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転移装置といえど、どうしても数kmの誤差が生じてしまう。森付近に到着したのは良いが、撃破対象である蒼鴉を見つけ、追いかけねばならない。
走る。間瀬直美はその道すがら、晴美に関することを話した。22歳でありながら、娘――もうすぐ6歳になろうかという娘がいる。だというのに、互いに離れて暮らす上に母親は撃退士活動。直美は5年ほど活動しているということだから、晴美が生まれてすぐに撃退士となったということになる。そこにどんな事情があるのか、話さないわけにはいかなかった。晴美を助けだしても、我が子を抱き締めない母の姿を下手に怪しまれるよりは遥かにマシだろうと。
「すてたくせに、いまさら?」
そんな直美への、エルレーン・バルハザード(
ja0889)の言葉は冷めていた。
捨てた。そう、直美もその言葉を使って説明した。子を捨て、家を捨て、自分自身をも捨てて、撃退士となった。
エルレーンにはそれが許せなかった。
「惜しくなったとかじゃないの。ただ、そう、晴美が、あの子が……。助けなきゃって、絶対に助けなきゃって」
「じゃあたすけるだけね。あなたなんていなくたって、こどもは幸せなんだから、じぶんが『まま』だなんていわなくったっていいよ」
絞り出した言葉に反論を食らい、直美は押し黙る。
「いーよ、助けなくたって。救出なら私たちでやるし、どっか行っててよ。他人を守りながら戦えるほど、私は強くないし」
アリシア・ミッシェル(
jb1908)の言葉は、屈辱であった。
場数ならば直美の方が遥かに多い。直美にはその自負がある。プライドがある。だが、既に彼女の尊厳はズタズタであった。
「ただでさえ動揺してるのに、追い詰めてどうするんだ!」
「同感だ。まずは目の前のことに集中した方がいいだろう」
君田 夢野(
ja0561)が声を荒げ、天風 静流(
ja0373)が頷く。
元々晴美が連れ去られたことで興奮気味だった直美を追いつめれば、いよいよ戦力にならなくなる。
撃退士の思考パターンは二種類。一つは、直美をひとまず落ちつかせ、戦力に加えること。もう一つはそもそも直美を戦力から除外することだ。夢野らは前者、エルレーンやアリシアは図らずも後者ということになろう。
「すてたくせに、『まま』のふりしようとしてるんだよ? そんなのただのひきょうものだよ!」
「……あんたなんかに」
食い下がったエルレーンの言葉に、直美の拳が震えた。呟くように漏れた声は低い。
「あんたなんかに何が分かるのよ。じゃあ何、あんたが今ここで妊娠してると言われたらどうするの、産むの、降ろすの? 産んでちゃんと育てるの、育てられるの? いいや答えなくていいわ、口先では何とでも言えるもの。いいわよね、あんたから見れば私は他人なんだから」
「ふざけないよでよ! そんなんだから――」
「おっと嬢ちゃんら、そこまでにしておくことじゃ。この話はひとまず終いじゃ」
頭に血の上った直美とエルレーンをいさめたのは朱頼 天山 楓(
jb2596)だった。これでは埒が明かない上に、本来の目的を忘れてしまう。とにかくこの場を納めなくては。
まだ己の感情を抑えられない者たちは口々に不満を漏らしたが、ひとまず言い争いはなくなった。
やれやれ、と紅刃 鋸(
jb2647)は額に手を当てる。
「初仕事から難儀な事ね……」
「まったく。俺も似たようなものです」
カルマ・V・ハインリッヒ(
jb3046)も、撃退士としての仕事はこれが初。まずは活動に慣れなくてはといった心構えもどこ吹く風、依頼を受けてみたかと思えば込み入った事情の同行者と、彼女に対する言い争い。これでは堪ったものではない。
「ボヤいても仕方あるまい。仕事は仕事だ、割り切って集中しろ」
白面の内で、クライシュ・アラフマン(
ja0515)が言葉を漏らす。
集中。それは、ターゲット発見の報せを含んだ表現であった。
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蒼鴉は二羽。そのうち一羽は、なるほど、確かに少女らしき影をその足に掴んでいるのが見える。
「先回りできれば良かったが、悠長な事をしている暇は無いらしい」
静流が嘆息するが、言っても状況は変わらない。
相手はそれぞれ別の動きをするはずだ。一羽は少女――晴美を運び、もう一羽は護衛でも担当するのだろう。
ならば、対応する相手を割り振るべきだ。可能ならば分断したい。
「じゃあ、わたしたちがあっちをおいかけるの」
そういってエルレーンが指差したのは、子供を運搬する蒼鴉であった。
これにカルマが頷く。
「ではもう一羽を早急に処理し、そちらに合流する」
クライシュが早口に言うと、エルレーンとカルマは駆け出した。
「わ、私も――」
「嬢ちゃんはもう少し落ちついてからがええ。なに、悪いようにはならんじゃろうて」
晴美救出へ動こうとした直美を、楓が引きとめる。先ほど理性を失うほど激怒したばかりだ。その上、エルレーンと一緒に行動させるのは危険である。
ともかくは目の前の敵だ。護衛担当の鴉にこちらの動きを読まれてはまずい。とにかく相手の気を引くことが最優先だ。
アサシンダガーを取り出したクライシュは、鴉に向けて得物を投げた。当てる必要はない。ただ、相手が身の危険を感じればそれでよい。
案の定、鴉が振り向く。そして護衛鴉だけが進路を変え、撃退士たちへと襲いかかった。
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「あっちは上手く引きつけてくれたようですね」
「でも、どうやってあの子をたすける? ここからじゃとどかないし」
「俺が飛びます」
闇の翼を広げたカルマが飛翔。晴美を連れた鴉へと向かう。だが、己が追われていることに気付いた鴉は速度を上げ、カルマから距離を取る。その足に子供をぶらさげていながら、意外に速い。
闇雲に飛ぶだけでは追いつくことはできそうにない。晴美を助けるならば、相手が巣に着くのを待ってから攻めたり、何らかの形で挟み打ちを仕掛けたりした方が良かったように思えたが、今さら考えても遅かった。
ならば、今可能な手段で対応するしかない。相手が逃げるのならば、注意を引くのも一つの手だ。
「このっ、ぷりてぃーかわいいえるれーんちゃんがあいてだッ、こいッ!」
エルレーンはニンジャヒーローを発動。高々と名乗りを上げ、鴉の注目を引く。
森を貫かんばかりに通った声は、確かに鴉へと届いたようだ。
鴉は迎撃しようと動く。ただし、荷物になる晴美を空中で手――いや、足放して。
20m以上の高所から、晴美が落ちる。
ハッと息を飲んだカルマが慌てて救出しようと急降下する。
鴉の注目を引きつけたエルレーンはエネルギーブレードを構えた。
子供を攫った手口から考えて、相手の攻撃手段は降下からの一撃離脱。一対一のこの状況、正面からやり合えばどちらかが倒れる。空には太陽、木々の葉から漏れる陽光の影となった鴉に、正直に挑めば負けるのはいったいどちらか。考えるまでもない。
そもそもが、一人で天魔の相手が務まるならばこんなに何人もの撃退士が派遣されるわけもないのだ。
鴉の嘴が、エルレーンを捉えた。――かに思えた瞬間、鴉の得た感覚は肉を突き刺し、貫いたものではなかった。
空蝉。それは己の身代わりを置き、相手の攻撃を回避する鬼道忍軍の術。
ロングコートに視界を奪われた鴉の側面に、エルレーンは移動していた。
「あたってたまるか、なのッ! 必殺、雷遁・腐女子蹴ッ!!」
しかしそう簡単にはやられてくれない。エルレーンの放った雷撃のような一撃は、咄嗟に飛び上がった鴉には届かなかったのである。
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護衛鴉との戦闘が繰り広げられる中、直美は何もできずにいた。何かしなくてはならない衝動に駆られるも、身体は動いてくれない。いや、ライフルを構えても、気が乱れて狙いが定まらないのだ。
その傍らに立ったのは、楓であった。
「27人……」
「え?」
楓の漏らした言葉に、直美が銃を降ろす。
撃退士の数が多いと見た鴉は一瞬の降下と上昇を繰り返し、積極的な攻撃はしない代わりに反撃もされない、いわば時間稼ぎのような行動に出ていた。
下がってきたところに強烈な一撃を加え、飛行不能にする。定石とも言える戦法だが、それには相手が今一歩踏み込んでくれない。
「過去、儂の前でおんしと同じ悩みを抱えておった者の数じゃ」
同じ悩み。それは、子育てから逃げ出してしまったことへの後悔、そして我が子にどんな顔をして会えば良いのか、そもそも、会うべきではないのか。
楓の昔話に耳を傾けていたのは、直美だけではない。夢野も、そして白面のクライシュもまた、反撃の機会を伺いながら話の続きに耳を澄ましていた。
母を知らない……いや、記憶の中に埋もれてしまった二人。母親とは、母と子の愛情とは、幸福とは。
クライシュは仮面を被る。己の感情を表に出すまいと。何を思ったところで、行動したところで、己の父も母も帰ってこない。何も変わらない。だが……知ることはできる。母親というものの、一つの像を。
夢野は奥歯を噛む。人を幸せを、夢を護らんとする彼の信条は確かなはずなのに、言葉が出ない。母を知らない、だから自分以外の誰かには幸福でいてほしい。だから何も言えない。どんな言葉だって、自分の勝手な空想にしか思えなくて。
そういう意味で、夢野はエルレーンが羨ましかった。主張の方向性は違う、だが、母というものに明確なイメージがあって、それをストレートにぶつけられる。何も言葉にできない自分とは異なる、エルレーンが。
「儂の知る限り、そう言った者等は例外なく最後は同じ行動を取ったがの。母は母……子が何を思おうと、己がどう目を背けようともそれだけは変わらんかった。いの一番に現場へと駆けたおんしの様にのう」
「悔いのない選択を。簡単な話ね」
話の結論を鋸が打ち出す。このまま何もしない方が良いか、それとも……。どちらを選べば後悔するか、より後悔しないか。ここまできたならば、結論は二つに一つだ。ただし、いずれにせよ強い決意がいる。今度こそ生半可な覚悟では済まされない。
それは直美も分かっている。この5年の間、募りに募った後悔もある。だから、今度こそといった思いは固まりかけていた。
「でもさ、面倒ごとを他人――あぁ、あなたのお母さんだっけ、人になすりつけておいてさ、子供がようやく大きくなって手がかからなくなってきた頃にソレ? 私なんかよりよっぽど子供だよね」
「では、私にどうしろっていうの」
「知らないよ。関係ないもん」
アリシアの横槍。彼女は母親の愛情を知らないわけではない。母親に対して深い考えがあるわけでもない。ただただ、直美のことが気に食わないのだろう。
だが、今度は直美の怒りに触れることはなかった。
「来るぞ。次こそ捉える」
鴉の動きを目で追い、また高度を下げようとしているのを確認した静流がワイヤーを構える。次も本気では攻めてこないだろう。一瞬でも怯ませることができれば状況は変わるのだが。
降下した鴉へ鋸が銃撃。これを食らうまいとした鴉が僅かに身を浮かせて離脱を図った。
その眼前を、さらに銃弾が飛ぶ。鋸の放ったものではない。それは、直美の構えたライフルから放たれたものであった。
怯み、鴉がストンと落ちる。ここを狙った静流は飛び上がり、その翼にワイヤーを引っかけた。
「悪いが貴様の羽、封じさせて貰うぞ」
小天使の翼で以て飛翔したクライシュが鎖鎌を放って動きを完全に封じる。
ワイヤーに、鎖。これに捕らえられた鴉は、最早浮上のしようがない。
さらに夢野が銃撃の雨を浴びせると、鴉は全身に糸やら鎖やらをめちゃくちゃに絡ませたまま絶命し、落ちた。
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カルマは言葉を失った。
可能な限り急いだ。全力だった。
しかし、距離が離れすぎていた。いや、いずれにせよあのままでは距離は開く一方だったであろう。
――そんなことが問題なのではない。どんなに原因を探ろうと、結果は一緒だ。
少なくとも今は。この場だけでも割り切らねばなるまい。彼は強く拳を握ると、鴉の濁った鳴き声の聞こえた方へと駆けだした。
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しばらく一人で戦わざるを得なかったエルレーンは苦戦を強いられていたが、護衛担当の鴉を撃破した撃退士たちが合流したことで決着を見ることができていた。
「あの子はどこに避難しているの?」
鴉が動かなくなったことを確認した直美は開口一番そう問いかける。
「それならさっきあっちに……。でも、あわなくていいよ」
相変わらずエルレーンの視線は冷たい。だが、晴美の居場所は教えてくれた。だが彼女はまだ、晴美がどうなっているのかを知らない。
「そんなこと、は……そんなことは、ない!」
ムッとした直美の代わりに口を開いたのは夢野だ。
「どんな気持ちで産んだとか、育てたとか、今はもう、そんなことを言うような時じゃないんだ。会えばいいじゃないか、本当の母親を知らないまま生き続けて、いずれ真実を知る時がきたら、その方があんまりじゃないか!」
ずっと、考えていたこと。
何を言うべきか、どう言うべきか。喉にまで出かかっていたというのに、言葉にできなかったこと。
母親。夢野は答えを探していた。
「上手くは言えないけれど……子供にとって母親は大事な存在だ。俺にはそれがいなかったから、そんな思いを晴美ちゃんに抱かせちゃいけないんだ!」
「これを見ろ。さっき撮ったものだ」
声を振るわす夢野。その横から、クライシュがデジカメを取り出してディスプレイに写真を映す。
ライフルを構え、懸命に戦う直美の姿が、そこにはあった。
エルレーンはフンと鼻を鳴らす。
「あったって、晴美ちゃんはいやなおもいをするよ」
「一回投げ出したんだし、上手くいくと思えないけどなー」
最初にもそうだったように、アリシアもエルレーンの考えに同意していた。
「カッカッカッ、好い好い。人はそうした壁を乗り越えて大きくなるもんじゃ。わしゃあ、本人たちに任せるがええと思うがの」
楓が笑い、鋸が頷く。
納得できないエルレーンはそっぽを向いた。
直美は楓らに一言礼を述べると、晴美がいるという方向へと駆ける。
「やめた方がいい!」
血相を変えて、カルマが制止する。
「どうして? あなたも会わない方がいいって――」
「そうじゃない、でも、見ちゃ!」
「放してっ! 晴美、晴美……ッ!」
肩を掴むカルマだが、振り払われてしまう。彼は慌てて追おうとするが、間に合わない。
街には光る夜が近づいている。共に過ごすことのできなかったあの日が。その後には、晴美の誕生日。どんな風に過ごそう、どう向き合おう。今はそこに、心配はあっても不安などない。
直美は木の茂る向こう側へと消えた。
●モノクロクリスマス
――。