十枚下ろしの覚悟は良いか…紛い物…!」
炬鳥介が光纏して間もなく、壁を次々と突き破って浮遊するいささか大きすぎるペンギン状の生物が突進してきた。
しかし、ペンギン達の距離は未だ遠く、また足元に目をやれば幸樹が震えてしがみついているのが見える。
「……遠くから殲滅、が最善やな」
水面はそうして、詠唱を始める。それと同時に、水面の周りに凍気が凝っていく。それでも幸樹に影響がないのはアウルの扱いの上手さゆえか。そして、詠唱は完成する。
「――伝うは凍気、眠りを誘う冷厳なる波動!」
水面が手を振るうと、周囲を漂っていた凍気が拡散し、辺りを氷結の世界へと変えた。
ペンギンだから冷気には強い、かと思われたが意外なことに大した耐性は無いようで氷に包まれて瀕死に近い。
しかし、どんなところにも素早い奴と言うのはいるものだ。全部で三体突っ込んできたペンギンたちのうち、一体は水面の猛攻を避け、そのまま頭から突っ込んできた。
腹にそのまま突進を受けた水面は吹き飛ばされるも、幸樹を庇って倒れこんだ。
「っつぅ……!」
次の攻撃に備えるべく、瞬時に起き上がる。けれど、その必要はなかったようで、
「どうした…来いよ……いや…やっぱ来んな。生グセぇんだよ…おいゴミ」
炬鳥介がそう挑発をしながら突進して鉞を振り下ろしていた。強力な力の全てを注ぎ込んだその一撃はペンギンの防御力など紙にも等しかったらしい。真っ二つに切り落とされて動かなくなったペンギンを炬鳥介は黙って踏みつぶした。
残ったペンギンを見つつ、フローラは笑う。水面の氷により動きの鈍くなったペンギン達を見て、屠るのに絶対の自信がついたからか。のろのろと、その場から一時撤退しようと床を削り潜ろうとするペンギン達に、
「潜って逃げられたら厄介だし、速攻で行かせてもらうわよ」
と呟いた。
フローラの両手の甲に銀色の文様が淡く浮かぶ中、フローラの放つ気がペンギンを包んだ。さわさわと氷晶が舞い上がり、ペンギンを無残に切り裂いていく。そうして、もう気が済んだと言わんばかりに美しい氷の礫が霧散すると、そこには荒く削られ絶命したペンギンが転がっているのだった。
ほんの数瞬で、三体のディアボロを滅ぼしきった三人はそのままの足で急いで出口に向かう。
●大水槽の前で
「うわ〜。うわ〜」
「まさか、こう来るとはな」
「使われるだけの駒が……随分と威勢のいいことだ」
三者三様の言葉で、それに対する感情を表現した。
陸刀、命、アセリアは、あれから敵を探しながら道を辿り、大水槽の前まで戻ってきていたのだった。
敵が、見つからない。どこにも。
ずっとそんなことを感じながら退屈に身を滅ぼされそうな思いで辿り着いた大水槽の前。
しかし、運命とはそういう、極端に気の抜けた瞬間を狙って襲ってくるものである。
そこには、紛れもなく敵がいた。おそろしく巨大な、サメと表現するのも申し訳ないほどの生き物が、そこに。周りに浮かぶ三体ほどのペンギンが申し訳なく思えるほど小さく見える。
しかも、間の悪いことこの上ない。
「ここは私たちが引き受けます! とりあえず貴方たちは逃げてください!」
そんなアセリアの声に、陸刀がはっとしてアセリアを見つめた。その顔は何かに気づいたかのような不思議な驚きに満ちている。
アセリアが叫んだ先、下階に続く階段には、幸樹を連れたフローラ達がいた。撃退士だけならともかく、幸樹のいる状態でディアボロに襲われる危険を考え、進めなくなっているようだった。
しかし、久遠ヶ原の撃退士である。呆けていたのはほんの数瞬の話で、すぐにそれぞれ光纏し、構えて敵対する体制をとった。
それを待ち構えていたかのように、サメは浮遊する巨体にベクトルを与えて突っ込んでくる。
あれだけの巨体だ。その質量だけで、相当なダメージが想像される。
だからこそ、命とアセリアは素早く身を翻してその場を離れようとした。
しかし、
「陸刀さんっ!」
陸刀はアセリアに笑いかけると、そこから動くどころか、むしろ足を踏ん張り始め、サメ型ディアボロに相対し始めた。
まさかあの巨体に立ち向かう気なのか。それはいくらなんでも……。
命とアセリアはそう思ったが、見ると陸刀の口元は笑っている。
そうして、刹那、サメの巨体と陸刀の体が交差する。質量から見れば明らかな勝負だった。しかし……、
しかし巨大な爆炎と共に、吹き飛んだのは、意外にもサメの方だった。
「うしっ!」
陸刀の猛攻はそこでは終わらない。壁に激突しのたうつサメに、陸刀は向かっていく。サメもただではやられない。獰猛な力を拳に宿すため、ための動作に入っている陸刀に、その鋭い牙を突き立て、暴れた。
だが、その抵抗も虚しく、陸刀の力は放たれる
彼の拳がサメに激突した瞬間、巨大な獅子の顔が露わになり、サメの体をバキバキと噛み砕き、そして静かに霧散していった。
陸刀が拳を下したとき、そこに転がっているのは、もはや生命の宿らない、虚しい肉の塊に過ぎなかった。
あまりの展開に驚く命とアセリア。しかし敵はそんな二人を放っておいてはくれない。陸刀が戦っている間も、ペンギンたちは二人に襲い掛かってきていた。
しかし、瞬間、数体のペンギンが一直線に重なったそのときを、アセリアは見逃さない。
腕に闇を纏い、強く振り下ろすと、まっすぐに黒い力が迸った。
突進しようと突っ込んできたペンギン達は思わぬ反撃に撃ち落され、一体、また一体と墜落していく。
しかし、一瞬の隙を縫って、どこからかペンギン型ディアボロが命に襲い掛かった。
「……っ!」
命はダメージを覚悟して目を瞑った。
しかし、いくら待っても衝撃はこない。命はおそるおそる、目を開く。
すると、
「……アセリアさん!」
「……大丈夫、ですか?」
ペンギンの突進を耐えるアセリアが、そこにいた。何か深刻なダメージを負っていないかと確認するが、どうやら大きな怪我はないらしい。
よかった、と安心すると同時に、命はゆっくりとアセリアの体にアウルの光を流し込む。そろそろと治っていくアセリアの傷口。
「助かります」
命に振り返り無表情にそう言って、アセリアはペンギンを吹き飛ばした。
「いい方向に飛ばしてくれたな」
そう言ったのは、陸刀だ。
そのまま、陸刀は無造作に拳を振るうと、吹き飛ばされてきたペンギンを一撃で絶命させた。
「アセリア、怪我はないな?」
はじめとは異なり、にこやかに陸刀がそう言った。彼の中で、何かが変わったのかもしれない。
しかし、アセリアははじめと変わらずに返す。
「ええ。問題ありません。それに幸樹君たちも、逃げ切ったようですね」
見ると、先ほどまでいたフローラたちの姿が見えない。どうやらうまく脱出できたらしい。
「これで、依頼は完遂でしょうか〜。敵の気配ももう、ないようですよ〜」
そうして、三人は水族館出口へと向かう。
どうしてか、そこには来た時とは違う、不思議な連帯感が満ちていた。
●再会
「幸樹……幸樹ぃぃぃぃ!!!」
手を広げる恵子。そこに飛び込む幸樹。
ありがちで、陳腐で、けれどどんな人間ですら否定することのできない心洗われる光景がそこにはあった。
周りには撃退士たちが集まって、幸樹の頭を撫でたり、恵子から感謝の言葉を述べられたりしている。
しかし、そんな輪から外れる者が二人。
「…子供…命。無視…すれ、ば…俺達、の…リスクも。無い…既に…死者。出た中…何故…命、ヒトツに。拘る…?」
そんなことを呟く、炬鳥介。
「人間の感情はまだよくわからないもので」
アセリアが、そう返した。
人を知るには、まだ何かが足りていない。そう感じている二人。
しかし、そこに何もないことを不思議に思う心は、いつかその場所に何かを納める未来を予感させた。
「お前らもこっちこいよ!」
「アセリアさ〜ん! 炬鳥介さ〜ん!」
「ほら、きなさいよね」
「来るやんな?」
四人が、手招きしている。
そうして、二人は顔を見合わせつつ、無表情に向かったのだった。