●教室にて
「ちょっといいか?」
礼野 智美(
ja3600)がすらっとしなやかな腕を上げながら、口を開いた。腰まで伸びる髪をさらりと揺らしながら、立ち上がる。
やや呆れ気味に依頼の説明をしていた斡旋員のお姉さんが頷き、礼野の質問を促す。
「その匿名の女の子の学年、わからないか?」
「うん、それが特定できれば、情報収集もスムーズに進められると思うんだよね」
礼野 智美の言葉に賛同するように、美少女に見えるが実はちょっぴり勘違い少年――犬乃 さんぽ(
ja1272)も声を上げた。犬乃も元より依頼の手紙から調べるつもりだったのだ。
「その通りだな。恐らく依頼人の周囲を調べれば、騒ぎの中心に向かうことができるはずだ」
淡々と言葉を紡ぐのは天風 静流(
ja0373)。端正な顔立ちには感情の色が一切見えず、礼野と犬乃に同意するように頷くだけだった。
「だけど、それからどうしましょ? まさか、いきなり制圧ってのも……」
牧野 穂鳥(
ja2029)が、やや遠慮がちに口を開いた。牧野の言葉を受け、この依頼を受けるために集まったメンバー全員が僅かに唸る。この依頼は情報を集めた後に、どう対処していくかが重要なのだ。
真剣な議論を重ね、男子の持つフラストレーションについての議論にたどり着く。
「単にチョコレートが貰えないからって蜂起するなら……凄まじくバカバカしい理由だけど、解決は至極簡単なのよね」
東雲 桃華(
ja0319)の言葉に頷きながらも、どこか苦々しい笑みを浮かべる牧野。礼野はやれやれと言わんばかりに肩を竦めるし、天風は顔色一つ変えずに小さく息を吐いた。
「でも突然、彼女を作れってのも難しい話だし、和ませる手段としてはチョコレートの配布もいいんじゃないかな?」との提案により、大まかな流れが決まる。後はそれぞれが動き出すだけだった。
「なら、一応予算の申請とチョコレートを作る場所――家庭科室を確保しておこう」
すっと席を立ちながら、沙耶(
ja0630)が教室を後にした。一人では大変だろうと、天風もその後を追う。
残る八人も、情報収集のために教室を後にした。
●情報収集
「まあ所構わず甘い世界に突入しちゃうカップルとか、目のやり場に困るけどねえ」
そんなことを言いながら、廊下ですれ違う人に次々と話しかける天王寺 茜(
ja1209)。どうやら友人が多いらしく、楽しそうに雑談を交えながら蜂起集団の聞き込みを続けている。
その光景に、やや圧倒されながらも、牧野も意を決して尋ねようとした時だった――牧野の足下をすり抜けて、男子生徒へと近寄ってゆく白い姿があった。
「バレンタインつぶすって、なぁに?」
ズボンを小さく引きながら尋ねるあまね(
ja1985)の姿に、男子生徒は僅かに頬を弛めた。ふわふわとした柔らかな髪の合間から覗くつぶらな双眸は上目遣いで、男子生徒は幼女の魅力に捕らわれる。
その男子生徒の変化を察知した東雲が慌てて駆け寄り、あまねを引き剥がす。
「ごめんなさい、何でもないの!」
何故、自分が謝らなければならないのか、やや疑問に思いながらも東雲は、あまねを引きずってゆく。強制連行されるあまねは「のー」と不平を零しながらも、抵抗する気配は無かった。
「……俺、何かに目覚めそうだった」
「ほう、そーかそーか」
視線を宙にさまよわせる男子生徒の胸ぐらを掴み、ぐいっと引き寄せたのは神宮寺 夏織(
ja5739)だった。瞳には強い光が宿り、心ここにあらずだった男子生徒も一瞬にして我に返る。
「ところで先輩、悪いよーにはしねーからよ、知ってること、全部ゲロしろや?」
それは脅迫ー! と東雲が慌てて止めに入ろうとするも、手持ちにあまねがいる。やむを得まい、と呆然と立ち尽くしている牧野の名を呼んだ。
「神宮寺を止めて!」
はっとしながらも、牧野は神宮寺を抱き上げる。
「わ、ちょ……何すんだよ!」
「ご、ごめんなさいねー」
そそくさと去ってゆく東雲とあまね、牧野と暴れる神宮寺。早くも情報収集係は半数となってしまった。
「ボ、ボクらが頑張らないと」
苦い笑みで、その後ろ姿を見送っていた七海 マナ(
ja3521)だったが、犬乃の言葉で我に返った。そろそろ動かなければと決心する。犬乃と七海は唯一の男メンバーだが、彼もまた外見で性別の判断をすることは難しい。金の髪に、空を切り取ったような碧眼、そして整った顔立ちだった。
その隣で、どこからどう見ても美少女の犬乃が次のような言葉を白々しく呟いた。
「バレンタイン、今年も一人だなぁ……」
刹那、二人に向けられる視線は熱と冷気の両方を伴うものであった。犬乃や七海の性別を知っている者は冷ややかな眼差しを、それを知らない者はやや興奮気味に振り返り、血走った眼を動かした。
(……あれ、ボク、まずいこと言った?)
頬の冷や汗を拭う余裕も無く、犬乃は僅かに後ずさる。まだ一言も発言していない七海も大量の視線を受け、思わず怯んだ。
ぞろぞろと二人の周囲に集まる男を流し見て、礼野は肩を竦める。二人を助ける選択肢は無かった。あわよくば、そのまま首謀者までたどり着けばいいのに、と楽観しながら、情報収集を続ける。
「礼野ー! 首謀者分かったよ!」
やがて遠くから駆けてくる天王寺の言葉に、礼野は感嘆の息を漏らす。こうも早く特定するとは思いもしなかったのだ。
「本当ですか?」
「うん、他にも色々とね!」
ウィンクしてみせる天王寺から話を聞き、スマホに打鍵してゆく。送る先は家庭科室で待機してあるであろう天風と沙耶だった。
●家庭科室にて
連絡を受け、家庭科室に集まったメンバーが動き始める。申請した予算が下り、天風と沙耶が既に必要な材料を揃えていた。
「チョコを湯煎してクリームを加えて、と……作るのは随分と久しぶりだな」
ボウルに入ったチョコとクリームを慣れた手つきでかき混ぜながら、天風は呟く。
「天風さん、普段からお菓子とか作るんですか?」
長い髪を頭の横で結いながら、牧野が尋ねた。それに天風は静かに頷く。そのすぐ横で沙耶がコーティングするためのチョコレートを細かく刻み、湯煎にかけていた。溶けるまでの時間で、ココア粉を取り出し、調理の行程を円滑に進めてゆく。作るのはトリュフチョコレートだった。
また少し離れたテーブルでは、買ってきた包装用紙を機嫌良く切っているあまねと、その面倒を見ている東雲の姿があった。
そして神宮寺もまた、チョコレートの制作をしている。まさかと思いつつも、一抹の不安を覚えた牧野は覗いてみる。形が崩れ、何とも禍々しい物がいくつも並んでおり、牧野の頬は引きつった。
「……な、何だよ」
視線に気づいた神宮寺が睨みつけるが、牧野は曖昧な笑みを浮かべるばかりだった。
「ん」
そう言って、神宮寺は一際禍々しい形のチョコレートを牧野に差し出した。
「形はちょっとアレだけど、ちゃんと食えるんだぜ?」
牧野は逡巡するも、神宮寺はその手を引かない。牧野は恐る恐るチョコに手を伸ばし、意を決して口に放り込んだ。刹那、目をかっと見開き、牧野は呟く。
「……っ、美味しい!」
「だろ?」と神宮寺は得意げに笑みを零す。
もしかしてチョコレートを作るのは簡単なのだろうか――しばらく考えた牧野は、神宮寺の手伝いに入ってみることにした。結果は、神宮寺に散々注意され、ブルーなオーラをまとう牧野の姿があったそうな。
●総仕上げ
「僕もさー……本当に貰う側じゃなくて、あげる側になっちゃってるんだ」
苦笑混じりに漏らす七海の周囲は、いつしか悲壮感を漂わす男が何人も座っていた。本命を釣り上げるどころか、いつしか中枢に潜り込んで、何故か警戒心ゼロで心情を吐露し合う会のようになり、七海も嘘偽りのない本音を零す。
「ほら、これ」と取り出したのは、以前の依頼で作り方を習ったトリュフチョコだった。前もって準備していたチョコレートに、数人の男子の視線が注がれる。視線でチョコが溶けてしまうのではないかと危惧するほど熱い眼差しに、やや頬を引きつらせながらも、場の雰囲気を和ませるためにチョコレートを渡し始めた。
また同じように犬乃も準備していたチョコレートを渡してゆく。受け取った者は、どことなく熱い視線を犬乃に向ける。そのたびに「ボ、ボクは男だよ?」と冷たい汗を流しながら犬乃は断りを入れている。
「そ、そういえばさ、何で蜂起しようとしたの……かな?」
手持ちのチョコレートを配り終えてしまい、七海は尋ねてみることにした。
「うーん……いや、まぁ何か楽しそうだったし」
やはりと言うべきか、その場の雰囲気で参加した者が多いらしい。そのためチョコレートのおかげで、やや落ち着きを取り戻した集団に胸を撫で下ろした。しかし――
「俺、七海さんのチョコレートもらってねえぞ」
「おい、貴様、犬乃さんのチョコレートをよこせ!」
事前に用意してきた数では足りなかったようで、集団の隅から怒りの声が上がる。不穏な空気がじわじわと広がってゆく。
このままではマズイ――そう思った瞬間だった。
「はーい、お待たせー!」
元気の良い声を響かせて、やってきたのは天王寺だった。その後ろに全員が揃っており、一人一人が可愛いらしく包装された小さなチョコレートを持っていた。
まるでタイミングを見計らったかのような登場に、七海と犬乃は大きく息を吐いた。
礼野は天王寺が集めた情報を流した後、集団に呑まれ連れ去られてゆく犬乃と七海の後を追った。犬乃と七海の様子を観察しながら、自らも集団に忍び込み、常に情報を流し続けた。そのため、タイミングを見計らったかのように現れたのではなく、まさにタイミングを見計らっていたのだ。
派手に仕事をしてくれる七海と犬乃のお陰で、動きやすかったと礼野はそっとため息を漏らした。
「はい、どうぞなのー」
むさ苦しい空間に一輪の花が咲いたかの如く、可憐な声を響かせながら、あまねはチョコレートを手渡してゆく。
「ほら、蜂起なんかするんじゃねーぞ」
言葉遣いこそ荒々しいが、神宮寺も笑顔でチョコレートを渡してゆく。
この二人からチョコレートを受け取った男子は、何かに目覚めそうになったそうな。
「蜂起なんかしたら、学園を卒業するまでチョコレート貰えなくなるって考えなかったの? 蜂起するぐらいの気合いがあるなら、チョコレートを貰えるような男を目指しなさい!」
天王寺はバシバシと男子の背中を叩きながら、チョコレートを渡してゆく。
また、その美貌から熱烈な視線を向けられる天風は通常運転、雰囲気を穏やかにするために淡い微笑みを浮かべているだけで、淡々とチョコレートを配ってゆく。
「こ、これからパーティをしようと思うんですけれど、いかがですか?」
チョコを口の中に放り込み、和んだ空気が一瞬止まる。やや静寂があり、男子たちは嬉しそうに声を上げ始めた。
結局、チョコレートを作る手伝いはできなかったため、牧野は空いた時間を利用してパーティの準備を進めていたのだ。体育館を借り、沙耶と東雲と手分けしてバレンタインを一人で過ごす女子を集めた。皆で騒げば、きっと蜂起のことも忘れるはずだ――と。
ぞろぞろと移動してゆく集団を見つめながら、犬乃と七海は肩から力を抜き、近くのベンチに腰掛けた。二人ともうなだれ、やっと終わったーと死にそうな声で漏らしていた。
「お疲れ様」
涼しげな声に二人が顔を上げると、東雲が微笑をたたえていた。そのすぐ後ろに礼野もいて、静かに犬乃と七海を見下ろしている。
そっと差し出した東雲の手には、小さなチョコレートがあった。また同じように、礼野も無言で、目を逸らしながらチョコを差し出す。犬乃と七海は目を白黒とさせた後に、目頭が熱くなり、思わず顔を伏せた。
「大げさな……」と苦々しく礼野は呟く。東雲も微笑を苦笑に変え、二人の姿を見守っている。
貰ったチョコレートを二人はさっそく頬張る。コーティングのチョコレートが溶けて、柔らかな生チョコが口の中に広がる。糖分が疲労した全身に染み渡っていき、やっと終わったと犬乃と七海は笑みを零した。
歓声の残響が木霊する。それを聞きながら、廊下で一人佇む沙耶の姿があった。
催しは成功しているようで、体育館に向かってゆく生徒と幾度がすれ違った。カップルも催しが気になっているようで、廊下は閑散とした空気をまとう。
抱えていた古い本を開くと、一枚の写真があった。それを手に沙耶は呟く。
「……あなたがいたなら」
本と一緒に抱えている綺麗に包装された箱の行く宛は無さそうだ。