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撃退士たちが村に到着したのは昼過ぎのことだった。
夕飯の買い出しには、まだ早い。が、それを差し引いても出歩いている人は異常なほどに少なかった。……いや、いなかった。
状況から、避難するのは当然ともいえる。
「小さな女の子だよ。髪はボサボサで、浅黒い肌で、ボロボロの服を着ているそうだ」
役場の応接室で、撃退士たちは村長の説明を受けていた。
何しろ、情報が少ない。せめて相手がどこにいるのか、どんな容姿か、といった情報は得ておかねば悪魔の発見すらままならない。
「容姿は分かった。それで、その悪魔はいつごろ村に現れたんだ?」
一つ頷き、神凪 宗(
ja0435)は質問を重ねた。
「具体的な時期は私にも分からないが、少なくとも去年にはこの村にいたよ」
「じゃあ、アコって名前は、どうして分かったんだ?」
ふぅ、とソファにもたれた赤坂白秋(
ja7030)が問う。
村長はふむと顎に手を当て、少し目を泳がせた。
そしてそうだった、と口にし、視線を戻す。
「アレが現れてしばらく……どうも不審な様子でね、悪魔ではないかという噂が流れたのだ。そして我々は悪魔の子――悪の子、アコと呼ぶことにしたのだ」
「じゃあ、仮にそのアコってのが天使だったとしたら、テンコってところか」
不動神 武尊(
jb2605)が軽口を叩く。
これに村長は苦笑を浮かべるだけだった。
「被害に遭ったという子供たちは、どうしてアコのところへ?」
「あの丘に悪魔がいると聞いて、見てみたくなったのだろう。近づいてはならない、と教えられているはずなのだがね」
さらに質問した紀浦 梓遠(
ja8860)は、一応の筋は通っていると頷く。
ダメといわれるとやってみたくなる心理は、理解できなくもない。
「他に、アコが関わった事件はあるの?」
「スケッチブックや絵の具が盗まれた、という報告はあるが、目的は不明だ。子供たちの証言では村の絵を描いていたそうだが……」
「村の構造をまとめて、どこにゲートを出すのが効率的か、というのを調べていたのかな」
湖城 雅乃(
jb2079)は重ねた問いかけへの返事に仮説を立てる。
アコという悪魔がかなり下位のものだとしたら、出現させられるゲートは小規模なものである可能性がある。一度に多くの人間から吸精するためにはどこにゲートを出すか、と考察していたのではないだろうか。
ここまでの話を聞いて、ソーニャ(
jb2649)はカレンダーへと目を走らせた。
もう二月。アコは少なくとも去年にはいたとのことだから、どんなに少なく見積もっても一ヵ月以上はこの村にいたことになる。
村を調べるには少々長期的ではないだろうか。
「村の人から話を聞いてもいい?」
「構わないが、私の情報では足りないかね? アコならば、恐らく丘にいると思うが」
ふるり、とソーニャは首を振る。
「悪魔って断定するには、被害が少なすぎると思って」
「そうだ」
彼女の言葉を肯定し、武尊はガラステーブルの上に投げ出した。
並べられた湯呑がガタリと揺れ、しかめ面の雅乃が自分に出された湯呑を持ち上げる。
「その程度の悪魔なんてつまらねぇ。実際にアコって奴に会った人間なら、どんな能力持ってるかくらい分かるだろ」
「そんなことを言ったわけじゃないけど……」
「やることは一緒だ」
足をどけ、ソファから立ち上がった武尊がさっさと部屋を出てしまう。
その後を追って、撃退士たちもぞろぞろと応接室を後にした。
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「じゃ、ある程度情報を集めたらここへ集合だ」
役場の前にはちょっとした広場がある。ベンチが備えられ、周囲を大きな花壇が取り囲む広場。こんな状況でなければ、通りがかった村の奥様方が井戸端会議でもするのであろう。
白秋は、ここを集合場所とした。
十中八九アコは丘にいるのだろうが、それ以外に気になることがいくつかある。それを調べにゆくのだ。
悪魔が現れたにしては被害が小さい。このことが撃退士たちの頭に引っ掛かっている。
小さな違和感。これを確かめに行くのだ。
誰かが大きな情報を手に入れる、あるいは規定の時刻となる。いずれかでこの広場へ集合しよう、ということで話は決まった。
互いに頷きあった撃退士たちは一度分かれ、情報収集へと向かう。ただの思い過ごしだろう、と呟きながら。
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思い思いの方へ散らばった撃退士たちだが、雅乃とソーニャは同じところへ目をつけていた。
実際に被害に遭ったという少年だ。確かヒロといったか。
「お引き取り下さい」
「お願い、情報が足りないの」
「悪魔のいる場所なら、村長から聞いているはずです」
ヒロの母親は頑なだった。ソーニャがいくら駆けあっても「ヒロは絶対安静で合わせることができない」の一点張り。
悪魔に殺されかけたとのことであるから、それだけの怪我を負っているのも当然かもしれない。
「どうしても聞いておかなきゃならないことがあるの」
「ウチの子が大怪我したのよ? それを叩き起こして根掘り葉掘り無理矢理聞きだして何をしようっていうの」
「だから――!」
「もう行こう。これ以上は無駄だよ」
このままでは埒が明かない。
彼女たちにとってヒロの証言は重要な意味を持つが、こうも拒否されてしまっては強硬手段を取るしかない。――しかしそれは悪手。相手はクライアントの一部であり、「アコを殺害する」という依頼内容に承諾し、ターゲットの位置も大凡判明している以上、無茶をすることはできないのだ。
雅乃がソーニャの肩を引き、立ち去る。相手の態度に、不審なところは見られない。子が襲われた母親は、あんなものだろう。
だが、被害に遭ったのはヒロ少年だけではない。その場に居合わせたヒデオとマサヨシという少年がいる。こちらからならば話が聞けるはずだ。
「ねぇ君、悪魔をやっつけようとしたんだって? すごいのね、どうやったの?」
ソーニャが二人の少年にかけた言葉は同じだった。
少年たちが悪魔をやっつけようとした、という情報はこれまでにない。胸に宿る違和感の正体を突き止めるため、彼女はカマをかけたのだ。
しかし、返ってきた言葉もまた同じ。「やっつけようとしたんじゃない、悪魔を見てやろうと思った」である。
少年たちと話して得られた情報は二つ。一つは、アコが村や人の絵を描いていたこと。もう一つは、アコは石を飛ばす能力があるらしいこと。これだけだ。
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「……妙だ」
集めた情報を整理することもできず、梓遠は呟いた。
彼は被害に遭わなかった子供たちから話を聞こうと考えていた。つまり、事件の外側からの視点。相手が子供ならば、何らかの情報を素直に話してくれるだろうと踏んでいたのだ。
しかし、話を聞くことはできなかった。
外は危険だから、という理由であろうことは簡単に予測できるが、子供どころか誰ひとり外を歩いていない。
子供用の自転車が置かれている家を見つけて話を聞かせてもらおうと呼び鈴を鳴らしても、「今回の件には関係ないから」「開けた途端に悪魔に食われたくない」といった理由で門前払いを食らってしまう。
まるで村全体が調査を拒否しているかのようだ。
「悪魔の討伐に、地元民はここまで非協力的なものか? どうも……変な予感がするなぁ」
ほんの一瞬脳裏によぎった予感を、可能ならば否定したい。
だが一人で考えても仕方がない。集合時間も迫っている。
誰かが大きな情報を得ているかもしれない。いや、それに期待するしかない。
す、と時計を確認した梓遠は早足で広場へと向かった。
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有益な情報を得られたのは雅乃とソーニャだけであった。
その他のメンバーは、梓遠と同じく村民から情報を得ることができなかったようである。
「石を飛ばす能力、か。あり得なくはないな」
「けどわかんねぇ。なんだって皆こうだんまり極め込むんだ?」
宗がふむと頷けば、白秋が疑問を口に髪を掻き上げた。
これに、梓遠も頷く。
「それは僕も気になっていたよ。悪魔を退治するなら、もうちょっと協力してくれてもいいと思うんだけど」
「決まったな」
ふと武尊が口を開いた。
日はあれどもこの時期に吹き込む風は冷たい。手揉みするソーニャの隣で、雅乃が小首を傾げた。
「アコは殺してほしいが、余計な情報を与える気はない。要は、だ。アコってのは、ハメられたってことだ」
「推測だろう?」
「まあな」
武尊の推理が絶対ではないことを捕捉するように、宗が付け加えた。
同じことを考えていたらしい白秋が、後を引きとり考えを述べてゆく。
「悪魔といわれてるっつーアコってのは、悪魔じゃなくて人間かもしれねぇ」
「確定ではないけど」
「どっちにしろ裏があるに決まってらぁ」
やはり雅乃が口を挟む。
撃退士たちの出した暫定的な結論は、「単純にアコを殺すのはまずいのではないか」ということ。
村人から受けた印象をストレートに表現するならば、「さっさとアコを殺して出ていってくれ」といったもの。これには必ず理由があるはずだ。
その鍵を握るのは、やはりアコだろう。
視線を上げる。村はずれの、小高い丘。彼女は、そこにいる。
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頂上の、木の根元。少女はそこにいた。
泥だらけのスケッチブックと、倒れたバケツにひっくり返ったパレット。散乱する絵具や筆を足元に、うずくまる。眠っているかのようだった。
穴だらけの服から冷たい風が吹き込んでも、彼女は震えずじっとしていた。
撃退士たちが近づいても、無反応。膝に顔を埋め、ピクリともしない。
「……近くの村から、この丘にいる悪魔より被害を受けたと来たが、君がその悪魔か?」
宗が声をかけようと、返事もしない。声が聞こえているのかも怪しかった。
だがかすかに指が動いた。生きてはいるらしい。
彼女が身を預ける木に、武尊が腕をかけた。
「俺は無抵抗のものを攻撃するのは好かぬ。顔を上げろ」
彼が試したのは、意思疎通。声を用いず、相手の心に直接語りかける手段だ。
不思議な声の響きに、アコがほんの少し顔を上げた。
「話がしたいんだ……いいかな?」
目線を合わせようと、梓遠がアコの正面にしゃがんだ。
アコの唇はきゅっと引き結ばれている。
自分から言葉を紡ぐつもりはなさそうだと見た梓遠は、スケッチブックを拾い上げた。
「君が描いたの? 上手だね」
お世辞にも、上手く描けているとはいえない出来。この丘から見下ろした村を描いたのであろうことが辛うじて見てとれるが、建物の位置もてんでバラバラ。だが、相手の心を開くために敢えて褒めた。
……が、スケッチブックはすぐにひったくられた。破け、ぐちゃぐちゃになったスケッチブックを抱えて、アコはそっぽを向く。
その腕に青い痣があったのを、白秋は見逃さない。
「怪我してるな。誰にやられた?」
黙して語らない。
しゃがんで顔を覗きこむも、目を逸らされてしまう。
白秋は膝を叩いて立ち上がった。
「ちょっと悪ぃ」
「何してるの、やめなって!」
「うるさい、黙って見てろ!」
アコの服に手をかけた白秋を、慌てて雅乃が引きとめる。
これを白秋は振り払い、服を捲って背を露出させた。
「う――」
思わずソーニャが目を逸らす。
そこには無数の傷跡。まともに処置されておらず、かさぶたと膿だらけでとても健康的とはいえない。肉が見え、ぐちゅりと音を立てる箇所さえもある。
すまなかった、と一言詫び、白秋は服を戻してやる。
「やっぱりこいつは人間だ」
「……怪我させられたにしても、村を偵察するために透過能力を使用しなかった可能性も――」
「こんなんなるまで黙ってるやつがどこにいるってんだ!」
依頼の概要に書かれていたことを思い出し、梓遠が呟く。
それを白秋は怒声と共に振り払った。
ま、そうだよね、と梓遠も納得する。
「いじめられたんだね、村の皆に。大丈夫、守ってあげるから」
「バスの時間だ」
ここで撃退士たちは全てを悟った。アコが人間であることは疑いようがない。そして彼女の体を見れば、この村でどのような扱いを受けていたかなどすぐに分かる。
ソーニャはアコの手を握り、優しく声をかける。
が、それを遮った声があった。
振り返ると、そこには村長と複数の村人の姿。
「君たちは、我々の依頼を果たせなかった。……今を逃すと、明日まで村を出るバスが来ない。即刻、帰るが良いだろう」
「このまま帰るわけにはいかない!」
キッと視線を鋭くしたソーニャが立ち上がる。そしてアコを守るように位置取った。
「そうだ。ねぇ、僕らと一緒にいこう。もういじめられなくて済む場所へ行こうよ。ここにいなくてもいいんだ、君は、君の好きなように生きていいんだよ」
梓遠が早口に語りかける。アコが人間だと分かった以上、このままにしておくわけにもいかない。恐らく、村の人間だってアコが悪魔でないことには気づいているだろう。それを知った上で、こんな依頼を出したに違いないのだから。
しかし、アコは首を振る。力なく、弱々しく。
「ここで生きていたいんだね?」
ソーニャが問うと、アコはゆっくりと頷いた。
「まさか普通の人間を悪魔にでっち上げるとは、な。さて、一体どちらが悪魔なのか」
怒気を孕んだ視線とともに、宗が進み出る。その形相に威圧され、村人がたじろいだ。
「アコは人間だッ! てめえら本当は分かってんだろッ!」
「帰れ。依頼を放棄した以上、君らがここに留まることは許されん」
村長は悪びれる様子も、おののく様子もない。ただ繰り返す、帰れ、と。
――しかし。
「貴様らのほうが悪魔だ」
静かに呟いた武尊がゆらりと歩を進める。煙のように、するすると、そして一瞬に。間を詰めた武尊の拳が、村長の眼前に突き出された。
「今は力もなければ立場がある故に何もしない。だが……次はないと思っておけ」
流石に冷や汗を流した村長だが、武尊の拳を振り払い、衣服を糺すと一つ咳払い。元の調子に戻っていた。
「覚えておこう。さぁ帰れ、役立たずめ」
「クソ野郎がッ!」
「よしなさい、何を言っても無駄よ」
飛びかかろうとした白秋を、雅乃が取り押さえる。村長を殴ったところで、何も変わりはしない。
「君らは、芝居が下手だな。余計な疑問などを抱いたばかりに、時間を取られ、承諾したはずの依頼を達成することもできないとは」
丘の麓――即ち村の入り口へバスが停まった。早くしなければ乗り遅れてしまう。
村に宿泊することは、不可能だろう。野宿したところで、状況を改善できる見込みもない。
アコは、確かに頷いた。この村で生きていきたいと、そう願っていた。村から拒絶された少女は、それでも村を愛しているのだろう。
なのに。だというのに。
撃退士は飽く迄部外者に過ぎない。
もっと早くに、手が打てていたはずなのだ。そのタイミングを、完全に逃してしまった。
遅かった。
あの後、アコはどうなってしまうのだろう……。
バスに押し込められた撃退士たちは、乗り換えのバス停まで顔を上げることができなかった。