●当日――レシピ交換の開始。
会場は調理実習室。そこに所狭しと人が集った。
涼しさが増す、この季節。それにも関わらず、熱気は増すばかりであった。
集ったのは主に女子で、少なからず男子の姿も見えるが、彼らはエプロンに身を包んでいた。
本日、ここで行われるのはダイエットレシピの公開であった。一人の少女の依頼を受け、斡旋所を通し、学園が開催したのだ。
その熱意――同性なら分からなくもないが――は、レシピを公開する男性諸君に、緊張をもたらす。彼らは皆、引き締まった体躯をしていた。それが撃退士としての激務に、多少なりとも関係があることは否めないのかもしれない。ぱっと見渡すと、集った女性も同じであった。
――健康的に見えるのだが。
胸中に抱く思いは表に出ることはなかった。無駄な言葉など発せさせてくれるような、穏やかな空気では無かったのだ。一人一人が瞳に宿す光は、真剣のような鋭さがあった。
やがてアナウンスが流れ、今回レシピを提供するメンバーや献立の紹介がなされる。その後、それぞれの台所に分かれ、調理を開始した。
●なんとかみち。
「ここで飛び出すオリーブオイルっ!」
「えっ、ちょ」
初っ端から飛ばして行くのは因幡 良子(
ja8039)。その手にはオリーブオイルが握られている。
そして、その姿にぎょっとするのは隣で調理を進める諸伏翡翠(
ja5463)であった。
周囲も「彼女らが作るのは、つみれ汁でなかったか……」と訝るような視線を向けている。健康的であるため、オリーブオイルはもちろん悪くない。ただ入れる先は、つみれ汁である。正直、ぞっとしないのが、周囲の感想であった。
翡翠の必死の説得に応じ、良子は笑いながらオリーブオイルを手放した。最初から、ずっと落ち着きのない良子を見ていて、翡翠は「緊張でもしているのかなぁ」と勘違いしていた。しかしながら、ここで認識を改める。身内が敵だと言えば、少々大げさではあるが、油断はならないと翡翠は気を引き締めた。
その後も良子は時折「オリーブオイル」と小さく零すので、翡翠は気が気でない。結局、用意した音楽プレイヤーを使う余裕は無かった。
●栄養の行方。
「思うんだけどねぃ?」
ふと口を開いたのは十八 九十七(
ja4233)だ。見た目に反し(?)、彼女の手際は凄く良い。発表したレシピの内、南瓜のシロップ漬けを仕上げ、フムスの秋南瓜添えとしいたけのステーキに移っていた。
九十七の視線の先には、隣で調理をするRehni Nam(
ja5283)の姿があった。
彼女もようやく九十七の視線に気づき、小首を傾げる。
「どう考えても、ダイエットとか必要じゃないですよねぃ?」
Namを上から下まで眺めた後に、九十七の視線がある一点で止まる。そこは身体の中心より、少し上であった。男性ならば、そこに起伏の無いのも頷ける。ただNamも負けずとも劣らずであった。
「九十七も人のこと言えねぇけど」と付け加えたのだが、Namは言葉を失った。とあるトラウマ(?)がずきりと疼いたのだ。
「しっかしさぁ、どうやったら、ああなるのかねぃ?」
「邪魔そうだけど」と言いつつ、九十七が視線をやるのは、上海蟹をタコ糸で締め上げている最中の藍 星露(
ja5127)だ。無意識だろうが、時折寄せられる胸の破壊力は凄まじい。
そんな光景にNamは唖然とする。隣の九十七はそれほどダメージが無いのか、静かに笑っていた。
やがて星露は二人の視線に気づく。しかしながら唖然としているNamと薄い笑みを浮かべている九十七を見ても、一体何の話をしているのかは分からず、不思議そうに首を傾げるばかりであった。
●努力の証。
料理も終盤に差し掛かり、奮闘するのは牧野 穂鳥(
ja2029)。手際よく進めてゆく面々の多い中、彼女だけは――少し残念であった。
一生懸命さは人一倍である。彩りを意識して、きのこのスパニッシュオムレツに赤パプリカを入れているため、見栄えも良い。そして味付けも悪くない――しかしながら、周囲に散らかった材料の欠片が、後片付けの大変さを思わせた。
その隣で調理を進める鴻池 柊(
ja1082)は、「どうしてこうなった」と内心で冷や汗を流す。オムレツを作る際、穂鳥よりも先に混入した卵の殻に気づいた。それを伝えると、穂鳥は慌ててしまい、卵を溶いたボールごとひっくり返しそうになる。柊が慌ててフォローに入り、事無きに終えたが、その後も穂鳥は時折危なっかしい行動を取ることがあった。
その度に放っておけない柊は、自らの作業を置いてでも手伝った。そして隣の穂鳥の調理がようやく済んだところであった。
――やっと、か。
内心で穂鳥のオムレツ、鰯の香味挟み焼きの完成を見届け、ようやく息を吐く。それでも料理を得意とする柊は、自らの作業を遅らせることはなかった。玄米は炊飯器に任せ、こんにゃくを多めに盛り込んだ金平牛蒡、焼き舞茸のすまし汁、秋鮭の塩麹焼きと和食で統一した一食を並べた。盛り付けも綺麗で、隣の穂鳥と比べてしまうと、少々ながら酷な絵となった。
「あ、あの……」
そんな穂鳥から声をかけられ、柊はびくりと肩が震えた。悪いことは何もしていないのだが、心配性かつ世話好きな彼の心情は穏やかなものではなかったのだ。
「い、色々とすみません、ありがとうございました」
「……いや、お構いなく」
刹那ながら返事が遅れたのは、お礼を言われるとは思っていなかったからだ。少し照れた笑みを浮かべながら、頭を下げる穂鳥に柊は言う。
「良い感じに出来たな」
「は、はい、鴻池さんに手伝っていただいたおかげで――」
「料理自体は牧野が頑張っただろう」
俺のおかげではない、と柊が付け加える。
「お疲れ様」
柊がそう告げると、牧野は嬉しそうに微笑んだ。
世話焼きもやはり悪くない――そんなことを思いながら、柊は膳を整えるのであった。
●疑問。
「思ったんだけど……」
薩摩芋のシフォンケーキをオーブンで焼いているため、手持ち無沙汰になったグラルス・ガリアクルーズ(
ja0505)は隣の料理を眺めながら呟いた。
「ダイエットを成り立たせるには、健康管理や食事だけではなく、やはり運動も必要だよね」
「ん、ええ、はい」
九十七は手を休めることなく、流れるように応じた。
やがてガリアクルーズは、九十七の料理に視線をやり、遠慮がちに言う。
「その……凄い高タンパクだよね」
「当然。良質な植物性蛋白質と適切適度な運動によって、脂肪は燃焼します故ッ」
その通りではある。しかしながら、このメニューは筋肉太りの可能性を高めるのではないか――そんな懸念がガリアクルーズの中で渦巻く。
それについて言及すると、九十七も否定しなかった。
「でもですねぃ、見た目はすらりと引き締まっているけど体重が多い場合と、体重は少ないけど見た目がだらんとしている場合、どちらがいいですかねぃ?」
数字ばっかり気にするのも馬鹿馬鹿しいですよねぃ――そう付け足す、九十七に迷いは無かった。その堂々たる態度にガリアクルーズも静かに頷く。確かに筋肉が付き、基礎代謝が上がれば、脂肪は勝手に燃えてゆく。健康的になるし、食事をしっかり取っても問題は無い。良いこと尽くめであった。
「それでも数字を増やしたくないとおっしゃる方は食べる時間を工夫すれば良いのですよ」
穏やかな口調で言うのは、八重咲堂 夕刻(
jb1033)だ。彼もきのこをふんだんに使ったおからのグラタンをオーブンに入れ、またデザートの林檎と生姜の紅茶寒天を冷やす作業に入り、手持ち無沙汰になっていた。
「と、言いますと?」
ガリアクルーズが夕刻を促す。
「グラルスくんの言う通り、健康管理や食事だけでなく、運動も必要です。その運動の強度……例えばですね、有酸素運動と無酸素運動、また筋肉内のエネルギーを使うか否か、大体この四つに運動の質も分かれます」
年の功だろうか。夕刻は穏やかながらも、自らの知識を次々と公開してゆく。
「その運動の質により、身体が欲する物も違ってきます。主に有酸素運動――文字通り酸素を取り入れて運動するため、これは筋肉に対する負荷が最も低いのです」
「その通り。だから鍛えたかったら、筋肉のエネルギーを使いきっちゃわないとですよねぇ、ええ、はい」
九十七の言葉に、夕刻も頷く。
「運動の質により、エネルギーの吸収率も変わりますし、また運動の直後……身体が一番エネルギーを欲している時間に、食事を取るか否かでも変わってくるのです」
「確かにプロテインなどは、運動の直後に飲むことを勧められていますね」
「その通り、筋肉を増やしたければ、そうすればいいのです。増やしたくなければ、運動からしばし時間を置いてから、食事を取ると良いでしょう」
ガリアクルーズは流石だと感心しながら何度も頷いた。
「……それでも少々の筋肉太りは否めないでしょうけどねぇ」
そんなことをしみじみと言う夕刻。
九十七が出来上がったメニューに一瞬だけ目を落とし、小さくため息をついた。悲嘆等の暗い感情からではない。
数字ばかり気にしても仕方ないだろう――その思いは、やはり揺らがなかった。
●逃げ道の喪失。
役目を終えた良子はオリーブオイルを構え、今か今かと料理を見つめている。対し、翡翠はもう慣れたのか、冷静につみれ汁を仕上げていった。
「ここで飛び出すオリーブオイルッ!」
もう何回目だろうか。そのセリフを軽やかにスルーし、ようやくかけたミュージックプレイヤーで心情を保つ。しかしながら、その平穏は刹那で崩れ去る。
「イっちまいな!」
何と九十七が後押ししたのだ。既に調理を終えているようで、他のテーブルを見て回っていたようだ。
「よし、九十七ちゃんの許可も出たことだし、お姉さん、はりきっちゃうぞっ!」
「そ、そんなところではりきらないでくださいっ!」
それならば「生姜ぐらい微塵切りにしろ!」と叫びたかったが、翡翠は寸前のところで堪えた。
しかしながら状況は一対ニ――翡翠の不利は否めなかった。そんな不憫な翡翠を見かねたのか、ここでも柊がフォローに入る。
「……流石につみれ汁にオリーブオイルは無いだろう」
健康的だからと言って、乱用していたら元も子もない。そう言って、ハイテンションな二人を宥めようと試みるが、結託した九十七と良子の二人は強かった。
「やってみないと分からないですよねぃ?」
「そうですよ、そうですよ!」
九十七は結果を分かっていながら、ほくそ笑んでいるような気配がある。しかしながら良子は本気だった。その瞳が真剣の色をきざしていることに気づいた柊は、もはや言葉を失った。
――援軍が欲しい、出来れば常識的な。
柊は辺りに視線をやり、救助を求めるが、火――否、大炎上に飛び込んでなるものかと、Namと星露は目を伏せた。ガリアクルーズや夕刻ですら苦笑を浮かべ、肩を竦める。
万事休す――そんな言葉が柊、そして翡翠の脳裏を過ったところで、何と一人立ち上がる者がいた。
放っておけない性質は柊と同等――先ほどは柊にお世話になりっぱなしだった穂鳥だ。
「せ、せっかく作ったんですから、オリーブオイルをかける前にも食べてみて、その後に少しかけてみたら、どうでしょう?」
一度で二度美味しい! と穂鳥が告げると、九十七が何かを言おうと口を開いたのだが、それを遮るように良子が叫んだ。
「おお、穂鳥ちゃん、ナイスアイディーア!」
妙に英語っぽいイントネーションだ。
その後ろで九十七は「上手く躱したなー」と薄い笑みを浮かべていた。
●終演に向かって。
各々の出来上がった料理の試食、レシピの説明なども終えて、全員が片付けに入る。
結局、一番人を集めたのは、氏家 鞘継(
ja9094)であった。オリーブオイル事件を遠目から眺め、その間に着実に進めた料理の完成度は高かった。それぞれの品に旬の食材を使い、かつ和食の美しさを完全に再現している。ご飯物――さつま芋入り五穀ご飯の調理過程が簡単だったこともあり、人気を博したのだろう。
とは言え、どこのテーブルも大差は無かった。少しだけ鞘継が目立った程度である。
「凄かったですね」
隣で掃き掃除をしているNamの言葉に、星露も頷く。
「いやいやいや、そんなことないですぜぇ」
皆さんも上手だった、と鞘継は続ける。三角巾を解き、髪の毛をくしゃっとかき混ぜながら笑った。
「あたしの上海蟹のせいろ蒸しなんて……ちょっぴり引かれてたんですよ」
普段、とてつもなく元気の良い星露であったが、「上海蟹なんて、どこで買えば……」と参加者の一人が苦笑混じりに零したのがショックだったのだ。
「でも、美味しかったですけどね」
ちゃっかり試食に混じったNamがフォローを入れる。美味しかったのは事実だ。しかしながら上海蟹の入手に関しては、やはり首を傾げずにはいられなかった。
「今や、どこで何でも買える時代だぜぃ? 気にする必要ないですよねぃ」
「そ、そうですかね?」
星露の瞳に少しの希望が浮かぶ。誰か一人でも、今回のレシピを実践してくれたら――そう思うと、やった甲斐があったと言うものだ。
「それにしても――」
鞘継がちらと視線を向けたのは柊だった。柊もそれを敏感に察知し、訝るように眉をひそめた。
「お兄さんは色々と大変だったですよねぃ?」
「……隅でちゃっかり調理していたヤツよりはな」
「はてはて、何のことですかねぃ?」
柊は呆れたように苦笑を漏らし、鞘継は幼さの残る顔立ちを無邪気に破顔させた。